自在コラム

⇒ 日常での観察や大学キャンパスでの見聞、環境や時事問題、メディアとネットの考察などを紹介する宇野文夫のコラム

★そばとソバの間

2005年09月30日 | ⇒キャンパス見聞
  ひいきにしている金沢のそば屋から「新そば」の案内はがきが届いた。「・・・今年も若草色の暖簾の季節がやって来ました。今年の新そばも九月十五日より北海道から始まります。」。この店は新そばの季節になると若草色の「のれん」を出す小粋な店なのだ。

  季節感を強調することは商品をブランド化する重要な要素である。その最近の成功例はワインのボージョレーヌーボーだろう。わざわざ解禁日まで設定している。日本海のズワイガニも例年11月6日ごろに解禁となる。この場合、資源保護のため禁漁期間が設定されているのだが、解禁日が設定されると自然保護の思惑を超えて待ち遠しくなるものだ。季節感も取り込んで「味」にする、そば屋も随分と商売上手になったものだと思う。ちなみに、ひいきにしているそば屋は金沢の繁華街・片町にあり、ご主人が私と同じ奥能登出身ということで気が合い、通っている。東京で修業を積んだ「更科そば」である。

  そばと言えば、私が勤めている金沢大学の創立五十周年記念館「角間の里」の周辺で栽培されているソバが真っ白な花をつけている。畑をよく観察すると、ミツバチやチョウが忙しそうに飛び交っている。秋空に映えるソバの白い花、その花に群れる昆虫・・・。別の言い方をすれば、太陽の日差しで植物が生長し、その周囲に昆虫も息づく、そんなマクロからミクロへと連続するダイナックな生態系がこのソバ畑で見て取れる。

  そのソバの実を収穫し、そばとして加工して販売する。また味覚を楽しもうと行動を起こせば、それが経済活動(生産と消費)になる。そばを食べる所作をつくれば文化になり、それを年代ごとに論ずれば歴史となる。また、地域としてそばとソバをテーマに取り組めば「村おこし」という行政的なテーマにもなる。そばとソバの間を行き交うとそうした眼差し(まなざし)が生まれる。

  「9・11」という激動の衆院選があった9月がきょうで終わる。名残を惜しんでいるのではない。脳裏に刻んでいるのだ。

⇒30日(金)午前・金沢の天気  くもり
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☆続々・ブログと選挙

2005年09月25日 | ⇒メディア時評
  日本の国政選挙のあり方が大きく変わるかもしれない。これまで禁止されてきた選挙運動でのインターネット利用が解禁される見通しとなったからだ。

  公職選挙法(以下「公選法」)では、選挙運動のために使用する文書図画は、はがきやビラのほかは頒布することができないとの規定(142条)がある。パソコンのディスプレイで画面表示されたテキストや画像も文書図画に相当すると解釈されていて、候補者が個人のホームページで投票を呼びかけると違法な媒体を使った選挙運動とみなされる。だから、公示・告示以降はホームページやブログを更新して内容を書き換えることは事実上できない。これは候補者だけでなく、一個人であったとしても「候補者を推薦し、支持し若しくは反対する者の名を表示する文書図画を頒布し又は掲示することができない」(146条)。これに違反した場合、「2年以下の禁錮また50万円以下の罰金」(248条)である。

  アドバルーンを揚げたりネオンサインで投票を呼びかけたりする外国の選挙と比べ、かくのごとく地味で細やかな公選法の規定ができ上がった背景には、かつて「金のある者が勝つ」という状況が日本の選挙あったからで、選挙の公正を国会議員自らが追求した結果なのだ。ところが、インターネットの特性である低コストとボーダレスという2点で風穴が開いた。

  一つは、たとえば衆院選の小選挙区の立候補者が頒布できる通常はがきは3万5千枚、ビラ7万枚に制限されている。大量にビラをまける候補者が有利にならないよう、競争条件を等しくするための措置である。はがきもビラも使わない、安上がりの文書図画と言えばインターネットのブログだろう。なにしろサイトを構築する経費がかからない。コストのかからない選挙を目指すのであればインターネットを併用する方がいいのである。特に金も地縁も血縁もない新人候補が名前や政策を知ってもらうのにインターネットを利用しない手はない。

  二つ目の風穴は絶妙なタイミングで開いた。総選挙投票の3日後、9月14日に最高裁が判断した「在外選挙権訴訟」の違憲判決である。在外邦人の投票は、衆参両院の比例代表に限って認められていたが、選挙区についは、候補者が在外邦人にまで政策などの情報を伝えることは「極めて困難」などの理由で認められなかった。このため、イラク復興支援のためにサマワに派遣されている陸上自衛隊員600人も投票ができなかったくらいだ。今回の判決で最高裁は「通信手段の発達で候補者個人の情報を在外邦人に伝えることが著しく困難とは言えない」と指摘した。つまり、インターネットを使えば海外であろうと情報は届くと判断したのである。在外有権者はざっと72万人だ。

  この判決で、インターネットの選挙利用について自民党や総務省が動き出した。自民党のメディア戦略を担当している世耕弘成広報本部長代理(参議員)のブログ「世耕日記」の9月20日付によると「…総務省滝本選挙課長が来訪。選挙におけるネット利用に向けた公選法のあり方に関して基本的な部分について意見交換。最高裁判決が出た在外投票の問題や電子投票のあり方についても議論。」とある。判決を受けて、総務省の選挙担当課長が世耕氏のもとに根回しにやってきたのである。うがった見方をすれば、在外投票を電子投票にする構想なども話し合われたことは想像に難くない。

   自民党は、すでに最高裁判決前の9月9日の党選挙制度調査会で「選挙におけるインタ-ネット利用に関する小委員会」(仮称)の設置を決めている。また、民主党も以前からインターネットの選挙利用解禁に積極的であり、早ければ来年の通常国会にも公選法改正案が議員立法で提出されるだろう。「マニフェスト選挙」、「小泉劇場選挙」、そして2007年夏の参院選は「ネット選挙」あるいは「ブログ選挙」がキーワードとなるに違いない。

⇒25日(日)夕・金沢の天気   くもり
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★京都の街で考えたこと

2005年09月23日 | ⇒キャンパス見聞

   京都市左京区は広い。大原の三千院も、そして9月18日に訪れた「京女の森」も同じ区である。ここは民主党の新しい代表、前原誠司氏の地盤でもある。山奥の小さな集落にも前原氏のポスターがまだ貼ってあり、衆院選挙の余韻が残る。

   私は京都という土地を踏むたびに、幾多の怨念や無念が渦巻いた歴史のことを想像してしまう。新選組や坂本竜馬らが行き交い、そして血を流した土地なのだ。そして何より、地元の人が「前の戦争の時、この当たりは焼け野原やった」という場合、「前の戦争」は太平洋戦争ではなく、「応仁の乱」(1467年-78年)を指す。この地に息づく独特の歴史感覚に京都人の凄みを感じる。

   もう一つ、凄みを感じさせるのが、京都ならではの「権威」という存在感だ。街には「大本山○○寺」「宗教法人○○本部」「茶道○○家元」「華道○○流本部」「財団法人○○会」などの寺社、ビル、看板がやたらと目に付く。会員100万人を擁する茶道家元があったとする。本部に上納する年会費が1万円だと100億円が自動的に集まる。また、有名なお寺は拝観料収入が入る。拝観料は非課税だ。そのようなマネーがこの地に一体いくら吸い込まれているのか、おそらく税務署でも全体を把握するのが難しいのではないか。

     よい意味で解釈すれば、日本における「知的財産権」をいち早く確立したのが京都人と言えるだろう。教義と流儀と作法を全国に流布し、広く薄く定期的にお金を集める「集金システム」こそ、京都におけるビジネスモデルの真骨頂ではないか。国際観光都市は京都の表の顔だが、上納で潤う「権威の都」という別の顔を持つ。この地を歩きながらそんなことを考えた。

 ⇒23日(金)朝・金沢の天気  くもり 

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☆京都の森で考えたこと

2005年09月22日 | ⇒キャンパス見聞

  「汗をかくことが嫌い」という若者が増えている。しかし、汗をかきながら野や森を歩けば何かが得られるものだ。今月18日と19日に京都女子大学で開かれた交流会に参加した。「里山」をテーマに参加したのは九州大、神戸大、龍谷大、金沢大、それに京都女子大の学生や社会人ら合わせて21人。発表会やフィールドワークが繰り広げられた。   

   フィールドワークは大学から30㌔、京都市左京区の大原の森であった。宿舎となったのは、市有林にある市営ロッジだ。このロッジの前を一本の山道が続いている。大原の奥山で暮らす下坂恭昭さん(77)によれば、この道は昔から越前小浜に続く「鯖(さば)街道」と呼ばれてきた。塩鯖を入れたカゴを前と後ろにくくりつけた天秤棒を担いだ小浜の人たちがよく往来したという。小浜でも「京は遠くて十七里」との言葉が残る。およそ70㌔の山道である。

   人間だけではない。1408年、南蛮船が小浜に着き、時の将軍、足利義持にゾウが献上された。「そのゾウはこの道を歩いて京に入った可能性もある。文献での確証はないが・・・」と、今回の交流会の主宰者である高桑進教授は推測する。初日の夕食、若狭湾の名物「鯖のへしこ」(塩鯖のヌカ漬け)を肴に学生たちと焼酎を酌み交わした。この夜は中秋の名月だった。 

  翌日、市営林の背中合わせにある京都女子大所有の山林(通称「京女の森」)にフィールドワークに出かけた。24㌶ある京女の森には手付かずの自然が残る。その中に、「女王」と呼ばれる赤マツの大木がある。樹齢500年を生きた。過去形にしたのは2年前、枯死したからだ。その姿をよく見れば、急斜面によく立ち、雷に打たれ裂けた跡もある。500年もよく生きたと、感動する。むき出しになった根の部分を切ってみると、琥珀(こはく)色の松ヤニが上品な香りを放った。

  尾根伝いに歩くと、金沢大の同僚の研究員N君が「ここのササは金沢のものに比べ小さい」とつぶやいた。ササはチマキザサのこと。京都では祇園まつりの時、このササで厄除けのチマキをつくるそうだ。しかし、四角形をした金沢の笹寿しを巻くには確かにこのササでは幅が足りないような気がした。標高800㍍ほど、チマキザサでもちょっと品種が違うのかもしれない。

   林道に出る。スズメバチにまとわりつかれた。スズメバチがホバリング(停止飛行)を始めた。「動かないで」の言われ、恐怖で体がすくんだ。ホバリングはスズメバチの攻撃態勢を意味する。その時、プシュッという音がした。N君がハチ駆除用のエアゾールを噴射してくれた。スズメバチはいったん退散したが、再度向かってきた、今度はエアゾールを手にとって自分で噴射した。スズメバチの姿が見えなくなったので、全員で足早にその場を去った。用意周到なN君のおかげで命拾いをした。後で聞くと、N君は刺された場合の毒の吸出しセットも持参していた。緊張感漂うフィールドワークだった。

   高桑教授はパソコンなどデジタルに慣れきった学生を見てこう指摘する。「自然環境で学生を学ばせることでバーチャルとリアリティーのバランスの取れた人間形成ができる。その場が里山だ」と。現代人は里山を離れ街に出た。しかし、人は癒しを求めて再び里山に入るときがくる。京女の森はそんなことを教えてくれた。

⇒22日(木)午前・金沢の天気  くもり 

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★民放とNHK、近未来の視界

2005年09月21日 | ⇒メディア時評
   テレビ業界をめぐる動きが急だ。そして、近未来の姿が見えてきたようだ。ソフトバンクがテレビ番組のインターネット配信に乗り出す方向で、テレビ朝日やフジテレビなど民放キー局5社と調整を進めていることが明らかになった。来春めどに専用サイトを開設し、ユーザーが好きな時にネットを通じて番組が視聴できるビデオオンデマンド方式を採用。収益はサイトの広告収入がメインで、一部番組の有料化も検討しているとう。USENのブロードバンド放送「Gyao」(ギャオ)のビジネスモデルを追いかけるかっこうとなる。

   配信コンテンツはニュースやスポーツ番組が中心で、著作権処理が済み次第、バラエティーやドラマも加えていく。ソフトバンクは民放キー局と組むことで、コンテンツ配信事業を拡大。民放キー局はこれまでの系列ローカル局以外に番組販売料を稼ぐことができ、収益源の多様化につながるというわけだ。

   このニュースを見て、おそらくローカル民放の経営陣は背筋に寒いものが走ったに違いない。再び「ローカル局の炭焼き小屋」論が脳裏をよぎった経営者もいることだろう。何しろ民放キー局のキラーコンテンツ(視聴率が取れる番組)が見たいときに見ることができるようになれば何も決まった時間にテレビにチャンネルを合わせる必要がなく、テレビ離れが起きる。そしてローカル局は細々と自社制作の番組をつくり続けるしか生き残る術(すべ)はなくなる。TVメディアにおける炭焼き小屋論だ。

   ましてローカル民放は来年12月までに莫大な投資(民放連試算で45億円)を伴うデジタル化をスタートさせなければならない。このタイミングで放送(キー局)と通信(インターネット)の融合のスピードが加速度的に進めば、特にローカル局に配分されているスポンサーの広告宣伝費はさらに通信へとシフトしていく。キー局の経営陣はローカル局のこうした焦燥感をどれほど理解しているだろうか。

   NHKも悪いスパイラルに陥った。橋本元一会長はきのう(20日)、一連の不祥事による受信料不払いの拡大などを受けた新たな経営改革計画「新生プラン」を発表したが、このニュースを見て共感した視聴者はいるだろうか。それどころか、受信料の支払い拒否・保留130万件に対して、支払いを法的に督促することを正式に明らかにし、960万件にも上る未契約の人に対しても民事手続きを導入する構えを示した。身から出たサビで237億円の減収(上半期)となり、法的な強硬手段で訴えるという。

   一般の視聴者の反応はどうか。答えは簡単、「それならNHKはスクランブル化を導入せよ」だ。実際にテレビを見なくなっている世代や層が増えている。その人たちを納得させるのは並大抵ではない。つまるところ、「見る見ない」の判断はスクランブルが一番納得できる。しかし、スクランブルを導入すれば、拒否者は130万件どころではなくなる。劇薬というより毒薬になる可能性もある。

   法的手段と同時に、NHKは来年度から3年間で全職員の10%にあたる1200人を削減すると発表した。これをまず実行して、未払い・保留の視聴者の理解を得るのが本来の姿、つまりソフトランディングだろう。法は最終手段だ。

⇒21日(水)午後・金沢の天気 くもり
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☆続・ブログと選挙

2005年09月18日 | ⇒メディア時評

    私は反省したい。公示前の8月26日と27日付「自在コラム」で、小泉総理は選挙最終盤になって「年金の一本化を郵政民営化法案の可決直後に着手する」とブチ上げ、来年9月以降の総裁任期の延長を受け入れるだろうとの内容の予測を書いた。しかし総裁任期の延長について、小泉総理はいまでも否定している。当時の森喜朗氏らの総裁延長発言から推測したのだが読み違えてしまった。つまり、結果として「飛ばし」となってしまった。

      小泉総理の任期延長論は8月25日、自民党本部で小泉総理や森氏らが弁当を食べながら何かを話し合い、森氏が当日のテレビ朝日の番組(収録)で延長論をほのめかしたことによる。真実はどこにあるのか。前回に引き続き、同党の世耕弘成広報本部長代理(参議員)のブログ「世耕日記」に記されている当時の模様を引用してみる。

   「…小泉総理が党本部へやってくる。居合わせた森前総理、武部幹事長、二階総務局長と私とで総裁室で夕食、雑談。『今日はおいしい弁当だ』と森さんはうれしそう。やっぱり森さんと小泉さんは長年の盟友だ。干からびたチーズ事件の後遺症など微塵も見えない。」(8月25日)

   確かに文面を読む限り、「重要な話し合い」があったような緊張感というものが伝わってこない。要は和やかに夕食の弁当を食べていただけなのだろう。総理総裁、総裁派閥の会長、幹事長ら党幹部が集まったからと言って何か重要なことが話し合われたというのはちょっと早合点だった。このブログを先に読んでいれば「飛ばし」もなかったかもしれないと今は反省している。

    でもすごい世の中になった。国会議員がブログを書き、それを我々が読めて、政治の奥の部分を垣間見ることができるのである。もちろん政治家は都合の悪いことは書かないだろう。しかし、事象の前後左右をつなぎ合わせれば全体像が見えてくるものだ。そして嘘もバレる。ブログというのは国会議員へのチェック機能になったり、あるいは議員のアピールの場になったりとさまざまな役割を担うのではないか。その書き込みの誠実さが有権者に伝われば信頼され、そして支持される。

 ⇒18日(日)朝・金沢の天気  晴れ

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★ブログと選挙

2005年09月13日 | ⇒メディア時評

   郵政民営化に反対した人たちの精神構造の一端が理解できるようなコメントだった。広島6区で堀江貴文氏に勝った亀井静香氏が12日、TVメディアのインタビューで、296議席を得た自民について感想をこう述べた。「国民は覚せいしないといけない。これでは民主主義が滅んでしまう」と。郵政民営化は小泉内閣の暴挙だと反対し、今回の選挙も小泉総理の暴政だと言い放っていた。そして、自民が圧勝すると今度はその批判の矛先を有権者に向けているのだ。東京10区の小林興起氏も「(小池百合子氏に敗れたのは)マスコミが煽ったせいだ」と述べていた。要は、相手を批難することで存在感を示したい人たちのようだ。

                ◇    

   ところで、今回の「自在コラム」のテーマではインターネットが今回の選挙にどうかかわったのか、抽象論に陥らないように具体例から考察したい。選挙公示前の8月25日夜、自民党がメールマガジンの発行者やブログのユーザー(ブロガー)と党幹部との懇親会を開いて話題となった。招待されたのはネットエイジや「はてな」の運営会社や「忙しいあなたの代わりに新聞読みます」などのメールマガジン運営者、それにブロガーら33人。自民党から出席したのは武部勤幹事長と世耕弘成広報本部長代理だった。

    自民党には「コミュニケーション戦略チーム」があり、有権者からのメールや電話の応対のほか、メディア対策も行っている。世耕氏はその中心メンバーだ。そして自らもブロガーである。今回の懇談会の仕掛け人はどうやら世耕氏であることが見えてきた。

     そこで「もしや」と思い、世耕氏のブログ「世耕日記」を読むと8月25日付があった。懇談会の模様を記した文を引用する。「夜7時からブログ、メルマガ作者の皆さん33名と武部幹事長とで懇談会。安倍さんは台風で新幹線に閉じ込められてしまって間に合わない。政党とブロガーの対話は日本ではじめての企画であり、武部さんとブロガーの皆さんの波長が合うだろうか等心配事も多かったが、非常に実りある懇談であった。終了後は皆さんを総裁室にご案内して見学してもらう。居合わせた竹中大臣にも顔を出してもらい、非常に和気藹々とした雰囲気の中、企画は終了した。台風の中来て下さった33名の皆さんに感謝だ。」

    ブログによると、和やかな雰囲気の会合であったことが分かる。とくに世耕氏が「政党とブロガーの対話は日本ではじめて」と記したように、確かに政党の取り組みとしては画期的なことではある。

     この懇談会に出席した人はどう受け取ったのか。泉あいさんというブロガー(「GripBlog~私が見た事実~」を開設)は懇談会に参加した一人。泉さんの場合、「取材させて」と頼み込んだらタイミングよく「どうぞ」となったらしい。泉さんはその経緯について、「blog.goo」の選挙特集の中で寄稿している。以下、懇談会の模様をこう記している。「天下の自民党には、こんな多彩なキャラクターのおじさんたちがいましたが、自民党だけではなく、選挙の取材で他の政党の政治家ともお会いして、難しい政策論争をしている政治家も、実は威張った嫌な奴なんかじゃなく、普通の人なのだと知り、今までよりも政治を身近なものと感じられるようになりました。」。元OLの泉さんの目には好意的に映った。

     ところが、違和感があったのはむしろ既存のマスメディアだったと記している。「今回の懇談会で威圧感を放っていたのは、政治家ではなくメディアの人たちでした。退室した後も、ガラスの壁に張り付いて中の会話に聞き耳を立てる必死な姿は、見習うべきものだと思いますが、どうも一段高い所から見下ろされているような気がして仕方がなかったです。」と。そして、「インターネットで、既存メディアとは違う、普通の人が身近に語ることのできる草の根ジャーナリズムを実現できる日が来るのは、そう遠くはない。自民党本部で私はそう感じました。」と記している。

     泉さんの言葉は画期的である。既存のメディアを向こうに回して「草の根ジャーナリズム」を目指すと宣言しているのだ。この後、彼女はデジカムを担いで西へ東へと党首の街頭演説の録画に自費で出かけている。泉さんだけではない。こうした志(こことざし)の高いブロガーの出現のおかげで、既存のメディアでは報じられなかった選挙の別の一面を知ることができたと私は思っている。

 ⇒13日(火)午後・金沢の天気   晴れ

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☆自民1強、ロイヤルサルートの夜

2005年09月12日 | ⇒ニュース走査
    総選挙の大スペクタクルをテレビで「観戦」するのを楽しみにしていた。昨夜はとっておきのスコッチ(「ロイヤル・サルート21Y」)をそばに置いて、刻一刻と積み上がる数字を自分なりに楽しんだ。何しろこれまで総選挙の時はテレビモニターの向こう側のテレビ局で慌ただしくしていた。ゆっくりテレビ観戦というのはとても贅沢な時の流れのように思えた。で、スコッチを傍らに置いた。

    結果は自民の圧勝。「自民296議席」だが、実質「297」だ。比例代表の東京ブロックで、自民は8議席を獲得できる票を得ながら、重複立候補の小選挙区当選者を除く名簿登載者が7人しかいなかったため、1議席は結果的に社民党に割り振られたのだ。これは誰も予想しなかった。都市部での自民支持のすさまじさが数字となって現れたかっこうだ。

    話題をローカルに転ずる。きのう(11日)午前、金沢は土砂降りだった。石川県加賀地方には大雨洪水警報が発表された。北信越高校野球の県大会も6試合のうち5試合が雨で順延となった。当然、投票の出足に影響をもたらすと想われたがフタを開けてみると、石川1区は68.71%(前回59.58%)と9ポイントも上回った。予想外の投票率。そして自民の馳浩氏が2万9千票余りも差をつけて民主の奥田建氏を振り切った。投票率の上昇効果で無党派層を取り込んだのは自民だった。 

   圧勝した小池百合子氏(東京10区)やかろうじて逃げ切った片山さつき氏(静岡7区)、健闘した堀江貴文氏(広島6区)の戦いぶりを見ると、もはや「地盤」や「看板」という選挙のキーワードは通用しなくなったように思える。この結果を見て、投票前に会った元金沢市会議員のNさんの言葉を思い出した。N氏はこう言った。「市会議員は県のことを、県議は国のことを、国会議員は世界と日本のことを考えるべきだ。有権者はそう願っているのではないか」と。つまり大きなテーマで1票を投ずることの醍醐味を有権者は味わいたいのである。日本の選挙は「しがらみ」や「地縁」という旧態依然としたあり方を超えて、本来あるべき政治の姿へと脱皮したのではないか。

   テレビを見ていて、小泉総理の言葉が耳に残った。「民主の失敗は郵政民営化に反対したことだ」。そして、視覚として残ったのは、小池百合子氏と小宮悦子キャスターの2人はとても顔が似てきたこと。後者はロイヤル・サルートの酔いのせいかもしれない。自民の1強時代に入った。組閣も早いだろう。

⇒12日(月)朝・金沢の天気  晴れ
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★女子学生も悩んだ選挙

2005年09月11日 | ⇒キャンパス見聞
   総選挙の公示の前々日だった。知人の新聞記者から金沢大学の学生を紹介してほしいという内容の電話があった。地元の大学生の目線で選挙をルポしてみたい、という。ただし条件が2つあり、金沢市出身(つまり石川1区)で選挙権があること。私自身も興味があり、この条件にかなう学生を探した。金大生の7割は県外出身者で、しかも金沢市出身の選挙権がある学生で、さらに「やってみよう」という意欲のある学生となると案外難しい。いてもアルバイトの方が実入りがあるのでそちらを優先されてしまう。

   土壇場になって1人現れた。女子学生でマスコミに関心があるという。さっそく記者に連絡、取材が始まった。学生がさらに友人を誘って2人が取材に協力することになった。彼女たちはのべ3日間、記者といっしょに公示の日の候補者の第一声や選挙カーでの地区回り、ミニ集会などをつぶさに見て、若者の視点から感想を述べる、記者はそれを記事にするという手法で「【総選挙05】大学生は見た!」の選挙企画になった。

   その触りを紹介する。10日付は選挙終盤の様子だ。以下は抜粋。「台風一過の8日、選挙カーの後ろについて回った。公示日と比べて、候補者の印象は変わったか。大勢の応援弁士と一緒に話していた第一声に比べると、各候補とも少人数で回っていた。住宅地の小さな路地まで入り込み、わずかな人の前でもマイクを握る候補者を見て、『意外と地道な活動なんだ。高いところからでなく、同じ目線で話すと、どの候補も身近に感じる』と感心した様子。」。彼女たちが見た路地裏の候補者たちの様子である。

   その後、2人の学生はそれぞれの政党のマニフェストを比べて感想を述べ合ったりと選挙の争点について考えていく。そして考えれば考えるほど深みにはまり、2人は「1人の候補を選ぶのって大変なんだ。誰を選ぶか、考えれば考えるほど、一票の重みを感じる」と感想を漏らすに至る。記事のクライマックスはここにある。記者は彼女たちのこの一言を待っていたのだ。もう一度、「一票の重みを感じる」。

   そう、選挙(選択)は真面目に考えればそれだけ難しくなる。そして我々の生活や未来のことを想えばまた一段と難しくなる。「一票は重い」のである。

   学生が選挙を通じてメディアと接触したことで、人間社会のもっともリアリティのある部分(戦い)というものを目の当たりにした。ここで選挙と政治を考察したり、投票行動における人間心理というものを考えたり、あるいはマスメディアの取材手法そのものに興味を持ったかもしれない。選挙を通じさまざまな知的な欲求の端緒を見出してくれればよい。私が彼女たちを記者に紹介した理由はこの一点だ。

   総務省が発表した9日現在での期日前投票者数(小選挙区)は672万5122人になった。過去最高だった前回衆院選(2003年11月)の不在者投票の669万人をすでに上回り、最終的な投票者数は前回比25%増の836万人(有権者全体の8.1%)に達する見通しという。大変な盛り上がりだ。「政治を変えてやる」という有権者の意識の現れと、私はこの数字を見る。今回のコラムの結論はない。ただ、「9月11日」で日本の政治史の1ページが書き換えられるような気がしてならない。

⇒11日(日)朝・金沢の天気  曇り
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☆早とちりの選挙謀略説

2005年09月09日 | ⇒メディア時評
   国際比較あるいは世界ランキングというのがマスメディアでたまに出てくる。「日本は何位…」という例のランキングだ。タイミングがよいのか悪いのか、今回の衆院選と絡めるとこのようなうがった見方もできる。8日付の新聞各紙で掲載された、国連開発計画(UNDP)による2005年版「人間開発報告書」によると、日本は健康、教育など「人間の豊かさ」を測る人間開発指数で177カ国・地域中11位(前年は9位)と、初めてベスト10から転落したそうだ。この大きな理由が、女性の政治・経済分野への進出度を示す性別権限指数(ジェンダー・エンパワーメント・メジャー=GEM)が43位と、先進国では極端に低かったことによる。

   このランキングを前向きに受け止め、もっと女性候補者を国会に送り出そうと考えれば、今回の衆院選で多く女性候補を出している党を応援しなければならないことになる。ちなみに一番多く女性候補を出している党は共産党で69人、次いで自民党26人、民主党24人と続く。さらに当選の可能性を言えば、比例代表の1位に女性候補者を据えている自民党となるだろう。

   この記事を読んで、私は正直言って「これは巧妙な世論誘導だ」と思った。ある党の党首クラスなどはさっそく「新聞にもありましたが、女性の政界進出は国際的に見ても遅れております。その点、わが党は優先的に女性候補を擁立しております…」などと街頭演説のネタにするだろう。この意味で今回の人間開発報告書のニュースリリースは謀略に近い、と感じたのだ。この時期、このタイミングでこんな国際統計を出してくる「霞ヶ関」は一体どこなのだろうかと勘ぐった。

   新聞をつぶさに読んだ。しかしリリースした省庁名がどこにも記載がない。そこで数紙の記事をもう一度読むと、冒頭に「ニューヨーク」あるいは「ジューネーブ」とある。つまり特派員が記した記事なのである。ここで私の謀略説は一気に崩れた。早とちり。

   しかし、そもそも紙面をよく読めば、この統計もなんとなく怪しい。日本のGEMが38位から43位に低下した理由は女性国会議員の割合が9.9%から9.3%に下がったのが響いたのだとか…。個人的な思いだが、女性の権限を統計化するのであれば、「家計における女性の権限」を追加してほしい。年代は忘れたが、総理府統計では、家計の財布を握る女性は70数%と欧米に比べ群を抜く。個人の金融資産はトータルで1300兆円。預貯金や保険をやり繰りしている日本の女性は世界に類を見ない金融パワーの持ち主なのだ。これが統計として評価されれば、ランクは一気に上がるはずだ…。

⇒9日(金)午前・金沢の天気  晴れ
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