自在コラム

⇒ 日常で観察したことや環境問題、金沢大学での見聞、マスメディアとインターネットについての考察を紹介する宇野文夫のコラム

☆デープな能登=4=

2007年08月31日 | ⇒トピック往来

 同じ石川県でも能登と金沢では随分と考え方、言葉、習慣が異なる。能登で生まれた私は15歳から金沢で下宿をして高校に通った。下宿先は金沢市寺町の民家だった。賄いつきだったので、その家族と接することになり、それが金沢の人との生活上の出会いとなった。

     子猫がじゃれるような…

  下宿先のおばさんは「・・・ながや」「・・・しまっし」と話す。語尾にアクセントをつけ、念を押すような典型的な金沢言葉を話す人だった。当初慣れない間は、しかられているような錯覚に陥ったものだ。というのも、逆に能登の言葉は語尾を消すように、フェイドアウトさせるので、優しい言葉に聞こえる。

  後に学んだことだが、この違いは歴史に由来する。金沢の場合は、前田利家が家臣団を引き連れて築いた、百万石という強大な「財政」をハンドリングする武家社会だ。この社会では上意下達、命令をしっかり伝えるために語尾をはっきりさせる。こためにアクセントをつける、あるいは言葉にアンカーを打つような言い回しになる。ところが、能登はフラットな農漁村である。争いを避けるため、言葉の角を取るように話す。むしろ能登の言葉は、福井や富山の隣県で話されている言葉に近い。たとえば、「疲れた」という言葉は能登ではチキナイ、富山でもチキナイ、福井ではテキナイと話す。金沢はシンドイである。歴史的に言えば、北陸は新潟を含めた同じ「越の国」なのだが、金沢だけが異文化社会だった。

  宗教観でも異なる。北陸は「百姓の持ちたる国」の浄土真宗だ。ところが武家社会だった金沢は曹洞宗、つまり禅宗の家が多い。この2つの宗教観の違いは葬儀に参列すれば理解できる。能登だと、「亡くなられたこの家の主は若いときに両親を亡くされ、とても苦労されたが、その分、極楽浄土に行かれて・・・」などと弔辞を読む。ところが、金沢の曹洞宗のお坊さんは「この世も修行、あの世も修行」と言って、死者にエイッと大声で喝を入れる。曹洞宗が武家社会に受け入れられた理由はこの「修行」がキーワードなのだろうと解釈している。

  この異なる宗教観がどのように日常に表れるかというと、たとえば、「能登の人は我慢強い」とよく言われるように、逆境に耐え黙々と働くような強さがある。金沢の人にはストイックな強さがある。このストイックさは、たとえば、礼儀作法が厳しい茶道など習い事の師弟関係の世界で生きているとの印象を持っている。

  ところで、能登の言葉は優しいと述べた。実は、この言葉ではディスカッションで論理的に追及する、あるいは理論を構築していくという作業ができない。論理だけではなく、たとえば大きな組織の運営、あるいは緻密さを要求される共同作業といったリレーションは難しい。なぜなら語尾にフェイドアウトの「逃げ」があり、コミュニケーションで誤解が生じ易い言葉だからである。逆に、「もてなし」や「癒し」という雰囲気を醸し出すには耳触りのよい言葉である。

 能登、とくに奥能登は「ニャニャ言葉」とも称される。語尾をノキャーと軽く薄く引っ張りながら消す。土地の人の会話を聞いていると、まるで子猫がじゃれあっているようにも聞こえる。

 ※写真は、伝統的な能登の「かやぶき民家」

⇒31日(金)夜・金沢の天気   くもり

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★割込企画「北海道異聞」特

2007年08月25日 | ⇒トピック往来

 北海道旅行で撮った写真から、何点かを紹介する。題して、北海道の写真グラフ3題。

         ◇

 クマどころじゃないよ… 北海道三笠市の桂沢公園。ダムの完成によりできた大人造湖があり、湖の周囲は62キロもある。原生林に囲まれ、道立自然公園に指定されている。桂沢湖周辺は化石の宝庫として知られ、アンモナイトや生物の化石が多数発見されている。この太古の化石発見を記念して、高さ5、6㍍の恐竜の像が置物として公園の中ほどにドンと鎮座している。

 キャンプ施設もあるのだが、最近、ヒグマが出没して、ここで泊まろうという勇気のある人は少ないらしい。もともとキャンパーが残した食べ物をあさりにヒグマが出没してる。クマ注意を呼びかける看板には「生ゴミの容器などは放置しないで」と書かれている。でも、この看板と恐竜の像が妙に面白くて上記のタイトルをつけた。
                   
 えっ、またクマの看板が… もう一つクマの話題。昔、北海道の森に住んでいたと伝えられる、森の知恵者「ニングル」をテーマにしたミニテーマパークがある。「新富良野プリンスホテル」横の深い森に広がる「ニングルテラス」がそれ。作家の倉本聰氏のプロデュースのもとつくられたという。

 ここにも「熊出没注意」の看板が。ところが、この看板をよく見ると、本来明記されているはずの看板の発信元がない。つまり、土産物なのだ。北海道ではクマ出没が、野生的な北海道らしさをイメージさせる売りとなっている。それにしても紛らわしい。

 こんなに公衆電話はいらない、それより… 最後に千歳空港の搭乗口の待合ロビーでのこと。壁側に公衆電話がズラリと並んでいる。そこで30分間観察していたが、利用した人はゼロ。ということは、ここにこれだけの数の公衆電話を置く経済的理由はないと判断してよいだろう。

 というのも、パソコンデスクを探したのだが、これが一つもない。この公衆電話のせめて半分でもパソコンデスクになっていればどれだけ便利か、と考えたのがこの写真を撮影したモチーフだった。

⇒25日(土)夜・金沢の天気  はれ  

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☆割込企画「北海道異聞」下

2007年08月22日 | ⇒トピック往来

 国土交通省が認定する「観光カリスマ」という制度がある。地域の資源を観光に上手に生かして、ビジネスを行っている人の中から全国で100人が選ばれている。北海道の富良野で「フラワーランド」を経営している伊藤孝司さんという人もその一人。そのフラワーランドを立ち寄った折、伊藤さんの書かれた「自然と共生する人類と農業」という小論文がスタンドに置いてあったので一部いただき読んだ。この論文のスケール感は、富良野の大地を超えて大きい。

    ラベンダーの花言葉

  その文を紹介する。「…地球の温暖化は異常気象を引き起こすことになり、世界的に農産物の減収を招き、食糧は不足し、産地は北へ北へと移動する」とし、「…北海道の、温暖化進行で産地が北へと移行する中でその使命は益々重大になると考えています」と。北海道は食糧自給率180%を超え、農業生産額が1兆円を超える農業生産基地である。地球の温暖化によって、さらに農業の適地化が進むことになり、北海道の役割は大きくなる、と。「21世紀半ばには世界の人口が100億人で安定すると言われていますが、そのとき安定的に供給を実現するためには、現在の3倍もの食糧が必要とされているのです」

  富良野の高い台に立って、遠く十勝岳地連峰を見渡しながら地球温暖化と北海道、そして地球の21世紀を展望するとそんな発想が浮かんでくるのかもしれない。

  富良野といえば「北の農」の憧れの地、そして日本でもっとも農産物のブランド化が進んでいる、と我々は思っている。しかし、この地も過疎化が忍びってよっている。人口25000人余り、1990年代をピークにして減り続けている。観光バスから眺めた範囲だが、休耕地もまばらにある。

  大地に大きく展開するランベンダーなどの花畑などは見事だ。旅情をそそるし、テレビドラマ「北の国から」のイメージもある。しかし、何かが足りないのだ。それは「環境の視点」なのだと思う。具体的に言えば、もし、富良野の農業が環境配慮型の農業へと大きく転換すれば、日本の農業が変わる。これまでのブランド価値にさらに付加価値をつけることができるのではないかと思う。

  そう思った光景がある。花畑に雑草がはえていないのである。観光化されたファームに雑草は似合わないのであろう。これはある意味で気持ちの悪い光景である。ラベンダーの花言葉、「疑惑」※を感じた。環境配慮型農業とはなるべく農薬を使わない、なるべく化学肥料や除草剤を使わない、そんな農業である。

  確かに、「北の国から」の作家、倉本聡氏らが、富良野プリンスホテルのゴルフ場の一部35haを森に還すため、NPO法人「富良野自然塾」を設立し、植林運動を進めている。また、富良野市も徹底したゴミの分別をしているようだ。しかし、富良野、そして北海道の環境の本丸は環境に配慮した農業ではないのだろうか。伊藤氏の論文でも、その点が触れられていないのだ。

  JR札幌駅近くの日航ホテルに泊まった。朝食のバイキングで人気だったのは有機野菜コーナーだった。消費者が求め始めているのはこの環境トレンドではないのだろうか。

※ラベンダーの花言葉「疑惑」・・・ラベンダー畑にはヘビやハチが多く、根元を気をつけよ、ということから由来する。これはバスガイド嬢の説明。

 

⇒22日(水)午前・能登の天気  あめ 

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★割込企画「北海道異聞」中

2007年08月20日 | ⇒トピック往来

 小樽に足を延ばした(19日)。ぶらりと市立小樽美術館に入った。場所は日銀金融資料館の対面(といめん)にあたる。小樽在住の美術作家による展覧会が開かれていた。目を引いたのが観光化される前の小樽の街並みを描いた油彩画だった。作家は富沢謙氏(73歳)。展覧会場に、たまたまパンフの写真とそっくりの人、つまり本人がいたので、厚かましいと思ったがこちらから声をかけた。

    2分化する小樽観光

  「富沢さんご本人ですね。北陸・金沢から来たのですが教えてください。富沢さんが描かれている小樽の街並みは、いま私が見てきた街並みとは随分違います。富沢さんの街並みは運河を中心としてスケールが大きいような印象がありますが・・・」と思ったままを尋ねた。初対面ながら富沢氏の眼がキラリと輝くを感じた。「ご指摘の通りです。いまの小樽のにぎわは観光のにぎわいですが、かつては街全体が活気があったのです。その当時、運河はいまの倍はあったのです。私が描く街のスケール感は当時の様子を描いたものです」と丁寧に返事をしてくれた。

  大正12年(1923年)に完成した小樽運河は戦後、物流の機能を失っていた。保存論議の末に昭和58年(1983年)から埋め立て工事がスタートし、運河は半分になり道路ができた。「当時の運河を見てもらえば、小樽の別がイメージを感じてもらえたはず。先見の明がなかったといえばそれまでなのですが…」と残念そうに話した。確かに、絵で見るような運河が現存すれば、小樽はかつて「北のウォール」と呼ばれ、その富をもたらしたものはこの運河だ、とストーリーが描ける。しかし、いまの小樽の観光戦略は旧銀行や倉庫、商家の建物だけを見せている。つまり歴史観光の入り口と出口のうち、出口しか見せてないのである。富沢さんにお礼をして美術館を出た。

  実は6年前にも家族で小樽を訪れている。そのときのイメージは街全体が「レトロな観光土産市場」という感じだった。ガラス、カニ、チョコレート…、オール北海道という感じだった。ところが、街の様子が変化しているのに気がついた。一部はブランド化して新しい提案型のショップへと変貌しているのである。チョコレート専門店「Le TAO」は外観=写真・上=も従来の小樽のイメージを脱して、モダンを追及しているし、店内のショーケースは宝石店さながらの高級感を醸し出している。ここで味わったシャンパン風味のチョコレートは12粒で1050円もする。それが飛ぶように売れているのである。また、お昼に入った寿司屋は、入り口に日本酒をズラリと飾ったレストランバーの感覚の店だった=写真・下=。

  街をそぞろ歩きしていると、中国語か台湾語らしい会話をしながらワイワイと歩くグループとよく出くわした。観光をする客層も6年前と随分と違ってきている。おそらく従来の「レトロな観光土産市場」は中国や台湾の人には珍しいかもしれないが、日本人客は飽きがきて寄り付かなくなるだろう。小樽に所在しながら「小樽」を脱する、ある意味での2分化が始まっている。いや、分化しないと生き残れないのだろう。観光は流行り廃りがはやい。観光コースの最後に立ち寄った「石原裕次郎記念館」はガランとしていた。

 ⇒20日(月)午後・札幌の天気  はれ 

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☆割込企画「北海道異聞」上

2007年08月19日 | ⇒トピック往来

 「デープな能登」をシリーズで連載中だが、現在、北海道を旅行中なので、割り込み企画として「北海道異聞」を始める。これまでの北海道のイメージとはちょっと違う観点でこの北の大地を見つめることにする。

      「大らかさ」の死角

  18日に札幌に着いて、さっそくナイトクルージングのバスツアーに参加した。サッポロビール園=写真=でジンギスカン料理を賞味する。2杯目のビールを注文し、ある「事件」を思い出した。当日タンクに残ったビールを、翌日客に出すタンクに継ぎ足して使っていたという問題だった。飲み放題の客にこの継ぎ足しビールを出したが、単品の客には出さなかったという。タンクからタンクの継ぎ足しだったので衛生上は問題はなかったろうと推測するが、北海道観光のキャッチフレーズである「試される大地」に水を差す問題として注目されたのを思い出した。もう5年ほど前のことである。ともあれ、肉も野菜もお代わりをさせてもらい、満足度も高かった。

  ちなみにこの「試される大地」のキャッチフレーズは「自然一流、食事二流、サービス三流」といわれる北海道観光を立て直すという意味合いがあるそうだ。

  藻岩山のロープウエイへ向かう途中、バスガイド嬢が面白いことを話していた。「白い恋人」で知られる知られる菓子メーカー「石屋製菓」が賞味期限を延ばして記載した問題や、商品から大腸菌群や黄色ブドウ球菌が検出された問題についてである。「ミートホープ(苫小牧市)の牛肉ミンチの品質表示偽装事件のときは北海道の人もバカしていると怒ったものです。でも、石屋さんの場合は北海道の銘菓のシンボルのような存在ですので、社長さんも交代したことだし、頑張って立て直してほしいと願っているのです」と。続けて「みなさんもこれに懲りずに召し上がってください」と頭を下げたのである。

  遠方に住む我々にとっては、全国的に知られた銘菓とはいえ、罰を受けて出直せばよいのに淡々と考えている。しかし、北海道の人たちにとっては、よほどショックだったのだろうと推察する。2000年に発生した雪印乳業の乳製品による集団食中毒から牛肉偽造事件など一連の事件で、北海道にあった雪印の主力工場が次々と閉鎖され、少なからぬ打撃を受けたはずだ。「白い恋人」ショックはある意味でその再来かもしれない。石屋製菓の社員でもないガイド嬢が頭を下げた心境は理解できるような気もした。素朴な郷土愛からくる仕草とも受け取れた。  藻岩山(531㍍)の山頂から眺める札幌の夜景は絶景だった。ススキノのネオン街がひと際明るく、パノラマのように広がる。ただ、展望台では肌寒く感じた。

  帰りに観光バスは大通り公園を通った。ガイド嬢はいう。「この公園の芝にはロープをはるなどの規制がありません。自由気ままに芝を楽しめます。北海道の大らかさではあります…」。ちょっと違和感があった。芝はその緑を保つために養生が大切である。北海道の大らかさとは関係ない。その時ふと思った。コンプライアンス(法令遵守)を「大らかさ」が超えたらどうなるだろうか。「大らかさ」を企業の経営者がを勘違いしたらミートホープや石屋製菓のようになるのではないだろうか、と。そんなことを思った。

 ⇒19日(日)朝・札幌の天気  はれ

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★デープな能登=3=

2007年08月17日 | ⇒トピック往来

 能登の人たちには得意技がある。それは、人を「もてなす」ことに非常に長けているということだ。そのプロ化した人たちが板前や仲居となって能登半島・和倉温泉を支えている。

   「もてなし」のプロを育てる祭り

  その話を和倉温泉のある旅館の経営者から聞いたのは十数年前のことだが、いまもその「構造」は変わってはいないだろう。経営者の話は実に説得力があった。能登には七夕ごろから、それぞれの集落単位で地区の祭りが始まる。「キリコ祭り」と呼ばれ、高さ十数㍍の奉灯キリコを担ぐ。神輿を先導にして地区を巡り、最後に神社に集結して、神事を終える。鉦(かね)や太鼓、笛などの鳴り物と若い衆の掛け声で結構にぎやかな、そして伝統ある祭りが繰り広げられる。

  経営者が強調したのは、神社での祭りではなく、家での祭りである。その祭りを見学に来てくださいと、遠方の親戚や世話になっている人、友人を自宅に招く。それを家族総出で接待する。能登の子なら、3、4歳でもお客に座布団を出す所作を覚え、中学生なら日本酒の熱燗の加減がわかる、という。女の子は祭り料理の準備から盛り付けまで母親を手伝い、そして覚える。また、招いた分、今度は招かれる。こうした「ハレの場」に幼少のころから相互に行き来を繰り返すことで、招く言葉と招かれる言葉、そして身のこなしが洗練されていく。「もてなすという所作は考えてできるものではない。経験に裏打ちされた勘で行動するものなのです」と。

 能登の人たちの祭りでの「もてなし」を会話で聞くのも実に軽妙で洒脱である。「ささっとお入りなさい」「遠慮せんと、まま、上座へ」とすすめる主(あるじ)。すでに隣に座っている人に気遣いながら、「はあ、気が張るね」と身を小さくして座る客人。隣に女性がいれば、「はあ、べっぴんさんの隣やと緊張して、酒を飲まんでも(顔が)赤かくなるね」と雰囲気を盛り上げる会話がポンポンと飛び出す。先客もその会話に入って笑いが絶えない。こうしてエンドレスに座持ちがするのである。

  和倉温泉とは別に、金沢のネオン街のスナックやクラブの経営者にも能登の女性が多い。その中には最近、上海に支店を出したやり手のママもいる。金沢の夜の社交界を支えているのも間違いなく能登の人たちだ。

⇒17日(金)朝・金沢の天気  はれ   

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☆デープな能登=2=

2007年08月15日 | ⇒トピック往来

 能登半島の最先端に「禄剛崎(ろっこうざき)灯台」がある。写真は石川県の観光協会のポスターから接写させていただいたものだ。県の観光名所を紹介することでもあり、使用をお許しいただきたい。さて、崖下には「千畳敷(せんじょうじき)」と呼ばれる海食棚が広がる。日本海にぐっと突き出ているので、何か最果ての地に来たように旅情をかきたてる。

   先端から見える海の風景

  そんな思いをさらに強くさせる看板が灯台の近くにある。「ウラジオストック772キロ」という方向看板だ。モスクワとウラジオストクは約9000キロなので、距離的には能登半島からの方が近所だ。対馬暖流の影響で冬を除いて比較的気候は温暖だが、冬期はシベリアからの北西の季節風が吹き荒れる。

  海を眺めていると歴史ロマンにも思いをめぐらせてしまう。古くからこの対馬暖流に乗ってさまざま人たちがやってきた。現在、能登で定住している人たちの中で海の民がいる。輪島の「海士(あま)」の民である。江戸時代の慶安年間(1648~1652年) に九州から北上してきた民十数人が能登半島に上陸する。その後、アワビ漁を得意とするこの民は加賀藩によって保護され、土地まで拝領することになる。地元でいまでもその土地を「天地(てんち)」と呼ぶ。加賀藩は塩漬けのアワビを藩に納めさせ、そのアワビを藩主の手土産として「江戸の外交」に使った。最初十数人で上陸した海士の民は現在1300人になっている。海を生業(なりわい)とし、生命力のある人たちなのである。

  海士の人びとが漁業基地としている舳倉(へぐら)島には5世紀と8世紀、9世紀と推定される遺跡「シラスナ遺跡」がある。彼らとて、この対馬暖流に乗ってやってきた海人の中ではニューカマーにすぎない。

 ⇒16日(木)午後・金沢の天気  はれ  

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★デープな能登=1=

2007年08月13日 | ⇒トピック往来

 夏休み企画として、石川県能登半島で見た能登のあれこれを写真を交えて解説する。題して「デープな能登」。

     テレビの台座はキリコ

  今月12日、家族ドライブで訪れた能登半島・七尾市の「食彩市場」で、夏の甲子園大会5日目、石川代表の星稜高校と長崎日大との対戦をしばらく観戦していた。星稜は3回、フォアボールとタイムリーで先制点を挙げた。が、6回に長崎日大はノーアウト1、3塁のチャンスを作り、センターにタイムリー、さらに犠牲フライで星稜は逆転をされてしまう。星稜はランナーを出すものの得点できず、2回戦で敗退した。

  試合が終わって、ふと気がついた。先ほどまで見ていたテレビの台座は朱塗りに蒔絵を施した、まるで文化財級の骨董品なのである。奥能登で「キリコ」と呼ぶ、高さ10㍍ほどの奉灯である。数十人で担ぐ。能登の祭りの主役となる。

 おそらく一部が折れたりして、使えなくなったものをこうしてディスプイレーとして利用しているのだろう。テレビの台座にするにはもったいないと思うだが。そこが能登の奥深さでもあったりする。

⇒13日(月)午後・金沢の天気  はれ

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☆3度の飯より「3番」

2007年08月08日 | ⇒トピック往来

 最近、友人たちとの会話でこんなフレーズを使う。「最近、7対3の割合で7番より3番」「3度の飯より3番かもしれない」。そのややこしい表現は一体なに・・・。

  ベートーベンのシンフォニーのこと。ICレコーダーで3番と7番を録音していて、それを通勤のバスの中や、職場での休み時間に聴いている。最初は7番が圧倒的に多かった。ところが最近は3番なのである。7対3の割で3番を聴く聞く回数が多い。休日など一日中、3番を聴いていることがあるので「3度の飯より」と表現したりする。

  自分には音楽理論や感性、絶対音感などという「クラシック力」は持ち合わせていない。ただ、脳に心地よさそうだからという理由だけで聴いている。7番はテレビドラマ「のだめカンタービレ」でこれまでクラシックと無縁だった若者の間でも有名になった曲。そして3番はベートーベンがナポレオンを賞賛して作曲したが、皇帝になったのを激怒して題名を変えたというエピソードがある「エロイカ(英雄)」。

 ではなぜ7番より3番かというと、おそらく季節と関係している。7番は出だしが少々重い。梅雨の時期、憂うつだった。それに比べ3番は第1楽章の出だしは風のように爽快だ。そして3番は7番より熱くならない。要は、夏向きなのである。

  演奏は、岩城宏之さん(故人)が2005年12月31日に東京芸術劇場で指揮した、1番から9番までの生番組(CS放送「スカイ・A」)を私的にダビングしたものだ。当時、私は演奏をインターネットでライブ配信するイベントにかかわっていたので、東京芸術劇場の片隅で岩城さんの指揮をじっと見守っていた。その様子は「自在コラム」で何度か紹介した。

  NHK交響楽団のメンバーを中心に、オーケスオトラ・アンサンブル金沢の団員も加わった、おそらくその時点でもっとも意識とレベルの高い演奏家たちで構成された「岩城オーケストラ」だった。なにしろ、弦と打楽器の奏者などは岩城さんと「運命」をともにして、1番から9番の連続演奏に挑戦してみようという、意識とテンションの高い奏者が集まった。だから東京芸術劇場のホールは当時、指揮者も演奏者も聴衆もある種の緊張であふれていた。こんなベートーベン演奏は世界でもそうない。

  飽きずに毎日聴くことができるのは、その緊張感をいまでも共有しているからかもしれない。

 ⇒8日(水)朝・金沢の天気  はれ

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★続・「ニュースの天才」

2007年08月05日 | ⇒メディア時評

 先日、7月24日の「自在コラム」で、中国の北京テレビが放送した、段ボール紙を混ぜた肉まん販売の報道は「やらせ」だったと中国当局が発表したものの、その続報が出てこないので、ひょっとしたらその発表報道に何か裏があるのでないか、と書いた。今回も中国の話である。

  中国から「カシミヤ100%」の表示で輸入されたセーターやマフラーに別の動物の毛が混じっていたとして85万点が回収された。「綿羊絨(めんようじゅう)」と呼ばれる羊の一種やヤクの毛などが、中国での製造過程で混入されたらしい。製造工程における中国製品のうさんくささがまたもや露呈した話だが、果たして責任は中国だけにあるのか、と言いたい。アパレルのプロだったら、カシミヤの手触りでだいたい真贋の判別はつくはずだ。混入を承知で販売し、利益を上げていたとしたら、日本企業の方が問題ではないのか。

  週刊誌やテレビの連日の報道に触れていると、そのうち中国産の製品は店頭からすべて追放されるのではないかと思うくらいだ。そうなると、今度は「国内産」と偽装した「中国産」が売られる可能性がある。本当に怖いのはその点だ。

  中国製品の話ではないが、先日、大学の研究員から聞いた話である。北朝鮮と国境を接するある中国の山中に日本側の大学が観測機器を複数設置することになった。データは日中の大学で共有することとし、中国の大学に協力を求めた。ところが、中国側は観測機の見回り料金を月ごとに払えと主張してきた。データこそ価値があるのだが、中国側の目当ては研究もさることながら金だったのである。その話を聞いて、そのうち観測機器そのものが一つ減り、二つ減りしていくのではないかと邪推した。

  一連のニュースなどを見て、製品の完成度や顧客満足度など日本の価値観とは相容れない。この春、北京でディズニーランドそっくりの遊園地が出現したことが報道された。日本側の取材者が「これはミッキーマウスではないのか」とインタビューすると、遊園地の関係者は「いやこれは大きな猫である」と強弁して見せた。著作権違反というニュースの切り口だったが、一つの遊園地の次元を超えて、中国経済に潜む壮大なフィクションを感じさせた。

  アメリカの映画「ニュースの天才」では、若干24歳のスティーブン・グラス(ヘイデン・クリステンセン)が政財界のゴシップなど数々のスクープをものにし、スター記者へとのし上がっていく。彼の態度は謙虚で控えめ、そして上司や同僚への気配りを忘れない人柄から、編集部での信頼も厚かった。しかし、すべてがフィクションで構成された記事だった。中国の経済成長もすさまじい勢いだ。が、その綻(ほころ)びが出始めているのではないか。フィクションは一筋の綻びが延々と連なる。

⇒5日(日)午前・金沢の天気  はれ

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