Kオジサンの気の向くまま

日々のあれこれ・・・・・思いつくまま

史跡巡りウォーク  第5回 古代寺院跡と中世館跡を訪ねて

2020年10月29日 23時21分01秒 | 史跡めぐりとウオーキング講座 等

今日は第5回で最終回となります。
今回は「古代寺院跡と中世館跡を訪ねて」と題して蘇原北部の古代寺院跡である旧山田寺跡と中世の館跡が現存している安積家を訪ねます。
加佐美神社 ~ 無染寺(旧山田寺塔心礎) ~ 旧山田寺跡(護命碑) ~ 中世の館跡 ~ 
清水家住宅 ~ 小町酒造 ~ 小林家門 ~ 加佐美神社


今回のコース地図です。




集合場所の加佐美神社です。
既に沢山の人が集合していました。



まず、加佐美神社についてですが、川島宮司からお話を頂きました。




川島宮司が加佐美神社に付いて解説です。




優美な檜皮葺の本殿に付いてお話です。




ここからは中山道鵜沼宿のボランティアガイド。
栗田さんによる解説です。



加佐美神社を出て、歩き始めました。




寺島町の公民館の横。
ゴミステーションです。
ゴミステーションのでゴミを出すルールのプレートの足元。
タイヤが使われていますが、このタイヤ。戦闘機、飛燕の物だそうです。
「そんな貴重なモノなら航空宇宙博物館へ持って行かな---」と言う声が出ました。





無染寺へ来ました。




ここには旧山田寺塔心礎が有ります。
この石。塔の中心の基礎の石となるものです。



山田寺に来ました。



山田寺です。



山田寺に隣接した場所。
護命塔が有ります。


広大な旧山田寺。
その礎石と思われる石です。



安積家へ歩いて来ました。



ここでも栗田さんが説明してくれます。
土塁に囲まれた屋敷。
その土塁の外に濠がありました。



小町酒造へ来ました。




玄関に杉玉が下がっています。



小町酒造の製品です。



通用口に回りました。
ここでご主人から説明が有りました。



通用口の門。
歴史的に貴重な門です。



小町酒造から加佐美神社へ戻ります。



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Kオジサンの家庭菜園日記  タマネギの準備

2020年10月27日 23時13分17秒 | 家庭菜園日記

そろそろ、タマネギの苗を植える時期を迎えます。
タマネギを植えるところの準備をしました。


Before
タマネギを植える場所です。
右側の板が腐ってきましたので替えます。



板を除去しました。



新しい板です。



板を交換して土を広げました。



After
タマネギ用のマルチを張りました。


タマネギを入れる準備が整いました。



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Kオジサンの家庭菜園日記  サツマイモの収穫 

2020年10月24日 23時55分33秒 | 家庭菜園日記

6月に植えたサツマイモが収穫時期を迎えました。
それで、今日芋ほりをやりました。
1本の苗に大きな芋が1個だったりして、収穫量的には・・・・・・。
自分的には小さいのが2~3個の方が良いんです。


before。
まず、葉を除去します。



葉を取り除きました。
これだけの作業で背中に汗しました。



安納芋です。



こちらは鳴門金時です。



収穫した鳴門金時です。
中くらいが良いのですが、大きいのが有ります。



こちらは安納芋です。
1株に1個くらいでした。




afterです。
次はタマネギに備えます。

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史跡巡りウォーク  第4回 テクノプラザと船山北古墳群の史跡

2020年10月24日 22時41分05秒 | 史跡めぐりとウオーキング講座 等

今日は史跡巡りの第3回です。
最先端のテクノプラザ、そして太古の古墳群。そして戦争遺跡。珍しい取り合わせの場所を歩きました。
今回も中山道鵜沼宿ボランティアガイドの会の人が講師です。
テクノプラザ駐車場 ~ テクノプラザ本館 ~ 船山北古墳群 ~ 
掩体壕跡 ~ テクノプラザ駐車場


今回のコース地図です。
テクノプラザ駐車場から時計回りに歩きました。


テクノプラザ駐車場が集合場所となっていました。



3つの班に分かれて出発です。




今回のコースの案内人。
鵜沼宿のボランティアガイド、Kさんです。
テクノプラザの設計者。リチャード・ロジャースについての説明で、同人が設計したフランスのポンピドゥーセンターの写真を使い説明しています。



VR TECHNO  JAPANのモニュメント。
こんなのが有るとは知りませんでした。



テクノプラザの看板です。
そして、この施設に入っている企業です。



テクノプラザへ向かっています。
この建物の特徴的なのが柱を外部へ出していることです。



施設に入っている企業の案内図です。




テクノプラザの内部です。



テクノプラザに入っている科学技術図書資料室。
テクノプラザにある科学技術の高度な専門書がそろう資料室です。



館内に掲示して有ったリチャード・ロジャースの紹介です。



テクノプラザから出て、歩き始めました。
歩いて来て、有った企業がフジミインコーポレーテッドです。
ここは研磨用粉体製造及び遊離砥粒製品の大手企業で、半導体シリコンウエーハ製造用研磨材では世界シェアNo.1だそうです。



船山北古墳群へ来ました。



ここは古墳群と古窯跡群が散在している所で、その案内図です。



船山北3号古墳です。



天野エンザイム岐阜研究所の前まで歩いて来ました。
天野エンザイムは酵素を研究している所だそうです。



テクノプラザの南方で、掩体壕の所まで歩いて来ました。
終戦後の米軍の航空写真を使っての説明です。



掩体壕跡が有るところへ来ました。



掩体壕の解説図です。
戦闘機を収めその上を網でカモフラージュしています。



土手のようになっている掩体壕です。
今は竹が繁り、掩体壕跡だと教えて貰わないと分からない状態です。
終戦に近い頃、中国人がここに連れてこられて作業したのだそうです。ここへ来る前は長野でダム建設に従事していたが、セメント不足で作業ができないため、こちらに来たのだそうです。
掩体壕として作っても活用できなかったらしいです。



ふれあいの小径でテクノプラザ駐車場に向かって歩いています。

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歴史勉強会 ヒストリー各務野会   織田信長の美濃侵攻 

2020年10月23日 23時03分51秒 | ヒストリー各務野会

今日、ヒストリー各務野会が有りました。講師は後藤正敏さんでした。
タイトルは織田信長の美濃侵攻でした。尾張に居た織田信長が美濃へ侵攻を図ろうとしました。それに対応するように美濃の東部、堂洞の岸勘解由、関の長井隼人、加治田の佐藤紀伊守の三者が同盟を結びました。そんな三者の仲を裂くように密偵が暗躍しました。そのため三者同盟が崩れてしまいます。
仲違いを図る。それを内応と言うとのお話でした。


これから講義が始まるところです。



後藤先生。



パワーポイントを使って。



堂洞城跡の碑です。



今日の講義の資料です。


武力を使わず3人の仲を裂く。
卑怯なやり方ですが、悪知恵に長けた戦法です。

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美濃和紙あかりアート展へ

2020年10月21日 23時20分56秒 | 近場へお出かけ

美濃市は和紙の産地で美濃紙が生産されます。そんな和紙を使って制作したアート作品の数々。その作品展が開かれており、行ってきました。
会場は美濃市の小倉山の麓の小倉公園。長良川河畔の川湊公園。それにモミジの名所の大矢田神社でした。かつては町の中心であるうだつの町並みで開かれていましたが、このコロナ禍の時代で、会場を分散させて開かれていました

小倉公園
最初に向かったのが小倉公園です。
この小倉公園。お城址の場所です。

あかりアート展の立看板です。




小倉公園に着いたのはまだ、明るい時間帯でした。




並ぶ作品。



並ぶ作品。



「胡蝶の夢」というタイトルです。



アップで撮りました。


川湊公園
次にやってきた場所は川湊公園です。
この公園、長良川沿いの場所です。

遠くに見える美濃橋は吊り橋です。
流れる川は長良川です。
川湊公園と言う名になっているように、かつては川湊として和紙を送り出す湊で、繁栄した所です。



並ぶ作品。



並ぶ作品。



並ぶ作品。



「花火」と言うタイトルの作品。
Web特別賞を受賞しています。



こちらは入選作品です。



大矢田神社
最後に訪れた処が大矢田神社です。
大矢田神社は紅葉の名所です。でも、紅葉を愛でるには、まだ少し早いです。

アマチュアカメラマンが揃っていました。




並ぶ作品。



入選作品です。



「未来へ」と言うタイトルの作品。
評論家の面々からは風船を土台にして制作したんやろな―・・・。そんな声が聞こえてきました。



これも入選作品でした。



ライトアップされた大矢田神社の門です。



並ぶ作品。



並ぶ作品。



並ぶ作品。




「三崩し模様の小箱」と言うタイトルが付いていました。



「こよりの6角井桁積み」と言うタイトルが付いていました。


最後に
和紙を使って製作された作品の数々。
良い出来栄えの作品を鑑賞することが出来ました。











 

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東海学院大学・東海学院大学短期大学部 公開講座「考えて生きる ~大学は知の宝庫」 第3回 源氏物語を考える   

2020年10月21日 23時16分05秒 | 東海学院大学・東海学院大学短期大学部 公開講座 

今日は第3回の講座。タイトルは源氏物語を考えるで木戸久二子教授でした。
受付で渡された今日の資料。
その中に二千円札の白黒コピーが入っていました。二千円札のコピー。貰って?となりました。沖縄では今も流通していると言うが、この辺りではすっかり見かけなくなった紙幣です。
この紙幣に乗っていたのが源氏物語でした。
2000円札は2000年の7月に流通しだし、触れたことが有りますが、裏側に乗っていたのが源氏物語だとは全く意識していませんでした。


講義の開始前です。



今日の講義のタイトル。
源氏物語を考えるです。



頂いた資料です。




源氏物語の「すゝむし」。



こちらは二千円札の白黒コピーです。




パワーポイントで映し出されたスクリーンです。
二千円札の表には守礼の門。
裏側には源氏物語絵巻の鈴虫、と紫式部日記絵巻の第一段が描かれています。



藤原実成と藤原斎信。
そして紫式部。
お札の裏に載っていましたが、実物はこんな感じなのですね。



最後に
最近は二千円札を全く見かけなくなりました。でも、沖縄県だけは今も多く流通しているようです。そのコピーが資料として渡されました。なんだろうなと思いました。
二千円札に源氏物語が描かれていたのです。かつて、二千円札を使ったことが有りましたが、全く意識していませんでした。
源氏物語は52帖。今の原稿用紙にすると2,500枚ほどの量が有る長いものだそうでした。木戸教授は、いきなり本文を読むので無く、少しかじるくらいの気持ちで向き合ってみてと言われました。

大学の講義。
知ることが面白いです。



 

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今日は人間ドックでした

2020年10月19日 23時54分55秒 | 人間ドック

1年に1回。人間ドックに架かる様にしています。
別に心配な箇所が有るわけでは無いですが、年間行事のようにして検査を受けています。


受付のカウンターです。



廊下です。
お呼びがかかまで待っています。




廊下の貼紙。
がん予防でPRしています。



最後に
毎年、秋に人間ドックをやっています。
血圧に身長と体重。そして血液検査と尿検査。
胸のレントゲンに胃カメラ。
胃カメラはモニターに自分の胃の中が映し出されます。問題なしと思われましたが、生々しい画像です。
高齢になって来たので体調に気をつけるに越したことないと思います。



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木曽三川歴史探訪 森部輪中と水害・治水を学ぶ

2020年10月18日 23時05分08秒 | 各種講座

各務原市の広報誌のお知らせ欄に「木曽三川歴史探訪 森部輪中と水害・治水を学ぶ」と言うイベントが開催されると掲載されていました。歴史の勉強になると思い、申し込みをしました。主催者宛に申込メールを送ったら参加OKの返事が有りました。
主催者は木曽三川フォーラムと言う団体で、バスで安八町へ向かい堤防が決壊した現場を見学し、その後は町の中央公民館で講義を聞くものでした。



「木曽三川歴史探訪 森部輪中と水害・治水を学ぶ」のチラシです。




岐阜駅前からバスで安八町へ向かいます。




バスが止まった所が安八町の斎場。
やすらぎ苑と言う所でした。




案内されて長良川右岸堤防決壊現場へ来ました。
安八町大森と言う所です。
前方に見えるのは新幹線の高架です。





あの堤防が切れたのです。



やすらぎ苑に戻ってきました。



苑内に設置して有った治水観音尊像です。




治水観音尊像建立の趣旨です。




こちらは木曽川上流河川事務所の説明板です。


この後、安八町中央公民館へ向かいました。


「1600年頃安八は加藤貞泰の領地だった」

黒野城と加藤貞泰公研究会の川口耕三氏の講義です
陣羽織を着た姿で登場です。




講義のタイトル。
「1600年頃安八は加藤貞泰の領地だった」。




岐阜市には岐阜城と加納城が有りますが、もう1か所黒野城が有るという説明です。
黒野城は岐阜市の北西の位置ですが、お城が有ったとは知りませんでした。




加藤左衛門尉貞泰。
父、加藤光泰は秀吉に仕え抜擢されて甲斐24万石の領主でしたが、朝鮮出兵で病没。山崎の合戦や賤ケ岳の戦い、小牧長久手の戦いに参戦するなど波乱に満ちた生涯でした。
その後、嫡男の貞泰は若年と言う事で黒野に4万石で国替えさせられました。




加藤貞泰が堤防を築いたため亀姫(家康の長女)が化粧料として貰った土地が水に浸かるようになり、怒りをかったという説です。




堤を築いたため移封となったという口伝です。
領民のためを思い、築堤したのが亀姫の怒りに触れました。
この後、米子そして、大洲へ移封となりました。
どちらも行った事の有る地です。
ああ、アノ街かと言う思いがします。



「安八輪中」

岐阜女子大学の丸山幸太郎教授の講義です。



安八輪中の歴史を解説されました。









丸山先生の講義の資料です。




まとめです。


「豪雨災害の報告」

元安八町長丹羽正治氏の講義です。
ご自分は来年90歳になるという自己紹介から始まりました。
安八町は東を長良川、西は揖斐川で南を福束輪中で川に囲まれたの地形であるとの解説から始まりました。ご自身、あの昭和51年。町長を務めておられました。当時9月8日から秋雨前線が横たわり、台風17号が襲来して集中豪雨が続いた。そして12日に大森の長良川堤防が決壊したのです。水防団員が対応に当たっていて、町長と言う立場で北の方の現場へ激励に行き、次に東の長良川堤防へ来たらパトロールをしていた水防団の赤い消防車が見え、目の前で消えたのだそうです。それが丁度、堤防が決壊したタイミングでした。
目の前の消防車が消えた。生々しいお話でした。


最後に
黒野に城跡が有り、かつての城主が加藤貞泰だった。そして父親が加藤光泰。朝鮮の役に参加して病没しています。多くの大名が参戦した朝鮮の役。加藤光泰も参戦していました。
黒野城と加藤貞泰。加藤左衛門尉貞泰が築いた堤防で尉殿堤防(ジョウドノテイボウ)と呼ばれています。また、元町長の丹羽さん。お歳は召されてもカクシャクとされていました。良いお話が聞けました。
色々と勉強になりました。






 

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それぞれの住処から  コネクト展

2020年10月17日 23時34分23秒 | 絵画展・写真展等、各種展覧会

岐阜市大門町の上宮寺で開かれている「それぞれの住処から コネクト展」に行ってきました。


コネクト展のチラシです。



コネクト展の主会場。
上宮寺です。



画像の展示です。




上映していたのが大イチョウにアート作品を展示する作業でした。



こちらは絵画。
本堂の両側に展示して有りました。



己との戦いと言うタイトルの作品です。
白岩ヤギの彫刻です。


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