自在コラム

⇒ 日常での観察や大学キャンパスでの見聞、環境や時事問題、メディアとネットの考察などを紹介する宇野文夫のコラム

★大統領か役者か

2016年05月28日 | ⇒メディア時評
   ブログの開設から4000日余り、これほど一つの事柄に集中してアップロードしたことはない。それほど、今回のオバマ大統領の広島訪問は私自身にもインパクトがあった。単にアメリカの現職大統領が広島を訪問したという事実ではなく、その背後に脈々と流れる歴史の連続性というダイナミックなドラマを目の当たりにした実感が感動として伝わってきた。新たな歴史の証言者になったような、ちょっと浮ついた高揚感もあった。以下、自宅でテレビ中継を視聴した印象である。

  17時37分、オバマ氏が広島市の平和記念公園の原爆死没者慰霊碑を訪れ、献花に臨んだ。安倍総理と並んで献花するのかと思っていたが、そうではなく、まずオバマ氏が献花し、その後に安倍氏が続いた。オマバ氏は頭を献花の後に頭を下げずに黙祷を、安倍氏は献花の後に頭を下げて黙祷をささげた。頭を下げての黙祷は日本では当たり前なのだが、アメリカではこれが原爆死没者に対する「謝罪」と映るのだろう。もし、安倍氏とオバマ氏が2人同時に献花し黙祷をささげたら、片や頭を下げる姿、片や下げない姿がくっきりと対比される。すると、映像的な印象度として、オバマ氏の姿は日本では良くないものになる。献花にあたっては、日本とアメリカで随分と打ち合わせ、計算されし尽くされたのだと中継映像を視聴しながら感心した。

  17時41分から始まったオバマ大統領の所感は実に17分間に及んだ。同時通訳では所感という表現だったが、これはもう堂々とした演説だった。注目したのはこの下りだ。

  Among those nations like my own that hold nuclear stockpiles, we must have the courage to escape the logic of fear and pursue a world without them. We may not realize this goal in my lifetime, but persistent effort can roll back the possibility of catastrophe.(わが国のように核を保有する国々は、恐怖の論理から逃れ、核兵器なき世界を追求する勇気を持たなければならない。私たちが生きている間にこの目標は達成できないかもしれないが、たゆまぬ努力が大惨事の可能性を小さくする。)

  オバマ氏が2009年4月にチェコ・プラハのフラッチャニ広場で行った核兵器の軍縮に関する演説より、内容がさらに深化しているとの印象だ。プラハでは核兵器廃絶へ行動するmoral responsibility(道義的な責任)があるとの表現だった。それを、今回はcourage(勇気)と強調している。道徳的な責任から、行動する勇気へとより前向き姿勢に転じてるのではないかと。

  18時06分、オバマ氏は同席した被爆者と挨拶を交わした。オバマ氏が肩を抱き寄せた人がいた=写真=。あの人は誰だろうと思った。中継番組のキャスターの解説から、被爆者であり歴史研究家の森重昭という方だった。79歳の森氏は、被爆死したアメリカ兵の捕虜について調査を続けてきた民間の研究者で、原爆の犠牲者に国籍は関係ないとの思いから、被爆死した12人のアメリカ兵の家族を捜し出して存在を特定し、原爆による死没者として広島市の名簿登録に動いた人だった。オバマ氏の演説の中で、the man who sought out families of Americans killed here because he believed their loss was equal to his own.(ある男性は、ここ(広島)で死亡したアメリカ人の家族を捜し出した。その家族の失ったものは、自分自身が失ったものと同じだと気付いたからだ。)の下りがある。「ある男性」とはアメリカ兵の原爆死没者慰霊碑の名簿登録に奔走した森氏のことだ。

  大統領は自らの演説の中で語ったエピソードのまさにその人物と会えた。幼いころに被爆し、アメリカを恨むのではなく、被爆者として人道的な活動にいそしんだ人がそこにいる。感極まったのだろう、そしてそっと肩を抱き寄せた。プラハではカッコイイ大統領の姿だった。ヒロシマでは深い人間愛をもった大統領の姿がそこに見えた。これも裏方が仕込んだ巧妙な演出と言えば、それまでかもしれない。それでも、その演技をさりげなくこなすのがオバマ大統領なのだろう。

  この後、原爆ドームの外観を見て大統領専用車に乗り込んだ。歴史的な訪問、平和記念公園に滞在した時間はおよそ48分間だった。


⇒28日(土)朝・金沢の天気   はれ   
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☆救世主かほら吹きか

2016年05月27日 | ⇒メディア時評
  26日開幕した伊勢志摩サミット(G7首脳会議)で気になったことがある。それは、安倍総理が、2008年のリーマン・ショック並みの危機が再発してもおかしくないほど世界経済が脆弱と説明し、G7各国に財政出動などの実施を促したことだ。この尋常ではない発言の意義を考えた。

 報道によると、安倍総理は討議に参考データを提出し、現在、世界経済がリーマン危機前に酷似していると指摘。その理由として、最近のエネルギーや食料など商品価格がリーマン・ショック前後と同じく55%下落。さらに、新興国の投資や経済成長も同じ落ち込みを示し、新興国から資金の流出が再び起きている。主要国の成長率見通しの下方修正が繰り返されるのも当時と同様だと説明し、「かなり世界経済のリスクが高い」と発言した。

  その上で安倍総理は、G7各国に財政出動を含む強力な政策の実施を促した。これに対し、ある首脳から「いわゆるクライシスとまで言うのはいかが」との意見も出された。ただ、「新興国の経済が厳しい」という基本的な認識は全員一致したという。財政出動をするという国は複数あったが、財政出動に言及しなかった国もあった。ただ、財政出動を否定した国はなかった。

  ここで気になるいくつの点がある。リーマン・ショックの震源地はアメリカだったが、今回の震源地はどこなのかという点である。それは中国なのか、と読者・視聴者は勘ぐってしまうが、その解説記事は見当たらない。

  もう一つ気になる点。常識で考えれば、財政出動は各国がそれぞれの判断で実行するもので、それをあえてサミットの場で合意を取り付けるというのは、まさに一歩踏み込んだ、あるいは一線を超えているではないだろうか。あえてこの話をG7で持ち出した理由として、リーマン・ショックは洞爺湖サミットが開催されて数か月後に起き、危機は予見されていたにもかかわらず防ぐことができなかった。議長国として同じ轍を踏みたくないと説明したという。

  一方で、安倍総理が伊勢志摩サミットであえてリーマン・ショックを持ち出した本当の理由は国内向けで、来年4月に予定されている消費税率10%への引き上げを再延期する理由としているのではないかとのうがった見方をしている記事もある。ただ、消費税増税を延期するための正当性を得るのにわざわざセミットの場を使うだろうか。

  議長国として同じ轍を踏みたくないとするほどに、間近に世界的な経済危機が迫っているということならば穏やかではない。クライシスが的中すれば「世界経済の救世主」、外れれば「世界のほら吹き」となる。「財政出動、アベ提案」の真価はあと数か月で定まるのではないか。

⇒27日(金)朝・金沢の天気   あめ
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★ギリギリの共同会見

2016年05月26日 | ⇒メディア時評

  伊勢志摩サミット(G7首脳会議)を前に、アメリカのオバマ大統領と安倍総理による首脳会談が始まったのが昨夜9時40分。そして両氏が共同記者会見に臨んだのは10時43分だった。会見が終了したのは11時32分だった。日をまたぐ直前まで記者会見を実施したのは、沖縄のアメリカ軍属の男による女性の遺体遺棄事件について、首脳として何とかサミットが始まる前にけじめをつけておきたかったのだろう。ある意味でギリギリ間に合ったと、政府関係者は胸をなでおろしているかもしれない。以下、共同記者会見の様子を=写真・「NHKニュース」=をテレビで見ていてのメモだ。

【沖縄のアメリカ軍属による遺体遺棄事件について】
  冒頭で安倍総理がこの事件でオバマ大統領に断固抗議した、と述べた。「身勝手で卑劣極まりない犯行に非常に強い憤りを覚える。沖縄だけでなく日本全体に影響を与え、日本国民の感情をしっかり受け止めてもらいたい」とオバマ氏に言い、実効的な再発防止策の徹底など厳正な対応を求めた。さらに、日本とアメリカで協力して沖縄の基地負担軽減に全力を尽くすことで一致したことを述べた。オバマ氏は、沖縄で起きた悲惨な事件について(安倍総理と)話し合い、心からのお悔やみと深い遺憾の意を表明した。アメリカは、日本の司法制度のもとで正義が下されるよう、引き続き全面的に捜査に協力すると述べた。

【日米地位協定について】
  安倍総理は、一つ一つの問題について目に見える改善を具体化し、結果を積み上げてゆく。日米の双方が努力を重ね、協定のあるべき姿を不断に追求したい、と述べた。さらに、犯罪を抑止し、県民の安全安心を確保する対策を検討するよう官房長官に指示したことにも言及した。

【サミットについて】
  安倍総理は、世界経済の持続的かつ力強い成長をG7で牽引しなければならないとの認識で一致した、述べた。オバマ大統領は、世界経済の力強い成長と、TPP環(太平洋パートナーシップ協定)を前進させる必要性について話し合った、と述べた。

【被爆地・広島訪問について】
  オバマ大統領は、広島訪問は第二次大戦で亡くなったすべての人を追悼し、核兵器のない世界という共通のビジョンを再確認し、アメリカと日本の同盟を強化する機会となるだろうと、述べた。また、安倍総理は、オバマ氏による広島訪問の決断を心から歓迎していると述べた。核兵器使用国(アメリカ)のリーダーが戦争被爆国で犠牲となった市民に哀悼の誠をささげるのは、核兵器のない世界へ大きな力となると述べた。記者の質問で、シカゴ・トリビューンの記者からハワイのパールハーバー訪問の可能性を問われ、安倍氏は「現在私がハワイを訪問する計画はない」と言い切った。

⇒26日(木)朝・金沢の天気   はれ時々くもり

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☆ヒロシマで

2016年05月17日 | ⇒メディア時評
  これまでブログで、アメリカのオバマ大統領による被爆地・広島訪問について触れてきた。それはオバマ氏が2009年4月にチェコ・プラハのフラッチャニ広場で行った核兵器の軍縮に関する演説を、ぜひ実行してほしいと願うからだ。プラハでの演説で感銘を受けた下りはこのフレーズだった。

 Just as we stood for freedom in the 20th century, we must stand together for the right of people everywhere to live free from fear in the 21st century.And as nuclear power -- as a nuclear power, as the only nuclear power to have used a nuclear weapon, the United States has a moral responsibility to act. We cannot succeed in this endeavor alone, but we can lead it, we can start it.

 So today, I state clearly and with conviction America's commitment to seek the peace and security of a world without nuclear weapons.
  (20世紀に自由のために立ち上がったように、21世紀にすべての人が恐怖から自由に生きられる権利のために一緒に立たなければいけません。核保有国として、核兵器を使用したことがあるただ一つの核保有国として、アメリカ合衆国は行動する道義的な責任を持っている。私たちは一カ国ではこの努力を成功させることはできないが、リードすることはでき、始めることはできる。  今日、私は信念として、アメリカが核兵器のない平和で安全な世界を追求すると約束する。)

  この演説の中で、「moral responsibility」という言葉が重いと感じている。「道義的な責任」との訳だ。核兵器を使用した国としての、二度と使わないために人類は何をすればよいか、それは明確だ。しかし、現実には核兵器廃絶の道は遠い。核弾頭は、アメリカ、ロシア、イギリス、フランス、中国のほか、インド、パキスタン、北朝鮮が保有を表明している。イスラエルは公式な保有宣言はしていないものの、核保有国とみなされている。一番多いロシアが7500発分とされる(時事通信社ホームページ)。

  さらに、アメリカはいまだに核兵器禁止に向けての法的措置については消極的であり、現在ジュネーブで行われている国連作業部会にも出席していない。さらに、核軍縮に逆行するような「核兵器近代化計画」を膨大な予算を使って継続中である(長崎大学核兵器廃絶研究センターのホームページ)。そこで、懸念されるのが、被爆地訪問だけに終わって、核廃絶の動きに向かうパワーにはなりえないのではないかということだ。

  逆転の発想で、現職のアメリカ大統領によるヒロシマ訪問は未来可能性を秘めているとも言える。第一に、現職のアメリカの統領が被爆地を訪れることにより、ほかの核保有国のリーダーにとって、被爆地訪問の敷居が低くなる。伊勢志摩サミットに出席するイギリス、フランスの首相、大統領をぜひ誘ってヒロシマを訪問していほしい。第二に、ぜひ「ヒロシマ演説」だ。演説という形態になるかは別として、その内容によっては、膠着状態に陥っている核廃絶への動きに突破口が開かれるかもしれない。核兵器のない世界へ、実現可能性の未来が拓かれることを願っている。

⇒17日(火)朝・金沢の天気  くもり
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★伊勢志摩からヒロシマへ

2016年05月11日 | ⇒メディア時評
  アメリカのオバマ大統領が被爆地、広島を訪れることが決まったと昨夜、テレビのニュース速報が流れた。5月27日の伊勢志摩サミット終了後に、安倍総理とともに広島を訪問する。任期の最終年で今回を逃せば、現職のアメリカ大統領の広島訪問の実現は難しいと、日本とアメリカの両政府は水面下で相当調整を進めてきたようだ。2009年4月、プラハでの演説でオバマ氏は「核兵器なき世界」を提唱し、ノーベル平和賞を受賞した。唯一の戦争被爆地の訪問は7年の歳月を経てようやく実現することになる。

  その予感はあった。GWに伊勢志摩を旅行した折、ガイドしてくれたタクシー運転手が「6機分のヘリポートがすでに設置されている」とサミット会場(志摩観光ホテル)の周囲の様子を話した。そのとき、「なぜ6機分もいるのか」と思ったが、今回のニュースでピンときた。ひょっとしてオバマ大統領だけでなく、他の首脳も同行するのではないか、と。G7なので本来7機分だが、ヘリポートは平場があれば仮設で増やせる。一斉にヒロシマに向けて飛びつ立つヘリの姿は「絵になる」かもしれない。

  それにしても、オバマ氏の決断は急だったのだろう。安倍総理が昨夜(10日)総理官邸で報道各社のインタビューに応じたのは午後9時4分、その直後にニュース速報が一斉に流れた。それまで総理は6時31分から東京・赤坂の料理屋で会食をしていた。8時30分に官邸に戻ってきた。その30分後にインタビューに応じた。

  急だったというのは安倍総理がインタビューしている様子がニュースで流れていたが、総理に向けられたテレビ局のマイクは2本しか映っていなかった。テレビ各社の中でこの慌ただしい動きを察知して総理インタビューに間に合ったのは2社だけだった。その後、ホワイトハウスでアーネスト報道官が記者会見で大統領の広島訪問を発表したのは日本時間で午後9時30分ごろだった。ということは、ホワイトハウス側が日本側にオバマ氏の決断を正式に知らせたのはアメリカ側の会見のわずか30分余り前だったことになる。

⇒11日(水)朝・金沢の天気   風雨

  
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☆伊勢志摩の肝(きも)-続

2016年05月06日 | ⇒ドキュメント回廊
 伊勢志摩に来て、海女たちの存在感がとてつもなく大きいと初めて知った。海女は全国でおよそ2000人、そのうち志摩760人、鳥羽250人と半数を占める。それだけの数のプロが存在するということは生業(なりわい)として成立しているからだ。ちなみに能登半島・輪島の海女は200人だ。

   ジェンダーを超えるプロ意識、海女文化をユネスコ無形文化遺産に

  かつて鳥羽では真珠養殖にとって、海女はなくてはならない存在だった。海底に潜ってアコヤ貝を採取し、核入れした貝を再び海底に戻す作業が仕事だった。赤潮の襲来や台風の時には、貝を安全な場所に移す作業に従事した。海女の潜水技術がなければ御木本幸吉の養殖真珠の成功はありえなかった。現在は養殖技術が発達し、海女の作業の必要性はなくなったが、ミキモト真珠島では伝統的な海女の潜水作業が1時間ごとに実演されている=写真=。単なるショーではなく、「真珠養殖の功労者」を記念するイベントとして紹介している。

 海女とアワビの関係も重要だ。海女がとったアワビは、伊勢神宮の御料鮑調整所(鳥羽市国崎)で熨斗あわびにとして調整され、神宮の祭礼に献上される。連綿と二千年の歴史を刻む。アワビが食材の最高級ブランドとして日本人の間で定着しているのも、食感もさることながら、この神饌としての歴史的価値が背景にあるのは言うまでもない。志摩観光ホテルの英虞湾を望むレストランで、フランス料理のメインデッシュとして「志摩産黒飽ステーキ」が堂々とテーブルに置かれる。

  数千年にわたってアワビを守り育て、生業(なりわい)の糧としてきた、海女たちのたゆまぬ営みが、国際的にも注目されている。海女文化を、ユネスコの無形文化遺産として登録を目指す動きだ。評価すべき点はこれまで述べたように「素潜り潜水という技術を身に着けた自立した女性の職業として後継者がいること」「女性の職業として数千年の歴史を刻み、日本の食文化と風習、神事に影響を与え、いまも寄与していること」「同じ海域で漁でありながら数千年も魚介を絶やさない資源管理の知恵」「自然と共生する海女たちが漁村というコミュニティの中心になっている」ことだろう。

  訪れた相差海女文化資料館、その近くの願掛け社「石神さん」で見かけた海女たちは声が大きく、笑い声が絶えず、体の動きが活き活きしていた。当地の海女言葉、「夫(とうと)ひとりを養えんで一人前の海女とは言えん」にジェンダーを超えて、人間としてのプロ意識や生きる力強さを感じる。海女の生業が数千年の歴史を刻む人類の職業モデルとして、ユネスコ無形文化遺産に登録され、国際的に顕彰されることを切に願う。

⇒6日(金)夜・金沢の天気    くもり
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★伊勢志摩の肝(きも)-下

2016年05月05日 | ⇒ドキュメント回廊

      今月26、27日に開催される伊勢志摩サミット(主要国首脳会議)まであと21日。歓迎ムードは盛り上がっている。近鉄鳥羽駅前の広場では、「歓迎G7」の看板とともに、ベゴニアやマリーゴールドなど使って、赤や青、黄色など花の色分けでサミット参加国の国旗をあしらった花壇が設置されている。随分と工夫を重ねたディスプレイだと感心する。花でサミットの成功を祈念する地域の人たちの意気込みが伝わってくる。

 「歓迎G7」の心意気、この地はすでに国際的な観光地

  読売新聞社会面(5日付)によると、三重県の行政や企業やつくる「伊勢志摩サミット県民会議」が300人のボランティアを伊勢市で設置された国際メディアセンター(IMC)などに配置すると伝えている。各国から取材に訪れる新聞やテレビ、通信社の記者やカメラマンを道案内すると同時に、地域の観光や食文化など魅力も紹介する役目も担っている。300人のボランティアは1000人の応募から選ばれ、最高齢は82歳の元大学教授。この記事からは、伊勢志摩の魅力も併せて世界に情報発信したいと、地域ぐるみの意欲的な取り組みが感じられるのだ。

  首脳会合と各国首脳の宿泊場所は賢島にある志摩観光ホテル(クラシック、ベイスイート)が予定されているが、そのほかにもサミット議長の記者会見場、各国首脳の記者会見場、サミット事務局、各国事務局、各国随行員の宿泊場所、サブ・メディア・センター(記者の待機所など)などは志摩観光ホテル近くの別のホテルで分散して設けられる。

   主舞台の志摩観光ホテルからはおよそ20㌔離れた、伊勢市の県営サンアリーナに国際メディアセンターがある。野次馬根性で会場を見学してみたいと現地を訪れたが、入口で丁重に断わられた。確かにまだ工事中なので関係者以外の立ち入りは難しい。本館メインアリーナでは、テレビなど映像メディア向けのブースが120も準備される。サブアリーナでは記者の共用作業スペースとして800席の設ける準備が進んでいる。サンアリーナ南側では仮設の別館が設けられ、新聞や雑誌など国内メディアの記者たちの作業場となる。別館ではビュッフェ形式のダイニングスペースが設けられる。ざっと5000人のメディア関係者の参加が予想されている。伊勢志摩からどのようなニュースが世界に発信されるのか楽しみが増えた。

   2泊3日の伊勢志摩ツアーの最終日、近鉄鳥羽駅近くの「ミキモト真珠島」を訪ねた。橋で渡るこの島は、1893年に御木本幸吉が世界で初めて真珠の養殖に成功した島との説明があり、真珠博物館海や女の潜水作業の実演、ショッピンも楽しめる真珠のテーマパークになっている。パールショップでは、外国人観光客がショッピングを楽しんでいる光景があちこちに。施設や広場の看板を見渡すと、すべてが日本語と英語の表記、ガイドでもショッピングでも店員スタッフが英語で対応している。様子を見る限り、スタッフの対応は下から目線でも上から目線でもない。客と正面から向きあって、丁寧に商品説明をしている。

  ここで、はたと気づいた。冒頭のガイドボランティア300人の行動のお手本がここなのではないか、と。伊勢志摩の歴史と伝統、そして技術に育まれた名所や食文化を面と向かって丁寧に説明することが日本を理解してもらう「正道」で、海外の観光客に喜ばれるポイントだと地域の人たちは気付いている。その意味で、伊勢志摩、そして鳥羽を含めたこの一帯はすでに国際的な観光地なのだ。

   御木本幸吉記念館でこんなエピソードが紹介されている。1905年、それまで半円真珠の養殖だったが、真円真珠の養殖に成功。1919年、ロンドンの支店で真円真珠の販売を始めた。天然真珠より25%安い価格設定だったので、天然真珠の価値が下がることを恐れたヨーロッパの宝石商たちは養殖真珠は偽物だと訴訟を起こした。しかし、イギリスとフランスの研究者たちが天然と養殖ものに本質的な違いはないと証明する。これをきっかけに「ミキモトパール」が逆に信頼を得ることになり、その後ニューヨーク、パリと事業展開、養殖真珠が輝く日本の文化として世界に認知されるきっかけとなった。

 ⇒5日(木)午後・鳥羽の天気   はれ

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☆伊勢志摩の肝(きも)-中

2016年05月04日 | ⇒ドキュメント回廊
 2日目は伊勢神宮の内宮(ないくう)=写真・上=と外宮(げくう)を訪れた。いにしえより「お伊勢さん参り」は日本人の心をつかんで離さなかった聖地巡礼の場だ。おそらく我が家の遠い先祖たちも参拝しただろうと想像すると緊張感も湧いてくる。

   伊勢神宮の常若(とこわか)の精神とは何か

  チャーターしたタクシーの運転手がガイドを買って出てくれた。外宮、内宮の順で回った。外宮の境内にある「風宮(かぜのみや)」。神職が落ち葉がきをしていた=写真・下=。白木の社と白装束が相まってなんとも凛とした光景だった。風宮は別宮(わけみや)という格式で正宮に次ぐ序列だとか。もともとは末社だったが、1281年の元寇(蒙古襲来)の時に神風を起こし日本を守ったとして「昇格」したとのこと。神様にも論功行賞があって面白い。

  有名なスポットでありながら、何も知識がなかったことに愕然としたことが多々あった。その一つが「式年遷宮」だ。実際に見ての第一印象がどの社殿も「新築物件」ということ。茅葺の屋根、ヒノキの柱などがみずみずしい。125の社殿がすべて建て替えられた。テレビなどのメディアで流される式年遷宮のイメージでは、皇大神宮(内宮)や豊受大神宮(外宮)の主だった社殿だけかと勘違いしていた。パンフによると、宮社だけでなく714種1576点におよぶ神様の衣装や服飾品、さらに太刀や鏡など調度品もすべてリニューアルしているのだ。

  伊勢神宮は20年ごと定期的に。飛鳥時代の持統天皇が第1回目の式年遷宮(690年)を実行し、平成25年(2013)10月の式年遷宮は実に62回目だった。1300年余りの歴史がある。ちなみに、出雲大社の遷宮は概ね60年に一度。これは伊勢神宮のように式年(定められた年)ではなく、社殿に損傷が進んだ時に行う、流動的なもので60年目安ということらしい。

  それにしても、総建て替えで要するヒノキだけで1万5千本。式年遷宮全体の費用は建築、衣服、宝物の製作を含め約550億円(330億円が伊勢神宮の自己資金、220億円が寄付)とされる。「なぜ20年なのか」とガイドの運転手に尋ねると、「ここでは常若(とこわか)の精神と言うんです」と。「常若」、初めて聞いた言葉だ。さらにこう説明してくれた。「建物がいまだ使えても、いずれ老朽化します。老朽化は神道では穢(けが)れでなんです。式年遷宮によって、建物を新しくすることにより神様の生命力を活性化させる。これが常若なんです」

  確かに昔は人生50年と言われ、建築の技術を次世代に伝えるには20年というサイクルが適当だったのかもしれない。また、全国の神社の総元締的な存在の伊勢神宮である。古材で使用可能なものは、たとえばヒノキの柱などは鳥居として末社に下げ払いされる。リサイクルとして全国に波及する効果は大きい。

  ふと思った。おそらく参拝したであろう先祖たちはこの伊勢神宮に来て、何を思っただろうか。式年遷宮=常若の意味を自ら考え、家督を早く息子に譲ろうと考えたかもしれない。あるいは、自宅を建て替えようと考えたかもしれない。私は、今の日本に必要なのは、この常若の精神ではないかと考えた。若者たちに活躍するチャンスを与える。起業やベンチャー、なんでもいい、税制や資金面で支援を受けて、若者が総活躍する社会だ。伊勢神宮はいろいろなことを考えさせてくれる。

⇒4日(水)伊勢志摩の天気   はれ

  
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★伊勢志摩の肝(きも)-上

2016年05月03日 | ⇒ドキュメント回廊
  ゴールデンウイークに伊勢志摩ツアーを楽しんでいる。伊勢志摩といえば、そう今月26、27日に開催される伊勢志摩サミット(主要国首脳会議)の開催地でもある。JR名古屋駅から近鉄名古屋線に乗り換えて、終点の賢島(かしこじま)駅で降りるとものものしい警備体制の様子が見える。道路には随所に警察の警備車両が配置され、機動隊員が立っている。集落の細い道では自転車に乗った警察官も見えた。

「夫ひとりを養えんで一人前の海女とは言えん」

  駅周辺を散策しようとタクシーに乗り込む。海と山が入り組むリアス式地形ではカーブが多くアップダウンの道路が続く。どの道路でも左右の雑木などがきれいに刈り込みがされている。タクシーの運転手は「路上からの警備の見通しを効かせるために整備したんですよ」と解説してくれた。この警備体制は夜中も実施されているようだ。これだけ睨みを効かせると、テロリストも近づけないだろうと想像する。先の運転手によると、6機分のヘリポートがすでに設置されている。現地ではサミットに向けた準備が着々と進んでいる。

  それにしても、英虞湾を望む風景はまさに、人の営みと自然が織りなす里山里海の絶景だ。真珠やカキの養殖イカダが湾の入り組みに浮かぶ。昭和26年(1951)11月にこの地を訪れた当時の昭和天皇は「色づきし さるとりいばら そよごの実 目にうつくしき この賢島」と歌にされた。晩秋に赤く熟した実をつけたサルトリイバラ(ユリ科)とソヨゴ(モチノキ科)が英虞湾の空と海に映えて心を和ませたのだろう。昭和天皇はその後も4回この地を訪れている。歌碑は志摩観光ホテルの敷地にある。その少し離れた横に俳人・山口誓子の句碑もある。「高き屋に 志摩の横崎 雲の峯」。ホテルの屋上から湾を眺めた誓子は志摩半島かかる雲のパノラマの壮大な景色をそう詠んだ。

  テーマパーク「志摩スペイン村」で昼食をとった。入口でドン・キホーテとサンチョ・パンサの像が出迎えてくれる。セルバンテスの小説『ドン・キホーテ』に登場する二人。まっすぐな理想主義を掲げる主人公のドン・キホーテと対照的に、大食漢で肥満、現実派の従者サンチョ・パンサ。二人のキャラは人間性を表現する永遠のテーマだろう。レストランで、スペイン産イベリコ豚のパエリア、小エビのアヒージョ、アサリのオーブン焼き、それにスペイン産の赤ワインも注文して、束の間の食事を堪能した。

  外に出て、テーマパークを散策すると女性の叫び声が聞こえてきた。しかも、一人ではない、阿鼻叫喚の地獄での人の叫びのように聞こえた。「ピレネー」というジェットコースターでの絶叫だった。ピレネー山脈のような山あり谷ありのレールを最高時速100㌔で走行する。上下左右に体が振り回されるので、見ているだけでも恐怖を感じる。若い係員に「気絶する人はいないの」と尋ねると、「ボクはまだ(気絶した人を)見たことないですね。速すぎて、乗ってみるとそんなに怖くはないと思いますよ」と。

  さて、このピレネーに挑戦してみるか、と心が揺れた。もし、ドン・キホーテだったら人間のチャレンジ精神を掲げて挑んだかもしれない。しかし、恐怖感と同時に、スペイン料理で腹が満たされ、ひょっとしておう吐するかもしれないと現実感もあった。結局乗るのはやめた。自分はサンチョ・パンサに人間性が近いなと内心思った。

  夕方、鳥羽市にある相差海女文化資料館を訪れた。相差は「おおさつ」と読む。かつて記者時代に能登半島・輪島市の海士町や舳倉島を訪れ、海女さんたちを取材し、ルポルタージュを描いたので、伊勢志摩の海女さんたちにも以前から関心を寄せていた。同市国崎では海女さんたちがとったアワビを熨斗あわびに調製して、伊勢神宮に献上する御料鰒調製所がある。二千年の歴史があるといわれる。資料館では、深くはやく潜るために石を重りにした石イカリがあった。平均50秒という海女さんの潜水時間を有効に使うため、速く深く潜るための道具である。かつて輪島でも夫婦舟といって、石を抱いて船に海に潜った海女がアワビをとり、命綱をクイクイと引っ張ると、舟上の夫が綱をたぐり寄せて海女を引き上げる。輪島と同じ漁法だ。写真(下)にあるセイマン(星形)とドウマン(網型)は海女が磯着に縫った魔除けのまじない。それほどに命がけの仕事でもあった。

  もう一つ同じだと感じた点がある。当地の言葉で「夫(とうと)ひとりを養えんで一人前の海女とは言えん」がある。輪島でも「亭主の一人や二人養えんようでは・・・」という言葉を聞いた。腕っぷしの強さ、自活する気概のある女性たちの自信にあふれた言葉だ。

⇒3日(火)伊勢志摩の天気   くもり  

  
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