自在コラム

⇒ 日常での観察や大学キャンパスでの見聞、環境や時事問題、メディアとネットの考察などを紹介する宇野文夫のコラム

☆地震予知と異端審問

2012年10月23日 | ⇒メディア時評
 「こんなに科学が進んで、宇宙に人工衛星まで飛ばして、いまだに、なぜ正確な地震の予知ができないのか」。人はおそらく1度くらいは思うはずだ。非科学的といわれる「地震雲」などがテレビなどに紹介されたりするのは、そうした人々のもどかしさのせいかもしれない。きょう(23日)のニュースで、300人以上が死亡した2009年4月6日のイタリア中部ラクイラの地震で、「安全宣言」が被害を広げたとして過失致死罪に問われた学者や政府担当者ら7人に対し、現地の地裁が禁錮6年の有罪判決を言い渡したとのニュースが目に飛び込んできた。

 新聞社のウエッブニュースを検索すると、盛んに取り上げられている。被告は、イタリアを代表する国立地球物理学火山学研究所の所長(当時)や、記者会見で事実上の「安全宣言」をした政府防災局の副長官(同)で、マグニチュード6.3の地震が発生する直前の「高リスク検討会」に出席した7人。求刑の禁錮4年を上回る重い判決で、執行猶予はついていない。被告側は控訴するという。

 記事を総合すると話をラクイラ一帯では当時、弱いながらも群発地震が続きており、「大地震」を警告する学者もいた。高リスク検討会の学者らは「大地震がないとは断定できない」としながらも、「群発地震を大地震の予兆とする根拠はない」と議事録に残していた。裁判では、学者側は「行政に科学的な知見を伝えただけだ」と主張、行政当局は「根拠のない『予知』をとめるためだった」などと無罪を訴えた。これに対し、検察は情報提供のあり方を問題視した。政府の防災局は市民の動揺を静めようと3月31日、高リスク検討会の後の記者会見で事実上の「安全宣言」をした。この発表を受けて、屋外避難を取りやめて犠牲になった人もいたという。

 学者が「地震が来るかわからない」と言い、行政当局は数ヵ月前から続いていた群発地震による住民の動揺を鎮めるために、それを「安全だ」と発表した。言葉の誤謬が生んだ悲劇か、学者と行政のミスなのか。このニュースを読んで、カトリック教会の異端審問を連想した。ローマなどでは、中世以降のカトリック教会で正統信仰に反する教えを持つ「異端」という疑いを受けた者を裁判するために設けられたシステムだ。地震学者として、行政担当者としてその言葉がふさわしかったか、どうか。科学者を入れた検討会で、その発した言葉が罪になるとすれば、科学者は口をつぐむだろう。こうなると「言葉狩り」になってしまう。

⇒23日(火)朝・金沢の天気  あめ
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★愛されるキノコ

2012年10月13日 | ⇒トピック往来

 能登半島の秋はキノコのシーズンだ。けさ(13日)、金沢から能登有料道路、主要地方道「珠洲道路」を経由して、半島の先端・珠洲市に着いた。沿道のあちこちに車が止まっていた。おそらくキノコ狩りの車だ。また、沿道近くの山ではビニールテープが張り巡らされている。これは、ナワバリ(縄張り)と言って、山林の所有者が「縄が張ってあるでしょう。立ち入ってはいけません」とキノコ狩りに人々に注意を促すものだ。つまり、マツタケ山の囲いなのだ。

 キノコ狩りのマニアは、クマとの遭遇を嫌って加賀地方の山々を敬遠する。そこで、クマの出没情報が少ない能登地方の山々へとキノコ狩りの人々の流れが変わってきている。本来、能登地方の人々にとっては迷惑な話なのだが。

 能登の人たちが「山のダイヤ」と呼ぶキノコがある。コノミタケだ。ホウキダケの仲間で暗がりの森の中で大きな房(ふさ)がほんのりと光って見える。見つけると、土地の人たちは目が潤むくらいにうれしいそうだ。「ありがたや」と拝むお年寄りもいるとか。1㌔7000円から1万円ほどで取り引きされ、マツタケより市場価値が高い。高値の理由は、コノミタケはスキヤキの具材になる。能登牛(黒毛)との相性がよく、肉汁をよく含み旨味で出て、香りがよい。能登の人たちは、キノコのことをコケと呼ぶが、コノミタケとマツタケをコケと呼び、それ以外はゾウゴケ(雑ゴケ)と呼んで区別している。加賀からキノコ狩りにやってくる人たちのお目当ては、シバタケだ。アミタケと呼ぶ地域もある。お吸い物や大根のあえものに使う。でも、能登に人たちにとってはゾウゴケなのだ。コノミタケへの思い入れはそれほど強い。

 能登で愛されるコノミタケは能登独特の呼び名だ。でも詳しいことは分かっていなかったので、金沢大学の研究員が調べた。能登町や輪島市の里山林に発生しているコノミタケの分類学的研究を行ったところ、ホウキタケの一種でかつて薪炭林として利用されてきたコナラやミズナラ林などの二次林に発生していることが分かった。研究者は鳥取大学附属菌類きのこ遺伝資源研究センターや石川県林業試験場と協働で調査を進め、表現形質の解析および複数の遺伝子領域を用いた分子系統解析を進めたところ、コノミタケが他のホウキタケ類とは独立した種であることが確認されのである。そこで、ラマリア・ノトエンシス(Ramaria notoensis、能登のホウキタケ)という学名を付け、コノミタケを標準和名とすることを、2010年5月に日本菌学会第54回大会(東京)で発表した。

 学名は付いた。しかし、コノミタケは発生量が減少傾向にある。発生地である薪炭林の老齢化や荒廃化により生息地が縮小しているのだ。

⇒13日(土)朝・金沢の天気   はれ

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☆イチゴと給食問題

2012年10月10日 | ⇒トピック往来

 ヨーロッパでのスローフードや村づくりに関するコラムをこれまで2回書いてきた。それに関連して、10日付の新聞各紙の紙面やWebで目に留まったニュースを一つ。

 ドイツで9月25日から28日にかけて、東部のブランデンブルグ州やザクセン州計5州の学校や幼稚園で園児や小学生1万1千人以上が給食の食材からノロウィルスに感染し、下痢や吐き気などの症状を訴え32人が入院する過去最大規模の食中毒事件が起きた。ドイツ政府がロベルト・コッホ研究所などに委託した調査で、給食に使われた中国産の冷凍イチゴからノロウィルスが検出された。

 ドイツの連邦消費者保護・食品安全庁の調査によると、給食は世界最大手の給食業者であるフランスのソデクソ社が提供したもので、イチゴはドイツ国内の給食センターで砂糖煮に調理された。しかし、加熱が不十分だったためノロウィルスが死滅しなかったのが原因と分かった。当初食中毒の関連を否定していたソデクソ社は「子どもたちの回復を願う」として陳謝し、補償として被害者に計55万ユーロ(5500万円)相当の商品券(1人5000円相当)を送る予定という。問題のイチゴは回収が進み、被害の拡大は食い止められたが、「中国産」がクローズアップされ政治の舞台でこの問題が取り上げられた。

 現在のイチゴは、18世紀にオランダで南アメリカ原産のチリ種と北アメリカ原産のバージニア種が交配されて生まれ、さらにフランスやイギリスで品種改良された(農水省ホームページより)。いわば、ヨーロッパ人の知恵と工夫で栽培された果物である。イチゴのシャルロッテはドイツ人が考案した子どもも大人も好きなデザートだ。今回問題となった「中国産」を、連合・緑の党がやり玉にあげた。「なぜ子どもたちが中国産イチゴを食べているのか。この季節、新鮮な地元のリンゴの砂糖煮を食べればよいのではないか」(エズデミル代表)と。これに対し、政府の食料・農業・消費者保護大臣は「地元の食材を食べるべきだ」と同調した(10日付・中日新聞記事より)。

 上記記事の簡略化された発言内容では前後の言葉のニュアンスが使わってこないが、ドイツの政治関係者がショックを受けているのは、輸入食品の安全性もさることながら、子どもたちに与える給食の食材をなぜわざわざ、東アジアの中国から輸入しなけらばならなかったのかという点だろう。しかも、季節外れの食材をなぜ、と。学校給食の食の在り方を論じている。これは健全な議論である。給食は、栄養価と大量仕入れがカギとなる。レモンを上回るとされるイチゴのビタミンCを摂取し、しかも大量仕入れとなると、旬の地元のリンゴより、中国産の輸入イチゴにドイツの給食業者は魅力を感じたのだろう。スローフード、反ファストフード、反・食のグローバル化の意識が広がるヨーロッパでも、これが足元の学校給食の現実なのかもしれない。

 日本でも同じように学校給食が問われている。食糧自給率が40%の日本で、せめて子どもたちの学校給食だけでも地産地消をと頑張っている自治体もある。しかし、それでも「地産地消率」40%を超えるところは全国的に見ても多くはない。ドイツと同じ問題が起きる要素は日本の方が十分はらんでいる。

⇒10日(水)夜・金沢の天気   はれ

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★ドイツの美しき村

2012年10月08日 | ⇒トピック往来
  ドイツも田園景観に力を入れている国だ。4年前(2008年)に訪れたアイシャーシャイド村は、生け垣の景観を生かした村づくりが特徴だった。ドイツが制定している「わが村は美しく~わが村には未来がある」コンクールの金賞を受賞(07年)した、名誉ある村である。この制度は40年も前からある。

 人口1300人ほどの村が一丸となって取り組んだ美しい村づくりとはこんなふうだった。クリ、カシ、ブナなどを利用した「緑のフェンス」(生け垣)が家々にある=写真=。高いもので8mほどにもなる。コンクリートや高層住宅はなく、切妻屋根の伝統的な家屋がほどよい距離を置いて並ぶ。村長のギュンター・シャイドさんが語った。昔は周辺の村でも風除けの生け垣があったが、戦後、人工のフェンスなどに取り替わった。ところが、アイシャーシャイドの村人は先祖から受け継いだその生け垣を律儀に守った。そして、人工フェンスにした家には説得を重ね、苗木を無料で配布して生け垣にしてもらった。景観保全の取り組みは生け垣だけでなく、一度アスファルト舗装にした道路を剥がして、石畳にする工事を進めていた。こうした地道な村ぐるみの運動が実って、見事グランプリに輝いたのだった。

 この村には北ヨーロッパの三圃式農業の伝統がある。かつて村人は、地力低下を防ぐために冬穀・夏穀・休耕地(放牧地)とローテーションを組んで農地を区分し、共同で耕作することを基本とした。このため伝統的に共同体意識が強い。案内された集会場にはダンスホールが併設され、バーの施設もある。ここで人々は寄り合い、話し合い、宴席が繰り広げられるのだという。おそらく濃密な人間関係が醸し出されていた。ベートーベンの6番「田園」の情景はアイシャーシャイド村そのものである。第1楽章は「田舎に到着したときの晴れやかな気分」、第2楽章「小川のほとりの情景」、第3楽章「農民達の楽しい集い」・・・。のどかな田園に栄える美しきドイツのコミュミティーなのである。

 当時、村長から「日本の村はどうだい」と尋ねられたが、ちょっと言葉に窮した。日本の村では、個々の家で生け垣は残るものの、村の景観を地域ぐるみで美しくしようという運動は当時認識が浅かったせいか、聞いたことがなかった。前回紹介した『なぜイタリアの村は美しく元気なのか~市民のスロー志向に応えた農村の選択~』(宗田好史著・学芸出版社)によると、農村振興を狙いとした「美しい村」の認定制度は日本にもある。

 ただ制度は国によって異なる。フランスの場合は、人口2000人未満の地域、最低2つの文化遺産があること、土地利用計画で規制があることなどをクリアしなけらばならない。現在150余りの町村が認定されている。ドイツのアイシャーシャイド村の場合、まず景観を良くする、次いで伝統文化の保全と食文化を振興するという村長の話だった。これは私見だが、美しい村へのアプローチは、「文化から入るイタリア」、「景観から入るドイツ」、「制度から入るフランス」と多様な価値観があって面白い。

⇒8日(月・祝)朝・金沢の天気   はれ
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☆美しいイタリア農村

2012年10月07日 | ⇒ランダム書評
 「イタリアの農村の過疎化は、日本以上に深刻だった。農業人口は劇的に減少した。しかし、50年代の奇跡の経済成長が終った後、長年穏やかなまま、、地方都市では多くの工場が閉鎖された。その跡地にディスコやホテルが建った時代もあった。しかし、直ぐ廃墟になった。今では、レストランの一部が残っているだけである。例外は一部の有名なリゾート地だけ、空きあ家だらけの農村では投機はあまねく失敗した。」

 最近読んだ『なぜイタリアの村は美しく元気なのか~市民のスロー志向に応えた農村の選択~』(宗田好史著・学芸出版社)にかかれている状況は、現在の日本のそれと同じだ。イタリアの農業生産はGDPの2.3%、農家は全世帯の3.8%に減った(2009年)。日本は、GDPに占める農業の割合は0.9%だが、農家の全世帯に占める割合は4.5%だ。ただし、農家一戸当たりの耕作面積は日本1.6㌶、イタリア7.9㌶と比較にならないほどイタリアの農家は土地持ちだ。土地面積は少なくとも農業人口の比率はイタリアより多いのでうまく農業経営をやっているとのだと思ってしまうが、日本の場合は農業補助金が現在でも5.5兆円あるので、補助金でなんとか農業人口を支えていると表現した方が良さそうだ。

 本書によると、そのイタリアが変わった。「最近になって、アグリツーリズモが盛んになり、地方小都市へ移住する人も増えた。」という。日本ではアグリツーリズムとも紹介されている。発祥地とされているトスカーナ地方では、もともと農業や畜産の手伝いを泊まり込みで体験するものだったが、現在は大自然をバックにした田園風景の中の「農家ホテル」の機能と、その土地の食材でつくられた料理を堪能できるスタイルだ。本の写真に掲載されているような、納屋を改造したレストランなどは一度入ってみたいと思わせるような造りである。

 上記の記載だと商売上手なやり手の農家が考えそうで、日本にいくつでも事例はあるという人もいるだろう。ところが、イタリアのスローフドは「運動」としてある。1986年、ローマでは「イタリアの子供からマンマのパスタを奪うな」と猛烈な反マクドナルド進出阻止運動が起きたのである。こういった草の根的な文化復興運動が起きるのがイタリアである。著者は、フランス革命時代に活躍した政治家で美食家のジャン・アンテルム・ブリア・サヴァラン(1755-1826)の著書『美食礼賛』の影響を受けているという。すなわち、「人は喜ぶ権利をもっている」として、食の問題を人権思想に結び付けている。これがマクドナルドなどファーストフード化への根付強い反対運動に連鎖しているというのだ。

 そのような思想的な下地があり、イタリアのアグリツーリズモは広がりを見せている。ヨーロッパの成熟したバカンスは田園に、そしてアグリツーリリズムに向かっている。経営者として、都会からの受け入れる感性を持った女性たちが活躍しているという。トスカーナ州で4060余りもの施設がある。イタリア全体の2割だそうだ。日本のアグリツーリズモは農家民宿ということになるが、全国で総数2000軒ほどと言われているので、イタリアの勢いが見てとれる。

 それにしても筆者は建築家であるだけに、建築規制など法的な側面からもきちんと解説していいて、分かりやすい。イタリアがかつて景観破壊を招いたリゾート法によるホテル乱立という事態を防ぐため、規制緩和には厳しいが、納屋や馬小屋ならば宿泊棟やレストランに用途変更できるように工夫している点など丁寧に解説している。

⇒7日(日)朝・金沢の天気   くもり
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