自在コラム

⇒ 日常での観察や大学キャンパスでの見聞、環境や時事問題、メディアとネットの考察などを紹介する宇野文夫のコラム

☆IoTを地方に

2017年03月30日 | ⇒トピック往来
  正直、この講演を聴くまではICT(Information and Communication Technology)とIoT(Internet of Things)の違いも理解していなかった。ICTといえば、パソコンやスマートフォンなど情報通信機器がインターネットを介してネットワークとしてつながるというサービスの総称だったと理解している。では、IoTとは何ぞや。それが、2020年には鮮明になる。電力網と情報網が束ねられる。「スマートグリッド(Smart Grid)」。簡単に言えば、電力網に接続しているすべてのモノはインターネットにつながるというのだ。

  先日(今月27日)石川県加賀市のホテルで、元Googleアメリカ本社副社長兼日本法人代表取締役の村上憲郎氏の講演があった=写真=。講演の主催者は「スマート加賀IoT推進協議会」、地域の行政と産業界でつくる団体だ。IoTは物体(モノ)に通信機能を持たせ、インターネットに接続し相互に通信することで、自動認識や自動制御、遠隔計測なとどいったこれまになかったイノベーションを起こすといわれる。産業革命でもある。それを取り込もうと地方が動き始めている。

  講演を聴いて印象的だったIoTの先端的なキーワードをいくつか列記してみる。「スマート・コンタクトレンズ(Smart Contact Lens)」は目の弱った糖尿病の人たちたちのために眼球の毛細血管で血糖値を管理するものだ。身体障がい者の機能回復のために神経系統にIoTを活用することも進んでいる。「スマート義手」は脳から指令を送り、義手(機械)を動かす。神経系統とIoTデバイス(機材)の結合のことを「インプランタブル(Implantable)」と言い、人間のハンディを克服するために期待されている。

  冒頭の「スマートグリッド」の場合、遠く離れた高齢者の「見守り」というアプリも開発されるだろう。テレビやエアコンの電力消費量を遠くにいる親族がチェックすることで見守りになる。従来のインターネットの活用は人と人だったが、人とモノ、モノとモノなど多様なコミュニケーションが可能になるのがIoTの世界だ。

  村上氏の講演では「ビッグデータ」の話なども出たが、「AI(人工知能)」も長足の進歩を遂げている。そのポイントが言語処理。「推論機構」という、複雑な前提条件からIf、Then、言葉のルールを駆使して結論を推論するハードウエアの開発だ。村上氏が上げた、近い将来、AIに取って代わられるかもしれない仕事がたとえば、簿記の仕訳や弁護士の業務を補助するパラリーガルだという。

  では、加賀市ではIoTをどのように活かすことができるのか。自分なりに思案してみた。同市には片山津、山代、山中と有名な温泉地がある。インバウンドの客が増えている。そこで、スマートフォンとIoTを組み合わせた観光ガイドや、英語・中国語・スペイン語の客に対する多言語対応や双方向性といったことが必要だろう。さらに、温泉地を観光した日本人やインバウンドの人たちがツイッターやフェイスブックでどのようなことをつぶやいたのかを分析する「ソーシャルリスニング(Social Listening)」を活用することで新たなサービスの提供も可能ではないだろうか。

  また、加賀市といえば橋立港を中心とする漁業の街だ。漁獲はこれまで漁師の経験と勘に頼っていた。漁業の後継者は減っている。では、衛星通信で漁船同士が魚群探知機の情報を共有してはどうだろう。情報交換をすることで漁船の燃費の節約、労働力の交換、漁業資源の管理保護ということも可能かもしれない。「スマート漁業」の先駆けになる。

  今回の村上氏の講演でもIoTは医療分野が先行している印象だ。しかし、経済的にも社会的にも病んでいる地方にこそIoTが必要だ。加賀市でも人口減少が確実に進んでいる。働きやすい第一次産業や第二次産業、インバウンドなど多様性なニーズに対応する第三次産業を創出するためにもIoTが欠かせない。「IoTで産業革命を起こさねば、加賀市の未来はない」。地方の叫びが聞こえたような講演会だった。

⇒30日(木)朝・金沢の天気   はれ
 
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★「大横綱」の風格

2017年03月27日 | ⇒トピック往来
    昨日の大相撲千秋楽はまさに「痛みに耐えてよく頑張った、感動した、おめでとう」 の言葉を発した、当時の小泉総理の気持ちだった。2001年5月の大相撲夏場所千秋楽で、負傷をおして千秋楽で優勝した貴乃花も劇的だったが、今場所の稀勢の里もさらに劇的  だった。これも、新横綱の優勝は1995年初場所の貴乃花以来、22年ぶりというから二重に凄みを感じさせてくれる。まさに「大横綱(だいよこづな)」と呼ぶにふさわしいのではないか。

    稀勢の里の魅力は、その気力と信念の強さだろう。日馬富士戦(13日目)での負傷に「新横綱の優勝はないな」と観戦した誰もが思っただろう。そして、鶴竜戦(14日目)での連敗には「これで休場か」と誰もが思ったことだろう。それだけに、千秋楽の本割(照ノ富士戦)は誰もが「無残な負けをさらすなよ」と思っていたはずだ。それを見事に裏切ってくれた。しかも2番続けて。

    ただ、今にして思えば、決定戦の前にテレビに映っていた、支度部屋での顔の表情は、不屈のオーラを放っているような、「勝って見せる」と気力あふれる形相だった。「最後まであきらめない」、勝負の世界の信念を見せつけてくれた。共感と感動の渦に巻き込んでくれたのだ。冒頭の「痛みに耐えてよく頑張った、感動した、おめでとう」だ。

    これほどの感動の背景には、いま日本を覆っている、ある種の閉塞感もあるのではないかと思う。「言った」「言わぬ」「忖度ある」「ない」が続く学校法人「森友学園」への国有地売却問題、さらに東京・築地市場の豊洲移転問題など。大相撲と違って勝ち負けのつかない問題を延々とテレビで見せつけられると心が塞ぐ。とくに、安倍総理側から100万円の寄付があったとされる問題が本筋で追及すべき国有地売却問題と外れて、一人歩きを始めているような、そんな違和感も漂っているのではないか。そんな、モヤモヤとした昨今の政治的な閉塞感を稀勢の里が一気に吹き飛ばしてくれた、そんな思いだ。

    稀勢の里の新横綱優勝と別に、郷土力士である遠藤が3場所ぶりに勝ち越してくれたことも朗報だった。

⇒27日(月)朝・金沢の天気   はれ
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☆10年前のきょう、今

2017年03月25日 | ⇒ドキュメント回廊
   2007年3月25日、ちょうど10年前のきょう能登半島で震度6強の地震が起きた。時間は午前9時40分過ぎだった。私は金沢の自宅にいたが、グラグラときた。テレビのチャンネルをNHKに切り換えるとニュース速報が流れた。「能登沖を震源するする地震」と。テレビにくぎ付けとなった。と、同時に能登の実家に電話を入れた。しかし、つながらなかった。1時間ほど待って、つながった。真っ先に「そちらはどうや」と尋ねると、「棚から皿や茶碗が落ちた程度でたいしたことはない。家族はみんな無事だ」と兄の声だった。あれから10年。当時は実家に帰省すると何かと地震の事が話題になった。が、ここ数年は話にも出ない。「風化」という言葉が脳裏をよぎる。

  輪島市と穴水町を中心に石川県では住宅2千4百棟が全半壊し、死者1人、重軽傷者は330人だったと記憶している。翌日から大学の仲間と被災調査に入り、その後、学生たちを連れて輪島市門前町道下(とうげ)地区を中心にお年寄り世帯の散乱する家屋内の片づけのボランティアに入った。その後、何度か道下地区を訪ねた。最近では全半壊の住宅は新築、あるいはリフォームされ、すっかり「ニュータウン」の様相になっている。見渡す限りでは、被災地の復興事業はほぼ完了したかに思える。ただ、さら地が随分と多く、界隈が歯抜け状態となっているのだ。

   聞けば、震災を機に、お年寄りたちによる、金沢など都市で暮らす息子たちとの同居が加速したようだ。つまり、「過疎化」が進んだということだ。石川県が発表している人口統計によると、地震による家屋被害が多かった輪島市、穴水町の現在の人口は10年前に比べ、それぞれ17%、19%も減少している。

  震災から4年後、再び学生たちを門前町に連れて行くようになった。道下地区に接する黒島(くろしま)地区からSOSが入った。この地区で催されている伝統的な祭り「黒島天領祭」で若い人たちの担ぎ手が不足している。祭りに学生たちも参加してほしいという要望だった。8月17、18日という学生たちの夏休み期間ということもあり、引き受けた。大阪城と名古屋城をかたどった2基の曳山が街を練る。とくに若いエネルギーが必要場面は「舵(かじ)取り」という役だ。曳山の進路を変える場合は、10人かがりで一気に棒を押して車輪を動かすのだ=写真=。先導役が「山2つ」と声をかけると、山側方向に棒を2度押す。結構な頻度で舵取りがあるので、これは若い者がいないと曳山が動かせない。急斜面での神輿担ぎにも学生のエネルギーが必要だ。

   この地域はすでに高齢化率が40%を超えている。能登半島地震からちょうど10年、過疎・高齢化という波も容赦ない。ただ、黒島天領祭には毎年40人余りの男女学生が参加するが、学生たちへのアンケートでも参加の充実感は高い。ここに可能性を感じている。

(※写真上は、震災直後の輪島市門前町の寺院。家屋は倒壊したが山門と地蔵は倒れなかった、写真下は、門前町黒島地区の黒島天領祭。学生たちが舵取りに一役買っている)

⇒25日(土)夜・金沢の天気   はれ
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★能登で起きた悲劇の連鎖事件

2017年03月24日 | ⇒ニュース走査
   先日(今月16日)、石川県の能登町役場から手紙が届いた。「この度、3月18日(土)開催予定の能登高校魅力化プロジェクト講演会『能登町×能登高校の挑戦』を、諸般の事情により延期させて頂くこととなりました・・・」。統廃合寸前だった県立隠岐島前高校(島根県海士町)の生徒に地域課題に取り組ませるなど、ユニークなカリキュラムで同校を一気に全国区にした、教育政策アドバイザーの藤岡慎二氏が講演する予定だったので聴きに行こうと思っていた。この「諸般の事情」とは今月10日に起きた殺人事件のことだ。

  帰宅するためバス停で待っていた能登高校1年の女子生徒が連れ去られ、バス停から5㌔離れた山あいの集落の空き家で頭から血を流して死亡しているのが見つかった。殺害したとされる男子大学生21歳は同日午後7時40分ごろ、空き家から16㌔離れた道路に飛び出して乗用車にはねられ死亡した。報道によると、2人は顔見知りではなく、死亡した男子学生は一人でバス停で待っていた女子高生を角材で殴り、車で連れ去って、空き家(祖父の家)で殺害した。女子高生の死因は、刃物で首を切られたことによる失血死だった。最初から殺す目的で襲ったのか。事件から2週間経ち、いまだに解明されていないのがその殺害動機だ。

   この事件を報じたニュース番組で、コメンテイターの言葉が気にかかった。「拡大自殺型犯罪ではないのか」と。この聞き慣れない言葉は、ウイキペディアなどによると、その定義として、1)本人の死の意志 2)1名以上の他者を相手の同意なく自殺行為に巻き込むこと 3)犯罪と、他殺の結果でない自殺とが同時に行われること・・・。道連れ殺人ともいえる犯罪だ。

   それでは死亡した男子学生は自殺だったのか。道路に飛び込んで本当に自殺ができるのか。先日(19日午後)、現場の能越自動車道穴水道路上り線に行ってみた。「なるほど。これだったら自殺は可能だ」と思った。道路は対抗車線のある道路ではなく、上り1車線でしかも両脇がコンクリート壁になっている。つまり、急に道路に飛び込んでこられたら、車は横に除けることができない。急ブレーキをかけても、確実に轢いてしまう。男性学生は予め死に場所を選定していたのだろうと想像がついた。

   自殺の動機は知る由もない。男子学生を轢いてしまった運転者は気の毒だ。そして道連れで殺された女子高生の冥福を祈る。悲劇の連鎖、涙が流れた。

⇒24日(金)夜・金沢の天気   はれ   
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☆北の脅威は海からも

2017年03月10日 | ⇒ニュース走査
  日本海に突き出た能登半島はこれまでもある意味で北朝鮮の標的とされてきた。たとえば、能登半島には一連の拉致被害の第1号の現場がある。1977年9月19日、東京都三鷹市役所の警備員だった久米裕さん(当時52歳)が石川県能登町宇出津の海岸で失踪した。地元では今でも「宇出津(うしつ)事件」と呼ばれている。

  久米さんは在日朝鮮人の男(37歳)と、国鉄三鷹駅を出発した。東海道を進み、福井県芦原温泉を経由して翌19日、能登町(当時・能都町)宇出津の旅館「紫雲荘」に到着した。午後9時、2人は黒っぽい服装で宿を出た。旅館から通報を受け、石川県警は能都署員と本部の捜査員を急行させた。旅館から歩いて5分ほどの小さな入り江「舟隠し」=写真=で男は石をカチカチとたたいた。数人の工作員が姿を現し、久米さんと闇に消えた。男は外国人登録証の提示を拒否したとして、駆けつけた署員に逮捕された。旅館からはラジオや久米さんの警棒などが見つかった。

  私もこれまで何度か現地を訪れたことがある。そして、当時事件を取材した元新聞記者のK氏から話を聞いた。K氏によると、この事件で石川県警察警備部は押収した乱数表から暗号の解読に成功したことが評価され、1979年に警察庁長官賞を受賞している。ただ、この事件は単に朝鮮半島に向けて不法に出国をした日本人がいたという小さな話題としてしか報道されなかった。警察は、乱数表およびその解読の事実を公開した場合は、工作員による事件関係者の抹殺など、事件解決が困難になるリスクもあると判断し、公開に踏み切れなかったともいわれる。

  当時、大々的に拉致問題として報道していれば、その後の被害者も最小限だったかもしれない。当時は外交による国交回復が望まれていた。そんな折、あえて事件化できなかったともいわれる。以降、日本海沿岸部から人が次々と消える。この年の11月15日、横田めぐみさんが同じ日本海に面した新潟市の海岸べりの町から姿を消したのだ。

  政府は拉致事件として認定していないが、1963年5月11日、石川県志賀町沖に刺し網漁に出た寺越昭二さん(当時36歳)、寺越外雄さん(同24歳)、寺越武志さん(同13歳)の3人が行方不明となり、船だけが沖合いで発見された。1987年1月22日、外雄さんから姉に北朝鮮から手紙が届いて生存が分かった。2002年10月3日、武志さんは朝鮮労働党員として来日し、能登の生家で宿泊した。武志さんは「自分は拉致されたのではなく、北朝鮮の漁船に助けられた」と拉致疑惑を否定している。このケースは、北朝鮮の工作船と遭遇したため連れ去られた「遭遇拉致」と見られている。  
 
  1999年3月23日朝、能登半島東方沖の海上から不審な電波発信を自衛隊が傍受し、能登沖と佐渡島沖で2隻の「漁船」が発見される。北朝鮮の不審船による日本領海侵犯事件として、海上自衛隊と海上保安庁の巡視船など追跡した。が、不審船は高速で逃走し逃げ切った。この事件がきっかけで、海上保安庁の巡視船の高速化がはかられている。

北の脅威は何も空からだけではない。海からの脅威にもさらされてきたのだ。

⇒10日(金)夜・金沢の天気    くもり
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★能登沖に弾道ミサイルの脅威

2017年03月09日 | ⇒ニュース走査
  このニュースには一瞬背筋が寒くなった。きょう9日午前、菅官房長官が記者会見で、北朝鮮が6日に同時発射した弾道ミサイル4発のうち1発について、「能登半島から北に200㌔㍍の日本海上に落下したと推定される」と発表した。これまで政府は6日の弾道ミサイル4発はいずれも1000㌔㍍飛行し、秋田県男鹿半島の西方の300-350㌔㍍の日本海上に落下したと発表していた。

  私は直感した。北朝鮮は能登半島を狙って撃っている、と。というのも、能登半島の先端・輪島市の高洲山(567㍍)には航空自衛隊輪島分屯基地のレーダーサイトがある。このレーダーサイトには、航空警戒管制レーダーが配備され、日本海上空に侵入してくる航空機や弾道ミサイルを速く遠方でも発見するため24時間常時監視している。この航空警戒管制レーダーを意識して、あえて200㌔㍍沖で弾道ミサイルを落としたのではないか。

  報道によると、菅官房長官はミサイルの種類に関し、スカッドの射程を伸ばした中距離弾道ミサイル「スカッドER」と推定されると指摘した。今回、官房長官があえて能登沖に落下したと発表したのは、我が国の情報収集能力について北朝鮮にメッセージを送るためだったと読む。北朝鮮は4発のうち、3発を男鹿半島沖に落とし、1発を能登半島沖に落とした。本当の狙いは能登半島だが、それを日本が覚知できるかどうか試したのだ。日本政府とすると、情報収集能力はあるぞと北朝鮮に示すために、あえて発表したのだろう。

  それにしても、日本海は自衛隊の訓練空域でもっとも広く、「G空域」と呼ばれる。そのエリアに、しかも監視レーダーサイトの目と鼻の先にスカッドERを撃ち込んだのだ。これはもはや脅威だと認識せざるを得ない。

⇒9日(木)夜・金沢の天気   あめ
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☆過払い金回収ビジネスとメディア

2017年03月07日 | ⇒メディア時評
  最近テレビを視聴していて気になっているのが、一時ブームのように盛り上がり、最近は下火にになっていた、消費者金融に払い過ぎた「過払い金」を取り戻すというCMが最近再び目立つようになってきたことだ。

  先日もロ-カルCMで石川県で過払い金請求の相談会をするとの内容で、東京の法律事務所の司法書士と弁護士がコンビで出ていた。なぜ、司法書士と弁護士がペアで相談会に回るのかというと、司法書士が扱う訴訟は簡易裁判所で訴訟の額は140万円までと制限があり、弁護士は140万円以上の過払い金請求訴訟を地方裁判所で起こすという図式になっているからのようだ。テレビだけでなく、新聞広告やチラシでも盛んにCMを打っている東京のある法律事務所のホームページをのぞいてみると、「過払い金回収実績」というページがあって、これまでに34万件1970億円を回収したと誇っている。

   過払い金の回収は、消費者金融が「利息制限法」で定められている、金を貸す際に守らなければならない金利の上限(金額に応じて15-20%)を超えた金利を受け取っていた場合、借りた側がその超過部分の金を貸金業者から返還してもらうことだと解釈しているが、ここではその仕組みを論じるつもりはない。金融は素人だ。冒頭で気になると述べたのは、一度下火になった過払い回収がなぜ今再びという、ちょっとした疑問だ。

  今は消費者金融とメディアも称しているが、1970年代の高度成長には「サラ金」(サラリーマン金融)と呼んで、テレビCMなどで盛んに宣伝されていた。ところが、「サラ金地獄」といった債務問題が社会問題化する。日本民間放送連盟(民放連)などは1977年に消費者金融のCMを排除を申し合わせたほどだった。

  ところが、再び消費者金融が復活する。きっかけは1990年代のいわゆる「バブル経済」の崩壊だった。経済的に苦しい消費者が激増した。消費者金融の大手などは「むじんくん」や「お自動さん」といった自動契約機を各地で設置して借りやすい環境を整えていた。1980年代後半で54.75%だった出資法の上限金利も、1990年代には40.004%になり以前と比べ下がっていた。

  また、そのころ消費者金融のテレにビCMも深夜帯に限って復活していた。1995年にはテレビCMが「解禁」となり、ゴールデンタイムなどにも流れ始めた。これらの追い風を受けて、個人向け融資の全盛期を迎え、2006年には消費者向け貸付残高が20兆9千億円(金融庁貸金業関係資料集より)にもなった。一方で利用者が複数の消費者金融業者からローンを借りる「多重債務」が社会問題化していた。

  こうした状況下で2006年1月13日、最高裁の注目すべき判決があった。それまで出資法上の上限金利(当時29.2%)と利息制限法上の上限金利(15-20%)の差、いわゆる「グレーゾーン金利」について、利用者(債務者)が利息として任意に払い、契約時や弁済時に契約内容を示す書面が交付されてれば、それは「みなし弁済」ということで有効とされていた。ところが、最高裁判決では、特段の事情がない限り、利息制限法を超過する金利はすべて無効であり、「みなし弁済」は適応されないと判断した。つまり、過払い金として返還請求を全面的に認めたのだ。

  この最高裁の判断によって翌年2007年には貸金業法が大幅な改正向けて動き出し、グレーゾーン金利そのものの撤廃や、新規の借入総額を年収の3分の1までとする「総量規制」が2010年6月までに完全施行された。消費者金融も2007年には貸付金利を大幅に下げて対応した。

  法律事務所による過払い金回収のテレビCMなどが目立ってきたのはこのころだ。改正貸金業法では、消費者金融が金利20%を超えてお金を貸すと出資法違反で刑事罰が課せられ、利息制限法と出資法の上限金利の間で貸付けると貸金業法違反で行政処分の対象になる。過払い金の時効は10年なので法律事務所は「過払い金回収ビジネス」を加速させた。

  2007年からの貸金業法の大幅な改正からことしで10年。上記で述べたように、過払い金を請求できる期限は完済した時から10年なので、ことしが「過払い金回収ビジネス」のラストチャンス。だから、業界が熱くなってCMが増えているのだろう。  
  
  最近面白いCM現象がある。過払い金回収のテレビCMをよそに、銀行の「カードローン」のCMがやたらと目につく。消費者金融の貸出は減り、CMも減った。銀行の消費者ローンが増えている。銀行とすれば、1%程度の住宅ローン金利に比べれば、年3-15%の消費者ローンは魅力だろう。それに、銀行は上記の改正貸金業法の対象外で総量規制などはない。

  こうして眺めるとメディアは役得だ。消費者金融が立っても転んでもニュースになり、CMも得る。法律事務所の過払い金回収ビジネス、銀行のカードローンでもCMの恩恵に預かる。それが今後社会問題化すればさらにニュースも預かる。なんと恵まれたビジネスモデルであることか。

⇒7日(火)午後・金沢の天気   ゆき


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★能登の海岸から見える国際問題

2017年03月03日 | ⇒トピック往来

  能登の海は生物多様性に富んでいる。ブリやタラ、フグといった魚介類の種類の多さということもさることながら、波打ち際にも生き物がいる。ナミノリソコエビだ。初耳の人はサーフィンするエビとでも想像してしまうかもしれない。全長数㍉から1㌢ほどの小さなエビだが、シギやチドリのような渡り鳥のエサになる。石川県では高松海岸などで波打ち際にシギやチドリが数10羽群れている光景をたまに見る。鳥たちは波が引いた砂の上に残るナミノリソコエビを次の波が打ち寄せるまでのごくわずかな時間でついばむのだ。

   渡り鳥はオーストラリアから日本を経由してシベリアまで渡っていく。その途中で、能登半島の海岸に好物のナミノリソコエビをついばみに空から降りてくる。ただ、ナミノリソコエビは砂質が粗くなったり、汚泥がたまると生息できなくなる。いまこの波打ち際の生態系が危うい。

  石川県廃棄物対策課のまとめによると2月27日から3月2日の4日間の調査で、県内の加賀市から珠洲市までの14の市と町の海岸で、合計962個のポリタンクが漂着していることが分かった(2日付の県庁ニュースリリース文)。ポリタンクは20㍑ほどの液体が入るサイズが主で、そのうちの57%に当たる549個にハングル文字が書かれ、373個は文字不明、27個は英語、10個は中国語、日本語は3個だった。さらに問題なのは、962個のうち37個には残留液があり、中には、殺菌剤や漂白剤などに使われる「過酸化水素」を表す化学式が表記されたものもあった。県ではポリタンクの中身を分析しているが、危険物が入っている可能性もあるので、ポリタンクに触らず、行政に連絡するよう呼びかけている。大量のポリタンクが漂着したのは今年だけではない。近年では2010年にも石川の海岸に1921個(全国22194個)が流れ着いている(環境省調査)。

  ポリタンクだけではない。医療系廃棄物(注射器、薬瓶、プラスチック容器など)の漂着もすさまじい。環境省が2007年3月にまとめた1年間の医療系廃棄の漂着は日本海沿岸地域を中心に2万6千点以上で、うち900点余り中国語だった。このほか、ペットボトルなど飲料や食品トレーを含めれば膨大な漂着物が日本海を漂い、そして漂着していることが容易に想像できる。

  上記は目に見える漂着物だ。もっと問題なのは一見して見えない、大きさ5㍉以下のいわゆる、マイクロプラスティックだ。ポリタンクやペットボトル、トレーなどが漂流している間に折れ、砕け、小さくなって海を漂う。陸上で小さくなったものも川を伝って海に流れる。そのマイクロプラスチックを小魚が飲み込み、さらに小魚を食べる魚にはマイクロプラスチックが蓄積されいく。食物連鎖の中で蓄積されたマイクロプラティックを今度は人が食べる。単なるプラスティックならば体外に排出されるだろうが、有害物質に変化したりしていると体内に残留する可能性は高いといわれている。

  ポリタンクや医療系廃棄物の不法な海洋投棄は国際問題だ。バルセロナ条約は21カ国とEUが締約国として名を連ねる、地中海の汚染防止条約(1978年発効)がある。条約化に向けて主導したのは国連環境計画(UNEP)。UNEPのアルフォンス・カンブ氏と能登半島で意見交換したことがある。そのとき、彼が強調したことは日本海にも染防止条約が必要だ、と。あれから10年ほど経つが、汚染が現実となっている。日本海の汚染防止条約が今こそ必用だと実感している。
(※写真は能登の海岸で地引網を楽しむ大学生たち。豊かな海を大切にしたい)

⇒3日(木)午後・金沢の天気   はれ

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