自在コラム

⇒ 日常で観察したことや環境問題、金沢大学での見聞、マスメディアとインターネットについての考察を紹介する宇野文夫のコラム

★その後の「南極物語」

2006年05月31日 | ⇒トピック往来

  動物はどちらかというと苦手で、犬は飼ったことがない。しかし、犬をテーマに映画では2度涙を流した。「ハチ公物語」(神山征二郎監督)と「南極物語」(蔵原惟繕監督)だ。南極物語はことし2月に、ディズニーが登場人物をアメリカ人に差し替え、「Eight Below」(直訳すれば「華氏8度以下」)というタイトルでリメイクした。どうも、この種の映画は日本だけではなく、万国共通して涙腺を緩ませるらしい。

  物語をおさらいしておこう。1958年(昭和33年)2月、先発の南極地域観測隊第一次越冬隊と交代するため海上保安庁観測船「宗谷」で南極大陸へ赴いた第二次越冬隊が、長期にわたる悪天候のため南極への上陸・越冬を断念した。その撤退の過程で第一次越冬隊のカラフト犬15頭を首輪と鎖でつないだまま無人の昭和基地に置き去りにせざるを得なくなった。極寒の地に取り残された15頭の犬がたどる運命や、犬係の越冬隊員の苦悩が交錯する。そして1年後、たくましく生き抜いた兄弟犬のタロとジロ、再び志願してやってきた越冬隊員が再会をする。余韻を語らず、この再会のシーンでバッサリと物語が終わるのでなおさら感動が残る。実話に基づいた作品。犬係の越冬隊員を演じる言葉少ない高倉健の存在感が全体の流れを締めている。

  ドキュメンタリー・タッチで描いた動物映画だが、蔵原監督が映画の中心に据えたかったテーマは一つだろう。置き去りにすると分かった時点で人間の責任として薬殺すべきだったのか、どうかの問いかけである。映画の中で、外国人の女性記者がマイクを向けて、「生きながらに殺す、残酷なことだと思いませんか」と元の飼主にお詫びにまわる犬係の潮田隊員(高倉健)に迫るシーンがそれである。これは重いテーマだ。

   ところで、映画では感動の再会のシーンで終わっているが、タロとジロのその後の運命である。タロとジロは、そのまま第3次越冬隊とともに再度任務についた。が、1960年(昭和35年)7月にジロが南極で死亡、翌年に帰国したタロは1970年(昭和45年)8月に北海道大学農学部付属植物園で死亡する。ともに南極観測犬の貴重な資料としてはく製にされ、タロは北海道大学農学部博物館(札幌)に、ジロは国立科学博物館(東京・上野)で展示されている。離れ離れになっているタロとジロをいっしょにさせてやりたいという運動が北海道・稚内市で起こり、平成10年に同市の市制施行50年を記念する行事として一時的ながら2頭そろって「稚内への里帰り」が実現した。その後もタロとジロは極寒で生き抜いた英雄として日本人の心の中で生き続けている。

                    ◇

 金沢大学は6月17日(土)午後1時から自然科学系図書館で「南極教室」を開く。金沢大学助手で越冬隊員の尾崎光紀氏にテレビ電話で結んで生活の様子などの話を聞く。(写真は南極のオーロラ=提供:尾崎光紀氏)

 ⇒31日(夜)金沢の天気   はれ

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☆ブログの技術-24-

2006年05月28日 | ⇒ノウハウ検証

 ブログを綴るには視点の多様性が必要である。一つの視点で「こだわり」を見せる手法もないわではない。しかし、これだと長続きしない。今回のテーマは身の回りで気がついたことを自分なりに検証する方法の書き方のヒントである。ボーダフォンの新機種を例に実際に手にとった感想を書く。

          テーマ「自ら検証し、実感する」

  「自在コラム」のことし3月19日付では、ソフトバンクが携帯電話3位のボーダフォン日本法人を1.7兆円で買収すると表明したニュースを受けて、ソフトバンクの戦略を自分なりに推測した。それは、「通信のオールインワンサービス化」ではないか。つまり、ADSL事業に加え、日本テレコム買収(2004年)によって入手した光ネットワークインフラ、そして携帯電話事業、これらをひとまとめにして定額でいくら、といったビジネス展開だ。

  そのオールインワンサービス化への大きなステップが5月27日付で新聞各紙に掲載されたボーダフォンのワンセグ放送対応機の全面広告だろう、と私は見る。少々説明が必要だ。この広告はシャープの液晶テレビ技術を取り入れた「アクオスケータイ」をボーダフォンのワンセグ放送対応機の中心に据えると表明したものだ。携帯電話のテレビ化戦略を鮮明にすることで得られるもの、これはすでにヤフーBBなどパソコンで実現している映像コンテンツへの誘導である。「PCからもケータイからもヤフー動画が閲覧できる、定額で月いくら」というのが次なるステップだろう。

  こうしたソフトバンク・ボーダフォンの戦略を一応頭に置いて、新発売されたアクオスケータイの使い勝手はどのようなものか検証するため、金沢市内の家電量販店に出かけた。残念ながらデモ機はまだ届いていない。その代わり、サンプル機があった。私の関心はどのようにしたらこの2.6インチのディスプレイが90度に回転するのかという点だ。

  店員に聞くと、この回転はこれまでにない新しい構造で「サイクロイドスタイル」というそうだ。実際に上の写真のように、ディスプレイの左下を押し上げる感じで回す。回転が実に軽くスムーズである。この回転で自動的にテレビのスイッチが入る。最大で5時間20分の録画が可能という。また、テレビを見ながら電話やメールもできる。サンプル機なので、重さが実感として分からなかった。

  実際に画面を見ることができなかったのだが、画質面では新開発のカラーフィルターを使って屋外でも鮮明な画像が見ることができるというのが売りだ。この店の店頭価格は23940円だった。「機種変更による価格のサービスには対応していない」との注釈も。

  実感とすれば面白い機種との印象だ。これだけでも随分と収穫があった。新聞広告を見ただけでは理解できない。はやり自分の手で使い勝手を感じ取るしかない。そして店員に聞くことだ。オールインワン化の見通しなどについては、5月30日にボーダフォンの決算発表があるので、孫正義社長のコメントをメモ(あるいは切り抜き)しておくものよい。

 ⇒28日(日)夜・金沢の天気   くもり 

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★「地球8分の1」の実感

2006年05月27日 | ⇒トピック往来

  「人生七掛け、地球八分の一」とよく言われる。それだけ、人生は長く、地球は小さくなったという意味だが、今回は「地球八分の一」が実感できるような話だ。

  第47次南極観測隊に加わっている尾崎光紀隊員(金沢大学助手)と26日、テレビ電話で話しする機会があった。6月17日に開催する「南極教室」のための接続テスト、つまり金沢大学と南極の昭和基地を実際につないでテレビ電話がうまくいくかどうかのテストである。

  南極と日本は遠い。では実際にどのような回線ルートでつながっているのかというと。南極の昭和基地からのデータは電波信号にして、太平洋をカバーしている通信衛星「インテルサット」を介して、山口県の受信施設に送られる。山口から東京の国立極地研究所は光ファイバーでデータが送られ、さらに金沢大学に届くという訳だ。それを双方向で結ぶとテレビ電話になる。

  尾崎隊員の話では、南極は本格的な冬に入るころだ。マイナス20度の寒気の中を観測に出かける。上の写真は、昭和基地の外に通じる扉だ。ブリザードが続いた翌日、その扉を開けるとご覧の通り(写真下)、外はびっしりと雪で埋まっている。でも、基地の中は快適で、しかも3度の食事がきちんと食べることができ、「14㌔も太った」とか。

  こんな対話を南極と日本でリアルタイムで交わすことができるようになったのだ。当日は、基地の中での生活、観測の様子など紹介してもらうことになっている。(写真提供:尾崎光紀隊員)

⇒27日(土)夜・金沢の天気   あめ

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☆ウォールストリート最大の失敗

2006年05月26日 | ⇒ランダム書評

  アメリカ史上最大の合併といわれ、ウォールストリート最大の失敗に終わったAOLとタイムワーナー社との合併劇の結末を描いたルポルタージュ「虚妄の帝国の終焉」(アレック・クライン著、ディスカヴァー・トゥエンティワン社刊)を先日読み終えた。その感想を多くの経済誌や専門誌が評論しているが、失敗に終わった合併劇の報告書という観点から冷静に見つめれば、ワシントン・ポストの「スピード違反をしていたのは誰か、居眠り運転をしていたのは誰か、サイレンの音が近付く中、逃走したのは誰か…アレック・クラインの語り口は鮮やかだ」と交通事故にたとえた書評が一番的確に思える。

   ルポルタージュは小説ではない。ノンフィクション、つまり事実の積み上げである。交通事故にもフィクションは一片もない。警察官が両者からその原因を丹念に事情を聴取すれば、その事故は起こるべくして起きた事故なのである。

  2000年1月にAOLのスティーブ・ケースとタイムワーナーのジェリー・レビンが合併をぶち上げた。01年1月にようやく政府から合併が承認され、AOLタイムワーナーとなったものの、AOL側で広告収入のうち1億9000万㌦を不適切に処理してしていたことが発覚。この過程でAOL側の最高幹部が次々と辞職を余儀なくされ、そして03年1月にスティーブ・ケースも会長職を辞任する。隆盛を誇ったオランイン事業は1部門に属する1部署に降格され、同年10月には社名から「AOL」の文字が削除される。

   この合併劇の失敗は「放送と通信の融合の失敗」とも日本では喧伝されている。が、果たしてそうなのか。私はこの著書を読むに当たって、CNNなどを擁しメディア帝国と呼ばれたタイムワーナーがなぜ企業風土も違う新興のAOLとの合併を決意したのかという点を注視した。つまり、タイムワーナーのジェリー・レビンがなぜ「合併のアクセル」をかけたのか、である。そこを読み解かなければ放送と通信の融合はいつまでたってもこの失敗例が引き合いに出され、話が前に進まないのだ。

   このルポを読む限り、実はAOL側のボブ・ピットマンらが放送と通信のシナジー(相乗効果)を盛んに唱え、協調を促したのに対し、タイムワーナー側は「礼儀知らずで利益追求に余念がない」とAOL側を嫌悪した。AOLのEメールプログラムを使うことにすら抵抗したのはタイムワーナー側の社員である。AOL側からすれば、「保守的で意欲がない、お高くとまっている」と見えただろう。では、なぜタイムワーナーのジェリー・レビンが意欲的に合併を打ち出したのか。レビンはこうしたタイムワーナーの企業風土にネット企業のDNAを注入することで現状を打破したいと考えていたからだ。

   というのも、タイムワーナー自身に結婚歴があった。映画のワーナー・ブラザーズと、活字文化の雑誌タイムが合併(1989年)したものの、「契約のみで結ばれた中世の封建制度のような結束力のない集合体」だった。収益は上がっていたが、デジタルへの取り組みが遅れ、それを何とも思わない現場にレビンは業を煮やしていたのである。そんなタイミングでAOLの勇ましい連中がやってきて、求愛が始まった。求愛に積極的だったのはタイムワーナーのレビンの方だったのである。

   AOLの不適切な経理処理もどちらかというとタイムワーナーとの合併を何とか成功させようとした結果の「ボロ隠し」ともいえる。合併効果で得られるはずのシナジーが十分に得られなかったのは、その言葉にすら嫌悪感を持ったタイムワーナーの現場のせいではなかったか。江戸時代、武家に嫁いだ宮家の姫が「なじまぬ」とダダをこねるさまを想像してしまう。

   こうなると放送と通信の問題というより、それぞれの生い立ちによる企業風土の問題ともいえる。失敗するべくして失敗した。ネットバブルの崩壊という時代状況も重なった。どちらが正しく、どちらが悪いとも言えない。それぞれに原因がある。で、冒頭の交通事故のたとえである。ただ、「タイムワーナー」が生き残ったので、「AOL」が悪役を引き受けてしまった。

⇒26日(金)朝・金沢の天気  くもり 

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★ペンギンのドミノ倒し

2006年05月25日 | ⇒トピック往来

  この話の真贋をあなたはどう思うか。ある時、南極の皇帝ペンギンのルッカリー(集団繁殖地)の上空を低空飛行のヘリコプターが飛んだ。一羽のペンギンが空を見上げ、頭上をヘリが通り過ぎるとそのまま後ろにひっくり返った。ペンギンは集団でいたので、次々とドミノ倒しのような状態となり大混乱に陥った。その光景を目撃したイギリス軍のヘリの操縦士は自責の念にかられ、「ペンギンのルッカリーの上空を飛んではいけない」と仲間に話したという。この話が世界に広まった。

   南極では、地上に敵なしのペンギンだが、空には卵やヒナを狙うトウゾクカモメがいるので、上空を常に警戒している。でも本当にひっくり返るだろうか。確かに、写真のように不安定な流氷の上では、サルも木から落ちるのたとえがあるように、ペンギンも氷上でバランスを崩して転ぶかもしれないと思ったりもした。

   この話が日本のマスコミの話題にも上るようになったころ、南極に調査団が派遣された。2000年12月のことである。以下は本当の話だ。イギリス極地研究所のリチャード・ストーン博士らがサウスジョージア島の皇帝ペンギンのルッカリーで、イギリス軍のヘリが上空230-1768㍍の高度で数回飛行を繰り返し、ペンギンの反応を観察した。すると抱卵していないペンギンはヘリが近づくと逃げ出した。抱卵しているペンギンは逃げなかったが、縄張り行動(突っつきあいや羽でたたく行動)が見られ、明らかに動揺している様子が見て取れた。しかし、ひっくり返るペンギンはいなかった。軍から出たうわさを軍が否定したかたちだ。以上の調査結果は01年8月、アムステルダムで開かれた南極研究科学委員会のシンポジウムで発表された。(※国立極地研究所ホームページより一部抜粋)

  ところで、最後に疑問が残る。なぜ唐突に「自在コラム」の筆者が専門でもないペンギンの話をしたのか。実は、6月17日(土)13時から、金沢大学では小学高学年と中学生を対象に「南極教室」を開く。私はこのイベントを担当するワーキンググループの一員なのだ。この話は仲間と雑談をしている中で出てきた。南極教室では実際に南極の昭和基地と金沢大学をテレビ電話で結んで、金沢大出身の隊員と対話する。こんな楽しい話がいくつも聞くことができるかもしれない。(写真提供は第47次南極越冬隊、尾崎光紀隊員=金沢大学自然科学研究科助手)

 ⇒25日(木)朝・金沢の天気   はれ

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☆「総合学習」の新人類

2006年05月24日 | ⇒トピック往来

 私のオフィスがある金沢大学創立五十周年記念館「角間の里」は昨年4月に完成した。この建物は白山ろくの旧・白峰村の文化財だったものを大学を譲り受けて、この地に再生した。築300年の養蚕農家の建物構造だ。建て坪が110坪 (360平方㍍)もある。黒光りする柱や梁(はり)は歴史や家の風格というものを感じさせてくれる。金沢大学の「里山自然学校」の拠点でもある。

 古民家を再生したということで、ここを訪ねてくる人の中には建築家や、古い民家のたたずまいを懐かしがってくる市民が多い。最近は学生もやってくる。その学生のタイプはこれまでの学生と違ってちょっと味がある。「こんな古い家、とても落ちつくんですよ」と言いながら2時間余りもスタッフとおしゃべりをしていた新入の女子学生。お昼になると弁当を持ってやってくる男子学生。「ボクとても盆栽に興味があって山を歩くのが好きなんです」という同じく新入の男子学生。今月初め、いっしょにタケノコ掘りに行かないかと誘うと、「タケノコ掘り、ワーッ楽しい」とはしゃぐ2人組の女子学生がいた。いずれも新入生である。

  「学生が来てくれない」と嘆いた去年とは違って、ことしは手ごたえがある。この現象をどう分析するか。同僚の研究員は「総合学習の子らですね」と。総合学習とは、2002年度4月から導入された文部科学省の新学習指導要領の基本に据えられた「ゆとり教育」と「総合的な学習の時間(総合学習)」のこと。子どもたちの「生きる力」を育みたいと、週休2日制の移行にともない、教科書の学習時間を削減し、野外活動や地域住民と連携した学習時間が設定された。その新指導要領の恩恵にあずかった中学生や高校生が大学に入ってくる年代になったのである。

  当時、批判のあった画一教育の反動で設けられた総合時間だが、その後、「ゆとり」という言葉が独り歩きし「ゆるみ」と言われ、総合学習も「遊び」と酷評されたこともあった。しかし、私が接した上記の「総合学習の子ら」は実に自然になじんでいるし、「ぜひ炭焼きにも挑戦したい」と汗をかくことをいとわない若者たちである。そして、動植物の名前をよく知っていて、何より人懐っこい。それは新指導要領が目指していた「生きる力」のある若者であるように思える。

  もちろん、新入生のすべてがそうであるとは言わない。今後、金沢大学の広大な自然や里山に親しみを感じてくれる若者たちが増えることを期待して、数少ない事例だが紹介した。

 ⇒24日(水)朝・金沢の天気   くもり

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★ノンフィクションの凄み

2006年05月21日 | ⇒ランダム書評
 優れたルポルタージューというのは最初からひたすら客観的な文章で構成されているため、森の茂みの中を歩いているように周りが見えない感じだが、あるページから突然に視界が開けて森全体が見えるように全体構成が理解できるようになる。読み終えると、あたかも自身がその場に立っているかのような爽快な読後感があるものだ。

 アメリカのネット革命の旗手とまでいわれたAOLがタイムワーナー社との合併に踏み込んだものの、その後に放逐されるまでの栄光と挫折を描いたルポルタージュ、「虚妄の帝国の終焉」(アレック・クライン著、ディスカヴァー・トゥエンティワン社刊)を読んでいる。実はまだ第3章「世紀の取引」を読んでいる途中で、茂みの中である。それでも、アメリカのメディアとインターネット産業をめぐる大事件として記憶に新しい。370㌻の出だしの3分の1ほどしか読み進んだあたりから、人間の相克と葛藤が次ぎ次ぎと展開されていく。このブログを書いている時点で私も読んでいる途中だが、それでも書評をしたためたくなるほどのボリユーム感がすでにある。

 マイクロソフトがAOLの買収を仕掛けたとき、AOL側が「もし、オンラインサービスが技術の問題だと考えているのなら、これはマイクロソフトにとってベトナム戦争になるよ」とすごんだ話や、マイクロソフトがネットスケープとの「ブラウザー戦争」でAOLを味方に引き入れて、ネットスケープを追い落としたいきさつなど実に詳細にリアリティーをもって描かれている。

 AOLの転落はタイムワーナーを飲み込むかちで合併を発表した2000年1月が「終わりの始まり」で、これからページにはAOL側の不正会計疑惑の発覚、そしてスティーブ・ケースの放逐、そして瓦解への道と進んで行く。事実は小説より奇なり、とはこの著作のことかもしれない。そしてこの場合、野望より司直を巻き込んだ滅びの構図により真実味を感じさせる。

⇒22日(月)朝・金沢の天気  くもり
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☆続・韓国経済のキナ臭さ

2006年05月20日 | ⇒メディア時評

  18日付「韓国経済のキナ臭さ」のタイトルで韓国経済についての朝鮮日報と中央日報の記事を紹介した。不動産バブルが弾けそうだが、金利の引き上げなどでバブルを沈静化させようとすると今度は、カード破産者が一気に増大し、ひいては金融破綻へと連鎖するのではないかというのがその主旨だった。偶然にも20日付の中央日報インターネット版(日本語)で、ノ・ムヒョン大統領が19日、「投機者によって全国不動産価格が高騰し、その結果、経済が深刻な状況になるというのに、政府がこれを放置できるはずがない」と述べ、大統領が不動産バブル崩壊の可能性について憂慮していると伝えている。

  これまで述べてきたのは、突き詰めれば金利の話だが、実は産業構造そのものが問題点を抱えている。キーワードは中国である。以下は20日付の朝鮮日報の記事だ。訪韓中のシンガポールのリー・クワンユー前首相が講演し、「20年後には中国が、現在韓国が行っているすべての産業を代替するようになる」「今は韓国の企業が中国に進出しているが、10ー20年後には中国が韓国に投資する時代が訪れる」とし、「中国がついてこられないような完全に新しい産業、新しい製品を絶えず開発しなければならない」との提言した。

  韓国が世界市場でシェア1位を占める品目は2003年には63品目だったが、04年には59品目に縮小した。逆に中国は760品目から833品目に拡大した。テレビや洗濯機のような家電製品を含む中級技術の分野では、すでに中国製にシェアを奪われている。しかも、移動通信、ディスプレー、2次電池などの先端分野でも2010年には韓国と中国の間の技術格差が1年分ほどに狭まる(朝鮮日報)、という。

  問題は技術だけではない。中国では生産過剰となっており、国内であふれかえった製品が世界市場へダンピングして売られ、韓国のシェアをさらに奪っている。たとえば、中国全体でおよそ3億㌧程の生産実績があるものの、その40%にあたる1億2000万㌧が過剰となっている。これが韓国製などとバッティングし、世界市場における価格の下落を招き、各国の企業収益を圧迫している。韓国では為替市場でウォン高が続き、輸出産業をさらに疲弊させている。

  こうした経済の負のスパイラルがジワリと大統領の支持率を下げている。03年4月で59.6%(韓国ギャロップ)あった支持率が上がり下がりを繰り返して最近では37.5%(東亜日報)。日本の小泉内閣の支持率は50%(ことし4月・朝日新聞)である。国が違うので比較にはならないが、直接選挙で選ばれた大統領の支持率が37.5%というのは、実感としてかなり低いのではないか。

  このところノ・ムヒョン大統領は「靖国、独島(竹島)」と外交面で声高に叫んでいる。しかしこれは、ナショナリズムを刺激して支持を訴え、内政上の経済失政(不動バブル、カード破産者の増大、輸出企業の疲弊など)を覆い隠そうとしているようにも見える。しかし、経済破綻を想定していまから手を打たないと、「日本の失われた10年」どころではなくなる。韓国の新聞記事を読みながら思ったことを2回に分けて記した。

 ⇒20日(土)午後・金沢の天気  くもり  

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★韓国経済のキナ臭さ

2006年05月18日 | ⇒メディア時評
 韓国の新聞のインターネット版(日本語)をたまに読む。日韓関係がぎくしゃくしているので、隣は何を考えているのだろうかと思うからである。今月15日付、17日付の中央日報の記事を読んで外交以上に韓国の経済に関心を持った。

 17日付の記事。見出しは「アジア太平洋地域諸国のうち、ゴールドカードを最もたくさん使っているのは韓国人」。ビザカード・コリアによると、今年3月現在、韓国人が保有しているビザ・ゴールドカードは1400万枚で、アジア太平洋地域全体のビザ・ゴールドカードの34%を占め、日本(480万枚)より3倍も多い。ゴールドカードよりワンランク上のプラチナカードの場合、韓国は260万枚(日本5万枚)になる。この数字を見る限り、4600万人の国民の3人に1人がゴールドカードを持つ、アジアでもっとも裕福でエクセレンな国が韓国となる。

 ところが、15日付の記事。見出しは「国民1人当たりの総所得は1万4000㌦、世界50位」。韓国銀行が世界銀行の「世界発展指数」を整理した資料によると、市場為替レートを基準に、韓国の04年の1人当たり国民総所得は1万4000㌦で、比較対象208ヵ国のうち50位。この数字はポルトガル(1万4220㌦、49位)に次ぐ。ちなみに世界1位は1人当たり5万6380㌦のルクセンブルク、米国は4万1440㌦で5位、日本は3万7050㌦で9位だ。

 日本でゴールドカードの保持者と言えば、年齢30歳以上で年収500万円以上、プラチナカードだと役員クラスが持つものと一応見られている。となると、個人所得が世界で50位ほどの韓国がクレジットカード利用ではアジアで一番の顧客というのは、一体どういうカラクリがあるのかと疑問がわく。そこでインターネットで調べてみると、以下のような実態が浮かび上がってきた。

 韓国政府は内需拡大策の一環としてクレジットカードの普及を推進してきた。中学生までもが複数のクレジットカードを持つケースもあるという。大人の場合、1人で20枚も所有している人もいる。その結果、使い過ぎてカード破産する人が続出し、カード破産者は400万人に達する。また予備軍も含めると国民のおよそ20%の人がクレジットカードの支払いに苦しんでいるという。以上は、韓国経済に詳しい深川由紀子氏(東京大学大学院教授)が日本の衛星放送「BS-i」の経済番組「グローバルナビ」(05年5月)で語った内容だ。

 しかも、18日付の朝鮮日報の記事「膨らみ続ける韓国の資産バブル」や「バブル崩壊は迫っているのか」を読むと、ソウル中心部の1平方㍍当たりの地価は6000~6500㌦に急騰している。同じ面積の東京の不動産価格は1万ドルで、ニューヨークのマンハッタンは1万1000ドル程度だが、日本人の国民所得が韓国の2.6倍程度であることを考えると、ソウルの不動産価格の方が格段に高い。しかも韓国では個人資産の80%が不動産投資に回っているという。1980年代後半の日本の不動産バブルと似ていて、朝鮮日報が報じるように、そのバブルはいつ弾けても不思議ではない段階なのだ。

 庶民はカード破産、資産家はバブル崩壊の危機と何やらキナ臭い。こうなると、金融当局が不動産バブルを鎮めようと金利を上げれば、今度は国民全体の20%といわれるカード破産者とその予備軍の首を絞めることになる。これがひいては金融破綻へと連鎖するのではないか。にっちもさっちもいかなくなっているのである。早晩、ノ・ムヒョン大統領の失政が問われることになろう。

⇒18日(木)夜・金沢の天気  はれ
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☆権力を挑発するメディア人

2006年05月17日 | ⇒ランダム書評
 ジャーナリストの田原総一朗氏が司会をするテレビ朝日の番組「サンデープロジェクト」や「朝まで生テレビ!」を視聴していると、田原氏の手法はあえて相手を挑発して本音を引き出すことを得意技としている。アメリカCNNのトーク番組「ラリー・キング・ライブ」のインタビューアー、ラリー・キング氏の手法は執拗に食い下がって相手の感情をさらけ出してしまうというものだ。手法は似て非なるものかも知れないが、要は相手に迫る迫力が聞き手にあるということだろう。

 田原氏の近著、「テレビと権力」(講談社)を読んだ。内容は、権力の内幕をさらけ出すというより、田原氏がテレビや活字メディアに出演させた人物列伝とその取材の内幕といった印象だ。岩波映画の時代から始まって、テレビ東京のこと、現在の「サンデープロジェクト」まで、それこそ桃井かおりや小沢一郎、小泉純一郎まで、学生運動家や芸能人、財界人、政治家の名前が次々と出てくる。

 田原氏の眼からみた人となりの評し方も面白い。週刊文春で連載した「霞ヶ関の若き獅子たち」の宮内庁の章。民間の妃と結婚した皇太子(現・天皇)は同庁の中での評判が悪かった。75年7月、沖縄訪問でひめゆりの塔を参拝したときに火炎瓶を投げつけられた皇太子は「それをあるがままのもとして受けとめるべきだと思う」と発言した。それについても庁内では、威厳がない、あるいは弱気すぎるなどと批判があったそうだ。その皇太子の姿は官僚の操り人形にはならないぞとの姿勢にも見えて、「皇太子時代の頑張りは、天皇となった現在も続いていると私は見ている。(…中略…)声援したい気持ちでいる」と田原氏は好意的に記している。

 冒頭で紹介した「挑発する田原総一郎」はテレビ朝日「朝まで生テレビ!」が始まりだ。スタートが87年4月だからかれこれ20年になる。ソ連にゴルバチョフ書記長が登場し(85年)、東西ドイツの「ベルリンの壁」が崩壊する(89年)。そして日本でも自民党の安定政権が揺らいだ時代だ。このころの田原氏はジャーナリストとしてフリーとなっている。おそらくテレビ局員だったらこの番組は成立しなかったかもしれない。何しろ、タブーとされた天皇論、原発問題など果敢に切り込んでいくのである。とくに原発問題はテレビ局自身が営業的な観点から最もタブーとした事柄だ。この意味で番組と「内なる権力」との相克があったことが述べられている。

 政治権力との相克は「サンデープロジェクト」から始まる。著書の「政局はスタジオがつくる」の項は、佐藤栄作から軍資金をもらいにいった竹下登と金丸信のエピソードが書き出しだ。その金丸の後ろ盾で小沢一郎が自民党内を牛耳る。小沢が海部俊樹を総理に担ぎ上げる。そのとき、「トップは軽くてパアがよい」と小沢がいったとのうわさが広がる。ここあたりになると私自身の記憶も鮮明に蘇ってくる。

 この本の面白さはこうした場面展開が次々と出てきて、そういえばかつてそんなテレビ画面があったと思い起こさせてくれる点だ。映像のプレイバックとでもいおうか、読み進むうちに時代の記憶を誘発して呼び起こす駆動装置のようでもある。そのスタートはそれぞれが田原氏の番組と視聴者としてかかわった年代となる。これまで政治に無関心であった人にとっては、この著書を読んでもその記憶の駆動はスタートしないだろう。

⇒17日(水)夜・金沢の天気   くもり 
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