自在コラム

⇒ 日常で観察したことや環境問題、金沢大学での見聞、マスメディアとインターネットについての考察を紹介する宇野文夫のコラム

☆ドイツ黙視録‐5-

2008年06月21日 | ⇒トピック往来

  5月27日、アイシャーシャイド村の生け垣の景観を眺めながら、愛用のICレコーダーで聴いたベートーベンのシンフォニー第6番「田園」。その日の夕方、生物多様性条約第9回締約国会議(COP9)の関連会議が開かれるボンに入った。午後7時半から開催される、ボン市長のベルベル・ディークマン女史主催のディナーレセプションに出席するためだ。会場となったのはボン大学付属植物園だった。18世紀に造られたという宮殿とその庭園がいまは植物園になっている。ハスの池からはカエルの鳴き声が聞こえ、ここにいても「田園」の心象風景がぴったりくる。おそらく、レセプション会場を選定するにあたって、COP9の開催地を相当意識してこの場を選んだのだろうと、市長の心意気を感じた。25ヵ国80人ほどがガーデンパーティーを楽しんだ。

           ボンの謎、ベートーベンとワイン

  このパーティーが始まる前、少し時間があったのでボン大学近くにあるベートーベンの生家=写真・上=を訪ねた。夕方であいにく閉まっていた。外観だけの見学となった。ベートーベンの誕生は1770年12月16日。通称「ベートーベンハウス」は、注意していないと見落とすくらい街に溶け込んで、日本でいう町家という感じ。ガイドブックに載っていた、ベートーベンが使ったバイオリンやピアノ、ラッパのように大きな補聴器をぜひ見たいと思ったのだが。それにしても、ベートーベンは意外と「都会っ子」だったのだと認識を新たにした。

  その時代をウイキペディアなどで調べてみた。18歳のベートーベンはケルン選帝侯マキシミリアン・フランツが開いたとされるボン大学の聴講生となる(1789年5月)。その翌年90年にボンに演奏にやってきたハイドンと出会う。1792年11月、ハイドンに師事する許しを選帝侯から得て、ボンからウィーンへ旅立つ。青年ベートーベンは人生の選択をしたのである。フランス革命が派手に展開し、ルイ16世がジロンド派による人民投票でわずか1票差でギロチン台に上がったのは3ヵ月ほどたった93年1月21日のことである。

 ベートーベンが大学の聴講生だったころによく通ったという書店兼レストラン(現在はレストランのみ)=写真・下=が今でもあり、ボン市長主催のガーデンパーティーの後に訪れた。奥の広まったホールの一角に、ベートーベンがよくすわっていたという座席があった。その場所にベートーベンの肖像がかかっている。読書会によく参加していたらしい。1389年に創業したというその店の自慢は牛肉をワインで漬けて煮込んだもの。それに自家製の白ワイン。かつてベートーベンも愛飲したというシロモノで、味わい深く飲んだ。

  ところで、20代後半から難聴に悩まされたベートーベン。確か中学校のころに音楽の先生から学んだ記憶では、父親ヨハンから音楽のスパルタ教育を受け、たびたび頬をぶたれたことが聴覚障害の原因と脳裏に刷り込まれている。ところがウイキペディアでは、若いころ愛飲したワインに起因する新説が出ている。それは、最近の研究で、「ベートーベンの毛髪から通常の100倍近い鉛が検出され、これが肝硬変を悪化させ死期を早めた(ベートーヴェンはワインが好物で常飲していたが、当時のワインには酢酸鉛を含んだ甘味料が加えられており、鉛はこの酢酸鉛に由来する)とも」と。

 当時のワインが聴覚障害を引き起こす原因になったとは信じ難い。が、くだんの店で飲んだあのワインがひょっとして、と思うと少々複雑な気分に陥った。

⇒21日(土)夜・金沢の天気  くもり

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★ドイツ黙視録‐4‐

2008年06月15日 | ⇒トピック往来

 前回も述べたようにミュンスターば「ウェストファリア条約」が締結された地。1618年から30年間続いたヨーロッパにおけるカトリックとプロテスタントによる宗教戦争が話し合いによって解決した。そのウェストファリア条約が結ばれた歴史的な建造物が今はミュンスター市役所となっている。その1階の「フリ-デンスザール(平和の間)」=写真=で歴史的な誓約調印が行なわれた。チベット仏教の最高指導者ダライ・ラマ14世がこのフリ-デンスザールを訪れたのは昨年(07年9月20日)のこと。

        ミュンスターの「平和の間」とダライ・ラマ

  実は、ダライ・ラマはヨーロッパで抜群の集客力を誇る仏教徒だ。ことし5月13日から23日にイギリスとドイツを巡った折、ブランデンブルクの集会には2万人を集めたという。しかも、講演会形式で日本円換算で数千円を払ってである。ダイラ・ラマは、経済のグローバル化が進展するのであれば、それにふさわしい倫理もまた必要と説いたそうだ。ダライ・ラマは1973年に初めてヨーロッパの地を踏んで、毎年のように欧米を訪れ一般市民らと対話を交わしてきた。確固たる人気は、その積み重ねなのだろう。しかも、異教の地で。北京オリンピックの聖火リレーで反中国の狼煙(のろし)が上がり、妨害が先鋭化したのはヨーロッパだった。中国政府がダライ・ラマをバッシングすれば反中国のリアクションがヨーロッパで起きるという構図が出来上がっているかのようである。

  5月23日、そのフリ-デンスザール(平和の間)に入った。ミュンスター市副市長、カルン・ライスマン女史が石川からの訪問団をこの部屋で迎えてくれた。この部屋の家具はオリジナルで、第二次世界大戦の間は疎開して、連合軍の空爆を免れたことなどの説明があった。部屋の壁面にはウェストファリア条約の締結に立ち会った各国の代表の肖像画が掲げられている。何か、「歴史の舞台」という重厚さを感じた。

  その後、ミュンスターで3番目に古いというビアホールに入り、食事を取った。ライスマン女史も同席されたので、ちょっと意地悪な質問を試みた。「中国政府はダライ・ラマ氏について中国政府は中国分断を図る活動家と評しているが、あなたはどう思うか」と。ちょっとためらいながらライスマン女史は「その質問は答えにくい。ドイツ、そしてミュンスターの企業も中国に進出している。そうした事情を察してほしい。ただ、チベットの問題は話し合いで解決してほしい」とだけ。ライスマン女史はキリスト教民主同盟の市議会議員のリーダーで副市長。副市長という立場ではそこから先の言葉は控えたのだろう。

 食後、お別れの握手した折、何か言いたそうだったが、通訳の女性がたまたま離れていて言葉を交わすことができなかった。

 ⇒15日(日)夜・金沢の天気   くもり

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☆ドイツ黙視録‐3-

2008年06月03日 | ⇒トピック往来

 ドイツでミュンスターといば、世界史の教科書に「ウェストファリア条約」が締結された地として出てくる。1618年から30年間続いたヨーロッパにおけるカトリックとプロテスタントによる宗教戦争が講和条約の締結によって終止符が打たれた。つまり、戦争が話し合いによって解決した史上初のケースとなり、内政不干渉など近代国際法の原型ともなった条約、とここまでは世界史で習った。ウェストファリア条約から350周年を祝う行事が1998年10月、ミュンスターで開かれた。条約の調印に参加した各国代表の子孫たちが集まり、単一通貨ユーロの導入(99年1月)に至るまでに結束した欧州連合(EU)の発展を祝ったのである。

     ミュンスター・「環境首都」の試み

  そのミュスターでいま注目されるのが環境である。その取り組みを象徴する言葉として、自転車、エネルギー・パス、エコ・プロフィットがある。以下は、ミュスター市環境保全局長のハイナー・ブルンス氏の説明による。同市は、ドイツのNGOであるドイツ環境支援支援協会(DUH)が選ぶ「ドイツ気候保護首都」に1997年と2006年の2回認定された。2004年には国連環境計画暮らしやすい街コンテストで金賞も得ている。とにかく、省エネルギーを徹底している。ミュスターでは住宅でも古い建物が多く、これをリフォームによって高気密・高断熱化することでエネルギー効率を高めようという政策である。窓を2重、3重ガラスにしたり、外壁の断熱材を10㎝から15cmに、また屋根にも断熱材を入れて熱を逃がさない。

  何しろドイツでは9月ごろから徐々に寒くなり、冬は11月から3月と長い。この間は暖房に頼った生活になる。ドイツ全体では、二酸化炭素の排出量の約3分の1が室内暖房や温水利用に起因とすると言われている。しかもエネルギー料金は確実に値上がりしており、暖房費をいかに安く抑えることができるかということに自然と市民の関心も集まる。さらに、市では住宅改修の補助金を、改修前と比較した建築物の省エネルギー率を高めるほど補助金額が高くなる仕組み(1997年‐2005年)にした。ちなみに省エネ率を30%以上にすると、補助金率15%(上限約350万円)だ。また、毎年、「ハウス・オブ・ザ・イヤー」賞を設け、優れた改築を行なった住宅を表彰している。

  2004年、EUは「建築物における総合エネルギー効率に関する指令」によって、ヨーロッパの建築物の所有者は、エネルギー消費量等を示した「エネルギーパス」を住宅の購買や賃貸契約の際に提示することを義務付けた。エネルギーパスは建築物に関する情報の他に、エネルギー需要のレベルや年間の暖房需要量、最終エネルギー消費量、二酸化炭素の排出量などが明記される。これを受けて、ミュンスターでは、住宅のエネルギー消費量を、自主的なレベルで、住民が知ることができる仕組みを作った。これには意外な効果があった。省エネ率が高ければ高いほど家賃が高く取れることにもなり、ビルのオ-ナーたちがこぞって省エネのために改修投資をし、「雇用の創出にもなった」(ブルンス局長)。

  続いて、ミュンスター単科工科大学を訪れた。この大学は「エコ大学」としての取り組みを行なっている。たとえば、学生たちに「窓を開けたら、暖房を消せ」と注意するステッカーを窓に貼っている。乾電池やプリンターカートリッジを所定の箱に入れて電気店に持っていくと、抽選でプレゼントが当たるお楽しみをつける。トイレで流す水を雨水にし、紙タオルを布タオルに替えた。さらにゴミの分別を徹底するなど生きた環境教育を8000人の学生に施している。そして、環境マネジメントシステム「エコプロフィット」の認証を取得した。エコプロフィットは、「統合的環境技術のためのエコロジープロジェクト」の略称。ミュンスター市の主導によって、地域の企業が、環境専門機関の指導を受け、環境保護と光熱費といった経費の削減を実現することを目的にした環境マネジメントシステムのこと。同市内の企業の10%余りが認証を受けている。

  さらに同市にはドイツで最も先進的といわれる熱電供給プラント(天然ガス使用)や、風力発電は22基、ソーラー発電にも取り組んでいる。こうやって、ミュンスター市では1990年を基準に2005年までに21%の二酸化炭素削減に成功し、2020年までに40%の削減を目指している。

  最後に面白い話を聞いた。ミュンスターは別名「自転車の首都」とも言われている。何しろ人口28万人に対し30万台以上の自転車があり、職場や学校に、買い物にと、老若男女、市長もシスターもパトロール中の警官も、多くの人々が自転車で移動している。ブルンス局長ももちろん愛用の自転車で通勤している。

 ⇒3日(火)夜・金沢の天気   くもり 

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