自在コラム

⇒ 日常での観察や大学キャンパスでの見聞、環境や時事問題、メディアとネットの考察などを紹介する宇野文夫のコラム

☆能登半島地震 震源地の珠洲は津波と土砂崩れ複合被害

2024年01月30日 | ⇒ドキュメント回廊

   能登半島地震の震源地は半島の尖端部分の珠洲市。きょうその珠洲市に所用があり一日がかりで往復した。これまで金沢の自宅から市役所までは車で1時間30分ほどだが、今回は4時間かかった。幹線道路「のと里山海道」を北上すると崩落の箇所などがあり、う回路を経由して走行することになる。そのう回路には警察のパトカ-や自衛隊のトラック、救急車、支援物資を運ぶ車が列をなしていてゆっくり運転が続く。(※NHK図=✖が震源とされる珠洲市大谷・馬緤地区)

   珠洲市には去年秋の「奥能登国際芸術祭2023」に何度か訪れている。元旦の震度6強に見舞われ、街並みは変わり果てた。石川県危機管理監室がまとめた被害状況(30日午後2時現在)によると、犠牲者は101人、重軽傷者249人、全壊2092棟、半壊1036棟だ。同市は約6000世帯なので、半数超えが全半壊となった。2022年6月19日に震度6弱、2023年5月5日に震度6強の揺れがあり一部地域に損壊があったものの、それでも芸術祭は実施できた。ところが今回はさらに幅広い場所で被害が出た。海岸沿いでは4㍍の津波による被害、そして山沿いでは土砂崩れとまさに複合被害だ。(※写真・上=地震と土砂崩れで崩壊した住宅)

   珠洲市の観光名所として知られる見附島も変わり果てていた。そのカタチから通称「軍艦島」と呼ばれていたが、2022年と2023年、そして今回と度重なる揺れで、勇壮な面影は変化した。(※写真・下=津波で海岸に打ち上げられた漁船、地震で崩れた見附島)

   震源地にもっとも近いとされる同市の大谷・馬緤(まつなぎ)地区。所用の帰りにここを通って帰ろうとしたが、土砂崩れなどで通行止めとなっていた。馬緤という地名には伝説がある。壇ノ浦の戦い(1185年)で名を上げた源義経が兄・頼朝との仲違いで京を追われ、奥州・平泉に逃げ延びる途中で一行がここで滞在した。そのため馬をここで繋いだので、「マツナギ」という地名になったという。大谷地区にも平家伝説があり、歴史と伝統がある地区でもある。ふるさとを離れる避難者の想いはいかほどか。

⇒30日(火)夜・金沢の天気   くもり

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★能登半島地震  復旧に向けた動きも徐々に

2024年01月29日 | ⇒ドキュメント回廊

   能登半島地震の発生からきょうで4週間が経った。半島の中ほどに位置し、人口4万7千人と能登で最も大きな自治体である七尾市を訪ねた。同市での最大の震度は6強、中心市街地は6弱の揺れに見舞われ、犠牲者は5人、住宅や店舗の全壊・半壊など被害は1万550棟に及んだ。

   中心街の老舗が並ぶ一本杉商店街を歩くと無残にも倒壊した店も。創業130年の和ろうそくの店で知られる「高澤ろうそく」は、建物が国の有形文化財に登録されているが、今回の地震で軒先が倒壊し、母屋も傾くなど大きな被害を受けた=写真・上=。同店はそれにもめげず、フランス・パリで開かれた世界最大規模のインテリアとデザイン関連の国際見本市「メゾン・エ・オブジェ」(今月18-22日)に出品し注目を集めたようだ(29日付・NHKニュースWeb版)。復興へのともし火のようなニュースだ。

   七尾市の中心街から北側にある和倉温泉に車で移動した。途中でJR七尾線の線路の修復工事が行われていた=写真・中=。金沢駅から七尾駅は今月22日に運転を再開したものの、七尾駅から和倉温泉駅の間は終日運転を取り止めている。レールのゆがみや架線柱が傾斜している箇所もあり、JRは2月中旬の運転再開を目指して復旧作業を進めている。

   和倉温泉街に入ると、いつものにぎわいはなく、閑散としていた。開湯1200年の歴史がある和倉温泉。建物の損壊などで22の旅館すべてが休業に追い込まれている。「プロが選ぶ日本のホテル・旅館100選」(旅行新聞社主催)で通算40回総合1位に輝くなど、「おもてなし日本一」の旅館として知られる「加賀屋」でも入り口に立ち入り禁止の規制線がはられていた=写真・下=。入り口には歪んでいるところもあり、建物を眺めると外壁の一部が落ちてる。内部は揺れで食器なども相当に散乱したに違いない。

   ただ、復旧に向けた動きも始まる。七尾市では1万5100戸が断水となっていたが、水道の送水は順次復旧しており、和倉温泉地区への送水は3月中頃の見通しだ(28日付・七尾市役所公式サイト「水道 県・自エリア別一覧及び復旧状況確認表」)。電気はすでに復旧しており、水道の復旧で温泉街に一日も早く活気が戻ることを祈る。

⇒29日(月)夜・金沢の天気   くもり

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☆能登半島地震 共助の心意気「能登はやさしや土までも」

2024年01月27日 | ⇒ドキュメント回廊

   震度6弱の揺れがあった中能登町をきのう訪れた。能登半島の中ほどに位置するこの町には国指定の史跡「雨の宮古墳群 」がある。北陸地方最大級の前方後方墳と前方後円墳が隣接する。4 世紀から5世紀(弥生後期)の古墳で、眉丈山(びじょうざん・標高188㍍)の山頂にあり、邑知(おうち)地溝帯と呼ばれる穀倉地帯を見渡す位置にする。能登の王は自ら開拓した穀倉地を死後も見守りたいという思いで山頂に古墳を築いたのかもしれない、と想像を膨らませながら雪の山道に車を走らせた。

   ところが、道半ばでストップの貼り紙が。「地震のため 古墳は登れません 中能登町教育委員会」=写真・上=。関係者に問い合わせると、36基の古墳の中でも大きな1号墳と2号墳の頂上部分で数㍍にわたって地割れ走っていて、ブルーシートで応急措置を施している。適切な修復方法を文化庁などと模索中で、当面の間は立ち入り禁止となるとのことだった。これまで、学生たちを連れて能登スタディツアーを実施する際には能登の歴史を理解するポイント地点として雨の宮古墳群 を訪れていた。行政予算は生活や交通インフラなどが優先されるのが常だが、地域が誇る文化財の修復を願う。

   冒頭で述べたように、中能登町は古くから広大な平地でコメづくりが営まれた豊かな地域だ。その様子は街並みを見れば理解できる。「あずまだち」あるは「あずまづくり(東造り)」と呼ばれる切妻型の屋根は建物の上に大きな本を開いて覆いかぶせたようなカタチをしている。黒瓦と白壁のコントラストも特徴的で、旧加賀藩の農家の伝統的な建築様式とも言われている。

   大きく損壊した建物はないように見受けられたが、白壁の部分が剥がれている家が相当あった=写真・中=。タテ揺れやヨコ揺れに本体はなんとか耐えたものの、外部では屋根瓦や白壁が落ち、内部では神棚やタンスなどが倒れただろうと察した。通りを歩くと、「瓦が落ちます 危険」と貼り紙をしている民家もあった。

   町の様子を眺めながら車で走ると、「能登は 負けません!! 震災復興にがんばりましょう」「能登に 暖かいご支援 ありがとうございます」と書かれた看板が目に入った。看板の場所は国道159号に面した道の駅「織姫の里なかのと」。この看板を見て、「能登はやさしや土までも」という言葉を思い起こした。

   この言葉はこの地域の共助の精神を表現する言葉としてよく用いられる。被災地には「自主避難所」が数多くある。難を逃れた自宅や納屋、ビニールハウスなどを開放して近所や知り合いの人たちと助け合いながら避難所生活をしているケースだ。配給や医療巡回などでいろいろ問題も指摘されているが、共助による生き残りの精神が根付いている。自助でも公助でもなくまず共助、「能登は  負けません」はその心意気を象徴する言葉かもしれない。

⇒27日(土)夜・金沢の天気    くもり時々あめ

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★能登半島地震 白山麓で学ぶ集団避難の中学生たち

2024年01月26日 | ⇒ドキュメント回廊

   きょうの各紙の朝刊によると、気象庁はこれまで能登半島地震は震度7が志賀町、震度6強が輪島市、珠洲市、七尾市、穴水町と発表していたが、地震発生時に通信が途絶えていた輪島市と能登町の2ヵ所の震度計のデータを解析すると、輪島市の震度計では震度7、能登町の震度計では震度6強を記録していることが分かった。また、輪島市できのう倒壊家屋から新たに3人が見つかり、同市の犠牲者は101人、石川県全体では236人になった。震災から25日経つが被害の全体がつかめていないのが現状だ。

   先日、輪島市の避難所に身を寄せている知人と電話で連絡を取った。本人にはエコノミークラス症候群の兆しもなく、周囲に感染症の人もいないので「おかげさんで無事に暮らしている」とのことだった。ただ一つ、「孫のようすを見てきてほしい」と頼まれた。16日まで中学生の孫を含めて5人での避難所生活だったが、17日からは中学生の集団避難が始まり、金沢市の南の白山市にある県の施設にいるとのこと。

   被災地の中学生たちの集団避難についてはこのブログ(17日付)で述べた。輪島市では地震の影響で授業再開の見通しがたたないことから、市内3つの中学校の生徒401人のうち保護者の同意を得た258人が白山市にある「白山青年の家」と「白山ろく少年自然の家」に3月まで集団避難させている。授業は避難先の施設のほか、市内の中学校などで行われる。3年生は高校受験を控えていて、生徒たちの学びの環境を確保することを最優先したのだろう。

   そこで、おととい24日に白山ろく少年自然の家に行って来た=写真・上=。白山麓は雪深いところで、周囲の積雪は35㌢ほどだった。ここに輪島市の1年生と2年生が集団避難をしている。訪れた時間は午後5時ごろだったので、授業は終わっていた。玄関のロビーに入ると、中学生たち5、6人が談笑している様子が見られた。教員の人と立ち話をした。この施設では130人ほどが避難しているという。ただ、親が金沢に移住したり、親戚の家があずかることになったりと個別の事情があり、人数は一定していないとのことだった。

   依頼を受けた知人には白山ろく少年自然の家の写真と、子どもたちが談笑している雰囲気をメールで伝えた。「それだけで十分、ほっとした」との返信があった。被災地で大変な思いをした子どもたちが集団避難での生活と学びを通じてさらに一歩成長することを願う。

   以下はまったくの自身の妄想だ。能登の中学生たちは国連食糧農業機関(FAO)の世界農業遺産に認定された「能登の里山里海」について学んでいることは知っている。集団避難をしている白山麓はユネスコの世界ジオパークに認定されている(2023年5月)=写真・下=。そこで、教員と立ち話をした折に「せっかくですから、ジオパークについて生徒たちも学んではどうですか」と提案しようと思ったが、余計なことを言うべきではないとの思いもあり結局、口にはできなかった。

   ただ、施設にはジオパークの関連資料もあり、生徒たちは白山を眺めながら資料を手に取って自主的に学ぶかもしれない。

⇒26日(金)午前・金沢の天気   くもり

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☆能登半島地震 台湾から民間寄付25億円 歴史と体験共有

2024年01月25日 | ⇒ドキュメント回廊

   能登半島地震への寄付金について、林官房長官は23日の記者会見で、台湾政府が民間から募った25億円以上の寄付金に謝意を表明した。「多大なる支援をいただき、深く感謝する。台湾の日本に対する友情の証しだ」と述べた。 地震発生直後に台湾政府から受けた6千万円の義援金にも触れ「台湾との間では、これまでも自然災害や新型コロナウイルス禍において相互に支援してきた」と強調。支援金を有効に活用するため調整する考えを示した(23日付・共同通信Web版)。

   台湾から驚くほど多額な寄付金が寄せられたのは単なる「友情の証し」ではないような気がする。台湾の人々の石川県、そして金沢に寄せる思いは別の数字でも表れている。石川県観光戦略推進部「統計から見た石川の観光」(令和3年版)によると、コロナ禍以前の2019年の統計で、兼六園の日本人以外の国・地域別の入場者数のトップは台湾なのだ。数にして16万4千人、次は中国の4万4千人、香港3万7千人、アメリカ3万人の順になる。なぜか。その理由で一つ言えるのは、台湾での石川県、金沢の知名度が高いのだ。それにはある歴史がある。

   台湾の日本統治時代、台南市に当時東洋一のダムと称された「烏山頭(うさんとう)ダム」が建設された。不毛の大地とされた原野を穀倉地帯に変えたとして、台湾の人たちから日本の功績として今も評価されている。このダム建設のリーダーが、金沢生まれの土木技師、八田與一(1886-1942)だった。烏山頭ダムは10年の歳月をかけて1930年に完成した。ただ、日本国内では1923年に関東大震災があり、八田にとっては予算的にも想像を絶する難工事となった。(※写真は、台湾・烏山頭ダムを見渡す記念公園に設置されている八田與一の座像=台北ナビ公式ホームページより)

   ダム建設後、八田與一は軍の命令でフィリピンに調査のため船で向かう途中、アメリカの潜水艦の魚雷攻撃で船が沈没し亡くなった。1942年(昭和17年)5月8日だった。終戦直後、八田の妻は烏山頭ダムの放水口に身投げし後追い自殺する。

   2021年5月8日、八田與一の命日に、ダム着工100年を祝う式典が現地で営まれ、蔡英文総統をはじめ首相に当たる行政院長や閣僚などの要人が出席している。式典では蔡総統は「ダムと灌漑施設の水は100年流れ続けている。台湾と日本の友情も双方の努力によって続いていくことだろう」と、功績をたたえた。台湾の民主化を成し遂げ、哲人政治家としても知られる元総統、李登輝氏(2020年7月死去)が2004年12月に金沢に来て、八田に関する展示と胸像がある「金沢ふるさと偉人館」を訪れている。

   その八田與一のふるさとが激震に見舞われた。台湾でも1999年、最大震度7の地震が襲い、2500人以上の死者を出す甚大な被害があった。歴史的なつながりと災害体験の共有が台湾の人たちを寄付行為へと駆り立てたのかも知れない。

⇒25日(木)午後・金沢の天気   くもり

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★能登半島地震 がけ崩れなど複合災害に見舞われた里山

2024年01月24日 | ⇒ドキュメント回廊

   昨夜は雷鳴が響き渡っていた。金沢に住む者にとって、冬場の雷は大雪の前触れのようなもの。朝、2階の寝室のカーテンを開けると、一面の銀世界だった=写真・上、撮影は午前8時6分=。表現は少々古いが、「冬将軍のお成り」だ。さっそく玄関前など雪すかしをした。積雪は15㌢余りだが、北陸の雪はしっとりと湿っていて重く、けっこう疲れる。金沢地方気象台によると、この冬一番の強い寒気が流れ込んでいて、きょう夕方までに降る雪の量はいずれも多いところで能登地方の平地で30㌢、山地で50㌢、加賀地方の平地で30㌢、山地で70㌢と予想されている。

   加賀の積雪が能登より多いとの予想だが、やはり気になるのは能登半島地震の被災地。能登では中山間地、いわゆる里山の集落が多い。積雪は平地より格段に多い。地震で損傷を受けている建物が雪の重みで倒壊するおそれが出てくるのではなかと案じてしまう。今回の地震では積雪も含めて複合的な被害に見舞われているのが里山の集落ではないだろうか。

   輪島市では震度6強の地震に加え、中山間ではいたるところでがけ崩れが起き、道路が不通になった。さらに、がけ崩れで谷川がせき止められる「土砂ダム」ができ、各地で民家や集落が孤立した。(※写真・下は、土砂ダムで孤立した輪島市熊野町の民家=今月4日、国土交通省TEC-FORCE緊急災害対策派遣隊がドローンで撮影)

   このような言い方は適切ではないかもしれないが、民家や集落の孤立化の背景には中山間地の高齢化と過疎化という問題があった。奥能登では65歳以上の高齢化率が50%以上の地区が多い。今月5日時点で孤立した地区33ヵ所のほとんどが中山間地、あるいは海と山が接したリアス式海岸の集落だった(11日付・国土交通省「道路の緊急復旧状況」)。過疎地こそ道路の整備などが重要なのだが、能登の中山間地に入って不安になるのは山道のような細い道路が曲がりくねっている。過疎地には行政の手が行き届いていないと実感していたが、それが今回、孤立化というカタチで表れたと思っている。あくまでも推測だが。

⇒24日(水)午前・金沢の天気  くもり

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☆能登半島地震 金沢ー七尾の鉄路 3週間ぶり復旧

2024年01月22日 | ⇒ドキュメント回廊

   震度7の地震からきょうで3週間になる。少しずつではあるが交通インフラなどが改善に向かっている。メディア各社の報道によると、JR七尾線で運休していた一部区間での運転をきょう再開し、金沢駅から七尾駅までの運行が復旧した。七尾は能登半島の中心地でもあり、金沢との鉄路が復旧したことで通勤や通学、ビジネスなどの人の往来が徐々に日常に戻りそうだ。(※写真は、午後5時05分発のJR七尾線普通列車=22日・金沢駅4番ホームで)。   

   一歩前に進むニュースも。松本総務大臣は被災した七尾市と内灘町を視察後、金沢市内で記者会見に応じた。被災地で懸案となっている災害廃棄物について、自治体が処理を進めやすくするために、国の費用負担分を引き上げることを明らかにした。通常は、地方が負担する費用のうち80%について交付税措置をとっているが、95%にする。2016年にあった熊本地震と同様の対応となる(22日付・朝日新聞Web版)。

   ただ問題は災害廃棄物をどこで、どのように処理するのか、だ。石川県内だけでも家屋の全壊・半壊・一部損壊が3万7119棟に及んでいる。公共の建物も192棟が損壊している。廃棄物は気の遠くなるような量ではないだろうか。それを埋め立て、焼却、リサイクルなどに回すにしても、木材、コンクリ、鉄、ガラス、家電製品、アルミ、プラスティックなどと分別して処理することになる。膨大な作業量だろう。

   そうした廃棄物処理の作業に影響を与えるのが天候だ。気象庁によると、石川県内はあす23日夜遅くから25日ごろまで、大雪となる見込みだという。24日の午後6時までの24時間に降る雪の量は、能登地方の山沿いで30㌢から50㌢、平野部で20㌢から40㌢と予想されている。能登地方では、地震の影響やこれまでの降水で地盤の緩んでいる所があるため、少しの雨でも土砂災害の危険度が高まるとして、土砂災害にも警戒するよう呼びかけている(22日付・NHK金沢ニュースWeb版)。

⇒22日付(月)夜・金沢の天気    あめ

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★能登半島地震 避難所で自販機壊し飲料を調達は罪なのか

2024年01月21日 | ⇒ニュース走査

   このニュースを新聞メディアの報道で読んで、災害時における略奪行為なのか、あるいは生存のための正当な行為なのかなどと考えてしまう。地震が発生した1日夜、石川県立穴水高校(穴水町)に設置されていた自動販売機3台が避難した住民によって破壊され、飲料が持ち出された。自販機を管理する北陸コカ・コーラボトリング(富山県高岡市)は18日、石川県警に被害届を提出した(21日付・読売新聞)。

   同校には地震発生後、住民ら100人ほどが次々と避難してきた。午後8時ごろ、4、5人の男女が「緊急だから」と周囲に告げながら校内にある自販機を工具などでこじ開け、内部も破壊し、飲料を取り出して避難者らに配ったという。校長によると、校舎には当時、同校の教諭や事務員はおらず、自販機を破壊する許可は出していなかった。同校に設置されていた北陸コカ・コーラの自販機は、災害時には鍵で扉を開け、無料で商品を取り出せる「災害支援型」だった。鍵は学校が同社から預かり、事務室で管理していた。ただ、同校は指定避難所ではなく、避難住民には自販機が災害支援型などとは知らされていなかった(同)。

   穴水町は震度6強の揺れに見舞われ、20人が犠牲になり、270人余りが負傷、住宅1000棟が全半壊などの被害を受けている(20日午後2時現在・石川県まとめ)。震災が起きた時間帯は夕暮れ時でもあり、高校近くの住民は必至になって避難してきただろう。当時、同町でほぼ全域で停電と断水となった。自販機の破壊が起きた当時は避難者に対する救援物資などは届いてもいない。そもそも、同校は指定避難所ではなかったので、水や食糧などの生活必需品の備蓄品はストックされていなかった。あるのは自販機の飲み物だけだったのかもしれない。

   こうした被災の非常事態の下で自販機を破壊して飲み物を調達したことが、どのような罪に問われるのだろうか。器物損壊か略奪行為か、あるいは良心的な取得行為なのか。地元紙によると、北陸コカ・コーラは被害届を出したことについて、「罰したいわけではなく、自販機を破壊された以上、被害届を提出しなければならない」と述べ、「緊急時には壊さず、自販機に表示された問い合わせ先に連絡してほしい」とコメントしている(21日付・北國新聞)。

   同社が問い合わせ先に連絡をしてほしいと述べているものの、当時は電話やメールなどの情報インフラは壊滅的な状態で、連絡をつけれるような状態ではなかった。人の生死がかかった緊急時であり、水分を求め自販機を壊すことに罪の意識はおそらくなかっただろう。だから、壊した人たちは飲料を取り出して避難者らに配っている。

   北陸コカ・コーラは被害届を出したことについて「罰したいわけではない」としているので、一つ考えられることは、今後、避難所などで類似の出来事が起きることを抑制する意味合いがあるのではないか。そしてもう一つが、察するに自販機の損害保険を請求する手続きではないのか。

   今回のケ-スは避難所の中での行為が問われているが、街中のコンビニだったらどうか。明らかに災害に便乗した略奪行為として指摘されるだろう。

⇒21日(日)夜・金沢の天気    くもり時々あめ

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☆能登半島地震 損壊の家屋3万棟 歴史文化遺産も倒壊

2024年01月20日 | ⇒ドキュメント回廊

   能登には「九六(くろく)の意地」という言葉がある。能登の民家は特徴でもある黒瓦と白壁、そして間口9間(約16㍍)奥行き6間(約11㍍)の大きな家を建てることが人の甲斐性(かいしょう)という意味だ。先日訪れた能登町で九六の民家が倒れていた=写真・上=。建物は頑丈な造りなのだが、地震で裏山が崩れ倒されたのだろう。じつに痛々しい思いがした。

   石川県庁危機管理監室はきょう20日午後2時現在で、能登半島地震の住宅被害が3万1670棟と発表した。これまで「多数」と発表していた輪島市の戸数が一部判明したことに加え、各市町の被害戸数の実数が明らかになってきた。珠洲市は「多数」としており、実数が分かればさらに増える。

   自治体別にみると、全壊と半壊、一部破損を含めた数では七尾市が8342棟ともっとも多く、能登町5000棟、志賀町3443棟、金沢市3034棟、中能登町1818棟、羽咋市1578棟、小松市1288棟、内灘町1254棟と続く。輪島市は870棟としているが、罹災証明書の交付や申請の数から算出したもので、今後さらに増えるだろう。

   被害が輪島市と並んで大きかった珠洲市では詳しい状況は把握できていないとして、「多数」としている。同市の泉谷満寿裕市長はオンラインでの政府と意見交換(18日)で、全壊が市内約6000世帯のうち5割にのぼるという見通しを述べていた。

   文化財の建物にも大きな被害が及んだ。輪島市町野町にある「上時国(かみときくに)家」は1185年(文治元年)の平家滅亡後に能登へ配流になった平時忠の子孫・時国に由来する住宅で、国の重要文化財に指定されているが主屋が倒壊した。かつて日本海の水運に重要な役割を果たした輪島市黒島町は「伝統的建造物群保存地区」に指定されていて、旧・角海家住宅はシンボル的な建物だったが、これも主屋が倒壊した。地震によって歴史文化遺産が破壊された。(※写真・下は倒壊前の上時国家=輪島市公式サイトより)

⇒20日(土)夜・金沢の天気    あめ

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★能登半島地震 水再生の技術を被災地で活かす

2024年01月19日 | ⇒ドキュメント回廊

   生活インフラは徐々にではあるものの回復している。停電は10日前の9日午後で1万8000戸だったが、きょう午後現在で7420戸となり、6割ほどが復旧した。問題は断水だ。9日午後に5万9000戸だったが、きょう午後現在でも4万9990戸で断水が続いている。中でも輪島市、珠洲市、七尾市、能登町、穴水町、志賀町の6市町はほぼ全域となっている(石川県庁生活環境部まとめ)。 

   そのような状況の中で、飲料水は配給されるペットボトルなどで確保できたとしても、風呂も入れず、シャワーも浴びていないという被災者も相当いる。そんな中で、被災地で「水再生装置を用いたシャワーセット」が活躍しているようだ。以下、経営戦略のコンサルタントで知られる大前研一氏のメールマガジン(12日付)で掲載された記事の引用。

   シャワーセットを被災地に提供しているのはベンチャー企業「WOTA(ウォータ)」(本社:東京都中央区)。すでに、七尾市の避難所で断水状況下でシャワー浴ができるポータブル水再生システム「WOTA BOX(ウォータボックス)」を設置している。可搬型の製品で、大きさは家庭用エアコンの室外機程度。RO(逆浸透)膜をはじめとする数種類のフィルターによる濾過、塩素殺菌、そして紫外線照射による殺菌で排水の98%を飲用レベルまで再生させる装置。上下水道管をつながなくても、装置の中で再生された清潔な水を繰り返し使うことができる仕組みだ。

   これにより、シャワーは100㍑だと2人しか浴びられないが、「WOTA BOX」だと100人が浴びられる。大前氏は記事の中でCEOの前田瑶介氏について、「水のないところで水を作る『小さな水再生システム』を開発・実現し、アフリカなど水に困る地域を救っている非常に志の高い人物」と評している。(※写真は、被災地に到着した「WOTA BOX」=前田瑶介氏の9日付「X」より)

   大前氏は被災地の様子をテレビで視聴していて、久しりぶりにシャワ-を浴びたと喜んでいる被災者のバックに「WOTA」と書かれ施設があったので、さっそく前田氏と電話で連絡を取ったようだ。「今朝、私が彼に電話をすると、彼はまだ能登におりましたので、私はその施設を一つ寄付するので本当に必要とするところに置いてあげてくれと伝えました」「彼は自分たちの技術が日本で生かされるとは、想像していなかったことでしょう。彼は今も、現地の非常に不便な環境での立ち上げを手伝っていると思います。一刻も早く、彼らの技術で困っている多くの人々を助けてくれることを願っています」

   自らの活かせる技術を被災地で役立てようと懸命になっている人物の様子が大前氏の記事から伝わってきたので紹介した。

⇒19日(金)夜・金沢の天気    くもり

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