Kオジサンの気の向くまま

日々のあれこれ・・・・・思いつくまま

国道157号の旅  恐竜街道  9月26日

2010年09月28日 09時52分36秒 | 旅行


国道157号線は金沢と岐阜を結ぶ国道であるが、石川県と福井県では恐竜街道と呼ばれ、恐竜をテーマにした博物館が有り、道路沿いに恐竜のモニュメントが点在する。

まず、白山市白峰の恐竜パークへ行ってみた。規模的に小じんまりした施設であるが、化石を探す体験が出来る場所が有った。

次に向かったのが福井県立恐竜博物館である。

昨今、水族館が大きな規模になってきている。この県立恐竜博物館も大きく、恐竜博物館としては国内最大級だろう。
まず、入り口から長いエスカレータで最深部に降り、上野回まで回って来る。恐竜の骨格や大きなジオラマ。作品の1つ1つが凄い。CGを使って恐竜の姿を紹介している。解説では、恐竜1体1体に名前が付いていて、説明しているが、角のあるトリケラトプスが分かるくらいで、首の長い恐竜はどれも同じものに見える。

白峰の恐竜パークは観るのに40分ほどで済んだが、県立恐竜博物館では2時間以上の時間を費やした。そのことからもフロアー面積、展示規模が大きい。

残暑が治まり、窓を開けて車を運転していると、気持ちの良い秋の風が入って来る。順調に車を走らせることが出来、快適だった。

恐竜パークの展示物。

 

恐竜パークの屋外展示物。子供が恐竜の背中に登って遊んでいた。

 

親子で化石探し。湖度よりも、お父さんが一生懸命。

県立恐竜博物館。入口から入ると館の最深部へ降りる。

 

恐竜博物館のジオラマ。この恐竜は動き、迫力があった。

 

化石のクリーニング。親子でその作業を覗き込む。子供が恐竜に興味を持つ第1歩

 

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国道156号線の旅  こきりこの里 9月25日

2010年09月27日 22時12分40秒 | 旅行



富山県南砺市上梨地区の白山宮で「こきりこ祭り」が開かれていたので、行ってきました。
「こきりこ祭り」では、お宮さんにこきりこ踊りを奉納するのですが、白山宮へ着いた時には既に奉納の舞いは終わっていました。

ささらと呼ばれる楽器を触らせて貰ったり、狩衣(かりぎぬ)姿の人と一緒に写真に収まることが出来ました。ささらは108枚の木板を糸で結んだ素朴な楽器です。何故、108と言う数なのか興味がわきます。ささらを鳴らすことをやらせて貰いましたが、簡単そうに見えて、鳴らすのには、コツが要りました。
小さな子供が器用に鳴らしていたのは、印象的です。
また、ささらと言うと、北海道札幌市の路面電車で、冬に除雪用に走る電車があります。その電車はささらの束を車両の頭に着けて回転させて除雪をしながら走ります。もともと、中華料理で鍋を洗うのに細い竹の束をささらと言います。この木片の楽器と竹を束ねたささらとどう言う関係が有るのでしょう。

岐阜県の白川郷からこの五箇山にかけて合掌集落が点在しています。交通の便は白川郷と高岡を結ぶ路線バスが、日数本走っていますが、車の方が便利です。点在する村々を辿ってみるのも面白いでしょう。

 

 

菅沼合掌集落。岐阜県の白川郷から五箇山にかけてこのような合掌集落が点在する。ここも、やがて秋に包まれる。

 

狩衣(かりぎぬ)姿の人。撮影を頼んだら、快く応じて貰えた。彼が舞う姿を見たいものだ。

 

ささらを操る子供。なかなかドウにいったもので、上手に扱っていた。何年かの経験が有るのだろう。腰ツキも立派だった。

 

ささらを触らせて貰った。簡単そうであるが、手首を使って演奏し、音を出す。初めて触らせてもらったが、コツが要る。

 

相倉合掌集落。近くにススキが穂を出していて秋を感じさせた。

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中国の旅  大連、旅順そして瀋陽 9月5日 帰国へ

2010年09月05日 23時16分50秒 | 海外旅行

9月5日は帰国するだけのスケジュールでした。朝、早くホテルをチェックアウトし、瀋陽空港に向かいました。搭乗ゲートが10ケ所程しかなく、余り大きな空港ではありませんでした。
乗った飛行機は中国南方航空のCZ697便。座席が横6列で大きな飛行機ではありませんでした。






















空港の待合所。






















上から見た空港内。

 

 

最後に。
この旅行先はかつて日本が統治した時代のある場所であり、日露戦争では、激戦地でありました。旅順博物館の漢文に有りましたように「前」の事を忘れない。それが「師」となる。日本人すべてがこの事に向き合い、教訓としていくことが大切ではないでしょうか。

 

感想
色々の中国料理を味わうことが出来ました。皿の数も大くとても、良かったです。大連市内で路面電車に乗ったり、大連から瀋陽まで特急列車に乗ったり出来ました。
混雑する車内。座席指定券を持たず、乗ってきて、少しの時間でも、席が空いていると座ろうとする。中国人の一面を見た気がします。
新幹線の工事。すれ違う貨物列車の多さ。すべてが中国パワーで凄いと思いました。

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中国の旅  大連、旅順そして瀋陽 9月4日 瀋陽へ列車の旅  そして瀋陽故宮と北稜

2010年09月04日 23時05分52秒 | 海外旅行

大連駅から瀋陽へ列車で向かいました。大連駅は上野駅にそっくりな建物です。朝の時間で駅は混雑していました。まず、列に並びましたが、長蛇の列で、人で溢れていました。
改札が始まり、プラットホームに向かいましたがとても沢山の人たちです。ホームは上屋を設けるようで、まだ、工事の途中みたいでした。




列車は軟座車。8号車でしたが入口に服務員が立っていて、乗車券を確認していました。車内は満員に近い状態でした。最後尾には2段の寝台車も連結し、先頭ので電気機関車のすぐ後ろには、荷物車が付追していて、郵便袋を積み込んでいました。


特別に増結車も有って全体が何両なのか数えれませんでしたが、15~16両程の編成でした。








8時40分に大連駅を出発しました。大連から瀋陽へ向かう路線は幹線で整備され、PC枕木。ロングレールで乗り心地が良く、列車は130キロくらいのスピードを出していました。
車窓からは工事中の新幹線が見えました。あとから、ガイドから説明が有りましたが、大連からハルピンまでの新幹線を工事しているとの事でした。大分出来あがっていて、後は架線を張るばかりく区間も有りました。一部はバラスを入れている所もあり、1~2年程で完成すると思います。

列車は瀋陽までに3駅に停車しました。駅名の分からない所も有りましたが、按山と言う名の駅にも停車しました。
幹線となっていて頻繁に貨物列車とすれ違いました。長い石炭を乗せた貨車や海上コンテナの貨車が有り日本では見かけない列車です。車内は多くの人で賑わっていました。列車の床が土埃で汚れていて、服務員が何度もモップで掃除していました。服務員は化粧気の無いオバちゃんです。黒いビニールのゴミ袋を持ってゴミも何度か集めに回ってきました。仕事なのだからか、ジットしているのが、嫌いみたいに体を動かしていました。



車内販売が回ってきましたので、ビールを買いましたが、1本が5元でとても安いです。ただ、冷えていません。これも、大陸的と言うのでしょうか。


瀋陽故宮。清朝の太宗皇太極が皇居として使用していたところ。清朝時代の雰囲気が漂っている。



北稜。太宗皇太極と皇后を祀った稜墓。大きな敷地で、最奥には円墳が有り、出入り口はレンガで封をしてあった。

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中国の旅  大連、旅順そして瀋陽 9月3日

2010年09月03日 23時31分18秒 | 海外旅行


今日は朝から雨が降っていました。まず、一番に訪ねたのは大連港でした。かつては、下関や博多と結ばれ、大陸の玄関口として栄えた港です。
終戦の時、この港から旧日本軍の兵士やかつて満州開拓に希望を持って入植した開拓団の人たちも、この地から本土に向かいました。大変だったろうと思います。 


大連港の待合所。建物はあたらしくなったが、かつて多くの旅人が出発した。

次に向かったのはお土産屋さんでした。若い女性が絹の絨毯を制作していました。方眼紙に製作図が書かれていて、一針り一針り織り込んでいきます。とても根気の要る仕事です。


バスは旅順に向かい、水師営会見所に行きました。建物は古く当時の状態に似せて復元したものです。館内には壁にかつての写真が貼ってあり、中には乃木将軍とステッツェル中将が一緒に映っているのも有りました。


水師営会見所跡


ガイドから説明を受ける。壁には当時の写真が貼ってあった




安道餐館。正面から。



お昼はすぐ隣に隣接した、「安道餐館」で田舎料理を食しました。田舎料理と言っても昨夜の天天漁港の内容と余り変わりませんでした。入口には魚が並んでいて、壁には沢山の料理の画像が貼ってありました。どの料理も野菜を一旦揚げて、調理しているので、油濃い味でした。


田舎料理。


次に雨が降る中を203高地に向かいました。ロシアと日本が戦った場所で、かつては草木の無い山であったが、今では木が繁っていて、登頂部に砲弾を模したモニュメントが高く聳えていた。この場所からは旅順港が見下ろせたはずだか、雨で視界が悪く臨めませんでした。


旧旅順ヤマトホテルの前で果物や茹でたトウモロコシを売っていました。丁度、盛りでブドウを買いました。小さな房が5元でした。2房で10元。日本園では140円程で安かったです。桃やスイカなどが豊富でガイドに聞いたらスイカは10元程だとの事でした。とても安い値段です。


並んだ露店。ここでブドウを買ったが、安かった。


次に旅順博物館に行きました。石造りの重厚な建物です。青銅の品々、古い仏像や木乃伊が並んでいました。
別館は旧関東軍の司令部が有った建物です。かつての旧日本軍の蛮行を物語る写真が数多く展示してありました。
物事は、加害者は忘れてしますが、被害者は忘れる事が出来ない事であります。玄関脇に漢文が有りました。読め無くても感じの意味から内容はは分かります。かつての事を忘れてはなら無いと思います。

旅順博物館の入り口脇にあった漢文。


大連に戻る時、スケジュールでは、路面電車に乗ることになっていて、途中の停留所から乗る予定になっていました。
いざ、乗る段になって停電で、その停留所からは乗れず、別の停留所から乗りました。3両を1編成とした車両ですが、真ん中部分は短く固定された編成です。市民の足として利用され、多くの人が乗り込んできました。


路面電車の車内。途中から混雑してきた。



乗ってきた路面電車。



夕食は「大地春餅店」と言う中華レストランでした。この店の名刺には成仁街店、黄河路店、東北路店とありましたが、ガイドに連れて行ってもらったもので、どの店で食べたのかわかりません。メニューでは東北料理と成っていますが、他の中華料理とどう違うのか分かりません。


大地春餅店の食事

 

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中国の旅  大連、旅順そして瀋陽  9月2日

2010年09月02日 23時49分10秒 | 海外旅行

中国の遼東半島部分へ行ってきました。
まず、飛行機が到着したのは大連空港でした。空港へ降り立ち、迎えのバスに乗り込みました。バスが市内を走っていて、空はどんよりと曇っていて、天候からなのか、黄砂のためなの曇り空でした。空気も悪いと感じました。





 

 

 

 

 

 

 




大連市内。
ツートンカラーの路面電車が走っています。























最初に訪れたのが蒸気機関車「亜細亜号」の展示してある場所でした。建物の形状から、かつては機関庫として使われていたと想像させましたが、転車台から亜細亜号を押し込み、出口をレンガで封をして待ったと言った感じでした。庫内は狭く、全体的な雄姿を眺める事は出来ません。
手入れが全然されていなく、巨体は埃で汚れていました。動輪は大きく2メートルはある巨体です。世界的に、最高速度を誇った名機関車が埃を被った状態で保存されていることは残念なことです。



 


















次に向かったのは中山広場でした。広場はロータリーの中心地となっていて、周りには古い建物が並んでいました。旧横浜銀行や旧やまとホテルなど石造りの重厚な建物が立っていました。少し離れたところには旧満鉄の本社があり、大連が大陸の玄関だったことが伺わせます。










 




 







夕食は「天天漁港」と言う海鮮レストランでした。海鮮レストランと言うだけあって、ヒラメの中華風刺身が出ましたが、残りは普通の中華料理でした。テーブルに11人が座りましたが、品数が多く、食べきれない程の数量でした。




私たちが食べたのは規定の料理でした。
水槽の魚を見、選んで調理して貰えるのかも知れません。



大きな中華料理テーブルでの食事です。


























夜、夜景鑑賞と言うことで、大連タワー、音楽噴水、夜市、星海広場を回りました。音楽噴水では噴水がコンピュータで操作されているようで、ライトも照射されました。音楽に合わせて噴水の水が、出たのですが、「サウンド。オブ・サイレンス」が流れていました

























次に向かったのが、星海広場です。星海広場はとても広い広場で東洋一の広さだそうですが、暗く、広場全体を眺める事は出来ませんでした。遠くから眺めていただけなのですが、若い人たちがステージに上がってダンスを踊っていました








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