Kオジサンの気の向くまま

日々のあれこれ・・・・・思いつくまま

歴史勉強会 ヒストリー各務野会 坊の塚古墳発掘調査報告

2021年01月08日 23時21分24秒 | ヒストリー各務野会

今日は第2金曜日の午後でヒストリー各務野会の有る日でした。講師は各務原市教育委員会埋蔵文化財センターの近藤美穂さんでした。近藤さんは坊の塚古墳の発掘調査に携わった人です。坊の塚古墳の発掘調査について講義を受けました。


今日の資料です。




開講前です。
お話の項目
1.各務原の古墳時代
2.坊の塚古墳について
3.発掘調査の成果
4.坊の塚古墳の復元
5.築造時期
6.坊の塚古墳のこれから




マイクを使い、話される近藤さん。




各務原の古墳の位置。
中央が各務原台地です。
台地には1か所も古墳が有りません。
台地の南端と北部丘陵地に散在しています。
先生の話では古墳の近くに生活の基盤が有ったのだろう言う事でした。これらの古墳の南側に木曽川が流れています。川から水をとったりして生活していたのだろう。この大地の中央辺りに縄文時代の炉畑遺跡が有りました。台地上から木曽川の近くに移って行ったのでしょう。(Kオジサン説)これだけ多くの古墳が有ったと言うことは、古代の各務原は生活し易かった場所なのだろう。




ドローンで見た坊の塚古墳。
東南に犬山の東之宮古墳が見えます。
木曽川の北に坊の塚古墳。そして南側に東之宮古墳が有ります。
古墳の時代が違うかもしれないが、川を挟んで対峙したのかも知れません。



坊の塚古墳の発掘調査位置図です。
当初は平成27年度だけの単年度の調査予定でしたが、28年29年30年。そして令和元年へと5年がかりの発掘調査になったそうです。




発掘の様子です。
表土を剥ぐと葺石が現れました。




墳丘断面模式図です。
墳丘は三段築成だった。
パワーポイントの文字は築成となっているが、このブログを書いていて「ちくせい」で変換したら「築盛」の文字となった。「成」は、なると言う意味であり、「盛」はもると言う意味で、この場合、土を盛って古墳を築造したのであり、「盛」を使用すべきではなかろうか。





方墳と円墳の連結部です。
下部に基底石が置かれ葺石が上に積み上げられています。




円墳の頭頂部です。
石室が有ったのだが盗掘されています。



上から見た石室です。
大きな蓋石が崩れ落ちていますが、石室の規模が想像できます。



古墳造営の年代です。




各務原の前方後円墳の大きさと、築かれた年代です。

前方後円墳を築造するには中央の許しが必要だった。
坊の塚古墳のような大規模の古墳が築かれたと言うことは強大な権力を持った人物が居ただろうと言う事でした。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

歴史勉強会 ヒストリー各務野会 「織田信長の東美濃攻略」と斎藤新五 ~その生涯を中心に~

2020年12月11日 23時37分01秒 | ヒストリー各務野会

今日は第2金曜日でヒストリー各務野会の有る日でした。講師は富加町役場総務課の山内正明さんでした。春の異動で総務課勤務となられたのですが、講師依頼をしました時は公民館勤務でした。演題が「織田信長の東美濃攻略」と斎藤新五 ~その生涯を中心に~となっていました。
尾張を平定した信長が美濃の攻略に乗り出した頃のお話でした。



講義の開始前です。
コロナ禍で有り、間隔を開けて座っています。
高年者の集まりで禿頭や白髪頭の人が多いです。




今日の講師。
山内正明さんです。



今日の資料と関市、富加町、美濃加茂市と坂祝町に渡る地図です。



関城、加治田城、堂洞城の位置関係を示します。




講義を進める山内先生。



今日の資料。
斎藤新五の生涯です。
斎藤新五は又の名で斎藤利治と言う名でした。
斎藤利治 - Wikipedia

斎藤道三の末子といわれる。通称は新五郎、新五。いみなは、長龍長竜利興ともいわれるが、『竜福寺文書』『宇津江文書』によれば利治が正しいとされる。と書かれています。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

歴史勉強会 ヒストリー各務野会   墓碑銘で見る尾張藩附家老竹腰氏と今尾藩

2020年11月27日 23時38分19秒 | ヒストリー各務野会

今日のヒストリー各務野会は中西達治先生の講義で「墓碑銘で見る尾張藩附家老竹腰氏と今尾藩」言うお話でした。
ウィッキペディアには附家老とは将軍から直接の命令を受けてその者のに附属された家臣のことをいう、と書かれています。徳川御三家の筆頭附家老5家が特に知られています。
尾張藩には竹腰(タケノコシ)氏と成瀬氏の両家が附家老職を勤めていましたが、竹腰(タケノコシ)氏のお話です。
墓碑の拓本を参考にしたりして説明が有りました。



開講前です。




パワーポイントで今日の講義のタイトルが映し出されました。



今日の資料です。



竹腰家の成立。
お亀の方が家康の側室となり、義直を生みました。



お亀の方の肖像画です。



竹腰正美(マサヨシ)の碑。



竹腰正美の碑。



竹腰正美の碑の拓本。


竹腰正美の碑。




竹腰正美の碑の碑文。
漢文の読みとなっていて、下段がその読み方です。



幕末の時期。
水戸の浪士、天狗党の事についても触れています。



まとめ。


最後に
竹腰家が附家老でありながら藩主の徳川慶勝から疎んじられていたが、碑文の評価は異なるという事です。
もし、碑を見ても漢文の羅列で読めません。
このような資料にして、解説して貰えたのは有り難いことです。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

歴史勉強会 ヒストリー各務野会   中山道今須宿と妙応寺・山中宿

2020年11月13日 23時44分55秒 | ヒストリー各務野会

今日、ヒストリー各務野会が有りました。講師は中山春義さんでした。


開講前です。



今日の講師。
古城研究家の中山春義さん。
ご自身、各地の古城を訪ねておられます。



今日の資料。
中山道の今須宿辺り。





ご自身が歩いた時に撮影してきたスライドの上映です。
岐阜と滋賀の県境の場面です。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

歴史勉強会 ヒストリー各務野会   織田信長の美濃侵攻 

2020年10月23日 23時03分51秒 | ヒストリー各務野会

今日、ヒストリー各務野会が有りました。講師は後藤正敏さんでした。
タイトルは織田信長の美濃侵攻でした。尾張に居た織田信長が美濃へ侵攻を図ろうとしました。それに対応するように美濃の東部、堂洞の岸勘解由、関の長井隼人、加治田の佐藤紀伊守の三者が同盟を結びました。そんな三者の仲を裂くように密偵が暗躍しました。そのため三者同盟が崩れてしまいます。
仲違いを図る。それを内応と言うとのお話でした。


これから講義が始まるところです。



後藤先生。



パワーポイントを使って。



堂洞城跡の碑です。



今日の講義の資料です。


武力を使わず3人の仲を裂く。
卑怯なやり方ですが、悪知恵に長けた戦法です。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

歴史勉強会 ヒストリー各務野会   尾張地方の城跡  

2020年10月09日 23時31分20秒 | ヒストリー各務野会

今日、ヒストリー各務野会の学習がありました。講義の議題は尾張地方の城跡でした。講師は城郭研究家の丸井国治さんです。タイトルは尾張地方の城跡となっていますが、桶狭間の合戦に纏わる話。それに、その当時の城と砦の話でした。


講義の開始前。
桶狭間の地形をホワイトボードに描く講師。



当時はどのような状況だったのか。
解説する講師。




本日の資料です。
桶狭間の合戦の時間的推移が書かれています。



大正9年の地図です。
織田軍と今川軍の動き。
城や砦の位置が分かります。


最後に
お話で時間の推移、そして、両軍の動きが分かりました。
今日のお話で出てきた地名に中島砦と言う所が有ります。このナカシマ砦、一宮友歩会の例会で歩いた時に寄りました。こうして話に出てきた場所と自分が行って来た場所が合致することが面白いです。

一宮友歩会の第56回例会で緑区鳴海を歩きました。
その時に中島砦に寄りました。
この砦、民地の中にポツンとありました。
アノ時、見て来た場所が講義の中で出てきたところと結びつくことが面白いです。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

歴史勉強会 ヒストリー各務野会    奇跡的な遭遇と因果  

2020年09月25日 23時11分13秒 | ヒストリー各務野会

今日、ヒストリー各務野会の学習がありました。講義の議題は奇跡的な遭遇と因果です。講師は鹿野勘次さんで、かつては高校の先生をしていた方です。



講義をされる鹿野先生。




講義の内容です。
奇跡的な遭遇。
笠を買った時、福引で旅行が当たった。
滅多にないこと。
その当たりをお父さんにあげたのだそうです。




巨大地震の可能性です。



災害に遭遇する確率です。



起用の資料です。




珍しい事象。
虹との遭遇です。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

歴史勉強会 ヒストリー各務野会  『大寶弐年御野国戸籍』を読む  その2

2020年09月11日 23時00分19秒 | ヒストリー各務野会

今回も大塚先生の講義でテーマは『大寶弐年御野国戸籍』を読むの2回目です。



これから講義が始まります。



前回と同じ資料です。




九等戸とはランク付けみたいなものです。
中上戸。
中中戸。
中下戸。
下上戸。
下中戸。
下下戸という風に9つの区分です。

年代による区分です。
老 66
欠丁 60~65
正丁 21~60
少丁 17~20
小丁 6~16
丁と言うのは男性の意味です。













コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

歴史勉強会 ヒストリー各務野会  『大寶弐年御野国戸籍』を読む

2020年08月28日 23時41分05秒 | ヒストリー各務野会

今回のテーマは『大寶弐年御野国戸籍』を読む です。講師は大塚 章先生です。先生は高校の教員でした。今は岐阜高専で教えているそうでした。
律令国家が形成されていく過程です。
大寶と言う元号。701年から704年までの期間を指すます。この時代の天皇は文武天皇でした。そんな時代の庶民の戸籍についてです。


講義を始めた大塚先生です。



白板を使っての説明です。




今回の資料。



岐阜県史をもとにした資料です。
山方郡三井田里戸籍です。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

歴史勉強会 ヒストリー各務野会  日本の伝統文化(君が代、いろはうた等について)

2020年07月10日 23時39分00秒 | ヒストリー各務野会

今日は久しぶりにヒストリー各務野会が有りました。
例のコロナウイルス禍でお休みが続き今年1月以来の開催となりました。
今回は日本の伝統文化(君が代、いろはうた等について)と言うタイトルで講師は岐阜三田高校の校長で退職された岩田行夫さんでした。


講義を始めた岩田先生。



黒板を使ってのお話です。

君が代。   君が代の意味を知らない日本人が多い。
古今和歌集。   (余情余韻) 続いて欲しい。
               永く生きて欲しい。
ダイレクトな物の言い方はされませんでしたが、天皇を指すのだと話されました。

いろはにほへと。
色は匂えども   誰が常であろうか。
散りぬるを   有為の奥山。
我が世。    今日越えて
        浅き夢見じ

南無阿弥陀仏
南無妙法連華経  南無は帰依を表す。  春祭予視。
                    秋祭感謝。
47文字を使って 滑らかな歌。
        怨恨を持った歌。
蛍の光 → 軍歌的要素を含む。
言霊信仰。   句読点。   祝い事  弔い事には使わない。
                    
                          等々の話しが有りました。




今日の資料です。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする