自在コラム

⇒ 日常で観察したことや環境問題、金沢大学での見聞、マスメディアとインターネットについての考察を紹介する宇野文夫のコラム

☆強い光源、「サッポロポテト現象」

2018年07月30日 | ⇒メディア時評

   「こまめに水分や塩分を取るなど熱中症対策に万全を期してください」。テレビで各地の猛暑を伝えるたびに繰り返されるこのコメント、正直もう聞き飽きた。この「こまめに」というフレーズが出てくると、「分かったよ、もういい」とつい思ってしまう。もっと他の言い方はないのだろうか。たとえば、「ひんぱんに」とか「ちょくちょく」とか「たびたび」とか。「こまめに水分」はこの夏の流行語大賞か。もっと言葉のバリエーションがほしい。

  それにしてもこの猛暑だ。きのう29日午後3時ごろ、山手の金沢大学周辺で乗用車の温度センサーは外気温37度だった。この暑さは記録的なのだという。7月1日から26日までの平均気温は28度(速報値)で過去最高。統計を取り始めた1882年以降で、金沢の7月の平均気温がこれまで最高だったのは1978年の27.5度。また、平年(1981-2010年の30年間の平均)と比べると、なんと2.7度も高い(7月28日付・北陸中日新聞)。

       かつて「うだる暑さ」という言い回しがあったが、そのような生易しい言葉は通用しなくなり、最近はもっぱら「猛暑」や「酷暑」が使われている。

       「猛暑」は公用語にもなっている。気象庁は天気予報や解説などで予報用語を使っているが、最高気温が35度以上の日を「猛暑日」と定義して、2007年4月から使っている。これまでは最高気温が30度以上の日を「真夏日」としていたが、最高気温が35度以上の日が1990年以降急増したため、レベルアップした用語が必要となった。もちろん、用語の場合は定義が必要なので35度以上とした。

   でもその「猛暑日」ですら生易しく感じるようになってきた。金沢に住んでいても35度超えは驚きではない。関東や東海地方では40度超えが続出。今月23日には埼玉県熊谷市では気温が41.1度まで上がった。こうなるとさらにレベルアップした用語が必要となる。40度以上の日を何と称するのか。気象庁の予報用語はまだない。

   熱中症の危険度を判断する国際指標が「WBGT(暑さ指数)」では28度を超えると熱中症患者の発生率が急増するという。40度以上になれば暑さというレベルを超えて「災害」ではないだろうか。熊谷市で41.1度を記録したこの日、気象庁の予報官が記者会見でこう述べていた。「命に危険をおよぼすレベルで、災害と認識している」と。深刻な発言に思えた。では、40度以上の日、これを「災暑日」としてはどうか。

   写真はきょう午前10時30分ごろの太陽。樹木の上から激しい日差しが照りつける。周囲の赤い光玉は、強い光源が画面内に入り込むと、カメラのマイクロレンズに反射した光がカバーガラスに二次反射して格子状や赤玉のゴーストが写り込む。ネットで検索すると、このゴースト現象は「サッポロポテト現象」と呼ばれている。カルビーの商品「サッポロポテト」のポテトチップスと形状がよく似ていることからカメラマンの間ではそう呼ばれているようだ。きょうも金沢は37度を超えそうだ。

⇒30日(月)午前・金沢の天気    はれ

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★「能登のSDGs」動き出す

2018年07月28日 | ⇒トピック往来

   国連が掲げる持続可能な開発目標「SDGs」という言葉はなかなか理解し難い。「エスディジーズ」の発音も一回や二回ではなかなか言葉として出てこない。ましてや、その意味となると難問のように思える。さらに言葉より、それを実践するのはもっと難しい。でも、それを能登半島の最尖でチャレンジしている。先月(6月)「SDGs未来都市」に選定された珠洲市だ。人口1万4500人、全国で一番人口規模が小さい市でもある。

   人口が少ないだけではない。高齢化率は47%と高く、地域経済を担う若い人材も不足している。持続可能な地域としての活力を保つために「2040年に人口1万人維持を目指す」と目標を定め、人口減少対策に必死に「もがいている」自治体でもある。その珠洲市がSDGsに挑戦している。きのう(27日)このような動きがあった。市と市内の10の郵便局がSDGsの目標達成に向けて協力する包括連携協定書を交わした。

   「なぜ郵便局と」と思われるかもしれないが、郵便局はすべての世帯に郵便物を届けるという使命感がある。その郵便局のネットワークを活かして、地域の見守り活動や災害時の支援、広報など行政の取り組みを支援していく。これは、SDGsの「誰一人取り残さない」社会の理念と実に合致する。経済や社会、環境の3つの分野で賛同者とSDGs実践に向けてプロジェクトを積み上げて、壮大な「SDGsプラットフォーム」を構築していく。珠洲市の戦略だ。

   では、大学の役割はどうか。来月8月18日、「能登SDGsラボ」の開設に向けて、運営委員会が発足する。ラボは金沢大学能登学舎(同市三崎町)に開設される。このSDGsラボには金沢大学のほか、国連大学サスティナビリティ高等研究所いしかわ・かなざわ・オペレーティングユニット(OUIK)、石川県立大学、石川県産業創出支援機構(ISICO)、地元の経済界や環境団体(NPOなど)、地域づくり団体、企業や市民が幅広く参加する。

   ラボでは産学官金(産業界、大学、行政、金融業界)のプラットフォームを念頭に、大学側の研究シーズと地元企業のニーズとのマッチングをはかっていく。たとえば、現地で実証実験が行われている自動運転を「スマート福祉」として社会実装する。SDGsを取り込んだ学校教育プログラムの開発、世界農業遺産(GIAHS=2011年FAOが「能登の里山里海」認定)の資源を活かした新たな付加価値商品や、「奥能登国際芸術祭2020」に向けた参加型ツーリズムの商品開発を進めていく。国連大学と組んで過疎地域から発信するSDGs国際会議の開催や、県立大学との地元企業のコラボによる新たな食品開発など実に多様なプランだ。
    
   きのう郵便局との連携協定締結を終えた後で、市長の泉谷満寿裕氏と面談するチャンスを得た。「SDGsはまさにチャレンジですね」と率直に尋ねると、市長は「SDGsはどんなことにも本気でチャレンジする人を支える仕組みづくりです。新たな技術や知恵を持った大学の研究者や学生のみなさんは大歓迎ですよ」と。

   さかのぼれば、市長1期目の2006年10月に大学との連携による廃校舎の利活用、2期目の2010年7月に地上波テレビのデジタル化を全国に先駆け1年前倒し実施、3期目の2017年9月の奥能登国際芸術祭など、チャレンジの連続だった。ことし6月に4期目に入り、SDGs未来都市への挑戦だ。「ここは半島の尖端ですよ。チャレンジしながら可能性を探る。いつもそう思っています」。条件不利地というリスクを抱えるがゆえの地政学的なチャレンジ精神、そう表現したらよいのだろうか。

⇒28日(土)夜・金沢の天気     はれ

 

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☆続・夏安居の「どぶろく」

2018年07月24日 | ⇒トレンド探査

   きょう(24日)日中の気温は33度、昨日に比べ2度下がった。空に雲が時折かかり、それが猛暑を和らげてくれている。雲がこれほど有難いと思ったことはない。前回のブログで「どぶろく」を話題を取り上げたが、読んだ東京の知人からさっそくメールが入っていた。「田の神さまのコラーゲンたっぷりの顔だちってどんなものか。画像を見せてほしい」と。
  
   話は繰り返しになるが、尾関健二氏(金沢工業大学バイオ・化学部教授)のどぶろくに関する講演をブログで紹介した。日本酒の旨味成分であるタンパク質「α-エチル-D-グルコシド(α-EG)」が含まれ、皮膚の真皮層のコラーゲン密度が増加する作用がある。また、甘酒には消化器官内で消化と吸収がされにくい、難消化性のタンパク質「プロラミン」が含まれ、食物繊維のような物質として機能するため、コレステロールの排出促進や便秘改善、肥満抑制の作用がある。どぶろくには日本酒と甘酒の2つの効果が兼ね備わっていると興味深い講演だった。

   この講演を聞いて真っ先にイメージしたのが、能登町柳田植物公園にある古民家「合鹿庵」の掛け軸に描かれている、農耕儀礼あえのこと神事(2009年ユネスコ無形文化遺産登録)の「田の神さま」だった。田の神さまは甘酒(どぶろく)が好みとの言い伝えがあり、神事には甘酒が供えられる。掛け軸の田の神さまはもちろん想像図なのだが、ふっくらツヤツヤした顔だちが印象的だ。そこで「コラーゲンたっぷりの顔だち」と書いた。

    田の神さまには別の言い伝えもある。田の神さまは各農家の田んぼに宿る神であり、それぞれの農家によって田の神さまにまつわる言い伝えが異なる。共通しているのが、目が不自由なことだ。働き過ぎで眼精疲労がたたって失明した、あるいは稲穂でうっかり目を突いてしまったと諸説ある。目が不自由であるがゆえに、それぞれの農家の人たちは丁寧に接する。座敷に案内する際にも介添えをし、前に供えた料理を一つ一つ口頭で説明する。「もてなし」を演じる家の主(あるじ)たちは、自らが目を不自由だと想定し、どうすれば田の神さまに満足していただけるのだろうかとイマジネーションを膨らませる。

    ある農家の主はこんなことを話していたのを思い出した。「もっとおいしい甘酒を差し上げたいのだが」と。現在は「甘酒」を供しているが、明治ごろまでは各家庭で造っていた「どぶろく」を供していたそうだ。ところが、明治政府は国家財源の一つとして酒造税を定め、日清や日露といった戦争のたびに増税を繰り返し、並行してどぶろくの自家醸造を禁止した。これがきっかけで家庭におけるどぶろく文化は廃れていった。

        これは思い付きだが、「どぶろく特区」(中能登町)で製造されたどぶろくを能登町のあえのこと農家に持参してはどうか。田の神さまは「どぶろく飲むのは久しぶりじゃ」と喜んでくださるのではないか、と。

⇒24日(火)午後・金沢の天気      はれ時々くもり

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★夏安居の「どぶろく」

2018年07月22日 | ⇒トレンド探査

   昨日(21日)も昼間の外気温が35度だった。連日酷暑が続くと「夏安居(げあんご)」という言葉を思い出す。もともと仏教用語で、夏場は動植物たちの営みが盛んな季節で屋外では蚊やアブに刺されたりするので、寺院内で修行をするという意味のようだ。現代風に言えば、酷暑による熱中症が怖いので、なるべく屋外は避け、家のエアコンで涼んでビデオか読書で過ごす。「夏安居」は含蓄のある素敵な言葉だと思う。講演会の案内をいただいたので、冷房の効いた部屋で勉強をしようと出掛けた。講演のタイトルは「どぶろく・甘酒の効能」。

   能登半島の中ほどに位置する中能登町には、神酒として「どぶろく」の製造が国から許可されている全国30社のうち3社(天日陰比咩神社、能登比咩神社、能登部神社)が同町にあり、今でも神事にはどぶろくを造っている。天日陰比咩神社などは延喜式内の古社でもあり、酒造りの長い歴史を有する。能登半島は国連の食糧農業機関(FAO)から「世界農業遺産」(GIAHS)に認定されているが、まさに稲作と神への感謝の祈り、酒造りの三位一体の原点がここにあるのではないか、この地を訪問するたびにそう感じる。2014年に町が「どぶろく特区」に認定されると、どぶろくの醸造免許を取得し、どぶろく造りを始める稲作農家が徐々に増えてきた。農家や神社関係者を中心に「どぶろく研究会」が結成され、商品開発などに活発に取り組んでいる。講演の案内は研究会からの招待だった。

   講師の尾関健二氏(金沢工業大学バイオ・化学部教授)の話は実証研究によるデータの積み上げで酒と美肌の関係性に迫るものだった。尾関氏は、どぶろくなど日本酒の旨味成分であるタンパク質「α-エチル-D-グルコシド(α-EG)」を配合したハンドクリームを腕に塗る実験では、皮膚の真皮層のコラーゲン密度が増加し、日本酒を飲んだ場合でも同じような効果が得られたと解説。また、甘酒からは消化器官内で消化と吸収がされにくい、難消化性のタンパク質「プロラミン」が含まれ、食物繊維のような物質として機能するため、コレステロールの排出促進や便秘改善、肥満抑制の作用がある、と。そして、どぶろくには日本酒と甘酒のこうした成分が双方含まれていると理路整然とした解説だった。

   この講演を聞いて、ある掛軸の絵を思い出した。能登町柳田植物公園にある古民家「合鹿庵」の掛け軸には、農耕儀礼あえのこと神事(2009年ユネスコ無形文化遺産登録)の「田の神さま」が描かれている。もちろん想像図なのだが、ふっくらでツヤツヤした顔だちが印象的だ。田の神さまは甘酒(どぶろく)が好みとの言い伝えが昔からある。こうしたコラーゲンたっぷりの顔だち。爽快な笑顔は便秘からの解放感なのかもしれない。尾関氏の研究成果がそのまま「田の神さま」に表現されていると直感した。

   前列に座っていたので気付かなかったが、講演会場には若い女性やカップル、ファミリィが目立った。主催者の話では150人。ひょっとして「どぶろくブーム」が起こるかもしれない。帰り際、会場でどぶろくが販売されていたのでつい2本買ってしまった。もちろんこの身で「実証実験」するためだ。

⇒22日(日)午前・金沢の天気    はれ

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☆若冲「バイオアートの世界」

2018年07月19日 | ⇒トピック往来

    きのう(18日)大学でのメディア論の講義を終え、少し時間をつくることができたので、石川県立美術館(金沢市出羽町)で開催されている江戸時代の絵師、伊藤若冲の特別展に足を運んだ。到着はちょうど午後5時、受付係の人から「午後6時に閉館ですのでよろしくお願いします」と言われた。60分で若冲の真髄をどこまで堪能できるか、急ぎ足で「若冲の世界」に入った。

    ヘチマに群がる昆虫などを描いた「糸瓜群虫図」=写真・上・図録「若冲と光瑤」から=は圧巻だった。掛軸の上から下を見て順に、カタツムリ、モンシロチョウ、クツワムシ(あるいはキリギリス)、イモムシ、オオカマキリ、ギンヤンマ、クサキリ、アマガエル、ショウリョウバッタの9種が見て取れた。図録では11種とあり、まるで絵解きのパズルのようで面白い。

    この絵に目を凝らしていると、自身の思い違いも発見できた。絵の上部のヘチマの黄色い花の乗っている昆虫は最初バッタかと思った。ところが、触覚が長いのでキリギリスと自分なりに修正した。でも、さらに観察すると体の真横の図柄がわらじの底のように横幅に厚みがある。キリギリスはもう少し細長くスマートだ。とすると、触覚が長くて横幅の厚みがあるとなると、クツワムシではないのか、と。キリギリスなのかクツワムシなのか、両者は確かにとても似ているのだが、一体どちらなのか。ぜひ鳴き声を聞いてみたいものだ。キリギリスならば「スイー・チョン」と鳴き、クツワムシは「ゴチョゴチョゴチョ」と。描き方が細密であるがゆえに、想像を膨らませてくれる絵なのだ。

   この絵の最大の特徴は「虫食い」だと感じる。これだけの虫がヘチマに群がっていれば、葉は虫食い状態になり茶色に変色する。それが、写実的に描かれ、さらに昆虫たちの動きを鮮やかに引き立てている。植物と昆虫の相互関係が描かれるバイオロジー(生物学)が表現されている作品。まさに、バイオアートの世界だ。ここで足が止まってしまい、残り時間は25分となった。急ごう。

   次に足を止めたのは水墨画「象と鯨図屏風」だった。屏風の右に「ねまり」(座り)のゾウ=写真・下・図録「若冲と光瑤」から=、左に「潮吹き」のクジラ、陸海の巨大な動物を対比させるダイナミックな構図だ。図録には作品は寛政7年(1795)とあり、若冲が80歳ころのものだ。「人生50年」の当時とすれば、若冲は仙人のような存在ではなかっただろうか。にもかかわらず、ゾウの優しい眼の描きぶりからは童心のような動物愛を感じさせる。そんなことを思いながら、60分間の若冲の世界はあっという間に過ぎた。

   帰宅中の自家用車の中でふと思った。動物愛は実際に見たり触ったりして愛情が育まれるものだ。クジラは日本近海にいるので別として、若冲はゾウを実際に見たのだろうか。インターネットでゾウの日本上陸の歴史を検索してみる。長崎県庁文化振興課が運営するサイト「旅する長崎学」に以下の記述があった(要約)。8代将軍吉宗が注文したゾウは享保13年(1728) 6月、唐船に乗って長崎に到着。ベトナム生まれのオスとメスの2頭。メスはまもなく死んで、翌年3月オスは長崎街道を歩き江戸へと向かう。4月に京都に到着。「広南従四位白象」という位を授かったゾウは中御門(なかみかど)天皇と謁見した。

         このとき、京生まれの青物問屋のせがれだった若冲は13歳。京の街を行進して御所に向かうゾウの様子を実際に見物したに違いない。白いゾウのイメージはここで得た。「ねまり」はどうか。拝謁したゾウは前足を折って頭を下げる仕草をし、天皇を感動させた(「ウィキペディア」)とある。当時、ゾウが座して頭を下げる姿は京の街中にうわさが広がって、若冲はゾウの姿のイメージをさらに脳裏に焼きつけたのではないだろうか。このダイナミックな構図はそうした原体験から創作されたのではないのか、と想像した。

⇒19日(木)朝・金沢の天気    はれ

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★グランド・カバーの攻防 相手の巧みな戦術

2018年07月16日 | ⇒ノウハウ検証

  それにしてもこの雑草は恐ろしいほどに手ごわい。向き合って戦いを挑んでも、必ず復活してくる。しかも、復活するとさらに茎を張りめぐらし、勢力を拡大しているのだ。これまでグランド・カバーの戦い(庭の雑草取り)で、いくつかの雑草と勝負してきたが、レベルが格段に高い相手だ。その雑草の名はチドメグサ。漢字では「血止め草」と書き、学名は「Hydrocotyle sibthorpioides」。

  チドメグサは実に巧妙に戦いを仕掛けてくる。その特徴は「隠れ蓑」戦術だろう。細い茎はよく枝分かれし、節から根を出して地面をはうのだが、芝生の生息地に入り込み、目立たないように勢力を拡大している。先日、「堂々と勝負しろ」と戦いを挑んだ。まず芝刈り機で芝生を刈り込み、隠れていた相手をリングに引きずり出した。

  ところが、葉や茎は取れたが、芝生の根にチドメグサの根が絡まって離れようとしない。一本一本外すとなると膨大な労力と時間がかかる。「オレに勝ちたいのならば、芝生の根を絶やしてみろ」と不敵な笑みを浮かべているのだ。この日の戦いは午後7時を回り、時間切れでドローとなった。悔し涙がポロリと落ちた。

   チドメグサとの戦いの第二幕は、スギゴケの庭での勝負となった。芝生ゾーンとは違って、スギゴケを刈り込むわけにはいかない。それだけに、相手の姿が見えにくい。葉と茎を1本取ったかと思ったら、隠れるように別の葉と茎がある。まるで分身があちこちにあり、根っ子がある本体が見つからない。これは忍法「空蝉(うつせみ)の術」だ。自分の分身を周囲につくり、敵の注意を分身に向けているのだ。根っ子がある本体はどこか。スギゴケをかき分けかき分け、チドメグサの根を探し出し、手繰り寄せるようにして抜く。こちらも誤って、大切にしているスギゴケを抜くこともある。

   実に根気のいる勝負になると予測し、日曜日の午後に試合に挑んだ。ただ、気温がぐんぐんと上がり、水分補給も限界、熱中症が心配になり途中で退場した。すると、相手のせせら笑いが背後から聞こえた。「しょせん人間は弱い、オレたちに勝てるはずがない」と。闘争心がめらめらと燃えてきた。

⇒16日(月・海の日)夜・金沢の天気   はれ

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☆風は回る

2018年07月11日 | ⇒トピック往来

   風車にこれほど近づいたことはなかった。ゴッー、ゴッーと轟音が響かせ、ブレイド(羽根)が回っている。ここは能登半島の尖端、30基の大型風車がある「珠洲風力発電所」だ。2008年から稼働し、発電規模が45MW(㍋㍗)にもなる国内でも有数の風力発電所という。

   発電所を管理する株式会社「イオスエンジニアリング&サービス」珠洲事務所長、中川真明氏のガイドで見学させていただいた。ブレイドの長さは34㍍で、1500KW(㌔㍗)の発電ができる。アメリカのGE社製だが、最近は2MWや3MWのブレイドもあり、日本でも日立製作所が製造している。材質はFRP(繊維強化プラスチック)。発電の仕組みを教わった。風速3㍍でブレイドが回りはじめ、風速13㍍/秒で最高出力1500KWが出る。風速が25㍍/秒を超えると自動停止する仕組みなっているそうだ。羽根が風に向かうのをアップウインドー、その反対をダウンウインドーと呼ぶのだという。

   なぜ能登半島に立地したのか。しかも、半島の尖端に。「風力発電で重要なのは風況なんです」と中川氏。強い風が安定して吹く場所であれば、年間を通じて大きな発電量が期待できる。中でも一番の要素は平均風速が大きいことで、6㍍/秒を超えることがの目安になる。その点で能登半島の沿岸部、特に北側と西側は年間の平均風速が6㍍/秒を超え、一部には平均8㍍/秒の強風が吹く場所もあり、風力発電には最適の立地条件なのだ。1500KWの風車1基の発電量は年間300万KW。これは一般家庭の8百から1千世帯で使用する電力使用量に相当という。珠洲市には1500KWが30基あるので、珠洲市内6000世帯を使用量を十分上回る。

   いいことづくめではない。能登半島で怖いのは冬の雷。「ギリシアなどと並んで能登の雷は手ごわいと国際的にも有名ですよ」と中川氏。羽根の耐用年数は15年とされるが、「なんとか20年はもたせたい」とも。ただ、雷のほかに、黄砂や空気中のほこりで汚れる。全国では2200基本余り、石川県では71基が稼働している。最近では東北や北海道で風力発電所の建設ラッシュなのだそうだ。

⇒11日(水)午前・金沢の天気    くもり

  

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★「平成最悪」の豪雨

2018年07月10日 | ⇒ニュース走査

    「死者126人 平成最悪」と新聞の見出しは白抜きベタで伝えている。西日本豪雨での大雨特別警戒は全て解除されたものの、その後の被害は日々拡大している。昨日付の紙面では104人だった死者がきょう付で126人だ。安否不明者は86人もいる。先週5日に気象庁が「記録的な大雨になる恐れがある」と呼びかけたが、「平成最悪」になるとは想像すらできなかった。

    堤防が決壊した岡山県倉敷市真備町の空から映像をテレビで見たが、まさに泥海に水没した街だった。屋根の上から、登った樹木から助けを求める人、実に痛々しかった。4階建ての病院から入院患者や避難住民がボートやヘリコプターを使って救助が続けられているのを見て、ビルなどの建築物の必要性を改めて感じた。

    地場産業への打撃も深刻だ。岡山県総社市でアルミニウム工場への浸水で溶解炉が爆発した。山口県岩国市で有名な日本酒「獺祭(だっさい)」の蔵元のホームページによると、「豪雨により岩国にある本社・酒蔵に浸水と停電による被害を受けました。」「 本社隣接の直営店 獺祭ストア本社蔵はしばらくの間営業中止とさせて頂きます」とあった。一升瓶(1.9㍑)換算で90万本分の製造に影響が出て、ストアの被害など設備を含めた被害総額は15億円になり、製造再開には2ヵ月半ほどかかるという。このほか、農林水産業など一次産業を始め、加工、流通の2次、3次産業にも多大な被害を与えていることは想像に難くない。

    高速道路の山陽道の福山西IC―広島ICの通行止めや、JR貨物の山陽線の兵庫―山口間と、予讃線の香川―愛媛間でJR貨物が運休している。復旧が遅れることになるればそれだけ、東日本から九州への物流にも影響が出るだろう。

     先月6月7日に土木学会が発表した数字を思い起こす。今後30年以内に70-80%の確率で発生するとされる「南海トラフ地震」がM9クラスの巨大地震と想定すると、経済被害額は最悪の場合、20年間で1410兆円(推計)に達すると。倒壊などによる直接被害は169兆5千億円、それに加え、交通インフラが寸断されて工場などが長期間止まり、国民所得が減少する20年間の損害額1240兆円を盛り込んだ数字だ。

     1410兆円という数字を目にした時は数字が「躍っている」との印象だったが、政府が発表した「南海トラフ地震防災対策推進基本計画」(2014年3月28日)に目を通してみる。M9クラスの巨大地震を想定した場合の「減災目標」を「想定される死者数を約33万2千人から今後10年間で概ね3割減少させること、また、物的被害の軽減に関し、想定される建築物の全壊棟数を約250万棟から今後10年間で概ね5割減少させる」と掲げている。いま、南海トラフ巨大地震が起きれば最悪30万人余りの命が失われるのだ。暗い話になってしまった。

⇒10日(火)午前・金沢の天気   はれ

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☆「麻原」か「松本」か、躍る見出し

2018年07月07日 | ⇒ニュース走査

    「オホーツク海高気圧」と「太平洋高気圧」ががっぷり四つ状態になって梅雨前線が激しを増し、そして長時間居座っている。あの「ゆずぽん酢」で知られる高知県馬路村では3日間で1200㍉を超える降水量を記録したというから驚きだ。そんな中、法務省が6日午前に、坂本堤弁護士一家殺害事件(1989年11月)、長野県松本市でのサリン事件(1994年6月)、東京の地下鉄サリン事件(1995年3月)など一連のオウム真理教による犯行の首謀者、松本智津夫死刑囚らの刑を執行したとのニュースをテレビの速報テロップで知った。

    当時金沢のテレビ朝日系「北陸朝日放送」の報道デスクとして「オウム真理教」事件とはさまざまな場面でかかわった。当時、テレビ映像の露出は頻繁だった。あの電極が付いた「ヘッドギア」は「カルト教団」を強く印象づけた。オウム真理教への取材で最初のかかわりは1992年10月だった。石川県能美市(当時・寺井町)の油圧シリンダーメーカー「オカムラ鉄工」の社長に麻原彰晃が就いて記者会見をした。社長が信者で資金繰りの悪化を機に社長を交代した、という内容だった。ほとんどの従業員は教団の経営に反発して退職し、代わりに信者が送り込まれていたので「教団に乗っ取られた」と周囲の評判は良くなかった。まもなく会社は事実上倒産。会社の金属加工機械などは山梨県の教団施設「サテイアン」に運ばれていた。その後の裁判で、金属加工機械でロシア製カラシニコフAK47自動小銃を模倣した銃を密造する計画だったことが明らかになった。

    1995年3月20日の地下鉄サリン事件の実行犯だった医師の林郁夫らがレンタカーで逃げた先が能登半島・穴水町の海辺の貸し別荘だった。4月7日、一緒に身を隠した信者の一人が別荘の近くで警官の職務質問を受け逮捕された。テレビのニュースで知った林郁夫は盗んだ自転車で貸し別荘を出て、金沢方面に向かう途中で警官の職務質問を受けて逮捕された。一緒に逃げた公証人役場事務長拉致監禁死事件(1995年2月)の実行犯・松本剛は翌月5月に大阪・堺市で逮捕された。

    では林郁夫らはなぜ能登半島に逃げたのか、さまざまな憶測が当時飛び交った。オウム真理教は1992年9月にモスクワに支部を開設し、ソビエト連邦の崩壊(1991年12月)で混乱する現地で信者を獲得していた。当時、極東ウラジオストクと富山湾を北洋材(シベリア木材)を積んだロシア船が行き来しており、ロシアに密入国するチャンスをうかがっていたのではないか、と。当時のモスクワ支部長は上祐史浩が兼務していたこともあり、「彼だったら、そのくらいのことは考えるだろう」という推測に過ぎなかったのだが、「ロシア逃亡説」はまことしやかに流れていた。その後の林郁夫の全面自供により地下鉄サリン事件の全容が明らかになり、検察は死刑ではなく無期懲役を求刑した。

    死刑執行の当日の夕刊を購入した。ある新聞の一面は「麻原死刑囚 刑執行」、別の新聞は「松本死刑囚 刑執行」の白抜きベタの大見出しが躍っている。この紙面を若い学生たちがコンビニで見て不思議に思っただろう。「どちらが本当なのか」と。本名は松本智津夫、教祖名は麻原彰晃。シアニの世代には麻原の方が通りはよい。ただ、刑の執行名では松本だ。翌日7日の全国・ローカルの朝刊7紙を比較すると、「松本」5、「麻原」2だった。別に購入したスポーツ系の2紙とも「麻原」だった。読者への衝撃度を考慮すると「麻原」なのだろうか。

    ちなみにイギリスのBBCテレビのWeb版では、「Seven members of the Aum Shinrikyo doomsday cult which carried out a deadly chemical attack on the Tokyo underground in 1995 have been executed, including cult leader Shoko Asahara.」と伝え、「麻原」だった。

    「平成」の時代に象徴的な事件だった。平成も来年2019年4月末をもって終わる。平成のうちに事件を終幕としたかったのだろう。刑の執行命令書に署名した上川陽子法務大臣が臨んだ記者会見(6日)。慎重な言葉選びに、かすかにそのような想いを感じた。

⇒7日(土)夜・金沢の天気   くもり

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★朝焼けのニッポン

2018年07月03日 | ⇒トピック往来

   ワールドカップ決勝トーナメント・日本対ベルギー戦をNHKの生中継で観戦した。後半3分の原口のシュートがゴールに刺さり先制。さらに、同7分の乾のシュートがゴールに吸い込まれる。2点先制、これで初戦突破は間違いないと高揚感がみなぎってきた。

   ふと窓のカーテンを見ると赤く染まっていた。窓を開けると東の山並みが朝焼けでくっきりと浮かび神々しさを感じた=写真=。朝4時20分ごろだった。しばらく眺めていてソファに戻ると、後半24分でベルギー側からのヘディングシュートがゴールキーパー川島の頭上を越えてゴール。さらに同29分にもヘディングシュートをたたき込まれて同点に追いつかれた。その後、本田が投入され、一進一退の攻防が続いた。延長戦が目前に迫った後半49分にカウンター攻撃から決勝ゴールを決められた。

   グループリーグ第3戦の対ポーランドとの試合(6月28日)では、0-1でリードを許しながら、後半40分ごろから攻めることなくボールを回し続けた。自力突破で勝ち点を狙わず、警告数の差のみで決勝トーナメント進出を狙う。こんな試合運びでよいのか、サムライならば勝負に出るべきではないのか、などともどかしさを感じたこともあった。そして、きょうの決勝トーナメント第1戦。世界ランキング61位の日本が同3位のベルギーに立ち向かったのだ。

   日本は逆転負けを喫し、初のベスト8入りは果たせなかった。海外のメディアはこの一戦をどう評価したのか。イギリスBBCテレビのWeb版には以下の記載があった。

  "Japan will regret the last two minutes because they threw everything forward and they were a little bit too open at the back," said BBC One pundit Jurgen Klinsmann, a former Germany international. "In the 94th minute, the players are tired and they are thinking about extra time, and that is when mistakes happen." (BBC解説者で元ドイツ代表監督のユルゲン・クリンスマン氏は「日本は最後の2分間を後悔するだろう。すべてを前方に持ってきて、後方がやや空きすぎだった」「(試合開始から)94分台になると、選手は疲れているし、延長のことを考える。ミスはその時に起きるのだ」と話した)

    後半戦で日本は鮮やかに先制したが同点に追いつかれ、最後の2分間の油断で負けた、ということか。冷静な分析かもしれない。そういえば、朝焼けにはジンクスがある。きれいな朝焼けの日ほど後半は雨が降る、と。

⇒3日(火)朝・金沢の天気  はれ時々くもり

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