Kオジサンの気の向くまま

日々のあれこれ・・・・・思いつくまま

旅立った母。

2010年11月24日 22時16分55秒 | 葬儀など


母が以前に入院していた病院。特別養護老人ホーム。そして、息きを引き取った病院へ先日、挨拶に行ってきました。

 

母の米寿の祝い会を8月14日に計画していました。このお祝い会は春頃から計画し、会場をおさえました。
前日の8月13日になつて、急に体調を崩し、主賓が欠けた状態では実施することができませんでした。
前日に会場へ出向き、訳を話してキャンセルさせて貰いました。前日であり、当然キャンセル料が請求される物と思っていましたが、請求はされませんでした。
また、体調が回復し、改めてやり直す。それで、キャンセル料を請求されなかった先方へ最良の方法だと思っていましたが、回復せず、改めて開くことはできませんでした。

それで、区切りをつけると言う意味から菓子箱を持って予定していた宴会場へ挨拶に行ってきました。

 

今日、葬儀代を振り込み、一区切りがつきました。

 

あの夜、8時過ぎに病院から電話があり、飛んで行きました。
酸素吸入のマスクをしていて、意識はありませんでした。
直ぐそばにオシロスコープと言うのか、オシログラフと言うのか、機器が有り、脈拍数。心拍がを表示していました。
脈拍数と山型のグラフで左から右に横へスライドしていくのです。
脈拍が段々少なくなり、山が低く成って行きました。

そして、ついに、山は水平な横線になり、数字はゼロとなりました。
残酷な形ですが、亡くなった事がハッキリ分かりました。9時30分でした。


母の臨終に立ち会えてよかったと思っています。

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葬送曲   「高原列車は行く」

2010年11月19日 00時30分38秒 | 葬儀など


去る16日に母は87歳の生涯を閉じました。
生前は特別養護老人ホームに3年余り入所していました。
施設に入所していて色々のリクエーションが有りました。その機会に他の入居者からも歌っての催促の声が有ったりしました。
カラオケで歌ったりしていて、「高原列車は行く」を常に歌っていました。言うならば十八番の曲です。
葬儀会場内にはエレクトーンによる「高原列車は行く」が流れ、棺を送り出しました。

 

 

瞑想の森
各務原市の火葬場です。建物の横には池が有り周囲とマッチした景色となっています。
落ち着いた建物で、人生の最後を迎えるのにふさわしい雰囲気と成っています。

 

 

満87歳の母の米寿の祝いを8月14日に計画していましたが、この夏の猛暑で体調を崩し、米寿の祝い会を開くことができませんでした。
祝い会の余興でカラオケを行い、母に「高原列車は行く」を歌って貰う計画でしたが、結局、実現しませんでした。

母に出来る限りの事はしてやる事が出来たと思っています。

特養に入る前は病院に入っていて、一日中寝間着姿で、すぐ隣に別の人のベッドがあると言う環境であり、ウチに戻りたいと漏らしていました。

平成19年10月に特養に入ってからは施設でクリスマス会、七夕会、ひな祭り会などの行事が有り、毎月誕生会も開かれていました。

またダンゴ造り、タコ焼き作りが有ったりし、花見やアジサイを見に施設から連れて行って貰っていました。常に何かが有るようになっていました。施設の方針だったのだと思います。
環境的には自分一人の部屋が有り、プライバシーが保て、トイレは隣の人との共用でした。食事は大きな部屋で皆さんと一緒に食べていて、何時もここの食事は美味しい、美味しいと言っていました。

身体的には他の人は車椅子の生活でしたが、入所初期の母は手押し車で施設内を歩行していました。
そのように気にいった場所で人生の終期を迎える事が出来、「私は幸せだ」と言ってくれていました。


完璧ではありませんが、その言葉を貰い、悔いを残さず済みました。

 

コメント (5)
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