自在コラム

⇒ 日常で観察したことや環境問題、金沢大学での見聞、マスメディアとインターネットについての考察を紹介する宇野文夫のコラム

☆2012ミサ・ソレニムス~8

2012年12月31日 | ⇒ドキュメント回廊
 きょう31日、金沢市内の商店街に買い物に出かけた。BGMは「第九」だった。おそらく日本人ほど第九が好きな民族はいない。その曲をつくった偉大な作曲家ベートーベンを産んだドイツでも、第九は国家的なイベントなどで披露される程度の頻度なのだ。それが、日本では年に160回ほど演奏されているとのデータ(クラシック音楽情報サイト「ぶらあぼ」調べ)がある。これは世界の奇観かもしれない。さらに、その奇観を鮮明にさせた人物がいる。指揮者の岩城宏之(故人)だ。世界で初めて、大晦日にベートーベンのシンフォニーを一番から九番まで一晩で指揮棒を振った人である。しかも2年連続(2004、2005年)。1932年9月生まれ、あのコーヒーのCM「違いの分かる」でも有名になった岩城宏之のことしは生誕80周年だった。

     マエストロ岩城の生誕80周年、「ベートーベンで倒れて本望」の偉業

 岩城さんとの初めての面識は17年も前だった。私のテレビ局(北陸朝日放送)時代、テレビ朝日系列ドキュメンタリー番組「文化の発信って何だ」を制作(1995年4月放送)する際に、オーケストラ・アンサンブル金沢(OEK)の音楽監督で指揮者だった岩城さんにあいさつをした。初めてお会いしたので、「岩城先生、よろしくお願いします」と言うと、ムッとした表情で「ボクはセンセイではありません。指揮者です」と岩城さんから一喝された。そう言えば周囲のオーケストラスタッフは「先生」と呼ばないで、「岩城さん」か「マエストロ」と言っていた。初対面で一発くらわせれたのがきっかけで、私も「岩城さん」あるいは「マエストロ」と呼ばせてもらっていた。

 そのドキュメンタリー番組がきっかけで、足掛け10年ほど北陸朝日放送の「OEKアワー」プロデューサーをつとめた。中でも、モーツアルト全集シリーズ(東京・朝日新聞浜離宮ホール)はシンフォニー41曲をすべて演奏する6年に及ぶシーズとなった。あの一喝で「岩城社中」に仲間入りをさせてもらい、心地よい環境で仕事を続けた。

 「岩城さんの金字塔」と呼ばれるベートーベンの交響曲1番から9番の連続演奏に2年連続でかかわった。2004年12月31日はCS放送の中継配信とドキュメンタリーの制作プロデュースのため。そして翌年1月に北陸朝日放送を退職し、金沢大学に就職してからの2005年12月31日には、この9時間40分に及ぶ世界最大のクラシックコンテンツのインターネット配信(経済産業省「平成17年度地域映像コンテンツのネット配信実証事業」)のコーディネーターとしてかかわった。

 それにしても、ベートーベンの交響曲を1番から9番まで聴くだけでも随分と勇気と体力がいる。そのオーケストラを指揮するとなると、どれほどの体力と精神を消耗することか。2004年10月にお会いしたとき、「なぜ1番から9番までを振るのか」と伺ったところ、岩城さんは「ステージで倒れるかもしれないが、ベートーベンでなら本望」とさらりと。当時、岩城さんは72歳、しかも胃や喉など25回も手術をした人だった。体力的にも限界が近づいている岩城さんになぜそれが可能だったのか。それは「ベートーベンならステージで倒れても本望」という捨て身の気力、OEKの16年で177回もベートーベンの交響曲をこなした経験から体得した呼吸の調整方法と「手の抜き方」(岩城さん)のなせる技だった。

 2005年大晦日の演奏の終了を告げても、大ホールは観客による拍手の嵐だった。観客は一体何に対して拍手をしているのだろうか。これだけのスタンディングオベーションというのはお目にかかったことはなかった。番組ディレクターに聞いた。「何カットあったの」と。「2000カットほどです」と疲れた様子。カットとはカメラの割り振りのこと。演奏に応じて指揮者や演奏者の画面をタイミングよく撮影し切り替える。そのカットが2000もある。ちなみに9番は403カット。演奏時間は70分だから4200秒、割るとほぼ10秒に1回はカメラを切り替えることになる。

 「ベートーベンで倒れて本望」と望んだ岩城さんの願いは叶い、2006年6月に永眠した。インターネット配信では岩城さんに最初で最後の、そして最大にして最高のクラシックコンテンツをプレゼントしてもらったと私はいまでも感謝している。

⇒31日(月)夜・金沢の天気  くもり
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★2012ミサ・ソレニムス~7

2012年12月30日 | ⇒トピック往来

ことし一年で目立った漢字を一字あげるなら、「脱」ではないだろうか。「脱原発」「脱法ハーブ」「脱会派」「脱獄アプリ」「デフレ脱却」など、政治から経済まで幅広く使われている。脱原発は衆院総選挙の公約にも使われた。この「脱」という漢字の意味はいろいろである。好ましくない状態から抜ける(「脱出」)、組織からや仲間から抜ける(「脱退」)、抜け落ちる{脱落})、身に着けてるものを取る(「脱衣」)、含まれているもの・つまっているものを取り除く(「脱臭」「脱水」)、原稿などを仕上げる(「脱稿」)など。では、これはどのような意味で解釈したらよいか。「脱亜」である。

       近隣とどう付き合うか、かみ合わない輔車唇歯の関係

 「近隣外交」という言葉ほど面倒なものはないと、日本人の多くは思っているのではないだろうか。尖閣諸島をめぐる中国側の執拗な動きは連日のように報道されている。「(日本)政府は29日、中国が東シナ海での大陸棚設定について、今月14日に国際機関の大陸棚限界委員会に申請した案を検討しないよう、同委員会に求めた。大陸棚は領海の基線から200カイリまでが基本だが、地形の特徴にもよる。中国は、中国大陸から尖閣諸島を含む沖縄トラフまで大陸棚が自然に延びていると主張。日本は、尖閣諸島が固有の領土であるため全く受け入れられないと表明した。」(12月29日付・朝日新聞ホームページ)

 127年も前、隣国に対する憤りの念を持った人物がいた。福沢諭吉である。主宰する日刊紙「時事新報」(1882年3月創刊)の1面社説にこう書いた。「・・独リ日本の旧套を脱したるのみならず、亜細亜全洲の中に在て新に一機軸を出し・・」(1885年3月16日付、本文はカタカナ漢字表記)。全文2400字に及ぶ概要はこうだ。「日本は明治維新でアジア的な古いあり方を脱ぎ捨て、西洋近時の文明を取り入れた。”脱亜”の主義である。日本にとって不幸なことは、隣の支那(中国)も朝鮮も儒教主義にとらわれ近代化を拒否している。西欧文明が迫っている中で昔のまま変わらず独立を知らない」「日本を含めた3国は地理的にも近く”輔車唇歯(ほしゃしんし)”(お互いに助け合う不可分の関係)の関係だが、今のままでは両国は日本の助けにはならない。西欧諸国から日本が中国、朝鮮と同一視され、日本は無法の国とか陰陽五行の国かと疑われてしまう。これは日本国の一大不幸である」(鈴木隆敏編著『新聞人福澤諭吉に学ぶ~現代に生きる時事新報~』より引用)

 当時、日本は旧態依然とした「アジア的価値観」から抜け出した、つまり「脱亜」を果たした唯一の国だと福沢は評した。そして、輔車唇歯の関係にある隣国とどう付き合っていけばよいかと考えた末に、近隣との付き合いは「謝絶するものなり」と明け透けに述べたのである。その前年、福沢らが支援していた、朝鮮における「維新の志士」金玉均ら独立党が起こした武装蜂起「甲申事変」(1884年12月)が清国軍の介入で鎮圧され、独立党関係者が大量処刑されるといった時代背景があった。単なる傍観者ではなく、朝鮮近代化の思想的な支援活動をしてきた福沢の挫折でもあった。

 では現代における「脱亜」感情とは何か。それは領土問題だろう。領土問題は、イギリスとアイルランド間の北アイルランド問題や、カナダとデンマークが共に領有を主張しているハンス島問題など世界にあまたある。問題は、その解決方法だろう。武力ではなく、どう平和裏に解決するかだ。もちろん、当事国同士での外交で解決されるのが望ましいが、解決することが困難な場合には、国際司法裁判所 (ICJ) への付託ができる。ただし、国際司法裁判所への付託は、紛争当事国の一方が拒否すれば審判を行うことができない。

 前述したように、中国が国際機関の大陸棚限界委員会(CLCS:Commission on the Limits of the Continental Shelf)に、中国大陸から尖閣諸島を含む沖縄トラフまで大陸棚が自然に延びていると申請した。それだったら、同じように、中国は日本が尖閣諸島を実行支配しているのは歴史的にも根拠がないとICJに付託提案を日本にすればよいのではないか。おそらく日本政府は応じる。

 韓国が国際法上の根拠もないまま実効支配している竹島も同様だ。1954年9月、日本は竹島領有権問題のICJへ付託を初めて韓国に提案したが、韓国側は拒否。1962年3月にも日本から付託を提案したがこれも韓国側が拒否。そして、ことし2012年8月10日、韓国の李明博大統領が竹島に上陸したのをきっかけに、同月21日に日本が3度目のICJへの共同提訴を韓国に提案が、韓国側はこれも拒否した。

 局地紛争化するのでなく、国際法に照らして決着するのが「一番すっきりする」と日本人の多くは考える。どのような判定が出されようが、日本はそれに従うだろう。それがルールだからだ。ただ、中国も韓国も領土問題を国際法廷に持ち込まないだろう。「ICJの判事(15人)の中に日本人がいる」などと理由をつけて。現状のままでは日本国内に「脱亜」感情が高まる。

※写真は、福沢諭吉像(慶応義塾大学三田キャンパス)

⇒30日(日)夜・金沢の天気  くもり

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☆2012ミサ・ソレニムス~6

2012年12月29日 | ⇒トピック往来

ニューヨーク在住のプロ野球、松井秀喜選手(38歳)が日本時間の28日、現役引退を発表した。同市内で記者会見した。会見の様子をテレビで見て、印象的だった言葉。「今の心境は」と追われて、「寂しい気持ちとホッとした気持ちと、複雑ですね。まあ、引退ということになるが、自分としては引退という言葉を使いたくはない。草野球の予定もあるし、まだまだプレーしたい(笑)」。正直者の松井選手らしい本音が出たと思った。市内のホテルの一室を借り切った会見は急だったにもかかわらず80人のメディア関係者が集まり、10台以上のテレビカメラが並び各局が生中継した。通訳をつけずに松井本人が1人で日本語で話した。アメリカのメディアの姿も見られ、会見時間は45分間だった。

     「野球の天才というより、努力の天才」 松井秀喜選手の引退

 松井選手のホームタウンは石川県能美市にある。私は金沢のテレビ局時代に何度か自宅を取材に訪れた。松井選手が星稜高校の時代、「夏の甲子園」石川大会の中継、本大会での取材と夏は松井一色だった。強打者ぶりは「伝説」にもなった。1992年夏の全国高校野球選手権2回戦の明徳義塾(高知)戦で、5打席連続敬遠されて論議を呼んだ。

 高校卒業後の松井は破竹の勢いだった。1992年秋、ドラフト1位で巨人に入団。セ・リーグMVP、ホームラン王、打点王をそれぞれ3度、首位者を1度獲得。2002年オフにフリーエージェント宣言、ヤンキースに移籍した。メジャー挑戦1年目の2003年、本拠地開幕戦で、メジャー1号を満塁弾で決めた。2007年、日本人ではイチロー選手(現ヤンキース)に続いて2人目となる日米通算2000安打を達成した。2009年にはワールドシリーズでは3ホーマーを放ち、シリーズ最優秀選手(MVP)に選ばれた。日本とアメリカで通算507本のホームラン。日本で10年、アメリカで10年、松井選手にとって20年間のプロ野球人生だった。

 数々の記録を持つ松井選手だが、彼の記録の真骨頂は何か考えた。2006年5月12日(日本時間)、ヤンキース-レッドソックス戦の1回表の守備で、レフトへの浅い飛球をスライディングキャッチしようとして左手首を負傷、そのまま救急車で病院に向かい、骨折と診断された。これで巨人入団1年目の1993年8月22日から続いていた日米通算の連続試合出場は前日までの1768試合(日本1250試合、米国518試合)でストップした。松井選手の父親、昌雄さんはこう言って息子を育てたそうだ。「努力できることが才能だ」。無理するなコツコツ努力せよ、才能があるからこそ努力ができるんだ、と。ホームランの数より、一見して地味に見える記録だが連続出場記録にこだわったのもプロとは本来、出場記録なのだと見抜いていたからだろう。松井選手は野球の天才というより、努力の天才なのだ。地元紙によると、来年3月に第1子が生まれるそうだ。新たな人生が始まる。

⇒29日(土)朝・金沢の天気   はれ

 

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★2012ミサ・ソレニムス~5

2012年12月28日 | ⇒メディア時評

  この一年、マスメディアは迷走した。印象に残るのは、ことし10月上旬、山中伸弥教授(京都大学)のノーベル賞授賞の発表直後、「ハーバード大客員講師」を名乗る男性がiPS細胞の臨床応用に成功したというニュースを読売新聞などが報じた事件だ。「世界初」のスクープだったのだが、ハーバード大学側は「無関係」とし、手術が行われたことも否定した。これを受けて、読売を始め、共同通信、日経新聞、毎日新聞、日本テレビなどマスメディアは相次いで誤報の検証やおわび記事を掲載した。この話はこれで済んだのか。構造的な問題はないのだろうか。

          iPS細胞の臨床応用の誤報問題を考える

  読売新聞は検証記事(10月26日付)で、「当時の取材は、実験記録や年齢、肩書など確認が不十分だった」など取材の不備を認めた。共同通信も「速報を重視するあまり、専門知識が必要とされる科学分野での確認がしっかりできないまま報じてしまった」という。しかし、これは言い訳にすぎない。報道に「伝えない」という選択肢はなく、伝える以上は裏付けに手を尽くすのが報道機関の使命である。当然、その結果責任はつきまとう。

  こう考える。新聞やテレビの記者は「夜討ち朝駆け」でネタを取る。ネタを取るのにもスピード感が必要で、相手方(ライバル紙)に先んじればスクープとなり、同着ならばデスクにしかられることはない。先を越されれば、「抜かれた」と叱責をくらう。新人記者は警察取材(サツ回り)を通じて、そうトレーニングされて育つ。

 ここに問題が浮かぶ。スクープ記事では匿名が多い。「政府関係者によると」「警察関係者によると」など、これでライバル紙より速ければ許されるのである。裏付けは「二の次」になりがちだ。情報をリークする側も匿名なので、たとえば捜査過程での進捗状況を話すことになる。「警察の○○部長によると」などと名指しはされないので、推察の域を出ないことも話してしまう可能性がある。これが誤報や冤罪を生む土壌となってきた、と言えないか。

 iPS細胞の臨床応用の誤報の問題に話を戻す。この場合、匿名ではなく、実名である。無名の大学の研究者だったら眉唾ものだが、本人は「東京大学」「ハーバード大学」の名刺を持っている。実名を出してよいと本人が言っている、まさか嘘をつくとは思わないだろう。ましてや、読売新聞の場合、本人の研究に関して206年2月から6本のも記事を書いている。ある意味で「常連さん」である。ここに、ノーベル賞授賞の発表直後であり、記事にするタイミングが重なった。編集局では、「それ行け」とアクセルがかかったことは想像に難くない。他社も読売の一面の記事を後追いをした。ここに、裏付け取材という地道な作業が入る余地はなかったのだろう。

 このiPS細胞の臨床応用の取材に関して、専門家と渡り合う知識、自覚や節度はあったのだろうか。お詫び訂正は出したものの、マスメディア側が「あいつに騙された」と思っているならば、誤報は繰り返される。

⇒28日(金)朝・金沢の天気   くもり

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☆2012ミサ・ソレニムス~4

2012年12月27日 | ⇒ランダム書評
 「トカゲのしっぽ切り」という言葉がある。権力者が部下に責任をとらせ、わが身や組織を守ろうとするような行為を指すときに使う。ただ、トカゲの切れたしっぽは、しばらくするとまた生えてくる。切断された部分の近くの神経細胞や皮膚細胞がつくり出すタンパク質が、しっぽを生み出す未分化細胞である芽細胞を刺激し、その形成が促進されるのではないかといわれる。ひょっとしたら傷んだ人間の体も再生できるかもしれない…。

   iPS細胞の競争は、再生医療への「勝者なきマラソン」

 ことし夢と希望と感動を与えてくれた一番の出来事は何かと問われれば、それは、iPS細胞(人工多能性幹細胞)の作製に成功した山中伸弥教授(京都大学)がノーベル医学生理学賞を受賞したこと、と答えたい。先般、朝日新聞科学医療部から本をいただいた。山中教授のiPS細胞開発の経緯や医療応用への課題などをまとめた『iPS細胞大革命 ノーベル賞山中伸弥教授は世界をどう変えるか』(朝日新聞出版)=写真=。その中には、壮大な研究に挑む山中氏の言葉が詰まっている。

 人間にもたった一つだけ、どんな細胞にもなる細胞がある。受精卵だ。1個の受精卵が2個、4個、8個と増殖しながら、骨や皮、筋肉といったいろいろな種類に姿を変えることは、中学時代の生物の授業でも習った。その逆、つまり骨や皮、筋肉が再び受精卵のような何にでもなれる細胞に戻ることはないといわれてきたが、その常識を覆したのが、今回、山中教授と一緒にノーベル賞を受賞したイギリスのジョン・ガードン博士だった。ガートン氏は、オタマジャクシの腸の細胞をカエルの卵に入れ、再びオタマジャクシを生ませた。50年前のことだ。

 卵の中に細胞をまっさらな状態に、つまり未分化の細胞に戻す遺伝子があるのではないか、それを突き止める研究が山中教授の仕事だった。それまで「万能細胞」の主役だったES細胞は、受精卵が分裂して胚の段階になったとき、内部から細胞を取り出して培養することから、受精卵を壊してつくる必要があり、受精卵を生命とみる倫理的、あるいは宗教的な問題がつきまとっていた。そこで、患者自身の体の細胞からES細胞と同じような万能細胞をつくれば、胚を壊さずに済み、もともとは自分の細胞なので拒否反応も起きない。それには、細胞をハードディスクでするように初期化して、肺やES細胞のような状態に戻すことだった。これは「非常識なほど困難な目標」(本著)だった。アメリカから帰国後に挫折していた山中氏は「いったん研究者をやめかけたんだから、やけくそで思いっきり難しいことをやってやろうと思って、これをビジョンにした」(同)という。奈良先端大学での研究はこうして始まった(1999年)。

 本著を編集した朝日新聞科学医療部は2001年ごろから山中氏に注目していた。そのころからの山中氏の言葉が掲載されている。「私たちの研究は生命現象の心理を覆っているベールを一枚一枚はがして行くようなもの―」(2001年6月・朝日新聞奈良県版コラム)、「このiPS細胞の競争は明らかにマラソンです。柔道ではありません。勝ち負け、アメリカだけ勝った、日本だけ勝った、そういうのはありません。アメリカも頑張る、日本も頑張る、それはいいことなんです。なぜかというと、両方頑張って競争すれば早く臨床応用できるんですね。患者さんにとって1日、1日は長いです。僕は学生によく言うんですが、『おまえらにとって1日は寝ていたら済むかもしらないけど、患者さんにとって1日はもう永遠なんだ』」(2008年3月・朝日賞受賞記念講演)

 ノーベル賞の受賞を受けた記者会見(2012年10月8日)。「授賞の意味について、私もできるだけ自分の言葉でお話ししたいと思っていますが、そのあとはすみやかに研究の現場に戻る。来週から研究に専念し、論文も早くださないと、学生さんも待っておりますので、それが私の仕事、それがこの賞の意味でもある」

 そして、本著では山中氏が「iPS細胞はまだ1人の患者の役にも立っていない」と語ることがあるのだ、という。言葉に響く強い使命感、鋭い研究者目線がiPS細胞の未来可能性を照らしている。

⇒28日(金)朝・金沢の天気  くもり
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★2012ミサ・ソレニムス~3

2012年12月26日 | ⇒ドキュメント回廊

  今月22日付のブログ「メディアの当確の精度」を書いた。その中で、「選挙事務所の独自の票読み」について述べた。これを若干補足したい。当確ラインをテレビ局に頼らず、独自で集票や票の出方を分析する古参の選挙参謀という人たちがいる。私は記者時代(新聞・テレビ)にこれらの人たちに取材し、逆に選挙運動のノウハウや票読みを教わったものだ。どこそこの地域の支持が少ない、なぜか、どうすれば支持を高めることができるかといった分析をして手を打つ人たちである。ところが、若くして立候補した人たちはそういった選挙参謀を必要としないと考えているようだ。有権者に直接訴え支持を得るのが選挙だと考えているからだ。こうした候補者は当落の予想を論拠立てて分析する手法を得てして有しない。つまり、蓋を開けてみないと分からない。だから、NHKや民放の開票速報をじっと待つということになる。

       衆院総選挙で有権者が選択したのは何だったのか

 さて、その総選挙を振り返る。自民が圧勝したのは、民主が経済対策を重視してこなかったからだ、との論調が目立っている。選挙後に株価が1万円台を回復し、円レートも84円台になったとか、日銀が国債など資産買い入れ基金の10兆円増額を決め、前年比上昇率2%のインフレ目標も次回の決定会合で検討するなど、自民の安倍総裁が求めに「満額回答」で答えたなどのメディアの報道が目立つようになった。

 12党1500人余りの候補者による総選挙は戦国時代か、関ヶ原の戦いのように、いくつもの合戦が同時に繰り広げられた観がある。では、本当の争点は何だったのだろうか、経済対策か原発か、外交か。朝日新聞が選挙前の12月14日付で掲載した世論調査で、投票先を決めるとき最も重視するのは何かを3択で尋ねている。それの回答では、「景気対策」61%が、「原発の問題」16%、「外交・安全保障」15%を大きく引き離していた。総選挙の公示日の12月4日、民主、自民、未来の3党首がそれぞえ福島県で選挙の第一声を上げた。民主と未来は「脱原発」を最初に訴え、自民は「被災地の復興を」とまず訴えた。

 ただし、自民の経済政策は、再び土建国家を復活させかのような印象で、借金(赤字国債)が無造作に増えても成長戦略で乗り切ろうという考えのように思えた。同じ印象を持ったのか、経団連の米倉会長は安倍氏の掲げる「大胆な金融緩和策」を、公示前(11月26日)に「無鉄砲」と批判していた。それでも、国民は脱原発の旗色を鮮明にすることで選挙を乗り切ろうとした民主に投票せず、「無鉄砲」と経済界からも批判された自民を選んだことになる。

  選挙後、民主が大敗したのは、有権者が「何やってんだ」とフラストレーションをぶつけた結果で、自民を「民主よりましな政党」と評価したにすぎない、とのメディアの論調があった。自省を込めての話だが、私もそのようにブログで書いた。が、果たして上記の自民の経済政策、有権者た求めた「景気対策」が合致した、さらに民主にお灸をすえたのが今回の選挙の特徴だったのか。

 それは比例の得票数を見れば分かる。自民は1662万票で、前回2009年の1881万票にも及ばなかった。得票率も27%で09年の26%とほぼ変わらなかった。投票率が09年より10ポイント低かったことも影響しているが、全国的に自民支持が広がったとは言い難いのである。ここから言えることは、有権者はこれまで以上に「党より人」を見究めようとしたのではないか、とうことである。選挙の風が吹くたびに「チルドレン」が量産されてきたことに、有権者は嫌気がさしていた。むしろ、争点はもちろんだが、その候補の実績や人柄を中心に厳しくチェックを入れ、人物を判断することになったのではないだろうか。

 上記の意味で、冒頭に述べた選挙参謀がいて、選挙事務所がしっかりしていて、政策だけを言いっ放しにするのではなく地域を細かく回り支持を訴えるというベーシックな選挙を展開した候補者が共感が得られた、とも推測できる。それが、小選挙区で自民が大勝した背景ではなかったのか。選ばれたのは党より、より信頼できる人柄だったのではないか。今夜、第二次安部内閣が誕生する。

⇒26日(水)朝・金沢の天気   くもり

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☆2012ミサ・ソレニムス~2

2012年12月25日 | ⇒ドキュメント回廊

 「地球は温暖化しているはずなのに、この寒さは何だ」と叫びたくなる。朝起きてみると、自宅に周囲は20㌢ほどの積雪だ。2005年12月の異常寒波を思い出す。当時、厳しい寒波の原因として気象庁や専門家が注目したのは「北極振動」と呼ばれる現象だった。北極振動(AO、Arctic Oscillation)。北極は寒気の蓄積と放出を繰り返している。蓄積中は極地を中心に寒気の偏西風は円状に吹くが、ひとたび放出に切り替わると、北半球では大陸の地形から寒気が三方向に南下し、日本列島を含むユーラシア大陸などを蛇行する。今回はサンタならぬ、クスマス寒波だ。さて、「2012ミサ・ソレニムス~2」は事件簿を振り返る。

     善良な市民であり、凶悪な警察官であり…

 
ことし記すべき事件簿ならば、本来、兵庫県尼崎市の連続変死事件だろう。ところが、殺人と逮捕監禁容疑で逮捕されていた主犯とみられる角田美代子容疑者(64歳)は留置場内での自殺(12月12日)。周辺で6人の遺体が見つかり、なお3人が行方不明の事件の捜査はこれから本格化するところだった。事件すら、衆院総選挙ですっかりかすんでしまった。

 年末に驚く事件が報じられた。現職の警察官が殺人と放火という前代未聞の罪を犯した。富山県警が22日、警部補で休職中の加野猛容疑者=54歳、富山市=を殺人と現住建造物等放火、死体損壊の疑いで逮捕したと発表した。ただ、続報でも、その殺しの動機が一切伝わってこない。なぜだ。

 報じられていることをまとめると、加野容疑者は高岡署留置管理課に勤務していた2010年4月20日正午ごろ、富山市大泉のビル2階の住居で、会社役員(当時79歳)と妻(同75歳)の首を、ひもで絞めて殺したうえ、持ち込んだ灯油をまいて放火し、死体を損壊した疑い。容疑者はこの日休みだった。殺された夫妻は2004年まで容疑者の住む同市森地区に住んでいて、夫妻とは30数年来のつきあいがあった、という。容疑者は消費者金融などから200万円前後の借金があったとも伝えられている。

 殺害があった5ヵ月後の2010年9月、自宅で睡眠導入剤を大量に飲み、自殺を図ったこと。当時勤めていた高岡署の上司や家族に宛てた複数の遺書が見つかっていたが、自殺を図った動機を「健康問題や家族の悩み」と説明していたという。夫婦殺害には触れていなかった。容疑者は当時、殺害された夫妻とつきあいがありマークされてた。ことし10月と11月に2度、地方公務法(守秘義務)で2度逮捕されている。9月、勤務していた高岡署内で、留置人の差し入れに訪れた男性に、男性の知人の暴力団員が近く逮捕されることを、別の知人男性には覚醒剤事件の捜査情報を漏らした疑い。

 一方で、容疑者はことし4月から町内会長を務めていた。世話好きだったらしい。また、採集した昆虫の標本を地区の文化祭に出展したり、育てたカブトムシを子どもたちに配ったりして、「昆虫博士」として地域で知られていた、と。

 奇妙なキャラクターではある。自殺を図る心理状況と、町会長を引き受けるテンションの高さ。昆虫標本の作成と生物分類の集中力と、捜査情報をつい知人に漏らすルーズさ。善良な市民であり、凶悪な警察官、この2面性は何だろう。

⇒25日(火)朝・金沢の天気  ゆき 

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★2012ミサ・ソレニムス~1

2012年12月24日 | ⇒ドキュメント回廊

 昨夜(23日)金沢市の石川県立音楽堂コンサートホールで開催された、荘厳ミサ曲(ミサ・ソレムニス)の演奏を聴きにいった。石川県音楽文化協会などの主催で、もう50回目となり、県内では季節の恒例のイベントとして定着している。80分の演奏時間は、高揚感と緻密で清明感にあふれる。決して「長い」とは感じなかった。年末に荘厳ミサ曲や「第九」が響く都市というのはどれだけあるのだろうか。これが都市の文化力のバロメーターなのかも知れない。「キリエ (Kyrie)憐れみの讃歌」、「グロリア (Gloria)栄光の讃歌」、「クレド (Credo)信仰宣言」、「サンクトゥス (Sanctus)感謝の讃歌」、「アニュス・デイ (Agnus Dei)平和の讃歌」と進むちうちに心が高まり、金沢の地でこうして鑑賞できることに感謝した。

 作曲したベートーベン(1770~1827)が生きた時代、ヨーロッパでは貴族が没落し、都市から新しい価値観や思想が噴き出す過渡期だった。2008年5月、ドイツのボンに出張した折、ベートーベンの生家に立ち寄った。正確に言うと、夕方ですでに閉館だった。周囲に当時から変わらない広場があり、居酒屋が立ち並んでいた。そのうちの一軒に入ると、ビールのジョッキを手に語らう人々であふれていた。ベートーベンの時代に一瞬タイム・シフトしたような思いにかられたものだ。さて、今回のコンサートを聴きながら2012年を振り返るよいチャンスにもなった。「2012ミサ・ソレニムス」と題して、この1年を回顧したい。

       イフガオの棚田で考えた、「田の神」ブルルの今と未来    

 去年の今頃、気持ちはフィリピンにあった。年賀状で書いた文面はこうだった。「能登の里山里海が国連食糧農業機関の世界農業遺産(GIAHS)に認定されました(昨年6月)。半島の立地を生かした農林漁業の技術や文化、景観が総合的に評価されたものです。世界に12ヵ所あるGIAHS地域とネットワークを築くため、手始めに今月11日から6日間、フィリピンの『イフガオの棚田』に行きます。ささやかながら能登の明日に向けた新たな取り組みになればと思っています。2012年元旦」

 イフガオの棚田=写真=を実際に訪れたのはことしの1月13日だった。マニラから車で8時間余り。道路事情も決してよいものではない。にもかかわらずバスも運行している。1995年にユネスコの世界遺産として登録された世界最大規模の棚田(rice terrace)だからだ。標高1000から1500㍍、1万平方㌔㍍の山岳地帯に散在する棚田がある。もっとも美しく規模が大きいとされるのがバナウエの棚田といわれる。耕運機どころか、水牛のような家畜すら入れない斜面地だった。

 バナウエ市のジェリー・ダリボグ市長を表敬に訪れた。訪れたのは、金沢大学チームと、同日に合流した同じ世界農業遺産の佐渡市の高野宏一郎市長、国連食糧農業(本部・ローマ)のGIAHS担当スタッフ、石川県の関係者だった。バナウエは人口2万余りの農村。平野がほとんどない山地なので、田ぼはすべて棚田だ。バナウエだけでその面積は1155㌶(水稲と陸稲の合計)に及ぶ。市長の話では、その棚田は徐々に減る傾向にある。耕作放棄は332㌶もある。さらに、マニラなどの大都市に出稼ぎに出ているオーナー(地主)も多い。市長は「棚田の労働はきつい上に、水管理や上流の森林管理など大変なんだ」と将来を案じた。農業人口の減少、耕作放棄など、平地が少ない能登とイフガオで同じ現象が起きていると感じた。むしろ、共通の課題を探ることができた。

 興味が湧いたのは、現地では「田の神」ブルル=写真=の信仰があることだった。イフガオに米づくりをもたらした神様として崇められている。ここで日本では想像できない問題もある。フィリピンは多民族国家だが、9400万人の人口の8割はキリスト教徒だ。16世紀から始まるスペインの植民地化や、20世紀に入ってからのアメリカの支配による欧米化でキリスト教化されていったからだ。しかし、この地に根付くイフガオ族は歴史的にこうしたキリスト教化、地元でよくいわれる「クリスチャニティ(Christianity)」とは距離を置いてきた。コメに木に田んぼに神が宿る「八百万の神」を信じるイフガオ族にとって、キリスト教のような一神教は受け入れ難い。

 一方で、少数民族が住む小中学校では、欧米の思想をベースとした文明化の教育、「エデュケーション(Education)」が浸透している。現地、イフガオ州立大学で世界農業遺産(GIAHS)をテーマにしたフォラーム「世界農業遺産GIAHSとフィリピン・イフガオ棚田:現状・課題・発展性」(金沢大学、フィリピン大学、イフガオ州立大学主催)が開催された。発表者からはこのクリスチャニティとエデュケーションの言葉が多く出てきた。どんな場面で出てくるのかというと、「イフガオの若い人たちが棚田の農業に従事したがらず、耕作放棄が増えるのは特にエデュケーション、そしてクリスチャニティに起因するのではないか」との声だった。これに対し、行政関係者からは一方的な見解との反論もあった。

 このフォーラムで自ら「純イフガオです」と語る気さくな研究者がいた。フィリピン大学のシルバノ・マヒュー教授(国際関係論)、日本には2度にわたって13年の留学経験を持つ。この問題で、マヒュー教授はこう話した。「イフガオ族には歴史上、王政というものはなかった。奴隷のような強制労働はなく、人々は平等な関係と意志で営々と棚田をつくり上げた。われわれイフガオの民はそのことに誇りに思っている。しかし、現代文明の中で、世界中どこでもそうだと思いますが、イフガオでもそうした昔のことを忘れてしまっています。昔と今とのギャップがどんどん開いていくと、保存する価値は薄くなってしまいます。ですから、例えばイフガオの人が、自分は別の所に住みたいと言って、祖先から伝えられた土地を忘れて離れていってしまうという問題を解決する方法があればいいと切に願っています」

 来年1月14日、シルバノ・マヒュー教授らを招いて、「国際GIAHSセミナー」(金沢市文化ホール)を開催する。我々はこの文明の中で、里山や農業、米づくりをどのように価値づけしていけばよいのか、そのような話をしていきたいと願っている。

⇒24日(振休)朝・金沢の天気  ゆき

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☆「ネット選挙」その後

2012年12月23日 | ⇒メディア時評
 今頃になって、ようやくである。今回の衆院総選挙で大勝した自民党の安倍総裁が21日、来年夏の参院選からインターネットによる選挙活動を解禁したい意向を示したと各メディアの報じた(22日付)。安倍氏は記者団に「次の選挙までに解禁すべきだ。投票率の上昇につながっていくと思う」とネット解禁の効用を強調した、という。もともと自民は今回の衆院選挙の公約の「政治・行政・公務員改革」の項目の中で「インターネット利用選挙解禁法案の制定」を明記している。

 現行の公職選挙法は、公示・告示後の選挙期間中は、法律で定められたビラやはがきなどを除き、「文書図画(とが)」を不特定多数に配布することを禁じている。候補者のホームページやツイッターなどソーシャルメディアの発信は、こうした文書図画に相当し、現行では認められていない。これまで、ネット選挙解禁についての論議は何度もありながらも、政治の混乱の中で法案は提出されてこなかった。たとえば、2010年の参院選挙の前に、民主、自民、公明の与野党は候補者・政党が選挙期間中にホームページやブログを更新できるとする公選法改正に合意していたのに、である。

 来年夏の参院選挙からネット選挙が解禁されることが明確に打ち出されたことで、いよいよ現実になる。ただ、問題がないわけではない。「なりすまし」など他人の名をかたって中傷が書き込まれる可能性などいろいろと問題は懸念材料はあるだろう。そのために、虚偽の名前を記載することが罰則対象となるなどの法的な整備も必要だろう。

 ネット選挙の解禁によって、選挙活動をいわゆる「地盤・看板・ドブ板」に重きをおいたベテランたちの選挙運動の在り様も劇的に変化するだろう。とくに地方での選挙区では、インターネットを有権者のニーズに対応するスタッフが少ない。若者たちの雇用の場にもなる。候補者の選挙活動の一日を画像や動画でリアルに伝える、そんなスタッフがいてもよいのではないか。多様な活動、多様な意見をネットを通じて広める。有権者もそれを投票の判断材料にするといった効果が期待できる。選挙は多様でなければ盛り上がらない。ようやくその扉が開かれようとしている。

⇒23日(日)午前・金沢の天気  はれ
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★メディアの当確の精度

2012年12月22日 | ⇒メディア時評

 このブログで何度か述べた衆院総選挙での「開披台調査」や「出口調査」が、今回の投開票日にその威力を発揮した。16日の投開票日は近くの投票場に行き、出口調査の様子を観察し、同日の21時から開票場で開披台調査の様子をつぶさに観察した。そして、その予想と結果を数字で比較した。

 テレビ朝日『選挙ステーション』では、20時34分に石川一区(金沢市)の出口調査の得票数をパーセントで発表していた。そのポイント。馳浩(自民)47.6%、奥田建(民主)23.4%、小間井俊輔(維新)19.3%、熊野盛夫(未来)5.5%と続いた。では、実際の得票率はどうだったのか。翌日の北陸中日新聞で掲載された確定票をもとにした獲得率は、馳浩47.87%、奥田建22.88%、小間井俊輔19.82%、熊野盛夫5.11%だった。馳の誤差はマイナス0.2、奥田プラス0.6、小間井マイナス0.5、熊野プラス0.4なのである。つまり、どの候補者も出口調査と確定票の得票率の誤差は1.0ポイント以下だったことになる。

  テレビ朝日『報道ステーション』での石川一区の出口調査が結果が流れたのは20時34分だった。同区の開票開始時間は21時30分だった。開票が始まる1時間ほど前に、テレビ視聴者は精度の高い「当選確実」の情報を得たわけである。テレビ朝日と朝日新聞は共同で9000ヵ所で出口調査を実施、54万人からサンプルを収集した。1ヵ所60サンプルである。調査員1人が10ヵ所回って調査したとて900人の調査員が動員されたことになる。投開票日だけでなく、期日前投票でも出口調査は行われていた。さらに、開票場での開披台調査では、石川の開票場だけでも70人余りが配置された。全国規模の調査で、その経費は億単位であろうことは想像に難くない。今回、テレビ朝日のフライング(当確を発表した後に落選)はゼロだった。調査の精度はそれほど高かったことになる。

 選挙報道と言えば、これまでNHKが圧倒的な強さ、つまり視聴率が高かった。では、今回はどうだったのか。ビデオリサーチ社が公表したデータでは、衆院選挙開票速報の特別番組で、関東地区の視聴率が最も高かったのは、NHK総合『衆院選2012開票速報』(19時55分~21時)17.3%、次はテレビ朝日『選挙ステーション・第2部』(22時~23時30分)10.1%だった。やはり、NHKが圧倒的に強い。ただ、今回、面白い現象が散見された。候補者はこれまで民放が早々と当確を打っても万歳をしなかった。NHKに当確が流れて、初めてバンザイの声を上げたものである。それが今回、民放の当確で選挙事務所が沸き立つ場面があった。たとえば石川三区では、20時過ぎに「北村茂男(自民)当確」を民放が報じ、20時20分ごろ万歳だった。NHKの当確打ちはさらにこの後22時半ごろだった。民放の当確打ちの精度が上がったということが徐々に認知されてきたということだろうか。

 でも、これでは各選挙事務所がメディアの開票速報で一喜一憂していると誤解されかねない。実は、陣営独自の票読みもある。独自の票読みというのは、たとえば北村氏の場合、対抗馬の近藤和也氏(民主)の地盤とも言える中能登地区のうち羽咋市と宝達志水町では投票時間が繰り上げられ、20時00分に開票作業が始まった。この2市町で北村氏が近藤氏と互角ならば、奥能登(輪島市など)を地盤とする北村氏の優位は確実となる。おそらく北村陣営の目利きが2市町の開票作業をウオッチして、「ほぼ互角」の一報をもたらした。事実、確定票(羽咋市で北村5990、近藤5456)は互角だった。民放の当確打ち後に、その一報がもたらされ、勝利のムードが盛り上がったのだろうと想像する。バンザイをもたらすものはメディアの速報もさることながら、陣営の独自の票読みというものがあるということを確認しておきたい。

※写真は、16日(日)21時40分ごろ、開票場となった金沢市中央市民体育館でのテレビ局による開披台調査の様子。ネットが張ってあるのは、これ以上身を乗り出さないように選管が配慮したもの。 

⇒22日(土)朝・金沢の天気   あめ 

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