自在コラム

⇒ 日常での観察や大学キャンパスでの見聞、環境や時事問題、メディアとネットの考察などを紹介する宇野文夫のコラム

★「能登瓦が住宅を押しつぶした」誤解を談ずる怖さ

2024年04月29日 | ⇒ドキュメント回廊

  きょう能登半島地震の震源地で震度6強の揺れに見舞われた珠洲市をめぐった。勇壮なカタチから通称「軍艦島」と呼ばれ、市の観光名所でもある見附島は去年5月5日の震度6強、そして今回と度重なる揺れで「難破船」のような朽ちた姿になった。街では倒壊した家々が連なる。同市では全半壊の住宅が4289棟に及んでいる(4月26日現在・石川県危機対策課まとめ)。

  建物の倒壊した現場を眺めると、瓦屋根が住宅を押しつぶしたような光景が目に入ってくる=写真=。黒瓦は「能登瓦」と呼ばれ、珠洲市は瓦の産地でもある。耐寒性に優れると重宝されている。その能登瓦の重さが住宅被害の拡大につながったのかもしれないと勝手にイメージしていた。これが誤解だと知ったのは、きょうの新聞紙面で取り上げられていた「能登復興建築人会議」の記事だった。

  建築人会議は、日本建築家協会北陸支部石川地域会と石川県建築士事務所協会などが幹事役となり、建築の専門家集団として自治体と被災者の調整役も担う目的で先月31日に設立された。その設立記念フォーラムがきのう28日、金沢市で開催され、報告の中で取り上げられたテーマの一つが「瓦屋根と住宅被害」の実態調査だった。以下、北陸中日新聞の記事(29日付)から引用。

  建築人会議のメンバーである金沢工業大学の竹内申一教授らが「重い黒瓦が被害を大きくしたとの風評被害がある」と問題提起をし、建築設計の研究者ら13人が輪島市河井町で計479棟の住宅について目視調査を行った(2月16日)。約9割は木造住宅。瓦屋根の建物のうち、1981年5月末までの旧耐震基準のままの住宅の約6割が半壊などの被害があった一方、2000年以降の今の耐震基準の新しい住宅では約9割は被害が目立たなかった。このため、家屋倒壊などの原因は耐震性で、瓦屋根が要因ではない可能性が高い、と報告した。今回は目視調査だったが、輪島市と連携し、さらに詳しい建築時期や耐震化も確認して調査結果の精度を上げる方針、という。

  この記事を通して、瓦と住宅被害の誤解が解けた。被害状況を素人判断で断ずる怖さでもある。

⇒29日(月)夜・金沢の天気    くもり

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☆ブナ凶作でクマ警戒 能登で増えているクマの出没

2024年04月28日 | ⇒ドキュメント回廊

  ツキノワグマが能登半島地震の被災地に出没するのではないだろうか。そんなことを危惧する。石川県自然環境課はツキノワグマのエサとなるブナが今秋は凶作と予想され、県内でクマが出没する可能性が高いとして「出没警戒準備情報」を発令した(今月26日)。県内ではブナの大凶作でクマが大量出没した2020年に目撃情報で869件、人身被害が15人にも上った。ことしはこれに準ずる被害が予想されることから、警戒を呼びかけている。

  冬ごもりから目覚め、春になると活発に動き始める。エサ不足のクマが人里に出て来て、ペットフードや生ごみなどを狙う。最近では「アーバンベア(都市型クマ)」と呼ばれていて、市街地周辺で暮らし、街中に出没するクマも増えているようだ。県内でのクマの出没は白山ろくの加賀地方に多いが、最近では行動範囲を広げて、能登地方でも出没事例が多くなっている。令和1年から5年の目撃情報によると、能登地域の9市町の全域で情報が寄せられている=図・石川県公式サイト「クマ出没分析マップ」=。

  能登地震の被災者の方々には大変失礼な表現になるが、クマにとって地震の被災地はどのように映るのだろうか。能登の中山間地に被災地が多くあり、いわゆる「孤立集落」となった。人々が少しづつ戻りつつあるが、まだ無人となっている集落ある。クマにとって、倒壊した家屋などは自然の風景なのだろうか。そこにペットフードなどが残されているとそれをあさりに来るのか。これから秋にかけて、能登地区でのクマの出没が気になる。

⇒28日(日)夕・金沢の天気    はれ 

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★震災乗り越え4ゕ月ぶりに「そば」と「能登牛丼」が復活

2024年04月27日 | ⇒ドキュメント回廊

  能登半島地震で休業していた奥能登の山あいのそば屋が4ゕ月ぶりにそばを打つとの知らせをもらったので、ゴールデンウィーク初日のきょう車を走らせた。営業を再開したのは、能登町当目にある「夢一輪館」。元日の地震で山の中の一軒家の屋根瓦や柱、内壁などが損傷して休業を余儀なくされていた。

  きょう午前11時の開店時間に店に入ると、店主の高市範幸さんがそばをこねていた=写真・上=。しばらく様子を見学させてもらう。慣れた手つきで薄くのばしたあと、包丁で細く切る。ニ八そば。そば打ちを再開できた充実感なのだろうか、喜びなのだろうか、本人の表情が終始にこやかだった。

  「天板盛り蕎麦と天婦羅」を注文する。周囲を見ると、いつの間にか常連客らしき人たちが6人座っていた。「夢一輪館のそば、久しぶりに食べにきました」と店主に手を降っている若いカップルもいた。アテ(能登ヒバ)の葉に乗せたそば、そして山菜など盛り合せの天ぷらが並んだ=写真・下=。自身も久しぶりに高市さんのそばをいただく。そばは硬めの細切りで、つゆは自家製の焼きアゴと薄めの醤油を使っていて、あっさりしている。そばをかみ締めると風味が口の中に広がる。いつもながらのうまいそばだ。

  隣の席の若いカップルの前にはこの店の名物でもある「まるごと能登牛丼」が並んでいた。そばと牛鍋がセットになっている。希少価値の高い能登和牛の上級ロース肉を自分の好きな煮加減で味わえる。知る人ぞ知る「ぜいたくメニュー」でもある。

  「そば屋がなぜ能登牛を」と思う人もいるだろう。これは夢一輪館だからこそ提供できるメニューかもしれない。高市さんは山中でそばを打ち、能登に根差したネットワークを広げている。能登牛のほかにも、豆腐の燻製を「畑のチーズ」の商品名で通販をするほか、自ら考案したブルーベリーワインや魚しょう油「牡蠣(かき)いしり」などオリジナル商品を開発してきた。高市さんはもともと地域振興を担当する役場の職員だった。地域を元気にしたいと43歳で職を辞してこの世界に飛び込んだ。もう29年になる。

  高市さんが震災直後に店舗に入ると冷蔵庫などの設備も壊れていて、「わやくそ(能登の方言:めちゃくちゃ)になった」と一時は店を閉めることを考えた。客からの励ましの声に背中を押され、復旧を手伝ってくれる人も増えた。そして4ゕ月ぶりに営業の再開にこぎつけた。高市さんは「能登のためにあと10年はがんばります。そばを食べにまた来てくだ」と。地域を元気にするその志(こころざし)に自身も励まされた気持ちになった。

⇒27日(土)夜・金沢の天気    くもり

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☆「能登はやさしや」のルーツ 消滅可能性を免れた町のこと

2024年04月26日 | ⇒ドキュメント回廊

  日本はこのままいけば、2050年には全国の市区町村のうち4割にあたる744の自治体が「消滅する可能性がある」と、民間組織「人口戦略会議」が公表した(24日)。同じく民間組織「日本創生会議」が2014年に「消滅可能性都市」という言葉で初めて発表して衝撃が走ってから10年だ。消滅する、しないは2020年から2050年にかけて20代から30代の若い女性の人口が半減するか、しないかが基準で、半減する場合は将来的に「消滅の可能性がある自治体」と定義している=図・上=。

  人口戦略会議が公表した「令和6年・地方自治体『持続可能性』分析レポート」によると、自身が暮らす石川県の19の市町のうち9つが「消滅可能性」となる。その9つのうち若年女性人口減少率がもっとも高いのは能登町で減少率が73.1%、以下穴水町、珠洲市、宝達志水町、輪島市、志賀町、羽咋市、七尾市、七尾市、加賀市となる。9つのうち8つが能登地区になる。

  残念な言い方になるが、もともと過疎高齢化が進んでいるところにきて、最大震度7の揺れに見舞われた能登半島では人口流失が激しく、消滅可能性に拍車がかかっている。

  ただ唯一、能登の自治体で「消滅可能性」の対象外となったところがある。中能登町だ。若年女性人口減少率は44.3%で、なんとか50%を下回っている。この中能登町というところは、じつに人にやさしい風土がある。「能登はやさしや土までも」という言葉の発祥の地でもある。元禄9年(1696)に加賀藩の武士がこの地の石動山にという山に上ったとき、この地の馬子(少年)が馬をなだめながら、険しい山道を登り切ったことを、「能登はやさしや土までも」を用いて日記に記している。

※【図・下】中能登町にある国史跡「雨の宮古墳群」の山のふもとに一青(ひとと)という地名がある。歌手で作詞家の一青窈の先祖の地でもある。同町には花見月(はなみづき)という地名もあり、描かれている田園風景が広がる

  また、町役場では「障害攻略課プロジェクト」という、ハード面のバリアフリーだけでなく「心のバリアフリー」を推進している。誰もが分け隔てなく、気軽に交流し暮らすことができる町づくりを、基幹産業である繊維会社などと連携して取り組んでいる。2016年と2017年に繊維技術を活用し、義足の女性たちによるファッションショーを開催するなど評価を高めた。

  また、人へのやさしい土地柄にプラスして、町の遊休地を活用して7ヵ所で宅地開発などを積極的に行っている。1人の女性が一生のうちに産む子どもの数の指標となる「合計特殊出生率」は2020 年で1.83と県内でトップだった。金沢までは1時間の通勤圏でもあり、積極的な施策が若い世代を呼び込んでいる。

  もちろん、中能登町の施策は消滅可能性への強い危機感を持った対応であることは言うまでもない。

⇒26日(金)夜・金沢の天気     くもり

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★大きな「九六の家」から仮設住宅に 窮屈さがストレスに

2024年04月24日 | ⇒ドキュメント回廊

  政府はきのう23日の閣議で、能登半島地震の被災地を支援するため、2024年度予算の予備費から1389億円の追加支出を決定した。仮設住宅の建設などに683億円、公共施設や土木施設の復旧に647億円、農林漁業者支援に44億円、福祉・介護サービス提供体制の整備事業に16億円を充てる。能登地震に対応した予備費の支出決定は4回目で、合計は4000億円を超える(23日付・時事通信Web版)。

  元日の地震による全半壊の住宅は2万3917棟(今月19日現在)に及ぶ。国からの支援を受けて県は仮設住宅の設置を進めていて、6月末までに仮設住宅4600戸を完成させるとしている。ただ、一つ懸念するのは能登の人たちは仮設住宅で快適に過ごせるだろうか、ということだ。

  とくに地震の被害が大きかった奥能登では、「九六の意地」という言葉がある。間口9間(約16㍍)奥行き6間(約11㍍)の大きな家を建てるのが男の甲斐性(かいしょう)とする風土だ。黒瓦と白壁、そして九六の威風堂々とした建物が奥能登で立ち並んでいる。奥能登の4市町(輪島、珠洲、穴水、能登)の被災地では、建物の構造がしっかりしていて揺れには耐えたが、裏山のがけ崩れで横倒しになった住宅をよく見かけた。そこで思ったのが、九六の家に住んでいる人たちはコンパクト化した仮設住宅で不便ではないだろうか、という懸念だった。(※写真は、裏山のがけ崩れで倒壊した大きな民家=1月30日、珠洲市で撮影)

  奥能登の人たちはあまりしゃべらないが、しゃべると声が大きいとよく言われる。これは大きな家に住んでいるので普段から家族が聞こえるように大声で話すことに慣れているから。が、仮設住宅で大声が必要だろうか。また、つい先日まで、二、三十畳もある居間で一家だんらんの生活をしていた人たちが仮設住宅となると精神的にも窮屈ではないだろうか。ストレスがたまるかもしれない。余計なお世話と言われるかもしれないが、能登の人たちの豊かな居住生活を見てきただけに、ふとそんなギャップをあれこれと考えてしまう。

⇒24日(水)午後・金沢の天気   あめ

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☆能登の歴史を語る「上時国家文書」 倒壊家屋から救出

2024年04月23日 | ⇒ドキュメント回廊

  能登には平家伝説が数々ある。能登半島の尖端、珠洲市馬緤(まつなぎ)集落に伝わる言い伝えだ。平氏と源氏が一戦を交えた壇ノ浦の戦い(1185年)で平家が敗れ、平時忠が能登に流刑となった。時忠は平清盛の後妻である時子の弟であったものの、いわゆる武士ではなく、「筆取り武士」と呼ばれた文官だったこともあり死罪は免れた。

  その時忠を源義経が能登に訪ねて来た。兄・頼朝と仲違いし追われ、奥州・平泉に逃げ延びる途中に加賀の安宅の関をくぐり、そして能登に流された時忠のもとに来た。一説に、義経の側室だった蕨姫は時忠の娘で父親とともに能登に流されていたので、義経は蕨姫に会いに来た。義経の一行がしばらく滞在するため、この地に馬を繋いだので、「マツナギ」という地名になり、その後「馬緤」の漢字が当てられた。

  伝説の続き。その時忠の子孫が輪島市町野町の時国家とされる。2軒ある時国家のうち丘の上にある「上時国家」は去年8月まで一般公開されていたので、これまで何度か訪ねた。入母屋造りの主屋は約200年前に造られ、間口29㍍、高さ18㍍に達する。幕府領の大庄屋などを務め、江戸時代の豪農の暮らしぶりを伝える建物でもある。国の重要文化財指定(2003年)の際には、「江戸末期の民家の一つの到達点」との評価を受けていた。

  時国家を学術調査したのが歴史学者の網野善彦氏(1928-2004)だった。1980年代から古文書調査を行い、時国家が北前船の交易ほか山林経営、製炭、金融などを手掛ける多角的企業家だったことが分かった。さらに、時国家が船を用立てるために、いわゆる土地を持たない「水吞百姓」の身分の業者から金を借りていたことから、「百姓」という言葉は農民と理解されてきたが、むしろ多様な職を有する民を指す言葉ではなかったかと指摘している(網野善彦著『日本の歴史をよみなおす』)。

  網野氏が読み解いた膨大な上時国家文書8千点余(石川県指定文化財)が、元日の地震で家屋の下敷きになった。厚さ約1㍍におよぶ茅葺の屋根が地面に覆いかぶさるように倒壊した。メディア各社の報道によると、今月20日に国立文化財機構文化財防災センターのスタッフ、石川県教委や輪島市教委の職員、大学教授ら20人が「文化財レスキュー」活動を行い、主屋と離れを結ぶ廊下に保管されていた古文書を運び出した。一部に水ぬれやカビが見られ、現地で修復作業が施されるようだ。

  古文書は地域の歴史を語る貴重な史料でもある。被災家屋の解体が本格化するのを前に、そして梅雨の季節を前に懸命な文化財の救出活動が行われている。

(※写真・上は、上時国家の賓客をもてなす「大納言の間」=2010年8月撮影。写真・下は、能登半島地震で倒壊した上時国家の主屋=2月22日撮影)

⇒23日(火)夜・金沢の天気   くもり

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★被災地や過疎地でドローン活用 能登でノウハウ蓄積

2024年04月21日 | ⇒ドキュメント回廊

  能登半島地震で最初の揺れが起きたのは元日の午後4時すぎ。スマホの緊急地震速報が不気味な音で鳴り出した。グラグラと家が揺れ出し、押し入れの引き戸などがガンガンと音を立てて閉じたり開いたりを繰り返している。数十秒も続いただろうか。いったん止んだが、しばらくして、またピューンピューンと緊急地震速報が鳴り、再び強烈な揺れが走った。

  NHK地震速報で、女性アナウンサーが強い口調で津波が予想される地域住民に避難を呼び掛けていた。間もなく外が暗くなり、輪島の朝市通り周辺での大規模火災の様子がテレビ画面に映し出された。しかし、能登各地の地震の全容はテレビ画面では映し出されることはなく、スタジオと朝市通りの火災の映像が中心だった。

  翌日2日からはテレビ各社がヘリコプターでの上空からの中継映像を輪島の朝市通りの火災を中心に流していた。震度7の揺れで能登の中山間地ではいたるところでがけ崩れが起き、集落が孤立した。さらに、がけ崩れで谷川がせき止められる「土砂ダム」ができ、各地で民家や集落が水に浸かった。また、隆起して白くなった海岸線が何㌔にも渡って続いていた。このリアルな能登の被災地の状況を知ることができたのはテレビ映像より、むしろドローンによる画像だった。(※写真は、土砂ダムで孤立した輪島市熊野町の民家=1月4日、国土交通省TEC-FORCE緊急災害対策派遣隊がドローンで撮影)

  その後、ドローンが孤立化した集落に食糧などの救援物資を届けるなど、被災地におけるドローンの存在感が高まった。きょう付の日経新聞によると、経産省は石川県にドローンの運航航路や発着の拠点を整備する。能登半島地震の影響でなお医療品や生活必需品などの輸送が滞っているため、復興を迅速に進める狙い。復興後の平時にも活用を続け、ノウハウを蓄積して地方を中心にドローンの利用を広げる、とう。

  確かにドローンは単なる物資の輸送だけでなく、人手不足の解消という視点で見れば、被災地だけでなく、これからの地域の過疎化対策で必要不可欠な「生活インフラ」に位置付けられるかもしれない。記事によれば、経産省では地元自治体や国交省と連携して、複数の避難所をドローンの発着拠点として、専用の離着陸用のポートや充電設備を置く。航空法や電波の状況の観点から飛んでよい場所を事前に定め、ドローン航路をつくる。

  ドローンの新たな可能性を引き出す、実証する、そしてドローン人材を育成する。能登がドローン活用の全国の拠点となれば復興の一助につながるかもしれない。そう期待したい。

⇒21日(日)夜・金沢の天気    くもり時々あめ

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☆復旧は徐々に進むも 罹災証明書めぐり渦巻く不満

2024年04月20日 | ⇒ドキュメント回廊

  元日の能登半島地震から110日が経った。石川県危機対策課のまとめ(4月19日現在)によると、これまで亡くなった人は245人(うち災害関連死15人)、住宅被害は全半壊や一部損壊含めて7万7935棟、避難所生活を余儀なくされている人は市町での1次避難所で2825人、県が用意した避難所(金沢市など)で2232人などとなっている。断水は珠洲市で2830戸、輪島市で1490戸、能登町で260戸の合わせて4580戸に及んでいる。また、県は仮設住宅4600戸を6月末までに完成させるとしている。

  数字だけを眺めると、たとえば珠洲市の断水は当初4800戸(1月4日時点)だったので、遅い早いは別として徐々に復旧している。先日(4月15日)、1930棟の住宅が全半壊した穴水町を訪ねた。仮設住宅の近くを通ると、洗濯物が干してある様子が見えた=写真=。ささやかな光景だが、生活実感が見て取れ、地域の復旧へと動き出しているようにも思えた。

  ただ、これからの復旧・復興に向けて問題となりつつあるのが、罹災証明書をめぐる被災者と自治体の不協和音かもしれない。きょう新聞メディアは能登半島の中心にある七尾市の事例を報じている。同市では住宅3141棟が全半壊、1万312棟が一部損壊となった。行政が出した罹災証明書について、判定に納得できず再調査を求める申請が今月16日現在で2484件(12.8%)にも及ぶ(20日付・北陸中日新聞)。  

  罹災証明書の発行に当たり、それぞれの自治体は損害割合に応じて「全壊」(損傷割合50%以上)、「大規模半壊」(同40%台)、「中規模半壊」(同30%台)、「半壊」(20%台)、「準半壊」(同10%台)、「一部損壊」(10%未満)の6分類で判定している。外観から判定する1次調査に納得がいかない場合は、被災者の立ち会いのもとで、建物の中に入って確認する2次調査を申請できる。ただ、2次調査は建物内を詳しく調べるため、より時間がかかるとされる。

  1次調査に不服が出る背景には、政府の生活再建支援金に大きな差があるからだろう。全壊の場合の支援金は300万円、大規模半壊は250万円、中規模半壊は100万円だが、半壊以下は支給の対象外となる。能登の知人からのまた聞きの話だ。知人の親族の家は一部損壊との判定だった。屋根にブルーシートを施してはいるが、雨の日には家の中で雨漏りがして、住める状態ではない。修繕は順番待ちで、早くて6月と言われ、作業の予定が立っていない。結局、別の親族から紹介された金沢のアパ-トで暮らしている。知人の親族は「このまま金沢で暮らしたい」と言っているそうだ。

  被害が半壊以上ならば公費解体の対象となる。が、準半壊や一部損壊はその対象ではない。先の知人の親族のように一部損壊であっても、雨漏りなどで住めない状態になるケースが多い。新聞記事にあるように、七尾市だけで一部損壊の住宅が1万312棟に及び、2次調査を求める申請が2484件にも達しているというのはまさに、被害認定をめぐる不満や不安が頂点に達しているとも言える。馳県知事は、被災した住宅などの公費での解体・撤去を「来年10月までの完了を目指す」(3月1日会見)としているが、そんな簡単な言葉では片付けられない問題がいよいよ表面化しつつある。

⇒20日(土)夜・金沢の天気    くも

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★春耕迎えた能登 つくれる田んぼは6割、畑は5割

2024年04月19日 | ⇒ドキュメント回廊
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☆「二度あることは三度ある」 金沢の被災地にリスクを読む

2024年04月18日 | ⇒ドキュメント回廊

  きのうの深夜午後11時14分、九州の大分県と四国の愛媛県に挟まれた豊後水道を震源とする地震があった。気象庁によると、マグニチュード6.6、震源の深さは39㌔、愛媛県愛南町と高知県宿毛市で震度6弱、九州や四国、中国、関西など西日本全体で揺れが観測された。(※地震図は、18日付・NHKニュースWeb版)

  NHKの地震速報で、「南海トラフが来たか」と誰もが一瞬思ったのではないだろうか。今回の地震は、南海トラフ巨大地震の想定震源域内で起きているからだ。NHKの解説によると、想定震源域内でM6.8以上の地震が発生した場合、気象庁は「南海トラフ地震臨時情報」を発表するが、今回はM6.6で基準未満だった。また、南海トラフ地震は、フィリピン海プレートと陸側のプレートの境界部分が震源となるが、今回は深さ39㌔のフィリピン海プレートの内部で発生したと推定され、地震のメカニズムが異なり、南海トラフ地震の可能性が高まっているわけではないというのが気象庁の見解のようだ。

  しかし、地震は予期せずして起きるものだ。去年5月5日に能登半島で震度6強、ことし元日に震度7の強烈な揺れが起きた。「災害は忘れたころにやってくる」(寺田寅彦)という教訓は実感だった。

  話は変わる。元日の地震で震度5強を観測した金沢市田上新町ではがけ崩れが起き、民家4軒が道路ごと崩れ落ちた=写真・上、1月2日撮影=。場所は金沢大学角間キャンパス隣地の山手の住宅街だ。きのう現地に行くと、崩れ落ちた4軒の民家は解体・撤去されていた=写真・下、4月17日撮影=。現場を眺めながら考えたこと、それは「事はこれで終わったのだろうか」という思いだった。2月13日に現場を訪れたときに、この近くに40年余り住んでいるというシニアの女性から聞いた話だ。「このあたりで30年前にも大雨で土砂崩れがあって、2度目なんですよ」と。

  土砂災害を研究している東京農工大学のチームが現地調査に訪れている(1月3日)。1600平方㍍の斜面が崩壊し、全壊した4棟のうち3棟が10㍍から20㍍西へ移動していた。地盤を調べたところ、大きさがほぼ均一の細かい砂地でできていて、斜面に設置された排水管からは地下水が流れ続けていた。このため、地下水を含んだ砂地に地震の揺れが加わったことで地盤が液体状になる液状化現象が起き、崩落したとみられる(1月6日付・NHKニュースWeb版)。液状化現象というリスクは山沿いでも起きるのだと初めて理解した。

  そして、30年前のがけ崩れが教訓として活かされていなかったのだろうかと改めて考えた。「二度あることは三度ある」。このリスクをどう見極めればよいのか。

⇒18日(木)夜・金沢の天気     くもり

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