Kオジサンの気の向くまま

日々のあれこれ・・・・・思いつくまま

花散歩 津屋川の彼岸花 その前に、お千保さん

2019年09月29日 23時27分23秒 | 花散歩

海津市の津屋川。ここの彼岸花を見に出かけました。
津屋川へ行く前にお千保稲荷に寄っていきました。
久し振りにお千保稲荷に出かけました。

お千保さん

お千保さんへのメインストリートです。





朱の鳥居。
ここから鳥居を潜りお千保さんに参拝します。





お供えの揚げを売っています。
1ケ、50円。
カミさんが1つ買いました。




千代保稲荷神社。
お千保さんの正式な名です。




正殿に向ってお参り。
列に並び順番を待ちます。



津屋川

津屋川へ来ました。
案内看板が設置して有ります。




津屋川の景色を撮影するためカメラマンが来ています。





津屋川の堤防。
以前来たときより木が減っています。
台風で倒木にでもなったのだろうか。




堤防の西側。
まだ、ヒガンバナが蕾です。




蕾のヒガンバナ。




堤防の東側です。
こちらは咲き揃っています。



ヒガンバナをアップで。




堤防の下から堤防上を見上げました。


津屋川のヒガンバナ。
時期的に、まだ早いと言う感じでした。
一番良い直に訪れるのが難しいです。


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萩茶会

2019年09月29日 23時23分12秒 | 日記

お茶会の呈茶券をいただきました。お茶会の場所は犬山の成田山のお茶室です。
秋の時期。
萩茶会と言うお茶会で、夫婦で行って来ました。


戴いた呈茶券です。




若水庵と言うお茶室です。
門の向こうは木曽川です。




先に見える建物が若水庵です。




若水庵に着いたら沢山の先客でした。
受付で赤色の紙片をいただきました。

紙片の色でお客様の順番を決めていました。
私たちの前は水色。
そして、赤色。
次は桃色でした。




順番が廻って来る前。
棗や茶杓を拝見します。

順番が来て茶室に招かれました。
床の間に萩が生けて有りました。
床の間の掛軸。
主催者の説明でしたが聞き漏らしました。
下の文字は無影。・・・・・に影無しと読むとありました。




若水庵にはトイレが無く、成田山のトイレを借りました。
トイレに向う廊下。
ガラスケースの中に抹茶茶碗が納まっていました。



織部焼や志野焼。
凄い茶碗たちです。



混雑していたお茶会。
そんな中でも、自分達の順番が来て、味わってきました。


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歴史街道を歩く会 9月例会  竹鼻街道を歩く

2019年09月28日 23時12分39秒 | 歴史街道を歩く会

歴史街道を歩く会の9月例会で竹鼻街道を歩きました。 コースとしては、大垣駅をスタートとして大垣宿の問屋場へ向い、竹鼻街道を歩いて禾森からじか江までバスに乗り、そして岐阜羽島駅へ。

JR大垣駅 - 大垣宿問屋場跡 - 大垣宿本陣跡 - 名阪近鉄バス禾ノ森バス停 - すぐ江バス停
 - 大垣大橋 - 大明神交差点 - コンビニセブンイレブン - アンヒルパーク - 羽島大橋 - 
JR岐阜羽島駅 - 名鉄新羽島駅



(08:57)
大垣駅から東へ。
水門川沿いの道へ向かいます。




恵比須神社と愛宕神社の境内です。
道標があり、北谷汲道と右木曽路と刻まれています。




(09:01)
水門川沿いの道を歩きます。




栗屋公園です。
少し低くなった場所で自噴泉から水が湧き出ています。
この湧き出ているところ。
大垣市の市章を形をしています。




貴船広場の近く。
美濃路の散策マップが設置して有ります。
これからの方向を確認しています。




(09:16)
本町通りを歩きす。
この道が美濃路になっています。




右京道。
左江戸道と彫られた道標です。




角が美濃路の大垣宿。
問屋場跡です。




板に彫られた大垣宿の場所。
カルタのようになっています。




こちらは美濃路の解説と美濃路の地図です。




美濃路。
旧本陣跡に向かいます。




(09:29)
ここが旧本陣跡です。






(09:40)
先ほどの問屋場跡に戻り、そして竹鼻街道を歩き始めました。
曲がりくねった道に旧街道らしさを感じます。




(09:50)
禾ノ森バス停に来ました。
バスは10時14分となっていました。
少し早く着きました。
アノ建物。
地図にはサンタガリア大聖堂となっていますが、結婚式場のようでした。




(10:26)
じか江町のバス停で下車しました。
右に見えるのが乗って来た路線バスです。



揖斐川に架かる大垣大橋を渡ります。




大橋を渡り安八町に入ってきました。
ここは大明神の交差点近くで、南側に新幹線が見えます。
田の稲穂が実り頭を垂れています。




(11:30)
途中。コンビニで昼食を買いました。
そして安八町中央公民館の横を南へ歩いてきました。
ここはアンヒルパークです。
総合運動公園で体育館や野球場がありました。
小高い山で公園にもなっています。
この場所で昼食です。





(12:16)
昼食を終え、ウォークの再開です。
石垣の上にヒガンハナが咲いています。




かつては三洋の施設だったソーラーアーク。
今にパナソニックの施設となっています。
その前を新幹線が走って行きます。





(12:34)
羽島大橋を渡ります。
右側は新幹線。
3分おきか5分おき位に列車が走ります。




岐阜羽島駅まで歩いてきました。
駅の構内を通過します。





(12:54)
名鉄の新羽島駅まで来ました。




新羽島駅のホームです。
13時06分発の列車が入線してきました。





歴史街道を歩く会の8月例会はお休みでした。7月例会は産文で座学でした。それに6月の例会を私はお休みしましたので、5月以来のウオーキングとなりました。
久し振りのウオーキングです。

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歴史勉強会 ヒストリー各務野会  日帰りバス旅行 柳生の里を訪ねて 

2019年09月27日 23時04分12秒 | ヒストリー各務野会

ヒストリー各務野会では、年1回バス旅行に出かけています。
昨年は春に実施しましたが、今年は例年のように秋にと言う事で、秋の実施となり9月の実施でした。
向った所は奈良市の柳生の里です。
かつて大河ドラマの舞台として脚光を浴びた場所ですが、今では訪れる人も無く、ひっそりとしていました。



柳生の里へ向うバスの中です。
今日の参加者は19名でした。



名阪上野ドライブイン

着いた所ですが、ネオンサインは名阪上野ドライブインとなっています。
ここで昼食をとります。






2階へ案内されました。
大食堂には既に先客が昼食中でした。
私たちは窓際の席を指定されました。





既に食事が準備され、並んでいます。





すき焼き風牛肉の一人鍋定食です。





この場所。忍者色、一色の場所です。
名阪上野ドライブインだと思ったら、こちらは名阪上野忍者ドライブインとなっていました。
もともとは名阪上野ドライブインだったのでしょう。
この場所は伊賀市で、伊賀市は忍者の街と言うイメージを売り出しています。
それに乗って名阪上野忍者ドライブインと改名したのでしよう。



干し肉の幟。
忍者が描かれています。





清涼飲料水の自販機。
これにも忍者が描かれています。





こちらはトイレ。
男女の忍者。
と言うことは女子トイレはくの一です。


柳生の里 散策まっぷ

柳生の里のチラシ。





柳生の里へ着きました。
これから柳生の里を散策します。




アノ石垣に白い塀の建物。
アソコへ向かいます。





立派な坂道です。
格調の高さを感じます。



旧柳生藩家老屋敷

長屋門が有ります。
ここを通って屋敷に進みます。





アノ建物が家老屋敷です。





額が一杯掲げてある部屋です。
右側が玄関となっていて、使者などを迎え入れるようになっています。




こちらはお庭です。




ガラスケースの中に春の坂道(一)(二)が並んでいます。
この小説。
作者は山岡荘八でした。
まだ、萬屋錦之助に改名する前で中村錦之助の名になっています。




春の坂道の台本です。
サブタイトルに柳生宗矩の生涯と有ります。
昭和46年の放映。
今から50年近くも前のことになります。






作家・NHKドラマ『春の坂道』の作者とは山岡荘八のことなのでしょう。

「武士の帯刀は抜かぬが理想」「殺人剣は邪道、活人剣こそ武士のたしなみ」--こうした柳生新陰の新しい考えと有ります。殺人剣は(せつにんけん)と読みます。活人剣は(かつにんけん)と読みます。

禅語:弟子が自ら悟りに至れるよう導く知恵の動き 禅語における「活人剣」 禅宗でいう修行者の指導方法の一つ。剣法の真剣に伝えたものであり、相手を受け入れて進ませるのを活人剣という。逆に厳しく突き飛ばすのを殺人剣という。






家老屋敷を後にします。
立派な石垣です。
この石垣はまだ、新しいと思います。




右へ行けば柳生陣屋跡です。
直進すればモミジ橋、そして芳徳寺です。


もみじ橋

打滝川に架かるかえで橋を渡ります。




石畳の道。
少しキツい登り坂の道です。


芳徳寺

芳徳寺へ来ました。
ハギが綺麗です。




芳徳寺の中へ入りました。
入った所が資料館みたいになっています。


柳生家の墓所

杉が繁る道です。
芳徳寺から柳生家の墓所へ向かいます。




歴代藩主の墓が並んでいます。



正木坂剣禅道場。

柳生正木坂剣禅道場の看板が下がっています。


今日、見かけた花たち。

①キンモクセイ。馥郁とした香りを放っていました。
②龍が口を開いたような型知の花。アキギリです。
③真っ赤なヒガンバナ。
④アカハギ。
⑤シロハギ。
⑥キキョウ。
⑦尾花。ススキ。
⑧ムラサキシキブだと思います。
⑨ツリガネニンジン。


感想
柳生の里を訪ねました。
昭和46年のテレビ放映で賑わっただろう、この地です。
今は訪れる人も無く、ひっそりとしていました。
歴代藩主は江戸屋敷にいて柳生に行くことは殆ど無かったようです。ウィッキぺディアには練馬の廣徳寺に墓があると書かれています。この柳生の地の芳徳寺にも墓所が有りました。長年、江戸にいたのだから江戸で葬られ、柳生は遺髪が収まっているのではなかろうか。
歴史を勉強できた日帰り旅行でした。



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伊勢湾台風の痕を見に  名古屋海洋博物館・名古屋市港防災センター その後にららぽーと

2019年09月25日 23時58分46秒 | お出かけ

名古屋市美術館からの帰路、名古屋港へ行ってみました。
名古屋海洋博物館と名古屋市港防災センターへ行きたかったのです。
先日、名古屋市博物館の企画展へ出かけた後、名古屋港に向かいましたが、休みの日と有って沢山の車が押し寄せ名古屋港の駐車場に停める事が出来ませんでした。
それで、今日。出直ししました。

名古屋港ポートビル

このビルの中。
3階に海洋博物館が有ります。




企画展。
古地図から学ぶ終りの歴史~名古屋港から防災を考える~
チラシ。





こちらが企画展のコーナーです。





濃尾平野の成り立ちや天正地震と清須越しの説明です。





DVD画像で「伊勢湾台風60年」が流れていました。





伊勢湾台風のジオラマです。




流木が押し寄せ、堤防が決壊した状況のジオラマです。


名古屋市港防災センター

名古屋市港防災センターの入口です。






伊勢湾台風の展示室がリニューアルオープンしました。





2階です。
7月にリニューアルオープンした展示室です。





被害の様子①②。
伊勢湾台風の被害を現しています。





被害が大きくなった原因①②③。
高潮。土地が低かった。
流木による被害の拡大などを解説しています。




今昔物語。
あの時被害を被った場所は今、、、、、。
被害が大きかった港区と南区。
今とかつての姿を対比させています。




押し寄せた木材群。
これが、被害が拡大した原因です。




こちらは1階の伊勢湾台風記録写真です。




記録写真を大きくしました。
中央の写真。
名古屋競馬場のスタンドです。
大きな屋根が有りますが、こんな場所も避難場所になりました。



浦沢直樹の「あさドラ!」。




伊勢湾台風の襲来から罹災後、復興へと描かれています。



9月26日は伊勢湾台風が襲来した日です。
アレから60年が経過しようとしています。
名古屋海洋博物館と名古屋市港防災センターに寄りました。
両者を見て、改めて被害の大きさを痛感しました。



ららぽーと 名古屋みなとアクルス

名古屋市港防災センターへ来たついで。
ららぽーとに寄ります。



ここがららぽーとの入口です。



ららぽーとに入りました。
ここがセンターコートです。




名古屋海洋博物館と名古屋市港防災センターを見学して、改めて伊勢湾台風の被害の甚大さを感じました。

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あいちトリエンナーレ2019  5回目のボランティア

2019年09月25日 23時53分41秒 | あいちトリエンナーレ 

あいちトリエンナーレの5回目のボランティア活動をしました。今回、ボランティア事務局から名古屋市美術館の人員が不足していると連絡がありましたので、応募しました。
休憩時間や担当場所に置いて撮影しました。







名古屋市美術館

名古屋市美術館の正面です。




青木美紅の作品

朝、一番に着いた担当場所が青木美紅の作品でした。






作品の中央部。青木美紅の実家をイメージして作成した作品です。
四角い箱の中に手製の絵本のような物がモーターで廻っていました。





イギリス旅行で見つけたヒツジのぬいぐるみ。





箱の中の絵本。モーターでページが進んで行きます。





こちらもモーターで廻るページの本です。


青木美紅は18歳の時に人工授精で誕生したのだと告げられたと、説明に有りました。
箱の中の動く絵本は、小山内美智子さんをテーマにしていました。小山内さんは幼くして脳性小児麻痺を患いました。そして、出産するのを制限されました。美紅自身は人工授精で誕生しました。生みたくても生めない。また、生みたいのだが生む制限を受ける。そんな事を訴えていました。

この場所の担当に着きましたが、作品の壁はラメのような糸を沢山使った作品でしたので、来場者が背負っているザックで、作品に傷を生じさせないように気をかけました。
この室内に本が有って自由に手に取って見る事が出来ました。
椅子に腰掛けても良いし、マスコットのヒツジに触れても良かったです。
若い男女のカップルに腰掛けたり触れたりしても良いと伝えましたところ、この場所から去る時に「ありがとう」と声を掛けられました。
些細な事ですが、このような事がボランティアのやりがいに繋がると思いました。




藤井 光の作品

藤井光の作品は台湾で見つかった戦時中の台南を舞台にした「国民道場」のフィルムとその状況を今の若者に置き換えた映像でした。
共同生活をしていて朝の点呼。そして整列して番号。
禊ぎをする場面も有りました。
農業指導を受けたり算盤を習ったりしていました。
ラッパによる隊列行進。
こんな軍国主義を台湾人に叩き込んでいたのです。
古いモノクロフィルムと現代の若者が行進するカラーの場面。

全体を見て、反戦色があると感じました。
全ての作品が撮影OKでしたが、この藤井の作品だけが撮影はダメでした。
この場所で担当に着いていて、3人が撮影しようとしたので注意しました。



バルテレミ・トグォの作品

左が作品を使ったゴミ箱。
右はアフリカ各国の国旗をデザインしたゴミ袋。



モニカ・メイヤーの作品

手紙か、・・・・。



床にも紙が散乱しています。
この作品の場所。

通っただけです。



桝本佳子の作品

陶芸作品です。
こちらも作品の前を通っただけです。




上の左は鳥と壷が一体化していて、上の右は更と車が一体化しています。
下の両側は壷から鴨が飛び出ています。
リアルで凄い作品だと思いました。





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特別展  治水・震災・伊勢湾台風

2019年09月22日 23時55分28秒 | 絵画展・写真展等、各種展覧会

今年は伊勢湾台風が襲来して60周年となります。名古屋市博物館で伊勢湾台風60周年事業 特別展  治水・震災・伊勢湾台風が開かれており、行って来ました。
伊勢湾台風がメインなのかと思ったのですが、江戸時代の治水事業や震災が有った事など広範囲に災害に着いて紹介していました。
また、伊勢湾台風の痛ましい写真や子ども達の作文も並んでいました。

 


特別展  治水・震災・伊勢湾台風のチラシです。





展示会場の入口です。
この先。撮影禁止となっていました。


江戸時代の暴風雨、地震などの絵図や和本が展示してありました。
慶応4年に入鹿池の堤防が決壊した際の絵図が有りました。
伊勢湾台風の被害写真。
大量の材木が流れ込んだもの。一面が水に没してしまったもの。
道路が水没してしまったものも有りました。
屋外で医者が患者を診ている。それは丸で野戦病院のようでした。
多くの患者が殺到し、前の患者が診て貰っているのを次の患者が見つめます。
罹災証明書や非常乗車証もありました。


色々の資料を目にして、改めて大変な災害だったと思いました。

 

 

 

 

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今日は誕生日

2019年09月21日 23時47分42秒 | 日記

今日、71歳の誕生日を迎えました。
石川の息子が誕生祝に酒を送ってくれました。


久保田の雪峰と言う酒です。
カミさんと一緒に戴きました。
飲み易い味でした。

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地図講座  その1

2019年09月21日 23時36分18秒 | 各種講座

岐阜県図書館で開催された講座で「地図講座」を受講してきました。
これは岐阜県図書館と岐阜県古地図文化研究会の共催によるもので、地図の面白さを知ってもらうと言う意図で地図の入門講座が開かれました。
土曜日の午後と言う時間帯でしたが、何時でも良いと言うような中高年の受講生が多かったです。
全部で4回で、今日は第1回です。講師は岐阜県古地図文化研究会の会員の松尾 一さんがでした。
「岐阜は名古屋の植民地!?」を出版した人です。
テーマは「地図で見る加納・川(革)手」でした。今は地名で川手を使っていますが、かつては革手でした。
ご自分の地元のお話です。


講座のチラシです。




開講前。
今日のテーマです。




講義を始めた松尾さん。




ユーモアを交えて話が進みます。



資料1をパワーポイントで映して説明しています。




資料1。
明治24年の25,000分の1の地図です。
地図を見ると色々な事が見えてきます。
まだ、開通したばかりの東海道線。単線です。
城下町で宿場町の加納。今のように岐阜町とはくっ付いていません。
たびたび、姿を変えていた長良川。
渡船の印しも有ります。


城下町であり宿場町の加納。
その加納の街が時代の移り変わりに伴って姿を変えていった。
そう言う説明が有りました。





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あいちトリエンナーレ2019  4回目のボランティア

2019年09月18日 23時35分20秒 | あいちトリエンナーレ 

あいちトリエンナーレのボランティア。今回は4回目です。
今日は円頓寺商店街・四間道会場が活動の実施場所でした。



スタッフやボランティアの活動拠点となっているふれあい館えんどうじ。



幸円ビル

今日の最初の活動場所。
幸円ビルです。




キュンチョメの作品です。
幸円ビル内にある




こちらもキュンチョメの作品。

会場の前と会場内の担当を15分で交代でした。
作品を見るとか、できる状態では有りませんでした。
作者の意図が判らずにこんな画像が流れていたと言うだけです。



シャトルバスの発着場所

幸円ビルの入口で案内するのとビル内の秩序保持が任務でした。
幸円ビルの北側が栄へ行くシャトルバスの発着場所に成っていて、走っていくのが見えました。
トリエンナーレ模様のプリウスとワゴン車。
正時と30分にスタートしていました。


美濃路ポケットパーク

お昼の休憩時間です。
四間道辺りを散策してみました。
美濃路沿いにポケットパークがありました。




五条橋の説明板が設置して有ります。



堀川に架かる五条橋。




五条橋をしたから見上げました。


四間道界隈

四間道界隈の家々。
案内地図です。
この地図に開慶座跡と言うのが載っています。
ここは、かつては浪曲や女剣戟を遣っていた小屋ですが、カイケイ座と言うストリップ小屋になりました。
そんな小屋も閉じました。




伊藤家住宅です。
この家屋、美濃路に面していて、多くの旅人が往来した事だと思います。
伊藤家は尾張藩の御用商人を勤めていました。
道路を隔てて東側に蔵があり、その先が堀川です。
川を使い水運などを手広くやっていたのでしょう。





伊藤家の内部。
外国人が来ていました。





四間道界隈です。


那古野1丁目長屋

ここが午後に担当した那古野1丁目長屋です。





那古野1丁目長屋の内部。
梁志和(リョン・チーウオーム) と黄志恆(サラ・ウオン)の作品です。
大きな写真が貼って有ります。




中央に置かれたテーブルです。
その上の写真は円頓寺商店街の人たちの協力で写真が提供されています。
そして、その写真を題材に色々のポーズの写真が並んでいました。




役者に触れる女性。
これも、大きな写真にして貼って有りました。




こちらの写真も大きな写真の元となった写真です。
説明では大阪万博うんぬん、と有ります。
今から50年ほど前のこととなります。


中央のテーブルに何枚もの写真が置いて有ります。
その写真を元にしたアーチストの作品。
ウォーリーを探せでは無いですが、テーブルの写真がどのような作品になっているか。
探す面白さが有ります。

こんな風になっているのを知りませんでした。
この場所にはスタッフとボランティアが居ました。
スタッフは優賞で動く人です。人に寄っては椅子に座ったままの人も居ました。
対応に、個人差がある。何とか解消できないものだろうか。
来訪者への対応で、事務局から何も話されなかった。
事前知識として教えて貰っていたら来場者に説明できたと思う。

 

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