Kオジサンの気の向くまま

日々のあれこれ・・・・・思いつくまま

歴史勉強会 ヒストリー各務野会   木曽川のかつての流れと名残の川筋  ~旧版地形図に見る治水史跡~

2018年09月28日 23時56分36秒 | ヒストリー各務野会

今日、ヒストリー各務野会の学習がありました。テーマは、木曽川のかつての流れと名残の川筋  ~旧版地形図に見る治水史跡~  です。
講師は治水史研究家の安井雅彦さんです。


開始時間となりました。
講義を始める安井先生です。



今日のテーマです。




講師から送られてきた資料です。




木曽川がたびたび流域を変えました。






今の時代。木曽地方には木が植えられ森林を保ってるのだが、かつての時代。木材を燃料としていて乱伐し、山が荒れていた。そのため川がたびたび氾濫して姿を変えた。木曽川が岐阜県に大きく入り込んでいた時代が有りました。その名残が三井池だとお話しが有りました。
上手く纏めれませんが、木曽川の治水に関する説明がありました。

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「古稀の祝い」  その翌日

2018年09月23日 23時27分42秒 | 旅行

かがり吉祥亭で泊まった、その翌日です。
息子たち家族と山中温泉で一緒になりましたが、このまま分かれてしまうのでなく、全員で加賀フルーツランドに向かいました。今の時期は、ブドウ狩りが出来ました。
その後、近くに有る北前船の里資料館に寄ってみました。かつて隆盛を極めた船主の館。
いろいろと知る事が出来ました。

かがり吉祥亭 朝食

朝食の御献立です。




朝食です。
焼鯵や野菜サラダを希望する人は、持ってくる事が出来ました。




かがり吉祥亭のロビーです。
ポットに入った熱いコーヒーが有り、自由に飲む事が出来ました。



山中温泉を散策

朝、今日もお祭りの会場へ行ってみます。




まつり会場。
出番を待つ若衆たち。




まつりの出店が準備をしています。
孫息子は「くじ」がお気に入り。
それで、今日も来てしまいました。
でも、昨日の出店・・・・。
昨日の店は畳んで去っており、今日は姿が有りません。


山中温泉

山中温泉の菊の湯です。
左が女の人の温泉で、右が男性の温泉です。
同じ菊の湯なのですが、離れて別々の建物になっています。
まだ、朝なのですが、もう開店していて朝風呂を浴びに来た男性が居ました。


加賀フルーツランド

加賀フルーツランドへ来ました。




ここがフルーツハウスの内部です。
ここで受付を済ませます。





フルーツハウスの館内。
果樹園で収穫されたブドウ、それにジュースなどを売っています。




マイクロバスで、フルーツハウスからブドウ畑に来ました。
このチケットを示し、畑の中へ入ります。




先客が訪れていて、沢山の人が居ます。




ブドウ園へ入って、最初にオバちゃんからブドウの取り方の説明です。
ブドウの房が下がっている軸にハサミを当て、切り落とします。
房が袋で隠れているが、必要以上に切らないでと注意です。




園内の先客たち。
思い思いの場所でブドウを味わっています。




ゴザを借りてきて、私たちも座り込みました。


ブドウの房。
ベリーAと言う種類です。
1房ほどでお腹が一杯になりました。
沢山食べれる人でも、2房が精一杯でしょう。



袋で隠れたブドウ。
袋を取ると、こんな姿をしていました。




こちらは道路を挟んだ隣のブドウ畑で、ブラックオリンピアと言う種類です。
こちらのブドウを食べるのもOKでした。
こちらの畑はベリーAの畑ほど混雑していません。
通常は1種類だけなのですが、今日は特別に2種類味わえました。得した気分です。




ブドウでお腹が一杯になりました。
マイクロがシャトル運行していまして、センターハウスへ戻るのに、マイクロバスの到着を待ちました。





センターハウスが見えてきました。





北前船の里資料館

加賀市橋立町の北前船の里資料館へ来ました。





館内に入り、オエから奥を眺めました。
クチザシキ、ナカザシキ、オクザシキと続き、正面に仏壇が見えます。
館内の説明設備があり、ボタンを押すと、大きな声で説明が流れました。




こちらは北前船の航路と寄港地の地図です。



船乗りの1年。
ここ、橋立から徒歩で大坂へ行き、乗船。
船は蝦夷地に向って出帆。
そして、暮れに大坂に戻って来る。
そんな1年です。



こんなモノが貼って有りました。
大日本金満家一覧鑑。
いわゆる長者番付です。
総後見役の欄に渋沢栄一や三井八郎衛門の名が有ります。
日本全国のお金持ち達です。
名古屋の瀧兵右衛門と言う名が有りました。
前頭4百萬圓となっています。
名古屋に瀧兵と言う会社が有りますが、その創業者なのでしょう。
明治の長者番付に名が載っているのを見つけました。



北前船の里資料館の地図です。
広大な庭。
そして大きな家屋です。
財をなしたと言う感じがします。




色々の船の写真が掲げて有りました。
その中の一枚。
明治の時期には洋船が登場してきて居ます。




北陸地方の大船主たちです。
宮越の銭屋五兵衛。
金沢に銭屋五兵衛の資料館が有り、行った事が有ります。
大船主の名前。
〇〇左衛門とか〇〇兵衛、〇〇郎と言う名。
江戸時代らしい名が並んでいます。



2階ザシキに、こんな襖絵が有りました。
右と左で色が違う。
陽で焼けています。
立派な絵ですが、保存状態が悪く残念です。





達筆な字の漢文です。
署名で「田順」は読めますが、その上は判りません。




オエに戻って来ました。





こちらは引札館です。
引札とは広告みたいなものです。




船絵馬館です。
絵馬の中には広海家所有船図と言うのが有りました。
汽船が1隻、和船が9隻描かれていました。
それだけの船を所有する。
すごい事だと思います。
資料館のパンフには、航海の安全を祈願して、絵馬を地元の神社へ奉納したと有ります。



北前船の里資料館を出て、蔵六園に来ました。
ここも北前船の船主の館です。
北前船の里資料館と同じようだと思い、入館するのを控えました。


舟重

お昼の時間で、昼食に寄ったのが「舟重」です。
舟重は資料館の直ぐ近くに有りました。



日替わりランチです。
イカの刺身。イカの煮つけ。メギスのフライ。3点セットです。
この他にトコロテンが有り、好きなモノを選べるようになっていました。
これで、税込みで1,200円でした。


加賀温泉駅

次男を送るため加賀温泉駅に来ました。
加賀温泉駅は北陸新幹線の工事が行われ、仮の駅舎のように思えました。
北陸新幹線が開通すると、当然北陸線は第3セクターの鉄道になってしまうのでしょう。
そうなると加賀温泉駅から北陸新幹線に乗車し、福井駅から特急に乗ることになるのでしょう。



感想
加賀フルーツランド
フルーツハウスに戻る途中、パイロット事業と刻まれた石碑が見えました。
この辺り、起伏の多い土地で、荒地だったのでしょう。
そんな場所を開墾して果物畑にしたのだと思います。
小高い丘になっていて、日本海が見えましたし、遠くには白山が望めました。
息子たち家族と一緒にブドウ狩り。好い時間を持てました。


加賀の橋立に寄りました
この地には数多くの船主が居た事が判りました。それに、ここには船頭や船乗りも多く居た事も判りました。
北前船が瀬戸内を抜け、日本海を北上する。それも、春に大坂を出て暮れに大阪へ戻って来る航海をしていた事が判りました。米や古着を持参し、昆布やニシンを買ってくる。それも、各地の港に寄って商いを行う。
色々の事を知る事が出来ました。

最後に
息子たちに古稀を祝って貰え、私は幸せだと思いました。

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「古稀の祝い」  in  山中温泉

2018年09月22日 23時46分35秒 | 旅行

私は昨日、9月21日に満70歳の誕生日を迎えました。今日は土曜日です。息子たちが私の古稀を祝ってくれると言う事で、山中温泉に向かいました。長男家族は石川県で、次男家族は京都に住んでいます。そんな息子たちが山中温泉で祝いの席を設けてくれました。

山中温泉には午後に着けば良く、東海北陸自動車道を白鳥ICで降りた後は国道158号を走り、ゆっくりと向かいました。途中、道の駅九頭竜で小休止。越前大野の朝市に寄り、そして永平寺へ。山中温泉には15時45分に着きました。

古稀の祝いをしてくれましたが、その日が9月22日だったのです。タマタマその日が山中温泉の「こいこい祭」の日でした。祭の見物も出来てラッキーでした。


道の駅 九頭竜

道の駅九頭竜に着きましたら、自転車に乗る姿の人を見かけました。
来る途中、油坂峠を過ぎてから次々と自転車に乗って来る人たちと擦れ違いました。
私は車で坂を下って行くだけでしたが、彼らは頑張って坂道を登って来ました。
左側の男性に聞きましたら、福井からスタートして来たのだそうです。この先、高山へ向かい富山に行くと言っていました。何と言う自転車ツーリングのイベントなのか判りませんがその後、福井へ戻るのだろうか。(検索しましたが該当するイベントに当たりませんでした)
3連休の初日です。大周回と言えます。
右の女性。少し、お歳を召したと言う感じがしました。
頑張っていると思いました。
何か、事を起すのに若いとか、歳が行っているとかは関係ないのでしょう。


国道158号線

道の駅を出てから、自転車と擦れ違いました。
これまでに、何人もと擦れ違いました。
この男性が最後の人かも知れません。
この先。走っていてリタイアした人を拾ってくれそうな車両とは擦れ違いませんでした。
途中棄権したくなったらどうなるのだろう。



大野の朝市

えちぜん大野の七間朝市に来ました。
時間が遅いのか、出店している店が少ないのか。
開いていたのはこの店だけ。
もう、1軒有ったのですが、店仕舞いを始めていました。




11時になり、からくり人形の上演が始まりました。
上演時間が9時と11時になっていますが、土曜と日曜日には14時にも行われます。
これまでに何回かここの朝市に来ていますが、こんなからくり人形の上演があるとは知りませんでした。
タマタマ訪れた時間が「熊野」の舞の時間でした。



からくり人形の舞と解説板。
高校生が制作に取り組んだのでしょう。



ときわ

「レストランときわ」です。
昼食の時間になり、入ってみました。





店内は田舎の食堂。と言う感じでした。






食べてみたかったのが「おろしソバ」です。
これは、ふるさとセットで、お握りと煮付けのサトイモが付いています。
サトイモが美味しかったです。


順和堂

こちらは和菓子の店です。
カミさんは「いもきんつば」を1個。
「いもきんつば」はこの店の看板商品です。




私が買ったのは「とちあずき餅」。
栃餅なのでしょう。珍しいと思いました。
黄色がかった色をしていました。
でも、味的には普通の餅のように感じました。




七間朝市の通り。
通りの両側にこんな展示が有りました。
感性はがき展。テーマは水です。




中部縦貫自動車道  永平寺大野道路

大野市から中部縦貫道に乗りました。
この道路。
今は、無料区間となっています。


永平寺

大きな大本山永平寺の標柱が立っています。





こちらが入口で、正門です。
永平寺の境内案内図には龍門と書かれていました。
「汲流千億人」と「杓底一残水」と刻まれています。
柄杓の底の水でも元の川へながれることによって多くの人が恩恵に預かると言う意味のようです。 




正門の横にこんな標柱が有りました。
「本山元距福井停車場四里」と刻まれています。
右側には三河國豊橋町原田萬久と有ります。
それに、上には煙草製造人と有ります。
原田萬久を検索してみましたら土人印しのタバコでした。
明治時代は民間でもタバコを製造できたようです。
左は明治三十八年三月建設となっています。
明治38年の時、北陸線は全通していたのだろうか。
距離が四里だと、16キロとなります。
馬車で福井駅と永平寺を結んでいたのだろうか。想像が膨らみます。



これから永平寺の中に入ります。
入る門は通用門です。



こちらは吉祥閣です。
案内図が下がっています。
僧から説明と修行僧の顔が判る様な撮影しないで、と諸注意がありました。




傘松閣の「絵天井の大広間」です。
著名な日本画家の作に寄る花鳥風景の絵画が格子天井に有ります。



僧堂の内部。
ここで座禅を組むのでしょう。
丸い座布団?が並んでいます。




長い階段の廊下です。
ここを上り仏殿に向かいます。






仏殿に来ました。






グルッと廻って、祠堂殿まで来ました。





仁王様が睨んでいます。




沢山並ぶご位牌です。
関西とか関東とかに区分され、古いのや新しい位牌が並んでいました。
ザット見ただけでも日本各地からの位牌を見かけました。




外に出てきて見上げた祠堂殿です。





七堂伽藍をグルッ廻ってきて、最後に目にした額です。
5~6枚並んでいました。
「どう生きるか」「人生に定年はない」。このような教えが仏の御心なのでしょう。


永平寺を拝観してきて
連休の最初の日と言う事もあって、家族連れが多く来ていました。
テーマパークにでも来ているつもりなのだろうか。走り回る子供や大きな声で話す人たちを見かけました。
ここは宗教の場である事を意識すべきだと思いました。



国道364号線

前方にトンネルが見えます。
丸岡・山中温泉トンネルです。
あのトンネルを通過すると石川県になります。



かがり吉祥亭

かがり吉祥亭に来ました。
先に着いた孫たちが玄関先で待っていました。


まつりの会場へ

まつりの会場へ向かいます。





前方からお神輿が近付いてきます。




神輿を担ぐ若者達。
「ヤーヤー」とか「ワーワー」とか、掛け声を掛けていますが、何と発声しているのか判りません。





まつりの会場です。
この後、神輿を担ぐ若者たちが待機しています。




獅子頭のお神輿です。
木なのか発泡スチロールなのか。
素材は何だろう。




まつりの出店がズラーと並んでいます。


お祭りの広場

おまつり広場です。
もう少し、時間が経つとお神輿が担がれ、この場所で廻るのでしょう。




若い女性二人。
振る舞い酒を戴きました。




カミさんが雲に虹がかかっていると言い出しました。
空を見上げると、成る程。カラーの雲が見えました。
嫁は、これは彩雲だと言っていました。
これが、彩雲かー。
旧海軍で、彩雲と言う単発の偵察機がありました。そんな名が頭の片隅に有りましたが、実際に彩雲を見るのは初めてでした。

ウィッキぺディアには彩雲とは、虹色に輝く雲を意味する吉兆天象である。 と有ります。
滅多に目にする事がないモノを見れました。


こおろぎ橋

まつりの会場から戻ってきて、こおろぎ橋に来ました。
来たら、丁度、獅子舞が終わったところでした。
橋の上で獅子舞を披露していたのです。



こおろき゛橋の上から見下ろした大聖寺川。
音を立てて流れています。






振返り、こおろぎ橋を眺めました。
下部が工事中で、シートが架かっています。


鶴仙渓遊歩道

鶴仙渓遊歩道を歩きます。
この遊歩道。
宿の反対側で、宿から遊歩道が見えました。


あやとりはし

鶴仙渓遊歩道を歩き、あやとりはしに来ました。
変わった形をした橋です。
名の通り、あやとりをイメージしています。




宿に戻る途中。
河鹿町本陣と言う場所で、ビールを勧められました。




お言葉に甘えて、中へ入らせて貰いました。
息子達とプラコップ一杯のビールを戴きました。
それに、孫達には缶コーヒーも戴いてしまいました。
振る舞いのビール。美味しかったです。
祭りの夜にミンナが集まるのでしょう。
供えられた一升瓶が並んでいます。
熨しには「お神酒」でなく、「御美喜」と書かれています。


宴席

かがり吉祥亭に戻って来ました。
そして、19時から宴席が始まりました。




時間が進むに連れて、次々と料理が運ばれてきました。
御献立を写し損ないました。



左上が揚げ物。お変わりが出来ました。右は加賀と能登のお酒の飲み比べです。どれも、同じような味に感じてしまいました。




古稀の祝いのケーキです。
息子が手配してくれました。




最後に全員で記念写真に納まりました。
紫の頭巾に紫のチャンチャンコ。
嬉しい気持ちと恥ずかしい気持ち。少し複雑な気分でした。


感想
古稀を迎え、息子たちに古希の祝いの場を設けて貰いました。

70歳と言う、節目の歳です。
古稀を祝って、このような席を設けて貰えて、有り難たいと思いました。 
また、古稀の節目の歳を迎えれた事を嬉しく思いました。

息子たちがこのような席を設けてくれたことに感謝します。
祝って貰えて、自分は幸せだなと感じました。

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彩美会  今日は絵の日でした。   

2018年09月21日 23時06分54秒 | 彩美会

今日は第3金曜日で、彩美会の有る日でした。


みなさん、集まって何かに見入っています。




反対側に回って見ました。
会長が持って来た奥津国道の作品集です。
フランスの景色を描いた風景画が載っています。




こちらは私の作品。
先生が加筆してくれています。


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150回目 最後の献血

2018年09月20日 23時56分37秒 | 献血

今日は9月20日です。明日が誕生日で満70歳を迎えます。150回目の献血に行って来ました。献血が出来るのは69歳までとなっていて今日が、献血できる最後の日でした。
長年にわたって、献血を続けてきましたが、区切りの良い150回で終えようと思っていました。


訪ねた新岐阜の献血ルームです。




献血ルームの室内です。
貼って有るのは高校生が献血したその結果です。




採血室の内部。
採血台がズラーと並んでいます。





採血しています。




採血した血液。
400CC献血しました。




150回と言う記念的で、グラスがいただけました。


最後に
若い頃は職場へ採血車が来ていて、隔月に献血していました。でも、それは200CCでした。そして、春夏秋冬に献血するようになり、その後は歳を取ったので、春と秋のペーストにしました。
150回も回を重ねて来る事が、良く出来たと思います。近年は血液の比重が低くなり、献血したくても出来なく成分献血となった時もありました。
150回と言う回数。
それを最後にするよう献血できる日に合わせました。
考えように寄っては、150回も献血できた。
健康だったから出来た。幸せな事です。

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今日は人間ドック

2018年09月20日 22時51分25秒 | 人間ドック

毎年、9月頃に人間ドックにかかるようにしています。
今日、人間ドックで病院に行って来ました。


横山病院です。




廊下に貼ってあったガンの啓発ポスター。


採血検査。尿検査。そして胃カメラなどをやりました。
別に自覚症状など有りませんので異常なしの結果となるとは思いますが・・・・・。


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歴史街道を歩く会 10月例会の下見

2018年09月17日 23時29分16秒 | 歴史街道を歩く会

歴史街道を歩く会の10月例会は愛知県の新城市を歩く計画となっていて、本番前に歩くコースの下見に行って来ました。
新城市へはバスを使って出掛け、長篠城址と鳳来山を訪ねる予定です。


道の駅 もっくる新城。
この場所へ最初に来ましたが、当日はここで昼食をとる予定です。




道の駅 もっくる新城の内部。
野菜、それにブドウやリンゴが並んでいました。
リンゴが3個で350円でして、買ってきました。




次に来たのが長篠城址史蹟保存館です。



こちらは新城市設楽歴史資料館です。



長篠の合戦の馬防柵。
徳川織田連合軍の陣地です。




長篠の合戦場の後、鳳来山に来ました。
東照宮です、
これから石段を上がります。


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河川環境楽園  アクアトトへ行って来ました。

2018年09月16日 23時37分57秒 | 河川環境楽園

河川環境楽園のアクアトトへ行って来ました。
敬老の日の前後は65歳以上の人は無料で入館で来ます。私とカミさんは無料入館できる年齢になっています。入口で年齢を証明するものを提示し、入館しました。


3連休の中日とあって、沢山の人が訪れています。




敬老の日で無料のチラシです。
1,350円が無料となったと思うと、得した気分になります。





こちらが受付。
免許証を提示して受付を済ませました。




貰った無料入館券です。
これを入口で渡しました。




館内に入りました。
多くの人が着ています。
入館の記念写真を撮るという人たちで列が出来ていました。




エレベーターで4Fへ。
長良川の上流部、中流部、下流部。そして、河口の紹介がありました。
その後、下のフロアーへ降りて来ると揚子江、メコン川などの大河の魚類を紹介していました。
こちらはアマゾン川の魚類です。
タイのような型をしたピラニアだけは判りました。




こちらは獰猛そうな顔をしたピラルクーです。
悠々と泳いでいます。


秋の七草。

左上はクズです。その右がハギです。
西駐車場から来る時、堤防で見かけました。

下の左はオバナ。それにオミナエシです。
木曽川水園で見かけました。




ヒガンバナもボツボツと咲き始めていました。

感想
敬老の日の前後。高齢者はアクアトトが無料になります。それで、沢山の高齢者が来ていました。でも、家族は有料です。無料の人に引っ張られて有料の人も来ている。そんなイメージがしました。
木曽川水園で見かけた秋の七草やヒガンバナ。
秋が足音を立てて、来ています。


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歴史勉強会 ヒストリー各務野会   永禄8年 「織田信長の東美濃攻略」と各務原

2018年09月14日 23時55分42秒 | ヒストリー各務野会

今日、ヒストリー各務野会の学習がありました。テーマは、永禄8年 「織田信長の東美濃攻略」と各務原」  です。
講師は富加町教育委員会の山内さんです。


教室の風景です。
白髪が多いですが、学ぼうと言う意欲は旺盛です。



今日の講師の山内さんです。
手にしているのが「夕雲の城」と言う本です。
前半は漫画になっていて、後半は読み物となっています。



これから、パワーポイントを使って始まります。




今日の資料。
本題に入る前に富加町の紹介が有りました。
人口が5,000人余りで、少しだけ微増しているのだそうです。
人口が減少する町が多い中、珍しいです。




パワーポイントを使っての講義です。




信長が犬山城を攻め、その後に美濃に攻め入りました。




「夕雲の城」を手に取って見てみるように回覧されました。
前半の漫画部分です。



こちらはは読み物部分です。
桶狭間の合戦のあとの時代。信長は東みのに攻め入ろうとします。この頃、みのを治めていたのが斎藤氏。土地の豪族は斉藤氏に着くか信長に着くかで揺れます。


信長の美濃攻めの時代。あの一夜城を墨俣に築城した頃に近いのでしょう。墨俣城が築城されたのは永禄4年、ないし永禄9年と言われています。信長は絶えず北の領地を手にする事を考えていました。

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Kオジサンの家庭菜園日記  白菜とキャベツを植えました。

2018年09月14日 23時27分53秒 | 家庭菜園日記

少し、秋めいてきました。
白菜とキャベツの苗を植えました。



上がキャベツで下段が白菜です。
品種の改良なのでしょう。
色々の種類のモノがありました。




1列だけです。
植えました。




鳥に食われたり、蝶に卵を産み付けられますので防止にネットを掛けました。


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