自在コラム

⇒ 日常で観察したことや環境問題、金沢大学での見聞、マスメディアとインターネットについての考察を紹介する宇野文夫のコラム

☆ジャーナリストとギャング

2015年01月21日 | ⇒メディア時評
  フランスのパリに本部があるジャーナリストによる非政府組織「国境なき記者団(RSF)」の調べによると、活動中のジャーナリストの死者数は昨年66人だった。2012年の87人を最高に毎年60人から80人が亡くなっている。記憶に新しいのは、2012年のシリアでの取材中、政府軍の銃撃により殺害された山本美香氏、2007年にミャンマーで反政府デモを取材中に銃撃されて死亡した長井健司氏らだ。ジャーナリスト、とくにメディア企業に所属しないフリーのジャーナリストはまさに命をかけた取材をしている。

  きのう(20日)、過激派組織「イスラム国」が日本人2人を人質に取り、2億ドル(230億円)の身代金を要求している国際事件は、「イスラム国」がインターネットに投稿したとされる映像から発覚した。人質にとられた日本人2人のうち、後藤健二氏はフリージャーナリストだ。メディアで繰り返し報道されている映像を見る限りでは、「イスラム国」のメンバーとみられる人物が日本政府に対して、72時間以内に身代金を払わなければ人質を殺害すると脅迫している。まさに、テロ行為そのものだ。 

  敵対する国々から人質を取って揺さぶりをかけるイスラム国の戦略だろう。アメリカでは去年8月以降、イスラム国に自国民3人を殺害された。1人目のジャーナリスト、ジェームズ・フォーリー氏には1億ユーロ(137億円)の身代金支払いの要求があったが、アメリカ政府は支払わなかった。その身代金が組織の活動資金になるからだ。オバマ大統領はフォーリー氏が殺害された後から、「正義のための措置を取る」と述べ、掃討作戦を推し進めた。

  身代金の要求に応じれば、過激派組織がその国の国民を他国で誘拐・拉致してでも要求をエスカレートさせるだろう。報道によれば、後藤氏は去年10月、トルコを経由してシリアに入国し、「イスラム国」の本拠地であるシリア北部のラッカで取材中で、11月6日には戻るとされていたが、その後、連絡が取れなくなっていた。11月の初旬になって、後藤氏に家族に、「イスラム国」の関係者を名乗る人物から、メールが送りつけられ、「誘拐しているので、日本円で10億円の身代金を払え」と要求してきたという。日本政府が、海外の捜査機関に問い合わせたところ、このメールの発信元は、ジェームズ・フォーリー氏を殺害した、イギリス人なまりの英語を話す「イスラム国」メンバーと一致することがわかった。手口はギャングと同じだ。無事救出を祈りたい。

⇒21日(水)朝・金沢の転機   はれ
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★草の根グローバリゼーション

2015年01月04日 | ⇒ランダム書評

  昨年3月に購入し、「積ん読」状態にしていた『草の根グローバリゼーション 世界遺産棚田村の文化実践と生活戦略』(清水展著・京都大学学術出版会)をこの正月三が日で読み切った。購入したきっかけは、本のタイトルだった。「草の根」と「グローバリゼーション」は相反するような言葉に思えるのだが、それをうまく統合して読み手のイメージをかきたてる。そして、本の終盤でその意味を謎解きし、「なるほど」と唸らせるのである。以下、勝手解釈で述べる。

  著者は京都大学東南アジア研究所に所属する文化人類学者。研究者の著書は読み辛いものなのだが、ジャーナリストのルポルタ-ジュを読んでいるような感覚でリズミカルに読めるのである。それは、本人が学術書というより、ルポを意識して書いているからだ。時には少し自らの感情も込めて。それは本人が第9章~「山奥どうし」の国際協力~で述べているように、1991年のフィリピン・ルソン島ピナツボ火山の噴火を目の当たりにして、それまでの文化人類学者の「冷静な観察」から踏み出して、「現場の問題と深くコミットしていくことを選んだ」といい、それを「コミットメントの人類学」「応答する(協働する)人類学」と称している。気が入っているから読みやすい、読ませるのである。ただ本人は「現場に深入りしたら研究ができなくなるかもしれないと恐れつつ」と躊躇したことも吐露している。

  本の主題はピナツボ噴火の被災地支援から同じルソン島イフガオの棚田を守る植林運動の2つのステージで関わった人々、村の現状をつぶさに観察すると、とてつもなくグローバル化していて、そして、その2つの支援活動に乗り出した兵庫県丹波篠山のNGOの活動の在り様が、フィリピンの山奥と日本の山奥のローカル同士の連携であり、「人々の生活をグローカルに再編成」であり、「希望の所在」と説く。

  著者がイフガオで関わった人々がユニークだ。イフガオ出身でOECD(経済協力開発機構)本部の国際公務員を辞して地元に戻ったキッドラット・タヒミック氏(映画監督)、その親友で植林運動を先導するロペス・ナウヤック氏ら。彼らは、先住民イフガオとしてのアイデンティティーを持ち、ローカルとグローバルを結び付けようと活動している。まさに「国際人」でもある。そして住民もまた香港、台湾、ドバイ、イスラエル、オーストラリア、カナダ、アメリカ、イギリスなどへと家事手伝い(DH)、介護人、技師、職人、労働者として「海外出稼ぎ」に行く。しかも、英語ができる大学卒の高学歴者が海外就労に出かける。

  私はこれまで4度イフガオに出かけている。「グローバル」という言葉を現地で体感することがある。それは、村長であっても、学生であっても、スピーチがとても洗練されていることからも感じる。取って付けたような「田舎臭い」言葉ではなく、自己の置かれた立場の紹介、自分が分析するイフガオの現状の説明、自分ができることの可能性の3点をさらりと述べるのである。スピーチだけではない。フォーラムやワークショップといった発表の場づくりは色あいのよい看板、花飾り、民族踊りのアトラクションといった「場の演出」が必ずある。そして会場の雰囲気に堅苦しさがない。

  著者の結論が第10章~草の根の実践と希望-グローバル時代の地域ネットワークの再編~でまとめてある。6つの節のタイトルが面白い。「1・宇宙船地球号イメージ」「2・共有地の悲劇、あるいは成長の限界」「3・暗い未来に抗して」「4・グローバル化と地域社会」「5・『グローカル』な生活世界」「6・遠隔地環境主義の鍛え直し」。日本人の多くは地域は少子高齢化で廃れると思い込んでいる。ところが、イフガオでは農業離れによる棚田の存続という問題を草の根のグローバル化(人々の海外出稼ぎやNGOとの連携)をとおして、国境を越えて日本やアジアや中東、欧米と結ばれるネットワークをつくることで問題解決しようと外に向けて努力しているのである。本章の締めくくりで筆者が述べている。「草の根の小さな実践を導き切り開く、希望の所在である」。これは日本のローカル課題の解決に向けたヒントではないだろうか。

⇒4日(日)未明・金沢の天気     くもり


  

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☆新幹線とリスク回避

2015年01月03日 | ⇒トピック往来
  ことし3月14日に新幹線が金沢まで開業する。東京駅から長野駅を経由して2時間28分の予定。現在は東京駅から金沢駅間は在来線越後湯沢経由で上越新幹線に乗り換えて3時間47なので1時間19分の短縮となる。呼称も今の長野新幹線から「北陸新幹線」に統一される。

  金沢市内の文教地区と称される一等地でテナントビルが解体されて空き地になっていたが、年末に「APA マンション・プロジェクト始動」という看板が立った。あのアパグループの帽子の女性社長の顔写真つきだ=写真=。「マンション・プロジュクト始動」との謳い文句なので、それなりに立派なマンションが建設されるのだろう。素人の見立てで、敷地はざっと1000坪ほどだろうか。金沢といえば、マンション需要より戸建て需要が強いのだが、いったい誰が買うのだろうか。

  確かに、北陸新幹線開業にともなってここ数年、金沢駅周辺のテナントや、飲食店向きの物件家賃が上昇しているともいわれる。宅地の地価も2013年前半からプラスに転じるところも出てきて、上ぶれ傾向にある。しかし、金沢駅周辺にはすでに単身向けマンションなど次々と完成していて、好調な販売が続いていると地元紙でも報じられている。地方のミニバブルの様相なのだ。もともとアパグループは、都市開発、建設業を中心に金沢に本社(後に本社・東京・本店・金沢)を構えていたので、金沢を含め北陸の不動産の動きには熟知していて、金沢駅と離れたところでも物件の需要は見込めるのだろう。

  以下、知り合いに不動産業者から聞いた話である。北陸新幹線の金沢開業にともなってのマンションのニーズは、金沢にあるのではなく東京にある。買っているのは首都圏の人たちなのだと言う。相続税対策や投資目的などさまざま。中には、いつかは来るであろう首都圏の震災を意識したセカンドハウス目的もあるという。そうなると購買層は富裕層に限られる。不動産業者は「金沢のマンションを見に来た人は、東京でいざというときに学校の体育館での避難所生活には耐えられないと言っています。金沢は雪は降るけど災害が比較的少ないと思われているので避難場所なんです。それが新幹線でぐっと身近になったということではないでしょうか」と解説してくれた。

  首都圏や関西の人たちとは違い、金沢の人は確かに震災に備えるという意識は薄いのかもしれない。金沢はいま、アパグループに限らずマンションの建設が盛んだ。それが「リスク回避というニーズ」にあるとしたら、そのニーズを今後どのように読んでいけばよいのか。

⇒3日(土)朝・金沢の天気      ゆき   
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★ブログ955回目

2015年01月02日 | ⇒トピック往来

  このブログ「自在コラム」を2005年から始めて今回で955回目のアップロードとなる。当初は毎日にように書いていたが、最近では「気まぐれ」に書いている。毎回1000字以上を目標にして、写真やイラスト(著作権フリー)を1、2枚掲載するといういたってシンプルな体裁だ。

  政治・選挙からマスメディア、金沢大学のキャンパスでのことなどいろいろとネタにしてきた。それでも、ネタのトレンドというものがある。たとえば、2006年からは、能登に関することが増えいる。これは私の大学での業務が能登と関わることになったかからだ。これに関しては、2014年12月28日付の「★2014 ミサ・ソレニムス~5」で経緯を紹介した。「能登半島 里山里海自然学校」や「能登里山マイスター要請プログラム」などがキーワードとなる。

  そして、2008年から国際会議や国連機関と里山が動きが出ている。「国連生物多様性条約第10回締約国会議(COP1)や「世界農業遺産(GIAHS)」「里山イニシアティブ」がキーワードだ。2013年ごろからはフィリピンのイフガオ棚田と能登里山里海マイスター育成プログラムの動きがブログのテーマになっている。ある意味でダイナミックなネタなのだが、ブログというより「報告」、リポート化していて面白味は薄れてしまっているのかも知れない。

  もともと、ブログを始めたきっかけは、秋田県のテレビ局の友人から勧められたものだ。インターネットに先見の明がある人物で、「宇野ちゃんはテレビ局を辞めて大学に入ったのだからいっしょに新しいことを始めようと」と当時まだ勃興期だったブログに誘ってもらった。もう10年前のことだ。その彼は、数年でブログを引退し、ミクシィ、ツイッター、フェイスブックとトレンドに乗って今でもどんどんと発信している。彼はもう61歳だ。

  私はブログ一本で955回目というわけだ。彼とは違って、インターネットの世界に入り込みたい、身を置きたいというわけではない。どちらかというと、書くことが好きでブログを続けているという感じだ。最近ではブログのことを周囲には「備忘録」とも称している。さあ、これからどうする。目指すは、まずは「1000回」なのだが、ネタがあるうちは続けよう。

⇒2日(金)朝・金沢の天気   ゆき
  

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☆元旦の「雪すかし」

2015年01月01日 | ⇒トピック往来
   元旦の朝、少々驚いた。一気に30㌢余りの積雪だ。昨晩(19時ごろ)は雨は降っていたが積雪はなかった。真夜中に雪に変わったのだ。天気予報では、「石川県内は31日夜から年明け2日にかけて冬型の気圧配置が強まり、北陸地方は荒れた天気となりそう。31日夜からから1日にかけて予想される最大風速は陸上で12㍍、1日の午後6時にかけて予想される24時間降雪量は山間部を中心に多いところで80㌢、平野部の多い所で30㌢の見込み」となっていたので、予報が的中した。

   8時すぎ、近所の方々の「雪すかし」が始まった。雪すかしは除雪のこと。スコップで敷地や玄関先の道路を除雪する。平面に積もった雪を空き地に立体的に積上げるのである。「おはようございます。ことしも一年よろしくお願いします」と新年のあいさつを兼ねたあいさつだ。こういう近隣のあいさつは近所付き合いの上で大切なので、当方ももちろん通りに出て、雪すかしのあいさつをした。「ことしもよろしくお願いします」(当方)、「それにしもよく積もりましたね」(近所)、「天気予報では10年に一度の大雪とか言ってましたが、その通りになりましたね。3日ごろまでこんな感じで降りそうですよ」(当方)、「いつもの雪より軽くて楽やけど、ことしの正月三が日は雪すかしで終わりやね(笑い)」(近所)、「本当ですね。ことしもよろしくお願いします(笑い)」(当方)

   たわいもない言葉交わしの中に、日常のさまざまな情報や感情がこもっている。確かに、今回の雪は12月のベトベトした雪より、軽いのである。地上の気温が下がったせいか、綿のような雪だ。ややパウダースノーに近いと表現したよいかもしれない。「正月三が日は雪すかしで終わりやね」は意味深である。「これだと初詣がぜいぜいで、外出もままならない、何とも手のかかる(労力のいる)雪すかしだけのつまらない正月ですね」と天気を恨んでいるのである。

   ところで、ご近所では雪すかしに暗黙のルールがある。まず、第一に道路の除雪は家の間口を決まりとする。つまり、道路に面する家の敷地が幅となる。10㍍あれば、10㍍の雪すかしとなる。しかし、道路に面している敷地でも、角地で玄関が横道に面している場合は横の道路が間口となる。玄関側の道路を「雪すかし」すればよいのである。道路に面した2方向を除雪する必要はない。

   また、道路の除雪は全面除雪ではなく、おおむね歩行者側の幅でよい。車が走る中央部は除雪しなくてよい。通学の子どもたちへの配慮のようなものだ。また、除雪は側溝に落としてもよい。もちろん、これは私が住む金沢市全体の暗黙のルールではない。街の成り立ちや町内会の歴史、町内会を構成する人々の顔ぶれに、高地低地の地域的な積雪量、面する道路が県道か国道か市道かによっても違い、まして道路幅にもよるだろう。それぞれの決まりごとはちょっとした条件で異なり、無理せず長く続くルールづくりが歳月をかけてつくられてきたのである。

⇒1日(木)朝・金沢の天気     ゆき   
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