自在コラム

⇒ 日常で観察したことや環境問題、金沢大学での見聞、マスメディアとインターネットについての考察を紹介する宇野文夫のコラム

★続・総選挙の新「第3極」

2012年11月28日 | ⇒トピック往来
 昨日のブログ「総選挙の新『第3極』」の続き。滋賀県の嘉田由紀子知事が27日午後に大津市で記者会見し、衆院総選挙に向けて、「卒原発」を基本政策に掲げた新党「日本未来の党」の結成を発表した。これに呼応し、「国民の生活が第一」の小沢一郎代表は合流を表明し、当日「生活」を解党した。新「第3局」が一気に創られた。

 昨夜のテレビ報道を見ていると、脱原発世論の高まりを背景に「今のままだと選ぶ政党がない」「党、または個人で手を挙げてくれる人に『この指止まれ』方式で呼びかけたい」と新党設立を理由を説明した。その、基本的な政策は「全原発廃炉の道筋をつくる『卒原発』」「消費税を増税する前に徹底的した行政の無駄を排除する『脱増税』「地域中心の行政を実現する『脱官僚』」を柱とすると述べた。ただ、嘉田氏自身は代表を務めるが総選挙には立候補せず、知事は続投する。あくまでも関西1200万人の水がめである琵琶湖の「守護人」との立場を崩さない。

 面白いのは、代表代行に飯田哲也氏が就いたことだ。飯田氏は、もともと日本維新の会代表代行の橋下徹氏(大阪市長)の脱原発ブレーンで「環境エネルギー政策研究所」所長である。橋下氏は石原慎太郎氏の「太陽の党」との合流の折に「脱原発」方針を後退させている。つまり、脱原発の橋下支持派を分断する。おそらくこの一連のシナリオを描いたであろう小沢氏は、脱原発をテコにして「橋下崩し」の一手を打った。

 さらに面白いのは、記者会見で嘉田氏は「国民の生活が第一の小沢一郎代表が、連携する気持ちをお持ちならば、方向性としてはありうる」との表現で連携を呼び掛けたことだ。この表現は実に計算されている。嘉田氏を知る誰しもが抱く疑念はおそらく、「嘉田さんは、海千山千の小沢さんと本当にうまくやっていけるの…」という点だろう。だから、嘉田氏はラブコールの姿勢ではなく、ちょっと突き放した表現「よかったらどうぞ」で、あくまでも主導権は嘉田氏が執るとのスタンスを崩さなかったのだろう。

 この呼びかけを受けて、「国民の生活が第一」はこの日の夕方、常任幹事会を開き、解党を決めた。小沢氏は「『未来の党』と合流し、いっしょに選挙を戦う」と記者たちに表明した。小沢氏は、前衆院議員だけで50人の勢力を有する党を4ヵ月余りで惜しみなく解党し、これまで誰も予想だにしなかった嘉田氏という新しい党の顔を獲得した。平成5年(1993年)の衆院総選挙で、自民党を離党した羽田孜氏が結成した新生党、同じく武村正義氏の新党さきがけ、前熊本県知事の細川護煕氏が結成した日本新党の3新党が計100議席余りを獲得し、第3局を創り出し、そこをバネに細川政権の樹立へと動いた当時と様相が似てきた。これが、小沢流の政治のダイナミズムなのだろう。 

 さらに「減税日本・反TPP・脱原発を実現する党」の河村たかし氏(名古屋市長)も合流する。「みどりの風」や、社民党の離党者、阿部知子氏らもこの日に参加を表明した。「女性の顔」と「脱原発」は日本を変えるか、小沢氏は次なる勝負に出た。

⇒28日(水)朝・金沢の天気   はれ
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☆総選挙の新「第3極」

2012年11月27日 | ⇒トピック往来
 今朝7時35分ごろ、金沢市内の平野部で霰(あられ)が降った=写真=。自宅近くでも1分間ほど降り、登校の子どもたちが騒ぎながら小走りで学校へと急いだ。きょうの朝刊も騒がしい。「卒原発」を掲げる滋賀県の嘉田由紀子知事が、新党結成に動き出したことでもちきりだ。きょう27日午後、記者会見するという。

 各紙を読むと、「国民の生活が第一」の小沢一郎代表らとの連携を模索しており、脱原発を旗印とした「第3極」勢力の結集につながる可能性がある、と書かれている。仕掛け人は小沢氏だろう。ここで「小沢構想」を深読みすれば、2つのことが浮かぶ。1つ目は、第2次新党ブームともいうべきトレンドだ。

 平成5年(1993年)7月18日に実施された衆院総選挙で、自民党を離党した羽田孜氏が結成した新生党、同じく武村正義氏の新党さきがけ、前熊本県知事の細川護煕氏が前年に結成した日本新党の3新党が計100議席余りを獲得し、第3局を創りだした。それまでは、社会党が「土井たか子ブーム」を巻き起こしていたが、新党ブームに押されて議席数を半減(70席)させた。理念や政策、政治手法が異なった8つの党・会派をまとめるために、政界再編・新党運動の先駆者として国民的に人気の高かった細川氏を担ぎ上げて新政権を樹立したのは、新生党代表幹事だった小沢氏の功績だった。今回の選挙では、「安部」「石原」「橋下」の男の顔は見えるが、女性の顔が見えない、さらに狼煙が上がっている脱原発の顔が政治の舞台で見えない。そこで、政局のトレンドを読むことに長けた小沢氏は「新たな女性の代表」「脱原発」のシンボルとして嘉田知事を担ぎ上げようとしているのだろう。

 小沢構想の2つ目は「橋下崩し」だろう。嘉田氏は昨日の会見で、日本維新の会の橋下徹氏について、「太陽の党と合流して、私も『(卒原発の)仲間を失った』と述べさせていただいた」と、すでに連携できない関係にあることも強調している。嘉田氏は「関西の水」の守護者でもある。若狭の大飯原発で大事故が起これば、 関西1200万人の「水がめ」である琵琶湖は汚染され甚大な被害をもたらす、というのが嘉田氏の「卒原発」の柱だ。選挙戦でここを強調すれば関西の有権者は「嘉田新党」になびく、つまり勢いに乗じる維新の会を分断できると考えているのだろう。

 ある意味で、「小沢構想」は一義的に「脱原発」という争点のテーマを浮き上がらせた、つまり有権者に明確な選択肢を与えたことになる。月並みな言葉だが、新「第3極」は有権者の間で漂っていたもやもや感を随分すっきりさせてくれた。午後の記者会見が注目される。

⇒27日(火)朝・金沢の天気  あめ・あられ
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★福沢諭吉の「独立自尊」

2012年11月26日 | ⇒トレンド探査
 大分県中津市の耶馬渓の「青の洞門」に立ち寄り、同市内の福沢諭吉の旧居と記念館を訪れた。豪邸ではなく、簡素な平屋建ての家屋だ。福沢諭吉は天保5年(1835)に、大阪・堂島の中津藩倉屋敷で生まれた。堂島の生地は現在、同市福島区福島1丁目にあたり、朝日放送(ABC)の本社ビルが建っている。父の百助は堂島の商人を相手に勘定方の仕事をしていた。翌天保6年、父の死去にともない中津に帰藩することになる。中津の実家には長崎に遊学する19歳ごろまで過ごしたと言われる。長崎に出て蘭学を学び、さらに翌年大阪で緒方洪庵の適塾に入る。安政5年(1858年)、江戸に出て、万延元年(1860)には咸臨丸の艦長となる軍艦奉行の従者として、初めてアメリカ行きのチャンスに恵まれることになる。25歳だった。

 中津の旧居近くの駐車場に立て看板があった=写真=。団体名に「北部校区青少年健全育成協議会」とあるので、青少年に向けた啓発看板。これに福沢の文が引用されていた。「願くは我旧里中津の士民も 今より活眼を開て先ず洋学に従事し 自から労して自から食い 人の自由を妨げずして我自由を達し、修徳開智 鄙吝(ひりん)の心を却掃し、家内安全天下富強の趣意を了解せらるべし 人誰か故郷を思わざらん 誰か旧人の幸福を祈ざる者あらん」(明治三年十一月二十七 旧宅敗窓の下に記 「中津留別之書」)。明治3年(1870)、中津にいた母を東京に迎えるため一時帰郷した福沢が旧居を出る際に郷里の人々に残したメッセージだ。「敗窓の下」とあるので、家屋も壊れていたのであろう。

 この文をしたためた「明治3年」は、渡米と渡欧の3度外航で見聞したことを紹介した『西洋事情』を完成させた年である。内容は政治、税制度、国債、紙幣、会社、外交、軍事、科学技術、学校、新聞、文庫、病院、博物館などにおよび、法の下で自由が保障され、学校で人材を教育し、安定的な政治の下で産業を営み、病院で貧民を救済することなどを論じた。ちなみに、「『天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず』と言えり」と、冒頭でアメリカ合衆国の独立宣言を引用して書かれた『学問のすゝめ』はこの2年後の明治5年(1972)に初版が出版された。

 「中津留別之書」は『学問のすゝめ』の思想のベースとも言われる。そのメッセージで心が揺さぶられるのは、「自から労して自から食い 人の自由を妨げずして我自由を達し」の箇所だ。その後の福沢を人生を突き動かす「独立自尊」の強烈なメッセージが読み取れる。ここで考えたのは、これは誰に発したメッセージなのだろうか、ということだ。翌明治4年に福沢は、新政府に仕えるようにとの命令を辞退し、東京・三田に慶応義塾を移して、経済学を主に塾生の教育に励む。その年、廃藩置県で大勢の武士たちが職を失い、落ちぶれていった。武士が自活できるように、新たな時代の教育を受ける学校が必要なことを福沢は痛感していたに違いない。「中津留別之書」はその強い筆力とメッセージ性から、武士たちに新たな世を生き抜けと発した檄文ではなかったのだろうか、と。では、なぜそのようなメッセージを武士に発したのか。武士たちが怨念を募らせて刀や鉄砲を手にすることで再び混乱の世に戻り、「自由が妨げられる」と危惧したのではないか。

 「中津留別之書」から30年後、福沢は慶応義塾の道徳綱領を明治33年(1900)に創り、その中で「心身の独立を全うし自から其身を尊重して人たるの品位を辱めざるもの、之を独立自尊の人と云う」(第2条)と盛り込み、「独立自尊」を建学の基本に据えた(「慶応義塾」ホームページより)。翌明治34年(1901)2月、福沢は66歳で逝去する。武士が新たな世を生き抜く「人生モデル」を自ら示したのだった。法名は「大観院独立自尊居士」である。

⇒26日(月)朝・金沢の天気  あめ
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☆福沢諭吉と「トラスト」

2012年11月25日 | ⇒トレンド探査

 先月(10月)の連休を利用して九州・大分と阿蘇を訪れた。別府から湯布院に入り、ここで2泊して、阿蘇、そして耶馬渓(やばいけい)、中津市の福沢諭吉旧居など巡った。溶岩台地の浸食によってできた奇岩の連なる耶馬渓の絶景で、足を止めたのが「青の洞門」=写真・上=だった。

 断崖絶壁の難所に342㍍の隧道を掘り抜かれたのは寛延年間(1750年代)。観光案内の立札の説明によると、諸国遍歴の途中に立ち寄った禅海和尚がこの難所で通行人が命を落とすのを見て、托鉢勧進によって資金を集め、石工たちを雇ってノミと槌だけで30年かけてトンネルを完成させたと伝えられている。能登半島にも同じような逸話がある。かつて「能登の親不知」と言われた輪島市曽々木海岸の絶壁に、禅僧の麒山和尚が安永年間(1772-1780)前後に13年かけて隧道を完成させた。いまでも、地元の人たちは麒山祭を営み、遺徳をしのんでいる。

 禅海和尚の「青の洞門」は、大正8年(1919)に発表された菊池寛の短編小説『恩讐の彼方に』で一躍有名になった。麒山和尚の能登の隧道も、菊田一夫作のNHK連続ドラマでヒットし、昭和32年(1957)公開された東宝映画『忘却の花びら』のロケ地となった。主人公(小泉博)とヒロイン(司葉子)による洞窟でのキスシンーンが有名となり、「接吻トンネル」と呼ばれ、能登半島の観光ブームの火付け役となった。本来なら話はここで終わりだが、「青の洞門」の場合、ここに福沢諭吉が絡んでさらに話が膨らむ。

 「青の洞門」の上には「大黒岩」や「恵比須岩」といった8つの奇岩が寄り添い、競い合うように連なる「競秀峰(きょうしゅうほう)」=写真・下=と呼ばれる山がある。江戸時代からの名所で、中津藩の名勝でもあった。明治27年(1894)年2月、福沢諭吉は息子2人(長男、次男)を連れて、20年ぶりに墓参のため中津に帰郷した。当時の福沢は、私塾だった慶應義塾に大学部を発足させ、文学、理財、法律の3科を置き、ハーバード大学から教員を招くなど着々と大学としての体裁を整えていた。また、明治15年(1882)に創刊した日刊紙『時事新報』は経済や外交を重視する紙面づくりが定評を得ていた。

 墓参りに帰郷した福沢は耶馬溪を散策した。ここで、競秀峰付近の山地が売りに出されていることを耳にするのである。この絶景が心ない者の手に落ち、樹木が伐採されて景観が失われてしまうことを案じた福沢は、山地の購入を思い立つ。自分の名を表に出さず、旧中津藩の同僚で義兄にあたる人物の名義で目立たないように3年がかりで購入を進め、1.3㌶を買収する。知人に宛てた書簡で、福沢は「此方にては之を得て一銭の利する所も無之」(明治27年4月4日付、曽木円治宛書簡)=慶応義塾大学出版会ホームページより=と、私欲が一切ないことを強調している。

 その後、その土地は明治33年、福沢の意志を継ぐため、耶馬溪に同行した福沢の次男名義に移された。福沢は翌年の明治24年に没する。昭和に入り、一帯の土地が景観保護の対象となる風致林に指定され、行政の目の行き届くところとなった。ここで福沢の目的は達成され、昭和3年(1928)に地元の人に譲渡された=同ホームページより=。優れた景観を守るために、私財をもってその土地を購入するという福沢の行動は、自然や景観保全のためのナショナルトラスト運動の日本の先駆けとして評価されよう。

 これは想像だが、禅海和尚がこの難所で通行人が命を落とすのを見て30年かがりで隧道をつくった物語を、福沢は息子たちに語って聞かせたはずである。「そのことを想えば、なんのこれしき」と、20歳そこそこの息子たちに「いい恰好」を見せたのかもしれない…。

⇒25日(日)午前・金沢の天気   はれ

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★壮大な「水の話」

2012年11月24日 | ⇒ランダム書評

 地球上の水の97.5%は海などの塩水が占める。それが、太陽エネルギーによって塩分を含まない水蒸気となって蒸発し、水蒸気は上空で凝結して雲となり、やがて雨や雪となって降り注ぐ。そのほぼ90%は直接海上に降るが、残りは地上に降りる。地上に落下した水の65%は蒸発して大気中に戻りるが、一部は地表面を流れて河川に注ぎ、あるいは地中に浸透して地下水となり、地中を流れて河川や湖沼に行く。動植物はその水を吸収し生命を維持するが、やがて生命が尽きると水分は蒸発し、また海に戻る。

 46億年以前に地球が誕生して以来、水は循環しているのだ。「したがって、数億年前に恐竜の血液であった水分が現在の河川の水流になったり、昨夜の夕食のスープの材料になっていることも十分にありえます」と筆者、月尾嘉男氏は考えた。おそらく趣味のカヤックをこぎながら海を眺め、そう発想したに違いない。著書『水の話』(遊行社)は水にまつわる時空を超えた壮大な話である。

 今月16日、石川県小松市で月尾氏の講演があった=写真・下=。演題は「21世紀の水問題と環境共生」。バーチャル・ウォーター(virtual water、仮想淡水)の問題に興味があったので、月尾氏の考えを聞くことができるかもしれないと期待し、ついでにその場で著書も購入した。バーチャル・ウォーターは、農産物や畜産物の生産に要した淡水の量を、その輸出入に伴って売買されていると仮定したもの。たとえば、小麦1㌧を輸入する場合はそれを育てるのに要した2000㌧もの水、牛肉1㌧の場合は2万㌧近い水がそのバックヤードには使われている。日本が輸入している農産・畜産物の主な8品目(コメ、大麦、小麦、トウモロコシ、大豆、牛肉、豚肉、鶏肉)だけでも年間860億㌧の水を輸入している計算になる。これは国内で使用している淡水の840億㌧とほぼ同量と、筆者は指摘する。

 冒頭で述べたように、もともと淡水という資源は限られ、人口が増えるにつれ、源流から河口までに複数の国を流れる「国際河川」では紛争が起きやすい。インドシナ半島を流れる大河メコンは、中国南部のチベット高原を源流とし、ミャンマー、ラオス、タイ、カンボジア、ベトナムを通過する。中国が最近巨大なダムの建設を開始している、という。中国側は水力発電をするだけで、水はそのまま下流に放水するとから影響はないと言っているが、「下流の国々は疑心暗鬼です」(筆者)と。

 紛争とは別の水をめぐる問題が世界で起きている。「淡水は権利か、商品か」という問題。権利であるならば、自治体や国が責任を持って国民に供給する義務がある。ところが、流れは商品化になっている。日本の家庭でも、水道水ではなくミネラルウォーターを飲むようになった。500㍉㍑のペットボトルが年間で50億本も売れている。1人40本の計算だ。ところが、イタリアは日本の9倍、フランスは6倍、アメリカは5倍、イギリスは2倍も消費している。その背景には、欧米では「ウォーター・バロン(淡水男爵)」と揶揄される巨大企業が淡水を牛耳っている。世界のミネラルウォーターの市場の31%をフランスのヴィヴェンディが、2位もフランスのオンデオが30%、3位ドイツのRWE16%と寡占状態になっている。民間企業による水道事業の比率もイギリス90%、フランス75%など。ともすれば値上げにさらされやすい。さらに、最近は「ウォーター・ハンター」と呼ばれる、新たな水源を発見して取水、利水の権利を購入する新手のビジネスが横行している。

 月尾氏の水の話は淡水、真水にとどまらずに、運河や海水、海底に眠るメタンハイドレードなどの天然ガス資源にまでどんどんと展開して、まるで海原のような壮大な広がりとなる。「水と安全はタダ」という雰囲気に慣れきった日本人が今発想を変えないと、地域の再生はおろか、日本の再生も危ういと「ミズの視点」から警鐘を鳴らす。

⇒24日(土)昼・金沢の天気  はれ

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☆「15分間の有名人」

2012年11月23日 | ⇒メディア時評

 愛知県で豊川信用金庫の支店にサバイバルナイフを持った男が職員が人質にとって立てこもっていた事件はきょう23日未明、警察官が突入してして人質全員が無事保護された。32歳の男は調べに対し「野田内閣は総辞職が目的だった」と供述しているという。今朝、事件のニュースをテレビで見て、金嬉老(きんきろう)事件が脳裏をかすめた。1968年2月、当時39歳の在日韓国人2世の金嬉老(故人)が、借金返済を迫った暴力団員2人をライフル銃を乱射して射殺、さらに静岡県の寸又峡温泉の旅館に人質をとって籠城し、人質解放の条件として、警官による日韓国人・朝鮮人への蔑視発言の謝罪を要求した。崖っぷちの犯人が道義や政局をかざして人質をとる様が妙にだぶった。

 犯人による派手な振る舞いは「劇場型犯罪」とも言われる。ポップアーチストのアンディ・ウォーホル(1928-1987)の名言「誰でも15分間は有名人でいられる時代が来る」は、劇場型犯罪の時代を予見した言葉でもある。犯行を予告、事件を派手に起こし、捜査が入る、テレビの中継が入る。テレビメディアにとっては、「血が流れればトップニュース」である。テレビメディアはショッキングな映像を求め続ける。事実、金嬉老事件では、テレビ局のスタッフが「ライフルを空に向けて撃ってくれませんか」と依頼し、犯人が実際に空に向かって数発撃っている映像を流したのだった。

 このような過熱取材の現場に実際に遭遇した。2007年3月25日、震度6強の能登半島地震で多くの家屋が倒壊した。当時、大学のスタッフとして学生ボランティアの可能性を調査するために、翌日現地入りした。輪島市門前町道下の道路で10数人のカメラクルーが一点を見つめていた。その目線の先は、前のめりになり、いまにも倒壊しそうな民家だ。余震で倒壊をするのを待っていた。あるカメラマンのぼやききが聞こえた。「でかいのがこないかな」と。「でかい」とは余震のこと。倒壊の決定的なシーンを撮影したいと思う余りに出た言葉だろう。テレビ側には、その民家の向こうに、テレビ映像をじっと見つめる視聴者の姿を思い描き、さらにその先に視聴率アップを期している。逆に、問題提起を含んだスクープ映像であっても、視聴者が嫌悪感を抱く映像(遺体など)は放送しない。これは「テレビ局の論理」だ。

 劇場型犯罪の構成要素。それは、実行犯が主役、警察が脇役、マスメディアが中継役、視聴者が観客という構造になっている。犯人が派手な振る舞いをすればするほど、視聴率が上がるという、あす意味でメディア社会の歪んだ姿がそこにある。そして、ウォーホルが言うように、事件が一見落着すれば、先ほどまで見ていたテレビ映像が視聴者の記憶にとどまるのはせいぜいが15分間。今回の豊川信用金庫の事件にしても、「何が野田総理の退陣だ。バカバカしい」と、人々はこの時間で事件があったことすら忘れているだろう。テレビ局も、あす以降はニュースの続報、裁判の判決すら報じない。そして、人々はまた新たなメディアの刺激を求めている。ウォーホルが予見した時代を我々は今生きている。

⇒23日(祝)朝・金沢の天気  雨

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★選挙の世論調査を読む

2012年11月22日 | ⇒メディア時評

 総選挙(12月4日告示、同16日投開票)に向けて、新聞各紙は電話による世論調査の結果を掲載している。20日付のローカル紙では、共同通信社が17、18日の両日で実施した「第1回トレンド調査」が載っていた。比例区の投票先は「自民23%、民主10.8%、維新6.8%、太陽1.0%」という数値だった。同日に同じく電話調査した朝日新聞の結果は「自民22%、民主15%、維新6%、太陽1%(小数点以下は四捨五入)」だった。ところが、これも同日に調査した毎日新聞は「自民17%、民主12%、維新13%、太陽4%(小数点以下は四捨五入)」と維新が民主を上回っているのである。

 3社とも自民が民主を上回る傾向は同じものの、維新の会が1ケタの朝日と共同、2ケタの毎日とでは数字の印象がまったく異なる。たとえば、総選挙でキーワードとなりそうな「第3極」について、朝日と共同では維新と太陽はこれからとのイメージだが、毎日だと維新と太陽は「第3極」として、すでに民主を凌いで自民と肩を並べているとの読み方になる。17日は、「太陽の党」が解党して「日本維新の会」に合流した日なので、調査する側にも多少の混乱はあったかもしれないと察するが、それにしてもこの数値の違いはどこからくるのか。

 この謎を解くカギは「調査の仕方」の違いによる。新聞社の世論調査は、インターネットではなく、電話、面接、郵送の3つの方法のいずれかで実施しているが、内閣支持率や緊急調査の場合は「RDD方式」と呼ばれる電話調査で行う。コンピューターで無作為に数字を組み合わせて番号を作り、電話をかけて調査する方法で、RDDは「Random Digit Dialing」の略。一般世帯が対象で、「○○新聞社ですが、世論調査にご協力いただけますか」と相手の了解を得て行う。「調査の仕方」の違いとは、尋ねる側(新聞社)が「比例代表ではどの政党に投票しますか」と聞いて、答える側(有権者)が「自民」「民主」「維新」「まだ決めていない」などと返事をするのを待つタイプ。もう一つが読み上げタイプで、尋ねる側が「今から政党名を読み上げますので、お答えください」と政党名を読み上げ、「その政党がいい」と返事を誘う。

 もう10年以上も前だが、私自身もテレビ局時代に電話調査を何度か行った経験がある。質問の文言のちょっとした違いや順番、選択肢によって、相手の反応は異なるものだ。たとえば、上記の「比例代表ではどの政党に」と問うた場合、「返事待ちタイプ」では、選択肢が少ない場合は政党名が出てくるが、今回の選挙のように政党が乱立気味の場合は意中の政党名がなかなか出てこないのでは、と察する。たとえば代表の「小沢一郎」という名は浮かんでも、「国民の生活が第一」と即答できるだろうか。あるいは政党名が長い「減税日本・反TPP・脱原発を実現する党」や、よく似た感じの「国民新党」「新党日本」だと迷ってしまう。返事待ちの場合は、やはり与党や野党第一党が数値的に有利ではないだろうか。逆に、返事を誘う読み上げタイプでは新興政党や少数政党には有利かもしれない。これは想像だが、今回の調査では、おそらく朝日と共同は「返事待ちタイプ」、毎日は「返事を誘う読み上げタイプ」ではなかったかと想像する。

 では、「返事待ちタイプ」「返事を誘う読み上げタイプ」の調査の仕方では、どちらの方が民意を引き出す調査方法とよいのだろうか。実際に投票場に足を運び、意中の政党があれば迷うことなく政党名を書くだろうが、投票場に来てでも迷っている有権者は多い。迷いがあると、「投票用紙に書きやすい」政党名を書いてしまうものだ。というふうに考えると、「返事待ちタイプ」の方がリアリティ(現実味)があるのではないだろうか。もちろん、この話は科学的な根拠があるわけではなく、思いをめぐらせただけである。

⇒22日(木)夜・金沢の天気  くもり

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☆学生「選挙と関わりたい」

2012年11月21日 | ⇒メディア時評

 今月16日、衆議院は解散し、来月12月4日告示、同16日に投票と開票が行われる。マスメディア(テレビや新聞)はその選挙結果(当落)を伝えるために、水面下で動き出している。さまざま調査活動を実施するための人員の確保だ。

 前回のブログで述べたように、知り合いの新聞記者からメールがあった。「選挙の投開票の日に開披台調査を実施するので学生たちの協力を得たい」との相談だった。「開披台(かいひだい)調査」をもう一度簡単に説明すると、投票日の午後8時に投票は締め切られ、各投票場の票が開票場に集められる。全部集まったところで、自治体の職員が一斉に開票、集計の作業を行う。この開票作業の様子を双眼鏡でウオッチし、刻一刻と積み上がる票数を開票者の手元で数え、マスメディアの選挙報道センターに伝えるのが開披台調査だ。新聞社と連携したテレビの選挙特番では、こうした開披台調査や、投票所の出口で有権者にどの候補に投票したのか記入してもらう出口調査のデータなどを突き合わせ、リアルタイムに当選確実の速報を打っていく。記者の相談は、「この開披台調査、学生の参加が多ければ多いほどいい」という。

 金沢大学では総合科目の『マスメディアと現代を読み解く』や『ジャーナリズム論』を担当していて、「選挙とメディア」のコマでは上記の調査データの収集と分析の意義なども講義している。メディアにとって今後の国政を左右する衆院選挙は、総力で報道する一大イベントである。そこで「総選挙をメディア論の実習に」と位置づけて、記者に協力することを約束した。記者からは時給、交通費などの条件も示された。しかし、数十人の学生の参加を募るのは大変な作業なのだ。

 まず、衆議院が解散したその日(16日)、「マスメディアを通して選挙を知る、学ぶ、体感する選挙調査の説明会(11月21日)を実施」と学生向けに学内メールを流した。参加は自由としたが、学生たちからの反応は速かった。「選挙報道の一端にかかわることで選挙を勉強したい」「自分たちの将来を左右する大事な選挙だと思うので参加したい」「就活をする上でメディア業界に関心があるので参加したい」と参加意向のメールが寄せられた。手応えを感じた。

 そして、きょう(21日)夕方、説明会を開いた=写真=。50部用意した資料がほぼなくなった。授業を通じて思うことなのだが、学生たちは社会参加に意欲を持っているものの、チャンスに恵まれていない。もちろん、震災ボランティアなどあるが、日常でかかわる社会参加は企業のアルバイトが主で限られている。今回は1日、厳密にいうと夕方から半日の調査活動だ。それでも、テレビで選挙特番を視聴するのではなく、その報道の裏方として選挙と関わってみたい、参加してみたい、そうした学生たちの欲求を感じた。

⇒21日(水)夜・金沢の天気  はれ
 

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★解散・総選挙への一日

2012年11月14日 | ⇒トピック往来

 きょう(14日)午前、石川県内のある市長と面談する機会があった。市長は元県議会議員で、「政局」を読むに敏感だと定評があるので、あえて水を向けてみた。「年末の解散、総選挙など政局はどう動きますか」と。即答だった。「結局、民主党は大分裂を起こして選挙突入だね」と。この後、午後の党首討論で「16日に解散してもよい」との野田総理の発言が出て、解散(11月16日)・総選挙(12月4日公示、16日投開票)の嵐が吹き始めた。

 市長が「大分裂」と言ったのは、決議支持率が低迷する中の解散・総選挙では民主の苦戦が必至で、すでに同党の一部議員による新党結成や、有力議員の日本維新の会への合流など離党の動きが出ている。そこで、13日の民主党常任幹事会で「党の総意」として年内解散に反対する方針で合意していた。にもかかわらず、野田総理は党の分裂を覚悟で、「16日解散」を表明したのである。市長の読みは的中したことになる。

 きょう午後の党首討論の様子をテレビで視聴して、どちらが役者が上か考えた。総理は衆院小選挙区の「1票の格差」を是正するための「0増5減」の法改正を今国会で成立させ、かつ来年の通常国会で「比例代表定数の40削減」(民主案)など大幅な定数削減を条件にあげ、それを自民党の安倍総裁が確約すれば「16日に解散してもいい」と提案したのだった。安倍総裁は即答できなかった。党首討論後に自民党は定数削減に関しても協力する考えを表明、これで解散の条件が整ったと言える。

 役者とすれば野田総理が上だろう。これまで「近いうち解散」を言いながら延び延びとなっていて、12日の衆院予算委員会では石破自民幹事長から「うそつき」とまで。そこまで言われて、総理は攻勢に出た。今度は、自民党に定数削減の確約を迫ったのである。解散は総理の専権事項であり、野田氏は主役を演じきった。それにしても異例の「解散宣言」だった。

 きょう午後8時前、知り合いの新聞記者からメールが届いた。「12月16日の晩」に選挙調査で学生を紹介して欲しいとの依頼だった。「開披台(かいひだい)調査」のアルバイトである。選挙でで出口調査は知られているものの、開披台調査は一般では聞きなれない。投票が締め切られる午後8時以降、各投票場から投票箱が続々と開票場に集まってくる。そして9時過ぎごろから実際の開票が始まる。投票箱が開けられ、票がばらまかれる台は「開披台」と呼ばれる。その票を自治体の職員が候補者ごとに仕分けしていく。調査のアルバイトはペアを組んで、その職員の手元を双眼鏡で覗き、どの候補者が何票得ているかカウントする。「A候補が50、B候補が40、C候補が10」というように、軸となるA候補が50になるまでカウントして、その他の候補の数字と比較する。

 こうしたペアが同じ開票場に10数組配置され、それぞれ異なった開披台を調査する。電話でデータ集計本部に連絡される。この調査では、A候補が2000になった時点で、実際の開票終了時との集計誤差はプラス、マイナス3%にまで高められるとされる。この調査に、大学生らが新聞-テレビの1系列で全国で数千人規模でアルバト動員される。

 総選挙になると、「元新聞屋・テレビ屋」の血が騒ぐ。2012年末まで政局は一気に走る。

⇒14日(水)夜・金沢の天気   雷雨

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☆「京」の強さ

2012年11月13日 | ⇒メディア時評

 今朝のメディアで気になるニュ-スから。スーパーコンピューターの計算速度を競う世界ランキング最新版で、これまで2位だった理化学研究所の「京(けい)」が3位に順位を落としたとのニュースが流れている。ニュースをそのまま読んでしまえば残念な話に思えるが。

 首位は、オークリッジ国立研究所(アメリカ)の「タイタン」。1秒間に1京(京は1兆の1万倍)7590兆回の計算速度を記録したという。3位の「京」は1京510兆回。速さだけを競うのであれば「3位」だが、実用的という意味では「京」は優れている。計算科学研究機構(AICS)のホームページで掲載されている立花隆氏(ジャーナリスト)の文が分かりやすいので、以下部分引用させていただく。

 「もともとの設計性能が10ペタだったとはいえ、こんなに早くトップ性能が引き出せた背景には関係者のなみなみならぬ努力があったことと思う。これもひとえに斬新な富士通の高性能低電力消費型チップ(SPARC64TM VIIIfx)と6次元メッシュトーラスという独特のアーキテクチャ構造をとることで、高速性と高信頼性(壊れても全面的には壊れない。すぐ自己修復する)を同時に達成するという優れたハードウェア技術が見事に功を奏したが故にだと思う。次のステップは、このすぐれたハードを見事に使いこなして、ソフトウェア(アプリケーション)と計算実績の面でも、世界一の業績を次々にあげていくことだ。それが実現できたら、ケタちがいの計算力を利用したケタちがいのシミュレーション力(速度と精度)で、日本の科学技術力と産業力を数倍レベルアップすることができる。日本の国力を数十倍にしていくことができる。」

 上記の「産業力を数倍レベルアップすることができる」というところがポイントだと思う。ことし9月から本格稼働が始まり、大学や国立の研究所だけでなく、産業界の研究にも門戸が開かれている。公募に対して製薬や化学、ゼネコン、自動車メーカーなど、産業界から25件が採択され、利用が始まってる。

 産業や研究に役立つ、とはどういうことなのか。参考例として、2010年のノーベル化学賞の根岸・鈴木博士のクロスカップリング反応がある。有機化合物と別の有機化合物を触媒のパラジウムによりカップリンングし、ビアリール化合物という新たな有機化合物をつくっていく。パラジウムという触媒は自体はカップリングが成功すると、さっと離れて、次なるカップリングに動く。新しくできた化合物はテレビの液晶材料や抗がん剤など幅広く使われる。鈴木・根岸博士のカップリング反応というのは、原料が安定していて扱いやすい、化学反応が穏和で操作が簡単、有害な廃棄物をほとんどださない。つまり配合を間違えても爆発しない、猛毒を発生させないので、扱いやすい。だから産業に役立つ、扱いやすいということなのだ。スーパーコンピューターも同じで、計算が速いだけでなく、「壊れても全面的には壊れない、すぐ自己修復する」という高信頼性が伴わなければ活用できないのだ。

 このようなスパコンをアメリカでは製造できるのだろうか。メディアは「3位に転落」などと見出しで報じている。視点を変えれば、評価は一転する。

※写真は、スーパーコンピューター「京」を製造している富士通ITプロダクツ=石川県かほく市

⇒13日(火)朝・金沢の天気  はれ

 
 

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