きっかけは下の新聞記事です。
1月16日付けの毎日新聞です。この記事を見て、瑞浪市の稲津公民館に行って来ました。フォークビレッジが開かれるのは13日と14日ですが、唄の練習をしていまして、見学させて貰いました。
それに、廊下に展示して有る、懐かしいレコードジャケットも拝見させて貰いました。
1月16日付けの毎日新聞です。
コミニティセンターと合築した稲津公民館です。
13日が前夜祭で14日は本番となります。
既に、どのような曲が唄われるのか、リストが作られています。
公民館に付くと、ホールから歌が聞こえましたので、室内にお邪魔しました。
女性のボーカルです。
この時、唄っていたのは「恋する夏の日」。天地真理の曲です。
次に、若い女性に交代しました。
こちらのボーカル。
唄ったのは「私の青い鳥」です。
自由に試聴できるようになっていたのでしょうか。
誰も居ない場所でして、手で触れるの控えました。
フォークビレッジの小旗です。
明日のジョー。
好きなヒトには垂涎の的ではないかと思います。
廊下の両側にレコードジャケットが展示して有ります。
並べられたジャケット。
懐かしい曲が並んでいます。
グループサウンドの曲もあります。
アップで。
こちらの写真は昨年の模様を貼ったもののようです。
受付を努める若い女の子たち。
市民による手づくりイベントだという事が伝わってきます。
こちらは演奏風景です。
公民館に着くと、ホールの中から、女性ボーカルの歌が聞こえました。
自分たちで歌を楽しんでいる。そのように見えたのです。
唄は古くなっても、その時代時代を表します。
あの頃に振り返る。
唄っている様子を見て、青春を楽しんでいるように見えました。
各務原市の中央図書館3階で、今日までの会期で版画の展覧会が開かれていました。見に行って来ました。普通の絵画とは異なった趣き有る絵が展示して有りました。
展覧会の案内チラシです。
展示室。その1。
展示室。その2です。
こちらは指導している先生、牧野光陽氏の作品です。
タイトルは「終着駅」となっています。
長良川鉄道の終着駅。北濃駅ではないかと思いました。
栗原義則氏の作品。「そよかぜと」言うタイトルです。
暖簾が風になびいています。
店の名はいち川となっていますが、この場所は恵那市の大井宿の料理屋さんです。昨年、12月に大井宿を歩きましてこの店の前を通りました。この絵を見た時、あの店だと思ったのです。右の写真はその、歩いた時に撮影したものです。
個性が有る干支の年賀状です。
機械的な年賀状が多い昨今です。
このような手作りの年賀状を貰うと嬉しいです。
製作行程のその1.
版画を作成する行程を説明しています。
絵をトレースで写し取り、板を彫って、進めていきます。
制作行程のその2です。
絵を完成させるのに、摺りのテクニックも関係してきます。
どうしても、ステンドグラスが映ってしまいます。
1刷2刷と摺る行程が進んでいきます。浮世絵と方法が異なっても、基本は一緒なのではないかと想像します。それに、浮世絵は絵を書く人、版木を彫る人、摺る人と分業制になっていたと思います。
思い通りの絵が出来て喜び、思惑が外れて落胆する。それが版画を制作する面白さなのかもしれません。
私の住む町。
八幡神社の境内に消防団の小屋が有ります。小屋が古くなり、同じ境内で、新築されました。長いこと工事をやっていたのですが、ようやく引越しの運びとなりました。消防団員が歳末の警戒に当たってくれたりしていましたが、今までのは、トイレが無く、隣の中学校のを使っていました。新しい小屋なら、当然トイレが付いているとは思います。
たまたま、通りかかったのです。
消防団員が集まっています。
帰り、前を通りかかりました。
引越しで、ホースのノズルとホースを運びます。
アップで。
全ての物を持ち出します。
今日、河川環境楽園へ行って来ました。
堤防から新型輸送機、C-Xが飛ぶのが見えました。
前方は東海北陸自動車道で、その向こうに観覧車が見えます。
堤防から新型輸送機、C-Xが離陸していくのが見えます。
旋回しました。
こちらに向かってきます。
頭上へ来ました。
上のショットから、このショットを構えるまでの瞬間でした。
車輪を出していました。
アッと言う間で、車輪を出しました。
飛び去りました。
木曽川水園の改修工事を遣っています。
岩の背面に発泡ウレタンを注入すると有ります。
工事現場です。
フクジュソウが咲き始めています。
咲き始めたフクジュソウ。
セグロセキレイ。
木曽川水園の水を抜き、清掃しています。
飛来しているカモ。
コガモと言う種類です。
セキレイ。
今日は歴史街道を歩く会の総会の日でした。
歴史街道を歩く会が発足して10年の歳月を経ました。各地の街道を歩いて来ましたが、各地を歩き尽くした。会員が高齢化してきた等の事から、この先の活動をどのように進めていくかと、話し合いを持ちました。
歴史街道を歩く会の総会です。
今後、いかに進めて行くかの話し合いです。
発足して、10年を経過しまして、これまでの活動記録をどのように残していくかを話し合いました。記録誌として発行する場合、僅かな部数ですが、多額な金額となります。とりあえず、結論として出たのは会員にDVDを配布するということです。そして、ペーパーで欲しいと言う人は自己負担でとなりました。10年と言う歳月。120ページ余りとなるそうです。
歴史街道を歩く会の10年の足跡です。
会議を終え、思い出の残る写真に眼を走らせます。
瀬田の唐橋や万治の石仏。私はこの頃は参加していませんが、各地の写真が貼られています。
総会の後は、8階のブルースカイで、バイキングの昼食です。
土曜日と有って、家族連れなどで満席でした。
久し振りに、一緒に呑もうということになり、今夜おじさんたち、4人が集まりました。
会場は各務原ピアゴの西側。
菜づなと言う居酒屋です。
菜づなの暖簾をくぐります。
こちらは店内。
カウンターと桟敷席が有ります。桟敷席は私たちが4人。もう1つは予約席で8人グループでした。
4人が集まりました。
まずはビールです。
ジョッキは冷やして有りましたが、ビールが凍るほどで冷やしすぎでした。
刺身に白子やハマグリの向付け。白身やイカが乗っていましたが、タコが柔らかく美味しかったです。
ホタルイカの酢味噌和えです。
左は天ぷらとエビしんじようの餡かけ。右は牛肉の薄き切り、掛かっているソースの味が良かったです。雑炊なのですが、何雑炊なのか、聞き損ないました。
久し振りに遇いました。
色々と話が弾みます。
呑み放題でして、充分にいただけました。
今日は第4金曜日でヒストリー各務野会がある日でした。
今回はのテーマは「裁断橋物語:堀尾金助とその母」です。講師は中日文化センターで、講師としてご活躍の中山春義氏です。初めに講義の要旨を話され、後半はスライドを使って解説されました。
こちらの建物がヒストリー各務野会の活動拠点としている、緑苑コミニティセンターです。緑苑団地の中の学習の拠点となっている施設です。
老若男女の学習拠点と言うと聞こえが良いですが、男女が使用して居ますが、若い人の利用は少ないと思います。団地が出来て歳月が経ち、この団地も高齢化を迎えています。
コーラスやヨガ。フォークダンスに、私たちの歴史学習会。
フルに使われています。
講義が始まる前の時間です。
講師の講義が始まるところです。
今日の話は、裁断橋物語:堀尾金助とその母です。堀尾金助が天正18年の小田原征伐に出陣して、戻らなかったのです。帰らなかった我子を追慕し、旅人に息子の供養を願い、熱田裁断橋を架けた母の愛情。何時の世も子を思う母の愛情は変わらないと言う話しでした。
講義では堀尾氏の系図を下に解説されましたが、詳細は省略します。
そして、1時間の話が過ぎ休憩となりました。
再開後はスライドを使用してのお話です。
背部分に文字が有ります。
本のカバーでしょう。
裁断橋の絵画がスライドで写されました。
こちらは大正の頃まで残っていた裁断橋です。
そして、これが今の裁断橋跡の様子です。
川が無くなり、橋の様子だけが窺い知る事が出来ます。
そしてこの後も、解説が続いていきました。
12.12.01ウオーキング
話を聞いていて、思い出した事が有ります。
熱田裁断橋の現地へ12年12月01日に一宮友歩会で歩きました。その時は神宮前駅をスタートして歩き始め、裁断橋跡に寄っていました。現地に寄っても、ピンと来なかったのです。
当日、ウオーキングしたコース地図の一部分です。
裁断橋跡に設置してあった説明看板です。
裁断橋跡の説明板と橋の擬宝珠です。
今日の講義を受け、あの時に寄った橋が裁断橋跡だったのだという気分です。あの時はそれ程深く捉えていませんでした。
08.04.06にウオーキングで大口町の裁断橋へ
08.04.06にウオーキングで、犬山市の楽田から岩倉市まで五条川沿いを桜を眺めながら歩きました。その時は立派な橋が有るなという程度の印象でした。
この橋の向こう側は公園になっていました。
五条川に架かる裁断橋です。
弧を描き、美しい橋です。
今日の堀尾金助の母が子を思うと言う話を聞き、あのウオーキングした時の事を思い出しました。ウオーキングの時は気に留めませんでしたが、このように講義で話を聞いて、見て来た裁断橋と関連付けて思考する事が出来ました。
オーバーに言えば、今日の事が無かったら思い出すことの無い事柄です。熱田裁断橋と大口町の裁断橋を関連付けて思考する事が有りませんでした。大口の裁断橋の記憶は五条川に立派な木製の橋が架かっていた程度で橋の名も詳細には掴んでいませんでした。
熱田の裁断橋跡。大口町の復元された木製の裁断橋。
話を聴いて、このように関連付けて思考できるのが、歴史を学ぶ上で、面白いことです。
小銭が在り、買ったのがブラジル・ボンドです。
5年余りに渡って、持っていました。所持した時は、1口当たりが1万円以上していましたが、遂には5、000円を割って4千円代に突入してしまいました。それで、手放しました。
信託銀行です。
ここに向かいました。
対応してくれた女性のカウンターデスクです。
席を離れた時にシャッターを切りました。
累積投資と言う形。利息を元金に含んでいく形です。いわゆる雪だるま方式を選択しました。従って段々、口数が増加して行きましたが、元金が下落して最初の金額よりも大幅に低下してしまいました。ブラジルの債権でして、オリンピックの開催に合わせて向上していくかと思っていたのですが、思惑が外れました。
全くの素人ですので、ダメでした。日々、新聞の経済欄に眼を通し、先行を見るべきだったのでしょう。
名古屋市緑区の緑文化小劇場で「望郷の鐘 ー 満蒙開拓団の落日」が上映されました。この作品は中国残留孤児の帰還に尽力した僧であり、教師であった山本慈昭氏の生涯を描いたものです。
会場である緑文化小劇場です。JAみどりと隣合っています。
表は駐車場となっています。少し速く着く事が出来、楽に停める事が出来ました。
会場の受付です。
お金を払い、当日券を買い求めました。
ここがホールです。
450席のホールだと言っていました。このホールが満席になりました。
満蒙開拓平和記念館と入口に貼られていた「望郷の鐘」のポスターです。
昨年、6月に阿智村の記念館を訪ねました。その時に、機会が有ったら、「望郷の鐘」を見てみたいと思ったのです。
http://blog.goo.ne.jp/gifu2212/e/987cc6ee64dcd83b83e284c36ff1ff7c
「望郷の鐘 ー 満蒙開拓団の落日」のパンフです。
昭和20年の5月に教師として満州に渡り、8月9日のソ連参戦で妻子を失い、ご自身もシベリヤ抑留を体験して帰国し、旧満州に残された残留孤児、残留婦人の救出に生涯をささげた山本慈昭氏の物語です。
ソ連参戦で、旧満州からの脱出。言葉では表せないご苦労がが有った事と思います。冬子さんと秋子さん。二人の娘さんですが、どちらだったか、片一方の娘さんに再開する事が出来ました。
最後に
このような資料を貰いました。
会場の前では、黄色い幟旗が立っていました。年金者組合と有りました。場内では原発反対の署名をお願いしますと、大きな声で叫んでいた。
純粋に望郷の鐘を見たいと思って来たのだが、政党色を感じてしまいました。