Kオジサンの気の向くまま

日々のあれこれ・・・・・思いつくまま

岐 大 祭

2016年10月30日 23時31分21秒 | 日記

岐阜大学の大学祭に行って来ました。
岐大は息子が通っていた大学です。
久し振りに来ました。



正面から中に入っていきます。




ここは丸池です。
ステージの上でダンスを踊っていました。




目指したところが農学部の場所で花を売っている場所です。




バンジーやビオラが並んでいます。




こちらはフジバカマです。
2株買って来ましたが、アサギマダラが飛んでこないかと期待しています。





こちらは南駐車場です。
学生の模擬店やフリーマーケットの店が並んでいました。




ポップコーンの店です。
1つ買いました。


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航 空 祭

2016年10月30日 23時27分25秒 | 日記

今日は岐阜基地の航空祭で、飛行機が飛びからかします。
市内の何処にいてもジェットが見えます。


機種の判らないジェット。



こちらのも、判りません。




こちらは空飛ぶタンクローリーです。
給油工を下に下ろして飛んでいます。



同じ機です。
周回してきて、滑走路に着地して、飛び立ってきました。
今度は給油工を仕舞っています。





ウチの近くの道路です。
この道路。駐車禁止なのですが、日曜日や祝日は駐車がOKです。
ですから駐車違反では有りません。
左の車は豊橋と浜松ナンバーでした。右の列の中に長崎ナンバーの軽四が入っていました。何時頃長崎を出て来たのかと思います。熱心と言うか好きと言うか。

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花散歩 続・新幹線とコスモス

2016年10月29日 23時40分05秒 | 花散歩

10月26日に大垣のコスモスを見に出かけました。その時に水の減った水路にメダカが居たのです。あのままでは、水が減ると死んでします。救助しなければらならないと思い、100均で網を買って現地に向かいました。



大垣に向かう前。
来年、4月に瑞穂市から羽島市へ、一宮友歩会で歩きます。それで、下下見を行う訳ですが、事前に念を入れて現地を見ておきました。
この道を歩こうと思ったのです。
4月に歩くのですが、桜はどのような状態になっているでしょう。


大垣市平町

前回、来た平町に来ました。




新幹線が通過して行きます。




新幹線が通過して行きます。




写真は、一瞬。一瞬です。
撮影しようと構えても、思い通りになりません。
新幹線にピントが合わず、手前のコスモスに合ってしまいます。


前日の雨で水路の水量が増えていました。
それでか、メダカの姿を見かけませんでした。
メダカが水量の減った水路に取り残されるという事は無かったのです。
結果、オーライなのですが、救助に向かって肩透かしを喰ったと言う感じがしました。

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歴史勉強会 ヒストリー各務野会  宝暦治水と木曽三川の治水

2016年10月28日 23時00分46秒 | ヒストリー各務野会

今日のヒストリー各務野会の講師は宝暦治水史蹟保存会長の中西達治氏です。氏は金城学院大学の名誉教授でも有ります。
ご自身が保存会の会長を勤めておられるだけ有って、宝暦治水に詳しい方です。治水神社では春の大祭と秋の大祭が執り行われているが、秋の例大祭は治水工事でなくなった方々の法要を営むものだと話されました。


開始時間前なのですが、出席者が揃い、始まりました。




先生からいただいた資料です。
長良川は今のような姿をしていません。




古書を手にして説明しています。





ホワイトボードを使っての説明です。
吉宗の時代。
使ってはいけない、字が有りました。




上の資料は先生がご用意くださったものです。
その中で内藤十左衛門の切腹の理由と有ります。
緻密な工事をやりたかった十左衛門と大雑把な庄屋。事がうまく運ばずに、その責が己の上司に及ばないようにと、自害しました。
その事を説明されました。




今年、4月に弥富市内を一宮友歩会でウオーキングしました。その時に證玄寺に寄りました。寺の表に内藤十左衛門自刃の地の石柱を目にしました。その時は、何で巣南町教育委員会が、このような離れた地に石柱を立てたのだろうと言う思いがしました。
今、こうして内藤十左衛門の自刃の話を聞き、見てきた證玄寺の石柱が結びつきました。
見てきたことと、話が一致する。
こう言う事が、歴史のおもしろい所の1つであります。
海津市のホームページで、内藤十左衛門の自刃について触れています。
http://www.city.kaizu.lg.jp/life-guide/learns-play/history-culture/horeki-chisui/ninote.html





ご自分で撮影してこられた海蔵寺の石碑の写真を手に説明しています。
終了時刻が過ぎていますが、熱心にお話しされています。








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歴史街道を歩く会 12月例会の下見

2016年10月27日 23時37分21秒 | 歴史街道を歩く会

歴史街道を歩く会に加入していまして、会員となっています。何時もですと、毎月第4土曜日が例会の日となっています。12月だけは年の瀬が押し詰まってきますので、第3週の開催です。12月例会は愛知県の長久手市を歩く計画となっていて、リーダーを私が勤めます。

計画では地下鉄藤ヶ丘駅まで行き、長くて市内を歩き長久手古戦場までを歩く予定です。12月の本番を前に現地に出かけて下見をしてきました。

藤が丘駅

地下鉄藤ヶ丘駅に着きました。
地下鉄と言っても、高架の駅になっています。
この後、歩き始めました。


木下勘解由の墓

まず、最初に立ち寄ったのが木下勘解由の墓です。
木下勘解由が逃げてきた三好信吉に馬を与えて逃がし、自分は奮戦して、この地で戦死しました。



次の場所に向かって歩いています。
前方の歩道橋の上に子供たちがいます。
保母さんに引率されて来た子供たちが何かを見ていました。
右は渡り切った歩道橋です。
可愛い子供たち。天使がイッパイと言う感じがしました。

掘 久太郎本陣跡

桧ヶ根公園まで来ました。
ここには掘 久太郎の本陣跡があります。


長久手市役所

歩いて来て、来たところが長久手市役所です。
参考となる資料を貰いたいと思い、寄ります。




1Fの案内受付で、参考となる長久手市の資料が欲しいので、どちらに向かったら良いのか聞きましたら、「たつせがある課」と言う課でした。課の名を聞いて、一瞬?となりました。
一瞬。意味が判らなかったのです。




2Fに上がりました。
初めて長久手市役所に来ました。
カウンターの廊下を歩いていくと、次々に「こんにちは」と言う挨拶が飛んできました。
向かう所は一番奥の場所です。
庁内では来訪者に声を掛けるのが徹底していると思いました。


たつせがある課

来たところが、「たつせがある課」と言う課です。
慣用句で「立つ瀬が無い」という言葉があります。立つ瀬がないとは? 面目を失う。立場を失い,苦境におちいる。と言う意味です。その逆で、役に立つとか、手助けをすると言う意味なのでしょう。ユニークな名の課です。リーダーのバッジを付けた女性と話しましたが、この課の案は市長の発想からだと言っていました。
「たつせがある課」の事務分掌は地域協動や地域コミニティ。商工業や観光交流等で、手助けをすると言うことでしょう。

12月にウオーキングするコースの参考となる資料をいただきました。それに、ここの課でなく生涯学習課で作成した資料を女子職員が取りに行ってくれました。
欲していた資料が揃い、助かりました。

石作神社

石作神社(やざこじんじゃ)に来ました。
(やざこじんじゃ)とは、読めないお宮さんです。
お宮さんは石作神社なのですが、この辺たり。岩作と書いて(やざこ)と読みます。難読な地名です。




境内に入りました。
銅板で葺かれた屋根。まだ、新しい本殿です。


色金山歴史公園

次に来たのが色金山です。




展望テラスが有ります。
ここからは長久手古戦場が見渡せますが、木が伸びてきています。



色金山には長久手合戦慰霊碑があります。


安昌寺

安昌寺へ来ました。

首塚

次に寄った場所は首塚です。
戦で亡くなった人達を弔った場所です。




首塚の史跡で、説明板が設けて有ります。


古戦場公園

古戦場公園まで歩いてきました。




公園の中に勝入塚が有ります。


長久手市郷土資料室

最後に訪ねた所が郷土資料室です。




館内には、長久手の合戦が詳しく解説して有ります。



火縄銃が展示して有ります。


長久手古戦場駅

リニモの長久手古戦場駅まで来ました。





イオンが工事中です。
完成すると沢山の人が押し寄せる事でしょう。




リニモが来ました。




車内から後方を眺めました。
路線の先に見えるのがトヨタ博物館です。
リニモは音が静かな乗り物です。
リニモに「愛・地球博」の時に乗ったのですが、こんな乗り心地だったのかと、あの時を思い出しました。

感想
長久手市役所で丁寧な応対を受けました。そして、12月に歩くコースの資料をいただきました。下見で歩いたのですが、街全体が古戦場跡の感じで、陣地跡やお墓の跡が点在しています。
12月の本番が楽しみです。




Mサンが12月のコース図を作ってくれました。
このコースで長久手古戦場を歩きます。

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花散歩 新幹線とコスモス

2016年10月26日 23時01分05秒 | 花散歩

大垣市の平町。ここへは8月にヒマワリを見に出かけました。その時のヒマワリ畑では、隣でコスモスが伸び始めていました。
ソロソロ、コスモスが生長して、見頃になったではと思い行って来ました。


平町のコスモス畑へ来ました。
施設から指導員に引率されたお年寄りたちが来ています。
コスモスをバックにして全員写真を撮ろうとしています。



新幹線の列車が通過して行きます。




施設の人たちが指導員と一緒にコスモスを愛でに廻り始めました。
歩ける人、歩けない人。色々です。
歩ける人が仲間の車椅子を押しています。




何本も列車が通過します。




コスモス畑のすぐ横の水路です。
田で水を使わない時期であり、水位が下がっています。
メダカを見つけました。
いずれ、水が無い時期が来るのでしょう。
となると、メダカが死んでしまいます。




新幹線とコスモス。



コスモスと新幹線。
良い題材になるので、カメラマンが来ています。




施設から引率されて来ていた人達。
母も、晩年は施設に入っていました。
あのような姿を見ると、母を思い浮かべます。

コスモスの時期。
満開で、愛でる事が出来ました。


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史跡めぐりとウオーキング  その2

2016年10月25日 23時39分54秒 | 史跡めぐりとウオーキング講座 等

今日は史跡めぐりとウオーキングの日となっていました。計画では加佐見神社から八坂神社、小町酒造などを巡る予定になっていました。
今日は雨だったので、開催されないだろうと思っていましたが、開催すると連絡が入りました。


集合場所は加佐見神社です。
あの建物は参集殿です。




私が来た時には全ての人が集まっていました。
みなさん、出席が早い人ばかりです。




いただいたパンフレットです。




講義の前に幣殿に向かいました。




幣殿で越を下ろします。
ここで清水権禰宜から加佐見神社の歴史やご祭神に着いて御話しが有りました。




加佐見神社の本殿です。




加佐見神社を横から見たところです。




外は雨が降っているので、講義だけとなりました。




講義が進み加佐見神社の屋根についてですが、檜皮葺きと言う屋根です。
建物は長持ちしますが、屋根は長持ちしないと言う事でした。
近い時期に屋根の葺き替えを行いまして、檜の皮が残っていました。
それで見本に、見せてくれました。






参考にアルバムが用意されていました。
左は檜皮を葺いていくところで、右は葺き終えたところです。


今日は雨で歩く事が出来ず、加佐見神社の参集殿での講義でした。
先生が話された事の中に延喜式と言う言葉があります。その延喜式の中に加佐見神社が載っているのだそうです。載っている事で神社の格を左右するモノでは無いが、意義あることだと話しました。

加佐見神社は裏の山。本体がご神体で加佐見大神なのだそうです。それにこの神社にお祀りしているのに、応神天皇、蘇我倉山田石川麻呂です。石川麻呂は蘇我一族であり、大化の改新の関連を話されました。

雨のため屋内での講義となりましたが、出来ることなら中止にして、別の日に開催し、加佐見神社の周辺を歩いてみたいと思いました。


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Kオジサンの家庭菜園日記  サツマイモの収穫

2016年10月24日 23時22分42秒 | 家庭菜園日記

今日、サツマイモを収穫しました。


収穫する前です。
サツマイモの葉が繫っています。




葉を取り除いた所です。




掘り出してみました。




これだけ収穫できました。
大きなサツマイモ。丸でカボチャのようです。

6月にタマネギを収穫して、その後に苗を植えました。
真夏の頃は、水をやりに通ったりもしました。
そして、収穫に結びつきました。
それにしても、大きなイモ。1個で大きいよりも何個か有ったほうが良いと思いました。



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第30回 岐阜県農業フェスティバル

2016年10月23日 23時45分32秒 | 岐阜県農業フェスティバル

岐阜県庁周辺で農業フェスティバルが開かれました。
今年も行って来ました。




農業フェスティバルの看板です。





まず、最初に向かったのがアリーナです。
沢山の人で賑わっています。
以前はヒマラヤアーリーナだったのが、OKBぎふ清流アリーナと、名が変わりました。
何時から変ったのだろう。
少しでも収益に結び付けようと言うのは判るが、コロコロと名を変えないで欲しいと言うのは無理だろうか。




今年もお酒を買いました。
所酒造の「しぼりたて」です。

 



外に出ました。
岐阜県食肉消費対策協議会と言うブースで飛騨牛のコロッケを買いました。
美味しかったです。




岐阜県稲作経営者会議。
早い話が、お米を作っている農家でしょ。
その人たちがお餅を焼いて売っていました。



小さかったですが、2個で100円でした。
こちらも美味しかったです。
少し食べるだけですから余計に美味しく感じるのかも知れません。




こちらはお茶の販売コーナーです。
試飲させてもらいました。
美味しくて、和菓子が欲しいと思うような味でした。




こちらは大野町の富裕柿です。
試食させて貰いました。



ボーイスカウトは、うどんを販売していました。
お昼時で、うどんを買ってみました。


最後に
今年も農業フェスティバルの会場へ訪れました。


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歴史街道を歩く会 10月例会  飛騨街道「金山宿と筋骨めぐり」

2016年10月22日 23時47分14秒 | 歴史街道を歩く会

「歴史街道を歩く会」の10月例会に参加しました。今回は飛騨街道の金山宿を訪ねるコースです。下呂市金山町の街中を歩くのでして、街中の筋骨を歩きました。筋骨とは裏路地や赤道(アカミチ)を指す飛騨金山の言葉です。街中に網の目のように張り巡らされた生活の道です。
地元のガイドが案内してくれて、説明が参考になりました。
昭和3年に高山線が飛騨金山まで延伸してきて、それに金山橋が架橋されて、この辺りの生活が一変しました。



金山町観光協会発行の筋骨めぐり 散策マップを引用しました。



JR那加駅です。9時19分発の下呂行きの普通列車が来ました。
右は車掌が車内発行した切符です。向かう飛騨金山駅はICカードの範囲外ですので、ICカードが使えません。それで車内で車掌から切符を買いました。




飛水峡信号所を通過した所です。
高山線で、駅と駅の間で、長い区間の箇所には待ち合わせの信号所が有ります。
気をつけて線路を見ていないと、このような事は判りません。




高山線と国道41号線が並行します。
東海北陸自動車道ができて、こちらの国道を走る車が減りました。
列車の窓から撮影したのですが、左側が窓の端で上手く撮れませんでした。




こちらは鷲原信号所です。
反対列車とすれ違える所ですが、ここも対向列車とはすれ違いませんでした。




下油井駅です。
時刻表では10時35分着で10時49分発となっていました。
左が美濃太田行きの普通列車で、やり過ごします。
右は上り列車。ひだ6号で、通過するのを待ちます。車内アナウンスで、反対列車が4分ほど遅れているので発車が遅くなると言っていました。



飛騨金山駅が見えてきました。。




飛騨金山駅に着きました。
ガイドの岡戸さんが迎えてくれました。

駅に着いて、岡戸さんが岩屋岩陰遺跡に着いて説明してくれました。この遺跡には巨大な岩が有るのですが、古代人が岩の間から差し込む光で暦を使っていたのではないかと言うことでした。
金山は北側に天領と郡上藩。南側に苗木藩と尾張藩が接する珍しい所で、関が原合戦の前に前哨戦が有ったのだと説明しました。



その前哨戦。
戦死者が出て首塚や足塚が有ったと記述しています。
駅に有った解説地図です。




飛騨金山駅から歩き始めました。




まず、向かったのが大船渡の渡船場です。




ここが大船渡の渡船場跡です。
対岸の尾張藩とこちら側、天領で大船渡村。双方で運行していました。尾張藩側は1人で運行していましたが、大船渡村側は25軒で運行していたのだそうです。大船渡村の田は水が貯まらず水田の耕作が出来ない場所だった。それで、養蚕が主な収入源となっていた。それに少しでも現金収入をと言うことから、村人がお互いに出て渡船事業に携わったのだと岡戸さんが説明してくれました。




岡戸さんの背中。
金山町観光協会スタッフのジャンパーを着ています。




次に案内されたのが金山振興事務所です。この建物は金山町役場だった所ですが、
合併に寄り下呂市となり、振興事務所となりました。
この振興事務所の建物には金山町商工会や保健センター、公民館などが入っています。



4階へ上がりました。
郷土館となっている部屋です。
土曜日で休館なのですが、鍵を借りて部屋を開けて貰えました。




国境の紛争。
決着を着ける書面です。
書いてあることを解説して貰えないと、判らないです。
勘定奉行に寺社奉行。1人でなく複数だったのか。

最初に案内されたのが第4展示コーナーでした。ここには、かつて使ったのこぎりや消火に使った鳶口。お籠も有りました。続いて入ったのが第3展示室です。こちらには古文書や鏃が展示して有りました。
古文書はケースに入っていましたが、第4展示コーナーの品々は並べてあるという感じでした。




金山橋を渡ります。
この橋は昭和3年に架橋されたものでなく、新しい橋だそうです。




橋の上からの眺めです。
右が飛騨川、左が馬瀬川です。
飛騨川は上流にだけがあるので水が汚いと言っていました。




橋の上で「釣りキチ三平」の説明です。
この場所が「釣りキチ三平」で取上げられました。
今は飛騨川と呼んでいますが、益田川と、かつては呼んでいました。ふり仮名が打って有りますが、マスダガワでなく、マシダガワが正しいと思います。




看板の字が読み難くなっていますが、「街の駅 よってこ家」です。
ここで昼食にします。




昼食が終わりました。
2人のガイドが応援に駆けつけてくれました。




昼食を終えて、筋骨めぐりで歩き出しました。
最初に向かったのが石田とうふ店です。




とうふの試食を用意してくれましたが、アッと言う間に無くなりました。



店内の様子です。





アゲを買い物する女性。
以前、飛騨金山に来た事が有ります。表の通りを歩いていた時、車で来た人に、この辺りにとうふ屋が有るハズだが知らないかと聞かれました。遠くから来た人達のようでした。そんな美味いとうふなら買って帰ろうと思い、保冷容器と保冷剤を持ってきました。帰ってから湯豆腐で食べました。確かに美味しい味でした。
それにアゲも買って帰りました。フライパンで焼いてくれましたが、美味しい味でした。




境橋の方に向かいます。
歩いている右側に馬瀬川が見えます。川底が見える程綺麗な水です。




道を歩いていて、右に入っていく細い道。左に入っていく細い道。
この道が筋骨だと教えられました。




案内されて来た所が高木酒造です。




高木酒造の表側です。
杉玉が下がっています。




店の中に入りました。




店内には酒造に関係する資料なども展示して有りました。




店内から直売店に向かう途中、酒蔵の中が見えました。




直売店に向かう細い道。
この道も筋骨です。




国道沿いの直売店に来ました。




色々の酒を試飲してみました。




筋骨を歩きます。




次に来たのがびっくり餅の餅倖と言うお餅屋さんです。
こちらは黒豆大福が有名な店です。




筋骨を歩きます。




手漕ぎポンプです。
少し前まで故障していたみたいです。
岡戸さんが柄を上下させると勢い良く、水が出ました。




筋骨から飛騨街道に出てきました。
何を喋っているのでしょうネ。




筋骨めぐりのポスターです。
新しく出来たポスターのようです。





飛騨街道。
ひっそりとした街道で、誰も通らない。
それでも、直線の道路でないので、古い街道を想像させます。





飛騨街道に出てきました。




次に案内されたのが銭湯です。




銭湯の前に立つ岡戸さん。
この銭湯は「旭湯」と言う銭湯で昭和60年まで営業していました。




左は番台。右は脱衣箱です。
脱衣箱は二十番まで着いています。


奥に浴槽が有り、浴槽内でタオルを使わないでと書かれています。






筋骨を歩きます。




両面宿儺(リョウメンスクナ)像が有る、鎮守山を仰ぎます。




これから川沿いの筋骨を歩きます。





家屋が川の上までセリ出ています。





ネコが歩いて行く私たちを見ていました。




ここは、昔、遊郭だったのだそうです。
手摺に、コウモリの細工が残っています。
何でも、コウモリの印が有るところが遊郭の特徴らしいです。
この窓から女の子を選んだのではないかと言っていました。




川の上の橋。
裏から出入りが出来ます。




清水に来ました。




水神様が祀ってあります。
右側は清水の栓を抜いたところです。栓を抜くと水位が下がります。
それに伴って、新しい水がプクプクと泡を建てて湧き出してきます。




筋骨を歩きます。




北側の清水に来ました。
ここには屋根がついています。
こちらは板で水を堰き止めていました。
板を外すと、水位が下がり水が湧き出します。




水位が下がり、一斉に清水が湧き出します。




清水屋根建替改修工事と書かれています。
昭和42年9月19日の日付が書かれ、工事費が弐萬5千円です。勤労奉仕で出た人の名も書かれています。清水を利用する人、総出だったのでしょう。
ここの場所。今では余り、使われていない見たいです。
それでも、この屋根を改修した当時。井戸端会議ならぬ清水会議。オバチャンたちが大きな声で喋っている様子が想像できます。



川沿いを歩いてきました。
ここで、岡戸さんがスケッチ画を見せてくれました。
ここへ絵を描きに来る人が居るのだそうです。



飛騨街道に出ます。
この場所はポスターでも取上げられた所でした。



みんなと離れて名取のてんぷら屋へ来ました。




コロッケや味のフライが並んでいます。
コロッケを2個買って、持ち帰りました。
ジャガイモの味すると言った感じでした。




飛騨街道を歩きます。




屋根の有る清水に来ました。
ここは東の清水と呼ばれているようです。




御社がありますが、水神様を祀っているのでしょう。
清水を飲んでみました。




筋骨沿いにホトトギスが咲いていました。




飛騨金山駅に戻ります。




飛騨金山駅です。




飛騨金山駅のプラットホーム。
列車が来ました。




美濃太田行き普通列車の車内です。
ワンマンカーで乗車駅からの料金を表示しています。
料金表からこの列車は猪谷から来た事が判ります。




美濃太田駅で岐阜行きの列車に乗り換えます。
岐阜行きが入線してきました。




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