来月、滋賀県方面へひな人形を見に行きたいと思っていました。
それで、滋賀県の「びわこビジターズビューロー」に電話を入れて資料を送ってくれるように頼みました。
その資料が今日、届きました。
こんな送り状が添えられていました。
びわこビジターズビューローと言うのは滋賀県の外郭団体のようです。
欲しかったのが「びわ湖のひな人形めぐり」と言うパンフですが、それ以外のパンフも一緒に送ってくれました。
来月になったら近江八幡や五個荘へ雛人形を見に行きたいと思っています。
今日は岐阜県知事の選挙の日です。
選挙に行って来ました。
投票会場です。
中学校の武道館が投票所となっています。
低調な知事選挙です。
投票する人が誰も居ず、閑散としています。
受付で入場券を渡し、投票用紙を受け取ります。
校庭に有った校歌の碑です。
中学校を卒業して50余年が経ちます。
それでも、この校歌は今でも歌えます。
この校歌。春と冬を表しています。確か、秋や夏も有ったハズです。
これまでも何回も那加中学校へ選挙で行っていましたが、校庭にこのような校歌の碑が有る事に気づいていませんでした。選挙で中学校へ歩いて出かけました。帰路、各務原西高校の球児たちが声を出しながら守備練習をしているのを見ました。車で投票所に行っていたら、こんなシーンも目に出来ませんでした。
ゆっくり歩く。それで見えてくるものが有ります。
各務原市産業文化センターの1階。「あすかホール」でステンドグラスの展示会が開かれていました。
歴史街道を歩く会の定期総会の帰りでしたが、会場に入ってみました。
案内のハガキです。
カミさんが貰って来ていました。
カミさんの友人が作品を出していました。
会場の入口です。
展示会の内部です。
1月27日から29日までの展示期間となっていました。
力作揃いでした。
歴史街道を歩く会の今年の事業計画で、どのように活動するか、定期総会が開かれました。
総会の開始で挨拶する会長です。
そして、議事進行です。
会員の高齢化で会員の減少。
そのような状況では有りますが、新しい年度も歩く事となりました。
会議の後の会食です。
会場は8Fの「ぶるうすかい」です。
定期総会を行った場所の上階となっています。
バイキング料理となっていまして、チョイスして来たお料理です。
この後に、デザートでアイスとコーヒーをいただきました。
おなかが一杯になりました。
今日は第3金曜日で、歴史勉強会 ヒストリー各務野会の開催日です。テーマは伊能忠敬と鵜沼宿 -測量中心に-です。
伊能忠敬は10次に亘って国内の調査に出かけていました。
そうして出かけていて、鵜沼宿にも立ち寄っていました。
今回は伊能忠敬と鵜沼宿と言うタイトルで、講師は可児幸彦さんです。鵜沼宿でガイドボランティアを勤められ、「濃尾・各務原地名文化研究会」の会長も勤めておられます。
副題で測量中心に、となっています
どのように測量をしたのかと言う話しです。
北極星を目標に捉えて計るのでした。
配布された資料です。
パワーポイントを使っての説明でした。
高齢になってから測量で全国を行脚した伊能忠敬です。
養子となって行ったのだそうでした。忠敬が佐倉の出身だとは知っていましたが、養子に行ったのだったとは知りませんでした。この時代。優秀な人は養子として迎えられたのだそうです。
市の広報紙に「各務原野外セミナー」の募集が載っていました。このセミナーは市のバスを使って見学に出かけるものです。応募を申込ましたら、参加OKの通知が来ました。
出発時に受付で渡された資料です。
今日の日程が書かれています。
これから乗るバス。
市が所有するバスで前面に市名が書いてあります。
このバスに乗り込みましたが、30名の参加で、満席でした。
配布された資料です。
12月3日に行われた歴史セミナーと同じ資料のようです。
青塚古墳
最初に着いた場所は犬山市の青塚古墳です。
前方後円墳で123メートルと、覚えやすい長さです。
NPO法人。
ニワの里ねっとの大塚さんが説明してくれます。
貴重な古墳ですが、この青塚古墳は大縣神社の社有地だったので、壊されずに今日まで残ったのだそうです。
青塚古墳の概要です。
愛知県下で2番目の大きさです。
古墳に登ってみます。
登り坂で、急なコースからでしょう。
登らないで下さいと表示したプレートで道を遮断していました。
このような場所に登れるのは、今回のように特別な時だけです。
足元に気をつけて登ります。
あの場所が後円部の頂点です。
後円部の頂点で大塚さんの説明に耳を傾けます。
前方部が南西。後援部が北東の位置となり、この線の延長線に御嶽山が有ります。この日は生憎、御嶽山を望む事が出来ませんでしたが、視界が良かったら冠雪した御嶽を望めた事でしょう。このような角度にしたのも、何かの意味が有るのかも知れないという言葉でした。
左側。大きな建物の向こう側に楽田城が有りました。小牧・長久手の合戦の時、秀吉の城でした。
そして、右側は小牧山で小牧城ガ見えます。
小牧・長久手の合戦の時、互いが睨み合いこう着状態でした。
この青塚古墳に秀吉方の砦が有りました。前線基地です。
ここから楽田城が近いですし、小牧城が良く見えます。ここは前線基地でした。情報の伝達はどうしたのでしょう。伝令か、狼煙か、旗を振ったか。そのような事を想像するのが面白いです。
前方部から後円部を眺めました。
登ってみて、前方後円墳だと良く判りました。
古墳の周囲にズラーと壷型埴輪が並んでいます。
ガイダンスハウスに入ります。
読み難いですが「まほらの館」と有ります。
館内の解説です。
青塚古墳を探検しよう。
青塚古墳を、子供向きに詳しく紹介しています。
二子古墳
曽本二子山古墳へ来ました。
この二子山古墳も前方後円墳です。
説明板を覗き込みます。
こちらがその説明板です。
5世紀末と書いてあります。
ここに来る前に見学した青塚古墳は4世紀中ごろとなっていましたので、アノ古墳とは100年以上の時代の差が有るのでしょう。
規模的にも青塚古墳ほど大規模では有りません。
古墳の墳丘に上がってみます。
バスの車内で詳しく解説してくれる戸崎さん。
江南市歴史民俗資料館
江南市歴史民俗資料館へ来ました。
この資料館は江南市民文化会館と合築した施設となっています。
歴史民俗資料館に入館します。
江南市の文化財が展示して有ります。
興味を引いた江南市の地図が展示して有ります。
この地図は出発時に渡された明治24年測量の2万分の1の地図と同じものです。
上部には木曽川が右から左へと流れています。そして扇状地が広がっています。今の坂祝町犬山市の間から流れ来る木曽川。狭い谷を流れて来た川が、急に広い土地へ流れ出し大きな扇状地を形成しました。
扇状地の地形で犬山と一宮を結ぶラインの列となっています。そして、桑畑の地図記号。養蚕が盛んだった事が想像できます。
地図を見る事が面白いです。
音楽寺の出土品です。
午後に音楽寺に訪ねますが、関係の有る資料が展示して有ります。
すいとぴあ江南
昼食場所となっている「すいとぴあ江南」へ来ました。
タワーが特徴の建物です。
江南市勤労会館と展望タワー。合築の施設です。
すいとぴあ江南は愛称であって、正しくは江南市勤労会館・展望タワーと称するのでしょう。
これから施設に入ります。
昼食場所へ向かうエントランスに、ひな人形が展示して有りました。
期間は明日からなのですが、もう準備完了と言ったところです。
立派な段飾りが迎えてくれました。
翠江亭
これから食事場所に入ります。
翠江亭がお昼の場所です。
今日の昼食です。
カツ定食にお蕎麦がついています。
展望タワー
昼食をした後です。
出発時間は13時となっていまして、少し時間が有りましたので、展望タワーに上がってみました。
この展望タワーに上がるのには有料となっていまして210円が必要でした。
有料なのですが、65歳以上は無料でした。フロントで年齢を証するものを提示してエレベーターに乗りました。
一緒した人が言っていました。
「今日の参加者、全員がタダやなと。
エレベーターから出て窓際に進むと航空機を紹介する表示が有ります。
ここ、タワーから飛行機が良く見えます。
岐阜飛行場。
航空自衛隊岐阜基地です。
堤防の向こう側の横のラインが滑走路です。
「7」の表示が有るのが格納庫で、その左に見える三角の山が燃料タンクです。
右に見える四角い建物がコントロールタワー。管制塔です。
この場所からですと、進入体制で入って来た機が滑走路に触れ、再び上昇します。この繰り返しをタッチアンドゴーと言います。ここから手に取るように見えることでしょう。
北西方面が見えるところに移りました。
岐阜市方面です。
右の山が金華山で岐阜城が見えます。
タワーから見える東方です。
冠雪した恵那山が見えます。
音楽寺
午後。
すいとぴあ江南を出発して音楽寺に来ました。
音楽寺の説明板です。
円空仏が有りまして、円空仏を紹介していますが、音楽寺は大規模な伽藍が有ったと書かれています。ここから出土したものが江南市民俗資料館で見た瓦塔です。
円空物を保管している村久野区歴史資料館に入館します。
資料館のお世話をしておられる方が話しをしてくれました。
円空に寄る十二神将像を所蔵しているのですが、戌の神将だけが無いのです。
その円空仏は安城の寺へ行っているのだと説明してくれました。男性の右側のガラスケースの中に戌の神将が有りましたが、イミテーションなのです。12体の中の1仏ですが、十二体全体で見ますので、本物で有ろうと、偽物で有ろうと関係ないと思います。
この資料館はアジサイの頃は、常に開いていますが、その時期以外は閉じているのでした。今回、特別に開けていただけました。この用に骨折って貰えたのも野外セミナーのお陰です。
妙興寺
一宮市の妙興寺へ来ました。
一宮市博物館に入館するのですが、博物館へ小学生が見学に来ており、時差で先に妙興寺にお参りをしてから博物館の見学となました。
一宮市博物館の藤井さんが説明してくれました。
説明している門は勅使門です。この門の南側に総門、北側に三門が有ります。
こちらが三門です。
屋根に乗っている鬼瓦が立派だと思いました。
こちらは佛殿です。
規模の大きなお寺で、妙興寺は尾張の正倉院と言われ、別の言い方で尾張に過ぎた妙興寺と言われたと藤井さんが解説していました。
一宮市博物館
最後に寄る場所。
一宮市博物館に入館します。
館内でも藤井さんの説明が有りました。
館内で見かけた。目を引いたものです。
船の模型で水車が着いています。珍しい船の模型だなーと言った受け止め方でした。そして、別のコーナーで右側の写真を見つけたのです。後ろに木曽川の鉄橋が見えます。明治の頃なのでしょうか。
川に船を浮かべ、水車の動力で粉を挽く粉挽船。そんな船が木曽川に浮かんでいた。
今なら、簡単にモーターで粉挽きをする時代なのですが、電気が来ていないとなると、水力となったのでしょう。
館内。
仏像が展示し有ります。
2階から1階へ降ります。
妙興寺と真墨田神社のジオラマが展示して有ります。
野外セミナー。副題に~川の向こうを眺めてみれば~と付いています。
今回、バスで出かけて木曽川の向こう側を訪ねました。私たちが住む各務原市は台地の上ですが、今回訪ねた処はいわゆる扇状地でした。
その扇状地に有る前方後円墳を見学する事が出来ました。特に、今回の見学が良かったのは青塚古墳が墳丘に登るのを許されていないのですが、登るのを特別に特別に許された事です。
また、今の時期なら閉じている音楽寺の資料館を公開して貰えました。今回は多人数で昼食を取る場所が無いようなコースです。今回のコースを企画して、何処を昼食場所に選んだら良いのかと、思案したのではと思いました。
市のバスで川向こうの所を見学できました。車中、戸崎さんから色々の説明が聞けました。バスの中で話しを聞いていて、動く歴史教室と言うイメージがしました。
すいとぴあ江南の展望タワーですが、以前にこの場所へ来た事が有ります。その時は点検か工事で入る事が出来ませんでした。今回、タワーに上がってみて、念願が叶ったような気がします。タワーの展望で飛行場が良く見える事が判りました。
1月14日に切干ダイコンを作りましたが、今日、2回目の切干ダイコン作りをしました。
切干ダイコンを作るには、ダイコンの大きさは関係しません。小さなダイコンでも出来ます。1回目の時のを息子に渡しましたので、2回目の切干作りに取り組みました。
用意したダイコンです。
どれも、小ぶりなものばかりです。
小さくても、切干ダイコンを作るのには関係有りません。
ニンジンシリシリの道具で下ろしました。
下ろしたのをザルに広げてお日様に当てます。
正月は休みの関係で来る事が出来なかった息子家族が我家へ着てくれました。
孫息子と孫娘。久し振りに会いました。
久し振りに会って、何故か背が伸びたような気がしました。
背が伸びたと言っても、昨年の11月20日に信州の喬木村のりんご狩りで有っています。2ヶ月前に会っているのに、久し振りに会うものですから、背が伸びたと言うふうに感じてしまうのでしよう。
ウチに来て、早速仏壇にお参りです。
一緒にやるようにと、人生ゲームを持ってきました。
ジジ、ババ。息子夫婦。それに孫息子と孫娘。
6人による対戦です。
ゲームに延々と時間が掛かり、1時間以上も遊びました。
定職に就けるか、つけないかで収入が、かわってきます。
私はゴールが一番遅かったのです。
孫娘は年中組です。このようなゲームが一緒に出来るようになったのは、成長の証しです。
それでも、終盤は少しあきて来ました。
からくり人形の公演会が江南市のcafe画廊「音彩」と言うところで開かれました。からくり人形を見るような機会は滅多にありませんので、良い機会でした。
cafe画廊「音彩」
江南市江森町西41
0587-55-1521
今日のからくり人形公演が開かれる喫茶店です。画廊と名が付いているように、期限を設けて絵画の展覧会を開いている喫茶店でした。
入口に有ったからくり公演コオモテの案内です。
当初は14日に開かれる事となっていましたが、雪のため1週間延期となりました。
cafe画廊「音彩」。
入口です。
今日のチケットです。
cafe画廊「音彩」の店内です。
女性が多く訪れています。
全部で40人から50人ほどの人がからくりの見物に来ていました。
からくり公演の前です。
からくりの公演の前に能面の解説が有りました。
左側は小面(コオモテ)です。若い娘の面ですが、2箇所の眼は丸型でなく四角型だと解説していました。
右側は中将面(チュウジョウメン)で、男の面です。
こちらは翁面です。
眼が「へ」の字になっており、この面は天下泰平を表していると語っていました。
そして、こちらは多くの人が知っている般若面です。
能面の解説の後、謡曲が始まりました。
観世流の高砂。そして宝生流(ホウショウ)の老松が演じられました。
そして素囃子。弁慶が演じられました。
このように、謡曲との出会う機会でした。
観世流は判ったのですが、宝生流はどのような字を書くのか判りませんでした。どのような字なのか、検索して判りました。
折角の機会ですので簡単なメモでも有れば、より理解が深まったのではと思いました。
これからが本番です。
女三番叟が始まります。
右側には男性3名と女性1名が控え、鼓を打ち、謡曲を語っています。
この人形の衣裳。
「タケヤマチ」と紹介していました。1反300万円もするのだそうです。
検索しましたら、下のように出ました。
たけや‐まち【竹屋町】
《京都の竹屋町で作ったという》金紗(きんしゃ)の織物の一つ。茶・萌黄(もえぎ)・紺などの色の紗の地に平金糸で文様を織り出したもの。元和年間(1615~1624)に堺に来た中国人から技術を得たという。竹屋町裂れ
一瞬。
人形が面を被りました。
私はその瞬間を見逃してしまいました。
この画像では足先までは写っていませんが、朱の袴の下に足が見え、紐が見えました。
人形の下でヒモで人形を操っていたのです。
鈴を鳴らし、紙ふぶきを飛ばしました。
最後に挨拶する玉野さんです。
感想
珍しいからくり人形の公演を目にする事が出来ました。能面について触れましたが、人形の動きに合わせて謡曲が語られました。謡曲の流派で観世流、宝生流と言われたのですが、観世流は判りましたが、宝生流派知りませんでした。小面と中将面。日本人の常識として知って置きたいです。どういう字を書くか解説が有ったら良いのではと思いました。
それに、謡曲で使われた鼓ですが、異なったタイプに見えました。そのあたりについても聞けたら良かったと思いました。
それにしても、珍しいものを拝見する事が出来ました。