Kオジサンの気の向くまま

日々のあれこれ・・・・・思いつくまま

歴史街道を歩く会 4月例会 名古屋散策  新しいモノ  消え行くモノ

2018年04月28日 23時08分53秒 | 歴史街道を歩く会

歴史街道を歩く会の4月例会で名古屋を散策しました。新しく出来たモノ。それに、やがて消えて行くモノ。色々のモノを目にする事が出来ました。




名鉄の名古屋駅前を出発しました。





名古屋駅前の高層ビルを見上げています。




ゲートタワーのエスカレーターで上階へ。




外に出てきました。
大名古屋ビルヂングの外側です。
左は9時29分。右は9時49分です。20分が経ったのですがゴンドラが下に降りて着ていました。



振り返ってセントラルタワーズ方面を眺めました。




名古屋の築地といわれる柳橋中央市場を歩きます。




中央市場の商店です。




納屋橋へ来ました。




伏見通りです。
新しくなった御園座のタワーが聳えます。




御園タワーの1階。
御園小町と言うお店。
ペッパー君と言うのだったか。
女性の相手をしていました。



名古屋市科学館まできました。



科学館から見える大きなロケット。




ロケットエンジンが展示してあり、解説しています。




広小路通りを歩いています。
目に留まったのがノーベル賞受賞者の赤崎勇博士の手形。



丸栄の所まできました。
この丸栄百貨店。6月に幕を下ろします。
注目されているのが外壁ですが、ビルと一緒に壊されてしまうのでしょう。




前方に中日ビルが見えます。
このビルもやがて、取り壊されます。




中日ビルに入りました。





エスカレーターの上の天井。
矢橋六郎の作のモザイクです。




名古屋城に来ました。
右は金シャチ横丁の宗春ゾーンです。




県民体育館に来ました。
県民体育館ですがドルフィンズアリーナと言う名になっています。




金シャチ横町の義直ゾーンへ来ました。




チンドン屋が興行中です。
箱の中の御神籤を取らせていました。それで、ミンナがワッと殺到しました。
私も1つ戴きました。中吉でした。




チンドン屋を正面から。
カメラ目線になっています。




名古屋市能楽堂のところで一旦、解散としました。
そして、ミンナが名古屋城へ入城すると言い、全員で入りました。





城内に入り、バラバラとなりました。
私は本丸御殿に入ります。




立派な襖が復原されています。




対面所の上段の間です。
京都の上加茂神社などが描かれています。



天井に照明器具が有りません。
目立たないようにコンセントが設けて有ります。




天守閣へ向かいます。




天守の中です。
疎開させていた襖や天井絵が展示して有ります。




天守閣からの眺め。
名古屋駅の方角です。
アソコから歩いてきました。



下の階へ下りてきました。
大きな金シャチが有ります。




城から外へ出てきました。
くノ一を見かけました。




こちらは武将隊です。




一緒に写真を撮る事ができました。
何か、話しをしています。

感想
日に日に替わっていく名古屋駅前。それに御園座も新しくなりました。反面、丸栄や中日ビルは近いうちに壊されます。また、名古屋城も木造となります。公開が終了する日が近付き、沢山の人が訪れていました。名古屋城を一目見る事が出来て良かったです。

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歴史勉強会 ヒストリー各務野会  小牧・長久手の戦い

2018年04月27日 23時11分06秒 | ヒストリー各務野会

今日は「小牧・長久手の戦い」が学習テーマです。講師は 田中 八隆(ヤツタカ)さんです。田中さんは元小学校の校長先生で、日進市史の民俗編を執筆された方であり、歴史に造詣の深い方です。
お話しのスタートはご自身の住んでおられる日進市の事からでした。かつては日進町で、人口が4~5万人だった町が24年を経過して9万人の規模の市に成長したと話されました。それに、若い人が住みたがる日本一の町、長久手市が隣接しているとかでした。
ご自身は日進市の岩崎にお住まいです。岩崎には岩崎城があります。小牧・長久手の戦いの際、羽柴方の武将池田恒興の別働隊が家康の本拠である岡崎へ進軍、 岩崎城代の丹羽氏重は、岩崎城付近を通過する池田軍に攻撃を加えました。 池田軍は岩崎城を攻撃して落城させたと言う、小牧・長久手の戦いの一端にも触れられました。




開始時間となり、お話を始められた田中先生。



先生から配られた今日の資料です。




ご自分で用意された紙片。
紙片に市名が書いてあり、合戦の位置関係の解説です。




小牧・長久手の戦いにかかわる人物。
羽柴秀吉。織田信雄、徳川家康の紙片を使っての解説です。




本能寺の変の後の清須会議や賤ケ岳の合戦。
時代背景の推移していく過程の解説です。

紙片に武将の名や市名が筆で書いて有ります。想像なのですが校長先生となると、児童の卒業証書の名を書かねばなりません。校長になる条件の内に、字が書けると言う事が有るのかも知れません。
先生の話を聞いていて、印象に残った言葉が有ります。一般的に関ケ原の合戦が天下分かれ目の戦いと言われているが、秀吉と家康が戦った小牧・長久手の戦いこそが天下分け目の戦いではなかろうか、と言う言葉です。
長い膠着期間。そう言う説に一理、あるかもしれません。


講義の終了後に渡された資料です。

ご自身が貰ってこられた日進市の広報誌です。岩崎城の戦いが解説して有ります。お話の後にこの資料を出されました。

最後に
各務原市は南側を愛知県と接しています。今日の講師は愛知県の日進市からでした。名鉄の豊田新線。地下鉄鶴舞線、そして犬山線を乗り継いでお越しいただきました。このように遠くから来れるようになったのも新しい鉄道が出来たからです。
条件が整えば、遠くから好い講師に来て貰える。こう言う点では、各務原市は恵まれていると思います。
田中先生にお越いただきました。実は、田中先生をAさんに紹介して貰いました。私、一宮友歩会に入っています。そして友歩会の仲間に話したら、田中先生を紹介して貰いました。そして、先生にお越戴くようお願いしました。人と人の繋がりが貴重であるし、嬉しく思います。

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歴史街道を歩く会 6月例会の下見

2018年04月26日 23時35分30秒 | 歴史街道を歩く会

歴史街道を歩く会の6月例会は三重県の伊賀市を歩く計画となっていて、リーダーを私が勤めます。本番前に歩くコースの下見に行って来ました。
伊賀市へはバスを使って出掛けます。
現地では、3館共通券を渡し自由に見学して貰う予定です。


着いた所が伊賀市役所の北側駐車場です。
あの、だんじり会館を目指します。



だんじり会館に向かいます。
前の二人。
忍者姿です。



だんじり会館のチケット売り場。
当日、ここでチケットを買い求めます。




だんじり会館の表。
ユニークな車が停まっています。





だんじり会館の北側。
伊賀地場産買物処。
ここに観光協会の事務局が有ります。




表の可愛い忍者。




城の北側へ来ました。




街の中を歩きます。




汚水か雨水か。
下水のマンホール。
忍者の絵柄です。





角に道標が有りました。




道標をアップで。
左 しがらき。右さなぐ、となっています。
佐那具と信楽を結ぶ旧街道です。
良く判りませんが、伊賀街道かも知れない。
ひょっとしたら家康が通った道かも知れない。




城の近くに来ました。




俳聖殿に入ります。




俳聖殿です。




こちらは忍者博物館です。




上野城まで来ました。




城の下には遠足か、小学生が来ています。




路面の忍者。

感想
アチコチで見る忍者。
伊賀市は忍者、一色と言う感じがしました。


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Kオジサンの家庭菜園日記  エンドウの収穫。

2018年04月25日 22時29分08秒 | 家庭菜園日記

昨年、12月に植えたエンドウが収穫できるようになりました。
絹さやエンドウ、ムラサキエンドウやスナックエンドウです。
絹さやとムラサキが混じって収穫できるのですが、絹さやとスナックだけにしておけば良かったと思っています。

絹さやが成っている状態です。




これだけの収穫。
日に寄って増減が有ります。



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Kオジサンの家庭菜園日記  伏見甘長と鷹の爪を植えました。

2018年04月23日 23時44分35秒 | 家庭菜園日記

伏見甘長と鷹の爪を植えました。
鷹の爪は3株。伏見甘長も3株。
それに甘とうを1株です。


買って来た苗です。




畝に植えた状態です。




ビニールで覆いました。

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近江路ドライブ  ヤンマーミュージアム、伊藤忠兵衛旧邸、豊会館  

2018年04月22日 23時00分08秒 | お出かけ

15年08月に或る会のウォークで、長浜へ行きました。その時にヤンマーミュージアムに寄りましたが、時間の関係から入館することは出来ませんでした。それで、何時か行きたいと思っていました。
また、中山道を歩いた時には伊藤忠兵衛旧邸、豊会館の前を通りました。時間の関係で、まだ開館していなかったり休館日であったりして、見ることが出来ませんでした。
そんな場所を訪ねてきました。

ヤンマーミュージアム

ヤンマーミュージアムの入口です。
池が有り、スチールの葉には、トンボのアート作品が留まっていました。




展示室の入口です。
入館券を買い、ここから入館します。




最初のコーナー。
エンジンシアターです。
迫力有るエンジンが映っています。




農業ゾーン。
トラクターやコンバインに体験試乗が出来ました。




こちらは、まちづくりゾーンです。
ミニショベルに体験試乗が出来ました。
ミニショベルを操作してボールすくいに挑戦してみました。
右手の操縦桿で+の字に動かします。12時の位置に持って行くと、バケットが上がり、6時の位置に持って行くと下がります。頭で考えるより、体で覚える。そんな形が望ましたのですが、簡単に行きませんでした。



ヤンマーの名前の由来。
創業者の名の「山岡」。トンボの王様、「オニヤンマ」。
ヤンマーに至る経過がわかりました。



1912年に山岡内燃機株式会社からスタートして今日に至る。
変遷過程がわかります。
ヤンマーは100年を越えました。


ものづくりゾーンです。
エンジンが出来るまでを紹介しています。
銑鉄、鋼材、平板からなるエンジン。出来ていく行程がわかります。



海洋ゾーンではプレジャーボートを操縦できるシュミレーターがありました。



2階から下を見下ろしました。
トラクターやプレジャーボートが見えます。



エンジンギャラリーで実物のエンジンが展示して有ります。
ガソリンエンジンとディーゼルエンジンの違いを紹介しています。



ガソリンエンジンはガソリンと空気を吸入して圧縮、爆発、排気を繰り返します。
ディゼルエンジンは軽油か重油を吸入し圧縮、爆発、排気します。




屋上に出ました。
ビオトープになっています。
池にメダカが居ました。



屋上展望台に上がりました。
長浜の街を見渡せます。




遠くに長浜城が臨めました。


山岡孫吉記念室

ミュージアム内の山岡孫吉記念室に入りました。
石に彫られた文。
山岡孫吉の生涯を紹介しています。



創業者 山岡孫吉の生涯を表した年譜です。
若い頃、大阪へ出て苦労して、ヤンマーの基礎を築きました。

この記念室。
世界初の小型横型水冷ディーゼルエンジンが展示してありました。
近代化産業化遺産の指定を受けていました。
子供の頃。井戸掘りの現場で見たヤツです。
この小さなエンジンがヤンマーのスタートの土台。そんな風に感じました。

道の駅 近江母の郷

お昼の時間となり、道の駅 近江母の郷に寄りました。
お食事処 母の郷で「おすすめ らんち」を食べました。




こちらは「物産交流館さざなみ」です。
土産ものや野菜が並んでいました。



表側で焼いた草餅を販売していました。

琵琶湖

道の駅 近江母の郷の西側。
琵琶湖の湖岸に出ました。
遠くに長浜の町。
そして、山本山が見えます。




上空をエンジン着きのパラグライダーが軽音を立てて、頭上を通過しました。



先人を偲ぶ館

豊郷町へ着て、先人を偲ぶ館に寄りましたが、休館日でした。



伊藤忠兵衛記念館

伊藤忠兵衛旧邸の入口です。




伊藤忠兵衛旧邸で戴いたパンフです。





旧邸に入りました。
店の間で帳場が有ります。




室内に入らせて貰いました。
伊藤家の系図と二代目伊藤忠平衛の紹介です。
実質的に二代目が今日の伊藤忠の基礎を築きました。



土蔵の中です。
初代と二代目の経歴が紹介して有ります。




当時では珍しかった外国製の洋食器です。
無造作に置いてありますが、美術品的な価値も有るのでしょう。



旧邸の庭に廻ってみました。
2階建ての立派な家屋です。




外から内部を覗いました。

ここは伊藤忠兵衛旧邸ですが、ここの東に「くれなゐ園」と言う小公園的な場所。ここには初代伊藤忠兵衛の肖像を彫ったレリーフが設置して有ります。



豊会館 又十屋敷

次に寄ったのが豊会館 又十屋敷です。






豊会館 又十屋敷のパンフです。




蝦夷屏風です。




こちらは展示室です。




藤野家は井伊直弼と交流があり、鎧を拝領したりしています。
4代目、藤野辰次郎は、北海道で官営の缶詰工場の払い下げうけから大規模な缶詰づくりに手を広げました。
時が経ち、藤野家が没落して、一時は役場になったりしていました。又十屋敷の復興に当たった役員たちのコレクション展示室も鎧、土器、火縄銃など様々な歴史的遺物が並んでいます。




豊会館の表に車石が有りました。
かつて大津から京への道で、牛馬車の運行のため布設されていたものです。
壱萬両及ぶ膨大な金額。
その一部を近江商人が持ちました。


感想
かつて、五個荘町の近江商人屋敷を訪ねた事が有ります。そして今回は豊郷町の伊藤忠兵衛記念館と豊会館を訪ねました。共通して言える事は近江商人の商才だと思います。

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濃尾・各務原地名文化研究会 4月定例講演会 ジオとして見た 濃尾平野と木曽川

2018年04月21日 23時30分10秒 | 濃尾・各務原地名文化研究会

濃尾・各務原地名文化研究会が主催する講演会に行って来ました。今回のタイトルは「ジオとして見た 濃尾平野と木曽川」で、講師は岐阜大学名誉教授の小井土由光さんでした。
各務原市中央図書館の多目的ホールで開かれました。


「ジオとして見た 濃尾平野と木曽川」のチラシです。



中央図書館の4階。
多目的ホールです。
これから講演が始まります。




今日、配布された資料です。




講演が始まりました。




登壇した小井土由光先生。




Geoとは地球や大地を現す接頭語だそうです。
ジオとパークが結びついてジオパークです。
大地の公園と言うべきか。山陰地方へ行った時、ジオパークと言うのを目にしました。
意味が判りました。




ジオから恩恵を受けますが、リスクも有ります。
その最たる例が水害です。下記のサイトで紹介しています。
ジオランドぎふ
http://www.geo-gifu.org/geoland/




揖斐川、長良川、木曽川を合わせて木曽三川と言いますが。流域面積、山間部の地形などの条件で木曽川が一番土砂を運びました。

それが濃尾平野の形成に結びつきました。



まとめです。
お囲い堤が有りましたが、堤防以外にも木曽川が岐阜県へ流れ込む条件が整っていました。


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Kオジサンの家庭菜園日記  トマトとナスを植えました。

2018年04月20日 23時52分08秒 | 家庭菜園日記

今日の午後、ナスとトマトの苗を植えました。
トマトが5株。ナスが3株です。


買って来たナスとトマトの苗です。
ナスは70円。トマトは85円が3株。それにサターンと言う種類が70円でした。



畑に植えた状態です。
収穫時期が楽しみです。

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彩美会  今日は絵の日でした。   

2018年04月20日 23時43分50秒 | 彩美会

今日は絵の日でした。
出席していて、こんなことを言われたのです。
「ラジオに出なかった」?です。
彼女は私がラジオで、クイズ「他人の二人」に出た時の放送を聞いた居たのです。
確か、Kさんの声だと思ったと話しました。

4月12日にラジオに出たのですが、「Kオジサン」の名で出ました。

実際、自分が出演したのですが、 へー。聞いている人が有るのだー、と言う気分がしました。
聞いて貰えて、嬉しい様な恥ずかしい様なヘンな気分でした。



今日。絵の教室の様子です。

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第16回 絵画四人展

2018年04月14日 21時10分50秒 | 絵画4人展

私が習っている水彩画の稲富先生が、仲間の人たちと絵の展覧会を開いています。
会場は各務原市の中央図書館。
会期は明日までです。




案内のハガキです。




先生と仲間達のプロフィールです。





展示室の会場内です。




稲富先生の作品。
鳴門大橋や松山城。竜串海岸に足摺岬。
四国シリーズと言った感じです。


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