blog 福祉農園通信・龍神伝心

アジアモンスーンに吹かれて
共生の農業
見沼田んぼ福祉農園 

2011年7月29日 農園協議会

2011-07-31 | 農作業

今夜は農園協議会。石井君が、
農園において如何に放射能汚染を考えるか
レクチャーをしてくれた。そこに参加した人の感想。
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 今日の石井君の話は、詳しいことは、
わからないけれど。でも、おもしろかった。
なんでおもしろかったんだろうって、帰りの車の中で考えた。
たぶん、放射能が手に届いた気がしたんだ。

Tさんが、
騎西高校の避難所生活をしている人たちとたばこをすいながら立ち話をしたときに、
「放射能に色がついていたらよかったのにね」と言ったら
「いいこと言うね、ほんとうにそうなんだよ」って言われたんだって。
なんだか、そんな感じがしたんだよ。

今までは、目に見えない放射能の話が自分たちの生活の延長線上に、
しっかりと見えて気がした。
怖さとか、不安とか、そんなものがなくなるわけではないけれど、
でも、逃げるのでもなく、何もしないのでもなく、
放射能とともに生きていく一つの形が、あるって思わせてくれた気がした。
それは、まだ介助者なんていう言葉が当たり前ではないし、そんな職業もないし。
そんなときの、どうしていいかわからないけれど、
日々の小さな積み重ねをしていくしかない。
襲われそうな、
どうしていいかわからない感の中のときおりの楽しいことや笑いや暮らしがあって・・。
なんだか、それに似た感覚を、今日持てたような気がしたんだよね。
障害とともに生きる、差別とともにいる、障害を持つ人とともにいる。

それは、「同等である」とかではなく、違ったままに一緒にいて、
それぞれに感じあい、よくわからないまま、それでも一緒に向かっていく・・・。
そんな感覚かな。
 放射能が、ちょっと私の生活の延長に見えて、
身近に感じたよ、今日の石井君の話は。
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 放射能に汚染されてしまった現在の状況において必要なのは、
放出された放射能をもはや否応なく
「僕らの日常世界」を構成するものの一部になってしまったことを認めたうえで、
それを如何に可視化し、向き合うことを可能にするのか、そのための知が求められている。
ガイガーカウンターで表示される数字としてだけではなく。byこっぺ
晴耕雨読人類往来記: ミツバチの羽音が、聴こえなくなった後で


サバイバルキャンプ2011 「生きる、つながる、生きる」

2011-07-31 | 共生社会のデザイン



今年度のテーマ
サバイバルキャンプ2011 「生きる、つながる、生きる
サバイバルキャンプ2011 実行委員長 松本 南美
●テーマ設定の理由
2011.3.11 東日本大震災が発生し、
いままで当たり前だったあらゆるものが覆されました。

 

震災発生時、誰も正しい方法がわからず
当たり前に使えていた機能はストップしました。
一方で、あらゆる情報があふれ、どのように判断し、
行動するかが大きく問われました。
また、同時に原発事故も起こり、
これからのエネルギーや放射能汚染による食べ物に関することが大きな問題となっています。
震災時に強く感じたのは、いざという時に自分で判断できる能力とつながりの大切さです。

あの混乱した中で頼りになったのは、
今まで築いてきた人との関係(=つながり)だったとわたしは思います。
 農園は、水道もガスも電気もない不便なように思える場所であるが、
自分たちで食物を作ったり、火をおこしたり、考えながら活動し、
生きていることを実感できる場所でもあります。
 しかし、自分で判断して動かなければ、
なにもできないままなかなか本当の魅力をみつけることができません。
そして、農園ではたくさんの人とのつながりがあります。

1つめは、風の学校でのつながりです。
休日を中心にさまざまな人がともに汗をかき、作業をしています。
ふだんの生活ではなかなかで聞くことのないお互いの考えを話し、
意見を言い合いながら、支えあえる関係を築いています。
また、学生時代にはよく作業をしていた農業者大学校のOBの
若手農家の方々や社会人の方々とも、
風の学校があるからこそつながってて、お互いに手伝いにいったり、
技術を教えていただいたりという関係があります。
今回の震災後、原発についての勉強会を行ったり、
震災時の様子や被災地のことを話し合いを行ったりしてきました。


2つめは、福祉農園のつながりです。
福祉農園は、複数の障害者団体、風の学校、
浦和北ロータリークラブといった組織で構成されています。
それぞれが連携をとりながら、福祉農園は成り立っています。
多くの団体が関わっているからこそ
それぞれが責任をもって活動をしていかなければなりません。
しかし、現在風の学校スタッフで平日の活動に関われる人は少なく、
なかなか互いの活動についてなかなかわからないという面があります。
 

3つめは地域とのつながりです。
近隣で工場を営みながら農業もしている厚澤さんは、
サバキャンの時にはいつもお風呂を貸してくださいます。
ただ貸す借りるという関係ではなく、毎回いろいろな話をします。
今のお仕事の様子や昔の仕事の忘れられないエピソード、
厚澤さんが子どもの頃の見沼がきれいだったという話、
いま私たちが農園で作っている野菜の話、
大学で勉強していることや就職のことなどさまざまです。
こんなに歳が離れている人と話し意見をきくことはなかなかないことだし、
昔からの知恵や経験を話してくださるのでとても勉強になります。
また、昨年のサバキャンでは
厚澤さんと浅子さんの畑で手伝いをさせていただきました。
作業中や休憩の時の話もさることながら、
となりで長年の経験で培ってきた業を目で見て学ぶことができたのはとても刺激的でした。
このように年齢層も、
育ってきた環境も違う人々とのつながりのある農園という現場では、
さまざまな人と共に活動することでつながりが広がっていきます。
 農園と関わりをもって生きることで、さまざまな人と出会い、
そのつながりの中で生きていくことで視野が広がって、
また新しい出会いや関係性がうまれていく。
この農園のつながりの強さ、
広さの大切さを震災を経て改めて感じることができました。

今回のサバキャンでは、
このつながりの中に新しい人も巻き込みながら、
さまざまな人とのつながりを再認識し、
自分たちひとりひとりが農園という場所と関係をもちながら、
これからどのように生きていくか考えていきたいと思います。
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