自在コラム

⇒ 日常での観察や大学キャンパスでの見聞、環境や時事問題、メディアとネットの考察などを紹介する宇野文夫のコラム

★看板の価値

2013年03月27日 | ⇒トピック往来
  先日、地元の新聞に掲載されたニュースだ。テレビの全国放送などでも取り上げられた金沢市の不動産会社の「名物看板」が市の屋外広告物設置基準に違反しているとして、是正指導を受けて今年秋までに撤去することになった。

  是正指導を受けたのは、私が通勤している金沢大学角間キャンパスの近くにある「のうか不動産」で、学生たちの評判はよい。学生たちが部屋のカギを紛失すると、合鍵を持参して夜中でも対応してくれるというのだ。問題となった看板は、人目を引く宣伝をしたいと2009年1月から設置を開始し、大学周辺を中心に40基ほどある。その看板は私自身も気にはなっていた。

  看板の文言は実によく練られている。その特色をひと言で表現すれば、「場の表現」だ。たとえば、交差点では「右へならえの人生に疲れたあたなも右折してください」と。右折すれば40㍍でその会社がある。飲料の自動販売機の横にある看板では、「ノドが乾いたら、人生が乾いたら」と表現する。強烈なのは、警察の交番に隣接するビルでは、交番の真上部分に、「『苗加』を『なえか』と読んだ人、タイホします」と書かれた看板=写真=がある。金沢の名字で「苗加」を「のうか」と呼ぶ。交番を絡めたこの表現は、ある種のパロディではある。著作権上は問題ないのだが、警察への「おちょくり」ととらえる人もいるかもしれない。また、この表現で警察の気分を悪くしないかとおもんばかる人もいるかもしれない。その看板を見て、人々が微笑むか、考え込むか。良くも悪しくも、これが看板の価値というものだ。

  冒頭の全国放送というのは、2012年11月9日放送のフジテレビ「めざましテレビ」。兼六園の近くのコインパーキングに、「兼六園までほふく前進であと5分」と表記された同社の看板がある。実際の距離はおよそ300㍍。はたして5分で兼六園まで行けるのか、元自衛官のお笑いタレントが実際に匍匐前進を試みた。すると、結果は15分ほど、3倍もさばを読んでいた。そこで、同社の担当者に表記の数字と実際にかかった数字にかい離があると意地悪く質問するという設定。担当者は「まさか本当に匍匐前進する人がいるとは思わなかった。人の印象に残るような看板をつくりたかっただけ」と笑って答えた。もちろん、テレビ局側もそのリアクションを計算しての演出である。

  ところで、全国放送にもなった名物看板が金沢市の屋外広告物設置基準に違反しているとして今秋までに撤去することになった。言葉の表現が問題視されたわけではない。大きいものでは縦横4㍍ほどになる看板もあり、現在ある屋上看板や野立看板、壁面広告30件のうち、25件が設置面積や高さなどで基準を満たしていないというのがその理由。2年ほど前から撤去かサイズ変更の指導を受けてきたという。基準を満たさない屋外広告物は撤去費用が必要なため、新しい看板への更新時や老朽化した場合などに改善・撤去するケースが多い。ただ、同社の看板は有名すぎて、他の違反した業者が市の指導の折に「あの看板の場合はどうなんだ」と引き合いに出すケースがあり、市と同社が協議して撤去となったようだ。

⇒27日(水)夜・金沢の天気    くもり時々あめ
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☆ウグイスの初鳴き

2013年03月25日 | ⇒トピック往来
  きょう(25日)朝、自宅の庭の梅の木を見ると満開になっていた=写真=。金沢はすっかり春めいてきた。ただし、肌寒い。朝、青空駐車場の車のガラスは凍りついた状態になっていて、しばらく車を温めた。9時ごろだった。突然、ホーペケキョとウグイスの鳴き声が聞こえた。ぎこちない、初鳴きだ。

  以前、このブログでウグイスの鳴き声について書いたことを思い出して、検索すると、2006年5月4日のブログでヒットした。そのとき、こう書いていた。「五月晴れとはまさにきょうの空模様のことを言うのであろう。風は木々をわずかに揺らす程度に吹き、ほほに当たると撫でるように心地よい。今朝はもう一つうれしいことがあった。ウグイスの鳴き声が間近に聞こえたのである。おそらく我が家の庭木か隣家であろう。ホーホケキョという鳴き声が五感に染み渡るほどに清澄な旋律として耳に入ってきた。」

  それてしても、日付が5月4日となっていて、ウグイスの鳴き声を話題に取り上げるには時期がずれていると思い、金沢地方気象台の「生物季節観察」のデータをネットで検索した。すると、ウグイスの初鳴の平年は3月24日、もっとも早いのは2月20日(2007年)、もっとも遅いのは4月23日(1984年)とある。ということは、当時、我が家の周辺で私が耳にしたのはこれが初鳴きではなく、たまたま初めて耳にしたのがこの時期ということになる。しかも「ホーホケキョという鳴き声が五感に染み渡るほどに清澄…」と書いているので、ぎこちなさはすでに取れている。

  2005年4月28日にブログを開設してから2880日余り。ウグイスの鳴き声に季節を感じ、あれこれとブログに書けることは「幸い」である。ブログは人生の充実度を高めてくれている。

⇒25日(月)夜・金沢の天気   はれ

  
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★匿名報道へのワナ

2013年03月18日 | ⇒メディア時評

  これはある種のワナではないか、一連の記事を読んで感じた。18日付の朝刊各紙で報じられた、中国海軍のフリゲート艦が1月に海上自衛隊護衛艦にレーダー照射した問題で、中国軍の複数の高級幹部は17日までに、共同通信の取材に、攻撃用の射撃管制レーダーを照射したことを認めた、という内容の記事である。記事では、「艦長の緊急判断だった」と計画的な作戦との見方を否定し、昨年12月、中国の国家海洋局の航空機が尖閣付近で領空侵犯した問題は「軍の作戦計画」と認めたが「事態をエスカレートさせるつもりはなかったし、今もない」と言明した、と続けている。この記事だけを読めば、レーダー照射問題に関して一貫して否定してきた中国側の「奥深い」訂正のメッセージかと思ってしまう。

  これに対して、18日のメディア各社のネットニュースでは、中国国防省報道事務局は18日、中国海軍艦艇による海上自衛隊護衛艦へのレーダー照射問題で、中国軍幹部が射撃管制用レーダー照射を認めたとする日本の一部メディアの報道について「事実に合致しない」と改めて否定する談話を発表した、とある。さらに、同局は「日本側がマスコミを使って大げさに宣伝し、中国軍の面目をつぶして、国際社会を誤解させるのは、下心があってのことだ」と非難。「日本側は深く反省し、無責任な言論の発表をやめ、実際の行動で両国関係の大局を守るべきだ」と求めた、というのだ。

  中国国防省報道事務局がノーコメントならば、「奥深い」訂正のメッセージと解釈できるのだが、「日本側がマスコミを使って大げさに宣伝し、中国軍の面目をつぶして…」とあるように、日本の政府が仕組んだ宣伝と発表したことで、冒頭の「ワナではないか」と感じるのだ。

  国内メディアを徹底的に管理監督している中国政府はメディアのツボというものを熟知している。共同通信の取材源は「中国軍の複数の高級幹部」としており、匿名報道なのだ。日本のメディアではこの匿名報道を多用している。国内でも「政府筋によると」や「事件の捜査担当者によると」などとして実名を明かさない。「情報源の秘匿」と言えば、そうなのだが、アメリカのメディアなどは実名報道を原則としている。中国で、匿名報道がどれほど通用するだろうか。直観したのは、この日本のメディアの匿名報道の手法が逆用されて、日本政府への攻撃キャンペーンに利用されるのではないか、と。

  というもの、最近中国側の外国メディアに対する関わりが散見される。18日付の読売新聞ネットニュースでは、ニューヨーク特派員の署名記事で、アメリカのウォール・ストリート・ジャーナル(WSJ)は、WSJ中国支局の社員が情報提供の見返りに複数の中国政府当局者に贈賄行為を行ったとの告発があり、米司法省の調査を受けたことを明らかにした、との報道があった。しかし、WSJによる内部調査の結果、告発を裏付ける証拠はなく、同紙の中国報道への報復を狙った可能性があると同省に伝えたという。その報復とは、WSJによると、職権乱用や巨額収賄などを問われて公職から追放された薄煕来・元重慶市党委書記に関する報道と関連があり、告発者は中国政府の意向を受けた人物とみている。WSJは中国指導者層の腐敗などに関する記事を掲載している。司法当局に「タレこむ」でことで、ある種の取材抑制を仕掛ける意図が見えてくる。

⇒18日(月)夜・金沢の天気     あめ  

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☆能登の「グローカルな風」

2013年03月13日 | ⇒トピック往来
   昨日のブログ「能登の風景を変える人々」の続き。金沢大学の能登における役割を考えたい。能登半島の先端で金沢大学は何を行っているのか、そのメリットは何かとよく尋ねられる。学内からもだ。2006年10月に廃校だった校舎を珠洲市から借り受けて始めた「能登半島 里山里海自然学校」。三井物産環境基金の補助金を得て、生物多様性と地域づくりをテーマにプログラムを展開した。このメリットは、常駐研究員を置いて、レジデント型研究の実績が積み上がったことだった。絶滅危惧種のホクリクサンショウオを能登半島の先端で確認したり、地元でコノミタケと重宝されるキノコがDNA解析で新種と判明し、「ラマリア・ノトエンシス」(能登のホウキダケ)と学名をついたりと、そこに研究者がいなければ、地域の人たちの協力がなければ陽の目をみなかったことが次々と生態学的なアカデミックな場に登場させた。

  次に翌年10月、「里山マイスター」育成プログラムという社会人の人材養成カリキュラムをつくった。文部科学省の科学技術振興調整費という委託金をベースにした。これで、常駐するが教員スタッフ(博士研究員ら)が一気に5人増えた。対外的には、「地域づくりは人づくり」と言い、学内的には「フィールド研究」といい、地域貢献と学内研究のバランスを取った。当初予想しなかったのだが、このプログラム(5年間)の修了生62人を出すことで、大学は大きなチカラ=協力者を得たことになった。この62人は卒業課題論文を仕上げ、パワーポイントでの発表を通じて審査員の評価を得、またプレゼンテーション能力を磨いた若者たち(45歳以下)である。そして、その後もアクティブに活動している。

  ことし、2月20、19日に世界農業遺産(GIAHS)セミナーを珠洲市で開催し、GIAHS事務局長のパルビス・クーハムカーン氏をローマから招いた。2日目、有機農業(個人経営)、企業農業、里山のデザイナー、菓子職人らマイスター修了の若者たち含め6人がそれぞれ10分ほど発表した=写真=。ビジネスベースでは軌道なかなか乗らないものの、里山で取り組む「夢」を真顔で語ったのだ。一つひとつの発表にコメントしたパスビス氏は最後に「あなたたちのその夢をぜひ実現してほしい。その成功が世界の若者をどれだけ勇気づけることか。バイオ・ハピネス(Bio-Happpiness)、自然と和して生きようではないか」と励ました。世界では若者の農業離れが進んでいる。若者を農村や里山に戻すには、新しい価値観が必要、それがバイオ・ハピネスという生き方というのだ。

  GIAHSは国連の食料農業機関(FAO)が認定している。能登など認定されたサイト(地域)は国際評価を受けたことになる。今回の世界農業遺産(GIAHS)セミナーはある意味で、能登の里山で農業やビジネスに取り組む若者たちと、認定機関FAOをつないだことになる。このセミナーを主催した中村浩二教授は「能登の里山は世界の里山とつなっがている。能登の若者たちが世界に目を向けることで、能登の新たな可能性を引き出すことができる。グローバルでもローカルでもない、グローカルに生きよう」と挨拶した。新しい価値観、それは国際ビジネスの最前線に立ち、グローバルに世界を飛び回ることだけではない。それには限界があり、なにしろコストがかかる。むしろ、同じ課題を抱える地域の者たちが世界中から生き抜く知恵を集める作業が必要になると、中村教授はいうのだ。世界の流れはすでにその方向に向かっている。

  不思議なことに。上記を裏付けることがある。「SATOYAMA」と「NOTO」は国際的に通用する言葉になっている。2010年10月、生物多様性条約第10回締約国会議(開催地:名古屋市)で「里山イニシアティブ」採択された。その後、2011年6月、GIAHS「NOTO‘s Satoyama and Satoumi」が認定された。この条約やFAOに関わりのある190ヵ国余りの担当者はこの言葉をマークしている。そして、能登の里山を訪れる海外からの研究者や行政担当者が数年随分と増えているのだ。その受け入れを大学、そして協力してくえる自治体、里山マイスターの受講生・修了生(JICA出身者が多い)が担っている。この現象を「能登のグローカルな風」と個人的に称している。

⇒13日(水)朝・金沢の天気    はれ
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★能登の風景を変える人々

2013年03月12日 | ⇒トピック往来

   先月9日、水戸市に出かけた。平成24年度「地域づくり総務大臣表彰」を受けるためだ。金沢大学が能登半島の先端で展開する「能登里山マイスター」養成プログラム運営委員会(代表:中村浩二教授)が授賞したのだ。中村教授に随行者として同行した。このブログでも何度となく紹介したが、「地域づくりは人づくり」、この地道な5年間のプログラムを振り返ってみる。

   日本海に突き出た能登半島に金沢大学の能登学舎(石川県珠洲市)がある。しかも、地元の人たちが「サザエの尻尾の先」と呼ぶ、半島の先端である。ここに廃校となっていた小学校施設を市から無償で借り受けて、平成18年から研究交流拠点として活用している。学舎の窓からは、日によって海の向こうに立山連峰のパノラマが展開する。この絶好のロケーションで、環境に配慮した農林漁業をテーマに社会人のための人材育成が行われている。

   能登半島は過疎・高齢化が進み、耕作放棄地も目立っている。追い討ちをかけるように、平成19年3月25日、能登半島地震(震度6強)が起き、2000棟もの家屋が全半壊した。能登の地域再生は待ったなしとなった。震災の発生する2月前に文部科学省科学技術振興調整費(当時)のプログラム「地域再生人材創出拠点の形成」に「能登里山マイスター」養成プログラムを申請していた。5月に正式採択されたが、喜びよりもミッション遂行の責任の重さがずっしりと肩にのしかかってきたとの思いだった。石川県が仲介役となって、金沢大学と石川県立大学、そして奥能登にある2市2町(輪島市、珠洲市、穴水町、能登町)の6者が「地域づくり連携協定」を結び、同年10月に開講にこぎつけた。連携する自治体は、広報やケーブルテレビを通じて受講生の募集業務やプログラムを受講する職員の推薦、移住してくる受講生の窓口の役割を担ってもらった。実際、このプログラムを受講した移住組は14人に上った。

   能登の地域再生を目指す人材像を3タイプに分けて、毎週土曜に講義と演・実習を2年間受講する形式を取った。その3つのタイプとは、「環境に配慮した農林漁業人材」、「付加価値をつけ流通させるビジネス人材」、「地域リーダー人材」である。事業の最大の成果は、修了生62人(45歳以下)のうち52人が奥能登に定着し(定着率84%)、能登を活性化する多様な取り組みの中心として活躍していることである。たとえば、農林漁業人材では、水産加工会社社員(男性)が同社の新規農業参入(耕作面積26㌶)の中心的役割を果たし、地域の耕作放棄地を減少させている。製炭業職人(男性)は高付加価値の茶道用の高級炭の産地化に向けて、地域住民らともに荒廃した山地に広葉樹の植林運動を毎年実施している。この男性は平成22年度の地域づくり総務大臣表彰で個人表彰を受けた。

   定着率が高いのは、2年間のカリキュラムを通して、受講生同士の情報交換や仲間意識といったネットワークづくりが奏功したのだと分析している。また、追い風もある。平成23年6月、国連食糧農業機関(FAO)から「能登の里山里海」と「トキと共生する佐渡の里山」が世界農業遺産(GIAHS)に認定され、持続可能型社会のモデルとして国内外で注目され始めている。5年間で終了した「能登里山マイスター」養成プログラムの後継事業として、平成24年10月から能登「里山里海マイスター」育成プログラムが大学と自治体の出資でリニューアルスタートとした。受講生は40人余り。東京から通いで学んでいる女性たちもいる。マイスター修了生の活動の輪がさらに広がり、近い将来、能登の風景を明るく変えてくれるに違いない、と楽しみにしている。

※写真は、農産物の販売実習の風景

⇒12日(火)夜・金沢の天気    はれ

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☆震災とマスメディア

2013年03月11日 | ⇒メディア時評
  きょう11日は東日本大震災から丸2年となる。震災が発生した2011年3月11日14時46分ごろ、私は金沢大学サテライトプラザで「事業企画・広報力向上セミナー」という社会人向けの講座を開いていた。イベント企画などをマスメディアに向けて発信するニュースリリース文の書き方の実習を行っていた。当時、金沢の揺れは震度3だったが、揺れを感じた人は少なかった。講義室は2階だった。別の教員がたまたま1階の事務室でテレビ速報を見ていて、「東北と関東が地震で大変なことになっている」と血相を変えて2階に上がってきた。それが震災を知った最初だった。

  自宅に帰り、テレビにくぎ付けになった。NHKが空撮の映像を流していた。東北のテレビ局の友人に聞くと、当時、マスメディアの中で、ヘリコプターを飛ばすことができたのはNHKだけだった。たまたま別の取材でスタンバイしていて、瞬時に飛ばすことがた。ほかの民放テレビ局のヘリは、駐機していた仙台空港が津波に襲われ破損したのだった。この話を聞いて、メディアも被災者だったのだと実感した。その後、東北の被災地に何度か出かけた。震災から2ヵ月後の5月11日から13日に仙台市と気仙沼市を取材に、昨年2月2日と3日に仙台市をシンポジウム参加で、ことしに入って、2月25日に福島市をシンポジウム参加で訪れた。

  地震の被災地を訪れたのは2007年3月25日の能登半島地震、同年7月16日の新潟県中越沖地震以来だった。新潟は震度6強の激しい揺れに見舞われた。震源に近く、被害が大きかった柏崎市は原子力発電所の立地場所でもあり、地震と原発がメディアの取材のポイントとなっていた。そんな中で、「情報こそライフライン」と被災者向けの情報に徹底し、24時間の生放送を41日間続けたコミュニティー放送(FM)を取材した。それ以降、毎年、マスメディアの授業では、メディアが被災者と被災地に果たす役割とは何かをテーマに「震災とメディア」の講義を2コマないし3コマを組み入れている。震災から2ヵ月後に訪れた仙台市と気仙沼市は講義の取材のためだった。

  東日本大震災は、震災、津波、火災だけにとどまらず、原発事故も重なり痛ましい災害となった。担当しているマスメディアの授業では、学生たちの被災地の様子を伝えたいと考え、自ら被災者でもある現地の東日本放送(仙台市)の番組プロデューサー(局長)や報道部長に金沢大学に来てもらい、「震災とメディア」をテーマにこれまで講義を2回(2011年12月13日、2012年5月8日)をいただいた。ことしも5月に同放送局の報道の編集長を招いて、その後の被災者とメディアのかかわりについて話してもらう。これまでの講義で「寄り添うメディアでありたい」との言葉が印象的だ。3年目を迎え、それを具体化するためにどのような番組づくりを行っているのか、学生たちに直接話を聞かせてやってほしい。授業を通じて、震災を考える、メディアの在り様を考える、地味ではあるが続けていきたい。2007年から始めた「震災とメディア」の講義はこれまで6年間で1200人余りの学生が履修してくれた。

※写真は、被災地とメディアの有り様を学生たちに考えさせる授業で使っている写真の中の1枚。2007年3月の能登半島地震後に撮影

⇒11日(月)朝・金沢の天気   はれ
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★黄砂で霞み、移ろう季節

2013年03月10日 | ⇒トピック往来

  8日に能登半島の七尾市に所要で出かけた。金沢もそうだったが、どんよりと空がかすんでいた。一時雨が降ったが、雨が上がってもどんよりとした土色のかすみが空を覆い、晴れ上がることはなかった=写真=。黄砂がやってきた、と直感した。毎年この季節はかすむのである。ただ、ことしの黄砂は目と鼻に刺激が強いのだ。

  その後、金沢地方気象台は今年初めて金沢市で黄砂を観測したと発表した(9日)。健康への影響が問題視されている微小粒子状物質(PM2・5)の大気中濃度は、石川県内の5観測地点のうち4ヵ所で国の環境基準値を上回った。PM2・5は金沢に隣接する野々市市の観測地点で7日にも、国の基準を超えた1日平均で1立方㍍当たり35.2マイクロ㌘が観測されている。「ただちに健康に影響を及ぼすものではない」と石川県も発表しているが、PM2・5と黄砂がダブルでやってきたので、思いは複雑だ。

  きょう10日は大安の吉日。午後から友人の結婚式がJR金沢駅前のホテルであり、出席する。念のために金沢地方気象台の予報(午前7時58分発表)をチェックすると、「寒冷前線が通過し、冬型の気圧配置となる見込みです。このため、石川県では、雨で昼過ぎから次第に曇りとなるでしょう。また、昼過ぎまで雷を伴う所があるでしょう」と。確かにきょうは朝から強い風雨と、そして黄砂のせいか土色で空はかすんでいる。荒れ模様での結婚式になりそう。こんなお天気でのお祝いのスピーチはだいたい決まっていて、「雨降って、地固まると昔から申しまして…」となる。めでたい。

  金沢の冬は「雪吊り」に始まり、「雪吊り外し」で終わる。北陸の雪は湿気を含んで重い。庭木の枝に雪が積もると折れてしまう。そこで、木の幹に高い竹棒をくくりつけ、てっぺんからパラソル状にわら縄を下して枝に結び、折れないように補強するのだ。ことしの積雪は例年に比べ少ないが、それでも通算20回は雪かきに出ただろうか。例年と違ったのは、しんしんと積もるというパターンではなく、ゲリラ的に積もるという日が多かった。3月に入って、北海道ではきょうも防風雪だそうだ。それにしても、今月2日、北海道湧別町で地吹雪で乗用車が雪にはまり動けなくなった父親(53)が長女(9)をかばい凍死した事故があった。痛ましい。

  今月に入り、近所では「雪吊り外し」が始まっている。植木職人たちが竹棒を外すパタン、パタンという音が聞こえる。さまざまな冬の思い出と出来事を人々の記憶に残し、季節は春へと確実に移ろっている。

⇒10日(日)朝・金沢の天気    風雨

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☆ともかく、ネット選挙

2013年03月09日 | ⇒トピック往来

  インターネットの活用を選挙で解禁する公職選挙法改正案が今の国会でようやく成立しそうだ。随分と待たされたとの感じがする。今回は本当だろうなとの猜疑心もよぎる。これまで、ネット選挙解禁についての論議は何度もありながら、政治の混乱の中で法案は提出されてこなかった。たとえば、2010年の参院選挙の前に、自民、民主、公明の与野党は候補者・政党が選挙期間中にホームページやブログを更新できるとする合意していたのに、である。

  インターネットの活用を選挙で解禁するにあたり、ネックとなっていたのは、現行の公職選挙法は、公示・告示後の選挙期間中は、法律で定められたビラやはがきなどを除き、「文書図画(とが)」を不特定多数に配布することを禁じていたからである。候補者のホームページやツイッターなどソーシャルメディアの発信は、こうした文書図画に相当し、現行では認められていないのだ。

  7日に自民党総務部会で了承された公職選挙法改正案を、報じられたニュースをもとにチェックしてみる。その骨子(ポイント)は5つある。◆電子メールを除き解禁。今夏の参院選から適用、◆メール送信は政党と候補者に限る。アドレス表示を義務づけ、虚偽表示には罰則。送信先の同意が必要で、同意を得た記録を保存する、◆落選運動をする際はアドレス表示を義務づける。虚偽表示には罰則、◆選挙運動用の有料ネット広告は原則禁止、◆選挙後のネットを利用したあいさつ行為を解禁…となる。

  ソーシャルメディアの国内での広がりを背景に、法案では、候補者や政党以外の有権者だれでも、ホームページ(HP)やフェイスブック(FB)、ツイッターを活用した選挙運動ができる(解禁する)。HPなどにはメールアドレスなどの連絡先を明記することを義務づけ、別人を語る、いわゆる「なりすまし」を防ぐ。ただし、メールを送信する選挙運動は、なりすまし対策が難しいために政党と候補者に限定される。さらに、政党と候補者は送信先の同意が必要で、たとえば、メールマガジンを購読者に送る場合は、送信することを事前に通知して拒否されないことを条件としている。さらに、規定に違反したり第三者がメール送信をした場合は、2年以下の禁錮か50万円以下の罰金を科し、公民権停止の対象となる。

  今回の改正案で面白いのは、候補者を当選させないための「落選運動」も事実上認めていることである。たとえば、選挙期間中(公示・告示から選挙当日)に「あの人の街頭演説はヘタだった」と有権者がFBで書くのは自由だ。ただ、アドレスや氏名の明記を義務づけ、罰則も定めた。アドレスの表示義務を果たしていないHPなどは、プロバイダー(接続事業者)が、中傷を受けた候補者らからの削除要求に応じるが、賠償責任までは負わないという免責も規定されている。

  有権者にとって、メールで知人に特定の候補者の投票を呼びかけたりはできないので、解禁とは言いながらも物足りなさも感じる。今回の改正案では、「なりすまし」メールを過度に恐れている節も見受けられ、もどかしい。が、まずはネット選挙をスタートさせることだ。

⇒9日(土)朝・金沢の天気   はれ

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★その舞台裏はさぞ…

2013年03月08日 | ⇒トピック往来

  全国的には大きなニュースになってはいないのだが、金沢ではあるニュースが話題を呼んでいる。オーケストラ・アンサンブル金沢(OEK)の指揮者で、音楽監督の井上道義氏が北朝鮮の国立交響楽団の招待を受け、現在訪朝している。8日には、ベートーベンのシンフォニー第9番のタクトを振るというのだ。

  これに関して、現地で共同通信の記者のインタビューを受けた井上氏は「政治的に解決できないことが(両国間で)あるとしたら、僕らみたいなのが穴をあけ、互いの疎通を図ることが必要だ」「第九は平和を望む内容の曲。(演目として)僕から持ちかけ(北朝鮮側が)すんなり乗ってくれた」「音楽だけでなく、できることがある人は何とかつながりを持ち、この国にいろいろな情報を入れてあげないといけない」と話した(8日付・北陸中日新聞)。

  井上氏の訪朝は石川県議会2月定例会(7日、一般質問)でも取り上げられた。自民党の議員が「芸術家であっても北朝鮮に対する厳しい目に気付くべきだ」と。芸術家はそれ(訪朝)を「使命」と言い、議員はそれを「甘え」と言い、この話は結論が出ない。
  

  その北朝鮮は政治の舞台では暴走している。国連安全保障理事会の制裁決議が採択(7日)を受け、北朝鮮側はきょう8日、1953年の朝鮮戦争休戦協定を破棄し、南北直通電話も遮断すると、テレビ画面でアナウンサーが声高にぶち上げた。「停戦白紙化」「ワシントンを火の海にする」など、アメリカの韓国の合同軍事演習を意識して挑発的なアナウンスメントを繰り返している。

  まさに瀬戸際外交だが、その裏で、金正恩第1書記は平壌の競技場で北朝鮮とアメリカ人の選手が参加したバスケットボールの試合を、NBAの元スター選手デニス・ロッドマン氏とともに観戦(2月28日)、「バスケ外交」を展開している。

  井上氏の第九演奏の指揮もその政治的な外交演出の一つなのだろう。いわば芸術の政治利用と言ってよい。その視点で見れば、井上氏の訪朝は果たして是だったのか…。硬軟織り交ぜた北朝鮮の「仕掛け」には驚嘆する。それにしても、北朝鮮の国立交響楽団による「第九」の演奏が今回初演というのだから、その舞台裏はさぞ…。

⇒8日(金)夜・金沢の天気  はれ

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☆医療と薬を遠ざけて

2013年03月07日 | ⇒ランダム書評

  昨年暮れに中国・雲南省のハニ族の棚田での学術交流に参加した研究者から聞いた話だ。ハニ族の人たちはとても前向きな性格で、「水が飲めたら酒を飲め、声が出たら歌え、歩けたらダンスを踊れ」というそうだ。一言でいうならば、人生を楽しもう、これが長生き健康の秘けつである、と。先祖が創り上げた、壮大な棚田を維持するすためには、勤労意欲、そして健康で長生きでなければならない。そのような前向きな民族性がこの棚田を守る精神的なベースとしてある、というのだ。

  もう一つ健康に関する話題を。政府の規制改革会議が、一般用医薬品のインターネット販売に関し、原則として全面自由化を求める方針を固めたとメディア各社が報じている(7日)。あす8日に規制改革会議を開き、厚生労働省に対して薬事法の改正などを求める、という。これまで副作用のリスクが高い第1類など薬のネット販売は省令で禁止されていたが、ネット販売会社が起こした訴訟判決で最高裁はことし1月、省令について「薬事法の委任の範囲を超えて違法」と判断、事実上ネット販売が解禁されている。規制改革会議としては、全面自由化の前提として、販売履歴の管理や販売量の制限といった安全確保策に関して議論する。

  医薬品のネット販売は一見、選挙運動のネット解禁とイメージがだぶり、規制改革のシンボルのように思える。が、個人的な感想で言えば、「これ以上、国民を薬漬けにするな」との思いもわく。高血圧患者4千万人、高コレステロール血症(高脂血症)3千万人、糖尿病は予備軍含めて2300万人・・・と、日本にはすごい数の「病人」がいる(近藤誠著『医者に殺されない47の心得』より引用)。たとえば、高血圧の基準が、最高血圧の基準は160㎜Hgだったものが、2000年に140に、2008年のメタボ検診では130にまで引き下げられた。50歳を過ぎたら「上が130」というのは一般的な数値なので、たいい高血圧患者にされ、降圧剤を飲んで「治療」するハメになる(同)。その結果として、1988年には降圧剤の売上は2000億円だったものが、2008年には1兆円を超えて、20年間で売上が6倍に伸びた計算だ。

  高血圧の原因は、9割以上が不明という。また、日本人の血圧が下げることによって死亡率が下がる、心臓病や脳卒中などが減ると実証されたデータは見当たらない(同)。近藤氏の著書を読んで、話を総合すると、日本人ほど医者と薬を信用する民族はいない。信じ切っている。そして「信じる者は救われる」と思っている。一方で、さして根拠もなく、数値データで「病気」にされ、薬を飲む。

  個人的な感想と言ったのも、じつは自分自身も「高血圧症」でもう10年余り前から降圧剤を服用している。首筋あたりが重く感じられ、病院で血圧を測ったところ160だったので、それ以来ずっとである。そのとき医者から「このまま放っておくと血管がボロボロになりますよ」と言われたのが病院通いのスタートだった。毎日4種の降圧剤を飲み続けている。

  近藤氏はこう書いている。フィンランドで75歳から85歳までの「降圧剤を飲まない」男女521人の経過の調査で、80歳以上のグループでは、最高血圧が180以上の人たちの生存率が最も高く、140を切った人たちの生存率はガクンと下がる。なのに日本では、最高血圧130で病気にされる、薬で下げさせられている。もし、このようなデータが日本で調査されているのであれば、ぜひ公開していほしいと望む。

  本の副題は「医療と薬を遠ざけて、元気に長生きする方法」。なるべくならば薬は飲みたくない、医者にもかかりたくない。持病があったとしても、ハニ族のように「水が飲めたら酒を飲め、声が出たら歌え、歩けたらダンスを踊れ」と前向きに人生をまっとうしたいものだ。

⇒7日(木)夜・金沢の天気   はれ

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