自在コラム

⇒ 日常での観察や大学キャンパスでの見聞、環境や時事問題、メディアとネットの考察などを紹介する宇野文夫のコラム

☆権力を挑発するメディア人

2006年05月17日 | ⇒ランダム書評
 ジャーナリストの田原総一朗氏が司会をするテレビ朝日の番組「サンデープロジェクト」や「朝まで生テレビ!」を視聴していると、田原氏の手法はあえて相手を挑発して本音を引き出すことを得意技としている。アメリカCNNのトーク番組「ラリー・キング・ライブ」のインタビューアー、ラリー・キング氏の手法は執拗に食い下がって相手の感情をさらけ出してしまうというものだ。手法は似て非なるものかも知れないが、要は相手に迫る迫力が聞き手にあるということだろう。

 田原氏の近著、「テレビと権力」(講談社)を読んだ。内容は、権力の内幕をさらけ出すというより、田原氏がテレビや活字メディアに出演させた人物列伝とその取材の内幕といった印象だ。岩波映画の時代から始まって、テレビ東京のこと、現在の「サンデープロジェクト」まで、それこそ桃井かおりや小沢一郎、小泉純一郎まで、学生運動家や芸能人、財界人、政治家の名前が次々と出てくる。

 田原氏の眼からみた人となりの評し方も面白い。週刊文春で連載した「霞ヶ関の若き獅子たち」の宮内庁の章。民間の妃と結婚した皇太子(現・天皇)は同庁の中での評判が悪かった。75年7月、沖縄訪問でひめゆりの塔を参拝したときに火炎瓶を投げつけられた皇太子は「それをあるがままのもとして受けとめるべきだと思う」と発言した。それについても庁内では、威厳がない、あるいは弱気すぎるなどと批判があったそうだ。その皇太子の姿は官僚の操り人形にはならないぞとの姿勢にも見えて、「皇太子時代の頑張りは、天皇となった現在も続いていると私は見ている。(…中略…)声援したい気持ちでいる」と田原氏は好意的に記している。

 冒頭で紹介した「挑発する田原総一郎」はテレビ朝日「朝まで生テレビ!」が始まりだ。スタートが87年4月だからかれこれ20年になる。ソ連にゴルバチョフ書記長が登場し(85年)、東西ドイツの「ベルリンの壁」が崩壊する(89年)。そして日本でも自民党の安定政権が揺らいだ時代だ。このころの田原氏はジャーナリストとしてフリーとなっている。おそらくテレビ局員だったらこの番組は成立しなかったかもしれない。何しろ、タブーとされた天皇論、原発問題など果敢に切り込んでいくのである。とくに原発問題はテレビ局自身が営業的な観点から最もタブーとした事柄だ。この意味で番組と「内なる権力」との相克があったことが述べられている。

 政治権力との相克は「サンデープロジェクト」から始まる。著書の「政局はスタジオがつくる」の項は、佐藤栄作から軍資金をもらいにいった竹下登と金丸信のエピソードが書き出しだ。その金丸の後ろ盾で小沢一郎が自民党内を牛耳る。小沢が海部俊樹を総理に担ぎ上げる。そのとき、「トップは軽くてパアがよい」と小沢がいったとのうわさが広がる。ここあたりになると私自身の記憶も鮮明に蘇ってくる。

 この本の面白さはこうした場面展開が次々と出てきて、そういえばかつてそんなテレビ画面があったと思い起こさせてくれる点だ。映像のプレイバックとでもいおうか、読み進むうちに時代の記憶を誘発して呼び起こす駆動装置のようでもある。そのスタートはそれぞれが田原氏の番組と視聴者としてかかわった年代となる。これまで政治に無関心であった人にとっては、この著書を読んでもその記憶の駆動はスタートしないだろう。

⇒17日(水)夜・金沢の天気   くもり 

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