自在コラム

⇒ 日常で観察したことや環境問題、金沢大学での見聞、マスメディアとインターネットについての考察を紹介する宇野文夫のコラム

★ホリエモンはどう動く

2006年04月29日 | ⇒メディア時評
 ライブドアの証券取引法違反事件で逮捕された堀江貴文前社長が27日夜、94日ぶりに保釈された。テレビ各社は、夜の9時40分ごろ、東京・小菅の東京拘置所の通用門から姿を見せた堀江前社長が「ご心配をおかけしました」と深々と頭を下げる様子をニュース番組で映し出していた。その時はさほど気には留めていなかったが、翌朝の朝刊各紙を手にして「おやっ」と思った。眼を輝かせているホリエモンの写真が大写しで掲載されている。逮捕以前の脂ぎったいかつい顔ではなく、まるで94日間の苦行を超えて悟りをひらいたか修行僧のような雰囲気ではないか。

 94日間で読んだ本は200冊に上ったという。百科事典のほか、中国の歴史書である「史記」や「白い巨塔」(山崎豊子著)、それに韓国語の勉強もしていたらしい。体重は8㌔減量。ダイエットした人なら想像はつくかもしれないが、3ヵ月で8㌔は無理のない数字である。適度な運動をし、間食せず、就寝前3時間は物を口にしなければ無理しなくともこのくらいの減量は可能だろう。

 それにしても、あれだけ物々しい捜査当局の動きの割には、問われた罪は粉飾決算、偽計、風説の流布である。構造汚職事件といわれ、未公開株を政官界に大量にばらまいたリクルート事件(1988年発覚)のような大騒ぎ。それだけに今回の事件の本質がいま一つ理解しにくい。大型脱税なら理解もでききる。ところが粉飾決算をしてまで税金を払っているのである。確かに、「市場を欺いた」行為であることは理解できるが、それでは、3月22日にNECが発表した連結対象子会社が5年間で累計363億円もの架空売上高と93億円の架空営業利益を計上していた問題はどうなった。決算をごまかし、連結から外したという点では同じ線上ではないか。「逮捕」という事実が本質以上に問題を大きく見せてしてしまうという点もある。

 あの事件を思い出す。石川県信用保証協会の代位弁済(肩代わり返済)をめぐる背任事件で、金沢市に本店がある北國銀行の現職の頭取が逮捕された事件(1997年)のことである。頭取は保証協会の役員3人と共謀し、北國銀行が93年に融資した直後に倒産した機械メーカーの債務8000万円を保証協会に不正に肩代わりさせ、損害を与えたとして逮捕、起訴された。2004年9月の最高裁判決は懲役2年6月、執行猶予4年とした一、二審判決を破棄、審理を差し戻した。差し戻し審判決も「元頭取が協会役員と背任の共謀を遂げたと認定するには合理的な疑いが残る」と判断された。結局、05年11月、名古屋高検は「適法な上告理由を見出せなかった」として上告を断念、元頭取の無罪が確定した。

 特捜の切れ味は鋭いものがあった。ただ、頭取の逮捕直後に名古屋の記者の間で「ちょっと無理があったかも知れない」とささやかれているのを聞いた。たずねると、当時は名古屋地検に特捜部が発足したばかりで、「東証一部の上場企業で、しかも現役の頭取なら大きな手柄になるので、功をあせったのではないか」という主旨だった。捜査のことだからその真偽は分からない。が、結果は無罪である。

 今回の事件で捜査手法に疑問を投げかけているわけではない。検察は「マスコミが騒ぎすぎるだけ」と言うだろう。ホリエモンは保釈中である。テレビ出演は裁判での証人に対する圧力とみなされる可能性があるので無理だろう。しかし、執筆活動や選挙に出ることは可能である。事実、受託収賄の罪に問われ保釈中の鈴木宗男氏は05年9月の総選挙で堂々と当選した。今後、ホリエモンはどう動くのか…。

⇒29日(土)午後・金沢の天気  はれ
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☆ブログの技術-22-

2006年04月23日 | ⇒ノウハウ検証

 これはよく言われることだが、新聞やテレビなどマスメディアによる情報はそのまま鵜呑みにするのではなく、分析するという読み方が正しい。つまり、マスメディアは現実を伝えているというより、現実の断片を構成しているに過ぎない。だから読み手が情報を読み解く力を持たなければならない。この読み解く力のことをメディアリテラシーと言ったりする。

   テーマ「メディアリテラシー」  

 メディアリテラシーはさまざまな媒体にいえることで、今回は新聞の折込チラシを取り上げてみたい。きょう(06年4月23日付)の新聞に実に地味なチラシが折り込まれていた。B4版サイズの白紙に黒の単色印刷である。「新茶つみたて 本場 静岡より直送!」とのタイトルで、おそらくパソコンを使った自家製のチラシだろう。

  このチラシを丹念に読むと、読者心理を実によく研究していることが分かる。静岡の新茶を直販する内容だ。一番早い4月28日から発送を予定している「新茶手づみ茶早摘」は100㌘1680円、それ以降遅くなり「新茶手づみ茶」(4月30日発送)だと1365円、ハサミで摘み取る「荒茶一号」(5月3日発送)は1050円、そして一番遅く機械で摘み取る「荒茶四号」(5月20日発送)となると525円にまで値段が下がる。摘み取りの時期と方法で6段階に分けた価格設定になっている。

  荒茶というのは「余分な加工をせず、茶葉の持つの本来の柔らかい味」で、本来は茶農家の飲み茶であり、見た目には粗悪かもしれないが本来のお茶、と説明している。そして、価格設定について「私達は価格について何年も議論しました。味や香りだけで価格を決め手よいのだろうか?」と前置きして、最終的に手で摘んで労力をかけたものを高く、機械で摘んだ遅く出荷するもの安くしたと記している。

  このチラシの主は静岡市のある生産農家。単独でまいたチラシである。「家族でがんばる静岡のお茶屋」「本広告は私達親子で印刷した物です」とアピールしている。では、このチラシから何が読み取れるのだろうか。ある意味で生産者の誠実さや信頼性かもしれない。親子の実名を記し、さらにホームページには家族の写真まで掲載していて、「品質は保証します。逃げ隠れしません」と主張しているかのようである。

  私は一歩踏み込んで、この生産者に新聞メディアに対する読み込みの鋭さを感じた。これは想像だが、このチラシをまさか全国3700万の全世帯に配布したということではなかろう。仮に1枚2.5円の折込料でも莫大な金がかかる。むしろ、全国統計で日本茶に対する家計支出額が多い都市や地域に絞ってチラシを折り込んだ。あるいは長年の通販の体験からニーズのありそうな都市を選んでいる可能性がある。つまり、マーケット調査をした上で私が住んでいる金沢市を選んだということだろう。

  さらに新聞の読者層までも選んでいる。このチラシは他紙に入っていない。つまり、「A紙の読者だったらこのチラシがピンくるだろう」と想定しているのかもしれない。そのキーワードが環境問題。「ご家庭用は環境問題も考え包装は簡易包装とさせて頂きます」と言った文面を抜け目なく入れ込んでいる。一枚のチラシでニーズをつかみ取るトレーニングを積んだ人がこの家族の中にいるのではないか。マーケット調査をしながら遠方のエリアに新聞折込のチラシを駆使して販路を開拓していくという手法は、少なくとも普通の家族労働の成せる技ではない。ともあれ面白いチラシを手にした。以上が私なりの分析である。

 ⇒23日(日)午後・金沢の天気  くもり

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★角間の古道を歩く

2006年04月21日 | ⇒キャンパス見聞

 先月28日の周辺踏査に引き続き、今月18日も金沢大学周囲の古道を歩いた。その目的は歴史的に由来のある地名を記録し、近い将来「歴史散歩」のようなハイキングコースが組めないかと、「角間の里山自然学校」の仲間数人と検討しているのだ。この日は、キャンパス東側に当たる高地へと向かった。

  それは戸室(とむろ)の方面に当たる。この地区は昔から「戸室石」を産出してきた。赤戸室あるいは青戸室などといまでも重宝されているのは磨けば光る安山岩で加工がしやすいからである。それより何より10数万個ともいわれる金沢城の石垣に利用されたことから有名になった。戸室から金沢城へと石を運んだ道沿いには「石引(いしびき)町」などの地名が今も残る。

  今回の踏査でもかつての石切場の跡らしい場所がいくつかあり、いまでも石がむき出しになっている=写真・上=。案内役で地元の歴史に詳しい市民ボランティアのM氏が立ち止まり、「ここがダゴザカという場所です」と説明を始めた。

  地元の言葉ではダゴザカ、漢字では「団子坂」と書く。M氏によると、城の石垣を運ぶ際の最初の難所がこの坂=写真・中=だった。傾斜は20度ほどだろうか、それが200㍍ほど続く。この坂を上り切るとあとは下りになる。加賀藩三代藩主の前田利常(1594- 1658年)は石切現場を見回った後、この坂で運搬の労役者たちにダンゴを振舞って労をねきらったとのいわれからダゴザカと名が付いた。利常は江戸の殿中で鼻毛をのばし、滑稽(こっけい)を装って「謀反の意なし」を幕府にアピールし、加賀百万石の基礎を築いた人である。現場感覚のある苦労人だったのかもしれない。

  ダゴザカから北にコースを回り込んで、今度は「蓮如の力水」という池=写真・下=を案内してもらった。浄土真宗をひらいた親鸞(しんらん)は「弟子一人ももたずさふらふ」と師匠と弟子の関係を否定し、ただ念仏の輪の中で布教したといわれる。後世の蓮如(1415-99年)は生涯に5人の妻を迎え、13男14女をもうけた精力家だ。教団としての体裁を整えたオーガナイザーでもある。その蓮如が北陸布教で使った道というのが、越中から加賀へと通じるブッキョウドウ(仏教道)である。尾根伝いの道は幅1㍍。夕方でも明るく、雪解けが早い。蓮如の力水はブッキョウドウのそばにある周囲50㍍ほどの泉である。山頂付近にありながらいまでもこんこんと水が湧き出ていて周囲の下の田を潤している。

  力水というから、「目的地まであと一息」と一服した場所なのかとも想像する。この一帯は金沢大学の移転計画が持ち上がった20年ほど前、道路のルートになりかけたものの紆余曲折の末に開発は免れた。そして蓮如の力水は残った。アベマキ、コナラの林に囲まれた泉である。蓮如とその弟子たちが喉を潤す姿を想像できただけでも楽しく、この散歩コースに参加した甲斐があった。

 ⇒21日(金)夜・金沢の天気   くもり

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☆金沢城、桜のアングル

2006年04月17日 | ⇒トピック往来

  今月6日に開花宣言をしたソメイヨシノはまだ散らずに私たちを楽しませてくれている。花冷えのおかげで葉が出るのが遅い分、花は命脈を保っているかのようである。パッと咲いて、パッと散るの桜の本来の有り様なのだろうが、長く咲き続ける桜も人生に似て、それはそれなりに味がある。  

 金沢城周辺の桜はどこから撮影しても絵になる。つまりアングルが決まる。桜とお城は実に相性がいいのである。まず、古風な美を醸し出し、それは優美とも表現できる。梅では樹が低木すぎる。松では季節感が出せない。やっぱりこの時期、城と似合う花は桜なのである。        

  一番上の写真はまるで桜の雲に浮かぶお城とでも言おうか…。余談だが、天守閣のように見えるそれは櫓(やぐら)である。なぜ天守閣ではないのか。加賀藩は戦時には指令塔となる天守閣を造らなかったといわれる。初代の前田利家は秀吉に忠誠を尽くし、「見舞いに来る家康を殺せ」と言い残して床で最期を迎える。それ以降、加賀は西側と見なされ、徳川の世には外様の悲哀を味わうことになる。三代の利常はわざと鼻毛を伸ばし江戸の殿中では滑稽(こっけい)を装って、「謀反の意なし」を演じた。ましてや城に天守閣など造るはずもなかったというのが地元での言い伝えである。

   その下の写真は城の石垣とコントラストをなす桜である。無機質な石垣の鋭角的なフォルムを優しく植物の桜が覆う。ただそれだけのアングルなのだが、それはそれで見方によっては美のフォルムのように思えるから不思議だ。上から3枚目の桜は石川門にかかる架橋から見たもの。円を描いて、桜が納まる。黒と白のコントラスト。地底から天空を仰ぎ見るような錯覚さえある。

   一番下は石段と桜である。左下の暗と右上の明というコントラスはこの城の明と暗のようでもあり、何か想像力をかきたてる。江戸時代から幾多の人々が城を横目に見ながらこの坂を上り下りしたことだろうかと…。

   あと数日で散り去る桜。散り際に色気さえ漂わせている。これが金沢で一番美しいと私が思っている桜の見納めである。

⇒17日(月)午後・金沢の天気   はれ

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★夢を売るおっさん

2006年04月12日 | ⇒ドキュメント回廊

 金沢のソメイヨシノは今月6日に開花宣言がされたものの、その後は雨や風の日が多く桜の季節の実感に乏しい。通勤の意欲さえそぐ雨が憎らしく思うこともある。

   花が三部咲きだった先週末、兼六園の近くの料理屋で開かれた会合に出席した。金沢大学と地元民放テレビ局が共同制作した番組の反省会である。番組は、大学のキャンパス(2001㌶)に展開する森や棚田を市民ボランティアとともに保全し、農業体験や動植物の調査を通じて地域と交流する、大学の里山プロジェクトの一年をまとめたものだ。ハイビジョンカメラで追いかけた里山の四季は「われら里山大家族」というドキュメンタリー番組(55分)となって先月25日に放送された。

   この番組に登場する市民ボランティアは、今の言葉で「キャラが立っている」と言うか、魅力的な人たちがそろった。その一人、男性のAさんは「夢を売るおっさん」というキャラクターで登場した。65歳。岐阜県大垣市の農家の生まれで、名古屋市に本社がある大手量販店に就職した。金沢に赴任し、北陸の食品商社に食い込んで、業界では知られた腕利きのバイヤーだった。定年後に里山プロジェクトに市民ボランティアとして参加し、棚田の復元に携わる。

  「人を幸せにする里山づくり」がAさんの身上とするところ。「自然体験は知恵の鍛錬になる。真の生きる力を育てる」「定年後は第二の人生というが、自分が熱中し楽しめることをやるのが一番よい。元気の素はボアランティア活動だよ」と言って憚(はばか)らない。一時、ヒゲを蓄え、黙して語らぬ仙人のような風貌になった。クワを持ち、小屋作りのためにヨイトマケをした。棚田づくりのために人の輪を広げた。そして最近では余分な言葉がそがれて「夢」という一語ですべてを語るようになった。

  宴席にはAさんも参加した。持病を抱えているので量は飲まなかったが、「いい気分で酔った」と満足そうだった。

  帰途、信号待ちのタクシーの窓から兼六園周辺にボンボリが灯っているのが見えた。現役のときは一生懸命にモノを売り、定年になっからはクワを握って夢を売る。まるで「いぶし銀」のように味わい深い人生。酔った勢いで、ひと回り以上も先輩であるAさんのことをそう表現してみたくなった。

 ⇒12日(水)朝・金沢の天気  はれ 

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☆ごついおっさん

2006年04月11日 | ⇒トピック往来

  きょう(11日)朝、北陸鉄道バスの「泉一丁目」のバス亭から金沢大学行きのバスに乗った。次のバス亭が近くなると、バスの運転手の野太い声が聞こえてきた。降車の客一人ひとりに「はい、いってらっしゃい」「はい、いってらっしゃい」と声をかけている。気の利いた言葉だなとの好印象だ。さらに次のバス亭でも「いってらしゃい」は繰り返された。義務感ではなく、言葉に気持ちがこもっていた。

  バスが金沢大学に近づくとハプニングが起きた。乗っていた男子学生の一人が「このバスは北陸大学へ行かないんですか」と慌てた様子で運転手に話しかけた。おそらく新入生なのだろう、乗り間違えたようだ。バス亭で運転手は「まっすぐ歩いてスポーツジムの近くのバス亭で乗ると北陸大学に行くことができるよ」と教え、「でも、ここまでの料金はちゃんと払ってよ」と念を押したところで他の乗客からかすかな笑いが漏れた。

  一連の会話を聞いていて、後方に乗っていた私は運転手の顔のかたち、とくに顎(あご)の骨格が見たくなった。声の幅(太さ)、声の音質からして、民主党の新しい代表、小沢一郎氏と似ているのではないかと想像したのだ。それを確認するチャンスが訪れた。金沢大学中央のバス亭で下りるときの一瞬のタイミングで、その運転手の横顔をしかと見させてもらった。予想はピタリと的中した。左耳から下の太くアールを描いた顎線、肉付き…。目つきは小沢氏より優しい感じだが、全体にごつい感じがした。

  私は時折り、声を聞き、顎のかたちをイメージする。逆も推測したりする。だから、聞き覚えのある声が遠くから聞こえると、名前と同時に顎のかたちが浮かぶ。趣味というわけではない…。

  ところで、その小沢氏はきのう(10日)のNHK番組「クローズアップ現代」に出演していた。言っていたことは「選挙に勝って、政権を取る」それだけだった。実に分かりやすい。が、おそらく小沢氏の戦略には、民主党の独自色といった概念はないのではないか。自民党の候補者よりドブ板選挙を徹底して選挙に勝つこと、それが政権構想そのものだと言っているようにも聞こえた。

  その選挙手法はかつての自民党そのものだ。去年9月の郵政民営化を問う総選挙のように、政策の違いがはっきり理解できなければ有権者は戸惑い、しらける。その点で、民主党への期待や支持率はさほど上がらないのではないか。

  (※写真:バチカン宮殿「ラフェエロの間」の「アテネの学堂」。画像と文章の関連性はない)

⇒11日(火)朝・金沢の天気   あめ

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★ブログの技術-21-

2006年04月08日 | ⇒ノウハウ検証

 この「ブログの技術」シリーズはどれだけアクセス数を稼ぐかではなく、長くブログを続けるコツのようなものをさまざまな観点から追求している。私自身のブロはその意味で逆説的かもしれないがコラムという形式をとっている。基本的に日記風ではない。これはなぜだろう。コラムって難しく、長続きしないのでは…と誰しも思うだろう。

      テーマ「コラムの視界」

  コラムというのは面白い表現方法で、実は日記と評論を足して2で割ったような表現になる。三省堂の「大辞林」で、コラムをくると、「新聞や雑誌で、短い評論などを載せる欄。また、その記事。罫で囲まれることが多い」と。もともと活字メディアの大所がその豊富な体験や知識を生かして示唆に富んだ文章を展開するといったたぐい文章である。手法は、新聞記事のように客観性を重んじながら、経験や知識といった主観も入れていく。あるいは、少々「ずるい」のだが、先人の名言を引き合いに出して文章を膨らませたり、結論めいた締めくくり方をする。

  目線の高さということで表現すれば、日記風が地に足をつけて見渡す風景に対し、コラムはビルの3階か4階から街を眺めているような景色である。視野が広がって多様な文章が書けるというメリットの反面、日常の細かな動きとなると主観的すぎて表現しづらという点もある。もちろん、文章に手馴れたコラムニストは路傍の石にズームインしたかと思うと、今度は思いっきりズームアウトして話を宇宙にまで持ってゆく。こんな文章を読むと、ジェットコースターに乗ったようなスリス感を味わうことができる。

  コラムの表現はもちろん口語体である。私の場合は常体(だ・である体)を使い、敬体(です・ます体)は使わない。自在コラムでは、当初、敬体を使っていた。ところが、敬体だと表現範囲が随分と限られてくるのに気がついて、常体に戻した。他のブログを読むと、日記風は「しゃべり言葉」になっているものが多い。これだと敬体よりさらに表現する内容が限られてくるのではないかと思う。それこそ「ボキャ貧」(ボキャブラリーの貧困)に陥る。

  友人が「ブログは金がかかる」と嘆いたことがある。日記風で綴っていて、その日の出来事を内容とし、毎日書いている。だから、疲れて家で居眠りをしていてはブログは書けない。おいしいものを食べに行ったり、映画を観たり、美術展に出掛けたりと「ブログのネタ探し」に忙しい。で、「金もかかる」というわけだ。それはそれで本人は充実感を得ているのでいいとしても、私にはそのまねができない。春の休日は縁側で居眠りをしていたい。

 ⇒8日(土)午後・金沢の天気  はれ

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☆サロンパスを貼った馬 !?

2006年04月06日 | ⇒キャンパス見聞

 春は入学シーズン。金沢大学でもあす7日に入学式があり、1800人が新たに仲間入りする。この時期、彼らを手ぐすね引いて待っているのが部活の部員だろう。食堂にいると、「新勧(しんかん)」(新入生勧誘)という言葉があちこちから聞こえてきた。「あすは全員で入学式会場前で新勧のビラ配り」「新勧活動費に一人○○円かかる。大変よ」

 耳を澄まして聞いていると、ある文化系サークルは新勧のために一人5000円の臨時徴収があった。現在部員が60人なので新勧対策費はざっと30万円ということになる。面白いのは勧誘の仕方。直接部活動について語るのではなく、まず「履修の仕方を教えてあげるよ」とランチや喫茶に誘う。そして「花見をするから来ないか」と自宅や携帯電話の番号などの連絡先を聞きだす。押しの強い体育会系などはその日の夕方にはもう自宅を訪問するそうだ。

  そして生協食堂へと通じる廊下や階段には所狭しと立て看板が並ぶ。その中からビジュアル的に面白いものをいくつか紹介する。目立ったのが、ズバリ馬をかたどった看板。馬術部だ。この部は現在16人(2年-4年)の部員、そして馬が14頭。貼り付けてあるチラシには「家に一人でいるとさみしくても、厩舎(馬がいるところ)に来ると馬があたたかく迎えてくれ、とても癒されます」と。写真ではサロンパスを貼った馬のようにも見え、ちょっとユーモラスだ。

 こんな部あったのか、というのが「スポーツチャンバラ部」。護身術を学ぶクラブで、「武道にありがちな厳しい制約もなく、ルールもシンプル」という。日本には競技人口15万人、世界には5万人もいると看板でアピールしている。

  こちらは「間違えたで賞」かもしれない。ほんらい「ライフル」と書くところを「アイフル」と書いてしまった。仕上げて気がついて朱で×をつけてラと書き直した。元のままでは消費者金融の看板になってしまう。この看板は確かに目立つ。だからわざと気を引くように書いたのかと思ったりもした。

 大学キャンパスで、新勧の熱い春が始まるー。

⇒6日(木)夜・金沢の天気   はれ

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★変わる時代の雰囲気

2006年04月05日 | ⇒ニュース走査
  民主党の代表選は、小沢一郎氏(63)と菅直人氏(59)の争いとなる。7日に行われる代表選に向けて立候補を表明したが、現段階では、保守系や旧社会党系などに支持を広げる小沢氏が優勢と見られている。

 5日の記者会見を見る限り、ともに自民党との対立軸の明確化を強調し、送金メール問題で傷ついた党の「再生」を掲げていた。が、小沢氏は前副代表、そして菅氏は元代表なのでテレビで映るその姿や主張には新鮮味が感じられなかった。ちょっと酷な言い方かも知れないが、「時代が戻った」という印象なのだ。

 この懸念は自民党に対しても同じだ。おそらく小沢氏が代表になれば、9月の自民党総裁選にも影響が及ぶだろう。「小沢氏に対抗できるベテランを総裁に」との逆ネジ作用が働くからだ。そうなると人気が高い若手の安倍晋三氏の線が弱まり、福田康夫氏(元官房長官)らベテランが党内では浮上してくるに違いない。

 こうなると、経済でも若手の堀江貴文・ライブドア前社長が失速しており、政治からも経済からも若さが失われたような印象になる。ベテランが悪いと言っているのではない。時代の雰囲気に若さを欠くと、意識の上で停滞が起きる。それがなんとも暗く重く、鬱蒼(うっそう)としたように感じるものだ。そんな予感がしてならない。

⇒5日(水)夜・金沢の天気  くもり
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☆「次の次」を読む

2006年04月02日 | ⇒ニュース走査
 代表辞任を表明した民主党の前原誠司氏はきょう2日のテレビ番組などに出演していたが、精彩を欠いていた。去年9月18日、前原氏が新代表になった翌日にたまたま京都を訪れた。比叡山のふもとから大原にかけてが前原氏の選挙区でもあり、選挙用ポスターがまだ貼ってあった。そこで初めて、ここが民主の新代表の地盤と知ったのだ。あれから半年余りでの辞任劇である。しかし、これも対応を誤り国政を揺るがせた政治プロセスの一つと冷静に理解すれば当然の帰結なのだろう。

 2月23日付「自在コラム」の「★完結・『真偽の攻防』を読む」で今回の偽メール問題の行く末を読み解いた。大筋で外れていない。新しい代表が小沢一郎氏で決まればほぼ読み通りだ。きょう2日、小松空港に家人を車で送った帰り、小松市内を走っていて、去年9月の総選挙のポスターを見つけた。そのポスターにたまたま小沢氏が映っていたので携帯電話のカメラで撮影した。古びたポスターであるものの、「次なる時の人」が映っていると価値が出てくる。

 しかし、小沢氏はどちらかというと「黒幕」の人である。表に立つとかえって外交や安全保障で党内が鮮明に割れて収拾がつかなくなる懸念がある。それでもこの人が立たないとおそらくいまの民主党は治まらない。そこで党内のバランス論で菅直人氏が幹事長に就任という線が出てくる。

 そして問題は自民である。仮に民主が小沢氏ならば、9月の自民党総裁選は安倍晋三氏に有利に働くのだろうか。自民党内でもバランス感覚が働いて、「小沢氏に対抗できるもう少し毒気のある人物を」いう党内の雰囲気が出てくると、安倍氏の立場は微妙になる。「次の次」を読むポイントではこの点ではないかと思う。

⇒2日(日)夜・金沢の天気  くもり
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