自在コラム

⇒ 日常での観察や大学キャンパスでの見聞、環境や時事問題、メディアとネットの考察などを紹介する宇野文夫のコラム

☆民主の勝因は「敵失」

2007年07月30日 | ⇒トピック往来

 今回の参院選で民主党が勝利を手にした最大の要因は何か。きょう(30日)になってさまざまな分析がなされ、私の周囲でも話題になった。詰まるところ、目なじりを決して投票に行った人は少ない、いや、ほとんどいない。静かに淡々と投票に行ったのだ。その結果が「自民党の歴史的大敗」である。「民主の地滑り的勝利」と見出しをつけた新聞社はなかったようだ。

  つまり、これは自民の自失点だろう。公的年金保険料の納付記録漏れ問題や閣僚の「政治とカネ」に絡む疑惑、失言などを背景に、選挙戦を通じて与党には逆風が目立った。きょうの読売新聞インターネット版で、民主党の支持基盤である連合の高木剛会長が記者会見し、民主の勝因について「政治とカネや閣僚の問題発言など自民党の失点があるので、今回は有権者が民主党に票を入れた」と述べ、民主党の勝利は「敵失」だったと分析した、との記事があった。的を得ているのではないか。

  そのことは数字を見れば分かる。たとえば、石川選挙区で民主の一川保夫氏が自民の矢田富郎氏に競り勝った。大票田の金沢市(衆院1区)は両氏の地盤ではないので、金沢の票を分析すればある意味で民意が読める。金沢で得た一川氏の票は10万票である。これは前回の衆院選(2005年9月11日)で民主の奥田健氏(落選)が獲得した票とほぼ同じ。つまり民主の基礎票である。それに対して、矢田氏は8万票しか獲得できなかった。前回の衆院選で馳浩氏が獲得した13万票から随分と減らしている。が、金沢におけるもともとの自民の基礎票は民主と同じ10万といわれているので、実質自民の票を2万落としたのである。つまり、民主は基礎票を手堅くまとめたのに対し、自民は基礎票を減らした、という構図なのだ。

  だから今回の選挙は民主が勝った理由を分析するより、自民が減らした理由を考えたほうが的確である。それは「敵失」、つまり年金と閣僚のスキャンダル、失言である。これに対し、少々古い言い方だが自民支持層が「お灸を据えた」とでも表現しようか、そんな言い回ししか見当たらない。「お粗末」という言い方もある。

 ⇒30日(月)夜・金沢の天気  くもり

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★静かなる大衆の反逆

2007年07月29日 | ⇒トピック往来

 きょう(29日)夕方に投票を終え、午後8時ごろからNHKや民放各局の選挙特番をモニターした。これまでメディアが選挙情勢で伝えてきた通り、自民の大敗である。

  なるほどと思ったのは、石川選挙区(定員1人)の自民選対の責任者がインタビューに応えて話した言葉だった。「東京から吹いてくる得体の知れない風に、地方が右往左往した選挙戦だった」と。公的年金保険料の納付記録漏れ問題や閣僚の「政治とカネ」に絡む疑惑、失言などを背景に、選挙戦を通じて与党には逆風が目立った。

  今回の選挙の最大の特徴は、有権者がさめていたことではないだろうか。熱くならない。「ぜひ自民に」とか「今度は民主に」とか、「一票入れてやる」という強い動機付けが有権者にあっただろうか。選挙の時期になると、候補者の話題の一つや二つは必ず周囲と話すものだが、今回はそれすらなかった。

  一つ言えば、メディアが何度も選挙の情勢調査を繰り返し、いったん与党の過半数割れが伝わると、その「アナウンス効果」が増幅されてしまったとも分析できる。オルテガ・イ・ガゼットの名著「大衆の反逆」によれば、人は善い意味でも悪い意味でも、自分自身に特殊な価値を認めるより、「大勢の人」と同じ考えであると感じる方が心地よいのである。「先の衆院選では自民が取り過ぎた。バラスが必要だとみんな同じこと考えているんだ」といった同調心かもしれない。静かなる同調による大衆の反逆といえるかもしれない。

  もう一つ。番組を見て、「出口調査が完璧すぎる」との印象だ。選挙の出口調査がより精度の高い予想が瞬時に出て、今回は選挙結果があっという間に分かってしまった。最初の20分で大方の情勢はつかめた。番組を見続ける必要がなくなり、途中でインターネットに切り替えた。選挙特番の視聴率は案外低いのではないだろうか。

  さて、安倍政権のレームダック化は避けられない。参院での与野党逆転に成功した民主が参院議長と主要な常任委員長を取りるだろう。さらに、野党が首相問責決議案を提出すれば可決されるのは確実だ。法的拘束力はないとはいえ政治的には重い決議で、首相は総辞職か衆院解散の二者択一を余儀なくされる展開も読めてくる。安倍政権は年内まで持つか、どうか。

⇒29日(日)夜・金沢の天気   くもり

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☆選挙を冷やす装置

2007年07月26日 | ⇒トピック往来

 参院選挙が今一つ盛り上がらない。それを立候補者側の話題の提供の少なさに求めるのはいささか酷だと思う。それより、選挙のあり方に問題があるのではないか。公職選挙法142条は、選挙活動のツールとして官製はがきと公定ビラの使用に限っている。インターネットによるパソコンの画面は文書図画(とが)とみなされ、使用禁止なのだ。「IT国家」を自認する国で、である。

  2002年8月に政府の「IT時代の選挙運動に関する研究会」が報告書を出し、インターネットの選挙利用を促進するよう方向付けをした。そして、04年に公選法の改正案が国会に出されたが、葬り去られてしまう。阻んだのは誰か。地盤(支持団体)、看板(知名度)、鞄(選挙資金)の「3バン」と呼ばれる古いタイプの選挙運動で選挙を勝ち抜いてきた候補者たち。与野党、老若男女を問わず、新しい選挙のやり方に抵抗感がある人たちだ。

  匿名の誹謗中傷や、何万通という大量のメールなどでホームページが攻撃されるなど疑心をもたれているようだ。ならば、選挙用のサーバーを党が構築してセキュリティを万全にする、あるいは選挙管理委員会が選挙掲示板を設けているように公設のサーバーで候補者のホームページをつくったらどうか、とも思うが話はそこまで進んでいないようだ。

  今回の選挙から海外の在留邦人は比例代表だけでなく、選挙区の投票も可能になった。これは2005年9月、選挙区選挙の投票を認めていなかった公選法は違憲とする「在外選挙権訴訟」で、最高裁が違憲判決を出したからだ。その中で、「通信手段の発達で候補者個人の情報を在外邦人に伝えることが著しく困難とは言えない」と指摘した。つまり、インターネットを使えば海外であろうと、有権者が判断できる選挙情報が得られると判断したのである。だから、本来ならば公選法の改正は、在留邦人の選挙区投票とインターネットの選挙利用はセットで行われるべきであった。ところが今回もネットの選挙利用は「抵抗勢力」の厚い壁に阻まれてしまうのである。こうして、民主主義の基盤である日本の選挙はIT化から阻害されている。

  で、ブログサイト「goo」では、このようなブロガーに対するお知らせが掲載されている。要約すると、選挙に関する記事を投稿の際は、公職選挙法違反(刑事罰の対象)に注意してほしい。その1は特定の候補者を「応援したい」といった表現、その2は単に街頭演説があったという出来事を記述、その3は街頭演説を撮影した写真や動画を投稿すること、その4は特定の候補者の失言シーンだけを集めた「落選運動」…など。要するに、選挙に関する記事は慎重に、と。

  街では候補者の「お願いします」のスピーカー音が日増しに大きくなっているが、インターネットの世界は静かだ。インターネットの選挙利用が進まなければ、選挙はいつまでたっても盛り上がらない。

⇒26日(木)朝・金沢の天気   くもり

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★「ニュースの天才」

2007年07月24日 | ⇒メディア時評

 おととし(2005年)の話になるが、アメリカ映画で「ニュースの天才」を鑑賞した。かいつまんで内容を紹介すると、大統領専用機内に唯一設置されている米国で最も権威のあるニュース雑誌の若干24歳のスティーブン・グラス(ヘイデン・クリステンセン)が政財界のゴシップなど数々のスクープをものにし、スター記者として成長していく。グラスの態度は謙虚で控えめ、そして上司や同僚への気配りを忘れない人柄から、編集部での信頼も厚かった。しかし、ある時、グラスの「ハッカー天国」というスクープ記事に、他誌から捏造疑惑が浮かび上がり、グラスの捏造記事が発覚していくというストーリーだ。実話をもとに制作された映画だった。

  中国の北京テレビが放送した、段ボール紙を混ぜた肉まん販売の報道は「やらせ」だったと、日本で報道されている。しかし、真実がよく分からない。なぜなら、テレビ局側が当局に謝罪したというが、日本でいう「検証報道」がなされていないので、実態がつかみにくい。

  たとえば、臨時スタッフだったという記者が「紙くずを混ぜた肉まん」の通報を受けて市内を探し回ったが、問題の肉まんは発見できなかった。テレビ局の制作会議で番組として取り上げようと提案した手前、引くに引けなかった。そこで、身分を偽って露店主に段ボール肉まんをつくるように依頼した、という。身分を偽るとはどういう意味なのだろうか。その必要はあったのか。日本の新聞各紙は背景に中国で台頭してきた市場経済の波で、視聴率競争が過熱している、と伝えている。果たして、そんな複雑な経済的な背景があるのだろうか。そもそも中国における視聴率競争はどんな方法でデータを取っているか、公正に評価できるシステムとして確立されているのか聞いてみたい。

  中国の食の安全性の問題を海外にさらしたのである。国家の威信を傷つけたのだから謝罪では済まないだろう。「やらせ」と認めたのであれば、前述したように「検証番組」を制作してはどうか。ぜひ見てみたい。

  アメリカの「ニュースの天才」は架空の話を事実のように報道したが、事実を架空の話にして、事実を覆い隠そうとうするケ-スもある。もしそうだとしたら、一枚上手の「ニュースの天才」なのだが。想像でしか言えないところがもどかしい。

 ⇒24日(火)夜・金沢の天気   はれ 

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☆避難住民を難民と見る視線

2007年07月22日 | ⇒メディア時評

 新潟県中越沖地震の被災地、柏崎市で奇妙な「事件」が起きた。産経新聞のインターネット版などによると、同市側は日本テレビ系列の中京テレビ(名古屋市)のスタッフが避難所のテントに「隠しマイクを仕掛けた」と公表した。中京テレビ側は市に「中継で背景の音を拾うためのワイヤレスの集音マイクで、隠す意図はなかった」と説明したという。

  事実関係を記事で拾うと、マイクが設置されていたのは学校の屋外に張られた炊き出し用のテントで、21日午後4時ごろ、スタッフが支柱にマイクを張り付けているのを職員が見つけて注意した。スタッフはすぐに取り外した。住民からの要望で、市側が一時的に報道各社に避難所(学校)での取材の自粛を要請。中京テレビは市に同日午後6時からのニュースで中継するつもりだったと説明したが、設置は各社が屋内での取材を自粛していた最中だった。中京テレビの現地担当デスクは、「隠しマイクという発表があったようだが、誤解だったということを理解していただいた。現場の説明不足で誤解を受けたことは遺憾だ。反省している」と話しているという。

  どんな説明があったとして、無断で仕掛けたのであれ、「隠しマイク」ではないか。要は、取材の自粛要請があったので、中京テレビ側はテント周辺での中継は無理と判断し、その代わり、離れた位置から望遠のカメラで現場を撮影し、中継することにした。しかし、遠く離れると現場音が取れないので、マイクを現場のテントの柱に仕掛けた、ということなのだろう。

  被災者からの要望での取材の自粛要請はある意味で当然のことなのである。16日の震災発生から5日たって、避難住民にとっては避難所はすでに「生活の場」となっていて、いわば、お互いが顔見知り同士の共同生活の場なのである。見知らぬ顔は、メディアの記者たちなのである。その記者たちが避難所に入ってきて、炊き出しの中身まで取材していく。これは避難住民にとって、とても違和感があるに違いない。事実、私が「震災とメディア」というテーマで調査した能登半島地震(ことし3月25日)でも、同様に避難住民からの苦情で取材自粛の要望があった。

  避難所を運営しているのは地区の自治体であり、炊き出しを行っているのはボランティアではなくその地区の住民のはずである。炊き出しの野外テントは共同の炊事場、つまり生活の場である。そこにマイクを仕掛ける(設置する)というのはどんな感覚だろうか。あたかも、被災地から逃れてきた不特定多数の難民がボランティアに支えられ、食事をするというイメージを描いての取材だとすれば、それは勘違いの視線ではないのだろうか。

  取材の自粛を要請する住民の気持ちを理解せず、しかも、「生活の場」である避難所のテントにマイクを断りなく仕掛ければ、これはどう見ても「隠しマイク」ではないのか。少なくても避難住民はそう理解するだろう。雑踏の集音マイクとはわけが違う。22日午前8時現在、中京テレビのホームページを閲覧しても、この一件についての説明がないのでテレビ局側のスタンスがよく理解できない。

 ⇒22日(日)午前・金沢の天気  くもり

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★被災者にこそ情報を

2007年07月16日 | ⇒トピック往来

 きょう(16日)の休日、金沢の自宅でパソコンに向かっているとグラリときた。12日午後11時半ごろにも能登半島で地震2の地震があったので、その関連と思った。しかし、きょうの地震は断続的に、時間的に長く感じた。

   揺れが収まり、しばらくして能登半島地震の学術調査でお世話になった、輪島市門前町の岡本紀雄氏から電話があった。「能登の学校の方は大丈夫だったの、珠洲が結構揺れたようだけど…」と。書き物を急いでいたので、テレビの地震速報を見ていなかった。岡本氏は地震にはとても敏感に反応する。何しろ、阪神淡路大地震(震度7)と能登半島地震(震度6強)を体験し、自らを「13.5の男」と称している。

   =午前10時13分、新潟県柏崎市など震度6強=

  気象庁の地震速報をWEBでのぞくと、震源は能登半島ではなく、新潟県上中越沖となっている。金沢は震度2だった。やはり断続に3回の震度6強が揺れがあった。これが長く感じた理由だった。  能登半島・珠洲市も震度5弱。相当の揺れである。能登に住んでいる岡本氏に言われて初めて相当に広範囲な揺れであったことが理解できた。そこで、珠洲市に拠点を置く「能登半島 里山里海自然学校」の常駐研究員に電話を入れた。彼はすでに学校に到着していて、「特に被害は見当たりません」と。ひと安心した。この校舎では、ことし10月から「能登里山マイスター」養成プログラムという国の委託事業がスタートし、常駐研究員2人と受講生15人が入ることになっている。施設に被害があるとスケジュールに影響するからである。

  東京からも電話があった。「月刊ニューメディア」という専門誌の編集長からだった。「宇野さん、そちらも相当に揺れようですが、被害はありませんでしたか」と。能登半島地震の学術研究「震災とメディア」の中間報告の原稿を掲載していただたこともあり、気にしていただいたようだ。「被害はおかげさまでありませんでした」と答えると、「でも宇野さんの研究テーマはこれからも続きますね…」と。確かに、震災とメディアは切ろうにも切れぬ関係である。ワイドショー向けのドラマ仕立て人間ドキュメント、メディアスクラム、風評被害、コンビニ買占め・・・。それより何より、被災地にフィードバックがない情報発信の仕方は、メディアの構造的な問題である。

  読売新聞インターネット版はきょうの地震関連でさまざまなことを伝えている。輪島市は、能登半島地震で寄せられた救援物資のうち、未使用の水や食料などを今回の地震の被災地に送ることを決め、トラックへの積み込みを始めた、とのニュースがあった。何の被害も受けなかった人は、このニュースを好意的に感じるだろう。しかし、この情報は被災者には届かないだろう。インターネットを物理的に利用できないだろうし、その余裕もない。もし情報が届いたとしてもまったく役に立たないだろう。被災者にとって必要な情報は、この水や食料がいつ何時ごろ、どこの被災地に届けられるのかという情報だけである。

  メディアのすべての記者とカメラマンが被災者と同じ目線を持つ必要はない。ただ、何割かは被災者と同じ目線でニュースを伝えてほしいし、被災者のための情報発信をしてほしい。一番困っている人々に、情報を欲している人々に情報を伝えてほしいからである。

 ⇒16日(休)午後・金沢の天気  くもり

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☆メディアのツボ-57-

2007年07月09日 | ⇒メディア時評

 裁判における弁護のあり方はこれでよいのだろうか、と思ってしまう。今月9日、大阪高裁で行われた元NHK記者(26)の連続放火控訴審で、弁護側が改めて「犯行当時、心神喪失状態にあり、建物を延焼させる意図もなかった」と改めて無罪を主張したとの記事のことである。

       意識なきままにつくられる偏見

  元NHK記者は大津市などで2005年4月から6月にかけて、JR大津駅付近の住宅を全焼させるなど大津市や大阪府岸和田市で8件の放火や放火未遂を繰り返した(1審判決)。大津地裁で懲役7年の実刑判決を受け、9日に控訴審の初公判。上記の無罪を主張し、この日、結審した。判決は9月と4日に言い渡されるという。

  事件発生当時の記事を読み返すと、この記者は火災現場近くで警察から任意で事情聴取を受けた際、本人は酒に酔っていた、と報じられている。また、別の紙面では、「休みがほとんどなく、泊まり勤務も大変だ」などと他社の記者に愚痴をこぼしていたらしい。つまり、プレッシャーに弱い当時24歳の記者が酒の勢いで放火に及んだという割と単純な構図だった。

  事情聴取を受けた翌日から傷病休暇をとって、入院した。うがった見方をすれば、警察にマークされたのに気づき、あわてて病院に逃げ込んだのだろう。ところが、尾行がついているとも知らずに、後日、性懲りもなく放火を繰り返した。この時は尾行していた捜査員が火を消したのだから動かぬ証拠となった。それが現行犯逮捕ではなかったのは、入院という状態だったからだ。警察は、本人が退院したのを見届けて、主治医と相談しながら本人の責任能力が問えると判断し、逮捕に踏み切ったのだ。

  罪を軽くするために、「心神喪失状態」を声高に叫び、量刑の駆け引きに使っているが、結果として、罪を「心神」の問題にあえてすることで、心の障害を背負った多くの人たちを巻き添えにしていることにならないか。心の障害を持った人たちへの偏見というのはこうした弁護手法から生み出されることも一因であると思えてならない。

  もちろん、弁護側は「法廷で述べただけであって、メディアがそのことを大きく取り上げているにすぎない」「もし、偏見を助長しているというのであれば、それはメディアの方だ」と主張するだろう。そして、メディア側は「法廷で述べられたことを事実として取り上げたにすぎない」との立場だろう。こうして、意識なきままに偏見はつくられていく。

 ⇒9日(月)夜・金沢の天気   はれ

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