1月17日は東京へ日帰り出張だった。先日から大雪となり、風も風も強かったので、早朝JR金沢駅から「はくたか1号」に乗った。乗り換え駅の越後湯沢付近は1㍍を超える積雪で、屋根雪を下ろす人々の姿が車窓から見えた。上越新幹線で長野を過ぎると、とたんに顔空になった。目的地の市ヶ谷では駅のプラットホームから釣り堀が見え、のんびりと釣り糸を垂れる人々の姿があった。越後湯沢で見た屋根雪下ろしの光景と余りにも対照的だった。人は生まれた環境に育まれる。粘り強く、持続性がある北陸の人の行動パターンは案外、雪が育んでいるのかもしれない。
越後湯沢の空とスカイツリーの空
東京の空をにぎわせているスカイツリー。正式には「東京スカイツリー」。高さ634㍍の世界一の電波塔を目指している。ことし12月に完成、来年春に開業を予定している。NHKと在京民放5局が利用する。総事業費は650億円。このツリーを下から眺めると、いろいろなことを思う。その一つが、「電波は空から降ってくる」という発想は、東京のものだ、と。東京タワー(333㍍)しかり、東京にいるとシャワーを浴びるように、電波が空から降ってくる。もちろん一部にビル陰による電波障害があり、そのビル陰の障害を極力減らすために600㍍級のタワーが構想された。まるで「恐竜進化論」だ。電波塔(東京タワー)が立つ。周囲に200㍍を超える超高層ビルが林立するようになる。すると今度は、さらに高い電波塔(スカイツリー)を立てなければならないと、どんどんと図体が大きくなってきた。「電波を空から降らせる」ために、限りなく巨大化し続けているのだ。
翻って、日本海の能登半島の先端。山陰で電波が弱い、届かない。あるいは、電波は届くが強風と塩害のため屋根に上げたアンテナは常にリスクにさらされる。このため、集落ごとにしっかりとしたアンテナを共同で立て、そこから有線で各家庭にテレビ線を引き込むというやり方をとってきた。これを「共聴施設」、あるいは「共聴アンテナ」という。テレビを視聴するのに住民が共聴施設を維持管理費を負担をする。簡易水道の維持費を払っているのと同じ感覚だ。同じ日に屋根雪を下ろしている地域があり、片や青空の下で釣り糸を垂れている地域がある。同じように「電波が空から降ってくる」地域と、「電波を金を払って取り込む」地域がある。不公平だと言っているのはない。電波は家庭に多様な届き方をしている、と言いたいのだ。
ただ、スカイツリーは電波を空から降らせるためものだけではない。道路や橋、病院、公園などといった経済や生活環境のベースとなるインフラストラクチャー(略して「インフラ」)のモデル的な要素が強い。東京タワーのように、一つのシンボルとして何百万人の訪れる施設を目指している。その意味では公(おおやけ)の、パブリックな建物になる。イギリスの元首相チャーチルの有名な言葉に、「われわれは建物をつくるが、その後は、建物がわれわれをカタチづくる」と。いまは「東京のスカイツリー」だが、十年も経てば「スカイツリーの東京」となるのではないか。ただ、そのときの人々のメンタリーはどうカタチづくられているのかと気になる。
⇒18日(火)朝・金沢の天気 くもり
前回のブログで、昨年7月24日に能登半島の先端エリアがアロナグ波を止め、完全デジタルに移行した話をした。この日は地元に総務省や民放・NHKのテレビ業界の関係者らが訪れ、記念セレモニーが開かれた。このとき、「珠洲モデル」という言葉を初めて聞いた。
珠洲モデルというのは、地域の電器店15軒が手分けして、高齢者世帯などを一軒一軒回り、アナログ受信機(テレビ)にチューナーの取り付けをした。ボランティアではない。ただ、お年寄り宅を何度も訪ね、丁寧に対応し、見事に地デジ化のウイークポイントといわれた高齢者世帯の普及に成し遂げたと評価された。記念セレモニーでは、デジタル放送推進協議会の木村政孝理事が一人ひとり電器店の店主の名前を読み上げ感謝状を贈ったほどだ=写真=。
その珠洲モデルの内容をさらに詳しく説明する。能登半島は少子高齢化のモデルのような地域だ。珠洲市では6600世帯のうち40%が高齢者のみの世帯で、さらにその半分に当たる1000世帯余りが独居である。デジタル対応テレビの普及は進まない。では、そうした世帯にチューナーを無償貸与すれば、お年寄りは自ら上手に取り付けて、それでOKなのだろうか。問題はここから始まる。高齢者世帯を町の電器屋が一軒一軒訪問し、チューナーの取り付けからリモコンの操作を丁寧に教える。このリモコンにはチューナーとテレビの2つの電源がある。一つだけ押して、お年寄りからは「テレビが映らないと」とSOSの電話が入る。このような調子で、「4回訪ねたお宅もある」(同市・沢谷信一氏)という。チューナーを配っただけでは普及はしない。丁寧なフォローが必要なのだ。
話はがらりと変わる。先日、金沢市内の電器店の経営者と雑談を交わした。電器屋氏いわく、「ことしの7月24日が怖い」と。街の電器店が1年の中で一番忙しいのは6月から7月という。エアコンの工事も増え、冷蔵庫などの修理も多くなる。そんなときに、ことしは「地デジ」と重なり、駆け込み発注でパニックになるかもしれない、と。
地デジの場合、家庭ごとに条件が違っていて、アンテナの位置が少しずれただけで映りが悪くなったり、屋内の配線やブースターが原因で映らない場合もある。「とにかく、やってみないと分からないケースが多い」。普通、アンテナ工事は2、3時間で済むが、地デジのアンテナの場合は半日から丸1日かかるケースもあるという。しかも、長梅雨が続けば、屋根には上がれない…。
7月24日といえば、ことしは日曜日。おそらく夏の高校野球ローカル大会の決勝戦がこの日、ラッシュを迎える。そんな日に、歴史的な日本の地デジ化が訪れるのだ。
⇒10日(祝)朝・金沢の天気 ゆき
珠洲モデルというのは、地域の電器店15軒が手分けして、高齢者世帯などを一軒一軒回り、アナログ受信機(テレビ)にチューナーの取り付けをした。ボランティアではない。ただ、お年寄り宅を何度も訪ね、丁寧に対応し、見事に地デジ化のウイークポイントといわれた高齢者世帯の普及に成し遂げたと評価された。記念セレモニーでは、デジタル放送推進協議会の木村政孝理事が一人ひとり電器店の店主の名前を読み上げ感謝状を贈ったほどだ=写真=。
その珠洲モデルの内容をさらに詳しく説明する。能登半島は少子高齢化のモデルのような地域だ。珠洲市では6600世帯のうち40%が高齢者のみの世帯で、さらにその半分に当たる1000世帯余りが独居である。デジタル対応テレビの普及は進まない。では、そうした世帯にチューナーを無償貸与すれば、お年寄りは自ら上手に取り付けて、それでOKなのだろうか。問題はここから始まる。高齢者世帯を町の電器屋が一軒一軒訪問し、チューナーの取り付けからリモコンの操作を丁寧に教える。このリモコンにはチューナーとテレビの2つの電源がある。一つだけ押して、お年寄りからは「テレビが映らないと」とSOSの電話が入る。このような調子で、「4回訪ねたお宅もある」(同市・沢谷信一氏)という。チューナーを配っただけでは普及はしない。丁寧なフォローが必要なのだ。
話はがらりと変わる。先日、金沢市内の電器店の経営者と雑談を交わした。電器屋氏いわく、「ことしの7月24日が怖い」と。街の電器店が1年の中で一番忙しいのは6月から7月という。エアコンの工事も増え、冷蔵庫などの修理も多くなる。そんなときに、ことしは「地デジ」と重なり、駆け込み発注でパニックになるかもしれない、と。
地デジの場合、家庭ごとに条件が違っていて、アンテナの位置が少しずれただけで映りが悪くなったり、屋内の配線やブースターが原因で映らない場合もある。「とにかく、やってみないと分からないケースが多い」。普通、アンテナ工事は2、3時間で済むが、地デジのアンテナの場合は半日から丸1日かかるケースもあるという。しかも、長梅雨が続けば、屋根には上がれない…。
7月24日といえば、ことしは日曜日。おそらく夏の高校野球ローカル大会の決勝戦がこの日、ラッシュを迎える。そんな日に、歴史的な日本の地デジ化が訪れるのだ。
⇒10日(祝)朝・金沢の天気 ゆき
日本、いやアジアで最初にアナログ放送が停止し、完全デジタル化したのは能登半島だった。2010年7月24日正午に停波した珠洲市と能登町の一部8800世帯(珠洲市6600世帯と能登町の一部2200世帯)がそのエリアである。同日珠洲市での記念セレモニーであいさつに立った総務省の久保田誠之官房審議官は、今回の停波で空いた周波数帯(ホワイト・スペース)で、観光・行政情報をローカル番組として流す「エリア・ワンセグ放送」の実証実験を珠洲で行うと打ち上げた。アナログ放送の停波に伴うエリア・ワンセグの実験は全国初ということになるが、地デジへの先行モデル地区として自治体が先頭に立って頑張ったという「ごほうび」の意味合いもあるだろう。
では、能登半島が先行モデル地区として役割は果たせたのだろうかと振り返ってみる。丘の上から珠洲市内を眺めると、受信障害となるような高いビルはないし、当地の民放4局のうち3局がいわゆる「Uチャン」なのでアンテナ交換の必要もない。都市型の地デジ問題とは一見かけ離れているようにも思えるが、山陰や北風・塩害問題による共聴施設が市内で36ヵ所あり、市の世帯の40%をカバーしていた。しかも、珠洲市の場合、65歳以上の最高齢者率は40%を超え、高齢者のみの世帯率は36%、さらに高齢者世帯の半分1000世帯余りが独居のまさに過疎・高齢化の地域だ。電波障害による共聴と高齢者宅の対策は地デジの2大問題で、それを乗り切った能登の先行実施は「モデル」といえるだろう。
去年8月18日、東京都北区の区議3人が珠洲市役所を地デジ対策の視察に訪れた。同区(33万人)の高齢者率は22%を超え、集合住宅に住む独居の高齢者も多い。だれがどう対応すべきなのか、区議の質問は高齢者世帯への地デジ対策に質問が集中した。応対した同市総務課情報統計係長の前田保夫氏は「お年寄りにとって、テレビはさみしさを紛らわすための生活の一部」と話し、市職員の戸別訪問や市内の電器店との連携による簡易チューナーの取り付けの経緯を説明した。能登であれ、東京であれ、高齢者対策は地デジ対策のポイントなのだ。
能登を調査に回って、気がかりな点が2つある。一つは、自治体の動きが読めないこと。珠洲市への議員視察は複数あるものの、他の自治体からの視察はゼロである(8月末現在)。前田氏は「地デジ対策は自治体の仕事ではなく、国とテレビ局の仕事と思っているところが多いのはないか」と懸念する。
もう一つ。地デジ移行を終えた同市内で、高齢者20人に地デジに関する簡単なアンケート調査を試みた。その中で、「国はなぜ地デジに移行するのかご存知ですか」の問いに、正解だったのは「電波のやり繰り」と答えた2人だけだった。15人が「分からない」と答えた。わずか20サンプルで、しかも高齢者へのアンケートで推測するのは危険だが、地デジ移行の本来の目的が国民の間で理解されているのだろうかと気になった。国民の理解なき政策は政争の火種になりかねないと思うからだ。
※写真は、アナログ波を停波した民放局の珠洲中継所。周囲は葉タバコ畑。
⇒9日(日)朝・金沢の天気 くもり
では、能登半島が先行モデル地区として役割は果たせたのだろうかと振り返ってみる。丘の上から珠洲市内を眺めると、受信障害となるような高いビルはないし、当地の民放4局のうち3局がいわゆる「Uチャン」なのでアンテナ交換の必要もない。都市型の地デジ問題とは一見かけ離れているようにも思えるが、山陰や北風・塩害問題による共聴施設が市内で36ヵ所あり、市の世帯の40%をカバーしていた。しかも、珠洲市の場合、65歳以上の最高齢者率は40%を超え、高齢者のみの世帯率は36%、さらに高齢者世帯の半分1000世帯余りが独居のまさに過疎・高齢化の地域だ。電波障害による共聴と高齢者宅の対策は地デジの2大問題で、それを乗り切った能登の先行実施は「モデル」といえるだろう。
去年8月18日、東京都北区の区議3人が珠洲市役所を地デジ対策の視察に訪れた。同区(33万人)の高齢者率は22%を超え、集合住宅に住む独居の高齢者も多い。だれがどう対応すべきなのか、区議の質問は高齢者世帯への地デジ対策に質問が集中した。応対した同市総務課情報統計係長の前田保夫氏は「お年寄りにとって、テレビはさみしさを紛らわすための生活の一部」と話し、市職員の戸別訪問や市内の電器店との連携による簡易チューナーの取り付けの経緯を説明した。能登であれ、東京であれ、高齢者対策は地デジ対策のポイントなのだ。
能登を調査に回って、気がかりな点が2つある。一つは、自治体の動きが読めないこと。珠洲市への議員視察は複数あるものの、他の自治体からの視察はゼロである(8月末現在)。前田氏は「地デジ対策は自治体の仕事ではなく、国とテレビ局の仕事と思っているところが多いのはないか」と懸念する。
もう一つ。地デジ移行を終えた同市内で、高齢者20人に地デジに関する簡単なアンケート調査を試みた。その中で、「国はなぜ地デジに移行するのかご存知ですか」の問いに、正解だったのは「電波のやり繰り」と答えた2人だけだった。15人が「分からない」と答えた。わずか20サンプルで、しかも高齢者へのアンケートで推測するのは危険だが、地デジ移行の本来の目的が国民の間で理解されているのだろうかと気になった。国民の理解なき政策は政争の火種になりかねないと思うからだ。
※写真は、アナログ波を停波した民放局の珠洲中継所。周囲は葉タバコ畑。
⇒9日(日)朝・金沢の天気 くもり
では、ミラー・ジェームス氏はアウトリーチでどのような活動をしたのだろうか。自身が地元のテレビ局に出演して、地デジをPRしたり、家電量販店に出向いて、コンバーターの在庫は何個あるのかを確認した。また、ボーイスカウトや工業高校の生徒や大学生が高齢者世帯で、UHFアンテナを設置するボランティアをしたり、NG0や電機メーカーの社員がコンバーターの取り付けや説明に行ったりと、行政ではカバーしきれないことを地域の住民や団体が連携してサポートした。そうした行政以外の支援を活用するコーディネーションをミラー氏は現地で行った。
日本のテレビ局はもっと地域に入り普及活動を
法律家であるミラー氏は、「日本の場合はテレビを受信することは権利」とらえられているが、アメリカでは受信するかしないかは個人の自由という受け止め方になる」と話す。隣地にビルが建って電波が受信できなければ、日本では民法上で権利として主張できる。アメリカの場合は、コモン・ロー(判例法)をルーツとしており、権利的な保護はなく、あくまでも受信者の責任と負担で、となる。これを地デジの現場に当てはめれば、アメリカでは困っている人を助けるという発想でボランティア活動が活発だった。一方日本では、政府による「新たな難視」を出さないためのあらゆる手が打たれ、自治体も手を差し伸べているが、アメリカのような地域のNPOや民間団体による支援の動きは目立っていない。日本では、「地デジは国が責任を持って行うもの」との雰囲気が強いからだ。
そうした日米の意識や文化の違いのツボを押さえると、アメリカと日本の地デジの課題と現状がよく見えてくる。2009年6月12日に地デジ移行を終えたアメリカでは、地デジ未対応の世帯は貧困層を中心にまだある。クーポン配布プログラムは7月末で受け付けを終えた。下院からは、アンテナ救済とクーポン延長の法案が出されたが、廃案に終わった。この時点で申し込みがないとすれば、後は「受信するかしないかは個人の自由」との解釈になる。では、テレビが完全に視聴できなくなったのかというとそうではない。デジタル化の対象外である、宗教団体や自治体、学校などが運営するLPTV(低出力のコミュニティー局)が地域にある。こうしたローカルな番組はアナログのテレビで視聴ができるのだ。
最後にミラー氏は、1年後に地デジ移行する日本へのアドバイスとして次のことを挙げた。「地デジ移行は官製のキャンペーンだけではなく、例えば大学に働きかけて、お年寄り宅の地デジ化をサポートする学生ボランティアの輪を広げるなど、もっと民間のチカラを活用すべきだ」と。また、テレビ局に対しては、「地デジはテレビの魅力やパワーを訴えるよいチャンスととらえて、テレビ局の人たち自身がもっと地域に入ってキャンペーンを繰り広げてはどうか」と提案し、講演を締めくくった。日本の地デジ移行では、行政と視聴者の中間で動く地域団体やNPO、ボランティアの存在が成否のカギとなるに違いない。
※写真はポートランドの学生による手作りのアンテナ。学生ボランティアとして高齢者宅などに設置した(ミラー氏提供)
⇒8日(土)朝・金沢の天気 はれ
日本のテレビ局はもっと地域に入り普及活動を
法律家であるミラー氏は、「日本の場合はテレビを受信することは権利」とらえられているが、アメリカでは受信するかしないかは個人の自由という受け止め方になる」と話す。隣地にビルが建って電波が受信できなければ、日本では民法上で権利として主張できる。アメリカの場合は、コモン・ロー(判例法)をルーツとしており、権利的な保護はなく、あくまでも受信者の責任と負担で、となる。これを地デジの現場に当てはめれば、アメリカでは困っている人を助けるという発想でボランティア活動が活発だった。一方日本では、政府による「新たな難視」を出さないためのあらゆる手が打たれ、自治体も手を差し伸べているが、アメリカのような地域のNPOや民間団体による支援の動きは目立っていない。日本では、「地デジは国が責任を持って行うもの」との雰囲気が強いからだ。
そうした日米の意識や文化の違いのツボを押さえると、アメリカと日本の地デジの課題と現状がよく見えてくる。2009年6月12日に地デジ移行を終えたアメリカでは、地デジ未対応の世帯は貧困層を中心にまだある。クーポン配布プログラムは7月末で受け付けを終えた。下院からは、アンテナ救済とクーポン延長の法案が出されたが、廃案に終わった。この時点で申し込みがないとすれば、後は「受信するかしないかは個人の自由」との解釈になる。では、テレビが完全に視聴できなくなったのかというとそうではない。デジタル化の対象外である、宗教団体や自治体、学校などが運営するLPTV(低出力のコミュニティー局)が地域にある。こうしたローカルな番組はアナログのテレビで視聴ができるのだ。
最後にミラー氏は、1年後に地デジ移行する日本へのアドバイスとして次のことを挙げた。「地デジ移行は官製のキャンペーンだけではなく、例えば大学に働きかけて、お年寄り宅の地デジ化をサポートする学生ボランティアの輪を広げるなど、もっと民間のチカラを活用すべきだ」と。また、テレビ局に対しては、「地デジはテレビの魅力やパワーを訴えるよいチャンスととらえて、テレビ局の人たち自身がもっと地域に入ってキャンペーンを繰り広げてはどうか」と提案し、講演を締めくくった。日本の地デジ移行では、行政と視聴者の中間で動く地域団体やNPO、ボランティアの存在が成否のカギとなるに違いない。
※写真はポートランドの学生による手作りのアンテナ。学生ボランティアとして高齢者宅などに設置した(ミラー氏提供)
⇒8日(土)朝・金沢の天気 はれ
アメリカは日本よりひと足早く2009年6月12日に地上デジタル放送(DTV)への移行を終えた。アメリカの地デジ移行はさほど混乱はなかったというのが定評となっているが、果たしてそうだったのか。ことし7月24日に地デジ移行を控える日本の現状を見るについそんなことを考えてしまう。アメリカのどのようなパワーがあって地デジ移行を終えることができたのか。友人でもあるアメリカ連邦通信委員会(FCC)工学技術部の法律顧間であるミラー・ジェームス弁護士を昨年7月、金沢大学に招きセミナーを開催した。そのときの講義メモを紹介する。
地域の中に入り支援するアウトリーチという考え
ミラー氏を講師に招いた理由が2つある。1つ目は、FCCのスタッフとして、アメリカの西海岸(オレゴン州ポートランドなど)に出向き、地デジの広報活動や視聴者対応の現場にかかわってきたこと。2つ目は、 マンスフィールドフェローシップ・プログラム(連邦政府職員の日本研修)の一員として、2004年から2006年の足掛け3年、 総務省(総合通信基盤局電波部)や経済産業省、知的財産高等裁判所などで知見を広め、日本の電波行政やコンテンツ政策にも明るいこと。ちなみに、私はミラー氏の金沢でのプログラム(2005年)で知己を得た。
1996年のアメリカの通信法の改正で「アナログ停波、デジタルヘの移行義務」が定められた。その目的は、日本と同様に電波割り当ての再編だった。例えば、FCCは放送に割り当てていたUHF帯域を縮小し、24MHz帯幅のチャンネルを警察など公安利用に割り当てる一方で、固定通信や移動通信、放送などに開放し、競売で免許交付を行った。当初、アメリカは地デジ移行に楽観的だった。何しろアンテナ受信が日本に比べ少ない。アメリカの場合、85%の家庭はケーブルテレビなどで視聴しており(2009年統計)、 アンテナで見るのは15%だったからだ。逆に、日本の場合は76%がアンテナでの視聴となる(2009年統計)。これを人口で換算すると、 日本(人口1億2700万人)のうち約9600万人、アメリカ(同3億900万人)は約4600万人がアンテナで視聴していることになる。このため、アメリカでは移行の時期について、当初「視聴世帯の80%Jがデジタル対応の準備を終えていることを目安にし、段階的に2006年までにアナログを停波するとしていた。ところが、2005年の調査で視聴世帯のわずか3.3%しか地デジの準備がされておらず、2006年の法改正では「2009年2月17日」をハードデートとして無条件に地デジヘ移行する日と決めた。
2008年元旦から、アメリカ商務省電気通信情報局(NTIA)がデジタルからアナログヘの専用コンバーター購入用クーポン券の申請受け付けを始めた。アメリカ政府は40ドルのクーポンを1世帯2枚まで補助することにした。2009年に入り、クーポン配布プログラムの予算が上限に達してしまい、230万世帯(410万枚分)のクーポン申請者が待機リストに残されるという事態が起きた。オバマ大統領(当時は政権移行チーム)は連邦議会に対して、DTV移行完了期日の延期案を可決するように要請した。同時にDTV移行完了によって空くことになる周波数オークションの落札者だったAT&Tとベライゾンの同意を得て、4ヵ月間延期して「6月12日」とする法案が審議、可決された。FCCの定めた手続きでは、「2月17日」の期限を待たずにアナログ放送を打ち切ることができるため、この時点ですでにアメリカの1759の放送局(フル出力局)の36%にあたる641局がアナログ放送を停止していた。
オバマの「チェンジ!」の掛け声はFCCこも及び、スタッフ部門1900人のうち300人ほどが地域に派遣され、視聴者へのサポートに入った。ミラー氏は2008年11月から地デジ移行後の7月中旬まで、カリフォニア州北部、シアトル、ポートランドに派遣された。その目的は「コミュニティー・アウトリーチ」と呼ばれるもので、アウトリーチとは援助を求めている人のところに援助者の方から出向くこと。つまり、地域社会に入り、連携して支援することだった。
※写真は、ポートランドで地デジの説明会を開くミラー氏。高齢者や貧困層への対応が課題だった(同氏提供)
⇒7日(金)朝・能登の天気 はれ
地域の中に入り支援するアウトリーチという考え
ミラー氏を講師に招いた理由が2つある。1つ目は、FCCのスタッフとして、アメリカの西海岸(オレゴン州ポートランドなど)に出向き、地デジの広報活動や視聴者対応の現場にかかわってきたこと。2つ目は、 マンスフィールドフェローシップ・プログラム(連邦政府職員の日本研修)の一員として、2004年から2006年の足掛け3年、 総務省(総合通信基盤局電波部)や経済産業省、知的財産高等裁判所などで知見を広め、日本の電波行政やコンテンツ政策にも明るいこと。ちなみに、私はミラー氏の金沢でのプログラム(2005年)で知己を得た。
1996年のアメリカの通信法の改正で「アナログ停波、デジタルヘの移行義務」が定められた。その目的は、日本と同様に電波割り当ての再編だった。例えば、FCCは放送に割り当てていたUHF帯域を縮小し、24MHz帯幅のチャンネルを警察など公安利用に割り当てる一方で、固定通信や移動通信、放送などに開放し、競売で免許交付を行った。当初、アメリカは地デジ移行に楽観的だった。何しろアンテナ受信が日本に比べ少ない。アメリカの場合、85%の家庭はケーブルテレビなどで視聴しており(2009年統計)、 アンテナで見るのは15%だったからだ。逆に、日本の場合は76%がアンテナでの視聴となる(2009年統計)。これを人口で換算すると、 日本(人口1億2700万人)のうち約9600万人、アメリカ(同3億900万人)は約4600万人がアンテナで視聴していることになる。このため、アメリカでは移行の時期について、当初「視聴世帯の80%Jがデジタル対応の準備を終えていることを目安にし、段階的に2006年までにアナログを停波するとしていた。ところが、2005年の調査で視聴世帯のわずか3.3%しか地デジの準備がされておらず、2006年の法改正では「2009年2月17日」をハードデートとして無条件に地デジヘ移行する日と決めた。
2008年元旦から、アメリカ商務省電気通信情報局(NTIA)がデジタルからアナログヘの専用コンバーター購入用クーポン券の申請受け付けを始めた。アメリカ政府は40ドルのクーポンを1世帯2枚まで補助することにした。2009年に入り、クーポン配布プログラムの予算が上限に達してしまい、230万世帯(410万枚分)のクーポン申請者が待機リストに残されるという事態が起きた。オバマ大統領(当時は政権移行チーム)は連邦議会に対して、DTV移行完了期日の延期案を可決するように要請した。同時にDTV移行完了によって空くことになる周波数オークションの落札者だったAT&Tとベライゾンの同意を得て、4ヵ月間延期して「6月12日」とする法案が審議、可決された。FCCの定めた手続きでは、「2月17日」の期限を待たずにアナログ放送を打ち切ることができるため、この時点ですでにアメリカの1759の放送局(フル出力局)の36%にあたる641局がアナログ放送を停止していた。
オバマの「チェンジ!」の掛け声はFCCこも及び、スタッフ部門1900人のうち300人ほどが地域に派遣され、視聴者へのサポートに入った。ミラー氏は2008年11月から地デジ移行後の7月中旬まで、カリフォニア州北部、シアトル、ポートランドに派遣された。その目的は「コミュニティー・アウトリーチ」と呼ばれるもので、アウトリーチとは援助を求めている人のところに援助者の方から出向くこと。つまり、地域社会に入り、連携して支援することだった。
※写真は、ポートランドで地デジの説明会を開くミラー氏。高齢者や貧困層への対応が課題だった(同氏提供)
⇒7日(金)朝・能登の天気 はれ
2011年7月24日正午に地上波テレビのアナログ波が停止し、デジタル放送に完全移行する。地デジ完全移行後のアナログ対応テレビは「砂嵐」のような画面になる。NHKと民放の各局はこの画面のイメージを今月から告知番組で繰り返し流し始める予定だ。
現実に目を向けてみよう。地デジの世帯普及率は、昨年3月の総務省の調査では、薄型テレビなどのデジタル対応受信機の世帯普及率は83.8%だ。これ以降で、テレビの買い替えが進んでいるとしても90%に届いているかどうか。さらに、ビル陰による受信障害が約319万世帯、山間部のデジタル波が届かない地域は72万世帯にも上る。さらに、地デジに対応しないVHFアンテナしかない世帯は大都市圏を中心に220万世帯から460万世帯もあるとされる。これら問題が解決されないと、「7月24日」に仮に10%の世帯が取り残されたとして、全国約5千万世帯のうち500万世帯の「テレビ難民」が発生する。
2009年6月12日に地デジ移行したアメリカはもともとケーブルテレビ局の普及が85%もあり、無理なく移行できると踏んでいたが、それでも2度延期した。デジタル放送を従来のアナログ受信機で視聴できように変換するデジタル・コンバーターを購入するクーポン券(40㌦)を1世帯2枚まで発行した。コンバーターは1台40㌦からあるので無料で、あるいは10㌦を家庭が負担すればよいコンバーターが買える仕組みだが、それでも最終的に2.5%に相当する280万世帯は取り残された。ただ、アメリカの判断は日本と違って、「アメリカでは受信するかしないかは個人の自由という受け止め方」(FCC法律顧問ミラー・ジェームス氏)と割り切る。現実に、クーポンの発行延長も議会では否決された。ところが、日本では地デジを視聴することは「国民の権利」と見なされている。それゆえ、生活保護世帯や独居老人宅には無料でチューナーが配布される。
生活保護世帯などに無料でチューナーが配布されれば準備万端かというと、それほど単純な話ではない。チューナーが渡されるが、セットアップまでケアしていない。取り付け、新たなリモコンの操作が分からない人が実に多い。1つのチューナーで家庭のテレビすべてが視聴できるようになると勘違いしている人も多いのが現状だ。さらに、生活保護世帯はある意味で把握しやすいが、生活困窮のボーダーランにいて生活保護も受けることができず、チューナーを入手できない、地デジ対応テレビも購入できない層は数知れないのだ。そうしたボーダーライン層の声は国や地方自治体に届いていない。仮に、声が自治体に届いても、驚くことに、地デジ対策は自治体の仕事ではなく、国とテレビ局の仕事だと反発している自治体もある。
そして、問題なのは、地デジ移行の本来の目的が国民の間で十分に理解されていないことだ。こうなると、電波の再編ために、高価な地デジ対応テレビの購入を国民に負担させるのかという論議が台頭し蒸し返される。こうした様々な後ろ向きの論議が「7月24日」に向けて、沸き起こってくるだろう。そのときに、懸命になって対応するのは一体誰なのか、政府か、テレビ業界か、自治体か・・・。果たして「7月24日」を突破できるのだろうか。あるいは延長法案の提出か。日本の地デジ、伸るか反るかの正念場だ。
※写真は、アメリカの地デジのキャンペーン。デジタル・コンバーターの普及に向け、設置の仕方を説明するTVアナウンサー(2009年)=ミラー・ジェームス氏提供
⇒3日(月)午後・金沢の天気 はれ
現実に目を向けてみよう。地デジの世帯普及率は、昨年3月の総務省の調査では、薄型テレビなどのデジタル対応受信機の世帯普及率は83.8%だ。これ以降で、テレビの買い替えが進んでいるとしても90%に届いているかどうか。さらに、ビル陰による受信障害が約319万世帯、山間部のデジタル波が届かない地域は72万世帯にも上る。さらに、地デジに対応しないVHFアンテナしかない世帯は大都市圏を中心に220万世帯から460万世帯もあるとされる。これら問題が解決されないと、「7月24日」に仮に10%の世帯が取り残されたとして、全国約5千万世帯のうち500万世帯の「テレビ難民」が発生する。
2009年6月12日に地デジ移行したアメリカはもともとケーブルテレビ局の普及が85%もあり、無理なく移行できると踏んでいたが、それでも2度延期した。デジタル放送を従来のアナログ受信機で視聴できように変換するデジタル・コンバーターを購入するクーポン券(40㌦)を1世帯2枚まで発行した。コンバーターは1台40㌦からあるので無料で、あるいは10㌦を家庭が負担すればよいコンバーターが買える仕組みだが、それでも最終的に2.5%に相当する280万世帯は取り残された。ただ、アメリカの判断は日本と違って、「アメリカでは受信するかしないかは個人の自由という受け止め方」(FCC法律顧問ミラー・ジェームス氏)と割り切る。現実に、クーポンの発行延長も議会では否決された。ところが、日本では地デジを視聴することは「国民の権利」と見なされている。それゆえ、生活保護世帯や独居老人宅には無料でチューナーが配布される。
生活保護世帯などに無料でチューナーが配布されれば準備万端かというと、それほど単純な話ではない。チューナーが渡されるが、セットアップまでケアしていない。取り付け、新たなリモコンの操作が分からない人が実に多い。1つのチューナーで家庭のテレビすべてが視聴できるようになると勘違いしている人も多いのが現状だ。さらに、生活保護世帯はある意味で把握しやすいが、生活困窮のボーダーランにいて生活保護も受けることができず、チューナーを入手できない、地デジ対応テレビも購入できない層は数知れないのだ。そうしたボーダーライン層の声は国や地方自治体に届いていない。仮に、声が自治体に届いても、驚くことに、地デジ対策は自治体の仕事ではなく、国とテレビ局の仕事だと反発している自治体もある。
そして、問題なのは、地デジ移行の本来の目的が国民の間で十分に理解されていないことだ。こうなると、電波の再編ために、高価な地デジ対応テレビの購入を国民に負担させるのかという論議が台頭し蒸し返される。こうした様々な後ろ向きの論議が「7月24日」に向けて、沸き起こってくるだろう。そのときに、懸命になって対応するのは一体誰なのか、政府か、テレビ業界か、自治体か・・・。果たして「7月24日」を突破できるのだろうか。あるいは延長法案の提出か。日本の地デジ、伸るか反るかの正念場だ。
※写真は、アメリカの地デジのキャンペーン。デジタル・コンバーターの普及に向け、設置の仕方を説明するTVアナウンサー(2009年)=ミラー・ジェームス氏提供
⇒3日(月)午後・金沢の天気 はれ
2011年元旦、兼六園と同じ敷地にある金沢神社に初詣に出かけた。午前中の氷雨で人出は例年より少なく、列をなすほどではなかった。金沢神社の鳥居の近くにある木造の金沢城・兼六園管理事務所分室を立ち寄った。この建物そのものが文化財級の武家屋敷(旧・津田玄蕃邸)で、武家書院造りは風格がある。初詣もそこそこに立ち寄ったのは、ふとした思い付きだった。300年、400年後の「兼六園のスター」を見たい、と。
国の特別名勝である兼六園。最近では、ミシュラン仏語ガイド『ボワイヤジェ・プラティック・ジャポン』(2007)で「三つ星」の最高ランクを得た。広さ約3万坪、170年もの歳月をかけて作庭された兼六園の名木のスターと言えば、唐崎松(からさきのまつ)である。高さ9㍍、20㍍も伸びた枝ぶり。冬場の湿った重い雪から名木を守るために施される雪吊りはまず唐崎松から始まる。このプライオリティ(優先度)の高さがスターたるゆえんでもある。唐崎松は、加賀藩の第13代藩主・前田斉泰(1811~84)が琵琶湖の唐崎神社境内(大津市)の「唐崎の松」から種子を取り寄せて植えたもので、樹齢180年と推定される。近江の唐崎の松は、松尾芭蕉(1644-94)の「辛崎( からさき )の松は花より朧(おぼろ)にて」という句でも有名だ。
いくらスターであって、保護が行き届いていても、植物はいつかは枯れる。あるいは、枯れなくても、台風で折れたり、倒れば、そのときにスターの寿命は終わる。名園の美観上、傷ついた名木を人目にさらすわけにはいかないのだ。その処理は粛々と行われ、跡地には次なる唐崎松が植えられることになる。そこで、話は冒頭に戻る。金沢城・兼六園管理事務所分室の隣地には唐崎松の「2世」がすでにスタンバイしている=写真=。事務所では「後継木(こうけいぼく)」と呼ぶ。すでに高さ3㍍余りあるだろうか。幹の根の辺りがくねって、すでに名木の片鱗を感じさせている。お世継ぎとあって保護され、雪吊りも施されている。この松は「実子」ではなく、かつて加賀藩主がそうしたように、大津市の唐崎の松の実生である。つまり「本家」からの世継なのだ。
ただ、名園の世界にあっては「2世」だからと言って、スターの座を確保できるというわけではない。その時代に、園を訪れる人たちが「枝ぶりがいい」「樹勢(オーラ)を感じる」と評価するかどうか、だ。現在の唐崎松も脇役の時代があり、戦後のスターである。それ以前は、桜の2大スターが人気を競っていた。旭桜(あさひざくら)は、白い大きな花を付け、樹齢500年ともいわれた園内随一の老大木だった。明治の中頃から樹勢が衰え、昭和12年(1937)に枯死した。泉鏡花が大正4年(1915)に発表した小説『櫻心中』で、名木から飛び出した桜の精の悲恋物語を描いているが、その中で出てくる男役「富士見桜」が旭桜だ。小説のモチーフにもなっていたのだ。その旭桜と競っていたのが、兼六園では旭桜に次ぐ老木とされた塩釜桜(しおがまざくら)だった。こちらは、昭和32年(1957)に枯死してしまった。唐崎松がスターダムにのし上がったのはそれ以降だ。
しかし、唐崎松のスターの座も不動ではない。かつてのスター、旭桜のひこばえが成長し、今や2代目の大樹となっている。さらに、塩釜桜も2001年に宮城・塩釜神社から苗を取り寄せ、その若木が見事な花を付けている。100年、200年後に唐崎松の樹勢が衰え、これら桜木が競って兼六園を彩る時代を予感させる。唐崎松の「2世」をじっと眺め、兼六園の300、400年後に、この2世はスターの座を確保できるだろうか。人の世とだぶらせて思いをめぐらせると、それだけでも楽しい。そして、その時代になっても、樹木を愛でる人々の気持ちは変わらないで欲しいと願う。
⇒1日(元旦)夜・金沢の天気 くもり
国の特別名勝である兼六園。最近では、ミシュラン仏語ガイド『ボワイヤジェ・プラティック・ジャポン』(2007)で「三つ星」の最高ランクを得た。広さ約3万坪、170年もの歳月をかけて作庭された兼六園の名木のスターと言えば、唐崎松(からさきのまつ)である。高さ9㍍、20㍍も伸びた枝ぶり。冬場の湿った重い雪から名木を守るために施される雪吊りはまず唐崎松から始まる。このプライオリティ(優先度)の高さがスターたるゆえんでもある。唐崎松は、加賀藩の第13代藩主・前田斉泰(1811~84)が琵琶湖の唐崎神社境内(大津市)の「唐崎の松」から種子を取り寄せて植えたもので、樹齢180年と推定される。近江の唐崎の松は、松尾芭蕉(1644-94)の「辛崎( からさき )の松は花より朧(おぼろ)にて」という句でも有名だ。
いくらスターであって、保護が行き届いていても、植物はいつかは枯れる。あるいは、枯れなくても、台風で折れたり、倒れば、そのときにスターの寿命は終わる。名園の美観上、傷ついた名木を人目にさらすわけにはいかないのだ。その処理は粛々と行われ、跡地には次なる唐崎松が植えられることになる。そこで、話は冒頭に戻る。金沢城・兼六園管理事務所分室の隣地には唐崎松の「2世」がすでにスタンバイしている=写真=。事務所では「後継木(こうけいぼく)」と呼ぶ。すでに高さ3㍍余りあるだろうか。幹の根の辺りがくねって、すでに名木の片鱗を感じさせている。お世継ぎとあって保護され、雪吊りも施されている。この松は「実子」ではなく、かつて加賀藩主がそうしたように、大津市の唐崎の松の実生である。つまり「本家」からの世継なのだ。
ただ、名園の世界にあっては「2世」だからと言って、スターの座を確保できるというわけではない。その時代に、園を訪れる人たちが「枝ぶりがいい」「樹勢(オーラ)を感じる」と評価するかどうか、だ。現在の唐崎松も脇役の時代があり、戦後のスターである。それ以前は、桜の2大スターが人気を競っていた。旭桜(あさひざくら)は、白い大きな花を付け、樹齢500年ともいわれた園内随一の老大木だった。明治の中頃から樹勢が衰え、昭和12年(1937)に枯死した。泉鏡花が大正4年(1915)に発表した小説『櫻心中』で、名木から飛び出した桜の精の悲恋物語を描いているが、その中で出てくる男役「富士見桜」が旭桜だ。小説のモチーフにもなっていたのだ。その旭桜と競っていたのが、兼六園では旭桜に次ぐ老木とされた塩釜桜(しおがまざくら)だった。こちらは、昭和32年(1957)に枯死してしまった。唐崎松がスターダムにのし上がったのはそれ以降だ。
しかし、唐崎松のスターの座も不動ではない。かつてのスター、旭桜のひこばえが成長し、今や2代目の大樹となっている。さらに、塩釜桜も2001年に宮城・塩釜神社から苗を取り寄せ、その若木が見事な花を付けている。100年、200年後に唐崎松の樹勢が衰え、これら桜木が競って兼六園を彩る時代を予感させる。唐崎松の「2世」をじっと眺め、兼六園の300、400年後に、この2世はスターの座を確保できるだろうか。人の世とだぶらせて思いをめぐらせると、それだけでも楽しい。そして、その時代になっても、樹木を愛でる人々の気持ちは変わらないで欲しいと願う。
⇒1日(元旦)夜・金沢の天気 くもり