自在コラム

⇒ 日常で観察したことや環境問題、金沢大学での見聞、マスメディアとインターネットについての考察を紹介する宇野文夫のコラム

★2017 ミサ・ソレニムス~6

2017年12月30日 | ⇒ドキュメント回廊
   ことし1年の裁判の判決で憂いているのがNHK受信料をめぐる判決だ。NHKは「最高裁のお墨付き」をもらって優々と未契約世帯に対し「この紋所が見えぬか」と迫っていくだろう。今月6日、NHK受信料制度が契約の自由を保障する憲法に違反するのかどうかが争われた裁判で、最高裁大法廷は合憲と判断した。

     学生・若者のテレビ離れを加速させる判決ではないのか

   前もって述べておくが、私自身の自宅にはテレビがあり、選挙速報や異常気象、災害、地震の情報など民放では速報できないニュースを、NHKがカバーしていると納得している。その公共性の高さを考えれば、放送法64条にあるテレビが自宅に設置されていれば、受信料契約ならびに支払いは社会的にも認められると考えている。

    判決の内容をよく読むと、NHKが契約を求める裁判を起こし、勝訴すれば、契約が成立し、テレビを設置した時点からの受信料を支払わなければならない。つまり、最高裁が出した答えは「義務」と同じだ。納得いかないのは、その義務を親から仕送りをもらって学んでいる学生たちにも課しているという点なのだ。

   学生たちからこんな話をよく聞く。NHKの契約社員という中年男性がアパ-トに来て、「部屋にテレビがありますか」と聞いてきたのでドアを開けた。「テレビはありません」と返答すると、さらに「それでは、パソコンやスマホのワンセグでテレビが見ることができますか」と聞いてきたので、「それは見ることができます」と返答すると、「それだったらNHKと受信契約を結んでくださいと迫ってきた」と。学生は「スマホでNHKは見ていませんよ」と言うと、契約社員は「ワンセグを見ることができればスマホもテレビと同じで、NHKを見ても見なくても受信契約が必要です」と迫ってきた。学生が「親と相談しますから、帰ってください」と言うと、契約社員は「契約しないと法律違反になりますよ」とニコッと笑ってドアを閉めた。親と相談すると法律違反を犯すくらいなら払いなさいと言われ、仕送りにその分を乗せてもうらことになった。

   学生たちは学ぶために親元を離れているのであって、仕送りをしてもらっている。実質的に「同居」だ。会社で働き自活するために親元を離れる「別居」とまったく状況が異なる。NHKが学生たちをさらに追い込む判決が今月27日にあった。ワンセグ機能付きの携帯電話を持つだけでNHKが受信契約を義務づけるのは不当だとして、東京の区議がNHKに契約の無効確認などを求めた訴訟の判決で、東京地裁はワンセグの携帯電話を持っていれば、契約を結ばなければならないと述べ、区議の請求を棄却した。

   使っても使わなくてもスマホにはワンセグのアプリがついている機種が多い。テレビを視聴しようとスマホを求めた訳でもない。ワンセグをめぐる判決は別れている。2016年8月26日のさいたま地裁判決は「受信契約の義務はない」との判断を、ことし5月25日の水戸地裁では「所有者に支払いの義務がある」と判断している。今回でNHKは2勝1敗とり、「NHK受信料払いは義務です。最高裁が判決を出しました。スマホにワンセグがあれば、それも義務です」と学生たちを追い詰めていくNHK契約社員たちの姿が目に浮かぶ。

   この先どのような現象が起きるのか。学生や若者たちのテレビ離れが加速するということだ。自宅にテレビを置かない、スマホの契約時にアプリからワンセグを外す。壮大なテレビ離れ現象がこの先にある。それを憂いている。

⇒30日(土)夜・金沢の天気    くもり
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☆2017 ミサ・ソレニムス~5

2017年12月29日 | ⇒ドキュメント回廊

    前回のブログに引き続き、今年の2つ目のプライベートなチャレンジについて。金沢大学では共通教育科目として「マスメディアと現代を読み解く」「ジャーナリズム論」「能登の世界農業遺産を学ぶスタディ・ツアー」を担当している。最近学生と接していて感じていることなのだが、思慮深い若者が増えている。話していても、アンケートで答えてもらっても、「なるほど。そこまで考えているのか」と思うことがよくある。ただし、それをリポートでまとめる、あるいはディスカッションとなると、この若者の特性が出てこないのだ。「恥ずかしいから」「目立ちたくないから」なのかよく理解できない若者現象がある。

    学生たちに読んでほしい、考えを実装するブログ論

    今月12月に新書『実装的ブログ論―日常的価値観を言語化する』(幻冬舎ルネッサンス新書)を出版した。実は、この本を出版した動機の一つとして、若者たちにブログを書いてほしいという思いがあったからだ。

    著書のタイトルにもある「日常的価値観の言語化」はごく簡単に言えば、自ら日頃考えていること、思うことを言葉として伝えること。ブログを使って文章化して、読み手に自分の考えを伝えることだ。文書の構成は起承転結でなくてもよい。結論を先に持ってくる逆ピラミッド型もありだ。問題は読み手に伝える技術である。言葉に皮膚感覚や、明確な事実関係の構成がなければ伝わらない。実際に見聞きしたこと、肌で感じたこと、地域での暮らしの感覚、日頃自ら学んだことというのは揺るがないものだ。それらは日常で得た自らの価値観なのである。その価値観を持って、思うこと、考えることを自分の言葉で組み立てることが「実装」なのだ。

    ブログを書く作業は、フェイスブックやツイッター、インスタグラムなどのSNSと違って実に孤独だ。ただ、誰にも気兼ねせず、邪魔されずに自分の価値観を言語として実装するには最高の場でもあると実感している。では、ブログ自体の価値はどこにあるのだろうか。ブログ、つまりウェブログ(ウェブ上の記録)は書き溜めである。日々使うことができるブログに一体何を書き溜めるのか。

    私の場合は時事、つまりニュースと関わっていきたいとの思いから「自在コラム」というタイトルで、自らの多様な目線で時評を試みている。新聞やテレビのニュースは読者や視聴者の「最大公約数」を見越して報道される。このメディアの発想はつまるところ東京目線であったり、視聴率至上主義であったりして、私たちの日常的価値観とは相当ブレている。そこをブログで突っ込みたいのだ。

    メディア論の講義では、「ニュースは記事を読むだけではない。ニュースの流れを読めばさらに面白い」と学生たちに説いている。学生たちがこれから社会と関わっていく中で、日々のニュースと接し、自らの価値観や考えをブログに熱く書き込んで、自らのオピニオンとして世に問うてほしいと願っている。ブログは人間成長のツールでもある。(※写真上はジャーナリズム論の講義風景)

⇒29日(金)夜・金沢の天気   あめのちみぞれ

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★2017 ミサ・ソレニムス~4

2017年12月28日 | ⇒ドキュメント回廊

   この1年、プライベートで2つのことにチャレンジした。「挑戦」と日本語表現すると仰々しい感じだが、「課題に取り組んだ」と言った方がよいかもしれない。

    父の遺影を持参しベトナム「戦地」巡礼の4日間

         一つ目の課題は、15年前にさかのぼる。平成14年(2002)8月に父が他界した。亡くなる前「一度仏印に連れて行ってほしい。空の上からでもいい」と病床で懇願された。仏印は戦時中の仏領インドシナ、つまりベトナムのことだ。父の所属した連隊はハノイ、サイゴンと転戦し、フランス軍と戦った。同時に多くの戦友たちを失ってもいる。父はベトナムに亡き戦友たちの慰霊に訪れたかったのだろう。病状は思わしくなかったので、まもなく他界したが、兄弟3人にはその言葉が脳裏に焼き付いていた。11月、父のベトナムへの想いをかなえようと遺影を持参して3泊4日のベトナムの旅に出かけた。

    23日夜、ハノイに到着。24日にハノイから100㌔ほど離れたハナム省モックバック村に向かった。ここに「革命烈士の墓」がある。ベトナムは1954年のディエンビエンフーの戦いでフランスを破り、その後、ベトナム戦争でアメリカを相手に壮絶な戦いを繰り広げた。革命烈士の墓は普段は入口の門の鍵がかかる、まさに聖地なのだ。日本名は分からないが、ベトナム独立のために命を捧げた日本人の墓地があると管理人の女性が案内してくれた。

   では、なぜベトナムの革命烈士の墓になぜ元日本兵の墓があるのか。父が所属したのは歩兵第八十三連隊第六中隊。日本の敗戦色が濃くなった昭和20年1月、それまでハノイに駐屯していた部隊は「明号作戦」と呼ばれた戦いに入る。フランス軍との戦闘で、カンボジアとの国境の町、ロクニンに転戦。ところが、8月15日、敗戦の報をこの地で聞くことになる。終戦処理の占領軍はイギリスがあたり、父の部隊はサイゴンで捕虜となる。

   このころから部隊を逃亡する兵士が続出。その数は600人とも言われている。多くは、ベトナムの解放をスローガンに掲げる現地のゲリラ組織に加わり、再植民地化をもくろむフランス軍との戦いに加わった。中にはベトナム独立同盟(ベトミン)の解放軍の中核として作戦を指揮する元日本兵たちもいた。

   父の想いは仏印という戦地で散った戦友たちへの供養だったろう。そこで、いろいろ調べたが、現地ベトナムでは日本兵の戦死者たちを祀る慰霊碑は見当たらない。そこで、ベトナムのために戦った元日本兵の墓がモックバックにあるとの情報を得て墓参することにした。ベトナムは社会主義の国だが仏教信仰が盛んだ。革命烈士の墓の近くの商店で線香を買い求め、近くに野ギクが自生していたので切って、元日本人の墓に線香と花を手向けた。

   25日、ホーチミン市で父たちが捕虜生活を送った場所を訪ねた。ベトナム戦争を経て、サイゴンからホーチミンへと市の改名がなされたのは1975年5月のこと。ところが、40数年たった今も現地ではサイゴンの方が普通に使われている。現地のガイド氏によると、ホーチミンはベトナム革命を指導した建国の父である指導者、ホー・チ・ミンに由来する。そこで、市名と人名が混同しないように市名を語る場合は「カイフォ・ホーチミン」(ホーチミン市)と言う。それに比べ「サイゴン」は言いやすい。また、生活や文化でサイゴンの独自性があり、市名が替わったからと言って簡単に「サイゴン」という地名が消えるわでもない。

    サイゴンのラジオ局に向かった。父の部隊の捕虜収容所があった場所がかつての「無線台敷地」、現在のラジオ局の周辺だった。生活ぶりはイギリスやフランスの監視兵もおらず、食事も部隊で自炊、外出もできる平常の兵営生活だった。無線台敷地の周囲で畑をつくり、近くの川で魚を釣りながら、戦闘のない日常を楽しんでいたようだ。

   ラジオ局の近くを流れるのはティ・ゲー川。生前父から見せてもらった捕虜生活の写真が数枚あり、その一枚がこの川で魚釣りをしている写真だった。兄弟でこの川の遊覧船に乗った。川面を走る風が頬をなでるようにして流れ、捕虜生活の様子を偲ぶことができた。

   1946年5月、母国への帰還が迫ったころ、部隊に事件が起きる。中隊の少尉ら3人が、ベトナム解放のゲリラ部隊に参加した同僚の兵士たちに部隊に戻り帰国を促す帰順の呼びかけに出かけたまま全員帰らぬ人となった。中隊では「ミイラ取りがミイラになった」と騒然となった。フランスとゲリラの戦闘に巻き込まれたのか定かではない。

   旅の最後に、父たちの部隊が帰還の船に乗り込んだサイゴン港に行った。父からかつて聞いた話だが、乗船の際は一人一人が名前を大声で名乗りタラップを上った。地元民に危害を加えた者がいないか、民衆が見守る中、「首実験」が行われたのだ。父が所属した部隊では幸い「戦犯者」はいなかった。別の部隊では軍属として働いていた地元民にゴボウの煮つけを出したことがある炊事兵が、乗船の際に「あいつはオレらに木の根っこを食わせた」と地元民が叫び、イギリス軍によりタラップから引きづリ降ろされた。そう語る父の残念そうな顔を今でも覚えている。

   父たちがサイゴンの港を出たのは1946年5月2日だった。港を出て行く船を見ていると、父たちの帰還船を見送っているような不思議な感覚になった。まるでタイムマシーンに乗って、港に来たような。「無事日本に帰ってくれてありがとう」と心の中で叫んだ。父は同月13日に鹿児島港に上陸して復員。能登半島に戻り結婚し、1949年に兄が、私は54年に、そして弟は58年に生まれた。

   ベトナム「戦地」巡礼の旅を終え、兄弟は26日に帰国の途に就いた。機体が離陸してベトナムと遠ざかるとき、遺影をそっと窓にかざした。(※写真はハノイの露店の花屋さん。ベトナム人は花好きだ=ガイドのゴックさん提供)

⇒28日(木)午前・金沢の天気    あめ 

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☆2017 ミサ・ソレニムス~3

2017年12月27日 | ⇒ドキュメント回廊

       能登半島の沖合300㌔にある大和堆はスルメイカの好漁場で、日本のEEZ(排他的経済水域)内にある。漁は6月から始まり、例年ならば1月末までが漁期なのだが、石川県漁協に所属する中型イカ釣り漁船14隻は年内で操業を終えることを決めた、と地元紙などが報じている。日本海を漁場とする漁業関係者にとって、今年は北朝鮮に翻弄された1年だったと言っても過言ではない。

       北からのミサイル、違法操業、そして「漂う危険物」

   北からの最初の一撃は3月6日だった。北朝鮮が「スカッドER」と推定される中距離弾道ミサイル弾道ミサイル4発を発射、そのうちの1発が能登半島から北に200㌔の海上に、3発は秋田県男鹿半島の西方の300-350㌔の海上に、いずれも1000㌔㍍上空を飛行して落下した(政府発表)。漁業関係者が大和堆でのイカ漁の準備を始めていたころである。

   北からの二撃は違法操業だ。大量に押しかけてEEZでイカの違法操業する北朝鮮の漁船が問題になった。特に、日本漁船が夜間の集魚灯をつけると、集魚灯の設備もない北朝鮮の木造漁船が近寄ってきて網漁を行う。獲物を横取りするだけでなく、網が日本船のスクリューに絡むと事故になる危険性にさらされた。7月26日、国会内の会議室で「大和堆漁場・違法操業に関する緊急集会」が開かれた。衆院選挙区石川三区(能登)選出の北村茂男代議士の呼びかけで開かれ、関係する国会議員や漁業関係者が参加した。

    質問が集中したのは海上保安庁に対してだった。海上保安庁も巡視船で退去警告や放水で違法操業に対応していたのが、イタチごっこの状態だった。漁業関係者からは「退去警告や放水では逆に相手からなめられる(疎んじられる)」と声が上がった。違法操業の漁船に対して、漁船の立ち入り調査をする臨検、あるいは船長ら乗組員の拿捕といった強い排除行動を実施しないと取り締まりの効果が上がらない、と関係者は苛立ちを募らせ、石川県漁協の組合長が強い排除行動を求める要望書を手渡したのだった。

    言うまでもないが、領海の基線から200㌋(370㌔)までのEEZでは、水産資源は沿岸国に管理権があると国連海洋法条約で定められている。ところが、北朝鮮は条約に加盟していないし、日本と漁業協定も結んでいない。そのような北朝鮮の漁船に排除行動を仕掛けると、北朝鮮が非批准国であることを逆手にとって自らの立場を正当化してくる可能性がある。取り締まる側としてはそこが悩ましいところなのだ。

   そして、三撃は北の木造漁船の漂着や漂流だ。ことし11月以降、能登半島や東北地方の沿岸などで相次ぎ、転覆した木造漁船などはレーダーでも目視でも確認しにくいため、衝突の可能性が出てくる。まさに「漂う危険物」にさらされた。さらに、水難救助法では漂着の木造船を処分するのは自治体と定められている。漂着船の解体には少なくとも数十万円もの経費がかかる。海でも陸でも厄介な代物なのだ。

   北朝鮮の慢性的な食糧不足から国策として漁業を奨励し、「冬季漁獲戦闘」と鼓舞し波の高い冬場も無理して船を出しているようだ。北朝鮮は沿岸付近の漁業権を中国企業に売却しており、漁師たちは遠洋に出ざるを得ない状況に置かれているとも一部で報じられている。冬型の気圧配置、北風で波が高くなるこの時期、いくら食糧確保のためとはいえ、古い木造漁船で出漁を煽るとは、難破の悲劇をわざわざつくり出しているようなものだ。来年もこれが繰り返されるのか。(※写真は11月に能登半島・珠洲市の海岸に漂着した木造漁船)

⇒27日(水)夜・金沢の天気    ゆき

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★2017 ミサ・ソレニムス~2

2017年12月26日 | ⇒ドキュメント回廊
    ことし2017年の流行語大賞(主催・自由国民社)に「インスタ映え」「忖度」の2語が選ばれた。現代の世相を反映する一つの指標ではあるが、個人的には「AI」ではないかと思っている。人工知能、決して新しい言葉ではない。これまでも「第5世代コンピューター」などと称され、連想機能や推論機能などを持つコンピューターの開発が手掛けられた。その後、AIは長足の進歩を遂げ、最近ではAIという言葉を聞かない日はないくらいだ。

     ことし気になった言葉、それはAI=人工知能

    ことし3月、元Googleアメリカ本社副社長兼日本法人代表取締役の村上憲郎氏の講演を聴く機会に恵まれた。話の中でショックだったのは、人がこなしてきた仕事が近い将来、AIに取って代わられるかもしれないということだった。そのポイントが言語処理。「推論機構」という、複雑な前提条件からIf、Then、など言葉のルールを駆使して結論を推論するハードウエアの開発だ。村上氏が述べたAIに取って代わられるかもしれない仕事がたとえば、簿記の仕訳や弁護士の業務を補助するパラリーガルだという。

    AIと連動してIoT(Internet of Things)が進めば、物体(モノ)が通信機能を有し、インターネットに接続し相互に通信することで、自動認識や自動制御、遠隔計測なとどいったこれまになかったイノベーションが起きる。まさに産業革命が訪れると言われている。ビジネスアイデアをアプリケーションとして具体化することで新たな市場が次々と生まれている。かつて言語処理がテーマだったAIが、産業を動かす時代になってきた。

    村上氏の講演にはさらにショックを受けた。スマート・アイ(眼球)やスマート・イヤ(耳)に始まり、「BMI(Brain Machine Interface)もさらに進化するかもしれない」と。人の神経系統とデバイス(機材)の結合で、脳から機材に指令を出すことで、たとえば義手を動かすことができるようになる(スマート義手)。逆に脳にアプロ-チできるデバイスができるようになるかもしれない。他の臓器や肢体が機械に置換される身体の義体化=サイボーグ化が進むかもしれない。そして、「最後に残っていた脳ミソがAIに置き換わった時がアンドロイド(人間型の人工生命体)の誕生になる、との話だった。AIは実にリアリティのある、近未来を読み解くキーワードではないだろうか。

⇒26日(火)午後・金沢の天気   あめときどきあられ

    
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☆2017 ミサ・ソレニムス~1

2017年12月25日 | ⇒ドキュメント回廊

   先日(23日)、年末恒例のベートーベン「荘厳ミサ曲(ミサ・ソレムニス)」のコンサートに出かけた。石川県音楽文化協会が昭和38年(1963)12月に年末公演を始めて開催して、今回は55回の記念公演。当初はベートーベンの「第九交響曲」のみだったが、第7回から別日で「荘厳ミサ曲」を入れて、年末公演は2回に分けて行っている。

     「金色の翼」は能登に何をメッセージとして発したのか

   記念公演と銘打った今回のコンサートでは、イタリアから指揮者とソリストを招いての力のこもった演奏会で、会場の県立音楽堂は1階と2階はほぼ満席の状態だった。午後2時の開演で、思わず身を乗り出したのは、「荘厳ミサ曲」の前で演奏された、歌劇「ナブッコ」より合唱曲「行け、我が想いよ金色の翼に乗って」(ヴェルディ作曲)だった。

    つい、いっしょに歌いたくなるようなインスピレーションが働く。古代、バビロニア王ナブッコがユダヤの国に攻め込み、捕らえられ、強制労働を強いられるユダヤ人たちが故郷を想って歌う合唱曲なのだ。力強く、したたかに、希望を持って、そしてゆっくりと。

   この曲を聴いていて、イメージがことし9月から10月に能登半島・珠洲市で開催された奥能登国際芸術祭で鑑賞したアローラ&カルサディージャ作「船首方位と航路」へとシフトしたのだ。船首に金色の大きなワシのような鳥が付いていて、風によってゆっくり動く彫刻=写真=。その動き方が、不安定な状態でありながらバランスをとりながら、風や重力で上下、左右にまるで「やじろべえ」のよう。その動きのテンポがこの曲とぴったりなのだ。

   そこで仮説を立てた。二人のアーチスト、アローラ&カルサディージャは作品を、この曲「行け、我が想いよ金色の翼に乗って」をモチーフにして創ったのではないか、と。その堂々とした金色の鳥の姿は、能登半島の先端から何かを問いかけるようにして動く。アローラ&カルサディージャが作品に込めたメッセージと何だったのだろうか。

   歌詞にそのメッセージが込められているのではないかと想像をたくましくする。3節目の歌詞。Arpa d'or dei fatidici vati,(運命を予言する預言者の金色の竪琴よ、)、Perché muta dal salice pendi?( 何故黙っている、柳の木に掛けられたまま?)、Le memorie nel petto raccendi,(胸の中の思い出に再び火を点けてくれ)、Ci favella del tempo che fu!(過ぎ去った時を語ってくれ!)

   以下は勝手解釈だ。「能登半島の未来を担う皆さん、すばらしい自然が疲弊しているではないですか。海岸に行けば大量の漂着物、山を見上げれば立ち枯れとヤブ化した森林。なぜ黙っているのですか。自らの環境を守るために再び心の火をつけてほしい、よき能登半島の歴史、そして今、未来を語ってほしい」

   現在、二人はサンファン(プエルトリコ)を拠点に活動している。再び能登に来られたら、「行け、我が想いよ金色の翼に乗って」の曲がモチ-フの作品なのか、と伺ってみたい。「あなたの単なる空想ですよ」と言われそうだが。

⇒25日(月)未明・金沢の天気    あめ

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★トランプ減税、バブルの予感

2017年12月24日 | ⇒メディア時評

    最近の週刊誌で来年は株価急騰すると見出しで煽っている。「『日経平均3万円超え』は6月」(週刊現代12月30日号)や「株価3万円の大台に GDP3%成長も」(週刊エコノミスト12月26日号)、「18年末『3万円』の“強気派”も北朝鮮と中国経済には警戒感」(週刊ダイヤモンド12月30日号)などだ。

    景気拡大は実感できないし、消費も増えているような気配は皮膚感覚として感じられないのに、なぜ週刊誌は「株価3万円だ」と飛ばしているのだろうか。確かに、株価は実体経済の1年から1年半くらいを先読みするものだから、おそらく投資のプロは読み込んでいるのだろう。それにしても素人には理解しがたいと半信半疑になっていたところに、アメリカ発のニュースが目に留まった。新聞メディア各社が伝えている。「トランプ減税、法成立 10年で170兆円規模」(朝日新聞12月24日付)
    
    トランプ大統領が最重要政策に掲げていた、30年ぶりとなる税制改革法案が議会上下院で可決され、大統領が22日ホワイトハウスで署名した。来年1月から法人税率を35%から21%に引き下げる。減税規模は10年間で1.5兆㌦(170兆円)に上るとされる。日本のメディアは、今回の税制改革について、大企業や金持ち優遇でありアメリカの世論調査は過半数が否定と伝えている。しかし、紙面を読み込むと、今回の税制改革は法人税率だけはない。

  アメリカの企業が海外で稼いだ利益にも税を課す「全世界所得課税方式」を廃止し、今後は企業が海外で得た利益の大半についてアメリカの所得税課税からも免除する。さらに、アメリカの企業が海外に留保する利益を本国に戻す際に1回限りの課税を行い、税率は現金・流動資産が15.5%となる。企業の海外で保留する利益を本国アメリカに還流させる狙いだ。これまで、企業は海外子会社から配当を受ける際に35%の高い税率を本国で課せられるため、海外に現金・流動資金を込んでいた。ちなみにその額は2.5兆㌦(280兆円)とも指摘されている。

    これが、今回の税制改革で本国アメリカに大きなうねりとなって還流するかもしれない。資金還流性が実現すれば、アメリカ企業によるM&A(合併・買収)や設備投資が活発化するだろうし、株主への配当増などで株価などの押し上げ効果も期待できる。

    単純計算だが、法人税減税分(10年間)と海外留保資金を合わせると4兆㌦(450兆円)にもなる。アメリカ版「バブル経済」が再びうねるのか。話を冒頭に戻す。日本の株価3万円説はトランプ減税の経済効果を織り込み済み?

⇒24日(日)午後・金沢の天気   くもり

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☆「ラニーニャ」冬将軍来る

2017年12月17日 | ⇒トレンド探査

    能登半島の先端、珠洲市ではこんな観天望気の言い伝えがある。「ユズと柿が豊作の秋は冬が大雪だ」と。確かに今年秋は柿が豊作だ。どこも枝が折れそうなくらいに実っていた。ということは、この冬は大雪なのか、と思っていたところ、気象庁が太平洋の南米ペルー沖の監視水域で海面水温が低い状態が続き、世界的な異常気象の原因となる「ラニーニャ現象」が発生したとみられると監視速報を発表した(今月11日)。

    これは大雪になるぞ、と予感していたが、きょう(17日)北陸は大雪に見舞われた。午前、「のと里山海道」を車で走行したときに、路面が完全に雪に覆われていた。海岸沿いの道路なのだが、対馬暖流の影響でめったに雪は積もらない。点々と4台の乗用車がスリップ事故などを起こしていた。深夜から降り始め、金沢周辺で正午現在で30㌢だ。商店街の街路樹も樹氷と化していた=写真、車内から撮影=。

    帰宅後、さっそく「雪すかし」をした。玄関前の側溝に道路の雪をスコップで落とし込んでいく。それでも、スペースが足りないので、コンクート塀付近に雪を積み上げていく。1時間余りで作業を終えた。でも、雪はしんしんと降っている。この先、どこまで積もるのか。

           気象庁のホームページによると、ラニーニャ現象が発生すると、日本では上空で偏西風が蛇行して寒気が流れ込みやすく冬型の気圧配置が強まり、冬の気温が平年より低くなる傾向があるという。「平成18年(2006)豪雪」では前年の12月から1月にかけて強い冬型の気圧配置が続き、日本海側で記録的な大雪となった、とある。この下りを見て、大雪の記憶が蘇った。2006年1月14日からイタリアのフィレンツェに出張したが、その前日13日が大雪。自宅の屋根雪を夕方から夜中までかかって降ろし、バテ気味で小松空港に向かったことを覚えている。あの昭和38年(1963)の「三八豪雪」もラニーニャ現象と言われている。幼いころの記憶だが、自宅前に落ちた屋根雪で「かまくら」(雪洞)を初めてつくった。

    この2つの思い出だけでも、ラニーニャ現象が本格化するこれからの白い世界に身震いする。「ラニーニャ」冬将軍、いよいよ来たる。来るなら来い。こちらも戦闘態勢だ。「冬来たりなば、春遠からじ」(「If Winter comes, can Spring be far behind ?」イギリスの詩人シェリー「西風に寄せる歌」)という言葉があるではないか。

⇒17日(日)夜・金沢の天気    ゆき

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★白濁りの幸福感

2017年12月16日 | ⇒トピック往来

  「どぶろく」という言葉を見聞きして脳裏に何が浮かぶだろうか。私は「岐阜・白川郷のどぶろく祭り」と「どぶろく裁判」の2つのキーワードを思い浮かべる。

   もう6年前になるが、2011年10月、白川郷の鳩谷八幡神社の「どぶろく祭り」に参加した。杯を400円で購入し、9杯飲んだところで酔いがぐらりと回ってきたことを覚えている。「どぶろく裁判」は、社会運動家の前田俊彦氏(故人)が公然とどぶろくを造り、仲間に飲ませて酒税法違反容疑で起訴され、「憲法で保障された幸福追求の権利だ」と反論し争った。1989年12月、最高裁は「自家生産の禁止は税収確保の見地より行政の裁量内」との判断を示し、前田氏の上告を棄却した。世の中は移り変わり、農業者が自家産米で仕込み、自ら経営する民宿などで提供することを条件に酒造りの免許を取得できる「どぶろく特区」制度が2003年に始まり、今では地域起こしの食文化資源になっている。

    前書きが長くなった。きょう能登半島の中ほどにある中能登町の天日陰比咩(あまひかげひめ)神社で「どぶろく祭り」が初めて開催されると誘いを受けて出かけた。もちろん、ノーカーで。午後6時、神社拝殿では創作の舞や雅楽「越天楽(えてんらく)」など生演奏で始まり、同40分からは三尺玉の花火が冬の夜空に10発上がり、ムードが盛り上がった。拝殿ではどぶろくが振る舞われ、列についた。禰宜(ねぎ)の方は「50年前は全国で43の神社がどぶろくの醸造免許を持っていたが、現在では30社ほどに減りました。造るには手間はかかるのですが、これは神社の伝統ですからね」と語った。ここで小さな紙コップで3杯いただいた。

   社務所に特設された「どぶろくミュージアム」では、醸造方法や江戸時代から続く歴史を示す古文書の内容について解説があった。神社の酒蔵(みくりや)で造られる=写真=。冬場に蒸した酒米に麹、水を混ぜ、熟成するのを待つ。ろ過はしないため白く濁る。「濁り酒」とも呼ばれる。その年の気温によって味やアルコール度数に違いが生じる。暖冬だとアルコール度数が落ち、酸っぱさが増すそうだ。毎年12月5日の新嘗祭で参拝客に振る舞われる。今年はこれまで最高の333㍑を造った。初詣にかけて「どぶろく参拝」が年々増えているそうだ。

   一つ質問をした。「天日陰比咩神社は2千年余りの歴史をもつ延喜式内社ですが、どぶろくは江戸時代から造られていると説明がありました。どぶろくの歴史は浅いような感じがするのですが」と。すると、解説を担当した禰宜の船木清祟さんは「文書の記録として残っているのは江戸期なんです。天正年(1574)の上杉謙信による能登侵攻で社殿は焼失しており、江戸期以前のどぶろく関連の文書がないのです」と。

   神社境内で、農家民宿を経営する田中良夫さんが、自家製のどぶろくを振る舞っていた。「どぶろく 太郎右衛門」というボトルが販売されていたので買い求めた。農薬も化学肥料も使わない自然農法で栽培した酒米「五百万石」で酒麹をつくり、コシヒカリ、酵母、ミネラル分が豊かな井戸水を使用して醸造している。神社のどぶろくより甘味があった。田中さんは「コシヒカリを入れると甘みがつくんです」と。ここで6杯飲んだ。白川郷での経験から9杯で酔いがぐらりと回ってくるので、ここで自ら「お開き」とした。泊まった民宿では白濁りの幸福感に包まれながら爆睡した。

⇒16日(土)夜・中能登町の天気   くもりのち雨

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☆「快楽的持続可能性」

2017年12月12日 | ⇒ランダム書評
   最近よく目にし耳にする言葉に「持続可能性(Sustainability)」がある。私自身よく使う。講義などで「自然と共生するという言葉は持続可能な社会づくりのポイントだ」「国連の持続可能な開発目標(SDGs)は発展途上国のみならず、先進国自身が取り組む普遍的なもの」などなど。しかし、自ら語りながら、その言葉を使うことに若干のわだかまりがないわけでもなかった。

   たとえば、持続可能性を高めるにあたって、国連から「日本は電気、ガソリンを使いすぎる。これでは持続可能な国際社会は創れない。日本人はエネルギー使用量を3分の1に削減すべきだ」といった要求が突きつけられたら、果たして耐えうるだろうか。冬だったら暖房の温度を下げて時間制にする。車も距離制にして乗らない日を設けてひたすらストイックな生活をして持続可能な国際社会に貢献する、といったイメージだ。

    そうなったら日本中で大混乱が起きるだろう。高齢化社会で寒さに耐えることは可能か、車社会の中で通勤はどうなるのか、高度成長前の質素な社会に戻るのか、なぜこそまでして国連に従うのか、と議論は沸騰するだろう。『人類の未来』(吉成真由美編、NHK出版新書)を読んでいて、考えるヒントもらった。「第4章都市とライフスタイルのゆくえ」にある、建築家ビャルケ・インゲルス氏の考察と実践だ。

   彼はインタビューで述べている。「持続可能性というチャレンジを、政治的なジレンマではなくデザイン上のチャレンジとして受け止めとようということです。実際に都市や建物を作るにあたって、持続可能性を実現するために、例えば冷たいシャワーを使わなければならないというような、様々な場面での生活の質を落とした妥協の産物にするのではなく、もっと積極的なアイディアを出して、持続可能な都市はそうでないものよりずっと快適だというふうに発想転換したものです」

   著書では、コペンハーゲン・ハーバー・バス(港を海水浴できる場所に変えるプロジェクト)を事例に、生活の質と環境の質を同時に引き上げることは可能だと説いている。インゲルス氏はそれを「快楽的持続可能性(Hedonistic Sustainability)と表現している。人は課題を突きつけられると、つい比較論で考えてしまう。「日本人は確かに他の国よりエネルギー消費は多いので、少し減らそうか」と。しかし、いったん生活の切り詰めに妥協してしまうと際限がなくなるのが世の常だ。そこを突破するキーワードが快楽的持続可能性ではないだろうか。

   「人類は生活を向上させることこそが進歩だ、日本には省エネで効率のよい生活を送る技術と知恵がある」と言い切って、その技術と知恵を世界に提供すればよいのではないだろうか。快楽的持続可能性、この言葉がわだかまりを解いた。

⇒12日(火)午後・金沢の天気  みぞれ
   
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