自在コラム

⇒ 日常での観察や大学キャンパスでの見聞、環境や時事問題、メディアとネットの考察などを紹介する宇野文夫のコラム

★大の里「荒れる春場所」制す 次は「綱とり」なるか

2025年03月24日 | ⇒トピック往来

地元石川県津幡町出身の大の里が大関昇進後で初めての優勝を飾った。けさの地元紙は一面を「大の里 3度目Ⅴ」の大見出しで、「来場所綱とり」と横綱昇進を期待している。1面のほかに4面にわたって写真グラフと関連記事を掲載している。もう一紙も「大の里 優勝」の大見出しで、社会面では地元津幡町の「次は横綱」の声を紹介している。

千秋楽はじつにドラマチックな勝利だった。結びの一番で大関・琴櫻と対戦。11勝3敗の大の里は、土俵中央で琴櫻に激しくぶつかり、そのまま土俵際まで追い込んで寄り切りで勝ち。そして、12勝3敗で並んだ前頭4枚目の高安との優勝決定戦に。大の里は、高安にまわしを取られて重心を崩されたものの、立てなおして送り出しで勝った。3場所ぶり3回目の賜杯を手にした。

それにしても「荒れる春場所」だった。10日目で1敗で優勝争いのトップに並ぶ大の里と髙安が激突。大の里の投げは髙安を呼び込む形になり、髙安が体を預けながら寄り切った。「勝ち急いだ。焦りました」と大の里は苦り切った顔でインタビューに応じていた。13日目で大の里は王鵬の押し出しに敗れ、3敗に後退。13日目を終わって、2敗で高安が単独トップに立ち、3敗の大の里が追うことに。高安は大関経験者でもあり、14日目には初優勝を決めるのかと思われていたが、平幕の美ノ海に敗れて3敗に。大の里が大栄翔に押し出しで勝って3敗に踏みとどまった。大の里と高安は3敗で並んで千秋楽を迎えた。

優勝争いから一歩後退しながらも、再びトップに並び、混戦の場所を制した大の里は24歳。勢いのある風情は2023年夏場所に幕下で初土俵を踏んだときから漂っていた。同じ年の秋場所で十両に昇進したときもずっとざんばら髪だった。2024年の夏場所からはちょんまげで土俵に上がり、同年の秋場所で2回目の優勝を果たして大関昇進を決めた。以降も髪型は変わらず、「ちょんまげ大関」と呼ばれていた。大銀杏の姿を披露したのはことし1月の初場所だった。史上最速と称されたスピード出世に髪の伸びが追いつかなかったのかもしれない。この勢いで「綱とり」に期待したい。

⇒24日(月)午前・金沢の天気   はれ

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☆春の訪れを深紅の花で彩る 金沢で「のとキリシマツツジ」観賞会

2025年03月19日 | ⇒トピック往来

きょう19日午後1時25分ごろ、能登半島西方沖で震源の深さは10㌔、マグニチュード4.7の地震があった。震度4が志賀町、震度3が羽咋市、かほく市、宝達志水町、中能登町だった。能登地方では、2024年11月26日に同じく西方沖を震源とする地震で震度5弱を観測している。志賀町の沖合には複数の海底活断層が並行して走っている。

話は変わる。深紅の花をつける、奥能登の花「のとキリシマツツジ」の観賞会が金沢市のしいのき迎賓館で開催されている。花は満開で目にまぶしい6鉢が並べられている=写真=。能登町の「花の力」プロジェクト実行員会のメンバーの話によると、1ヵ月ほど前から石川県立大学(野々市市)の温室に持ち込み、研究者の協力で開花時期を調整し、満開の状態できのう18日に展示した。

展示されているのは手塩にかけて育てられた「能登あかり」と深紅の「蓑霧島」「本霧島」という3品種。花の色やカタチはそれぞれ異なる。写真・左側の「能登あかり」は推定樹齢100年になる。

奥能登の庭先では4月中ごろから5月中旬にかけて見頃を迎えるが、「花の力」プロジェクト実行員会のメンバーほか地域の有志はこの時季に庭先を開放する「オープンガーデン」を実施し、家々で自慢ののとキリシマツツジの古木や大木が観賞できる。能登半島地震で家々は少なからず被災したものの、庭ののとキリシマツツジはいつものように美しい花を咲かせ、人々の心を和ませてくれる。

⇒19日(水)夜・金沢の天気   くもり

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☆JR金沢駅ドームに能登キリコ 新幹線金沢開業10年と能登復興のシンボルに

2025年03月16日 | ⇒トピック往来

  北陸新幹線の金沢開業は今月14日で10年となった。当時を思い起こすと、その日のマスメディアは新幹線一色だった。朝からテレビはどのチャンネルも中継番組、JR金沢駅周辺の道路では交差点に交通警察官が張り付き、空にはヘリコプターが飛び交うという、一種異様な感じさえした。JR金沢駅周辺は地価が上がり、今もマンションやビルの建設に加え、ホテルの開業が相次いでいる。

  開業10年を迎えた金沢駅前もてなしドームに行くとこれまでにない光景が目を引いた。能登の祭りのキリコだ=写真=。高さ6㍍ほどのキリコで、説明書きには「珠洲市上戸町のキリコ」と紹介されている。上戸のキリコは毎年8月の第一土曜日の地域の祭りに担ぎ出され、鉦や太鼓の響きとともに街中を練り歩く。今回のお披露目は、金沢開業10年のイベントが行われる15日に合わせて、金沢市の呼びかけで珠洲市から出張してきたようだ。それにしてもドームとキリコは風景として悪くない。そして、石川県民はキリコを見ると能登をイメージするので、能登半島地震を忘れてほしくないというメッセージが込められているのかとも思った。

  そのメッセージが込められたキリコ祭りが金沢の中心街で繰り広げられたことがある。去年8月16日にキリコ5基が、ソーレ、エイヤの掛け声とともに担ぎ出され街中を練り歩いた。能登と金沢の神社2社が中心となって企画した、「能登復興祈願キリコ大祭」と銘打った祭礼イベントだった。輪島の神社が能登半島地震で社務所と拝殿の全半壊したため、夏場の大祭の自粛を検討していたところ、ご神体を一時避難で預かっていた金沢の神社からの提案でキリコ祭りが金沢で開催された。担ぎ手には市民や学生、そして輪島市から駆けつけた有志らも参加し、300人が5基のキリコを担いだ。金沢で2次避難している能登の人たちを励まし、能登復興の機運を盛り上げた。

  金沢駅もてなしドームと能登・珠洲のキリコ。北陸新幹線の金沢開業10年を祝うとともに、震災復興をアピールするシンボルとしてこれからもドームで掲げてほしいと願う。

⇒16日(日)夕・金沢の天気    あめ

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☆金沢の春支度の風物詩 雪吊り「ほどき」の作業始まる

2025年03月12日 | ⇒トピック往来

けさは朝から日差しもあり、日中の気温は16度まで上がるとの予報だ。金沢もようやく春らしい陽気に恵まれそうだ。きのうJR金沢駅付近の車で走っていると、冬の間、雪の重みで樹木の枝が折れないよう縄で木を補強する「雪吊り」の取り外し作業が行われていた。雪吊りは冬支度、雪吊り外しは春支度をする金沢の風物詩でもある。

金沢駅東口前の大通りではクロマツの並木で作業が行われていた。その様子をしばらく見学させてもらった。「多変ですね」と声をかけると、作業をする造園業の職人さんは「(縄を)結ぶより解(ほど)く方がずっと楽だよ」と答えてくれた。業界では雪吊り作業を「結ぶ」、雪吊り外しを「解く」と称しているようだ。結ぶ作業は、木の横にモウソウ竹の芯(しん)柱を立て、柱の先頭から縄をたらして枝を吊る。解く作業は、枝に結んだ縄の部分をハサミで切って取り除く=写真=。低い場所の縄の結びは地面から切り落とし、高い枝の縄の結びはハシゴを登り切り落とす。最後に竹の柱を外す。

作業の職人さんと話していると、通りがかったインバウンド観光の人たちが寄ってきて、盛んにカメラのシャッターを押していた。オーストラリアの女性から「まるでアートですね。でもなぜ、このようなことを木に施すのですか」と、同行の通訳を介して尋ねられた職人さんは「冬の間、金沢の雪は湿っていてとても重い。なのでサポートしないと枝が折れる。もう春なので(縄を)外している」と説明した。すると、女性は「Japanese people are kind to trees」と感心した様子だった。

作業が行われていたのは高さ5㍍ほどのクロマツだったが、あの兼六園で随一の枝ぶりを誇る唐崎松には5本の芯柱が立てられ、結ぶ縄の数は800本にも及ぶそうだ。ちなみに、兼六園管理事務所に問い合わせると、あさって14日から兼六園では雪吊りを外す作業が始まり、今月21日の最終日に唐崎松での作業が行われる。

⇒12日(水)午前・金沢天気   くもり時々はれ

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☆大前研一氏が説くAI時代の「新・教育論」 金沢の私学と連携

2025年02月26日 | ⇒トピック往来

  経営戦略のコンサルタントで知られる大前研一氏のメールマガジン『Aoba-BBT BUSINESS REVIEW』 を読ませてもらっていて、何度かこのブログで記事を紹介している。2024年1月19日付で、能登半島地震で水道が断たれた被災地で重宝されている「水再生装置を用いたシャワーセット」を開発したベンチャー企業「WOTA(ウォータ)」(東京)についての記事(同1月12日付)を紹介した。普通のシャワーは100㍑だと2人しか浴びられないが、同社が開発した「WOTA BOX」は100人が浴びられる。このことをテレビで知った大前氏は同社CEOに連絡した。「私が彼に電話をすると、彼はまだ能登におりましたので、私はその施設を一つ寄付するので本当に必要とするところに置いてあげてくれと伝えました」「一刻も早く、彼らの技術で困っている(世界の)多くの人々を助けてくれることを願っています」

  メールマガジンの中では理路整然と酷評するとのイメージがある大前氏だが、被災者の気持ちに寄り添ったこの記事内容に別の一面を見た思いだった。その大前氏が創業した教育関連企業「Aoba-BBT」が金沢市のミッション系スクールとして知られる北陸学院と業務提携を結ぶことになったと、地元メディア各社が報じている。大前氏は1998年に株式会社「ビジネス・ブレークスルー」を設立し、インターネットを介して学ぶオンライン大学やインターナショナルスクール、社会人向けのリスキリング(学び直し)スクールを運営。2023年10月に社名を「Aoba-BBT」として、これまでの社会人向けの実践的マネジメント教育に加え、幼児教育から高等学校課程までの国際教育を加えた。

  北陸学院は1885年に創設された石川県内で歴史ある私立学校で、幼稚園から大学までキリスト教の理念に基づく教育を一貫して行っている=写真・上=。今後、少子化が進む中で生き残り策として、国際的に通用する教育プログラム「国際バカロレア(IB)」を導入するため、グローバル人材の育成に経験豊富なAoba-BBTと業務提携を結ぶことになった。IBを通じて世界を学ぶと同時に、カリキュラムを取得すると海外の大学の入学資格になるメリットもある。

  大前氏はメールマガジン『Aoba-BBT BUSINESS REVIEW』の中で、「新・教育論」と題して述べている=写真・下=。日本の学習指導要領は10年ごとの改変だが、フィンランドなど北欧は3ヵ月ごとに改変している。世界はAI時代になりテンポが速くなっているのに日本の教育はこれでいいのか、と。さらに、偏差値に生徒たちが縛られ、それが自分の人生のように思い込んでしまっていることも多い。21世紀に求められる教育は、AIには再現できない構想力と質問力、そして多様な環境に柔軟に対応するためのリーダーシップだ、と。北陸学院の新たな教育プログラムに大前氏の「新・教育論」のコンセプトが活かされることを期待したい。

⇒26日(水)夜・金沢の天気     くもり

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☆能登で来年トキ放鳥へ 問題は場所選び、地域それぞれにトキへの想い

2025年02月19日 | ⇒トピック往来

  今季2度目の「最強・最長の寒波」はピークはいったん過ぎたようだ。きょうは断続的に雪は降っていたものの、晴れ間ものぞいた。昨夜からきょう夕方の金沢の自宅周辺の積雪は10㌢ほどだろうか。しかし油断大敵で、金沢地方気象台の予報によると、あさって21日から再び強い寒気が流れ込み、3連休にかけて平野部でも大雪になる可能性があるとのこと。春が待ち遠しい。

  残念なこともあった。能登半島の七尾市で温泉旅館を経営する知人がヒートショックで亡くなった。地元メディア各社の報道によると、17日夕方に和倉温泉総湯で入浴中に意識不明の状態で見つかり、急逝した。73歳だった。外の寒気と総湯の湯の温度差から血圧が上昇・降下して、心筋梗塞などが発生したのかもしれない。10数年ほど前、学生たちと「能登スタディツアー」で訪れたのがきっかけで、以降何度かお会いした。前向きな発想をする人で、能登地震で被災した自らの旅館の再建を進めるかたわら、能登の震災復興プロジェクトのリーダーとして旗振り役を担う、存在感のある人だった。冥福を祈る。

  話は変わる。今月15日付のブログで、環境省は国の特別天然記念物トキの能登での放鳥を2026年度上半期をめどに行うことを決めた、と述べた。能登は本州最後の一羽のトキがいたところ。トキの放鳥が来年と決まったことで、テンションを高めているのは石川県庁かも知れない。きょう用事があり県庁に行くと、1階ロビーに「祝 放鳥決定! 令和8年度 能登地域でのトキ放鳥」と大きな懸垂幕が掲げられていた=写真=。懸垂幕の上部にはトキが羽ばたく様子が描かれている。

  環境省では来年6月上旬ごろの放鳥を目指している。これから大きなテーマとなるが細長い能登半島のどこで放鳥するか、だろう。地元メディア各社の報道によると、ことし7月ごろまでに具体的な場所を、県と能登9市町などが選定する。この場所選びが難題だ。

  本州最後の1羽だったオスのトキ、愛称「ノリ(能里)」は1970年1月に能登半島の穴水町で捕獲され、繁殖のため新潟県佐渡のトキ保護センターに送られた。しかし、翌年1971年3月、鳥かごのケージの金網で口ばしを損傷したことが原因で死んでしまう。このような経緯があるので、穴水町では捕獲された場所で放鳥してほしいと主張するだろう。また、半島尖端の珠洲市の粟津地区には10年ほど前から佐渡で放鳥されたトキが飛来している。半島の中ほどにある眉丈山はため池が多くあり、ふもと中能登町や羽咋市には水田が広がる。1961年の記録で5羽のトキが確認されている。志賀町には毎年コウノトリが飛来して営巣が確認されているので、トキにも来てほしいとの想いがあるだろう。能登の人たちには地域それぞれにトキに対する思い入れがある。

  放鳥場所をどう選定していくのか。去年元日の地震で道に切れが入り、餌場とする水田に水を供給するパイプラインが破裂したところも相当ある。県のテンションの高さをリーダーシップとして、トキ放鳥の場所選定に活用してほしいものだ。

⇒19日(水)夜・金沢の天気    ゆき

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☆「トキが舞う能登」を震災復興のシンボルに 環境省が本州で初の放鳥へ

2025年02月15日 | ⇒トピック往来

  きょうの金沢は朝から晴天。予報だと、気温は10度まで上がった。そして、あす16日はさらに12度まで。雪国に住んでいるとうれしくなる数値だ。雪が溶けるから。朝8時ごろ、近所の人が一人、二人と出てきて、「積み雪くずし」が始まった。玄関の前などの除雪で積み上げた雪を今度は崩す作業だ。気温が10度に上がっても、積み上げた雪はそう簡単に溶けない。なので、スコップを入れてカタチを崩すことで、空気の熱が雪の表面に広く伝わり、溶けるのを加速させる。あるいは、太陽光で熱を帯びたコンクリートやアスファルトの表面に崩した雪を散らす。雪を溶かす作業は意外と楽しめる。

  話は変わる。環境省はきのうトキ野生復帰検討会を開催し、国の特別天然記念物のトキの放鳥を2026年度上半期をめどに能登地域で行うことを決めた(14日付・環境省公式サイト「報道発表資料」)。本州でのトキの放鳥は初めてとなる。環境省は本州における「トキと共生する里地づくり取組地域」にを目指す自治体を2022年度に公募し、能登と島根県出雲市の2地域を選定していた。今回のトキ野生復帰検討会で能登が野生復帰をするに足るだけの自然的、社会的環境と地域体制が着実に整備されていると認め、来年度の放鳥が正式に決まった。(※写真は、輪島市三井町洲衛の空を舞うトキ=1957年、岩田秀男氏撮影)

  能登でのトキ放鳥は深いつながりがある。かつて、「本州で最後の一羽」と呼ばれたトキが能登にいた。「能里(のり)」という愛称で呼ばれていた。オス鳥だった。能登には大きな河川がなく、山の中腹にため池をつくり、田んぼの水を蓄えていた。そのため池にはトキが大好物のドジョウやカエルなどなどが豊富にいた。能登半島の中ほどにある眉丈山では、1961年に5羽のトキが確認されている。そのころ、田んぼでついばむエサが農薬にまみれていた。このため、1970年に能里が本州で最後の一羽となる。当時、新潟県佐渡には環境省のトキ保護センターが設置させていて、能里は人工繁殖のために佐渡に送られた。ところが、翌年1971年3月、鳥かごのケージの金網で口ばしを損傷したことが原因で死んでしまう。

  こうしたいきさつから能登ではトキへの思い入れがあり、石川県と能登9市町は環境省の本州でのトキ放鳥に熱心に動いてきた。国連が定める「国際生物多様性の日」である5月22日を「いしかわトキの日」と決め、県民のモチベーションを盛り上げている、県は能登でのトキの放鳥に向けた「ロードマップ」案を独自に作成。トキが生息できる環境整備として700㌶の餌場を確保するため、化学肥料や農薬を使わない水田など「モデル地区」を設けて生き物調査を行い、拡充を図っている。こうした取り組みが環境省で評価され、能登での放鳥の段取りがスムーズに進んだようだ。

  能登半島地震の災害からの復興のために石川県が提示した『創造的復興リーディングプロジェクト』の13の取り組みの中に、「トキが舞う能登の実現」が盛り込まれている。トキが舞う能登を震災復興のシンボルとしたい。その思いが動き出す。

⇒15日(土)夜・金沢の天気     はれ

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☆大の里の大銀杏と化粧まわし 郷土のゲートウェイ飾る新たな等身大パネル

2025年02月13日 | ⇒トピック往来

  JR金沢駅の観光案内所には石川県の郷土力士の等身大パネルが設置されている。そのパネルの一つ、大関の大の里のものがきのう一新されたと地元メディアで報道されていたので、さっそく見に行った。等身大パネルは石川県観光企画課が設置しているもので、JR金沢駅のほか小松空港と能登空港にも置かれている。大の里(津幡町出身)のほか、遠藤(穴水町出身)、輝(七尾市出身)、欧勝海(津幡町出身)のパネルも並んでいる。

  今回新しくなった大の里のパネル=写真・上=と、これまでのパネル=写真・下、去年7月撮影=を比べてみる。大きく2点が異なる。一つは髪型の大銀杏の姿だ。これまでのパネルはざんばら髪だった。2023年12月に展示され、同じ年の秋場所で十両に昇進したときのものだ。2024年の夏場所からはちょんまげで土俵に上がり、同年の秋場所で2回目の優勝を果たして大関昇進を決めた。以降も髪型は変わらず、「ちょんまげ大関」と呼ばれていた。史上最速と称されたスピード出世に髪の伸びが追いつかなかったのかもしれない。大銀杏の姿を披露したのはことし1月の初場所だった。

  前のパネルと異なるもう一つが化粧まわし。これまでのものは青色を基調としたもので、ロゴには「上を目指す」「一番を」などの意味が込められていた。今回のパネルでは、墨絵で描かれたような龍の図柄だ。所属する二所ノ関部屋のX(旧ツイッター)によると、足立美術館に所蔵されている作品で横山大観の『龍興而致雲』(りゅうおこりてくもいたす)。「龍は雲を得て天を目指す」という意味で、乱雲と雷鳴の中でごつごつとした岩肌にもめげず激しい動きを見せる龍の気迫が表現されている作品という。確かに、並んでいる遠藤、輝、欧勝海と比べても、大の里の体は大きく、龍のような力強さを感じさせる。ちなみに大の里の身長は192㌢、体重185㌔だ。大銀杏と化粧まわしで生まれ変わったような力士の姿ではある。

  2023年夏場所に幕下で初土俵を踏み、所要9場所で大関昇進。賜杯を2度抱いて、怒濤のスピード出世。24歳の本人は決して満足してはいないだろう。横綱になって、また新たな等身大パネルが故郷のゲートウェイを飾ることを期待したい。

⇒13日(木)夜・金沢の天気    くもり

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☆江戸時代の能登にタイムスリップ 時空を超えて人々の心根に触れるオペラ

2025年02月02日 | ⇒トピック往来
  『能登奇譚』というオペラを鑑賞してきた。能登を舞台にした初めてのオペラという触れ込みもあり興味がわいた。きょう午後6時から石川県文教会館(金沢市)での2時間余りの公演だった。タイトルの「奇譚(きたん)」という言葉は日常で使う言葉でもないので、辞書やネットで意味を探ると「奇談」「不思議な言い伝え」と出てくる。ますます好奇心がわいて客席に着いた。
 
  時を超えるダイナミックなストーリーだ。主人公の能太(のうた)は不登校がちで頭を金髪に染めた14歳の男子中学生。教室で、今晩はキリコ祭りを見に行こうと話しているうちに気を失って、江戸時代の能登にタイムスリップする。170年余りの時を超えて能登のキリコ祭りで出会ったのが、大飯食らいで江戸に出て横綱になった阿武松緑之介。最初は、飯ばかり食べて相撲が上達しなかったため、親方から「お前は能登に帰れ」と言われ帰途に就く。が、「このままでは死んでも死にきれない」と一念発起して江戸に戻り、ひたすら稽古に励み、「天下に敵なし」と言われた横綱となる。花相撲で故郷に錦を飾った阿武松からそんな話を聞かされる。
 
  そして、「能登の親不知(おやしらず)」で知られた難所、曽々木海岸と真浦の断崖絶壁で道を開いていた麒山和尚と出会う。絶壁の海岸で命を落とす人が多くいた。近くの寺で禅修行をしていた和尚は、「何のために禅修行をしているのか」と悩み続けていたが、53歳のとき「寺で座るのも禅、安全な道を開くのも禅修行」と悟り、開道に必要な浄財集めの托鉢に奔走する。苦難の工事には西洋人の道具(ダイナマイト)を使っている、天狗のチカラを借りているといううわさも聞かされた。
 
  能太は能登に秘められた数々の物語を聴き、教室で目を覚ます。学校の仲間たちがいる。夢を見ていたのかと思ってふと手を見ると、夢の中で占い婆からもらったお守りを握っていた。そして能太の周りには江戸時代の人たちもいた。これでフィナーレとなる。ピアノやフルート、打楽器などによる生の演奏と歌や合唱と芝居が融合したオペラだった。原作と作曲、指揮は金沢在住の木埜下(きのした)大祐氏、そして時代考証は郷土史家の藤平朝雄氏が担当した。時空を超えて結びつく人々の絆と、そして「能登はやさしや土までも」といわれる能登のストーリーが忠実にそして見事に描かれていた。
 
⇒2日(日)夜・金沢の天気   くもり
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☆ 輪島塗の地球儀を万博で展示へ そもそも誰の発想だったのか 

2025年01月26日 | ⇒トピック往来

  前回ブログをチェックしてくれた知人から「日本列島の様子がよく見えない。その部分をアップした画像があったら見せてほしい」とのメールがあった。そこで再度、地球儀の画像を=写真=。パンフレットとビデオの説明によると、漆黒の地球儀に塗られた蒔絵と沈金によると金の明かりの部分は、人工衛星による撮影をベースにして制作されたもの。たとえば能登半島の北部、いわゆる奥能登では明かりの部分は明かりが少ない。また、朝鮮半島の北側の部分も暗くなっている。ここからも、忠実な描写であることが実感できる。

  この地球儀が大阪・関西万博で展示されることになった経緯を地元メディア各社が報じている。今月19日、万博の会場を訪れた石破総理が視察後の会見でこう述べた。「能登の輪島塗、地球儀もきょうはみることはなかったけどもここに来ないと見られないなというものがある。世界中の方々にそういう実感を味わっていただく」と地球儀を万博会場に展示する方針を明らかにした。伝統工芸である輪島塗を世界に発信することで、復興に向けて被災地を勇気づけていくという思いもあるようだ。また、万博協会も、この作品には対立や分断を超えて他者に思いを巡らすという思いが込められてるとして、万博の理念と合致すると判断した。去年12月に万博からの撤退を明らかにしたイランが出展を予定していたパビリオン内に展示する方向で調整しているようだ。

  それにしてもなぜ石破総理は輪島塗の地球儀を知っていたのか。石破氏は総理就任後の初の地方視察として去年10月5日に地震と豪雨の二重被災の輪島市を訪れている。このときに被害を受けた輪島漆芸美術館に立ち寄って地球儀を見学したのだろうか。そこで、きょう午前に同館に電話で確認した。「石破総理が漆芸美術館を訪れて地球儀を見られたことがありますか」と。するとスフッタは「石破さんはまだ来られたことがないです。岸田さんは首相だった去年9月19日に訪れて地球儀も見学されました」と返事だった。

  以下あくまで憶測だ。地球儀を万博で展示するという発想はもともと岸田氏のアイデアだったのではないだろうか。それを何らかのカタチで受け継いだのが石破氏だったのか。それにしても、万博展示を表明した石破氏のコメントは意味不明だった。「地球儀もきょうはみることはなかったけども」の部分だ。これを「自身もこれまで見たことはないけれども」に差し替えると意味が通る。ぜひ、万博展示の提案者として実物をぜひ見に来てほしいものだ。見ずして語るなかれ、だ。

⇒26日(日)夜・金沢の天気    はれ

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