自在コラム

⇒ 日常で観察したことや環境問題、金沢大学での見聞、マスメディアとインターネットについての考察を紹介する宇野文夫のコラム

☆大晦日の喧騒

2009年12月31日 | ⇒メディア時評

 地上デジタル放送対応のテレビを購入してよくなったと思うのは画質もさることながら、音声だ。これまでのアナログ対応ではクラシック音楽の高音の部分が聞き取れなかったりしたが、地デジ対応テレビではすっと耳に入ってくる。こうした音質の改善もあってか、最近テレビでクラシック番組が増えたように感じる。ところで、きょう大晦日は地デジをめぐって我が家でちょっとした喧騒があった。

  NHK教育で、N響による第九の演奏が放送された。指揮者はクルト・マズアだ。82歳・マズアといえば、「あれから20年」である。ベルリンの壁崩壊につながったとされる1989年10月9日、旧東ドイツのライプチヒで「月曜デモ」が起きた。民主化を要求するデモ参加者に、秘密警察と軍隊が銃口を向け、にらみ合いとなった。このとき、マズアは東ドイツ当局と市民に「私たちに必要なのは自由な対話だ」と平和的解決を要望するメッセージを発表した。この流血なき非暴力の反政府デモが広がり、「月曜デモ」の9日後にホーネッカー議長が退任し、11月9日のベルリンの壁崩、東西ドイツは統一へと向かう。そして、ベートーベンの第九は東西ドイツ統一の賛歌になった。そんなマズアの歴史的な功績に思いを重ね合わせながら、NHK教育の第九に耳を澄ませていた。

  午後9時10分ごろ、第4楽章に入って合唱でクライマックスを迎えた。このとき、家人が「もうそろそろチャンネルをNHK総合に切り替えてくれない」という。 「えっ、第4楽章のいいところなに何で」といぶかると、午後9時過ぎごろからNHK紅白歌合戦にスーザン・ボイルが出演して、そろそろ歌うのだという。スーザン・ボイルはイギリスのスター発掘番組でミュージカル「レ・ミゼラブル」の「夢やぶれて」を歌って、一気にスターダムにのし上がった「おばさん歌手」。「数分で終わるから聴きたい」と半ばすごまれて、しかたなくNHK総合にチャンネルを変えた。スーザン・ボイルの歌声もそれはそれでよかった。眉毛も細くなっていて、あか抜けした感じがした。

  スーザン・ボイルが終わって、即NHK教育にチャンネルを戻した。間に合って、第4楽章の感動のフィナーレを聴くことができた。すると、リモコンを握った家人が演奏が終わると同時にブチッとNHK総合に切り変えた。「何するんだ。演奏には余韻というものがあるだろう」と抗議すると、「スーザン・ボイルに続いて矢沢永吉が出る」という。「時間よ止まれ」と「コバルトの空」を歌うらしい。マズアが聴けただけでも良しとして、その場を退散した。

  それにしても、NHKはマズアの第九の第4楽章と、スーザン・ボイルの歌声が同時刻ぐらいに重なると計算していたのか、いなかったのかとふと思った。そんな喧騒は我が家だけだったのだろうか…。

  ことろで、マズアがつい最近(09年12月15日)、金沢でオーケストラ・アンサンブル金沢(OEK)と共演してメンデルスゾーンの交響曲第4番「イタリア」を振った。OEKのプロデューサー氏から後日聞いた話だ。ことしはベルリンの壁崩壊20周年に当たり、当然話題に上った。すると、マズアは「革命の闘士のようにいわれることは今でも心外。私は指揮者なのだ」と笑っていたという。ベルリンの壁崩壊は、先導者によるものではなく、あくまでも市民革命だったのだ。そういいたかったのだろう。

⇒31日(金)夜・金沢の天気  くもり

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★文明論としての里山3

2009年12月30日 | ⇒トレンド探査

 日本の里山は、1960 年代から始まったとされる燃料革命や大規模な宅地開発などで、その役目を終えて荒廃の道をひた走っているかのように見えた。ところが、ここ数年で里山の価値が見直されつつある。多くの動植物を育み、人が恩恵を受ける場所としての里山。「生態系サービス」という言葉が使われ始めていることはその象徴である。里山を守るための行政や市民などによる取り組みが始まっている。里山保全は日本の環境問題(二酸化炭素の吸収、生物多様性の保全)を打開するキーワードの一つになっているともいえる。

         ジョグラフ氏が見た能登半島の里山

  さらに、<SATOYAMA=里山>は国際用語として認知されようとしている。その認知度を一気に高めたのが、生物多様性条約第9回締約国会議(CBD/COP9、ドイツ・ボン)で日本の環境省と国連大学高等研究所が主催したサイドイベント「日本の里山・里海における生物多様性」(2008年5月28日)だった。スピーチの中で、環境省の黒田大三郎審議官(当時)らが「人と自然の共生、そして持続可能社会づくりのヒントが日本の里山にある」と述べ、科学者による知識と伝統的な自然との共存を組み合わせることを目的とした「里山イニシアティブ」を生物多様性の戦略目標として提唱した。さらに、石川県の谷本正憲知事は「石川の里山里海は世界に誇りうる財産である」と強調し、森林環境税の創設による森林整備、条例の制定、景観の面からの保全など具体的な取り組みを紹介した。

  これに、生物多様性条約事務局長のアフメド・ジョグラフ氏は、日本が提唱する里山イニシアティブに「成長を続けて現代的な社会を形成した一方で、文化や伝統、そして自然との関係を保ってきた。そのコンセプトは世界で有効であり、日本の経験に大きな期待が集まっている」と、条約事務局として支援を表明した。COP10の名古屋開催が予定されていたこともあり、会場に集まった海外の環境NGOや研究機関、メディアの関係者の脳裏には2010年のテーマとして<SATOYAMA=里山>が刻まれた。

  その後、ジョグラフ氏は谷本知事がスピーチで紹介した日本の里山を実際に見てみたいと能登半島を訪れる。名古屋市で開催された第16回アジア太平洋環境会議(エコアジア、2008年9月13日・14日)に出席した後、15日に石川県入り、16日と17日に能登を視察した。初日は能登町の「春蘭の里」、輪島市の千枚田、珠洲市のビオトープ、能登町の旅館で宿泊し、2日目は「のと海洋ふれあいセンター」、輪島の金蔵地区を訪れた。珠洲の休耕田をビオトープとして再生し、子供たちへの環境教育に活用している加藤秀夫氏(同市立西部小学校長=当時)から説明を受けたジョグラフ氏は「Good job(よくやっている)」を連発して、持参のカメラでビオトープを撮影した=写真=。ジョグラフ氏も子供たちへの環境教育に熱心で、アジアやアフリカの小学校に植樹する「グリーン・ウェーブ」を提唱している。訪れた金蔵地区で、里山に広がる棚田で稲刈りをする人々や寺参りをする人々を目の当たりにしたジョグラフ氏は「日本の里山の精神がここに生きている」と述べた。金蔵の里山に多様な生物が生息しており、自然と共生し生きる人々、信仰心にあふれる里人の姿に感動したのだった。

  能登視察はジョグラフ氏にとって印象深かったのだろう。その後の生物多様性に関する国際会議で、「日本では、自然と共生する里山を守ることが、科学への崇拝で失われてしまった伝統を尊重する心、文化的、精神的な価値を守ることにつながっている。そのお手本を能登半島で見ることができる」と述べていたそうだ。

 ⇒30日(水)夜・金沢の天気   くもり

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☆文明論としての里山2

2009年12月29日 | ⇒トレンド探査

 先回述べた国際スローフード協会設立大会が1989年にはパリで開かれ、スローフード宣言を出して国際運動となった。活動には3つの指針がある。「守る:消えてゆく恐れのある伝統的な食材や料理、質のよい食品、ワイン(酒)を守る」「教える:子供たちを含め、消費者に味の教育を進める」「支える:質のよい素材を提供する小生産者を守る」 である。伝統的な食材、地域の食の教育、小生産者、これらは、市場原理主義のグローバルマーケットの渦の中で無視されてきたアイテムである。市場では競争を前提として、経済主体の多数性、財の同質性(一物一価)、情報の完全性、企業の参入退出の自由性という4つの条件が担保されないと相手にされない。つまり、市場では「死ね」と宣告されたも同然なのである。こうした地域のアイテムを必死に守ろうというのがヨーロッパにおけるスローフード運動なのである。

             混沌とした状況の中から

  日本でも食の問題が起きた。どこの国で生産されたのかも不明な食材や加工食品を、安全性を二の次にして安価というだけで市場に流す。そのため価格では太刀打ちできない国内の小生産者は生産を止め、地域そのものが疲弊していく。地域の労働の担い手は都会に出て行く。土地を離れた労働者は現金収入によって生活をする非熟練労働者になる。彼らを待ち受けているのは結局、失業と貧困である。  これまで、「国民の経済」に歪みや偏りが起こると政府は、税金や補助金や社会保障給付というカタチで所得の再配分を行ってきた。ところが、一部を除いて世界的な不況となると自動車産業などグローバル企業でさえ赤字決算に陥る。日本を始め欧米は軒並み巨額な国債発行で財政をしのいでいが遅かれ早かれ国家自体が破綻する。民主党政権が、郵貯の民営化にストップをかけたのも、再び郵貯を「国債消化機関」として復活させようとしているからだとの見方もある。資本主義だけではなく、政治も国家も疲弊している。

  混沌とした中である現象が起きている。その現象の先陣を切っているのは芸術家たちだ。「大地の芸術祭」は3年に1度、越後妻有地域(新潟県十日町市・津南町)の里山で開催される。越後妻有は1500年にわたって棚田など農業にかかわってきた。市場原理主義の流れの中で、農業は切り捨てられ、広い大地は見捨てられ過疎地となった。しかし、そこが今や芸術の舞台となった。760平方㌔の里山に330を超えるアートを仕込む作業。一人の女学生が各戸を訪問して、手ぬぐいを何枚か集めて縫って、刺繍を描く作業。最終的に4500人のおばあさんと子供たちの協力で1万2000枚の手ぬぐい刺繍が完成した。また、廃校になった分校に残されていた卒業式の送辞、答辞、スナップ写真、あるいはいろいろな文集を再構成した。校舎に入ると、ここで過ごしたであろう子供たちのざわめきが聞こえて、子供たちが走っているような錯覚に陥る。美術が時間を形象化したと高い評価を受けた。「大地の芸術祭」は8万人そこそこの地域に50日間に数十万人の人が訪れる一大芸術祭の様相を呈してきた。

  「大地の芸術祭」の総合ディレクターである北川フラム氏は昨年(08年)9月の金沢での講演でこう述べた。「私たちは都市の時代で20世紀を生きてきた。都市がすべてを解決してくれると思っていた。けれども都市が傷み、病むにつれて、美術も病み、傷んできた。そのときにもう一度、美術が持っている場所を発見する力、人と人をつなぐ力、場所と人をつなぐ力というものが越後妻有で起きだしたということ」「ちなみに、イギリス、オランダ、フランス、オーストラリア、フィンランドは、もう大地の芸術祭はベニスのビエンナーレを超えたランクでいろいろ手伝ってくれている。もしかしたら21世紀の美術というのはそこで、つまり里山、そういう生活の中で生き返るのではないだろうか」と。そして最後に「芸術は里山に救われた」とも。

 ⇒29日(火)夜・金沢の天気   くもり

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★文明論としての里山1

2009年12月28日 | ⇒トレンド探査

 もう35年前にもなる。学生だったころ、ドイツの社会経済学者マックス・ウェーバーの名著『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』(1905年)をゼミで論じ合った。資本主義はどのようにしてヨーロッパで生まれたのかというテーマを精神的土壌からひも解いていくものだった。

           「強欲」と呼ばれる資本主義

  プロテスタントの教義は、身分は低くとも自分の仕事に誇りを持って専念しなさいと人々を諭した。これがカルヴァンが説いた予定調和説の「あらかじめ神が決めたこと」だ。プロテスタントの教会には階級序列がなく、人々にも上昇志向や贅沢志向というものがなかった。こうした生真面目な精神性が、高い生産性と「働いて貯める」倫理を生みだし、それが資本主義の蓄積へと間接的に連なって行く。一方、カトリック社会では階級序列があり、より高い階級へ上昇できる可能性がある。すると、今の仕事はより高い地位に就くための通過地点にすぎないと考える人々は実入りのよい仕事に目を向け、現状の仕事に専念しなくなる。その結果として生産性は低くなる、とウェーバーは分析したと覚えている。

  こうした「清貧な労働」はその後に変容していく。カルヴァンと同じく予定調和説に立ち「神の見えざる手」として市場原理主義を考えたアダム・スミスは、『国富論』の中で、労働こそ富の源泉とし、それまで富といえば宝石や農産物という考え方を覆した。労働価値というものがあり、貧しい社会が隆盛で幸福であろうはずはないとして高賃金論を展開していく。1776年に『国富論』が出版された当時、賃金が上昇すると労働者が怠慢になるという風潮があったからだ。この時代あたりから、予定調和説と利益追求が一体となって、現在イメージされる資本主義の原型が出来上がったようだ。

  時代は飛んで、「東西冷戦」という歴史があり、旧ソビエト連邦が1991年に崩壊し、誰もが資本主義が共産主義に勝ったと思った。ところが、2008年にサブプライムローンの破綻によって、アメリカの金融マンや経営者がカジノの胴元のように称され、「カジノ資本主義」や「強欲資本主義」などと資本主義の評価は急落した。テレビで映るアメリカのデモ行進で、「GREED(強欲)」と書かれたプラカードを掲げているのは、「あらかじめ神が決めたこと」予定調和説を無視して、おのれのに利益追求に暴走し経済を混乱に陥れたと糾弾する姿である。

  資本主義と表裏一体で進んだ産業革命では、生産性や物流を促すために、地下に封じ込めてあった化石燃料を掘り上げて大気中に二酸化炭素として撒き散らした。それが地球温暖化や気候変動という現象として見え始め、地球的な環境問題としてクローズアップされている。人為的な地球温暖化という点ではさまざまな論争があり、その原因は単純ではないが、石油資源は枯渇へと進んでいることだけは間違いない。

  冒頭で述べた資本主義を生んだヨーロッパで現在起きていること。アメリカ文化を象徴するファストフードのマクドナルドの1号店が1980年代にイタリア・ローマに出来たことが刺激となって、イタリア北部ビエモント州ブラという人口3万人ほどの町で「スローフード運動」の声が上がった。1989年にはパリで国際スローフード協会設立大会が開かれ、スローフード宣言を出して国際運動となった。活動には3つの指針がある。「守る:消えてゆく恐れのある伝統的な食材や料理、質のよい食品、ワイン(酒)を守る」「教える:子供たちを含め、消費者に味の教育を進める」「支える:質のよい素材を提供する小生産者を守る」 である。

  このスローフード運動は食行動の見直しから生きることの見直しへと波紋を広げて、ヨーロッパに広がった。スローフード運動はいまやスローライフやスローワークへとカタチを変えて、資本主義による文明社会の見直し運動へと展開している。

 ⇒28日(月)夜・金沢の天気  はれ

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☆アメリカで有名な社説

2009年12月27日 | ⇒メディア時評
 新聞の役割について論じるとき、優しい眼差しや人間味、大局観というものがある。これを読者が敏感に感じてファンになる。私の知り合いは、1969年7月、アポロ11号が月面に到着し、アームストロング船長が降り立ったときの新聞記事で「地球人が月に立った」の一行に衝撃を受け、それ以来、新聞の切り抜きをしている。「地球人」という言葉の新鮮さと大局観に、「世界を読み解こう」という感性のスイッチが入った。

 アメリカで一番有名な社説というのがある。取り上げるタイミングとしては少々遅きに失したが、「サンタはいるの」という8歳の女の子の質問に答えた社説だ。1897年9月、アメリカの新聞ニューヨーク・サンに掲載され、その後、目に見えないけれども心に確かに存在し、それを信じる心を持つことの尊さを説いた社説と評価され、掲載されてから110年余り経った今でも、クリスマスの時期になると世界中で語り継がれている。その社説を掲載する。
                ◇
 「じつはね、ヴァージニア(※投書の女の子の名前)、サンタクロースはいるんだ。愛とか思いやりとかいたわりとかがちゃんとあるように、サンタクロースもちゃんといるし、愛もサンタクロースも、ぼくらにかがやきをあたえてくれる。もしサンタクロースがいなかったら、ものすごくさみしい世の中になってしまう。ヴァージニアみたいな子がこの世にいなくなるくらい、ものすごくさみしいことなんだ。サンタクロースがいなかったら、むじゃきな子どもの心も、詩のたのしむ心も、人を好きって思う心も、ぜんぶなくなってしまう。みんな、何を見たっておもしろくなくなるだろうし、世界をたのしくしてくれる子どもたちの笑顔も、きえてなくなってしまうだろう。・・・中略・・・サンタクロースはいない? いいや、ずっと、いつまでもいる。ヴァージニア、何千年、いやあと十万年たっても、サンタクロースはずっと、子どもたちの心を、わくわくさせてくれると思うよ。」(訳:大久保ゆう、青空文庫)
                                    ◇
 新聞には社会の木鐸(ぼくたく)であらねばならないと自ら任じ、調査報道や現場主義の取材で真実に迫る気迫が必要であることはいうまでもない。一方で、上記のサンタの社説のようにヒューマンで、普遍的な価値を伝えるというチカラも必要なのだろう。人々の心の扉を開かせる、そんなジャーナリズムであってほしいと願っている。

⇒27日(日)夜・金沢の天気 くもり 
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★冬訪ねる兼六園

2009年12月25日 | ⇒トピック往来

 雪の兼六園は別世界に思える。雪という白色が庭園を彩るからだ。名木・唐崎の松の雪つり=写真=はパラソルをさしたように見え、霞が池の水面に映える。兼六園の心象風景は季節ごとに異なるのだ。

 こうした兼六園の心象風景の原点には6つのファクターがある。寛政の改革で有名な松平定信は老中職を失脚した後、白河楽翁と名乗って築庭に没頭したといわれる。その薀蓄(うんちく)から、定信が中国・宋の詩人、李格非の書いた『洛陽名園記』(中国の名園を解説した書)の中に、名園の資格として宏大(こうだい)、幽邃(ゆうすい)、人力(じんりょく)、蒼古(そうこ)、水泉(すいせん)、眺望(ちょうぼう)の6つの景観、すなわち六勝を兼ね備えていることと記されていたのにヒントを得て「兼六園」と名付けたと伝えられている。

  6つのファクターに加え、代々の加賀藩主は色や形の違いにこだわった。兼六園の原形ともいえる蓮池庭(れんちてい)を造った五代・綱紀(1643-1724年)には、園内に66枚の田を作り、全国で品質がよいとされる米を試験栽培させたというエピソードがある。代々の藩主の収集好きは兼六園の植物にも及び、たとえば桜だけでも20種410本も集めた。一重桜、八重桜、菊桜と花弁の数によって分けられている桜。中でも「国宝級」は曲水の千歳橋近くにある兼六園菊桜(けんろくえんきくざくら)である。学名にもなっている。「国宝級」というのも、国の天然記念物に指定されていた初代の兼六園菊桜(樹齢250年)は1970年に枯れ、現在あるのは接ぎ木によって生まれた二代目である。兼六園菊桜の見事さは、花弁が300枚にもなる生命力、咲き始めから散るまでに3度色を変える華やかさ、そして花が柄ごと散る潔さである。兼六園の桜の季節を200本のヨメイヨシノが一気に盛り上げ、兼六園菊桜が晩春を締めくくる。桜にも役どころというものがある。

  こうした名園のこだわりは現在も引き継がれている。季節の花の眺めがすばらしいことから名前がついた木橋の花見橋(はなみばし)。川底の玉石をなでるように緩やかに流れる曲水は多くの人々を魅了する。ゆったりと優雅に流れるようにと、毎秒800㍑の水が流れるように水量を一定にしている。計算づくなのである。しかも、サギやカモなどの鳥が来て足で水を濁さないように、上流では目立たないように水面の上に糸を張って予防線をつくっている。鏡のような川面を演出するために2つの工夫がある。

  兼六園を訪れたきのう24日、兼六園の樹木には冬芽が出て、春の出番を待っていた。「冬来たりなば春遠からじ」(イギリスの詩人シェリー『西風に寄せる歌』より)

 ⇒25日(金)朝・金沢の天気  はれ

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☆米国版メディア・スクラム

2009年12月23日 | ⇒メディア時評

 日本のマスメディアの取材手法を否定的に表現する言葉として「メディアスクラム(media scrum)」がある。メディアスクラムとは、テレビ局や新聞社、雑誌社の記者やカメランが大人数で取材に押しかけること。集団的過熱取材ともいう。「横並び取材、みんなで渡れば怖くない、そんな日本的な取材手法」と説明できる。どうやらアメリカでも同じ現象が起きているようだ。ゴルフ界のスーパースター、タイガー・ウッズの不倫騒動を巡る報道が過熱している。

  新聞各紙やテレビのニュースをまとめる。11月27日、フロリダ・オーランドの自宅前でウッズが乗用車で自損事故を起こし重傷との一報を、地元テレビ局が報じた(11月27日)。スーパースターのけが。マイケル・ジャクソンの急逝も記憶に新しいアメリカでは、国民の関心が一気にウッズに集中したのも無理はない。ウッズは顔面に軽い傷を負った程度で、病院で手当して帰宅したが、ウッズの退院後の姿を取材しようと、「ゲートコミュニティ」と呼ばれる塀で囲まれた高級住宅街のメインゲートにはテレビ中継用のSNG(Satellite News Gathering)車がずらりと並んた。このSNG車はカメラで撮影した素材(映像と音声)を電波として通信衛星を経由させ、本局に伝送する装置を搭載していて、パラボラアンテナが付いている。つまり、「おわん」の付いた車が横一列に並ぶ、日本のニュース現場ではおなじみの光景がオーランドでも再現されたのである。

  ウッズは姿を現さず、おそらくゲートコミュニティの住民からのクレームもあったのだろう、おわん付きの車は徐々に減っていった。ところが、その自損事故の原因がウッズの不倫を巡る夫婦げんかと一部で報じられ、報道合戦が再燃した。今度はスキャンダル専門のタブロイド紙などもこれに参戦してきた。ここがアメリカの面白いところで、「私が不倫相手」と称する女性が次々と10人以上も名乗り出ている。ここまで過熱したのは、超有名人という一方、ウッズは慈善事業に熱心な模範市民というイメージが定着していて、それが覆った。その落差感がさらに国民の関心を引き付けたのだろう。

  日本の取材ならば、ここで新聞とテレビそれぞれのメディアのまとまって話し合い、ウッズ側の代理人と交渉し記者会見を設定するという「手だれた」手法を用いる。が、独立独歩の取材でスクープを身上とするアメリカのメディアには「一致団結して、ウッズを会見に引っ張り出そう」という雰囲気が取材現場にないだろう。

  ともあれ、ウッズのスキャンダル報道から感じることは、経済の閉塞感に覆われたアメリカ国内の関心事が内向き、あるいは「巣ごもり」状態になっているのではないか、と。

 ⇒23日(水)夜・金沢の天気  くもり   

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★ベートーベンの響き

2009年12月22日 | ⇒ドキュメント回廊

 おそらく日本人ほど「第九」が好きな民族はいない。その曲をつくった偉大な作曲家ベートーベンを産んだドイツでも第九は国家的なイベントなどで披露される程度の頻度なのだ。それを日本人は年に160回ほどこなしているとのデータ(クラシック音楽情報サイト「ぶらあぼ」調べ)がある。これは世界の奇観であろう。

  年末になると指揮者の岩城宏之さん(故人)=写真・上=を偉業を思い出す。2004年と2005年の大晦日にベートーベンのシンフォニーを一番から九番まで一晩で演奏した人である。世界で初めて、しかも2年連続である。それはCS放送「スカイ・A」で生中継、05年のときはインターネットでもライブ配信された。私は放送と配信の仕掛けづくりに携わった。

  意外な反響があった。そのCS放送を、帰国した野球の松井秀喜選手が自宅で見ていて、「(岩城さんは)すごいことに挑戦しているいる」と思ったという。また、当時岩城さんもニューヨークヤンキーズで活躍する松井選手に手紙を出すほどのファンになった。そして、岩城さんはオーケストラ・アンサンブル金沢(OEK)の演奏で応援歌をつくり、世界へ発信する構想を温めていた。「ニューヨークで歌っても様になるように」と、歌詞は簡単な英語のフレーズを含むことも考えていた。この2人は会うことなく、06年6月に岩城さんは他界した。応援歌構想の遺志は引き継がれ、宮川彬良(須貝美希原作、響敏也作詞)/松井秀喜公式応援歌『栄光(ひかり)の道』とうカタチになった。曲の中の「Go、Go、Go、Go! マツイ...」というサビの部分は松井選手が出番になるとヤンキー・スタジアムに響いたのだった。

  話は岩城さんのベートーベン全交響曲演奏に戻る。このときは演奏者はN響メンバーを中心にOEKメンバーも加わった混成チーム「岩城オーケストラ」だった。指揮者も演奏者たちも、そしてその挑戦者たちを見届けようとする観客も一体となった、ある種の緊張感が会場に張り詰めていた。そして元旦を向かえ第九が終わるとスタンディングオベーション(満場総立ち)の嵐となったのは言うまでもない=写真・下、06年1月1日、東京芸術劇場=。岩城さんは演奏を終えてこう言った。「ベートーベンのシンフォニーは一番から九番までが巨大な一曲。だから全曲を一度で聴くことに価値がある」と。今にして思えば凄みのある言葉である。

  松井選手がことし11月、ワールドシリーズ第6戦で2ラン、6打点をたたきだしてヤンキースを優勝に導き、MVP(最優秀選手)に耀いたときのニューヨーク市民の歓喜の嵐と、岩城さんのベートーベン演奏のスタンディングオベーションが、私には今でも重なって聞こえる。

⇒22日(火)夜・金沢の天気  くもり

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☆北極振動

2009年12月21日 | ⇒トピック往来
 06年1月22日、イタリア出張を終え、ミラノ・マルペンサ空港から飛び立ち、シベリア上空を経由して成田空港で降りる便でのこと。機内からシベリアの雪原をカメラ撮影した。詳しい緯度経度は調べずに撮影したので、シベリアのどこか、地名などは定かではない。ただ、蛇行する河が凍てついていて=写真=、見ただけでシベリアの厳冬に身震いしたことを覚えている。その年の冬は日本海側も寒冬となり、記録的豪雪だった。シベリアの寒波をそのまま日本海側にもたらした現象は「北極振動」と呼ばれた。その北極振動がことしも世界各地に豪雪を。

 アメリカ東部を覆った強い寒気。ワシントンでは吹雪が止まず、バスや鉄道はほぼすべてが運行停止になった(18日)。ワシントンに隣接するバージニア州では、積雪最大56㌢が予想されたことから、非常事態宣言が出された。ヨーロッパ各地では、寒さの影響でヨーロッパ大陸とイギリスを結ぶ高速鉄道「ユーロスター」の4つの便がトンネル内で相次いで故障して立ち往生し、2500人の乗客が一時閉じ込められた。氷点下のフランス側から比較的暖かいトンネルに入った時に生じた温度差が故障の原因らしい。

 ウィキペディア(Wikipedia)などによると、北極振動が起きる原因はこうだ。北極を中心を周回するようにジェット気流が流れている。このジェット気流の北極側に冷たい寒気が控えているが、何らかの理由でこのジェット気流が南側に蛇行することがある。すると寒気もジェット気流に沿って南下する。このブレを「北極振動」と呼ぶ。ジェット気流が北アメリカ大陸の上空で南へ蛇行すれば北アメリカが強い寒気に襲われ、ヨーロッパの上空で起これば、ヨーロッパが寒気に見舞われ大雪になる。その現象がいま日本海側で起きている。

 ところで、ことし4月に読んだ赤祖父俊一著『正しく知る地球温暖化』(誠文堂新光社)によると、いまの地球温暖化は人類が関与するところの少ない地球の気候変動の一環であり、現在は1400~1800年の小氷河期からの回復期にあるためだとしている。つまり、江戸時代などは前は今より寒かった。そして、北極振動もブレにブレて頻繁に寒気が南下していたらしい。ロンドンのテムズ川も凍てついて、スケートができたという。歌川広重の出世作「東海道五十三次」で蒲原(静岡市清水区)を描いた「雪之夜」があるように、かつては雪の名所だったのかもしれない。

 北極振動は一説に太陽活動との連動が言われている。そうなると、我々人類にはなす術(すべ)がない。気象はコントロールが効かない。

⇒21日(月)夜・金沢の天気 雪
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★身構える冬~下~

2009年12月20日 | ⇒トピック往来
 雪が降ると人々の活動は止まる…。そう思っている人は案外多いかも知れない。「こんな雪の寒いに日に、風邪を引いたら大変」「駐車場が雪に埋もれていて、会場に行けないのでは」など。ただ、雪国では、雪が降ったからそれだけでイベントが中止になったとか、学校が休みになったとか、議会が流れたとか、センター試験が中止になったという話を聞いたことがない。むしろ、鉄道やバスといった公共交通機関が雪でストップしたので中止ということはままある。雪国では雪が降って当たり前、つまり日常なのである。このブログのシリーズの最後は「積雪と人の集まり」をテーマに綴ってみたい。

 きのう(19日)、金沢大学と能美市が主催する「タウンミーティングin能美」が開催された。会場は同市辰口にある石川ハイテイク交流センターで、丘陵地にあり、積雪は30㌢ほどあった=写真=。それでも、参加登録者150人のうち、欠席はおよそ10人だった。これは歩留まりから考えて想定内の数字だ。つまり晴れていてもこの程度は欠席率があるものだ。タウンミーティングは、地域との対話を通じて連携を探るため、金沢大学が平成14年(2002)から石川県内で毎年連続して開催しており、今回で9回目。雪のタウンミーティングも始めての経験だった。

 自然現象と人の集会という点では、印象に残るシンポジウムがある。昨年(08年)1月26日、能登半島をトキが生息できるような環境に再生することをめざしたシンポジウム「里地里山の生物多様性保全~能登半島にトキが舞う日をめざして~」を輪島市の能登空港で開いた。この日は能登も金沢も30㌢ほどの積雪があり、さらに能登半島地震の余震と思われる大きな揺れが午前4時33分にあった。震度5弱。それでも開会の午前10時30分には当初予想の150人を超えて180人の参加があり、スタッフは会場の増設に慌てた。

 トキのシンポジウムのスピーカーは兵庫県立コウノトリの郷公園 の池田啓研究部長が「コウノトリ野生復帰に向けた豊岡での取り組み」と題して、50年にわたる豊岡市の先進事例を紹介した。また、佐渡でトキの野生復帰計画に携わっている新潟大学の本間航介准教授が「トキが生息できる里山とは-佐渡と能登、中国の比較」をテーマに講演した。能登半島が本州最後の一羽のトキが生息した地域であることから、トキに対する関心はもともと高い。

 人々が集まるか、集まらないのかの行動原理は、少々の気象条件には左右されない、むしろ関心が高いのか低いのかが要因だろう。参加者にすれば、「雪の日だったけれど、参加してよかった」と、返って悪天候が脳裏に刻まれ、美しき心象風景として残る。逆境が思い出になるのである。逆境よりよき感動を、雪国の人はこれを繰り返して逆境に順応し、忍耐強く辛抱強くなるに違いない。

⇒20日(日)朝・金沢の天気 ゆき
 
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