自在コラム

⇒ 日常で観察したことや環境問題、金沢大学での見聞、マスメディアとインターネットについての考察を紹介する宇野文夫のコラム

☆大晦日 定なき世の定かな

2016年12月31日 | ⇒ドキュメント回廊
  「大晦日 定(さだめ)なき世の定かな」と俳句を詠んだのは井原西鶴(1642-93)だった。以下は私独自の解釈だが、混沌としたこの世にもはや守るべき定(さだめ)というものはなくなったが、不思議と大晦日だけはみなが律儀に新年を迎えようと定めにしたがっている、と。

  西鶴が生きた1600年代の後半は寛永から元禄時代にまたがる。四代将軍・徳川家綱から五代・綱吉の世である。戦国の世を直接体験していない世代が大半を占め、社会の価値観や意識というものが大きく変化する時代だったと言える。綱吉が発した「生類憐れみの令」(1687年)はその時代の在り様を表現するシンボリックな事例だろう。人を含む生き物すべてを慈しみ、その生命を大切にしようとする、まさに「平和な時代」を象徴している。西鶴は大坂で名を成したが、大坂と江戸で同時発売した『好色一代男』(1682)はベストセラーになり、続いて『好色一代女』(1686)も大流行。「浮世草紙」(小説)という文芸作品のジャンルを築いた。

  話を元に戻す。「大晦日の定(さだめ)」とは何か。そのヒントが『世間胸算用(せけんむねさんよう)』(1692)にある。この浮世草紙の副題は「大晦日は一日千金」である。ネットで現代語訳を見つけ、読むうちにこの作品は当時のリアルなドキュメンタリ-ではないかと思えてきた。まず、出だしがこうである。「世の定めで、大晦日の闇は神代このかた知れたことなのに、人はみな渡世を油断して、毎年一度の胸算用が食い違い、節季を仕舞いかねて困る。というのも、めいめい覚悟がわるいからだ。この一日は千金に替えがたい。銭銀のうては越されぬ冬と春との峠が大晦日、借金の山が高うては登りにくい。」

  つまり、大坂の商人にとって1年の総決算である大晦日に時間を絞って、金の貸し手と借り手との駆け引きを中心に、年の暮れの庶民の姿を描いているのだ。取り立てる側、取り立てから逃げる側の攻防を描いた。

  借金の取り立てを逃れるため、遊女の宿で身を隠していた男性がつい大騒ぎして、声が外に漏れてしまう。すると、取り立ての若い衆2人が宿に乗り込んできた。「旦郡、ここに居やはりましたか。今朝から四五度も御宅へ伺いましたが、お留守では仕方がおまへなんだ。よいところでお眼にかかりました」と、何やら談判した挙句、あり金全部と、羽織、脇差、着物類までまき上げてしまって、「残りは正月五日までに」、と言い捨てて帰った。

  『好色一代男』が描かれたことは経済的に活況だったが、『世間胸算用』が世に出た頃は逆にある意味でバブル崩壊で、商売に失敗した人々の貧乏長屋があちこちに立っていたと言われる。江戸時代は、盆と正月が商売上の支払期限(いまでも業種によってこの日が期限)となっていて、借金している者はいよいよ返済に迫られ、切羽つまるのが大晦日だ。西鶴の筆は、金が一番動く大晦日に絞って、無名の庶民の悲喜こもごもを実録風に描いた。作家としての鋭い構成に感服する。

31日(土)午後・金沢の天気    あめ

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★2016 ミサ・ソレニムス‐続々

2016年12月30日 | ⇒ドキュメント回廊

        先ほど2016年最後の取引となる日の東京株式市場で日経平均株価が大引けとなった。終値は前日に比べ30円77銭安の1万9114円37銭。12月に入り、「トランプ効果」を期待して、2万円突破かなどと言われていたが、やはり相場は相場だ。

   最近のニュースで、いろいろ数字が気になった。というよりショックだったのが、厚生労働省が発表した統計だ。2016年に国内で生まれた日本人の子どもの数は98万1000人で過去最低で、統計を取り始めた1899年以降初めて100万人を割り込む見通し、と。これにともなって、死亡数が出生数を上回る自然減は10年連続となり、人口減に歯止めがかからない。

         いつの間にか恐ろしい数字が飛び交っている

   さらに数字を拾っていくと、日本は年間に30万人ずつ人口が減っている。この減り方は、出生数の減と高齢化の増で今後は50万人、60万人と減少幅は大きくなっていくことになる。現在の鳥取県(57万人)、島根県(69万人)、高知県(73万人)くらいの人口分が年に一つずつ消滅していくことになるだろう。そうなると、次世代の地域を誰が支えるのか、国民一人ひとりの負担額は大きくなってくる。では、移民政策を推し進めるのか。移民が流入するヨーロップの混乱ぶりを見ていると、簡単に移民政策をと主張することもできない。では、座して死を待つのか、新年をまえに何とも暗く重苦しい気分になってくる。

   とんでもない数字が飛び交った。経済産業省が、東京電力福島第一原子力発電所の賠償や廃炉費用の合計が20兆円を超えると試算しているという。11兆円としてきたこれまでの想定の2倍に膨らんでいるのだ。福島第一原発の事故の賠償や廃炉などにかかる費用が20兆円を超える規模に膨らむ見込みであることが分かった。当初の見込みでは賠償は5兆4000億円、除染は2兆5000億円、廃炉は2兆円で約11兆円。それが、新たな試算では賠償は対象が増えて8兆円、除染は長期化により4兆円から5兆円に膨らみ20兆円を超えたのだ。増加分を誰が負担するか。原則的には、東京電力だが、一部は電気料金に上乗せされる見通しだという。

   福島原発事故を受けて、多くの国民は原発に否定的な眼差しを向けるようになった。鹿児島県知事選(7月10日)や新潟県知事選(10月16日)の結果でもそれが如実に表れている。しかし、政府は、原発に依存するエネルギー政策を維持しており、2030年度には全発電に占める原発の割合を20-22%にするという目標も打ち出している。今後新たに原発を建設しないとこの目標は達成できないとも言われている。

   原発の運転で生じるプルトニウムもたまり続けている。すでに国内外に50トンのプルトニウムがある。プルトニウムは原爆の材料にもなる危険な物質だが、原発で使う核燃料の材料にもなるという理由から政府はプルトニウムを増やす施設の建設を続けていく方針だ。北欧ではプルトニウムを地下数百㍍に埋める仕組みを実現させようとしている。仮に処分できたとしても、無害化まで10万年かかるようだ。人間がとうてい責任を負えないようなとんでもない数字が飛び交っている。

⇒30日(金)夕・金沢の天気   くもり

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☆2016 ミサ・ソレニムス-続

2016年12月29日 | ⇒ドキュメント回廊

  真珠湾攻撃から75年、安倍総理がアメリカのオバマ大統領とともにハワイの地・パールハーバーを訪れ、かつて攻撃した側と攻撃された側の国の首脳がそろって慰霊した。日本のマスメディアは「謝罪はせず」という見出しをあえて立てて、この慰霊の様子を報じた=写真=。5月にオバマ氏が広島を訪問したときと同じように、安倍総理も謝罪に関することは口にしなかった。では、日本の総理の真珠湾訪問は、アメリカ、日本の両国民にどのように映ったのだろうか。

  パールハーバーで「不戦の決意」を語った総理の演説は格調高かったのではないか。とくに最後の2フレーズだ。「私たちを見守ってくれている入り江は、どこまでも静かです。パールハーバー。真珠の輝きに満ちたこの美しい入り江こそ、寛容と、そして和解の象徴である。私たち日本人の子どもたち、そしてオバマ大統領、皆さんアメリカ人の子どもたちが、またその子どもたち、孫たちが、そして世界中の人々が、パールハーバーを和解の象徴として記憶し続けてくれることを私は願います。そのための努力を私たちはこれからも惜しみなく続けていく。オバマ大統領とともに、ここに固く誓います。ありがとうございました。」

       「場の演出」の総合プロデューサーは誰か

      とくに練られていると感じた言葉は「パールハーバーを和解の象徴として記憶し続けてくれることを(will continue to remember Pearl Harbor as the symbol of reconciliation.)」の下りだ。アメリカ人にとって、「remember Pearl Harbor」は憎しみを喚起する言葉だ。そのフレーズをあえて使って、「remember Pearl Harbor as the symbol of reconciliation」としたことだ。

  これに対し、オバマ氏はこう応えた。「As nations, and as people, we cannot choose the history that we inherit. But we can choose what lessons to draw from it, and use those lessons to chart our own futures.Prime Minister Abe, I welcome you here in the spirit of friendship, as the people of Japan have always welcomed me. I hope that together, we send a message to the world that there is more to be won in peace than in war; that reconciliation carries more rewards than retribution.(国も、人間も、自分たちが受け継ぐ歴史を選ぶことはできません。でも、歴史から何を学ぶかは、選ぶことができます。安倍総理、私は友情に基づいて、あなたを歓迎します。日本国民が常に私を歓迎してくれてきたように。戦争ではなく、平和で勝ち得るものが多く、和解は報復よりも報われるというメッセージを、私たちが一緒に世界へ送りたいと願っています。)」

  双方の演説を読めば、今回の安倍総理の訪問は日本とアメリカの同盟関係をより強化するというコンセプトだったことが理解できる。オバマ氏の広島訪問のときもそうだった。両国のトップが互いに「シンボリックな場」を訪れ、献花し、慰霊した。「場の演出」とすれば、官邸やホワイトハウス、国会や上院などに比べれば、パールハーバーやヒロシマはより臨場感があり、同盟関係の強化を双方が強烈にアピールできた。そう理解すれば、「謝罪の言葉」はこの場にはそぐわない。

では一体誰がこのような「場の演出」を見事にプロデュースしたのか。これまでの経緯をたどると、総合プロデューサーはオバマ氏だ。演説は格調高かったが、安倍総理はオバマ氏の演出に乗った役者だった。では、トランプ次期大統領にはこのような「場の演出」ができるだろうか。トランプ氏にはそのセンスがどうもなさそうだ。

⇒29日(木)朝・金沢の天気     くもり

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★2016 ミサ・ソレニムス~下

2016年12月27日 | ⇒ドキュメント回廊
  最近、社会活動を行うNPOなど団体で「CSV」という言葉がよく用いられる。CSVCSV(Creating Shared Value)は共通価値の創造、略して「共創」とも言う。これまで、CSR (Corporate Social Responsibility)という言葉をよく耳にした。企業による社会貢献、あるいは企業の社会的責任だ。CSVは組織の枠を超えて、企業や地域、人々と新たな文化的なつながりや、道徳的な規範、政治的な価値共有などもこれに入るかもしれない。

   次なる世界史の序章が始まる

  このCSVを歴史的に、グローバルに展開してきたのはアメリカだったと言っても、それほど異論はないだろう。1862年9月、大統領のエイブラハム・リンカーンが奴隷解放宣言(Emancipation Proclamation)を発して以来、自由と平等の共通価値の創造の先頭に立った。戦後、共産圏との対立軸を構築できたのは資本主義という価値ではなく、自由と平等の共通価値の創造だった。冷戦終結後も、その後も自由と平等の価値創造は、性、人種、信仰、移動とへと進んでいく。アメリカ社会では、こうした共通価値の創造を政治・社会における規範(ポリティカル・コレクトネス=Political Correctness)と呼んで、自由と平等に基づく文化的多様性を標榜してきた。

  ところが、ここに来てポリティカル・コレクトネスを標榜し、先頭に立ってきたアメリカの白人層は疲れてきた。そして「これは偽善ではないのか」と思うようになってきた。誰もが自由と平等で、それは誰かの犠牲に上に成り立っている偽善だ、と。アメリカ社会は薬物を社会にまき散らし治安を乱している不法移民に甘い顔をして彼らを事実上受け入ている。ポリティカル・コレクトネスに我々は圧迫されている、これは偽善だ、と。そのような声なき世論の盛り上がりのタイミングにトランプ氏が大統領選挙に向けて動き出し、そしてその座を勝ち取った。

  イギリスのEU離脱をはじめ、今回のトランプ勝利をひとくくりに「ポピュリズム(Populism)の嵐」と称する向きもある。ポピュリズムは、国民の情緒的支持を基盤として、政治指導者が国益優先の政策を進める、といった解釈がマスメディアなどではされる。果たしてこんな単純な意味づけでよいのだろうか。当初、マスメディアでは「トランプを支持したのは白人労働者だ」と。もっと広く、トランプ勝利を押し上げた「声なき声」があるのではないか。それは自由と平等の共創に疲れた白人インテリ層ではなかったのか。

  2017年、トランプ大統領が始動するとおそらく世界の秩序は次なるステージに入る。自由と平等の共創ではなく、価値の分断だ。アメリカ独自の価値判断がその基準だろう。次なる世界史の序章が始まる。

⇒27日(火)朝・金沢の天気   くもり
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☆2016 ミサ・ソレニムス~中

2016年12月26日 | ⇒ドキュメント回廊
  還暦を過ぎて、自分の至らなさにハッとすることが多々ある。過日寺が点在する金沢の東山界隈を歩いていると、山門の掲示板にあった「その人を憶(おも)いて、われは生き、その人を忘れてわれは迷う」という言葉が目に入った。仏教的な解釈は別として、人は若いころは諸先輩の言葉に耳を傾けていても、加齢とともに聞く耳を持たなくなり、我がままに迷走するものだと。これって自分のことではないか、と気がついて掲示板を振り返った・・・。

        熊本、そして伊勢志摩の旅で目にしたこと

今年訪れたプラベイトな旅先をいくつか振り返る。10月8、9日日、熊本を訪れた。地震から半年たった現状を見たいと。そして、現地では大変なことが起きていた。8日午前1時46分ごろ、阿蘇山の中岳で大噴火があった。このことを知ったのはJR「サンダーバード」車内の電光ニュース速報だった。熊本に着いて、タクシー運転手に「阿蘇山まで行って」と頼んだ。すると運転手は「ここから50㌔ほどですが、おそらく行っても、帰る時間は保障できない」と言う。聞けば、熊本市内と阿蘇を結ぶ国道57号が4月の地震で寸断されていて、迂回路(片側1車線、13㌔)は慢性的な交通渋滞になっている。さらに、今回の噴火で渋滞に拍車がかかっている、という。プロの運転手にそこまで言われると、無理強いもできない。「それでは益城(ましき)町へ行ってほしい」と方針を変えたのだった。

  ともとも益城町へ行く予定だった。4月14日の前震、16日の本震で2度も震度7の揺れに見舞われた。今はほとんど報道されなくなったが、現状を見て愕然とした。新興住宅が建ち並ぶ中心部と、昔ながらの集落からなる農村部があり、3万3千人の町全体で5千棟の建物が全半壊した。実際に行ってみると街のあちこちにブルーシートで覆われた家屋や、傾いたままの家屋、解体中の建物があちこちにあった。印象として復旧半ばなのだ。

  とくに被害が大きかった県道沿いの木山地区では、道路添いにも倒壊家屋があちこちにあり、痛々しい街の様子が。タクシー運転は「先日の新聞でも、公費による損壊家屋の解体はまだ2割程度しか進んでいないようですよ」と。そして農村部では倒壊した家の横にプレハブ小屋を建てて「仮設住宅」で暮らしている農家もある。益城ではスイカ、トマトなどが名産で、被災農家は簡単に自宅を離れられないという事情も想像がついた。

 噴火と震災のクマモト。言葉で「復興」「復旧」「再生」は簡単だが、それを実施する行政的な手続き、復興政策の策定には時間がかかる。時間と戦いながら丁寧な行政手続きを進める、日本型の復興モデルになってほしいと心から願った。

  ゴールデンウイークの5月3日、伊勢志摩を訪れた。その月の26、27日に伊勢志摩サミット(主要国首脳会議)が開催されるとあって、賢島(かしこじま)駅の周囲ではものものしい警備体制の様子だった。道路には随所に警察の警備車両が配置され、機動隊員が立っている。集落の細い道では自転車に乗って巡回している警察官も見えた。

  英虞湾を望む風景はまさに、人の営みと自然が織りなす里山里海の絶景だった。真珠やカキの養殖イカダが湾の入り組みに浮かぶ。昭和26年(1951)11月にこの地を訪れた当時の昭和天皇は「色づきし さるとりいばら そよごの実 目にうつくしき この賢島」と歌にされた。晩秋に赤く熟した実をつけたサルトリイバラ(ユリ科)とソヨゴ(モチノキ科)が英虞湾の空と海に映えて心を和ませたのだろう。昭和天皇はその後も4回この地を訪れている。歌碑は志摩観光ホテルの敷地にある。その少し離れた横に俳人・山口誓子の句碑もある。「高き屋に 志摩の横崎 雲の峯」。ホテルの屋上から湾を眺めた誓子は志摩半島かかる雲のパノラマの壮大な景色をそう詠んだ。志摩観光ホテルはサミット会場となった。各国首脳はこの景色を臨んで何を思ったのだろうか。

  鳥羽市にある相差(おおさつ)海女文化資料館を訪れた。海女たちがとったアワビを熨斗あわびに調製して、伊勢神宮に献上する御料鰒調製所がある。二千年の歴史があるといわれる。資料館では、石イカリがあった。平均50秒という海女さんの潜水時間を有効に使うため、速く深く潜るための道具である。石を抱いて海に潜った海女がアワビをとり、命綱をクイクイと引っ張ると、舟上の夫が綱をたぐり寄せて海女を引き上げる。セイマン(星形)とドウマン(網型)は海女が磯着に縫った魔除けのまじない。それほどに命がけの仕事でもあった。

  これだけの歴史と文化、潜水技術を有する伊勢志摩の海女のエリアだが、ユネスコは先月30日、韓国が申請した「済州の海女文化」を無形文化遺産に登録した。海女文化は日本と済州島にしかないとされ、日韓共同での登録を目指す動きもあったが、残念ながら日本側の申請作業が進まず、韓国の単独登録となってしまった。

⇒26日(月)夜・金沢の天気     くもり
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★2016 ミサ・ソレニムス~上

2016年12月25日 | ⇒ドキュメント回廊
  先の休日(天皇誕生日、23日)はちょっと優雅な一日だった。「宇野さん、いっしょに茶杓(ちゃしゃく)をつくりませんか」と誘ってくれた友人がいて、この日の午前中、茶杓づくりに初めて挑戦した。茶杓は茶道で使い、棗(なつめ)など茶器に入った抹茶を茶杓ですくって茶碗に入れる。還暦を過ぎてお茶を習い始めたと知った友人が竹細工のプロを紹介してくれたのだ。30年間乾燥させた竹をひたすら小刀で削って、サンドペーパーで磨く、最後に半ば乾燥した椋(ムクノキ)の葉で全体を磨く。3時間ほどかけて仕上げた。竹細工をしたのは、子どものころ竹とんぼをつくって以来だろうか。

  午後は石川県立音楽堂での「荘厳ミサ曲(ミサ・ソレムニス)」のコンサートに聴き入った。県内では、すっかり年末の恒例のイベントとして定着し、ことしで54回目。ことしはイタリアからソリスト(メゾソプラノ)を招き、例年になく雰囲気が盛り上がった感じだった。「キリエ (Kyrie)憐れみの讃歌」、「グロリア (Gloria)栄光の讃歌」、「クレド (Credo)信仰宣言」、「サンクトゥス (Sanctus)感謝の讃歌」、「アニュス・デイ (Agnus Dei)平和の讃歌」と演奏は進み、聴いているうちに高揚感が湧いてくる。茶杓づくりで味わった一点集中の充実感との相乗効果か、爽快感に満ちた一日だった。余勢を駆って、このブログでも年末恒例となった「ミサ・ソレニムス」と題して、この1年を回顧したい。

戦後71年「負の遺産」の清算、その現実はどうか

あす26日、安倍総理はハワイのパールハーバー(真珠湾)をオバマ大統領と訪れ慰霊する。このニュースに接した多くの日本人は、5月に被爆地・広島を訪れたオバマ氏への返礼の訪問と感じたのではないだろうか。オバマ氏とともに犠牲者を慰霊し、これが最後となる首脳会談も行うという。総理は「二度と戦争の惨禍を繰り返してはならないという未来に向けた決意を示したい」と首相官邸で記者団に語っていた。謝罪ではなく、あくまでも未来志向なのだ。

  今月16日、総理とロシアのプーチン大統領との総理公邸での共同記者の様子をじっとテレビを通して見つめていた。北方四島での「共同経済活動」に耳目を傾けた。2人の首脳はそれぞれ、関係省庁に漁業、海面養殖、観光、医療、環境などの分野で協議を始めるよう指示し、実現に向け合意したと述べた。この「共同経済活動」が「平和条約締結」に向けた重要な一歩になると、安倍氏、プーチン氏それぞれが強調した。ロシアが実効支配している北方四島に共同経済活動を足がかりに日本が手をかけた、つまりフックをかけたということだろう。これまで手出しすらできなかった四島に影響を拡大できる可能性を手にしたようだ。

  ここで総理のことしの外交の特徴が一つ浮かんでくる。戦後71年目の「負の清算」だ。真珠湾攻撃、原爆投下、北方四島…。この重い負の歴史遺産をオバマ、プーチンの両氏を巻き込んで、未来志向へと転化したいとの思いがにじむ。ただ、現実はどうか。

  今月23日の国連総会の本会議で、核兵器を法的に禁止する「核兵器禁止条約」について、来年3月から交渉を始めるとの決議が賛成多数で採択された。核保有国のアメリカやロシアは反対。それに被爆国である日本も反対したのだ。核兵器の非人道性を訴える非保有国のリーダーとなるべきは日本ではないのだろうか。それが、なぜ反対なのか。アメリカの「核の傘」に入っている気がねがあるのならば、せめて棄権ではないのか。その説明が聴きたいものだ。

⇒25日(日)夜・金沢の天気     くもり
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☆北方四島に手をかける

2016年12月16日 | ⇒メディア時評
きょう(16日)も安倍総理とロシアのプーチン大統領との総理公邸での共同記者=写真=の様子をじっとテレビを通して見つめていた。新しい言葉がいくつかあった。北方四島での「共同経済活動」がその一つ。2人の首脳はそれぞれ、関係省庁に漁業、海面養殖、観光、医療、環境などの分野で協議を始めるよう指示し、実現に向け合意したと述べた。この「共同経済活動」が「平和条約締結」に向けた重要な一歩になると、安倍氏、プーチン氏それぞれが強調した。

  上記のことは両国による共同声明でもなく、共同宣言でもなく、なんと「プレス向け声明」だと。プレス向け声明ってなんだ。これは政府や行政、民間企業などがマスメディアに発表する声明や資料のこと、つまり「プレスリリース」のことだ。つまり、このようなことをお互いに確認しましたので、マスメディアのみなさんにお知らせしますというたぐいのものだ。

  ここで考え込んでしまう。これだけ国際的にも注目される外交案件で、しかも、首脳同士が胸襟を開いて協議し、合意したのであれば、共同声明か共同宣言が発せられてしかるべきだろう。実際にプレス向け声明では、「両首脳は平和条約問題を解決する自らの真摯な決意を表明した」と明記してある。それだけ確信をもって合意したのであれば、なぜ、共同声明か共同宣言として発しないのか。

  北方四島の日本への帰属問題についての言及はなく期待外れだったが、元島民が査証(ビザ)なしで渡航できる「自由往来」の拡充すると双方が述べた。プーチン氏は「総理から元島民の手紙を読ませてもらい、人道上の理由から、一時的な通過点の設置と現行手続きのさらなる簡素化を含む案を迅速に検討するよう指示した」と説明した。

  元島民が査証なしで渡航できることはそれは元島民の長年の願いだったろう。しかし、ここでまた考え込んでしまう点がある。「元島民の手紙」である。なぜここで元島民の手紙が浮上してくるのだろうか。誰がそのような仕掛けをしたのか。安倍氏は「しっかりした大きな一歩を踏み出すことができた」と強調した。その言葉の運びは、この元島民の手紙に安倍氏もプ-チン氏も感動して、思いが通じ合ったというシナリオが意図されるように思えてならない。その手紙をぜひ読んで見たいものだ。

  今回の合意は安倍氏とプーチン氏が試行的に互いの信頼の醸成に向けて取り組む新しいアプローチなので、あえてので国家間の共同声明でも共同宣言でもない、プレス向け声明にとどめて着実に実績を積み上げ、平和条約締結に持ち込んでいきたい、という意味合いなのだろうか。それは、元島民の手紙を読んだ2人が互いに感動して約束したことなのだ、とでも言いたいのだろうか。これまでの外交シナリオにはない、安倍氏とプーチン氏によるパートナーシップ協定といった意味合いか。正直よくわからない。

  ただ一つ、評価できるのは、ロシアが実効支配している北方四島に共同経済活動を足がかりに日本が手をかけた、つまりフックをかけたということだろう。これまで手出しすらできなかった四島に影響を拡大できる可能性を手にしたのである。これが安倍氏の戦略だったのだろうか。会見で安倍総理は毎年秋にウラジオストクで開催される東方経済フォーラム(ロシア主催)に出席し、この共同経済活動の進捗状況を確認していくと述べ意欲を見せた。

⇒16日(金)夜・金沢の天気     くもり

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★プーチン、技あり一本

2016年12月15日 | ⇒メディア時評
  きょう(15日)のニュースは何といっても、山口県長門市で日本とロシアの首脳会談だ。ところが、ロシアのプーチン大統領の到着は予定より3時間近く遅れた。友人と電話でこの話をしてして、友人は「安倍総理への政治的なメッセージではないか。じらせることで、きょうの会談はオレのペースでやるという意味ではないか」と解説した。

  私はこの電話での話の後、ひょっとしてプーチンは宮本武蔵と佐々木小次郎の巖流島の闘いの伝説を知っているのではないかと思った。巖流島は山口県下関市にある関門海峡に浮かぶ無人島だ。この島で小次郎は2時間も待たされたり、さらに太刀の鞘(さや)を捨てたことを敗北の予兆だと武蔵から揚げ足を取られ、頭に血が上り、冷静さを失ったところを武蔵に舵棒(かじぼう)で額を割られたというあの有名な話である。プーチンは山口入りにするにあたって、巖流島の闘いをモチーフにわざと遅れたのでは、ないかと。これはプーチン流の政治的なショーだ、と。ちょっと考えすぎか。テレビの解説では、プーチン氏はどうやら遅刻の常習犯で、これまでも各国首脳との会談にたびたび遅れているそうだ。

  午後6時すぎ、首脳会談の冒頭のシーン=写真=がテレビで放送された。安倍氏は「大統領の11年ぶりの訪日を、私のふるさとである長門市でお迎えできてうれしい。会談での疲れをぜひ温泉で癒してほしい。ここの温泉は必ず疲れがとれる」と発言。これに対し、プーチン氏は「安倍総理の尽力により、ロシアと日本の関係が前進している。きょうとあすの首脳会談は、日ロ関係の前進に大きく貢献すると期待している。温泉はうれしいが、疲れが出ない会談にしましょう」と応じた。

  この冒頭のやり取りを視聴して、思わず「プーチン、技あり一本」と思った。普通だったら、招かれた側は「そのような素晴らしい温泉に招待いただきありがとう。十分に話をしましょう」と言うのかと思いきや、「疲れない会談をしましょう」と切り返すあたりは、さすが手練手管の政治家だ。「安倍、敗れたり」とならないよう会談に期待したい。

⇒15日(木)夜・金沢の天気   あめ
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☆36年連続日本一の「もてなし伝説」

2016年12月13日 | ⇒トピック往来
  能登半島・和倉温泉の旅館「加賀屋」はちょっとした誇りだった。全国の旅行会社の投票で選出する「プロが選ぶ日本のホテル・旅館100選」(主催・旅行新聞新社)で36年連続総合1位を獲得したからだ。「日本で最高の温泉旅館があるのは能登の和倉温泉だよ」と金沢の市民もよく自慢していた。ところが、ことし第42回(今月11日発表)では残念ながら総合3位に甘んじてしまった。ちなみに、1位は福島県母畑温泉の八幡屋、2位は新潟県月岡温泉の白玉の湯泉慶・華鳳だった。しかし、よく考えてみれば、競争の激しい温泉旅館業界にあって、よく36年連続記録を打ち立てたものだと思う。今後35年間は破られることのない温泉旅館で最高記録の伝説をつくったのだ。

  加賀屋のもてなしは客室から見える七尾湾の海と相乗として自然だ。そのポイントは「笑顔で気働き」という言葉に集約されている。客に対する気遣いなのだが、マニュアルではなく、その場に応じて機転を利かせて、客のニーズを先読みして、行動することなのだ。

  たとえば、客室係は客が到着した瞬間から、客を観察する。普通の旅館だと浴衣は客室においてあり、自らサイズを「大」「中」の中から選ぶのだが、加賀屋では客室係が客の体格を判断して用意する。そこから「気働き」が始まる。茶と菓子を出しながら、さりげなく会話して、旅行の目的、誕生日や記念日などを聞いて、それにマッチするさりげない演出をして場を盛り上げる。たとえば、家族の命日であれば、陰膳を添える。客は「そこまでしなくても」と驚くだろう。しかし、それが加賀屋流なのかもしれない。小手先のサービスではない、心のもてなしなのである。客室係の動作は雰囲気の中で流れるように自然であり、決してお節介と感じさせない。さざ波の音のような心地よさがある。

  「もてなし」はホスピタリティ(hospitality)と訳される。癒されるような心地よさの原点は一体なんなのかと考える。この心地よさは、実は加賀屋だけでない、能登の心地よさなのだと思うことがある。先日(12月4、5日)、留学生や学生を連れて奥能登の農耕儀礼「あえのこと」を見学に行った。ユネスコの無形文化遺産に登録されている、「田の神さま」をもてなす儀礼である。粛々と執り行われる儀式。その丁寧さには理由がある。昔から当地の言い伝えで、田の神さまは目が不自由だという設定になっている。田んぼに恵みを与えてくれる神さまは、稲穂で目を突いてしまい目が不自由なのだから、神が転ばないようにも座敷へと案内をしなさい、並んでいるごちそうが何か分かるように説明しなさい、と先祖から受け継がれてきた。障がいのある神さまをもてなすという高度な技がこの地には伝わる。現代の言葉で、健常者と障がい者への分け隔てない接遇はユニバーサル・サービス(universal service)と呼ばれる。この接遇の風土は「能登はやさしや土までも」と称される。

  加賀屋が36年連続総合1位の伝説をつくることができたのも、そうした接遇の風土があるからなのだろうと勝手に想像している。

⇒13日(火)朝・金沢の天気    くもり
   
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★天災はいつでもやって来る

2016年12月09日 | ⇒メディア時評
   きょう(9日)午前中、依頼したビデオ撮影のため金沢から能登半島に車で出かけた。のと里山海道の別所岳サービスエリアに近づくと強い雨が大粒の霰(あられ)に変わり、道路が真っ白になった=写真=。早めにスノータイヤに交換しておいてよかったと胸をなでおろしたが、先に走っていた別の車がスリップ事故を起こした。ちなみに外気温は4度だった。いよいよ冬本番がやってくる。

   このほど、日本気象協会は気象予報士100人が選ぶ「日本気象協会が選ぶ2016年お天気10大ニュース・ランキング」を発表した。ランキングは11月上旬までの情報で選定され、2016年に最も印象に残ったお天気ニュースでは、1位が他と大きく差をつけて「地震・大雨・火山噴火 熊本を中心に相次ぐ災害」だった。熊本地方を震源とする最大震度7の地震は4月14日21時26分と16日1時25分に2度発生。最大震度7を記録した地震は、2011年3月11日の東日本大震災以来だ。最大震度7を28時間以内に2回観測したのは、1923年の観測開始以来初めてという。さらに、6月19日から25日にかけて本州付近に梅雨前線が停滞し、その前線上を低気圧が通過したため、西日本を中心に大雨となり、土砂災害などが発生した。その後、阿蘇山の中岳第一火口で、1980年以来となる爆発的噴火が10月8日1時46分に発生。噴石や火山灰による影響が広範囲に及んだ。国の特別史跡である熊本城の石垣が崩れるなど無残な姿が災害の印象を心に深く刻んだ。

   2位は「北海道に台風上陸3個 被害相次ぐ」が選ばれた。8月17日、北海道に台風第7号が上陸。21日に台風第11号、23日に台風第9号が上陸し、1週間で3つの台風が北海道に上陸した。北海道に続けて台風が3個上陸するのは、これも1951年の統計開始以来初めて。

   3位は「Uターン台風 豪雨被害・東北太平洋側に上陸は史上初」。8月19日に台風第10号が八丈島付近で発生。最初は南西に進み、27日ごろからUターンして北寄りに進んだ。さらに、一時的に「大型で非常に強い台風」にまで発達した後、岩手県大船渡市付近に大型で強い勢力の状態で30日18時前に上陸した。台風が東北地方の太平洋側に上陸したのは、1951年の統計開始以来初めてのこと。

   これから心配なのは雪だ。11月24日には東京で初雪が観測された。地殻変動、気候変動はいつ起きるかわからない。関東大震災に遭遇した経験があった物理学者の寺田寅彦は「天災は忘れた頃に来る」と書き記したと言われる。昨今の状況は「天災はいつでもやって来る」と表現した方がよいかもしれない。

⇒9日(金)夜・金沢の天気   あめ
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