自在コラム

⇒ 日常で観察したことや環境問題、金沢大学での見聞、マスメディアとインターネットについての考察を紹介する宇野文夫のコラム

☆新聞の価値、フェイクニュースと戦うこと

2019年10月01日 | ⇒トピック往来

   金沢大学で担当している共通教育科目 「マスメディアと現代を読み解く」(1単位)の授業(全8回)の学生たち75人にマスメディアとの接触度を尋ねるアンケートを行った。アンケートの設問は「あなたは新聞を読みますか 1・毎日読む 2・週に2、3度 3・まったく読まない」。その結果(回答者68人)は「まったく読まない」68%、「週に2、3度」22%、「毎日読む」10%だった。調査を始めた2016年から「まったく読まない」は漸減し、3年間で10ポイント減った。逆に「週に2、3度」は16%から22%に推移して、6ポイント増えている。「毎日読む」も6%から10%だ。数字で見る限り、下げ止まりから反転傾向は浮かんでくる。
 
   とは言え、若い世代で新聞は生活必需品となってはいないのが現状だ。きょうから始まった「消費税10%」だが、新聞は軽減税率が適応され、8%で据え置かれた。軽減税率の対象には「酒類・外食を除く飲食料品」のほかに、「週2回以上発行される新聞(定期購読契約に基づくもの)」が含まれている(国税庁ホームページ)。ただ、同じ新聞でも電子版での購読料は10%になる。アナログが軽減税率で、デジタルが増税、この違いはなぜだ。

   善意に解釈する。活字文化は単なる消費財ではなく「思索のための食料」という考え方がヨーロッパにはあり、新聞に税を課さない国(イギリス、ベルギー、デンマーク、ノルウェー)もある。EU加盟国では標準税率が20%を超えるが、新聞に対する税率を10%以下にしている国は多い。フランスは付加価値税が20%に対し、新聞は2.1%、ドイツは同19%、新聞は7%、イタリアは同22%、新聞は4%だ。

   日本新聞協会はきょう1日付で「消費税軽減税率の適用にあたって」と題して以下のような見解を発表している。以下要約。 

   私たちは報道・言論により民主主義を支え、国民に知識・教養を広く伝える公共財としての新聞の役割が認められたと受け止めています。民主主義の主役である国民が正しい判断を下すには、信頼できる情報を手軽に入手できる環境が必要です。私たちはそう考え、新聞の購読料への課税を最小限にするよう求めてきました。最近では、不確かでゆがめられたフェイクニュースがインターネットを通じて拡散し、世論に影響するようになっています。そうした中で、しっかりとした取材に基づく新聞の正確な記事と責任ある論評の意義は一段と大きくなってい ます。「知識に課税しない」という考えが定着する欧州各国では、新聞、書籍、雑誌の税率を軽減またはゼロにしています。電子新聞に適用する国も相次いでいます。私たちは軽減税率の対象が欧州と同等に拡大されるように、今後も求めてい きます。

   ネット世代の若者たちが読めば、なんとアナログな文脈と思うだろう。「知識に課税しない」はむしろインターネットに適用すべきだと思うのではないか。個人的に言えば、「軽減税率を機に新聞はフェイクニュースと戦う」と宣言してほしい。新聞はフェイクニュースと戦ってこそ存在価値を高めることができる。また、新聞しか戦えないと思う。軽減税率であることの意義をそこに込めたい。(※写真は「Finance Monthly」ホームペ-ジより)

⇒1日(火)夜・金沢の天気      はれ

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☆仮想通貨リブラは世界を変えるのか

2019年09月24日 | ⇒トピック往来

     話題になるお金の話と言えば、ついこの間までは「MMT」だったが、最近は「リブラ」だろうか。先日も金融通の知人からメールが届いた。「キャッシュレス化が進む中国ではデジタル人民元の構想が進んでいるようだ・・・。リブラとガチンコ勝負になるのではないか」と。返信しようとしたが、デジタル人民元はなんとなく想像がつくが、リブラは無学に等しい。そこで、リブラのホームページをチェックすることから始めた。

A simple global currency and financial infrastructure that empowers billions of people. Reinvent money. Transform the global economy. So people everywhere can live better lives.(数十億人に力を与えるシンプルなグローバル通貨と金融インフラ。 お金を改革します。世界経済を変革します。そして、世界中の人々がより良い生活を送ることができます=グーグル翻訳)。単なるキャッシュレス通貨の構想ではなく、世界の金融革命を謳ったミッションがトップページに載っているではないか。

   フェイスブック社(アメリカ・カリフォルニア州)は今年6月18日、「リブラ」の仮想通貨(暗号資産)のサービスを来年2020年に始めると発表した。フェイスブックのユーザーは世界で20億人余りいるとされるので、とてつもない規模の通貨圏を創ることになる。おそらく、グーグル、アップル、アマゾンも黙ってはないだろう。さらなる巨大通貨圏が次々と構築されるのではないか。

   警戒を強めているのは各国の中央銀行だろう。フェイスブック社の発表に鋭く反応したのは、7月17日にフランス・シャンティイで開催されたG7(主要7カ国)の財務相・中銀総裁会議だった。議長を務めるフランスのルメール経済・財務相はリブラについて記者会見で「国家の主権を危険にさらすことはできない」と発言。「会議では、最近のリブラ計画発表を巡る懸念と、緊急の対応が必要との認識が共有された」と語った。各国がどのようにリブラに対応するのか、その方針を報告するよう各国の中央銀行総裁に対して要請が出された(7月18日付・ロイター日本版)。

   そもそもフェイスブック社は仮想通貨を発行するにほどの信頼性があるのかどうか。フェイスブック利用者8700万分のデータがイギリスの選挙コンサルティング会社に流れた事件があった。フェイスブックの検索ボックスにメールアドレスや電話番号を打ち込むことで利用者を互いに検索できるようにする機能を、悪意ある参加者が悪用していたという(2018年4月5日付・BBC日本語版)。「仮想通貨を発行をする前にセキュリティなど居住まいを正すべきだ」など、ユーザーからの声も当然あるだろう。

   もし、国際的な規制を受けながらもリブラが発行されればさまざまなことが起きるだろう。物価上昇が激しい国では現地の通貨がリブラに置き換えられることになるだろう。当然、その国の中央銀行は金融政策の制御を失うことにもなる。リブラはある意味でさまざまな場面での社会変革を起こすかもしれない。デジタル人民元との戦いも見どころかもしれない。ただ、知人への返信は勉強不足でまだ送れていないが。(※写真は、「リブラ」のホームページより)

⇒24日(火)夜・金沢の天気    はれ

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★ラグビーW杯、開幕戦の裏で

2019年09月22日 | ⇒トピック往来

   ラグビーのワールドカップが面白い。20日の東京スタジアムでの日本Vsロシアの開幕戦をテレビの中継で視聴した。最初から見ようと思ってリモコンを入れたわけではない。午後8時過ぎ、たまたま4チャンネル(日本テレビ系)で映っていた。実況アナが「松島幸太朗が逆転トライを決め・・」と選手名を言っているが、映像で見る松島の頭髪や顔が特徴的で「ハーフか」と思ったり、そのほかにもレゲエ風の頭髪の選手やあごひげの選手がいたり、ロシア人選手のタトゥーが気になったりしているうちに、前半が終わった。ラグビーは競技もさることながら、選手たちのキャラクターに醍醐味がある。

   後半では、松島がトライを決め、松田がゴールを決めて、30対10とリードを広げ、日本が初戦を飾った。前半の逆風に耐え、4トライでボーナスポイントも獲得。試合展開もさることながら、選手たちの風貌を見ていて飽きなかった。中継映像では、観客席の秋篠宮ご夫妻、メガネをかけ桜のジャージーを着た安倍総理が何度か写し出されていた。

   21日付の韓国の中央日報Web版をチェックすると、サムスン電子副会長の李在鎔氏51歳もこのラグビーW杯の開会式に出席し、開幕戦を観戦していたようだ。李氏はラグビーW杯の組織委員長を務める御手洗富士夫氏(キヤノン会長)から招待を受けたようだ(同紙Web版)。

   試合を観戦していた李氏の心中は穏やかではなかっただろう。先月(8月)29日、韓国の大法院(日本の最高裁)は執行猶予付きだったソウル高裁の二審判決を覆し、高裁に差し戻している。サムスンによる贈収賄事件で、朴槿恵大統領と旧知の崔順実氏に対し、馬3頭分を新たに含めて李氏が86億ウオンの賄賂を贈ったと大法院が判断した。韓国の国内法(特定経済犯罪加重処罰等に関する法律)では50億ウオン以上は執行猶予がつかないので、実刑が事実上確定したような状態だ。

         李氏の日本訪問は7月に日本政府がフッ化水素、フォトレジスト、フッ化ポリイミドの素材3品目に対する輸出規制に入った直後以来で、2ヵ月ぶりとなる。今年5月にも李氏は東京で移動通信事業者のNTTドコモとKDDIの経営陣に会った。当時サムスン電子は「日本国内の通信会社1・2位事業者と2020年の日本国内5Gサービス拡大とサービス定着のための相互協力を強化することにした」という報道資料を出した(同紙Web版)。この記事からも、日本と韓国の関係が悪化する中で、李氏は日本企業とのパイプをつなぎとめるために行動していることが分かる。

   ひょっとして、今回のW杯観戦は身柄が拘束される前に日本の関係者にしばし別れのあいさつに来たのではないか。御手洗氏もそれを承知で招待したのではないか。そんなふうに憶測すると、財閥企業のトップとは言え、政権に翻弄される姿がなんだか切ない。

⇒22日(日)夜・金沢の天気      あめ

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☆積乱雲の怖さ

2019年09月09日 | ⇒トピック往来

  関東を襲った台風15号の影響だろうか、北陸も午前中から気温が30度以上の真夏日になった。歩いているだけで熱中症になるのではないかと思ってしまうほど。金沢市で33度、能登半島の輪島市で32度と平年を5度上回る、厳しい残暑だった。

  写真は正午ごろ、金沢市内の道路を走っていて、信号待ちで撮影した。積乱雲がまるでヨーロッパアルプスの最高峰、モンブランのように見えた。上昇気流の影響で鉛直方向へ発達し、雲頂が成層圏下部に達したかのような巨大な雲だった。神々しさと同時に不気味さも感じた。

  積乱雲には気を付けたい。もう11年も前のことだが、「ダウンバースト」という現象が起きた。航空自衛隊がある石川県小松市。2008年7月27日午後3時半ごろ、突風が吹き荒れた。航空自衛隊小松基地が観測した最大風速は35㍍で、「強い台風」の分類だ。このため、神社の高さ4㍍の灯ろうが倒れたり、電柱が倒壊したり、民家70棟の窓ガラスが割れるなど被害が及んだ。このとき、小松基地が発表するのに使った言葉が「ダウンバースト」だった。積乱雲から急激に吹き降ろす下降気流。ダウンバースト、初めて聞いた言葉だった。

  積乱雲の「ガストフロント」も怖い。ダウンバーストと同じ27日、福井県敦賀市や滋賀県彦根市でその現象は起きた。午後1時ごろ、最大瞬間風速21㍍余り。敦賀では「西の空が急に暗くなって雨が強くなって、突風がきた」。このため、イベントの大型テントが横倒しになった。福井地方気象台では突風の原因を「ガストフロント」と説明した。非常に発達した積乱雲が成熟期から衰退期かけて発生する雨と風の現象。小型の寒冷前線のようなものでその線に沿って突風が吹く。つまり、北陸に前線が停滞し積乱雲が発生、ガストフロント現象が起き、その前線となった金沢では豪雨が、小松、敦賀、彦根では風速21㍍から35㍍のダウンバーストが発生したのだ。

  こうした嵐は想定外の規模でやってくる。日本だけではない。この年の5月に訪れたドイツで、シュバルツバルトの森が季節はずれの大嵐で1万㌶もの森がなぎ倒された現場をこの目で見た。地球環境学者のレスター・ブラウン氏は著書『プランB3.0』でこう述べている。「温暖化がもたらす脅威は何も海面の上昇だけではない。海面温度が上昇すれば、より多くのエネルギーが大気中に広がり、暴風雨の破壊力が増すことになる。破壊力を増した強力な暴風雨と海面の上昇が組み合わされば、大災害につながる恐れがある」と。レスター氏の警鐘が聞こえる。

⇒9日(月)夜・金沢の天気      はれ

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★茶道とアポロ11号の月面着陸

2019年09月08日 | ⇒トピック往来

  1969年7月21日(日本時間)、アポロ11号のアームストロング船長が月面に第一歩を記したとき、私は中学3年生だった。当時テレビは38万㌔先の月面の画像をリアルタイムに映し出していた。「偉大な一歩」の映像は脳裏に刻まれている。私の知り合いは、新聞の「地球人が月に立った」の見出しに衝撃を受け、それ以来、ずっと新聞の切り抜きを続けている。「地球人」という言葉の新鮮さと大局観に、「世界を読み解こう」という感性にスイッチが入った、と言っていた。月面の第一歩はさまざまな人と分野に波及した。きょう8日、金沢市宝町の曹洞宗「宝円(ほうえん)寺」で催された「月印(げついん)茶会」もその一つだ。

  茶会は午前7時から、表千家同門会石川県支部の主催で開かれた。アポロ11号が月面着陸したのを記念して、1969年のその年に始まり、毎年この時期に開催を重ねて半世紀、今回が第51回目となる。茶会発足の趣意に合わせ、月や宇宙にちなんだ茶道具が用意された。待ち合わせの場所である寄付(よりつき)の掛け軸は色紙「月知天下秋(月は天下の秋を知る)」=写真・上=が掲げられていた。禅語で、月は自らがもっとも美しく輝くことができる秋を知っている、と解釈している。太古より万物は少しも変わることなく絶えず働き続けている。ただ無心である、と。そのほか、茶席では月をイメージした茶碗もあった。

  では、茶道とアポロ11号の月面着陸はどんな関係があるのか。茶席には円相(えんそう)の掛け軸=写真・下=がよく用いられる。円相は絵なのか、それとも文字なのか分かりにくいが、禅宗の教えの一つとされる。円は欠けることのない無限を表現する、つまり宇宙を表している、と。茶の道も同じで、物事にとらわれず、純粋に精進することが茶の湯の道である、と。茶を点てるだけでなく、支度や片付け、掃除にいたるまでが一つの円のようにつながっている。

   千利休の口伝書とされる『南方録』には「水を運び、薪をとり、湯をわかし、茶を点てて仏に供え、人に施し、吾ものみ、花をたて香をたく、皆々仏祖の行いのあとを学ぶなり」とある。雑念を払い、ひたすら無限の境地で、自らの心を円相とせよ、それが茶の道の心得であると教えている。もちろん、ここで言う宇宙とは、互いに心の交わりを楽しむ「小宇宙」の空間ではある。その心の宇宙の象徴が満月、見事な円なのである。月印茶会の感想を取りとめもなく書いてしまった。

⇒8日(日)午後・金沢の天気     はれ

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☆タカサゴユリは敵か味方か

2019年08月22日 | ⇒トピック往来

   わが家の庭にタカサゴユリ(高砂ユリ)が咲き始めた。「立てば芍薬(シャクヤク)、座れば牡丹(ボタン)、歩く姿は百合(ユリ)の花」の花の美しさは見事だ。ヤマユリのような高貴な香りはないが、人目をひく花だ。

    タカサゴユリをよく見かけるのは斜面地で、日陰でも日なたでも同じように咲いている。肥料分の少ない斜面地でもすくすくと繁殖するチカラ強い植物である。植えた覚えはないので、おそらく種子が風に乗ってやっきて、わが家に落ちて育ったのだろう。旧盆が過ぎたこの時節は花の少ない季節で、茶花として重宝している。雑草の力強さ、そして床の間を飾る華麗さ。なんとも、したたかなタカサゴユリではないか。 

    しかし、立場が異なればタカサゴユリは外敵、目の敵だ。国立研究開発法人「国立環境研究所」のホームページには「侵入生物データベース」の中で記載されている。侵入生物、まるでエイリアンのようなイメージだ。これによると「和名」はタカサゴユリ、 ホソバテッポウユリ、 タイワンユリ、「学名」はLilium formosanum、「英名」はFormosa lilyだ。「自然分布」は台湾で、「生息環境」は荒地、道端、堤防、高速道路法面、温度選好性、亜熱帯~温帯とある。「繁殖生態」は風媒花、自家受粉可、種子を大量に風散布、 繁殖期:花期は7~9月。ここからが敵対的な表現だ。「生態的特性」として、日当たりの良い法面や道路わき、空き地などに侵入する、とある。「侵入経路」として、観賞用として導入、高速道路法面などでよく見かけるようになった、と。「侵入年代」は1923~1924年、「影響」として、在来種と競合、ウイルス媒介、交雑、影響を受ける生物:在来植物とある。

    「防除方法」は緑化資材にしない、抜き取り刈り取り。面白いのは「備考」だ。「近年各地で繁茂しているが花がきれいなためなかなか駆除されない。少なくとも外来種であることを周知する必要がある」と。そのきれいな容姿に国民はだまされてはいけない。「侵入生物」であることをもっと宣伝して駆除せねば、との苦々しい思いが伝わる文章ではある。

⇒22日(木)午前・石川県珠洲市の天気     あめ     

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☆夏の甲子園、星稜レジェンド

2019年08月19日 | ⇒トピック往来

   竹を割るときは、ナタで最初の一節を勢いよく割ると、後は一気に割れていく。これを「破竹の勢い」と言う。甲子園球場で行われている夏の甲子園(第101回全国高校野球選手権大会)準々決勝、金沢市の星稜高校はきのう18日、4本のホームランと22安打で仙台育英を17対1で下し、20日の準決勝にコマを進めた。前日17日の三回戦では智弁和歌山に延長14回でサヨナラ勝ちをしていて、まさに破竹の勢いでの連勝だ。

   これまでの星稜は敗れて伝説を残してきた。40年前、1979年の第61回大会の三回戦で延長18回の死闘を箕島(和歌山)と演じ、敗れた。箕島はこの年の春のセンバツ大会で優勝していて、まさに春夏連覇がかかっていた。その箕島を最も苦しめた存在としての星稜だった。もう一つ、負けて名を上げた試合が1992年の第74回大会の二回戦の明徳義塾(高知)戦。星稜の4番・松井秀喜選手に対しては5打席連続の敬遠だった。松井選手は春夏含め4回甲子園出場で、高校時代の公式試合でホームラン60本を放っていた「怪物」だった。朝日放送の実況アナウンサーが「勝負はしません」と声を張り上げた。連続5敬遠が彼の名を一躍全国区に押し上げた。

   このとき、私は金沢のテレビ局で報道デスクをしていて、高校野球において勝利至上主義でよいのかとのテーマで特集を何度か組んだ。松井選手が逆境に強いとの印象を持ったのもこのころだった。父親の昌雄氏に何度か取材した。息子にこう言い聞かせて育てたそうだ。「努力できることが才能だ」と。無理するなコツコツ努力せよ、才能があるからこそ努力ができるんだ、と。松井選手がプロ入りしてから、ホームランの数より、むしろ連続出場記録にこだわったのも、プロとは本来、出場記録なのだと見抜いていたからなのだろう。

   それにしても高校野球は何かと話題を提供してくれる。夏の高校野球の岩手大会決勝で、県立大船渡の163㌔の右腕投手が肘の違和感を訴えていたので、監督が登板を回避した。球場では怒りのヤジが飛び交い、学校にまで抗議電話が殺到した。安全確保か勝負をさせるか、その是非が議論が今でもくすぶっている。話が横にそれた。星稜がベスト4に入ったのは1995年の第77回大会で、24年ぶりだ。20日は中京学院大中京(岐阜)との戦い。星稜には新たなレジェンドをつくってほしいと願う。(※写真は、星稜のベスト4入りを報じる19日付の朝刊各紙)

⇒19日(月)朝・金沢の天気    はれ 

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★熱く不気味な「8月15日」の光景

2019年08月15日 | ⇒トピック往来

    それにしても風が熱い。台風10号の接近でフェーン現象の影響で金沢は猛暑だ。能登半島の中ほどにある志賀町では午後2時ごろ、石川県内で観測史上最高となる40度を記録したと先ほどテレビが報じていた。このニュースを聞いて、きょう夕方からの庭の草むしりはやめにした。この危険な暑さで熱中症になろうものなら、「いい年をして、身の程知らず」と言われそうだ。

    熱波の次は大雨になりそうだ。台風10号が日本海に出て、きょう夜からあす16日昼前にかけて、雷をともなって激しいく雨が降る見込み。あす午前6時までに加賀地方で150㍉、能登地方で120㍉の予想。その後、さらに17日午前6時までの24時間に降る雨の量は加賀・能登ともに100から150㍉の見込み、とニュースは伝えている。ちょっと待てよ、17日は学生たち40人と輪島市の黒島天領祭という祭りに参加する予定でいる。豪華絢爛な曳山が街を練る祭りだ。台風よ早く去れ、と心で念じている。

     台風も気になるが、終戦の日の「8月15日」も気になる。政府主催の全国戦没者追悼式(東京・日本武道館)で、安倍総理は「いまだ帰還を果たされていない多くのご遺骨のことも決して忘れません」「戦争の惨禍を二度と繰り返さない、この誓いは昭和、平成、令和の時代においても決して変わることはありません」と淡々と式辞を述べた。韓国の文在寅大統領は日本統治からの解放を記念する「光復節」の式典で「今でも日本が対話と協力の道に出てくるなら、我々は喜んで手を握るだろう」と演説した(韓国・中央日報日本語版)。徴用工判決など歴問題は輸出管理厳格化のホワイト国除外で対話を優先をしたいとの演説だろう。

    それにしても、北朝鮮が短距離弾道ミサイルなどの発射を繰り返していることについて文大統領はなぜ触れなかったのだろうか。今月24日に自動更新するかどうかの期限を迎える日本と韓国の安全保障上の協定「GSOMIA」についても何も触れていない。ある意味で不思議な8月15日の光景だ。

    最後は東京株式市場だ。全面安の展開で日経平均株価は前日14日より249円安い2万405円。ラインとされる2万円まであとわずかだ。14日のニューヨーク株式市場ダウが800㌦安い2万5479㌦と、値下がり率が実に3%を超えことが直撃した。世界経済の減速懸念が一段と強まったことが背景にあるが、投資家の心理は冷え込んでいるようだ。(※写真は、15日午前8時ごろの金沢の空。不気味な雲が覆う)

⇒15日(木)夕・金沢の天気     くもり

 

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☆ビートルズ大学 「ハッピ・コート」の衝撃

2019年08月07日 | ⇒トピック往来

    イギリスのロックバンド「ザ・ビートルズ 」が来日したのは1966年6月29日だった。当時小学6年生だった私自身も少なからず影響を受けた。音楽に興味がわいていたころで中学生になり、ブラスバンド部に入った。トロンボーンを始めた。そして、2年生でエレキギターとドラムによる独自のバンドを結成したのだ。バンド名を「Bombs」とした。激しい音を出すので、「爆弾のようなバンドだ」と周囲からなじられ、bomb(爆弾)をバンド名にした。だた、ビートルズのように歌えるボーカルがいなかったので、ザ・ベンチャーズのインストゥルメンタル・サウンドにのめり込んでいった。そんなことを思い出しながら、今月3日に金沢市で開講した「ビートルズ大学」の講義を聴いてきた。

    「学長」は日本におけるビートルズ研究の第一人者で音楽評論家の宮永正隆氏=写真・上=。宮永氏は金沢市出身で、長らくオランダで家族と住んでいたが故郷に戻ることになり、金沢大学のオープンアカデミーの講座として「ビートルズ大学」を開講されることになった。場所はJR金沢駅西口から歩いて3分ほどにある金沢大学駅前サテライトの3階にある。土日祝に開講する。1講座50分で午前から夕方まで開講している。

    開講初日だった3日は午前10時20分から夕方午後5時15分まで、6講座をどっぷりと聴講させてもらった。語りで映像を交えた講義で、この日は40名余りが聴講した。居眠りしている人はいなかった。むしろ、体を揺らしながらビートズルの曲を楽しんでいる人もいた。冒頭のビートルズの来日に関する講座「ビ-トルズ来日学」ではビ-トルズが滞在した5日間のエピソードが語られた。講義の部屋にはビ-トルズが来日したときにJALフォーストクラスで配れらた記念品の扇子(俵屋宗達の画、本阿弥光悦の書)と同じ扇子=写真・下=や、武道館での公演の楽屋で使用されたコーヒーカップなどが展示された。これだけでも、どことなく当時の雰囲気が漂うから不思議だ。

     1966年6月29日午前3時39分に一行は羽田空港に到着した。実は台風の影響で11時間遅れだった。この時、タラップを降りた4人が羽織っていた法被にもエピソードがあった。宮永氏は当時法被を着せたスチュワーデスにインタビューしている。スチュワーデスには降りるときに法被を着せるという特命があった。何しろ「JAL」のネーム入りの法被だ。でも強制的に着せるわけにはいかない。そこで、臨機応変で対応してくれそうな人はジョン・レノンではないかと直感し、本人に「ハッピ・コートを着ていただけませんか」と頼んだところ率先して着てくれ、ほかの3人も追随したのだという。この「ハッピ・コートの演出」で来日のムードが国内でも一気に盛り上がった。

      講義では、こうしたビートルズにまつわる知られざるエピソードを宮永氏が取材し、その意義や音楽シーンに与えた影響について丁寧に語っている。

⇒7日(水)朝・金沢の天気      はれ
    

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★「隠居」という人生の深淵

2019年07月28日 | ⇒トピック往来

  「四畳半で隠居生活を送る」。ひょっとして人生の最高の贅沢かもしれないと思い勉強会に参加した。きょう(28日)富山市で開催された「茶の湯文化にふれる市民講座」(主催:表千家同門会富山県支部)。講師は歴史学者(日本文化史・茶道史)の熊倉功夫氏でテーマは「家元の代替わりと隠居」。昨年2月に表千家が14代家元・而妙斎(じみょうさい)から15代・猶有斎(ゆうゆうさい)に引き継がれたことからこのタイトルになったようだ。家元の隠居はどのような人生スタイルだったのか。

  茶道の流派のうち、三千家(さんせんけ)は表千家・裏千家・武者小路千家を総称する呼び名で、その三千家の祖が千利休の孫の宗旦(そうたん)であることは知られる。祖父の利休が豊臣秀吉により自刃に追い込まれたことから、自らは大名との関わりを避けたといわれる。「懸念(けんねん)の病(やまい)」、いわゆる心配性でノイローゼ状態だったともいわれる。大名というスポンサーがいないので清貧だった。「収入がないので利休の道具を売って暮らしていた」(熊倉氏)。

  その分、宗旦は侘び茶の精神を磨き上げた。隠居生活は4畳半の住まいで、2畳の広さの茶室だった。宗旦が80歳のときに描いた「茶杓絵賛」がある。「チヲハナレ ヤツノトシヨリ シナライテ ヤトセニナレト クラカリハヤミ」(乳離れして、八歳から(茶の湯を)習ってきたが、八十歳になっても、暗がりは闇である)と。茶道の暗中模索の心境が生涯続いたと表現している。

  代は飛ぶが、8代家元・啐啄斎(そくたくさい)は8歳で父の7代・如心斎(じょしんさい)を亡くし、父の高弟たちに家元として必要な知識を教えられた。40代半ばに京都の天明の大火(1788)で伝来道具を残して全てを失い、再興に全力を注ぐことになる。還暦60歳で9代・了々斎(りょうりょうさい)に家元を譲り、宗旦を名乗った。「木槿(むくげ)にも恥す二畳に大あくら」という句を残している。隠居生活は畳が2畳があれば十分だ、「一亭二客」の茶の湯を十分に楽しめると。火災を経験した人物の諦念というものを感じさせる。  

   幕末から明治維新という大変革のときに10代・吸江斎(きゅうこうさい)、11代・碌々斎(ろくそくさい)は生きた。吸江斎は幼くして千家に入り、家元を襲名した。大津絵の「鬼の念仏図」というユーモラスなタッチで描かれた絵がある。吸江斎筆の「不苦者有智」が賛がある。「福は内」の当て字である。その意味は「苦しまざる者に智有り」。その意味をかみしめると実に哲学的である。時代を生き抜く知恵があれば不安から解き放たれる、と。吸江斎は38歳で子の碌々斎に代を譲り隠居号・宗旦を名乗るが、43歳でその生涯を閉じる。

    碌々斎は天保8年(1837)に生まれ、19歳で家元を継ぐ。31歳のときに明治維新の時代の大波が押し寄せ、京都から東京に遷都。混沌とした世情の中で茶の湯も苦難の道を歩むことになる。大名というスポンサーを失ったことは言うまでもないが、追い打ちをかけたのが文明開化だった。時代の価値観が和の伝統文化から西洋文明へと向かう。当時の財閥の支援もあったとされるものの、家元は全国を行脚し、神社仏閣などで献茶式を行うことで茶の湯の普及にいそしんだ。この努力が地方の茶人とのコミュニケーションの場を創り出し、茶道復興の道筋をつくる。56歳で隠居して父同様に宗旦を名乗る。しかし、その直後、家元の屋敷が火災に遭う。74歳で生涯を終える。

   講演で聴いた家元の隠居スタイルは実にリアリティのあるものだったが、もちろん、すべてが苦行続きだったわけではないだろう。話は現代に戻る。「生涯現役」という言葉もあり、隠居という言葉自体が時代遅れかもしれない。熊倉氏は講演の最後に「会場のみなさん、楽隠居されてはいかがですか」と参加者に投げかけた。楽をするためにあえて隠居するという考えもあるだろう。また、苦を背負い込んで人生を全うすることこそが人生を楽しむという生き方と考える人もいるだろう。そして最後に「即今(そっこん)」という言葉を付け加えた。「今という瞬間を大切に生きましょう。今日庵、不審庵という茶室名は今を生きてこそという生き方を問うています」。胸に刺さる一言だった。

   で、自身はどうするのか。4畳半の隠居生活で茶を点てる。同好の士が集えばそれでよい。隠居は楽しい。あとは何も考えない、か…。

⇒28日(日)夜・金沢の天気    はれ

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