自在コラム

⇒ 日常での観察や大学キャンパスでの見聞、環境や時事問題、メディアとネットの考察などを紹介する宇野文夫のコラム

☆USJ、見て歩き

2015年05月04日 | ⇒トピック往来

  GW旅行の3日目は大阪のユニバーサル・スタジオ・ジャパン(USJ)に行った。1日しか時間が取れなかったので、エクスプレスパス(税込7200)をあらかじめ購入して主なところを回った。ハリーポッター・アンド・ザ・フォービドゥン・ジャーニーやバックドラフト、バック・トゥ・ザ・フューチャー・ザ・ライド、アメージング・アドベンチャー・オブ・スパーダーマンTM・ザ・ライド、ウオーター・ワールドなど。

  東京ディズニーリゾートはこれまで計5回、かたや、USJは今回初めて。この2大テーマパークのコンセプトの違いは何だろうか。USJは、炎を使った演出が多い、ディズニーリゾートでも炎を使った演出はあるが、USJは過剰なくらいに演出がされている。もう一つが、サーカスと思えるほどの空中を舞うアクションの迫力さだ。ちょっとでもミスしたら惨事になりかねないと思えるほど。迫真の演技はディズニーリゾートではお目にかかれない。

  炎の演出は、バックドラフト。果敢な消防士の物語を描いた映画「バックドラフ」をテーマにしている。入場すると、3つの部屋に分かれていて、AD(アシスタント・ディレクター)と称する女性が案内してくれる。1番目の部屋では映画「バックドラフト」の説明を。2番目の部屋では「映画のロケとは何か」の説明を映画のキャストのVTRを交えて。そして3番目の部屋が「映画シーンの再現」だ。化学工場の火災を再現して、タンクや貯蔵庫などいろいろな場所から炎と火花が飛び散り、その炎の勢いは本物の火災のよう。最後に、頭上からパイプが落ちてきて、ガクンと実際の床が下がり、キャーと観客(ゲスト)の悲鳴がする。自分自身もちょっと肝をつぶした。

  迫真の演技は、ウォーターワールド=写真=。1995年のSF映画が題材で、地球温暖化によって北極と南極の氷が溶けて海面が上昇し、海だけが広がる海洋惑星となったとの想定。陸地「ドライ・ランド」の情報をめぐって、武装集団が押しかけて来るとのシナリオ。面白いのが座席の色だ。水色は前方、茶色は後方に設置されていて、水色は「濡れる危険が大」の座席で、茶色は「濡れる危険が小」の席となっている。水色の席に座るゲストはビニールのポンチョを頭からかぶっている人がほとんど。そして、仕掛けが大きい。飛行機がシアターに突っ込んでくるシーンもある。水上バイクがステージを勢いよく走り回り、その水しぶきが前列にいる水色の座席のゲストにかかるのだ。炎と水しぶき、USJのアトラクションを表現すればこれに限る。

  東京ディズニーリゾートとUSJの違いの気になったもう一つは再入場のこと。USJは再入場ができないのだ。その理由を考察すると、おそらく再入場を可能とすると、観客の多くはテーマパークの外の飲食街で食事を済ませてしまうからではないか。かたや、ディズニーリゾートは再入場は可能となっている。これはすぐ近くに飲食店街がないからだろう。もし近場にファミレスなどがあれば、再入場はNGになっていたかもしれない。儲けのためのシナリオも抜け目ない。

⇒4日(月)夜・金沢の天気   くもり   



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★南紀白浜、見て歩き

2015年05月03日 | ⇒トピック往来

  2日と3日の両日、ゴールデン・ウイークの連休を利用して南紀白浜を旅行した。特急「くろしお」の車窓からは、コバルトブルーの海とリアス式海岸の絶景が広がる。万葉の時代から、人々を感動させてきた絶景だ。

  「み熊野の浦の浜木綿 百重(ももへ)なす 心は思へど ただに逢はぬかも」は万葉集の歌人、柿本人麻呂が詠んだ歌。海辺を彩る涼しげなハマユウの花が人麻呂の想像をかき立てたのだろう。藤原京に出仕していた時代、気になるのはどのようにして「熊野の浦」にたどり着いたのだろうか。海岸の道を歩き、山を越えるルートは、熊野へ詣でる都人にとってまさしく苦行の旅だったろう。そのときに浜辺のハマユウの白い花がなんともいとおしく思えた、そんな歌だったのだろうか。

  JR白浜駅で下車して、バスで白良浜に向かった。白良浜(しららはま)の石英砂は目にまぶしい。ちょうど夕日が落ちるころだった。北陸の海岸でも、こんなに白い浜は見たことがない。明治から大正にかけてはガラス原料として採取されていたほど豊富だったが、現在は浜が痩せ、オーストラリア産の珪砂が入れられているとか。

  白良浜から徒歩3分、海を望む高台に建つホテルがきょうの宿だ。最上階の露天風呂や貸切風呂からの眺めも格別だ。夕食に赤ワインを飲むと一気に眠気が襲ってきた。ズボンを穿いたままそのまま寝込んでしまった。夜中の11時ごろだったろうか、ふと気が付くとドアをコンコンコンと小刻みにノックをする音がする。スコープのないドアなので、「誰ですか」と問うと、女性の声で「ドアを開けてください」との声がする。私はピンときた。その筋の人だな、と。古い温泉街の夜のビジネスが今でも生きているのだ、と。なので、放っておいた。その後はノックもなく。また、寝込んでしまった。後で思えば、その女性は同じフロアの客で部屋を間違えてノックしたのかもしれない、とも思った。これは自分自身も経験があるからだ。

  翌日(3日)朝、白良浜へ散歩に行くと、人が群れていた。水着になっている子供たちもいる。「海開き」と看板が出ていた。おそらく本州で最も早い海開きではないか。北陸だと7月だ。フラダンスの女性たちもいてなんともにぎやかしそう。その開放感に、さすが、南紀白浜だと実感した。

  バスで「アドベンチャーワールド」に出かけた。動物園と水族館、遊園地がまじりあった混合施設のよう。ここの名物のパンダは行列が長すぎて遠目で見ただけだった。メインイベントが動物たちのパレードだ。ペンギンやラクダが大音響のBGMのもとでエントランスの広場を行進するのだ。子供たちは目を爛々と輝かせながら見つめている。ただ、私には「動物虐待」という四文字が脳裏によぎった。

  夕方、アドベンチャーワールドから路線バスで白浜駅に向かった。車中はほぼ満員だ。出発するとき、運転手がこう説明した。「道路がとても混みあっているので、迂回して、まず白浜駅に行きます」と。このバスは路線バスなのになぜ迂回するのかと不思議に思った。道路運送法の違反だろう、と。ただ、多くの客は白浜駅に降りるので、客とすればその方がありがたいのだ、が。このとき、作家の司馬遼太郎の著書の記述を思い出した。「紀州方言には敬語がない」と。明治初めに紀州や土佐で自由民権運動が起こったのも、ある意味で合理的な考えの持ち主が多かったからだろう、と。

⇒3日(日)朝・大阪の天気  くもり   

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☆頭上のリスク

2015年05月02日 | ⇒トピック往来

  規制法はいつも後手後手に回り、犠牲者が出て始めて立法へと動き出す。信号機の設置ですらそうだ。犠牲になった人はまさに人身御供だ。これが法治国家、日本の現状といえる。

  前回、前々回のブログで小型無人機「ドローン」のことを書いた。現行法では、航空法で250㍍以下の飛行物体に関して規制はない。ただ、人の頭上にドローンを飛ばすな、と。当たり前のことを書いているだけだ。今月1日付の読売新聞で関連したことが記事になっていた。以下、引用する。

  富山県高岡市の伝統祭礼「御車山祭(みくるまやままつり)」の山車が集まる同市の交差点付近で1日正午前に、ドローンが上空を飛行しているのを大勢の見物客が目撃した。見物客が最も多く集まる祭りのハイライトとなる場所で、人混みの上空を上下したり、空中にとどまったりして、十数分間にわたって飛行したという。誰が飛ばしたのか分かっていない。高岡署の幹部は「人通りの多い場所での飛行は好ましくない」としたうえで、現状では法規制がないため、「危ないからやめるようにと注意はできても、強制的な措置は取れない」と話す。以上が記事の要約だ。

  祭りの実施者や見物客が頭上が気になって、祭りに集中できなかったであろうことは想像に難くない。いくら法律的な規制がないとしても、飛ばす方の無神経さがむしろ気になる。操作の誤り、電柱や電線、樹木などとの接触事故、電池切れ、そんなリスクを考えたら普通だったら人様の頭上を飛ばすことはためらう。早急に、操縦者の登録制、それに伴う適正検査、飛行エリアの基準、事前の届け出など、法的な規制でするべきことはいくらでもあるだろう。

  これは飛ばすことの権利や自由などとは次元が異なり、人身の安全の保障・担保という話だ。田んぼや野山なら、誰も文句は言わない。頭上にリクスを感じるから、やめてほしいと言っているだけなのだ。

⇒2日(土)午後・和歌山県白浜町の天気   はれ  

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