自在コラム

⇒ 日常で観察したことや環境問題、金沢大学での見聞、マスメディアとインターネットについての考察を紹介する宇野文夫のコラム

☆辺野古から-下

2015年09月24日 | ⇒メディア時評

          キャンプ・シュワブから辺野古地区に入った。紺碧の海と空が見える海岸べり、ここで海上基地反対の運動を10年余り続けているテント村を訪ねた。「座り込み4175日」とある。東京から来たという女子学生3人がテント村の人たちと話し込んでいた。「私たちはこのきれいな海を戦場にしたくない。新基地がどれだけ県民の心の負担になるか察してほしい」とテント村のスタッフが訴えていた。

    一方で、辺野古周辺で、機械システム工学科や情報通信システム工学科がある国立高専があるの建設、IT企業も誘致されているという。おそらく地域振興策として多額の国のお金が投入されたことは想像に難くない。もちろん政府が勝手に国立高専を設置したわけではなく、高等教育機関の誘致を望む地元の強い要望に応えたものだろう。辺野古地区の人々は、新基地反対と辺野古移設の間で板挟みなっているのではないかと察した。

    23日付の琉球新報と沖縄タイムスの記事を読んで気が付いた点がいくつかあった。翁長知事が国連人権理事会で2分間の演説をしたことに関する記事である。知事は、辺野古の新基地建設が進められること関して、「県民の自己決定権や人権がないがしろにされている」と訴えたが、日本政府代表部が「基地問題を人権理事会で取り上げるのははじまない」とクギを刺したのに対し、知事は「基地問題が一番大きな事件問題だ」と反論した。

、   確かに人権理事会では、新たな人権問題を条約化しており、たとえば、「強制失踪からのすべての者の保護に関する国際条約」(強制失踪防止条約)では、日本政府とこれまで、日本人拉致問題を念頭に「国境を越えた拉致」を条約案に盛り込むよう働きかけて、採択されている。こうした条約の中に、知事が訴える「基地は人権問題」という概念を落とし込む条約は見当たらないのではないか。見当たらないとしても、沖縄タイムスが記事にしているように、人権理事会の円形会議場には「同じように助けを求めに来ている人がたくさんいた」ということだ。

    続けて、記事にはこのような下りがある。「自民党県連は知事の出発前、『先住民』と名乗らないように要請した。言葉が持つ『未開の』といった謝ったイメージから、県民の間にある抵抗感を代弁している。知事もその言葉を使わなかった」と。「先住民と基地問題」というふうに国際的に理解されては、県民のプライドが許さない。安全保障の圧力の下で、人権がないがしろにされてはならないと、今度どううまく訴えるのか。今回、国連人権理事会でデビューしたものの、微妙なバランスの上に立っているとも言える。

⇒24日(木)夜・金沢の天気     くもり

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★辺野古から-上

2015年09月23日 | ⇒トピック往来
   昨日(22日)、沖縄県の翁長知事がジュネーブでの国連人権理事会で、アメリカ軍基地の県内移設は「沖縄をないがしろ」と2分間のスピーチを行ったことは沖縄県の新聞各紙で朝刊一面の大見出しで伝えられた。一方、移設先の辺野古では連日100人ほどの基地反対派が移設作業が進むアメリカ軍基地キャンプ・シュワブのゲート前に集まり、集会を開いている。そんな、辺野古を様子をこの目で現場を見たいと思い、22日夕方に石垣島から410㌔㍍離れた沖縄本島に移動した。55分のフライトだった。23日午前、タクシーを借り切り現場に赴いた。レンターカーではなく、あえてタクシーをチャーターした。土地の人の話を聞きたかったからだ。

   キャンプ・シュワブのゲート前、現場はものものしい雰囲気が漂っていた。正門の道路を挟んだ向こう側には基地反対派のテントが張られて大音響で入れ替わり、立ち代わりアジテートの演説が行われている。タクシーでその前を走行すると、「辺野古新基地NO!」などのプラカードが車から見えるように道路側に差し出されるのである。正面で陣取っていた人がいた。「辺野古埋立阻止」のプラカードを持って、椅子に腰かけている。基地と歩道の境界線である黄色い線を超えないように、公道ギリギリのところでアピールしている=写真=。

   旗を見ると「○○民主商工会」や「ヘリ基地反対協」、「平和運動センター」、「平和市民連絡会」といった組織の名前が目立つ。地元辺野古の街中では目立った反対の看板が見当たらない。タクシーの運転手によると、地元の辺野古地区では条件付きで辺野古移設を容認している、という。地元と反対派は一体化していないようだ。

先日19日には現地でこのような事件も起きた。21日付の琉球新報によると、キャンプ・シュワブのゲート前で、抗議行動に不満を持つ男女の集団が19日午後10時半ごろから20日午前1時すぎにかけ、反対派らが設置しているテント内の机をひっくり返したり、移設反対のメッセージなどを記した横断幕をカッターではがしたりした。傷害容疑で逮捕された容疑者は酒を飲んでいた。現場を襲った集団は「テントをどかせ」「(基地を移設しないと)中国が攻めてくるぞ」などと言いながら、反対派ともみ合いとなり、現場は騒然とした。集団は「民族団体」を名乗り、19日昼すぎから断続的に現れ、挑発した。警察車両が7台前後が到着し、警察官ら15~20人前後が駆け付けて対応したが、しばらくもみ合いが続き、20日午前1時すぎに沈静化した、と。

   記事での続報がないので、現場で暴れた男女にどのような政治的な背景があったのかなどはわからない。沖縄に来なかったら、このような現地の騒乱はニュースとして目にとまらなかったかもしれない。

⇒23日(水)夜・那覇市の天気    はれ
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☆石垣島から-下

2015年09月22日 | ⇒トピック往来
   ラムサール条約登録の湿地「名蔵アンパル」を見学できるというので、隣接する「石垣やいま村」というテーマパークに立ち寄った。八重山の古い民家も移築して保存されている。沖縄の民謡を三線(さんしん)で生演奏している家などあり、にぎやかな雰囲気だった。入口から東に向かって、途中、カンムリワシのケージを横目で見て、さらに坂を下りていく。ウッドデッキがあってマングローブの群生林に入っていく。

   ちょうど潮が引いていた状態で、砂泥の中にマングローブの樹木が林立している。木の根っこのようものが泥の上にボコボコと出ている。ウッドデッキをさらに進むと途中で途切れ、広い川が見えくる。これが名蔵アンパル。不思議なもので、マングローブの群生林を見ただけで内なる冒険心がかき立てられる。この川でのカヤックツアー(大人4340円)もあったが、とりあえずこの目で見たことで満足感が漂ってきて、カヤックツアーはパスした。また、今回は西表島をコースに入れてなかったが、島のほぼ90%が亜熱帯ジャングルで覆われる西表島に渡島したくなった。石垣島は表玄関、西表島は奥座敷、そんな感じだろうか。今度は奥座敷へ。

   22日付の朝刊をホテルで読むと、琉球新報と沖縄タイムスの一面の見出しが躍っていた。琉球新報「新基地は『人権侵害』 知事、国連で演説 辺野古阻止 国際世論へ訴え」、沖縄タイムス「反辺野古 国連で訴え 知事、人権理で声明」と。沖縄県の翁長知事が21日午後(日本時間22日未明)、スイスの国連欧州本部で開かれている国連人権理出席し、「沖縄の人々は自己決定権や人権をないがしろにされている」と述べ、アメリカ軍普天間飛行場の県内移設反対を訴えたという記事だ。両紙ともジュネーブに同行の記者を送っていて、署名記事だ。チカラが入っている。

   紙面を読むと、翁長知事は各国代表の外交官やNGOメンバーらを前に2分間、英語で発言した。沖縄に在日アメリカ軍専用施設が集中する現状を挙げ、事件や事故、環境問題が起きていると訴え、「自国民の自由、平等、人権、民主主義を守れない国が、どうして世界の国々と価値観を共有できるのか」と日本政府を批判した。普天間飛行場の辺野古への移設計画を「あらゆる手段を使って新基地建設を止める」と述べた、という。

  そして社会面も圧巻だ。沖縄タイムスの見出しは「沖縄差別 知事告発 政界から激励 次々」、琉球新報は「世界に沖縄伝えた 共感広がりへ期待」と。安保法成立でも、国連人権理事会演説でも、2紙は競うようにボルテージを上げている。この2紙の論調のたどり着く先はどこか。

⇒22日(火)夜・那覇市の天気   はれ

   
   
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★石垣島から-中

2015年09月21日 | ⇒トピック往来

   石垣島の第一印象は、紺碧の空と海、そして赤土のサトウキビ畑だ。そして、東シナ海に面し、国境離島と称されるくらいに中国と接している。きょう(21日)は、とくに当てがあったわけでもないが、島を半周するつもりでレンタカーを走らせた。

   「唐人墓(とうじんばか)」の看板が目に入ってきた。観音埼という灯台の近くある。高台に上がるとすぐに中国伝統のカラフルな建物があった。碑文に刻まれてあった内容を以下要約すると。

   この唐人墓には、中国・福建省出身者の128人の霊が祀られていると記されている。1852年2月、厦門(アモイ)で集められた400人余りの苦力(クーリー・労働者)が、アメリカ船ロバート・バウン号でカリフォルニアに送られる途中、辮髪(べんぱつ)を切られたり、病人を海中に投棄されるなどの暴行があり、堪えかねたクーリーたちが反乱を起こし、船長ら7人を殺害した。船はその後、台湾に向かったが石垣島沖に座礁し、380人が島に上陸した。石垣の人々は仮小屋を建て、クーリーたちを収容した。この蜂起を知ったアメリカのイギリスの海軍が3回にわたり島に来て、砲撃を加え、武装兵が上陸して捜索を行った。クーリーたちは山中に逃げ込んだが、逮捕、銃撃された。自殺者や病没者も続出した。

   当時、薩摩藩の支配下にあった琉球政府が事件処理に関する交渉と清朝側などと取り組み、翌1853年9月、琉球側が船2隻を用意し、生存者172人を福建に送還した。中国人が埋葬された墓は点在していたが、石垣市側が合祀慰霊するため、台湾政府や沖縄にいる華僑の支援を受けて、現在の唐人墓を1971年に完成させた、という。

   インターネットでなど当時のクーリーについて調べてみた。クーリーと呼ばれる中国人労働者は、労働奴隷として世界各地に送り出されていた。19世紀半ばに、アメリカ西海岸でゴールドラッシュが起こり、アメリカ大陸横断鉄道の建設もあいまって、大量のク-リーが送り込まれた。そのような時代背景があった。奴隷労働はアフリカだけではなかったのである。

   ロバート・バウン号事件を契機に、中国国内では「同胞を売るな」とのクーリー貿易反対の世論が盛り上がったという。日本の嘉永6年(1853)にアメリカのペリーが浦賀に来て、開国を求めた黒船事件はまさに石垣島で起きていた事件とほぼ同時進行である。そうすると、ペリーが開国を迫った意図には、中国では確保しにくくなったク-リーのような労働力を日本で確保する意味合いがあったのではないかと勘繰りたくなった。何しろ、アメリカでリンカーンが奴隷解放宣言を発したのは、ペリーが浦賀に来て10年後、1863年のことだ。国境離島の唐人墓で学んだ、知られざる世界史だった。

⇒21日(月)夜・石垣島の夜     はれ

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☆石垣島から-上

2015年09月20日 | ⇒トピック往来
  シルバーウイークを利用して沖縄県石垣島を訪れている。沖縄本島の那覇市との距離は南西に410㌔㍍、逆に台湾とは270㌔㍍だ。そしてあの尖閣諸島は行政区分では石垣市に属する。きょう(20日)午後、石垣空港に到着して、レンタカーを調達した。さっそくコンビニ店に入り、地元の新聞紙を買った。安保法の成立を沖縄の地元紙はどう伝えているのか。

  きょう(20日付)の沖縄タイムスの一面の見出しは「安保法成立 自衛隊任務拡大 新行動基準策定へ」だった。そして、準トップには沖縄県知事が国連人権理事会で演説するため、スイスのジュネーブに出発するとの記事だった。圧巻だったのは、琉球新報だった。「自衛隊活動 地球規模に 安保法成立 全国、続く抗議 高校生も」と。「自衛隊活動 地球規模に」という表現が違和感を感じる。本来の表現は「海外活動が可能に」だろう。それを「地球規模に」とすると、「地球防衛軍」のような別のニュアンスで感じるのは私だけだろうか。

  沖縄タイムスも琉球新報も410㌔離れた那覇市に本社がある。地元石垣市の八重山日報は「安保法成立 戦後政策転換 集団的自衛権行使可能に 部隊行動基準見直しへ」。八重山内毎日新聞は2面で「自衛隊活動拡大へ 安保法成立 日米同盟を強化 尽きぬ違憲論、残る不安」である。扱いと論調が沖縄本島に比べると冷静に感じる。

そして、安保法成立について、石垣市長(中山義隆氏)のコメントを掲載している。「尖閣諸島での中国公船による領海侵入が続くなど、国境離島ならではの危機感を持っている。石垣市を含め、わが国の安全保障をより確かなものにするためにも法案の成立は必要だと思う。政府には今後、運用に関しても国民への説明責任を果たしてほしい」と。

  「国境離島」という言葉を初めて目にした。実は国境の離れ島で、不審な土地取引などが起きていると一部国会議員らが訴えている。安全保障にかかわる国境離島などの重要な土地を規制できるようにする「国家安全保障土地取引規制法案」がそれだ。国境の離島であるがゆえに同じ沖縄でも本島と石垣島では微妙に意識を異にすると感じた。

⇒20日(日)夜・石垣島の天気    はれ 


  
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★安保法成立

2015年09月19日 | ⇒メディア時評
安保保障関連法をめぐる与野党の攻防が19日午前零時すぎ、法案採決の本会議が始まった。特別委員会で強行された可決を委員長が報告し、与野党が討論した。民主党の議員は「立憲主義、平和主義、民主主義。戦後70年の日本の歩みにことごとく反する法案を、数の力におごった与党が通過させる。申し訳ない。戦いはここからスタートする」と反対意見を、また、自民党の議員は「日米同盟がより強固になり、戦争を未然に防ぐ。我が国の能力に応じ国際社会で責任を果たす。政治の責任で我が国の安全保障のあり方を決めないといけない」と賛成意見を述べた。

  午前2時すぎに記名投票が始まった。壇上の野党議員は「戦争法案反対」などと叫びながら、法案反対の青票を掲げていた。与党議員は賛成の白票を積み上げていた。午前2時18分。野党議員が「憲法違反」と叫ぶ中、賛成多数で同法は可決した。中谷防衛大臣が議長と議場に向かって頭を3回下げた。賛成148票、反対90票だった。

  午前2時すぎだったので、新聞の朝刊はごく一部の地域を除いて、きょう(19日)付の朝刊一面の大見出しは「安保法成立へ」だった。そこで午後から普段は購読していない夕刊を金沢市内のコンビニで買い集めた。夕刊の見出しを比較すると、読売新聞は「安保法成立 集団的自衛権行使 可能に 防衛政策 歴史的転機」だった。北陸中日新聞は「安保法 未明に成立 平和主義転換、米支援拡大」、地元紙の北國新聞は「安保法が成立 集団的自衛権可能に 戦後政策の大転換」だった。北陸に輪転工場がない朝日新聞、毎日新聞の各紙はコンビニでは売っていない。

  ここで見出しから各紙を比較すると、「安保法で平和主義の転換」と位置づけするのか、「安保法で防衛政策の転機」とするのかで解釈が分かれる。「平和主義の転換」の論拠は平和憲法の根本の拠り所である9条のなし崩しによる転換となろう。一方、「防衛政策の転機」は従来の憲法解釈では認められなかった集団的自衛権の行使が可能になったことで、安全保障政策が転機を迎えたという意義付けである。

それにしても、ちょっとドキリとした写真と見出しがあった。19日付朝刊の北陸中日新聞の社会面の見出しは、「戦場 いつか」で、その写真が迷彩服を着た自衛隊員の後ろ姿だった。はやとちりか、自衛隊員がさっそく戦闘行動を始めたような印象なのだ。記事を読むと、関東・東北で被害を出した茨城県常総市で行方不明者を捜索する自衛隊員の後姿。記事を読むと、自衛隊員に救助された主婦が感謝の言葉で、戦場に行ってほしくないという内容なのだ。主婦は実名でない。迷彩服の自衛隊員のバックショットの写真が異様に大きいので違和感を感じるのだ。

  今後の政治とメディアはどのように動くのか。いよいよ来夏の参院選など国政選挙が面白くなってきた。18歳以上の若者も参政する選挙である。今回の安倍政権の一連の行動を国民がどう判断するのか。

⇒19日(土)夜・金沢の天気    くもり
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☆政治と憲法のはざま

2015年09月18日 | ⇒メディア時評
   安保法制をめぐる動きで、気になるのか言葉の質の低下である。衆院本会議で安保法案が可決された7月16日、新聞紙面を拾ってみると、こんな言葉があった。以下。

   本会議の採決を退席した民主の議員は「これほど国会の中の光景と、国会の外の国民の声がかけ離れて聞こえた経験はない」と語った。議員は審議を振り返り、「総理は何をしてもいいとお考えなら、勘違いされているのでは」(7月17日付・朝日新聞)

   この議員は世論がこれだけ安保法制に国民世論が異議を唱えているのになぜ法案成立へと突き進むのか、と言いたいのだろう。しかし、これは政治家の言葉だろうか。世論を味方につけるという政治手法はあるが、この安保法制はそのレベルの議論なのだろうか、と思ってしまう。

   憲法を守る立場に政治家が改憲という正式な手続きを踏まずに、中身だけを変える、いわゆる解釈改憲をするのは、憲法に対するクーデターであり、民主主義の危機だと法案に強く反対する声がある。その声の背景をさらに突き詰めると、国際法との解釈と連動してくる。集団的自衛権は国連憲章でも例外的に認めている。が、実際には自衛というより、軍事的に優位なアメリカが自国の権益や利権を守るために武力を行使するための「口実」にすぎない。今回の安保法制は、アメリカの世界戦略のために自衛隊とアメリカ軍の一体化を進める狙いが透けて見える。だから、反対という立場だ。

   これに対し政治の論理がある。まとめると、戦後の日本の平和は憲法9条で守られてきたというのは現実的はない。日本とアメリカの安全保障条約があったがゆえに戦後の平和も守られてきた。では、なぜこれまで日本は集団的自衛権に踏み込んでこなかったというと、アメリカとソビエトの冷戦時代があり、一方に組すると米ソが全面戦争になった場合、その戦争に参画さぜるを得なくなる、それは9条にも反し、余りに危険というのが政治の立場だった。ところが現在は全面戦争ではなく、地域紛争の時代である。たとえば南シナ海といった海域で、中国とフィリピンの有事があれば、中国との尖閣問題を抱える日本にもその影響は及ぶ。そのときに、自衛の手段が集団的か個別的かという議論をしている場合でなない。東アジアの国々と紛争の平和的解決に向けて連帯的に行動を取る必要がある。

   周囲に地域紛争の可能性がなければ、ときの政権が9条の立憲の精神を見直して安保法制を破棄すればよい。つまり、9条というのは政策目標であるべきで、日本の平和を守るために、世界の政治の動きを見ながら、集団的自衛権に組する、しないを判断すればよい。そう考えるのだが。

⇒18日(金)朝・金沢の天気     くもり
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★「国会周辺」を読む

2015年09月17日 | ⇒メディア時評

  参院特別委で安保関連法案が可決したきょう17日、東京へ日帰り出張があった。出張先が国会議事堂の近くだったこともあり、帰りにタクシ-で国会周辺を一回りした。雨が時折強く降っていた。

  金沢でテレビを視聴ていると、最近、安保法制に関して「国会周辺では…」とのフレーズをやたらと耳にする。国会内での政治的な動きより、むしろ外の動きをメディアは気しているのではいかと思うほど、アナウンサーやキャスターが「国会周辺では…」と繰り返している。そこで、国会周辺は一体どうなっているのか、どのような人たちが行動を起こしているのか、気になったので、ちょっと現場を覗いてみたということだ。滞在時間はわずか15分ほどだった。

  タクシーの運転手に尋ねると、きょう(17日)は、午前9時ごろから国会正門前で抗議集会が始まり、「戦争法案、今すぐ廃案」と訴えていたという。訪れたのは午後2時ごろ。雨が断続的に降っているが、雨具を着た人たちが「強行採決、絶対反対!」などと叫んでいた。道路両側の歩道は目算で150㍍ほどが人で埋め尽くされていたという印象だった。

  気がついたことが2点あった。テレビメディアなどでは、若者たちの抗議グループ「SEALDs(シールズ)」がよく抗議の声を上げている映像や写真が掲載されているので、大学生たちが大勢い活動に加わっているのだと思っていた。いまは学生は夏休みでもあり、日中でも一番動きやすい時期でもある。ところが、若者らしき姿はちらほら見えるが、グループ化していないのだ。唯一目にしたのは「○○美大有志」というプラカードはあった。かつての「70年安保」のように、学生たちが「○○大学学生自治会」といった横断幕やプラカードを多数掲げてのデモの先頭を行進するイメージをしていたのだが、そうではない。

  むしろ目立ったのは、「○○教組」「国労○○」「自治労」「新日本婦人の会○○」といった政党と結びついた組織だった。それも、地名を読むと全国から来ている。つまり、「組織動員」という感じなのだ。

  近年にない、国会周辺での盛り上がりなのだが、来る参院選で選挙権が与えられる18歳からの若者世代がどう動くのか。「SEALDs」の代表はよくテレビに出て発言しているが、彼が本当の若者たちのシンボルなのか。安保法制をめぐる動きからはまだ学生・若者たちのトレンドが読めない。(※写真は17日午後2時ごろ、国会正門前の道路で)

⇒17日(木)夜・金沢の天気     くもり

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