Kオジサンの気の向くまま

日々のあれこれ・・・・・思いつくまま

「原 三渓を語る」  講演会

2018年06月30日 23時08分21秒 | 各種講演会

岐阜県図書館で「原 三渓を語る」と言う講演会が開かれました。この講演会は岐阜県郷土資料研究協議会と岐阜県図書館の共催でした。原 三渓が柳津出身で横浜から講演に来て貰いました。
講師はノンフィクション作家の新井 恵美子氏でした。講師は神奈川県在住で15年前に神奈川新聞の連載で原三渓物語を執筆されました。
ノンフィクション作家で、史実に基づいて執筆する。それで、当時原 三渓の足跡を調査するため柳津町へ足を運んだのだそうでした。
岐阜と横浜との縁があります。講師は三渓の生い立ちから結婚。そして生糸の商売で成功をなした事を語られました。


講演会の案内です。



講演する講師。
お体を悪くされ車椅子で登壇されました。

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彩美会  来月2日から銀行ロビーで展覧会。

2018年06月29日 23時26分53秒 | 彩美会

各務原市の大垣共立銀行雄飛ケ丘特別出張所で私たちの水彩画を展示しています。
その展示会で、今日。展示を行ってきました。
期 間  7月2日から31日
場 所  各務原市那加昭南町101-1
彩美会の会員のうち6名が前期の展示です。


時刻は15時少し前です。
まだ、来客が有り、閉店するのを待ちます。




所長、自らが脚立に乗り、絵を掲げてくれます。




展示を終わりました。
全部で6点です。
展示している状態をカメラに収めます。

最後に
私たちの作品を展示する前は書道作品が掲げてありました。恐らく、6月一杯展示したのでしょう。
そして、私達は7月一杯です。
8月には、彩美会の別の会員5名の作品を展示します。
銀行の少しでも来客の目に留まるようにと言う心遣い。
私たちの日頃の研鑽作品の発表の場。
そんな気持ちの一致する場であります。

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オンリー・ザ・ブレイブ

2018年06月27日 23時15分38秒 | 映画

薬物に手を出したり、窃盗を働いたりと、堕落した生活を送っていたブレンダン。恋人が妊娠したのをキッカケに定職に着こうとする。そこで飛び込んだのが森林消火隊です。しかし、ブレンダンのこれまでの生活状態を知っている隊員は彼の事を一人前には捉えませんでした。必死に訓練に耐えるブレンダン。
やがて、仲間から「ドーナツ」と言うあだ名を貰うまでに成長する。
広いアリゾナで森林火災が発生。
そして・・・・・・。


景色的に美しいアリゾナが出てきます。
森林火災に一生懸命になる男達。
チームワークと友情。
現代版の西部劇的な印象を受けました。

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Kオジサンの家庭菜園日記  初物  トマトの収穫

2018年06月25日 23時06分56秒 | 家庭菜園日記

トマトが赤く色づいてきました。ようやく、収穫の時期を迎えました。
今年、最初のトマトの収穫です。


実っている状態です。
カラス除けでネットを被せています。





収穫してきたトマトをテーブルに並べてみました。
何れも小ぶりです。




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歴史街道を歩く会 6月例会  伊賀上野を訪ねる

2018年06月23日 23時42分20秒 | 歴史街道を歩く会

歴史街道を歩く会の6月例会に参加しました。6月例会は日帰りのバス旅行で、三重県の伊賀上野を訪ねました。もともとは上野市、伊賀町、それに阿山町などの市町村が合併して出来た市で、伊賀市となりました。
伊賀流忍者を前面に打ち出したPR作戦で忍者の街を感じる市でした。滋賀県は甲賀流で甲賀市。それに意識したのでしようか。

伊賀越資料館

最初に訪れたのは伊賀越資料館です。
鍵屋ノ辻の仇討当時の遺品や文学資料などが展示してありました。




伊賀越資料館のパンフです。
伊賀越の鍵屋ノ辻の決闘に着いて紹介しています。



これから館内に入ります。




河合又五郎首洗いの池です。
仇を討った後、首を洗ったいわれる池です。


数馬茶屋

伊賀越資料館。それに矢尼母神社や、ここ数馬茶屋が有り鍵屋乃辻史跡公園となっています。
鍵屋と言うのも茶店の屋号で、数馬茶屋など茶店が数軒有ったようです。



数馬茶屋。
茶屋と言ってもカレーや牛丼など食事が出来る場所でした。
ノレンや障子の紋は渡辺家の紋所です。






公園の一角。
史蹟の石柱が立っています。





公園に面した道が大和街道です。
奈良と伊勢を結ぶ重要な街道で、石柱が立っています。

この頃から雨がポツリポツリと降り始めました。



バスで上野公園へ向かいます。
途中、踏切りの遮断機が降りました。
電車が来ます。




この線路。
伊賀鉄道です。
運が良いと忍者電車に遇えるかと思いましたが、普通の電車でした。
この伊賀鉄道。かつては近鉄でしたが第3セクターの鉄道に変わりました。



だんじり会館

上野公園の駐車場へ来ました。
これからだんじり会館に入ります。
会館の前。
忍者を乗せたワゴン車が停まっています。





館内に入りました。
だんじりが並び、人がいますがこれはマネキン人形です。






2階へ上がりました。
こちらは忍者衣裳の体験できるコーナーです。




2階からだんじりを見下ろしました。
それに、あのスクリーンに祭りの様子が映されます。





上野天神祭のだんじり行事です。
大ごへいです。





こちらは行列です。





1階へ下りてきました。
祭り行列の再現です。


伊賀流忍者博物館

伊賀流忍者博物館へ来ました。
前の客が居て、雨の中、入口で待たされました。





忍者屋敷の仕組みの説明です。
一番右の木戸が「ドンデン返し」となっていました。
来場者にドンデン返しの戸の体験を促しましたが、中々応じる人が居ませんでした。
最後は若い娘さんがやってみました。
前の刀。
忍者姿の少年が二人居たのです。
母親とことばを発しているのが聞こえて来たのですが、中国人のようでした。





壷が隠してあり取り出したのが、秘伝の巻物です。
薬の調合など代々伝えてきました。





こちらは刀隠しです。
左の方を押さえると板が浮き上がり、外れます。
そして、中から取り出したのが刀とマキビシです。蒔き菱と書くのでしょう。
時代劇で取上げられる時は、追っ手から逃げる時マキビシを蒔いて退散します。
なお、これはゴム製だと説明していました。




忍者屋敷の地下に下りてきました。
こちらは忍術体験館です。
忍者の道具が展示して有ります。





槍などの武具も揃っています。





こちらは忍者伝承館です。






先ほどの忍者屋敷の仕組みが解説して有ります。






この伝承館。
できてから大分時間が経っているようです。
頭巾や脚絆が焼けて色が変わってしまっています。
それに説明板の色も変色してきているように見えます。


俳聖殿

雨が振り続いています。
忍者屋敷を出て俳聖殿に来ました。



伊賀上野城

雨の中の伊賀上野城です。






これから城内に入ります。





城内に入ると迎えてくれたのが「た伊賀ーくん」です。
それに藤堂高虎像も有ります。





1階の展示です。
ショーケースの中は伊賀焼でした。
それに屏風も有ります。





1階の周囲に甲冑が展示してありました。
それに、高い場所にグルッと薪能のポスターが貼ってありました。
もう、何十年と続いています。
長年、続いて着ているのが凄いと思いました。





こちらは2階です。
周りに全国のお城の写真が展示して有ります。




3階に上がりました。
天守から見える下界ですが、雨で霞んでいます。
青い電車は上野市駅に停まる忍者電車です。




天井の大色紙です。
天守閣の復興に著名人の書画が寄せられました。




46枚の大色紙の解説です。
その中に下田歌子の色紙も有ります。
先日、岩村町へ出かけた時に下田歌子の事を知りました。




天井揮毫者芳名となっています。
知らない名前が有りますが、高浜虚子や横山大観の名が見えます。


この伊賀上野城。
昭和10年に竣工したと有ります。
昭和の始めの時代です。国内の著名人の大色紙が結集したと言えるでしょう。



伊賀伝統伝承館 伊賀くみひも組匠の里

最後に伝承館に来ました。





ここは組みひもが体験できるところです。
若い女性が指導を受けています。




1,100円で体験出来ます。





指導を受けて組みひもに取組んでいます。





丸台がズラーと並んでいます。
20人ほどで来場しても対応して貰えそうです。





売店のコーナーがあり、帯止めなどが売られています。




感想
伊賀越資料館を出てから雨が降り出しました。その後、帰路に付き高速に乗ってから晴れてきました。なんとも皮肉な天気でした。
伊賀上野の町で寺町があり、お寺が並んでいます。時間が有ったら散策してみたかったのですが、出来なかったのが残念です。

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歴史勉強会 ヒストリー各務野会    亜炭坑道と地盤沈下  -褐炭、閉山、廃坑と陥没-

2018年06月22日 23時08分01秒 | ヒストリー各務野会

今日、ヒストリー各務野会の学習がありました。講義の議題は亜炭坑道と地盤沈下  -褐炭、閉山、廃坑と陥没- です。講師は鹿野勘次さん。岐阜聖徳学園大学の非常勤講師で、かつては高校の先生をしていた方です。
可児郡御嵩町はかつて亜炭の採掘が盛んな場所でした。それが、時代の推移に寄り採掘されなくなりました。
そんな亜炭にまつわるお話しでした。


講義前の鹿野先生です。




普通は亜炭と呼びますが、専門家は褐炭と言います。
石炭の種類で泥炭、褐炭、亜瀝青炭、瀝青炭、無煙炭と品質の良い物ほど煙が出ません。
そんな石炭の中の亜炭は手軽に手に入ることから各地で掘られました。






御嵩町の発掘跡地です。

このように多くの坑道跡地が有ります。
岐阜県は亜炭の生産が全国の半分近くを占めました。
結果的に多くの坑道が残りましたが、跡地が空洞で地盤沈下を起こす問題となっています。



今日の資料です。




先生が持参された石炭の見本です。
皆さん、手にとって観察しました。




中山道分間延絵図の観察会
鹿野先生の講義の後、中山道分間延絵図の観察会を行いました。

中山道分間延絵図の観察会です。
Mさんが知人から借り受けてきたものです。
この絵図は文化二年に三部作成され将軍家斎に献上され、一部は道中奉行に渡りました。
もともとは巻物だったのですが、こちらは折る形となっています。
それに実物よりも縮小した形になっています。


絵図に着いて説明するMさん。




みなさん。絵図に見入ります。



新加納の部分。
新加納は鵜沼宿と加納宿の間に有った間(アイ)の宿です。
今は無くなっていますが、絵図には一里塚が載っています。


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濃尾・各務原地名文化研究会 6月定例講演会 『和算~世界に誇る江戸の算術』

2018年06月16日 23時40分53秒 | 濃尾・各務原地名文化研究会

濃尾・各務原地名文化研究会の6月定例講演会に行って来ました。2人の方の講演会でした。第1部は『和算~世界に誇る江戸の算術と言うタイトルで、朝日町で塾を経営する坪内和俊さんによる講演でした。
第2部は瀬川照子さんによる『彦坐王から日本武尊への系譜』と言う題の講演でした。


今日のチラシです。




中央図書館の4階。多目的ホールです。
講演1が始まりました。






坪内さんの講義です。
和算とは明治になって西洋の数学に対して言うようになったものです。
特徴は西洋の数学と異なる事です。
日本の数学を算術と言い、剣術と同じように、その「道」という捉え方をしていました。
こんな和算にも流派が有ったのだそうです。花道とか茶道と同様なのは驚きです。

四六時中と言う言葉が有りますが、之は24時間を表しているいるとのことでした。











今日の資料です。




こちらは講演2.
瀬川さんのお話です。


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彩美会  今日は絵の日でした。    その後は会食

2018年06月15日 23時14分43秒 | 彩美会

今日は彩美会のある日でした。
何時もどおり、絵に取組み、その後は会食でした。



教室の風景です。





先生の批評を受けています。





絵の教室の後、全員で会食です。
会場は産業文化センターの8階。
ぶるーすかいです。




一番奥の席でした。
全員揃っています。




お寿司にうどん。天ぷらに茶碗蒸しと言う内容でした。


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Kオジサンの家庭菜園日記  ジャガイモの収穫

2018年06月14日 23時51分17秒 | 家庭菜園日記

ジャガイモを1畝だけ作っていました。
病気なのか、葉に班点が出てきました。それで、石灰を撒きました。


葉が枯れだした状態です。





これだけ収穫できました。
イモ自体、小さめです。
それに針でさしたような穴が開いているのが有ります。
好い収穫では有りませんでした。

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史蹟巡りウォーク  第5回 「鵜沼宿界隈コース」

2018年06月14日 23時46分31秒 | 史跡めぐりとウオーキング講座 等

今日は史蹟巡りウォークの第5回です。6月7日に有りましたが、その日は欠席しました。
鵜沼宿脇本陣の駐車場に集合して、西町の二宮神社を訪ねました。その後は鵜沼宿脇本陣を訪ね、その後は町屋館へ。
鵜沼宿の脇本陣界隈を歩きました。坂井家では古い時代の写真を目にする事が出来ました。
鵜沼宿脇本陣駐車場 → 二宮神社 → 鵜沼宿脇本陣 → 町屋館 → 坂井家住宅 → 
木曽川泥流堆積物 → 翠(ヨシ)池 → 石亀神社・石切り場跡 → 鵜沼宿脇本陣

鵜沼宿脇本陣駐車場

今日は鵜沼宿脇本陣界隈を巡ります。
それで集合場所が鵜沼宿脇本陣の駐車場でした。
今日の案内役は鵜沼宿ボランティアガイドの黒内さんと橋本さんです。
10人づつの班に分かれて出発です。




最初が鵜沼宿の説明です。
駐車場の塀に掲げてある宿場の地図を元に説明がありました。


二宮神社

一段、高くなっている場所に有る二宮神社へ向かいます。





鵜沼宿は大安寺川を境に東が東町。
西が西町となっていて、東町の守り神が赤坂神社。西町は、ここ二宮神社が西街の守り神だという説明です。
それにこの場所。
横穴古墳が有ります。
石垣で見えるのが古墳の一部、玄室ですが玄室へ通じる羨道は壊されているとのことでした。




二宮神社は高台に有ります。
遠くには犬山城が見えます。


鵜沼宿脇本陣

次に来たのが鵜沼宿脇本陣です。

脇本陣を見学し、説明を受けました。
雪隠や風呂が完備していました。
殿様用の雪隠はタタミ敷き。お風呂は風呂釜が付いていないのです。
台所で湯を沸かし、ここに持ち込んだのだそうでした。となると、鍋ではなくお釜で沸かしたのでしょう。




脇本陣の土間です。
こう言う土間の固い土を「タタキ」と言います。
タタキは土と石灰とニガリを混ぜて固めたものです。
タタキと言う言葉は知っていましたが、石灰や土を混ぜるとは知りませんでした。
それにタタキに使う土は、どんな土でも好いとは限らないでしょう。
短い柱で4本の棒の着いた物。(アレの名を何と呼ぶのか判りません。)
それで、着き固めるのでしょう。
土塀なんかも同じ材料を用いているのかも知れません。


町屋館

町屋館へ来ました。





町屋館に上がりました。
そこで目に留まったのが袖がらみと言う武具です。
暴漢を取り押さえるサスマタのように使うのですが、着物の裾に引っ掛かるようになっています。
宿場の安全のため、こう言う武具を備えていたのでしょう。





町屋館の前。
旧大垣城の黒鉄門です。




蘇原から移築した門で、説明が続きます。



坂井家住宅

坂井家住宅へ入ります。






坂井家住宅の表に説明板が設置して有ります。




住宅へ伺って目に入ったのが槍や長刀です。
上には弓も見えます。
このような武具を持つのを許されたのは宿場の中でも格式の有る家だったからでしょう。




珍しい時計が見えます。
和時計とか大名時計とか呼ばれ、四角推の型で櫓時計とも言われています。
ご主人の説明では中に縄が下がっているのだそうでした。
この型なので鎖が下がっていると思いましたが縄なのでした。




壁に古い写真が下がっていました。
許しを得て撮影しました。




4枚の中の1枚です。
右の小山は犬山城で、左の小山は城山です。
どの辺りから撮影したのか判りませんが、畑が広がっています。
人が歩いていますが、この道が中山道なのでしょう
電柱が見えますので、もう電気が来ている時期なのでしょう。



庇から下がっている看板。
字が薄くなっていますが、打物仕入所と読めます。
この看板。150年以上経っているかも知れません。




往時を想像させる西町の中山道。





翠(ヨシ)池

翠(ヨシ)池へ来ました。
この池。
農業用の溜池です。
ハスの花が咲くのですが、時期的にマダです。




エサを貰って人に慣れているのか、カルガモの親子が近寄ってきます。




誰かが言っていました。
「何も持つていない」と。



鵜沼宿脇本陣

脇本陣へ戻って来ました。

感想
翠(ヨシ)池では、可愛いカルガモの親子を眼にする事が出来ました。
坂井家では、珍しい時計や写真を見る事が出来ました。このような事は市の講座だから拝見できたのでしょう。

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