自在コラム

⇒ 日常で観察したことや環境問題、金沢大学での見聞、マスメディアとインターネットについての考察を紹介する宇野文夫のコラム

★春の霰(あられ)

2013年04月27日 | ⇒トピック往来
  昨日から金沢では時折、雷が鳴り、荒れ模様の天気となった。そしてきょう27日は先ほど7時50分ごろに激しく「あられ」が降った。数分間だったが叩きつけるような激しい降りだった。金沢地方気象台の気象予報では、きょう27日は、上空に強い寒気を伴う気圧の谷が本州付近を通過するため、石川県では昼前まで雨や雷雨となる所がある、と。

  ゲリラ的な雷雨だったのだろうか、霰(あられ)が降ってきたので、カメラを持って、外に飛び出した。その一枚の写真である。自宅の敷地が一瞬白く覆われた=写真=。まもなく天気が回復して消えた。

  春のあられは何も珍しいことではない。俳句の季語にも登場する。「春の霰(あられ)」のほか、「春の霜(しも)」「春の霙(みぞれ)」など。ただ、不思議なことに、この時期に降るあられは粒が大きく感じる。そして、やっかいなのは木の芽や若葉を傷めることである。先日、モクレン科の受咲大山蓮華(ウケザキオオヤマレンゲ)とバラ科の利休梅(リキュウバイ)の幼木を植えたばかり。木の芽が出ていたので、芽が育つかどうか気がかりになってきた。

⇒27日(土)朝・金沢の天気  雷雨
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☆海女、美のフォルム

2013年04月25日 | ⇒ランダム書評
  「海女さん」が注目されている。今月から始まった、NHKの連続テレビ小説「あまちゃん」は初回視聴率20.1%(ビデオリサーチ・関東地区)で、2006年の「芋たこなんきん」以来の20%超だそうだ。ドラマの舞台は三陸地方の海女の町で、ヒロイン天野アキ(能年玲奈)が海女をめざし、地元のアイドルになって町を元気にしていくという単純なストーリーなのだが、明るくほのぼのとしている。連続テレビ小説と言えば、1週間の間に起承転結があって、暗い場面があるが、その点、この「あまちゃん」は楽しく明るいのだ。

  朝日新聞の書評欄に『海女(あま)のいる風景』(大崎映晋著・自由国民社)=写真=を見つけ、本を書店に注文した。大正9年(1934)生まれで、水中撮影家でもある著者は昭和30年代から全国の海女村に取材に出向き、特に石川県輪島市の舳倉島(へぐらじま)に通い、当時は普通だった裸海女の仕事ぶりを撮影した。その写真が多数収録されているというので、価値があると思い、注文した。当時の裸海女の写真はモノクロではいくつか本がある。ただ、カラー写真はお目にかかったことがない。届いた本の写真は予想通りカラーだった。水中を潜る裸海女の写真は、まるで人魚のような美しさである。それはまったく無駄のない、潜水技術の洗練されたフォルムなのである。素潜りで数分のうちに、岩にへばりついたアワビを見つけ、剥ぎ取るのである。採取ではない、海底でへばりついたアワビと格闘する、まさに自らの命をかけた狩猟なのである。英語での表記は female shell diver だ。

  自分自身も新聞記者時代に舳倉の海女さんたちをルポールタージュ形式で取材した。1983年ごろ、今から30年も前の話になる。いまでも、輪島市では200人余りがいる。もうそのころは『海女(あま)のいる風景』で紹介されているような裸海女ではない。ウエットスーツを着用していた。もちろん素潜りである。そのころ、18㍍の水深を潜ってアワビ漁をしていた海女さんたちがいた。このように深く潜る海女さんたちは「ジョウアマ」あるいは「オオアマ」と呼ばれていた。重りを身に付けているので、これだけ深く潜ると自力で浮上できない。そこで、夫が船上で、命綱からクイクイと引きの合図があるのを待って、妻でもある海女を引き上げるのだ。こうして夫婦2人でアワビ漁をすることを「夫婦船(めおとぶね)」と今でも呼ばれている。

  海女さんから一つ、怖い話を聞いたことがある。アワビが大好物なのは人間だけではない。ウミガメも大好きなのだ。海女さんが採ったアワビをめがけてウミガメが食らいついてくることがある。そんなときは、アワビを捨てて逃げるのだそうだ。アワビが分厚い殻で岩にへばりつくのも、大敵ウミガメから身を守ることだったのだとこのとき知った。

  海女さんという生業(なりわい)は注目されている。2010年6月、「輪島海女採りあわび」「輪島海女採りさざえ」が商標登録された。アワビとサザエの商標登録は国内で初めてだそうで、ブランド化するまでになった。また、ことし10月に輪島市で、全国各地の海女さんたちが集う「海女サミット」が開催されると報じられている。海女の伝統漁法と文化を国連教育科学文化機関(ユネスコ)の無形文化遺産登録を目指している。

  私が知る海女さんたちは実に気高く、人に媚びようとしない。素潜りにより自然と向き合い、共生しながら漁をする海女さんたちの生き様、その知恵がもっと見直されていい。

⇒25日(木)夜・金沢に天気   はれ
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★「里山海道」への道~下

2013年04月18日 | ⇒ドキュメント回廊

   石川県の谷本知事のトップセールが奏功し、国連国際生物多様性年だった2010年のクロージングのイベント(生物多様性条約事務局、日本政府主催)が12月18、19日の両日、石川県で開催された。この国際生物多様性年のキックオフイベントは1月11日にベルリンで、10月18-29日の生物多様性条約第10回締約国会議(COP10)は名古屋市で開催された。石川でのクロージングイベントは締め括りであり、2011年の国際森林年への橋渡しのイベントでもあった=写真・上=。COP10では「SATOYAMAイニシアティブ」が採択され、里山が国際用語として認知された。そして、能登半島がSATOYAMAのエクスカーション(視察旅行)の公認コースになった。

   クロージングイベントの表舞台では、国際イベントが打ち上げられる一方、能登の里山をめぐる別の動きが舞台裏で進行していた。12月17日の締め切りを目指して、農林水産省北陸農政局、石川県庁、能登の8市町の行政マンたちが、国連食糧農業機関(FAO、本部ローマ)に提出する申請書類の準備に追われていた。世界農業遺産(GIAHS=Globally Important Agricultural Heritage Systems)の申請書類である。申請名は「Noto's Satoyama and Satoumi(能登の里山里海)」。

   GIAHS(ジアス)という言葉を私自身が初めて耳にしたのは2010年6月だった。国連大学高等研究所いしかわ・かなざわオペレーティング・ユニットのあん・まくどなるど所長が案内役となって、FAOのパルビス・クーハフカンGIAHS事務局長が能登を視察に訪れた。金沢大学の「能登里山マイスター」養成プログラムの取り組みを案内してほしいと依頼があり、里山と里海の景観が広がる金沢大学能登学舎(珠洲市)や輪島市金蔵(かなくら)地区を回り、古いたたずまいの農家レストランで昼食をご相伴させていただいた。パルビス氏は里山マイスターの授業で取り組んでいる水田での生物多様性実習について説明を受け、能登の田んぼで採集され昆虫の標本を食い入るように見ていたのが印象的だった=写真・中=。この翌日(6月5日)、国連大学の武内和彦副学長(東京大学教授)やパルビス氏、あん所長、中村浩二金沢大学教授、農林水産省北陸農政局の角田豊局長が出席して「里山とGIAHS」をテーマに金沢市文化ホールでワークショップが開催された。この視察とワークショップがGIAHSへのキックオフであり、1年後にGIAHS認定にこぎつけた。

   2011年6月11日、中国・北京。国連食糧農業機関(FAO)主催のGIAHS国際フォーラム3日目、この日は午前9時からGIAHSの認証式=写真・下=があり、新たに日本から申請していた能登4市4町の「能登の里山里海」と佐渡市の「トキと共生する佐渡の里山」のほか、インド・カシミールと中国・貴州省従江の農村の代表にそれぞれ認定書が授与された。同日の夜の懇親会はまるで「世界民謡大会」の様相を呈していた。ホスト国の中国ハニ族の人たちがステージに上がり土地の民謡を歌うと、続いて能登半島・七尾市から武元文平市長に随行してきた市職員が祝い歌「七尾まだら」を披露した。武元氏もステージに上がり手拍子を打った。朗々としたその歌はどこか懐かしい響きがした。そして、ケニア・マサイ族、ナイジェリアの参加者が続々とステージに上がり土地の歌を披露したのだ。最後に佐渡市の高野宏一郎市長が「佐渡おけさ」を歌い、市職員2人が踊り、ステージを締めくくった。会場は盛り上がった。その後、ハニ族の参加者代表が武元氏の元に駆け寄ってきて、「気持ちが通じ合いますね」と握手を求めた。

   能登の里山里海がGIAHS認定された意義は大きい。上述したように、COP10で「SATOYAMAイニシアティブ」が採択され、里山はもはや国際語である。SATOYAMAが海外で広く紹介されたのは1999年のこと。イギリスBBC放送が、NHKのドキュメンタリー番組『映像詩 里山』を動物学者で番組プロデューサーのD・アッテンボロー氏のナレーションで吹き替えて、番組『SATOYAMA』として放送したところ、これが欧米で反響を呼んだ。日本の里山の国際評価として「能登の里山里海」と「トキと共生する佐渡の里山」がある。つまり、日本の里山の代名詞として能登と佐渡がある。

   ところで、GIAHSを直訳すれば「世界重要農業資産システム」である。今は通称「世界農業遺産」と呼ばれている。では、最初にそう呼んだのは誰か。国連大学の武内氏である。「石川県の谷本知事とGIAHSの呼び名について話していて、世界重要農業資産システムだと日本国内ではピンとこない。そこで、世界農業遺産だったら知名度が上がるかもしれないと・・・」(2012年7月17日、佐渡市での第2回生物の多様性を育む農業国際会議の基調講演)。

   里山里海をキーワードに「のと里山海道」の名称の由来を出来事を中心にたどってみた。そして来月5月29日にGIAHS国際フォーラムが能登半島・七尾市の和倉温泉で開催される。新たなGIAHSの認定地などが採択される。同フォーラムは、2007年のローマ、2009年のブエノスアイレス、2011年の北京に続き4回目の開催となる。11ヵ国の認定地の人々が「のと里山海道」を伝って能登のフォーラム会場にやってくる。

⇒18日(木)朝・金沢の天気    はれ

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☆「里山海道」への道~中

2013年04月17日 | ⇒ドキュメント回廊

  能登半島は過疎・高齢化が進み、耕作放棄地も目立っている。追い打ちをかけるように2007年3月25日、能登半島地震(震度6強)が起き、2千もの家屋が全半壊した。能登の地域再生は待ったなしとなった。このタイミングで、文部科学省科学技術振興調整費のプログラム「地域再生人材創出拠点の形成」に申請していた「能登里山マイスター」養成プログラムが採択された。このプログラムのミッションを地域と連携して遂行するため、金沢大学と石川県立大学、そして能登にある輪島市、珠洲市、穴水町、能登町の2市2町の自治体の6者が「地域づくり連携協定」(2007年7月13日)を結び=写真・上=、同年10月に「能登里山マイスター」養成プログラムの開講にこぎ着けた。過疎地で大学できること、それは人材養成、あるいは人材開発しかないという中村浩二教授を中心としたチームのアイデアだった。というより、大学の教員・スタッフができることは地域のニーズに応じたカリキュラムをつくり、教育を施す、これしかないのである。

自治体には受講生の募集業務や、移住してくる受講生の居住の窓口として協力を願った。この地域づくり連携協定の締結によって、「里山」ないし「里山マイスター」の言葉と意味合いがさらに広く認知されるようになる。予想外に、都市圏からの移住者の参加(計14人)もあり62人が修了した。「能登里山マイスター」養成プログラムは5年間で終了したが、連携する自治体からの要望もあり、継続事業として2012年10月、能登「里山里海マイスター」育成プログラムとして再スタートしている。

  2008年、今度は石川県が「里山里海」に身を乗り出してくる。同年4月4日、石川県環境部長、水野裕志氏が中村浩二教授の研究室を訪れた。その内容は、5月28日にドイツのボンで開催される生物多様性条約第9回締約国会議(COP9)のサイドイベントで谷本正憲知事がスピーチを行うチャンスに恵まれた。県としては「里山景観条例」など里山に公益性をもたせるという画期的な内容の条例つくるというアピールを世界に向けて発信したい、と。それに向けて、里山をテーマとしたブレーンストーミングを知事を囲んで行いたいので出席してほしいとの依頼だった。ブレーンストーミングは4月28日午前10時から知事室で行われた。谷本知事は茨城県環境局長など環境畑を経験しており、マツタケの生育環境などについて実に詳しく、中村教授の生物多様性と里山の保全活用に関するレクチャーも熱心にメモをとっていた。

  同じ4月18日、国連大学等研究所いしかわ・かなざわオペレーティング・ユニットが金沢市に開設された。石川県と金沢市が誘致した国連大学高等研究所の拠点施設(世界で6番目、国内初)だ。初代所長に、あん・まくどなるど氏が就任した。そのミッションは、環境と持続可能な開発(特に里山・里海の保全活用、伝統文化の継承など)や人材育成活動である。また当時、国連大学高等研究所を中心に日本の生態学者、行政関係者らによる「日本の里山里海評価(JSSA)」(2007-2010年)の作業行われ、この50-60年間で起きた里山里海の変化について調査、検証をしていた。国連は2005年に地球規模の生態系の現状と今後の変化傾向を科学的に診断した「ミレニアム生態系評価」(MA)を公表しており、その後、世界各域でサブグローバル評価が実施され、JSSAは日本初のサブグローバル評価として注目されていた。石川県はその調査拠点の一つでもあった。

  谷本知事のボン行きは、スピーチだけではなく、トップセールスを兼ねていた。5月24日、開催中だったCOP9の現地事務局に条約事務局長のアフメド・ジョグラフ氏を訪ねた。中村教授がアドバイザ-として、あん所長が通訳としてそれぞれ同行した。知事は、当時名古屋開催がすでに内定していたCOP10での関連会議の開催をぜひ石川にと要請した=写真・中=。あん所長は知事の通訳という立場だったが、身を乗り出して「能登半島にはすばらしいSATOYAMAとSATOUMIがある。一度見に来てほしい」と力説した。このとき、身振り手振りで話すあん所長の右手薬指からポロリと指輪が抜け落ちたのだった。3人の熱心な説明に心が動いたのか、ジョグラフ氏から前向きな返答を得ることができた。27日にはCOP9に訪れた環境省の黒田大三郎審議官(当時)にもCOP10関連会議の誘致を根回し。翌日28日、日本の環境省と国連大学高等研究所が主催するCOP9サイドイベント「日本の里山里海における生物多様性」でスピーチをした谷本知事は「石川の里山里海は世界に誇りうる財産である」と強調し、森林環境税の創設による森林整備、条例の制定、景観の面からの保全など様々な取り組みを展開していくと述べた。同時通訳を介してジョグラフ氏は知事のスピーチに聞き入っていた。ジョグラフ氏の能登視察はその4ヵ月後に実現した。

  ジョグラフ氏が能登を訪れたのは2008年9月16日と17日の1泊2日の旅程だった。名古屋市で開催された第16回アジア太平洋環境会議(エコアジア、9月13日・14日)に出席した後、15日に石川県入りした。初日は能登町の「春蘭の里」、輪島市の千枚田、珠洲市のビオトープと金沢大学の能登学舎、能登町の旅館「百楽荘」で宿泊し、2日目は「のと海洋ふれあいセンター」、輪島の金蔵地区を訪れた。珠洲の休耕田をビオトープとして再生し、子供たちへの環境教育に活用している加藤秀夫氏(当時・小学校長)から説明を受けたジョグラフ氏は「Good job」を連発して、持参したカメラでビオトープを撮影した=写真・下=。ジョグラフ氏も子供たちへの環境教育に熱心で、アジアやアフリカの小学校で植樹する「グリーンウェーブ」を提唱していた。

   能登が印象に残ったのか、ジョグラフ氏がその後、生物多様性の国際会議で能登の取り組みをスピーチの中で紹介しているようだと何度か側聞した。

⇒17日(水)夜・金沢の天気    はれ

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★「里山海道」への道~上

2013年04月14日 | ⇒ドキュメント回廊

   先にこのブログで紹介した、能登有料道路が「のと里山海道」=写真・上=に生まれ変わり2週間がたった。さっそく車で走行した知人たちと話していると、無料化のことより、案外と「のと里山海道(さとやまかいどう)」のネーミングが話題となっている。「季節が冬から春になったせいもあるが、走りの感覚と、里山海道の語感がぴったりとくる」と。全長83㌔は信号機もなく、料金所という停止のバリアもなくなり、時速80㌔での走りは確かに爽快である。

  滑り出しは上々かもしれない。パーキングエリア(PA)がどこもにぎわっている。先日、志雄PAで地域の名物として売り出し中のオムライス弁当を買おうとしたら売り切れていた。西山PAでは、駐車場(収容20台)が満杯で停めることができなかった。逆に、のと里山海道に利用客を奪われた国道249号や159号沿いのレストランやコンビニエンスストアは悲鳴を上げているに違いない。

   ところで、この「のと里山海道」のネーミングの由来にについて考察したい。名称は公募で選定されたものだが、おそらくこのネーミングのモチーフ(主題)にあるのは「能登の里山里海の道」ということだろう。「里」の字の重なりを避け、「海道」を充てることで上手に短縮した。「のと」としたのは「能登里山海道」では漢字ばかり6字も並んで読み難い上、硬いイメージを避けたいとの配慮からか。「能登の里山里海」は間違いなく、2011年6月に国連食糧農業機関(FAO、本部ローマ)によって世界農業遺産(GIAHS、Globally Important Agricultural Heritage Systems)の認定名「Noto's Satoyama and Satoumi」=写真・中=から由来している。

   では、GIAHSの認定名となった「能登の里山里海」についてさらに考えをめぐらす。能登には「農山漁村」はあったが、「里山里海」という概念はなかった。能登に初めて「里山里海」の言葉と概念を持ち込んだのは金沢大学の中村浩二教授だった。今から7年前の2006年10月、能登半島の北端の珠洲市三崎町で「能登半島 里山里海自然学校」という環境保全プロジェクトを中村教授が中心となって立ち上げた=写真・下=。三井物産環境基金の支援資金を得てである。

    生態学者である、中村教授は生物多様性を育む里山や里海という概念に注目していた。里山里海自然学校では、博士研究員が現地に常駐し、地域住民の協力を得ながら生物多様性調査を行うことをメインに、地域の子供たちへの環境教育も実施した。主な取り組みを整理すると3つになる。1)里山里海の生物多様性や人々の生業についての現状調査、2)地域や大学,都市住民のボランティアによる里山里海の保全活動、3)地域の小中学校,高校や大学,地域住民を対象とした環境教育。能登では、単発的に研究者が訪れ調査をしていく、いわゆる「訪問型研究者」による調査研究がされてきた。しかし、里山里海自然学校の設置により、地域社会の中に定住して研究を行う「レジデント型研究者」を置くことになる。これが地域にインパクトを与えた。博士研究員(生態学)が「里山里海自然学校」の名刺を持ち地域と交流を重ねることで、生物多様性を包含した里山里海の言葉の意味が徐々に地域に浸透していくことになる。

   そのインパクトは、学術面でも現れる。博士研究員の専門はキノコ類である。地域の人たちと山歩きをする中で、コノミタケと呼ばれるホウキタケの仲間があり、すき焼きの具材として能登で珍重されていることを知る。鳥取大学の研究者とDNA解析をすること新種であることが分かり、「ラマリア・ノトエンシス(能登のホウキタケ)」(和名:コノミタケ)と学名を付けることになった。現場に足を運んで得られた臨地的研究の一つの成果であり、地域にとっても能登の名が冠せられた学名は誇りともなった。

   活動拠点となったのは旧小学校(小泊小学校)の廃校舎である。かつて地域住民が親しんだ、思い出の詰まる場所だけに、大学の活動拠点という「敷居の高さ」は低くなり、気軽に地域の人たちとの交流の場ともなった。それが地域に活動が浸透していくことに役立った面もある。

⇒14日(日)朝・金沢の天気    はれ

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☆キーパースン

2013年04月13日 | ⇒トピック往来

   きょう13日の朝日新聞の天声人語の書き出しは、ジョージ・オーウェルの『動物農場』だった。豚をはじめとする動物たちが飲んだくれの牧場主に反乱を起こし、解放される。しかし、やがて豚が特権階級となって専制支配を築き、ほかの動物たちを服従させる。アニメや映画にもなった有名な寓話だ。

  オーウェルの意図は旧ソ連のスターリン体制への批判だった。人間の歴史にとって進歩的な動きと見える現象が、時を経て大きなマイナスをもたらしている事実が洋の東西を問わずままある。いまでいえば北朝鮮のこの事態だろう。国内の人民を虐げ、貧困に落とし込んで、周辺国まで恫喝する。人類に苦痛を与えている、と言ってよい。

  哲学者・市井三郎(1922-89)の言葉を思い出す。「歴史の進歩とは、自らに責任のない問題で苦痛を受ける割合が減ることによって実現される」と。北朝鮮の人民は、明らかに自らの責任で苦痛を受けているわけではない。体制側からの圧迫である。脱北者が後を絶たないほどの人々の苦痛、隣国への圧迫、これをいかに減らせばよいのか。

  学生時代に覚えた言葉なので定かではないかが、市井はこうも言っている。「不条理な苦痛を軽減するためには、みずから創造的苦痛を選び取り、その苦痛をわが身にひき受ける人間の存在が不可欠なのである」と。市井はこのような歴史的な転換期、ダイナミズムに決定的な役割を果たす人物のことをキーパースン(key person)と呼んだ。

  周辺国をも圧迫する北朝鮮のこの事態について、苦痛を受ける割合を減らす「歴史の進歩」が必要であるのは言うまでもない。ただ、その苦痛をわが身にひき受けるキーパースンが見当たらない。国内、あるいは国外なのか分からない。国外だとしたらアメリカのオバマ大統領なのか、中国の習近平国家主席なのか、と思いがちだが、意外と国内なのかもしれない。というもの、国外だったら国と国との単なる戦争である。市井が言うような「創造的苦痛を選び取る」国内の人材が不可欠だ。1968年に起こったチェコスロバキアの変革運動「プラハの春」や、2010年から2012年にかけてアラブで発生した反政府、民主化要求、抗議活動「アラブの春」などを先導した指導者たちをイメージする。

  しかし、彼の国では素朴な人間進歩への信仰はすでに崩れて去って、進歩をはかる価値観すら忘れ去れてしまっているかもしれない。話は青臭く、とりとめないものになってしまった。

⇒13日(土)朝・金沢の天気     はれ

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★禍は西の空から

2013年04月11日 | ⇒トピック往来
   禍はどうやら西の空からやってくるようだ。中国大陸から飛んでくる黄砂、そして最近話題の微小粒子状物質「PM2・5」、そして鳥インフルエンザ。さらに、北朝鮮のミサイルだ。金沢市の老舗料亭「大友楼」の「七種(ななくさ)粥」の行事を思い出した。

 大友楼ではセリ(野ぜり)、ナズナ(バチグサ、ペンペン草)、五行=御行(ハハコグサ)、ハコベラ(あきしらげ)、仏の座(オオバコ)、すず菜(蕪)、スズシロ(大根)の七草を台所の七つ道具でたたく。面白いのはその口上だ。「ナンナン、、七草、なずな、唐土の鳥が日本の土地に渡らぬ先にかち合せてボートボトー」と。つまり、旧暦正月6日の晩から7日の朝にかけて唐の国(中国)から海を渡って日本へ悪い病気の種を抱えた鳥が飛んで来て、空から悪疫のもとを降らすというので、この鳥が我家の上に来ない様にとの願いが込められている。「平安時代からの行事とされる」と、加賀藩主の御膳所を代々勤めた大友家の7代目の大友佐俊さんは言う。

 ちなみに、「かち合せてボートボト」と言うのは、金沢の方言で「鳥同士を鉢合わせでドンドンと落とせ」という意味だ。禍や病魔をもたらす「唐土の鳥」とは、昔から西の空からもたらされる、と考えられてきた。

  北朝鮮からのミサイル発射の警戒感が高まる中、大学などの機関にお達しが文部科学省からあった。
1. 万が一、落下物らしき物を発見した場合には、決して近寄らず、警察・消防に連絡すること
2. 万が一、各機関において、落下物等による被害があった場合には、本件連絡先の被害状況連絡先に情報提供すること
1. If you find anything that is possibly a part of the missile, do not go near it, and report to the police and/or fire department
2. If there is any damage at the institution caused by the missile, such as falling missile parts, share the information with the contact office for damage situation

  まさか本当の撃ってこないだろうとの思いはあるものの、日常の微妙な緊張感が醸成されている。「ナンナン、、七草、なずな、唐土の鳥が日本の土地に渡らぬ先にかち合せてボートボトー」。口ずさみたくなる。

⇒11日(木)朝・金沢の天気    くもり

 
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☆少子高齢社会の制度設計

2013年04月07日 | ⇒トピック往来

 能登半島の先端にある珠洲市役所を訪ねると、玄関を入って1階の左手が市民課になっている。その入り口で目に飛び込んでくるのが、市の住民登録人口の表記看板だ。「16,567人」(2月8日現在)。2006年夏に訪れた折は、19,000人ほどだったと記憶しているので、この7年でざっと2,500人の人口減になったことになる。13%減である。「先細り」と言えばそれまでだが、珠洲市の人々が元気をなくしているかと言えば、これは別の話である。

 3月27日公表された厚生労働省国立社会保障・人口問題研究所の「2040年の将来推計人口」データは確かに衝撃的だった。2010年の国勢調査との比較だが、日本は一気に少子・高齢化が進む。石川県内の人口は2010年の国勢調査で117万人だが、2040年には100万人を割り込み97万人に減る。小松市の2つ分の人口に相当する20万人近く減るというのだ。そして冒頭で述べた珠洲市など奥能登の2市2町(輪島市、珠洲市、穴水町、能登町)では、人口がほぼ半減する見通しだ。

 詳しく奥能登の2市2町のケースを見てみる。2010年の国勢調査で2市2町の人口は75,458人だった。今回示された2040年の推計人口は36,889人と、27年間でほぼ半分以下になるとの予想だ。減り方は、2010年を100としたときの指数で能登町45.5、珠洲市45.9、輪島市51.7、穴水町52.2となる。高齢化率の数字がさらに際立つ。65歳以上の高齢者は、珠洲市と能登町は2020年で50%に達し、超高齢社会の現実が浮き彫りになる。

 生産年齢人口(15-64歳)が減少することで、大幅な税収減となり、高齢者をケアする体制づくりも急務となる。さらに2市2町の75歳以上の人口割合は2040年には30%を超える。一方、0-14歳の人口割合は低下が続き、2010年時点の割合は2市2町とも9%だが、2040年には珠洲7.4%、輪島7.6%、穴水6.3%、能登が5.8%の「超少子・高齢化」の予測だ。

 モノには見方というものがある。こうした数字だけを見れば、奥能登は「少子・高齢化のトップランナー」でもある。むしろ、「超少子・高齢化」時代は確実にやってくるのだから、幸福づくり、生きがいづくり、新たな産業の可能性、社会の仕組みの再構成、健診モデルの構築など、超少子・高齢化の社会に向けた制度設計を能登をフィールドに見直したらどうだろう。

 実例を一つ上げる。能登半島の中央、七尾市中島町はカキ貝の産地で知られる。高齢化率33%(2011年3月)。この地域での要介護状態の原因の一つに認知症である。そこで、2004年から地域における認知症の早期発見と予防モデルの構築を目指した金沢大学医学部の調査研究が行われている。大学の医師、心理士らが家庭訪問。脳(もの忘れ)健診で、認知症を早期に発見するシステムを開発している。また、認知症を予防するための運動リハビリや認知リハビリをお年寄りたちに勧める。医師や心理士が率先して体操をして見せ、寸劇でもの忘れ健診の大切さを呼びかける。高齢化社会の到来を先取りして、認知症予防のモデルを確立する取り組みなのだ。

⇒7日(日)朝・金沢の天気   風雨 

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★腑に落ちない

2013年04月02日 | ⇒トピック往来
  元プロ野球選手、松井秀喜氏のホームタウンは石川県能美市にある。私は金沢のテレビ局時代に何度か自宅を取材に訪れた。松井氏が星稜高校時代、「夏の甲子園」石川大会の中継、本大会での取材と夏は松井一色だった。強打者ぶりは「伝説」にもなった。1992年夏の全国高校野球選手権2回戦の明徳義塾(高知)戦で、5打席連続敬遠されて論議を呼んだ。

  高校卒業後の松井は破竹の勢いだった。1992年秋、ドラフト1位で巨人に入団。セ・リーグMVP、ホームラン王、打点王をそれぞれ3度、首位者を1度獲得。2002年オフにフリーエージェント宣言、ヤンキースに移籍した。メジャー挑戦1年目の2003年、本拠地開幕戦で、メジャー1号を満塁弾で決めた。2007年、日本人ではイチロー選手(現ヤンキース)に続いて2人目となる日米通算2000安打を達成した。2009年にはワールドシリーズでは3ホーマーを放ち、シリーズ最優秀選手(MVP)に選ばれた。日本とアメリカで通算507本のホームラン。日本で10年、アメリカで10年、松井選手にとって20年間のプロ野球人生だった。

  その松井氏がプロ野球で一時代を築いた長嶋茂雄氏と同時に国民栄誉賞を受賞することが確実となったと報じられている。両氏は、巨人時代の監督と選手の枠を超えて「師弟関係」にあり、「ミスター&ゴジラ」の国民栄誉賞ダブル受賞。だが、この時期になぜ国民栄誉賞なのか、腑に落ちない。長嶋氏に対してはその功績から、むしろ受賞するのが遅いくらいだろう。松井氏の場合は昨季現役を引退したばかりだ。ほかにふさわしい候補者がいたのではないか、と。

  調べてみると、これまでプロ野球選手として国民栄誉賞に選ばれたのは王貞治氏と衣笠祥雄氏だ。王氏は世界最多の756本塁打、衣笠氏は世界新記録の2131試合連続出場といずれも「世界一」の栄誉を浴している。賞を辞退したイチロー選手(現ヤンキース)も、大リーグでシーズン最多安打はじめ数々の記録を更新している。松井氏の功績もこれに匹敵するのだが、なぜこのタイミングなのか腑に落ちない。長嶋氏だけでもよかったのではないか。

  大リーガーのパイオニア的な存在という点ならば、野茂英雄氏だろう。新人王や2度のノーヒットノーランを達成している。松井氏は大リーグ移籍後、本塁打王や首位打者といった主要な個人タイトルは獲得していない。実績面では野茂氏と松井氏に勝るとも劣らない。

  松井氏の身上は「努力できることが才能だ」。無理するなコツコツ努力せよ、才能があるからこそ努力ができるんだ、と父親かから教わった言葉をそのまま体現した。本人がホームランの数より、連続出場記録にこだわったのもプロとは本来、出場記録なのだと見抜いていたからだろう。野球の天才というより、努力の天才なのだ。ここで国民栄誉賞をもらってしまっては、人生あとがなくなる。

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☆道路の価値

2013年04月01日 | ⇒トピック往来

金沢市から石川県穴水町までの能登半島を走る能登有料道路(82.9㌔)が3月31日正午から無料となった。道路の名称も、「ふるさと紀行 のと里山海道(さとやまかいどう)」として新たなスタートを切った。このほか、能登有料道路から七尾市の和倉温泉方面に向かう田鶴浜道路(4.8㌔)、手取川にまたがる川北大橋有料道路(4.8㌔)も同時にフリーとなった。

  能登有料道路の全線開通は1982年なので満30年となる。これまで片道で普通車1180円、大型車4210円(全線利用)がかかっていた。この道路は、石川県における能登地区と加賀地区の格差是正などを目的に県が建設した。1982年の全線開通以降は、1990年から県道路公社が道路を管理。総事業費625億円のうち、県から同公社への貸付金のうち未償還分の135億円を県が債権放棄するかたちで、無料化が実現した。

  ここで道路の価値というものを考えてみたい。というのも、債権放棄してまで無料化する意味とはどこにあるのか、という点である。新聞各紙が報じている、31日の無料化セレモニーでの谷本正憲知事の発言。「(無料化は)能登に足を運んでいただく交流人口を拡大し、能登から通勤する定住人口を増やす大きな足がかりを得て、企業立地の追い風にもなると思う」。県は独自に試算している。七尾市の横田料金所付近の1日の交通量について、これまでの約6000台から1.6倍増えて約1万台となり、利用増が見込まれる、と。この数字には注意する必要がある。というもの、「利用増」は平行して走る国道159号や249号の利用者が無料になったので機に利用するのであって、利用する新たな人々が増えるとは考えにくい。すなわち、交流人口の拡大とは意味合いが違うのではないか。能登から金沢方面へ通勤することで定住人口が増えるとの発言があったが、これもどうだろう。すでに、国道159号や249号を使って通勤している人はいる。また、企業立地の追い風になればよいが、無料化そのもので立地を決意したという話は聞いたことがない。

  無料化による経済効果は果たしてあるのだろうか。逆に、無料化で能登から金沢方面への買い物客が増え、能登中心に展開する食品スーパーなど小売業が苦境に立たされるのではないかとの報道も目立つ。

  むしろ価値があるのは「のと里山海道」というネーミングではないかと思っている。「里山」という名称の道路名は聞いたことがない。初ではないか。そして海道もなかなか響きが良い。瀬戸内の『しまなみ海道』や『とびしま海道』をほうふつとさせる。能登有料道路では沸かなかったイメージが膨らんでくる。能登半島は2011年6月に国連食糧農業機関(FAO、本部ローマ)によって世界農業遺産(GIAHS、Globally Important Agricultural Heritage Systems)に認定された。その認定名が「Noto's Satoyama and Satoumi」 。つまり、海外から見れば、Satoyama and Satoumiの日本の代名詞が能登となる。そのSatoyama and Satoumiが道路名にも冠せられた、ということになる。そのように解釈すれば、さらにイメージは膨らむ。

  日本海に突き出た能登半島。さまざまな歴史と文化を背負ってきた半島。道路名が変わっただけで、イメージも変われば、これこそ新たな道路価値なのである。ただ、惜しむらくはところどころの道路看板にローマ字表記がほしい。そうすれば、Noto's Satoyama and Satoumiの価値とつながる。

⇒1日(月)朝・金沢の天気    はれ

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