このシリーズの締めくくりに家族のことを記す。ことし2月11日に妻・良恵(享年55歳)が逝去した。10歳のころより茶道(表千家流)をたしなんでおり、その立ち居振る舞いに凛としたものがあった。2012年6月ごろ、右の胸に「しこり」があると言い、金沢市内の乳腺クリニックに行き、抗がん剤治療をした。同年11月に右胸の切除と再建手術を行った。しかし、翌2013年9月に肺への転移が見つかった。切除したものの、10月にはさらに脳への転移が見つかり、転移が拡散したのだった。
亡くなった後に我が家を改めて見渡すと、種々のお茶花が庭にあり、想いを込めて完成させた茶室があった。私は草むしりをしていると心が落ち着くので、季節を通じて土と向き合う。ただ、お茶花に造詣がないので、うっかりと妻が丹精込めたものを根ごと抜いてしまい、よくしかられものだ。今後同じ轍を踏むまいと、これまでの罪滅ぼしの意味も込めてフラワーマップをつくっている。四季がめぐるたびに、その可憐な花を愛でてやりたいと思っている。
ことし12月7日、我が家の茶室=写真=で、妻の追善茶会を開いた。招いたのは金沢大学の文化資源学の研究者と留学生(修士課程)たちだった。実は昨年の11月に、同じく研究者と留学生を招き茶会を開き、妻が日本の茶道について英語で解説した。妻は「来年も留学生のみなさんのために茶会が開けたら」と楽しみにしていた。今回、妻の追悼の意味を込めて、昨年の参加者を招いて追善茶会を開いた。茶会には3人の協力を得た。妻の親友で茶人の稲垣操さん、山本泉さん、そして北陸大学の英語の講師をされて自らもお茶をたしなんでおられる小川慶太さん。今回、小川さんに茶道に関する通訳をお願いした。参加者にお点前をしてもらい、シャカシャカという茶筅(ちゃせん)の感触も楽しんでもらった。昨年と同様和やかな雰囲気の茶会となった。亡き妻の願えかなえることが何よりの供養だとおもった。
2月の妻の臨終に立ち合うことができた。脈拍、心拍数がどんどん落ちていく。臨終を告げられたのは午後8時50分だった。そのとき、左目から涙がひとしずく流れた。死の生理現象なのかもしれないが、その涙の意味をそれからずっと考えていた。若くして逝った悔し涙だったのか、などと。以前読んだ、ジャーナリスト・ノンフィクション作家の立花隆氏の『臨死体験』『証言・臨死体験』(文藝春秋社)が書斎にあるのを思い出し、ページを再度めくった。数々の臨死体験の中で、光の輪に入り、無上の幸福感に包まれるという臨死体験者の証言がある。立花氏は著書の中で「死にかけるのではなく本当に死ぬときも、大部分の人は、臨死体験と同じイメージ体験をしながら死んでいくのではないか」と推定している。もしそうであれば、あのときの妻の涙は光の輪の幸福に包まれ流した涙ではなかったのかと最近思うようになってきた。いや、そうであってほしいと思っている。
⇒30日(火)午前・金沢の天気 くもり
亡くなった後に我が家を改めて見渡すと、種々のお茶花が庭にあり、想いを込めて完成させた茶室があった。私は草むしりをしていると心が落ち着くので、季節を通じて土と向き合う。ただ、お茶花に造詣がないので、うっかりと妻が丹精込めたものを根ごと抜いてしまい、よくしかられものだ。今後同じ轍を踏むまいと、これまでの罪滅ぼしの意味も込めてフラワーマップをつくっている。四季がめぐるたびに、その可憐な花を愛でてやりたいと思っている。
ことし12月7日、我が家の茶室=写真=で、妻の追善茶会を開いた。招いたのは金沢大学の文化資源学の研究者と留学生(修士課程)たちだった。実は昨年の11月に、同じく研究者と留学生を招き茶会を開き、妻が日本の茶道について英語で解説した。妻は「来年も留学生のみなさんのために茶会が開けたら」と楽しみにしていた。今回、妻の追悼の意味を込めて、昨年の参加者を招いて追善茶会を開いた。茶会には3人の協力を得た。妻の親友で茶人の稲垣操さん、山本泉さん、そして北陸大学の英語の講師をされて自らもお茶をたしなんでおられる小川慶太さん。今回、小川さんに茶道に関する通訳をお願いした。参加者にお点前をしてもらい、シャカシャカという茶筅(ちゃせん)の感触も楽しんでもらった。昨年と同様和やかな雰囲気の茶会となった。亡き妻の願えかなえることが何よりの供養だとおもった。
2月の妻の臨終に立ち合うことができた。脈拍、心拍数がどんどん落ちていく。臨終を告げられたのは午後8時50分だった。そのとき、左目から涙がひとしずく流れた。死の生理現象なのかもしれないが、その涙の意味をそれからずっと考えていた。若くして逝った悔し涙だったのか、などと。以前読んだ、ジャーナリスト・ノンフィクション作家の立花隆氏の『臨死体験』『証言・臨死体験』(文藝春秋社)が書斎にあるのを思い出し、ページを再度めくった。数々の臨死体験の中で、光の輪に入り、無上の幸福感に包まれるという臨死体験者の証言がある。立花氏は著書の中で「死にかけるのではなく本当に死ぬときも、大部分の人は、臨死体験と同じイメージ体験をしながら死んでいくのではないか」と推定している。もしそうであれば、あのときの妻の涙は光の輪の幸福に包まれ流した涙ではなかったのかと最近思うようになってきた。いや、そうであってほしいと思っている。
⇒30日(火)午前・金沢の天気 くもり