自在コラム

⇒ 日常で観察したことや環境問題、金沢大学での見聞、マスメディアとインターネットについての考察を紹介する宇野文夫のコラム

☆平成最後の年末、レクイエム回顧~その6

2018年12月31日 | ⇒ドキュメント回廊

   この一年の墓碑銘をなぞってみて、映画『日日是好日』で主役を演じた樹木希林(9月15日逝去)に哀悼の意を表したい。映画は亡くなった後の翌月に封切られ、「日日是好日」の意味が知りたくて金沢の映画館で鑑賞した。物語は樹木希林が演じる茶道の先生の元で、主人公を演じる黒木華が大学生の20歳の春にお茶を習い始めことから始まる。

     日日是好日の人生を生き抜いた二人の墓碑銘をなぞる

   映画の空間は一つの小さな茶室なのだ。ここで茶道の帛紗(ふくさ)さばき、ちり打ちをして棗(なつめ)を「こ」の字で拭き清める。茶巾(ちゃきん)を使って「ゆ」の字で茶碗を拭く。多くのシーンは点前だ。面白いのは二十四節季の茶室が描かれ、茶道の四季を際立たせている。四季は「立春」「夏至」「立秋」「小雪」「大寒」などと移ろっていく。同時に掛け軸と茶花が変わり、炉から風炉へ、菓子も季節のものが次々と。外の風景も簀(す)戸、障子戸と季節が移ろう。夏のシーンで主人公が床の掛け軸の「瀧」と茶花のムケゲと矢羽ススキを拝見する姿がある。瀧の字は流れ落ちる滝のしぶきをイメージさせ、「文字は絵である」と悟る。小さな茶室での物語であるものの、季節感あふれる多様な茶道具に見入り、茶道の世界の広さと深さに圧倒された。

   樹木希林の演技はまさに「お茶の先生」だった。初釜の場面で、濃茶の点前をする長めのシーンがある。複雑な手順も自然にこなし、流れが身についていると感じさせる。作法と演技を一体化させる才能はどこから来るのだろうか。主人公は失敗と挫折、人生の岐路に立たされながらも、茶道を通じてその清楚さに磨きをかけ、ヒロインとして輝きを放つ。小さなお茶室で繰り広げられる、茶道という「道」の壮大なドラマだった。日日是好日の意味は、喜怒哀楽の現実を前向きに生きる、その一瞬一瞬の積み重ねが素晴らしい一日となる、そんな解釈だろうか。

   映画を見終わったとき、ひょっとして樹木希林が演じたお茶の先生のモデルではないのかと想像を膨らませた先生がいた。金沢市の出村宗貞さん(本名・貞子)。茶室がある自宅を訪問すると、庭には茶花が咲き、茶室では社中の人たちが稽古に余念がない。出村先生はときには叱り、ときには手を取り教える。話し方、所作など樹木希林が演じる役を地で行く先生だ。その出村さんは10月27日に逝去された。94歳だった。慕われ、尊敬される茶道教授の役柄を見事に演じ切った。日日是好日。名優として最期を遂げた樹木希林と私の心の中でどこか2人の生きざまが重なって見える。(※写真は映画『日日是好日』のパンフレットから)

⇒31日(月)午後・金沢の天気  くもり時々あめ

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★平成最後の年末、レクイエム回顧~その5

2018年12月30日 | ⇒ドキュメント回廊

  年の瀬になって起きた「能登半島沖」の「大和堆」での事件。日本の排他的経済水域(EEZ)内で、韓国海軍の駆逐艦が20日午後3時ごろ、海上自衛隊のP1哨戒機に対して火器管制レーダーを照射した。岩屋防衛大臣が21日夜に緊急記者会見で公表した。P1は最初の照射を受け、回避のため現場空域を一時離脱した。その後、状況を確認するため旋回して戻ったところ、2度目の照射を受けた。P1は韓国艦に意図を問い合わせたが、応答はなかった。照射は数分間に及んだと報じられている。

   ドラマ仕立ての反論、事実と向き合えない相手が陥る弱点とは

   28日、防衛省はP1が韓国駆逐艦を撮影した動画をホームページで公開した。再生して視聴すると、当時のリアルな状況が伝わってくる。レーダーの電波を音に変換してヘッドホンで聞いているP1の操縦士たちが「出しています」と電波を感知すると、「避けた方がいいですね」「めちゃくちゃすごい音だ」と緊迫した会話が録音されている。その後、P1から駆逐艦に向けて、「KOREAN NAVAL SHIP, HULL NUMBER 971, THIS IS JAPAN NAVY, We observed that your FC antenna is directed to us. What is the purpose of your act ? over.」とレーダー照射の目的を無線で3度問い合わせている=写真・防衛省ホームページより=。問い合わせに対する駆逐艦からの応答はなかった。テロップは付けてあるものの、画像の編集はなく、13分7秒の実録である。

   これに対する韓国側の対応はドラマ仕立てだ。映像の公開を受けて、韓国国防部側は「日本側が公開した映像資料は単純に日本の哨戒機が海上から巡回するシーンとパイロットの対話だけだ。一般的な常識からみると射撃統制レーダーを調査したという日本側の主張に対する客観的な証拠とはみられない」と映像の信ぴょう性そのもものを否定。さらに、P1からの呼びかけに答えなかった理由として「日本乗務員がKorea South Naval Shipと呼んだが、通信状態が良くないえうえ英語の発音が悪くてSouthがCoastと聞こえた。海警を呼んだと考えた」と明らかにした、と29日付の韓国・中央日報(日本語版)は伝えている。

  韓国側の対応を「ドラマ仕立て」と述べたのは、事実のストーリーの書き換えを懸命に行っているとの意味である。「英語の発音が悪くて」というそれこそ客観性のない言葉で責任逃れのストーリーを組み立てようとしている。国際外交の舞台であれば、ある意味でドラマ仕立てのハッタリを効かせて交渉を優位に進めることもあるだろう。防衛は外交の場ではなく、相手の弱点を見抜く場でもある。事実と向き合えない相手の弱点とは何か。自己防衛本能は強いが、そのうち自己矛盾に陥る。そのときどうなるのか韓国は。

⇒30日(日)午後・金沢の天気    くもり時々みぞれ

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☆平成最後の年末、レクイエム回顧~その4

2018年12月28日 | ⇒ドキュメント回廊

     「キャッシュレス」も今年よく耳目で触れた言葉かもしれない。テレビや新聞によると、その先進事例は中国で、スマートフォンによる決済が進んでいて、マクドナルドでは現金レジがない店もあるようだ。さらに、食材市場の個人商店などでもQRコード決済が可能で、キャッシュレスが日常の光景になっている。この傾向は世界的に進んでいて、日本だけが「キャッシュレス文明」に乗り遅れてしまうと言わんばかりの少々自虐的なメディアの論調ではある。

     日本は「キャッシュレス文明」に乗り遅れているのか    

   そもそもキャッシュレスは物理的な紙幣や硬貨の現金ではない支払い手段のことだと自身は解釈している。プリペイドカードなど電子マネー(前払い)で買い物をし、電車やバスに乗車する。クレジットカード(後払い)で家電製品を買ったりもする。私は持っていないがデビットカード(即時払い)でレストランで食事を楽しんでいる友人たちもいる。このほか、電気料金や水道・ガスなどの公共料金などは自動引き落としだ。すでに身の回りはキャッシュレスだ。さらに、住宅ローンなどは銀行口座間での送金となっていて、支払い総額の高い比率がすでにキャッシュレス化している。

   それでも、日本のキャッシュレス化は低い。経済産業省の『キャッシュレス・ビジョン』(2018年4月)によると、世界各国のキャッシュレス決済比率では韓国が89.1%でトップ、2位中国、3位カナダと続く。日本は18.4%にとどまる。韓国では、年商240万円以上の店舗にクレジットカードの取扱義務を課しているほか、硬貨の発行や流通にコストがかかることから「コインレス」に取り組み、消費者が現金で買い物をした際のつり銭を、直接その人のプリペイドカードに入金する仕組みを国家の政策として進めている(『キャッシュレス・ビジョン』より)。
 
   日本でキャッシュレス化が進まないのは貨幣(お金)に対する日本人独特の意識と文化があるのかもしれないと考察している。その典型的な事例が「新券」という考えだ。俗にいうピン札だ。結婚や出産のお祝いの慶事の熨斗袋や、習いごとの月謝袋にはピン札を入れる。同じ1万円札なのに何故に、と他国の人々は不思議がるかもしれない。新券に気持ちを込めるという文化があるのだ。もう一つは治安のよさだろう。スウェーデンのキャッシュ決済比率も48.6%と高い。この背景に、現金を扱う金融機関や交通機関などで強盗事件がかつて多発したことから、犯罪対策としてキャッシュレス化が推進された(『キャッシュレス・ビジョン』より)。

   では、日本でキャッシュレス化を進めるメリットはどこにあるのだろうか。よく分からない。プリペイドカードの枚数が増えて混乱するのは消費者の方だ。根深いところでは、自然災害が多発する日本で送電網が絶たれた場合、プリペイドカードやクレジットカード、デビットカードは果たして使えるのか、機能するのか。それより手元に現金があったほうが安心なのではないか、という深層心理が日本人のどこかにあるのではないだろうか。小銭を財布の中で探すのは時間がかかり、おっくうではあるが。  ※写真は経済産業省『キャッシュレス・ビジョン』(2018年4月)より。

⇒28日(金)夜・金沢の天気     くもり

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★平成最後の年末、レクイエム回顧~その3

2018年12月25日 | ⇒ドキュメント回廊

  最近耳にする言葉を2つ挙げると「SDGs(エス・ディ・ジーズ)」と「5G(ファイブ・ジー)」かも知れない。慣れない人は「エス・ディ・ジー」と発音して、なかなか「ズ」が出てこない。この2語はおそらく来年のキーワードではないかと想像している。

      能登半島の最尖端から発するSDGsアクション

   偉そうに言う自身が「SDGs」を発するようになったのはことし3月ごろだ。能登半島の先端に位置する珠洲市が、「SDGs未来都市構想」を掲げる内閣府が全国自治体から公募する「SDGs未来都市」に応募するので、知恵を貸してほしいと持ちかけられたのが最初だった。同市の提案「能登の尖端“未来都市”への挑戦」が採択されたのは6月だった。初公募で29自治体が採択された。次年度(2019年)は応募が過熱するだろうと読んでいる。それだけ、学校教育や企業の現場でも「SDGs」が語られるようになっている。

   珠洲市が率先して「SDGs未来都市」に乗り出したことには2つの意味があると考えている。それは、これまでの地方創生の目標に加え、国際的に通用する「新しい物差し」で地域の課題に向き合うという意思表示を国内だけでなく世界に示したということになるからだ。 

  国連の持続可能な開発目標であるSDGsの基本原則は「誰一人取り残さない」ということ。これは、立場の弱い人々に手を差し伸べて、負担を少なくする、あるいはどうすれば負担が少なくなるのかを福祉の観点だけでなく、環境や経済などの視点から前向きに幅広く考えて、地域のプラス成長にもっていくという発想でもある。SDGsは高邁な理想にも聞こえるが、実践ベースではとても地味だ。珠洲市は7月に市内の10の郵便局とSDGsの目標達成に向けて協力する包括連携協定書を交わした。「なぜ郵便局と」と思われるかもしれないが、郵便局はすべての世帯に郵便物を届けるという使命感がある。その郵便局のネットワークを活かして、地域の見守り活動や災害時の支援、広報など行政の取り組みを支援していく。これは、SDGsの「誰一人取り残さない」社会の理念と実に合致する。地味な一歩かもしれないが、SDGs実践に向けてプロジェクトを積み上げる大きな一歩ではないだろうか。

   10月1日には、珠洲市におけるSDGsの取り組みの中核となる「能登SDGsラボ」がオープンした=写真=。能登SDGsラボは、地域の課題解決のワンストップ窓口であり、さまざまな専門家や有識者が集うシンクタンクの拠点機能を目指している。多くの研究者や学生にも参加してもらい、グローバルな視点で地域課題を考え、課題解決に参画するアクションの場となればと期待する。

        2020年には同市で「奥能登国際芸術祭」が開催される。半島の先端から「SDGs芸術祭」を世界に発信するチャンスかもしれない。

⇒25日(火)朝・金沢の天気     はれ

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☆平成最後の年末、レクイエム回顧~その2

2018年12月24日 | ⇒ドキュメント回廊

   きのう23日は天皇誕生日だった。平成最後の年末を迎えるにあたって、天皇のお気持ちを察する。85歳の誕生日を前に開かれた記者会見(20日、皇居)の内容からお気持ちを読んでみる。宮内庁ホームページに会見録が掲載されている。在位中最後となる会見でもあり、象徴として歩んで来られた平成という時代に込めた思いを述べられ、「私を支え続けてくれた多くの国民に衷心より感謝する」と語られた。印象的な言葉は、「天皇としての旅を終えようとしている今、…」とのフレーズだった。来年春の譲位が決まり、安堵のお気持ちが伝わるフレーズだと感じた。

    在位中最後となる会見で天皇が込められた「旅を終える」想い

   天皇が初めて譲位の意向をお言葉として発せられた、平成28年8月8日のお言葉の中で、「次第に進む身体の衰えを考慮する時、これまでのように、全身全霊をもって象徴の務めを果たしていくことが、難しくなるのではないかと案じています」と語られ、悲壮感が漂ったお言葉だと感じた。それが、今回のお言葉では、「天皇としての旅を終えようとしている今、…」と肩の荷を下ろされたような表現になっている。

   その背景を探ってみる。平成28年8月8日のお言葉の中に、重苦しいお言葉があった。「皇室のしきたりとして、天皇の終焉に当たっては、重い殯(もがり)の行事が連日ほぼ2ヶ月にわたって続き、その後喪儀に関連する行事が、1年間続きます。その様々な行事と、新時代に関わる諸行事が同時に進行することから、行事に関わる人々、とりわけ残される家族は、非常に厳しい状況下に置かれざるを得ません」と。

   「重い」との形容詞をあえて被せた「殯の行事」。一般の葬儀とは違って、夜を徹してご遺体と共にする「お通夜」が2ヵ月にわたって続く。天皇というのは皇位を継承するだけではなく、亡くなられた天皇の霊を継承するという宗教的な意義がセットになっている。こうした「重い」儀式は果たして現代の皇室に必要なのだろうかと天皇自ら問いかけられたのが前段のお言葉だった。生前退位で皇位が継承されれば、殯の行事は簡素化で済む。これが皇室改革の大きな一歩になると、天皇は平成28年8月8日のお言葉を述べられたのではないかと解釈している。今回の「天皇としての旅を終えようとしている今、…」はようやくその願いがかなったとの安堵のお言葉ではないだろうか。

   ちなみに、殯の弔いは東南アジアの一部で残っている。壮大な棚田で2千年の稲作の歴史を有するフィリピン・ルソン島中央のイフガオだ。現地で聞いた話だが、イフガオ族では死者を布でくるんで白骨化するまで自宅に置いて弔う。家族は死者を身近に置くことで、亡き人をしのぶ。日ごとに悲しみにと同時に死者への畏敬の念が沸いているのだという。その後、家族で洗骨の儀式を営み、埋葬する。カトリック教の布教の広がりとともにこうした弔い方は減ってはいるが、古代からの農耕民俗として今でも伝えられている。(※写真は、今月20日の天皇の記者会見、場所は宮殿「石橋の間」=宮内庁ホームページより)

⇒24日(振休)朝・金沢の天気   くもり

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★平成最後の年末、レクイエム回顧~その1

2018年12月23日 | ⇒ドキュメント回廊

    きょう23日午後2時から石川県立音楽堂で、県音楽文化協会の年末公演が開催された。モーツアルトの「レイクエム」、年末を飾るのにふさわしいコンサートだった。昭和38年(1963)から続く恒例の年末コンサートはこれまで長らく、ベートーベンの「第九交響曲」と「荘厳ミサ曲」の2公演がセットだった。今回初めて「荘厳ミサ曲」から「レクイエム」に変更された。平成最後の年末公演を「レイクエム」で締める。練習も相当厳しいものがあったろうことは想像に難くない。公演では、イタリアの合唱団メンバーも加わり、35歳で亡くなったモーツアルトが最後に残した曲が感動的に演奏された。「レイクエム」を聴きながら、平成最後の1年を振り返る。

      日本海の「厄介な危険物」、来年はさらに混沌と

    日本海側で暮らす一人として、はやり北朝鮮と日本海、そして最近の韓国の動向が気にかかった1年だった。年初の1月10日朝、金沢市下安原海岸に北朝鮮の漁船が漂着し中から7人の遺体が見つかった。現場に足を運んだ。船の中には、ハングル文字で書かれた菓子袋などが散乱し、迷彩服もあった。ひょっとして軍人が乗っていたのではないかと勘ぐった。昨年から問題となっている北朝鮮の漂着船を現場で見るのは初めてだが、それにしても古い木造船だ。全長16㍍、幅3㍍ほど。このような船で日本海のイカの好漁場である大和堆(日本のEEZ内)に繰り出し、漁をする。しかし、冬の日本海は荒れやすい。命がけで、なぜそこまでしてイカ漁に固執する必要があったのだろうか。上からの命令だったのか。

      海上保安庁によると、ことし1年ですでに北朝鮮からとみられる木造船が漂着は201件、昨年の2倍。問題はこうした漂着船の解体処分や遺体の火葬をするのは自治体だ。石川県に漂着した木造船などの処分費用21件880万円(11月現在)。最終的に国が全額負担している。

   もっと厄介なのは北朝鮮の違法操業だ。スルメイカ漁は6月に解禁になり、多くの日本漁船が大和堆でのイカ釣り漁を開始する。日本漁船は釣り漁であるのに対し、北のイカ漁船は網漁だ。夜間に日本漁船が集魚灯をつけると、集魚灯の設備を持たない北の漁船が多数近寄ってきて網漁を行う。獲物を横取りするだけでなく、網が日本漁船のスクリューに絡むと事故になる危険性にさらされる。また、夜間では北の木造漁船はレーダーでも目視でも確認しにくいため、衝突の可能性が出てくる。衝突した場合、水難救助法によって北の乗組員を救助しなければならない。そうなればイカ漁どころではなくなる。だから、「厄介な危険物」にはあえて近寄らない。多くの日本漁船が好漁場である大和堆を避けるという現象が起きたのはこのためだ。

    さらに厄介なのは最近の韓国の動きだ。11月20日、大和堆付近で操業中の日本のイカ釣り漁船に対し、韓国の海洋警察庁の警備艦が「操業を止め、海域を移動するよう」と指示を出し、漁船に接近していた「事件」があった。日本の海上保安庁の巡視船が韓国の警備艇と漁船の間に割って入ることで、韓国の警備艇は現場海域を離れた。

    スルメイカは貴重な漁業資源だ。それを北朝鮮に荒らされ、さらに「日本漁船は海域を出ろ」という韓国。来年の日本海はさらに混沌としてくるのではないか。

⇒23日(日)夜・金沢の天気    あめ

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☆キナ臭くなってきた日本海

2018年12月22日 | ⇒メディア時評

   また日本海が荒れだした。報道によると、能登半島沖の日本の排他的経済水域(EEZ)内で、韓国海軍の駆逐艦が20日午後3時ごろ、海上自衛隊のP1哨戒機に対して火器管制レーダーを照射した。火器管制レーダーは、ミサイルで対象を攻撃するために、距離や高さ、移動速度を計測するためのもの。通常のレーダーとは全く違うもの。

   事件は岩屋防衛大臣が21日夜に緊急記者会見で公表した。防衛省ホームページで詳しく説明されている。火器管制レーダーを照射したのは韓国海軍「クァンゲト・デワン」級駆逐艦=写真・上、防衛省ホームページより=。P1は海上自衛隊第4航空群所属P1(厚木基地所属)。P1は最初の照射を受け、回避のため現場空域を一時離脱した。その後、状況を確認するため旋回して戻ったところ、2度目の照射を受けた。P1は韓国艦に意図を問い合わせたが、応答はなかった。照射は数分間に及んだと報じられている。

   これに対し、韓国側は韓国側は火器管制レーダーの使用について「哨戒機の追跡が目的ではなく、遭難した北朝鮮船捜索のため」などとしているが、防衛省は、不測の事態を招きかねない、そして意図しなければ起こりえない事案であり「極めて危険な行為」として韓国側に強く抗議した。 

    注目したいのは、場所が北朝鮮によるイカの違法操業で問題になっている大和堆だったことだ。この付近での最近の韓国側の行動は「大和堆は韓国海域なので勝手に上空を飛ぶな」との言わんばかりの威嚇行動ではなかったかと疑ってしまう。先月11月20日にも、韓国側の意図を感じさせる「事件」が起きている。水産庁ホームページによると、20日午後8時半ごろ、能登半島の西北西約400㌔に位置する、EEZの大和堆付近で操業中の日本のイカ釣り漁船(184㌧、北海道根室市所属)に対し、韓国・海洋警察庁の警備艦が「操業を止め、海域を移動するよう」と無線交信をしているのを、水産庁漁業取締船と海上保安庁巡視船が確認した。

    水産庁の漁業取締船は日本の漁船の付近に位置取り、韓国警備艦に対し、日韓漁業協定でも日本漁船が操業可能な水域であり、漁船に対する要求は認められないと無線で申し入れた。その後、韓国の警備艦が漁船に接近したため、海上保安庁の巡視船が韓国の警備艇と漁船の間に割って入った。すると、韓国の警備艇は午後10時50分ごろ現場海域を離れた。

   こうした一連の韓国側の動きを読むと、一連の事件は、竹島は韓国の領土であると言い張り、大和堆は韓国海域であると主張する前触れではないのか。そう考えると、冒頭で「日本海が荒れだした」と述べたが、キナ臭く感じてきた。

⇒22日(土)夜・金沢の天気  くもり

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★「いざなみ景気」と並んだとはいえ

2018年12月20日 | ⇒メディア時評

   きょう20日の日経平均株価は前日より595円安い2万392円。一時700円を超える大幅な値下がりもあり、終値としての今年の最安値となった。19日のアメリカのダウ平均株価も前の日に比べて352㌦安い2万3324㌦で、これも今年最安値となった。

   きょう注目したのが日銀の黒田総裁の記者会見だ。日経Web版によると、黒田総裁は「経済の見通しは海外動向を中心に下振れリスクが大きい」と述べたという。では、海外のリスク要因とは何か。日本銀行のホームページをチェックすると、きょう20日の政策委員会・金融政策決定会合の報告が掲載されている。それによると、リスク要因は「米国のマクロ政策運営やそれが国際金融市場に及ぼす影響、保護主義的な動きの帰趨とその影響、それらも含めた新興国・資源国経済の動向、英国のEU離脱交渉の展開やその影響、地政学的リスクなどが挙げられる」としている。そのため、日銀は、2%の「物価安定の目標」の実現を目指し、これを安定的に持続するために必要な時点まで、「長短金利操作付き量的・質的金融緩和」を継続する、としている。

   世界的な景気減速で、来年中はアメリカの利上げが停止する可能性が出てきた。日銀は、日本とアメリカの金利差縮小が招く円高・ドル安を警戒し、政策修正に動きにくくなった、と読める。日銀による大規模な金融緩和の「出口」政策は当面はなしということだ。金融政策もさることながら、経済政策はどうなっているのか。

   政府はきょう発表した月例経済報告で、国内経済の基調判断を「緩やかに回復している」で据え置いた。景気拡大の長さが6年1ヵ月になり、戦後最も長かった「いざなみ景気」(2002年2 月-08年2月)に並んだと可能性が高い、と。ところが、見えないことがある。安倍政権は発足時に「金融緩和」「財政拡張」「構造改革」を進める「三本の矢」を打ち出した。金融緩和と財政拡張は数字的に見える。ところが、構造改革についてはまったく見えない。この改革なくして「いざなみ景気」を超えることができるのだろうか。

   株価に話を戻す。年明けに2万円台を割り込むかもしれないと素人ながら思っていたが、年内かもしれない。(※写真は日銀の企画展「江戸の宝くじ「富」 一攫千金、庶民の夢」のチラシ)

⇒20日(木)午後・金沢の天気    あめ

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☆世界経済の新たな火種

2018年12月18日 | ⇒メディア時評

  けさのテレビニュースは、週明け17日のニューヨークダウが大幅に続落し、508㌦安の2万3592㌦で取引を終え、9ヵ月ぶりの安値水準と伝えている。世界経済が減速する懸念が投資家の間で広がっているとも述べている。アメリカの経済紙「ウオールストリート・ジャーナル」も「Dow Industrials Fall 508 Points as Investors Fret Over Growth」と大きく報じている=写真=。

  その解説記事の中で、「U.S.-China tensions, plus worries about economic growth and the tech sector, spell more volatility ahead for investors. 」とある。直訳すれば、「アメリカと中国の緊張感と経済成長と技術分野の懸念は、投資家にとってより大きなボラティリティをもたらす」と。一般では聞き慣れないこのボラティリティ=volatilityとは何か。「証券用語解説集」(野村證券)によると、「証券などの価格の変動性のこと」とある。ボラティリティが高いということは、期待する収益率から大きく外れる可能性が高く、価格の変動性が大きいことを指す。

      では、ボラティリティのリスクを押し上げている要因は何か。おそらくこれしかない。中国通信機器メーカー「ファーウェイ」の製品を締め出す動きが、世界で広がっていることだろう。アメリカは国防権限法という法律をことし8月につくり、ファーウェイなど中国通信機器メーカーの製品を政府機関が使うことを禁止している。同社の製品を通じて政府機関や軍の情報が中国当局に流れる危険性があるとし、アメリカは日本など関係国にも働きかけも強めている。

   この動きに反発を強めているのは、中国政府なのだが、ファーウェイの副会長(CFO)がアメリカの要請によりカナダで逮捕された際に、カナダ人を逮捕するなど報復ともとれる行動に出ている。これがかえって、はやり中国政府はファーウェイと結託しているのではないかとの不信感を煽った。オーストラリアがいち早くアメリカに追随し、続いてドイツなどヨーロッパ各国、そして日本でも通信インフラを担う企業などが中国製品ボイコットの流れに乗った。

   問題はこの一件はこれが始まりだということだ。報道によると、先に述べたアメリカの国防権限法は第2弾として2019年8月から、政府機関や軍、政府所有企業がサーバーなどにファーウェイなど中国通信機器メーカーが製造した製品や部品を組み込んだ他社製品の調達を禁じている。さらに、第3弾として2020年8月からは、中国メーカーの製品を社内で利用しているだけで、その企業はいかなる取引もアメリカ政府機関とできなくなる。当然、日本企業も対象に含まれる。これが、世界経済の新たな火種になるとの所以であり、投資家に大きなボラティリティをもたらす結果になっているのではないか。

⇒18日(火)朝・金沢の天気    あめ

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★島崎藤村と「どぶろく」

2018年12月16日 | ⇒ドキュメント回廊

   出張の帰りに北陸新幹線軽井沢駅で途中下車し、「しなの鉄道」に乗り換え、小諸市を巡った。晴れてはいたが寒風がふいていた。小諸駅の裏手にある「小諸城址 懐古園」を散策した。ダイナミックな野面石積みの石垣、樹齢500年のケヤキの大木など城址めぐりを楽しんだ。ただ、城の大手門と本丸の間に鉄道が敷設されているので、城址公園の遺産がまるで分断されたようになっていて、「もったいない」と感じたのは私だけだろうか。

   懐古園にある「藤村記念館」に入った。平屋の小さな民家のような建物なのだが、設計者は東宮御所や帝国劇場を手掛けた建築家、谷口吉郎(1904-1979)だった。パンフレットによると、島崎藤村が小諸にやってきたのは明治32年(1899)のこと。牧師として藤村に洗礼を施した木村熊二に招かれて私塾の教員として小諸にやってきた。ここで過ごした6年余の間に創作活動を広げ、『雲』『千曲川のスケッチ』、そして『破戒』を起稿した。記念館には藤村の小諸時代を中心とした作品や資料、遺品が展示されている。

   館内は写真撮影は不可なのだが、一枚の写真のみ「撮影可」となっているものがあった。浅間山、小諸の街並み、そして千曲川が流れる大判サイズの写真で、『千曲川旅情の歌』と藤村の写真を配置している=写真=。確か中学時代に覚えた『千曲川旅情の歌』の始まりは今でも記憶にある。「小諸なる古城のほとり 雲白く遊子悲しむ・・・」。出だしは覚えているのだが、実は最後まで目を通したことは記憶に薄い。歌詞が長い。改めて最後まで目を通すと、歌詞は「千曲川いざよふ波の岸近き宿にのぼりつ 濁り酒濁れる飲みて草枕しばし慰む」で締めている。このとき、「藤村はどぶろく大好きだったのか」と想像をたくましくした。どぶろくは蒸した酒米に麹と水を混ぜ、熟成させた酒。ろ過はしないため白く濁り、昔から「濁り酒」とも呼ばれていた。どぶろくは簡単に造ることはできるが、明治の酒税法によって、自家での醸造酒の製造を禁止され、現在でも一般家庭では法律上造れない。

   歌詞にあえて「濁り酒」を入れるとは好物だったのではないかと想像するが、と言うことは、藤村自身も家庭で醸造していたのか。酒税法によって自家での醸造酒の製造を禁止されたのは明治32年(1899)。藤村が小諸にやって来た年である。この歌が作品として発表されたのは同34年(1901)の『落梅集』とされる。国立国会図書館デジタルコレクションでこの著作物を開いてみると、巻頭言の次の2ページと3ページに「小諸なる古城のほとり」のタイトルで掲載されている。藤村にとって相当の自信作だったに違いない。

           当時法律の周知には数年かかったろうと想像すると、この歌をつくったころはまだ、どぶろくを自由に造れ、存分に飲めたのだろう。しかし、日露戦争が明治37年(1904)に起き、戦費調達のために税の締め付けがきつくなり、「濁り酒」は本格的に御法度となっていったのではないだろうか。

⇒16日(日)午前・金沢の天気   くもり

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