自在コラム

⇒ 日常で観察したことや環境問題、金沢大学での見聞、マスメディアとインターネットについての考察を紹介する宇野文夫のコラム

★「隠居」という人生の深淵

2019年07月28日 | ⇒トピック往来

  「四畳半で隠居生活を送る」。ひょっとして人生の最高の贅沢かもしれないと思い勉強会に参加した。きょう(28日)富山市で開催された「茶の湯文化にふれる市民講座」(主催:表千家同門会富山県支部)。講師は歴史学者(日本文化史・茶道史)の熊倉功夫氏でテーマは「家元の代替わりと隠居」。昨年2月に表千家が14代家元・而妙斎(じみょうさい)から15代・猶有斎(ゆうゆうさい)に引き継がれたことからこのタイトルになったようだ。家元の隠居はどのような人生スタイルだったのか。

  茶道の流派のうち、三千家(さんせんけ)は表千家・裏千家・武者小路千家を総称する呼び名で、その三千家の祖が千利休の孫の宗旦(そうたん)であることは知られる。祖父の利休が豊臣秀吉により自刃に追い込まれたことから、自らは大名との関わりを避けたといわれる。「懸念(けんねん)の病(やまい)」、いわゆる心配性でノイローゼ状態だったともいわれる。大名というスポンサーがいないので清貧だった。「収入がないので利休の道具を売って暮らしていた」(熊倉氏)。

  その分、宗旦は侘び茶の精神を磨き上げた。隠居生活は4畳半の住まいで、2畳の広さの茶室だった。宗旦が80歳のときに描いた「茶杓絵賛」がある。「チヲハナレ ヤツノトシヨリ シナライテ ヤトセニナレト クラカリハヤミ」(乳離れして、八歳から(茶の湯を)習ってきたが、八十歳になっても、暗がりは闇である)と。茶道の暗中模索の心境が生涯続いたと表現している。

  代は飛ぶが、8代家元・啐啄斎(そくたくさい)は8歳で父の7代・如心斎(じょしんさい)を亡くし、父の高弟たちに家元として必要な知識を教えられた。40代半ばに京都の天明の大火(1788)で伝来道具を残して全てを失い、再興に全力を注ぐことになる。還暦60歳で9代・了々斎(りょうりょうさい)に家元を譲り、宗旦を名乗った。「木槿(むくげ)にも恥す二畳に大あくら」という句を残している。隠居生活は畳が2畳があれば十分だ、「一亭二客」の茶の湯を十分に楽しめると。火災を経験した人物の諦念というものを感じさせる。  

   幕末から明治維新という大変革のときに10代・吸江斎(きゅうこうさい)、11代・碌々斎(ろくそくさい)は生きた。吸江斎は幼くして千家に入り、家元を襲名した。大津絵の「鬼の念仏図」というユーモラスなタッチで描かれた絵がある。吸江斎筆の「不苦者有智」が賛がある。「福は内」の当て字である。その意味は「苦しまざる者に智有り」。その意味をかみしめると実に哲学的である。時代を生き抜く知恵があれば不安から解き放たれる、と。吸江斎は38歳で子の碌々斎に代を譲り隠居号・宗旦を名乗るが、43歳でその生涯を閉じる。

    碌々斎は天保8年(1837)に生まれ、19歳で家元を継ぐ。31歳のときに明治維新の時代の大波が押し寄せ、京都から東京に遷都。混沌とした世情の中で茶の湯も苦難の道を歩むことになる。大名というスポンサーを失ったことは言うまでもないが、追い打ちをかけたのが文明開化だった。時代の価値観が和の伝統文化から西洋文明へと向かう。当時の財閥の支援もあったとされるものの、家元は全国を行脚し、神社仏閣などで献茶式を行うことで茶の湯の普及にいそしんだ。この努力が地方の茶人とのコミュニケーションの場を創り出し、茶道復興の道筋をつくる。56歳で隠居して父同様に宗旦を名乗る。しかし、その直後、家元の屋敷が火災に遭う。74歳で生涯を終える。

   講演で聴いた家元の隠居スタイルは実にリアリティのあるものだったが、もちろん、すべてが苦行続きだったわけではないだろう。話は現代に戻る。「生涯現役」という言葉もあり、隠居という言葉自体が時代遅れかもしれない。熊倉氏は講演の最後に「会場のみなさん、楽隠居されてはいかがですか」と参加者に投げかけた。楽をするためにあえて隠居するという考えもあるだろう。また、苦を背負い込んで人生を全うすることこそが人生を楽しむという生き方と考える人もいるだろう。そして最後に「即今(そっこん)」という言葉を付け加えた。「今という瞬間を大切に生きましょう。今日庵、不審庵という茶室名は今を生きてこそという生き方を問うています」。胸に刺さる一言だった。

   で、自身はどうするのか。4畳半の隠居生活で茶を点てる。同好の士が集えばそれでよい。隠居は楽しい。あとは何も考えない、か…。

⇒28日(日)夜・金沢の天気    はれ

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☆「ディール」という病(やまい)

2019年07月27日 | ⇒ニュース走査

   これもディール(deal)なのだろうか。北朝鮮が25日に発射したミサイルについて、アメリカのトランプ大統領は26日、ホワイトハウスで記者団に対し「短距離ミサイルで、どこにでもある普通のもので、全く心配していない」と述べたと報じられている。アメリカとしては今回のミサイル発射を全く問題にしない、と。いくら外交的なディールであるとは言え、ここまで言い切れるのだろうか。

   確かに、北朝鮮の「朝鮮中央通信」ホームページ(26日付)の新着情報を見ても、ミサイル発射の理由を「南朝鮮地域に先端攻撃兵器を持ち込んで軍事演習を強行しようとし熱を上げている南朝鮮軍部好戦勢力に厳重な警告を発するため」と述べ、韓国への警告だと発している。アメリカを牽制する言葉はどこにもない。ホワイト・ハウスではここを分析して、トランプ氏がミサイルの発射を問題視しない姿勢を示したのだろう。6月30日にトランプ氏と北朝鮮の金正恩党委員長が南北軍事境界線がある板門店で会談したばかり。米朝首脳会談で合意した非核化の進め方を話し合う実務者協議に応じるよう、北に促す狙いがアメリカ側にあるのかもしれない。

   一方で強烈な言葉でディールを発している。トランプ氏はツイッター=写真=で「The WTO is BROKEN when the world’s RICHEST countries claim to be developing countries to avoid WTO rules and get special treatment. NO more!!! 」(世界の最も裕福な国がWTO=世界貿易機関の規則を避け、途上国として特別な扱いを受けている、WTOは壊れている。もういやだ!!!」と。世界2位の経済大国に成長した中国がいまだに発展途上国として扱われ、貿易上で優遇されているのはおかしいと不満をWTOにぶつけた。もちろん、これは中国に向けた言葉だろう。

    途上国を理由に中国は関税や国内企業への補助金などで他のWTO加盟国より緩いルールが適用されているとアメリカは以前から指摘していた。WTOに対して中国を含む新興国の貿易ルールを厳しく監視する改革案を提出しているが、中国は反発している。トランプ氏とすれば、中国との貿易摩擦が長期化しており、貿易ルールをつくるWTOをあえて巻き込む意図があるのかもしれない。

    トランプ氏は別のツイッター(26日付)で「マクロン大統領の愚かな行為に対して大きな対抗措置を公表する予定だ」と書き込んでいる。フランスはアメリカのIT大手企業にした独自のデジタル課税をする方針をしてしており、フランスで来月開かれるG7サミット(主要7か国首脳会議)での交渉に「宣戦布告」をしている。

    緩く甘く、ときには激しく罵倒する。外交には必要なことかもしれないが、ディールという病(やまい)のようにも思えてくる。

⇒27日(土)夜・金沢の天気    くもり

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★「兵器開発」という病(やまい)

2019年07月26日 | ⇒ニュース走査

   けさ(26日)北朝鮮の「朝鮮中央通信」ホームページ=写真=の新着情報をチェックしてこんなことを思った。「これは病(やまい)ではないのか」と。記事は「경애하는 최고령도자 김정은동지께서 신형전술유도무기 위력시위사격을 조직지도하시였다」(敬愛する最高指導者、金正恩同志が新型戦術誘導兵器の威力デモ射撃を組織指導した)との見出しで、きのう25日早朝に、短距離ミサイルを2発発射したのは、金正恩朝鮮労働党委員長が立ち合いで、「新型戦術誘導兵器」の威嚇デモ発射を行ったと述べている。

   ここから読めるのは「新型戦術誘導兵器」を開発しているということだ。武力というのは一度手を染め始めると、性能の向上を求めて開発意欲が止まらない。それに示す根拠の一つとして、記事には「新型戦術誘導兵器」は低空で飛行し、その威力を直接確認することができたことで金氏は満足した、と記載されている点だ。党委員長という独裁的に立場にある人物が開設セクションに性能の向上を具体的に指示し、その成果を現地で自ら確認したということだ。ここが兵器開発という病(やまい)に陥っているのではないかと憶測した次第だ。

   朝鮮中央通信の記事にはもう一つ、今回の発射の意義を記載している箇所がある。「경애하는 최고령도자동지께서는 우리의 거듭되는 경고에도 불구하고 남조선지역에 첨단공격형무기들을 반입하고 군사연습을 강행하려고 열을 올리고있는 남조선군부호전세력들에게 엄중한 경고를 보내기 위한 무력시위의 일환으로 신형전술유도무기사격을 조직하시고 직접 지도하시였다.」(敬愛する最高指導者同志は私たちの度重なる警告にもかかわらず、南朝鮮地域に先端攻撃兵器を持ち込んで軍事演習を強行しようとし熱を上げている南朝鮮軍部好戦勢力に厳重な警告を発するための武力デモの一環として、新型戦術誘導兵器射撃を組織し直接指導した)。

   つまり、8月にも予定される米朝合同軍事訓練に対して、韓国に警告を発するための武力デモだと強調している点だ。とくに韓国が「先端攻撃兵器」を持ち込み、軍事演習を強行することに対して、これは厳重な警告だと述べている。アメリカに対する直接的な記述は見当たらないが、この先端攻撃兵器という軍事情報を北側がどこで知り得たのか、あるいは単なる「カマかけ」なのか、気になるところだ。

⇒26日(金)朝・金沢の天気     はれ

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☆ミサイルと違法操業、不漁の三重不安

2019年07月25日 | ⇒ニュース走査

       きょう25日午前5時34分と57分に北朝鮮が日本海に向けて2発の短距離ミサイルを発射したとメディア各社が報じている。6月30日にアメリカのトランプ大統領と北朝鮮の金正恩党委員長が南北軍事境界線がある板門店で会談したばかりではないか。北は誰に向けて、なぜ威嚇的な行為に出ているのか。トランプ氏のツイッターをチェックしたが、まだコメントを記載していない(午後5時10分現在)。

   報道によると、2発はいずれも短距離ミサイルで、高度50㌔に達し、少なくとも430㌔を飛行して日本海に落下したと推定される。北朝鮮は5月4日と9日にも日本海に向けミサイルを発射している。なぜ再発射なのか。トランプ氏が「2、3週間以内」としていた非核化に向けた実務協議が実施されないことに対しての開催要求なのか。あるいは、アメリカと韓国が8月に予定する合同軍事演習に対する中止要求なのか。

   北の発射に関して別の見方もあるようだ。報道各社が北朝鮮国営メディアの引用として報じているのは、今月23日に金氏が潜水艦を視察する様子を掲載していて、これが潜水艦発射弾道ミサイルを搭載するために建造された新型ではないか、ということだ。独自に国防力強化にひた走っている動きの一環ともとれる。

   こうした一連のニュースに不安を募らせているのは日本海で操業する日本の漁業関係者ではないだろう。6月からスルメイカ漁が始まりイカ釣り漁船が日本海で操業している。特に能登半島沖の大和堆(やまとたい)は好漁場とされ、周辺海域の日本の排他的経済水域(EEZ)には北朝鮮のイカ網漁船が違法操業を行っている。海上保安庁がきのう24日の会見で発表した数字によると、5月下旬以降で北の漁船による違法操業は625隻に上り退去警告を発したという。うち、放水による強制措置は122隻だった。 

   ただ、漁業関係者の間では、ことしのイカ漁は全体的に不漁なのだそうだ。北海道沖の武蔵堆(むさしたい)と行き来しながらスルメイカを追いかけている状態という。ミサイルと違法操業、そして不漁の三重の不安が漁業関係者を困惑させているのだ。

⇒25日(木)夕・金沢の天気     はれ時々くもり

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★参院選、異色な戦い 

2019年07月22日 | ⇒ニュース走査

  今回の参院選は異色だった。「NHKから国民を守る党」の代表の立花孝志氏 =元NHK職員=が初当選を果たした。報道陣の取材に対して、「歴史が変わる瞬間だ」と語っていたのが印象的だった。シングルイシューで初の国政進出ではないだろうか。

  NHKから国民を守る党は37人が選挙区選挙に立候補し、比例代表(定員50)にも4人が出馬していた。受信料を支払った人だけが視聴できるスクランブル放送化や受信料を払わない人を応援・サポートするとアピールしている政治団体だが、シングルイシューだからといって侮れない。先の東京都区議選(投開票4月21日)で17人が当選するなど、4月の統一地方選挙では立候補者47人のうち26人を当選させている。同党の地方議員は総勢39人だ。単一論点を掲げる政党がこれほど議席を獲得するのは異例だろう。

  参院選の戦いぶりは奇妙だった。ネット選挙を活かして、フォロワーが多数いるユーチューバーらを擁立しての戦いだった。NHKで比例代表の政見放送(7月10日午前)をチェックしたが、立花氏はNHK職員のわいせつ行為での逮捕など相次いでいると批判していた。他の3候補は「NHKをぶっ壊す」とだけ発言する男性や、寸劇を繰り広げた女性もいた。

     立憲民主の比例代表で初当選した石川大我氏はLGBTの支援を続けてきた。自らもLGBT当事者として、差別解消法案や婚姻平等法案の成立を目指す。もう一人、この候補者は落選したのだが、ぜひ喜びの歌声を聞きたかった。石川選挙区で、国民民主の新人として選挙戦を戦った田辺徹氏はドイツ在住歴20年の元オペラ歌手だ。選挙期間中は県内を回り、安倍政権の経済政策「アベノミクス」から家計第一の「ヒトノミクス」への政策転換を説いた。10月に予定される消費税増税の阻止も訴えたが、自民の現職には及ばなかった。午後8時にテレビの速報で相手候補の当確のニュースが流れ、「安倍政権の恐怖政治に民意がつぶされた」と報道陣のインタビューに悔しそうに答えていた。

      ところで、日本の参院選を海外メディアはどう伝えているのだろうか。アメリカのウオール・ストリート・ジャーナル紙は見出しで「Shinzo Abe Is Set to Become Japan’s Longest-Serving Prime Minister In elections for the upper house of parliament, Japan’s ruling coalition maintains its majority」(安倍晋三氏が日本最長の首相に就任 参院選では日本の与党連合が大多数を維持)と淡々と伝えているが、選挙後に関税の引き下げを求めているトランプ大統領との難しい交渉が待ち受けていると報じている。安倍総理も勝利の喜びにうかうかとしてはおられない。

⇒22日(月)午後・金沢の天気   はれ

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☆政局の地鳴りが聞こえるか

2019年07月21日 | ⇒トピック往来

   おそくら深夜にも大勢が判明するのだろう。自民と公明とで改選124議席の過半数63の確保が確実になった。しかし、自民と公明、維新による「憲法改正勢力」は改憲発議に必要な参院の3分の2(164)を維持する85議席は微妙な情勢だ。

   安倍総理はテレビ朝日の選挙特番で、「改選議席の過半数を獲得できる見通しとなっているので勝利を得た。安定した政治基盤の上で国益を守る外交を進めていけという有権者からの判断をいただいたと思っている」と語っていた。

   各地で「異変」が起きている。新潟選挙区(改選数1)で、野党統一候補で無所属新人の打越さく良氏が、3選を目指す自民現職の塚田一郎氏を破り、初当選を確実にした。塚田氏は国土交通省副大臣のとき下関北九州道路を安倍総理や麻生財務大臣のお膝元であることに引っ掛けて「忖度」発言したことで起きた国会での騒動の責任を取って辞任している。

   れいわ新選組が比例選特定枠で出馬した重度障害者の舩後靖彦氏の初当選を確実にした。舩後氏は全身の筋肉が動かなくなる難病のALS・筋萎縮性側索硬化症だが、これまで会社経営に参画している。支援者が代読して、「なぜ私が立候補しようと思ったかというと、自分と同じ苦しみを障害者の仲間に味わわせたくないと考えたからだ。ボクという人間を見て、必要な支援とは何かを今一度、考え直してもらえる制度をつくっていきたい」と述べていた。感動的だった。寝たきりになっても声を国会に届けるということを国内だけでなく海外にも知らしめた。その存在感をぜひ国会で示してほしい。

   初陣はならず。静岡選挙区(改選数2)で現職2人に挑んだ、徳川宗家19代目で立憲民主の新人、徳川家広氏は敗戦だった。

   結果として、「安倍1強」の政治基盤は崩れずに維持する。自民の単独過半数の維持は厳しいが、連立を組む公明への配慮をしながら今後も政権を持続するだろう。衆院解散という選択肢をフリーハンドで握りながら、今後も政権運営に当たる。それにしても、参院選での野党の存在感はなかった。「立憲は22議席」との議席予想の読みもあったが、れいわ新選組の方が勢いがある。その風向きを読んでか、選挙特番で各社は安倍氏の次にインタビューしたのはれいわの山本太郎氏だった。

   今後野党の再編が本格化する。それが次なる政局へと展開する。今回の参院選が政治の大きな節目ではないだろうか。政局の地鳴りが聞こえ始めたような気がする。(※写真:21日午後21時15分、金沢市営中央市民体育館で開票作業が始まった)

⇒21日(日)夜・金沢の天気     くもり

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★「マスメディアと現代を読み解く」の講義から-5-

2019年07月19日 | ⇒メディア時評

    記者会見をテーマにした講義では、学生たちに「最近印象に残っている記者会見は何か」とリアクション・ペーパー(感想文)に記述してもらった。65名から回答があったが、芸能人やスポーツ選手の会見が印象深いようだ。

    ~計算された記者会見、人生のドラマが凝縮される記者会見~

    お笑いコンビ「南海キャンディーズ」の山里亮太と女優の蒼井優の結婚発表会見(6月5日)は「予想もしなかった電撃結婚」。面識のない女性をコンビニで平手打ちしたとして逮捕された音楽グループ「AAA」のリーダー浦田直也のお詫び会見(4月21日)は「スーツを着てキリッとした格好で記者会見に現れたが、記憶にない、覚えていないとヘラヘラ笑っていた。違和感を感じた」。 ウィンブルドン・ジュニア選手権の男子シングルスで初優勝した望月慎太郎の記者会見(7月14日)には「16歳ながら、落ち着いた態度で記者を端々で笑わせる面白い会見だった」と。記者会見ではさまざま人間模様が見えてくる。

    講義では自分自身の印象に残る会見として、日本大学と関西学院大学のアメリカンフットボールの定期戦で悪質なタックルをし、関学大選手を負傷させた日大の加害選手の記者会見(2018年5月22日)を紹介した。特徴として、20歳で実名での会見だったこと、場所が日本記者クラブで会見したことだ。同記者クラブでの会見は弁護士は同席させないルールだが、本人が20歳ということで2人の弁護士が同席したことも異例だった。会見では、故意や動機、計画性、事件に至る心情、事件後の状況をとつとつと述べ、深い反省の態度を示した。その上で、悪質なタックルは前監督とコーチの指示だったと述べた。このことで、加害選手に同情が寄せられた。

    では、加害選手は誰に向けてメッセージを発したのか。けがの程度は全治3週間の軽傷で、会見の3日前に日大監督が西宮市内を訪れて被害選手と父親に謝罪、あわせて監督を辞任している。普通ならばこの一件はここで落着となるが、5月21日に被害選手の父親が(大阪市議)が記者会見で大阪府警に被害届を出したと発表した。加害選手の会見はその翌日だった。刑事処分になった場合、加害選手本人が傷害罪として罰せられる。この最悪のケースを防ぐ必要があり、弁護士2人が急きょ記者会見をセットした。ポイントは本人の深い反省の弁と、前監督とコーチの指示によるものだったと強調することだった。つまり、記者会見を通して、警察・検察にメッセージを送ったのだ。刑事処分を念頭に、計算され尽くした記者会見だった。

   記者会見にはさまざまなパターンがある。災害の緊急記者会見は混乱を伴う。原告団記者会見は大人数が並ぶ。謝罪会見ではお詫び、頭の下げ方まで注目される。記者会見は筋書きのないドラマでもある。「前代未聞の記者会見」と呼ばれた佐藤栄作総理の退陣表明の会見(1972年)は「新聞記者所払い」があった。「テレビカメラはどこかね。僕は国民に直接話したい。テレビは真実を伝える。偏向的新聞は大嫌いだ」と述べた。怒った新聞記者が退席した会見場で、総理はNHKのカメラに向かって一人でしゃべり続けた。これがノーベル平和賞を受賞した日本の総理の最後の会見だった。

   会社や役所内で不祥事があれば、記者会見での対応が必要となる。記者会見でさらに印象が悪くなることがある。記者会見は「危機管理」の対象でもある。誰が出席して対応すべきか、記者会見中に打ち合わせをしてよいのか、どのような服装で会見に臨めばよいのか、記者会見はどのようなタイミングで終わればよいか、謝罪会見の場合、「おじぎ」は何秒頭を下げればよいのか。記者会見には人生のドラマが凝縮される。 

      (※写真は首相官邸HPに掲載されている安倍総理の記者会見の様子。右側に設置されているプロンプターには原稿が映し出されている)

⇒19日(金)朝・金沢の天気     あめ

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☆「マスメディアと現代を読み解く」の講義から-4-

2019年07月18日 | ⇒メディア時評

        そもそもマスメディアって何だと学生たちに問いかける。「情報やニュースを人々に伝達する媒体(メディア=media)である新聞・雑誌、ラジオを集合的に示す言葉。1923年初見の広告の業界用語」(オックスフォード英語辞典)。1922年にアメリカでラジオ放送が始まった。マスメディアの報道としての役割が加速したのは1915年、第一次世界大戦中に起きたドイツによるイギリス客船の撃沈事件でアメリカ国民が多数犠牲になり、ニュース・報道への関心が急速に高まった。その後、ニュース・情報を掲載した広告媒体というビジネスモデルがアメリカで確立されることになる。

    ~震災から戦争、そして東京オリンピック、日本の現代史を刻む~

   では、日本でのマスメディアの成り立ちはどうか。原点の一つは「災害情報」にある。江戸時代に普及した瓦版は約4割が安政大地震を伝えたものと言われる。1923年、マグニチュード7.9、日本の災害史上最大級とされた関東大震災を契機に災害報道の速報性がニーズとして高まり、2年後の1925年にラジオが開局する。1953年にテレビ放送が開始され、自然災害を速報性と映像で伝えるテレビの役割へと展開する。現代は、SNS・ソーシャルメディアの普及で、被災地から人々がその状況を直接発信するようになり、災害情報は垂直から水平へと展開するようにもなってきた。

   明治時代は新聞ジャーナリズムの黎明期だった。1869年(明治2年)の新聞印行条例で、発行許可制と事後検閲制のもとで新聞発行を認めることでスタートした。毎日新聞は1872年(明治5年)に創刊、以下、読売新聞、朝日新聞と続く。当時は世の中の事件や社会の大衆ネタを扱う「小新聞」と、政治・政党色の強い「大新聞」に色分けされていたが、毎日や読売、朝日のスタートは小新聞だった。

   そんな中で、福沢諭吉が1882年(明治15年)に創刊した時事新報は、不羈(ふき)独立の精神を掲げたマスメディアだった。独立自尊という言葉の意味にも直結するが、自らの新聞社の経営をしっかりしたものにし、政府権力に依存せず、また市民におもねないことを目指していた。ただ、新聞印行条例により、福沢が論じた「藩閥寡人政府論」や「西洋人の日本疎外論」は発行停止処分を受けた。また、福沢の進歩的な論評はときに読者にも誤解され、「ホラを福沢 ウソを諭吉」などと揶揄された。1936年(昭和11年)、大阪進出が失敗した時事新報は解散することになる。

   太平洋戦争の開戦(1941年)とともに、新聞は同年に公布された新聞事業令によって、国家が新聞社の廃止や解散の権限を握ることになり、すべてのマスメディアは戦争遂行の道具へと転換する。新聞統合も進み、1937年(昭和12年)に全国で1208社あった日刊発行社は55社になった。開戦を最初に国民に知らせたマスメディアはラジオ、敗戦を告げたものラジオだった。あらゆる技術は軍需産業へ転換し、テレビの技術開発は中止に追い込まれた。

   戦後、マスメディアの主流はテレビへとシフトする。1953年(昭和28年)2月にNHK東京テレビジョンが開局、半年後の8月に民放の日本テレビが放送を始めた。とは言え、シャープが発売した日本最初のテレビは14インチで17万5000円、大卒銀行マンの初任給が5600円の時代だった。テレビの普及は進まず、「街頭テレビ」を市民がみんなで見るという時代があった。1959年(昭和34年)、今の上皇夫妻のご成婚をきっかけにテレビが爆発的に売れる。美智子妃殿下のお姿を見たいという「ミッチーブーム」が起きた。

   ご成婚から3年後の1962年にはテレビが1000万台、普及率50%という大台に乗った。もちろん、戦後の高度経済成長が背景にあったのは言うまでもない。1964年の東京オリンピックによって、テレビは飛躍的な技術的な進化を遂げる。カラー放送、衛星中継、スローVTRの導入など。今のテレビのベースになる放送技術がこのころに確立されたと言ってよい。(※写真はNHKのポスター。テレビの黎明期、食い入るように相撲番組を視聴する子供たちの様子)

⇒18日(木)夜・金沢の天気     あめ

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★懸念する日本海での日韓衝突

2019年07月17日 | ⇒ニュース走査

   日本政府による韓国への半導体材料の輸出管理の優遇、いわゆる「ホワイト国」の解除をめぐって、韓国がアメリカ詣を続けている。今月10日には韓国の康京和外交部長官がアメリカのポンペオ国務長官と電話で会談して、日本の今回の措置に対する不満を述べたと韓国メディアが報じている。日本の輸出管理の厳格化措置が日米韓の安保上での連帯を弱めるだけでなく、アメリカが最優先事項としている北朝鮮の核兵器完全破棄の政策に支障になる、と。

   直接向き合わず、他国を経由しての批判を「告げ口外交」という。2013年に韓国の朴槿恵大統領が就任して行った外交が、日本と韓国の歴史問題に関することを、第三国に対して日本への悪口を言い触らして回ったことで、「韓国の告げ口外交」と呼ばれた。これは朴槿恵独自の外交かと思っていたが、どうやら韓国の「お家芸」のようだ。で、トランプ政権は韓国の告げ口外交に同情して、日本側に改善を求めてくるだろうか。

   これまでの韓国による自衛隊機への火器管制レーダー照射の問題、慰安婦財団の一方的な解散、戦時中における朝鮮半島出身の労働者問題をめぐる日韓請求権協定の反古など、外交問題を起こしてきたのは韓国側であることを実によく知っているのはアメリカ側だろう。「安全保障で信頼関係を保つのが難しい国だ」と。今後、韓国が徹底抗戦の姿勢を崩さず、日本も一歩も引かなければ日韓関係の在り様は異次元レベルの展開になるかもしれない。

   日本海側に住む一人として今後懸念するのは漁場のことだ。昨年11月20日、操業中の日本のイカ釣り漁船に対し、韓国の海洋警察庁の警備艦が「操業を止め、海域を移動するよう」と指示を出し、漁船を威嚇するという事件があった。水産庁のHPで掲載されているプレスリリースを元に少し詳しく述べる。同日午後8時半ごろ、能登半島の西北西約400㌔に位置する、日本の排他的経済水域(EEZ)の大和堆(やまとたい)付近で操業中の日本のイカ釣り漁船(184㌧、北海道根室市所属)に対し、韓国・海洋警察庁の警備艦が「操業を止め、海域を移動するよう」と無線交信をしているのを、水産庁漁業取締船と海上保安庁巡視船が確認した。

    水産庁の漁業取締船は日本の漁船の付近に位置取り、韓国警備艦に対し、日韓漁業協定でも日本漁船が操業可能な水域であり、漁船に対する要求は認められないと無線で申し入れた。その後、韓国の警備艦が漁船に接近し威嚇したため、海上保安庁の巡視船が韓国の警備艇と漁船の間に割って入った。すると、韓国の警備艇は午後10時50分ごろ現場海域を離れた。

    スルメイカは貴重な漁業資源だ。それを北朝鮮に荒らされ、さらに「日本漁船は海域を出ろ」という韓国。その前の昨年8月にも韓国の海洋調査船が、島根県沖の竹島の領海に侵入した。日本の同意を得ずに海洋調査を実施したとして韓国に2度抗議したが、韓国は領有権があるとして抗議をはねつけている。同様のケースが今後続発するのではないか。日韓は歴史の転換点に差しかかっている。

⇒17日(水)夜・金沢の天気     くもり

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☆「マスメディアと現代を読み解く」の講義から-3-

2019年07月16日 | ⇒メディア時評

  講義科目「マスメディアと現代を読み解く」(全8回、1単位)では「震災とマスメディア」をテーマに2回(6月26日、7月3日)にわたって講義した。その中で記者時代の体験談も語った。津波を体験している。1983年5月26日正午ごろ、秋田沖が震源の日本海中部沖地震が起きた。輪島では震度そのもは3だったが、猛烈な津波がその後に押し寄せた。高さ数㍍の波が海上を滑って走るように向かってくる。当時、新聞記者で輪島支局員だった。輪島港が湾内に大きな渦が出来て、漁船同士が衝突し沈没しかかっている船から乗組員を助け上げているを見て、現場へ走り、1回シャッターを切ってすぐ逃げた。大波が間近に見えていたからである。「あの時、取材で欲を出して数回シャッターを切っていたら、おそらくこの講義はなかったろう」と話すと、学生たちは複雑な顔で聴いていた。

   ~震災被災地でシャッターチャンスを狙う取材者と被災者目線の違和感~

  2007年3月25日の能登半島地震(震度6強)では翌日現場に駆け付けた。学生たちを復旧ボランティアに参加させる計画を立てるためだった。このとき、地震対策本部からは「余震が続いているのでボランティアは見合わせてほしい」と告げられた。全半壊の街を歩くと、半壊となっていた家屋が余震で壊れるシーンを撮影しようと身構えるカメラマンたちがいた=写真・上=。とても違和感を感じた。しかし、自身が現役の報道デスクだったら、「チャンスを逃すな」と激励していたに違いない。被災地の感覚と、取材者側の感覚の違いが自身の中で浮かんだ。

  同じ年の7月16日、同じ日本海側で新潟県中越沖地震(震度6強)が発生した。  被災地を取材に訪れたのは震災から3ヵ月後だった。柏崎駅前の商店街の歩道はあちこちでひずみが残っていて歩きにくく、復旧半ばという印象だった=写真・下=。コミュニティー放送「FMピッカラ」はそうした商店街の一角にあった=写真・下=。祝日の午前の静けさを破る震度6強の揺れがあったのは午前10時13分ごろ。その1分45秒後には、「お聞きの放送は76.3メガヘルツ。ただいま大きな揺れを感じましたが、皆さんは大丈夫ですか」と緊急放送に入った。午前11時から始まるレギュラーの生番組の準備をしていたタイミングだったので立ち上がりは速かった。

   通常のピッカラの生放送は平日およそ9時間だが、災害時の緊急編成は24時間の生放送。柏崎市では75ヵ所、およそ6000人が避難所生活を余儀なくされた。このため、市の災害対策本部にスタッフを常駐させ、被災者が当面最も必要とする避難所や炊き出し時刻、物資の支給先、仮設の風呂の場所、開店店舗の情報などライフライン情報を中心に4人のパーソナリティーが交代で流し続けた。

    コミュニティー放送局であるがゆえに「被災者のための情報」に徹することができたといえるかもしれない。インタビューに応じてくれた、パーソナリティーで放送部長の船崎幸子さんは「放送は双方向でより深まった」と当時を振り返った。ピッカラは一方的に行政からの情報を流すのではなく、市民からの声を吸い上げることでより被災者にとって価値のある情報として伝えた。たとえば、水道やガスの復旧が遅れ、夏場だけに洗髪に不自由さを感じた人も多かった。「水を使わないシャンプーはどこに行けばありますか」という被災者からの質問を放送で紹介。すると、リスナーから「どこそこのお店に行けばあります」などの情報が寄せられた。行政から得られない細やかな情報である。

    24時間の生放送を41日間。この間、応援スタッフのオファーも他のFM局からあったが、4人のパーソナリティーは交代しなかった。「聞き慣れた声が被災者に安心感を与える」(船崎さん)という理由だった。このため、リスナーから「疲れはないの、大丈夫ですか」とスタッフを気遣うメールが届いたほどだった。

    ピッカラの災害放送対応を他のコミュニティー放送が真似ようとしても、おそらく難しいだろう。コミュニティー放送局そのものが被災した場合、放送したくても放送施設が十分確保されないケースもある。そして、災害の発生時、その場所、その状況によって放送する人員が確保されない場合もある。その意味で、発生から1分45秒後に放送ができた「FMピッカラ」は幸運だったともいえる。そして、「情報こそライフライン」に徹して、コミュニティー放送の役割を見事に果たした事例としてピッカラは評価される。

    取材の後、柏崎の街を歩きながらなぜ震災の復旧が進まないのかと改めて考えた。中越沖地震の場合、マスメディアを通した耳目が柏崎刈羽原発に集中してしまい、街の復旧や復興の様子が視聴者には見えにくくなっていたのではないだろうか。もちろん行政は全力投球していただろう。しかし、マスメディアの取材の優先度が原発が先になると、行政もそれに引きずられる。原発というシリアスな問題では、街の復興・復旧は盲点となりかねない。柏崎の街を歩きながら考えたことも学生たちに話した。

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