昨夜のテレビ報道を見ていると、脱原発世論の高まりを背景に「今のままだと選ぶ政党がない」「党、または個人で手を挙げてくれる人に『この指止まれ』方式で呼びかけたい」と新党設立を理由を説明した。その、基本的な政策は「全原発廃炉の道筋をつくる『卒原発』」「消費税を増税する前に徹底的した行政の無駄を排除する『脱増税』「地域中心の行政を実現する『脱官僚』」を柱とすると述べた。ただ、嘉田氏自身は代表を務めるが総選挙には立候補せず、知事は続投する。あくまでも関西1200万人の水がめである琵琶湖の「守護人」との立場を崩さない。
面白いのは、代表代行に飯田哲也氏が就いたことだ。飯田氏は、もともと日本維新の会代表代行の橋下徹氏(大阪市長)の脱原発ブレーンで「環境エネルギー政策研究所」所長である。橋下氏は石原慎太郎氏の「太陽の党」との合流の折に「脱原発」方針を後退させている。つまり、脱原発の橋下支持派を分断する。おそらくこの一連のシナリオを描いたであろう小沢氏は、脱原発をテコにして「橋下崩し」の一手を打った。
さらに面白いのは、記者会見で嘉田氏は「国民の生活が第一の小沢一郎代表が、連携する気持ちをお持ちならば、方向性としてはありうる」との表現で連携を呼び掛けたことだ。この表現は実に計算されている。嘉田氏を知る誰しもが抱く疑念はおそらく、「嘉田さんは、海千山千の小沢さんと本当にうまくやっていけるの…」という点だろう。だから、嘉田氏はラブコールの姿勢ではなく、ちょっと突き放した表現「よかったらどうぞ」で、あくまでも主導権は嘉田氏が執るとのスタンスを崩さなかったのだろう。
この呼びかけを受けて、「国民の生活が第一」はこの日の夕方、常任幹事会を開き、解党を決めた。小沢氏は「『未来の党』と合流し、いっしょに選挙を戦う」と記者たちに表明した。小沢氏は、前衆院議員だけで50人の勢力を有する党を4ヵ月余りで惜しみなく解党し、これまで誰も予想だにしなかった嘉田氏という新しい党の顔を獲得した。平成5年(1993年)の衆院総選挙で、自民党を離党した羽田孜氏が結成した新生党、同じく武村正義氏の新党さきがけ、前熊本県知事の細川護煕氏が結成した日本新党の3新党が計100議席余りを獲得し、第3局を創り出し、そこをバネに細川政権の樹立へと動いた当時と様相が似てきた。これが、小沢流の政治のダイナミズムなのだろう。
さらに「減税日本・反TPP・脱原発を実現する党」の河村たかし氏(名古屋市長)も合流する。「みどりの風」や、社民党の離党者、阿部知子氏らもこの日に参加を表明した。「女性の顔」と「脱原発」は日本を変えるか、小沢氏は次なる勝負に出た。
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