大学で担当するマスメディア論では、メディアの5のチカラを解説することから始める。ニュースや情報を集める取材力、ニュースを選び扱いの順番をつける編集力、毎日紙面(番組)をつくる制作力、何が起きてもすぐ説明する解説力、世論を形成する論説力だ。
そのチカラを発揮するのが、マスメディアの業界用語で「発生もの」だろう。事件や事故、災害など予期せぬことが起きて取材する場合、「発生ものだ。はやく現場に行け」と本社の報道デスクは記者に指示を飛ばす。発生ものの場合、本社の社会部や地域の支局の記者が現地に取材に入ることになる。たとえば火災現場なら、火災が起きた現場に行く(接近)。現場で消防や警察の関係者、火災の通報者、近所に住む住民から情報を多面的に収集する(取材)。その情報を得て、失火なのか放火なのか火災の原因性を調べる(調査)。その原因性の真実はどこにあるのか調査する(探求)。それらの取材を経て読者や視聴者に伝える(報道)。この5のポイントは報道記者の基本動作と言ってよい。
ことし7月18日午前10時35分に発生したアニメ制作会社「京都アニメーション」への放火事件では35人が死亡、34人が負傷した。この事件から75日になるが、不可解な点がいくつか残る。犯行の動機だ。容疑者の犯行について、「『小説を盗んだ』恨みを抱く」(7月20日付・毎日新聞)と報じられた。実際、京都アニメーションは「京都アニメーション大賞」を設け、アニメ化を前提に小説やシナリオを公募していた。これについて、「京都府警は青葉容疑者自身が書いた小説を応募したとみて、京アニ側から作品を入手。捜査関係者によると、小説はストーリーを伴い、『ちゃんとした小説になっている』という。」(8月18日付・朝日新聞Web版)。犯行動機とされる著作権侵害に対し、「京アニの代理人弁護士は形式面で1次審査を通過しなかったとし、『これまで制作された作品との間に類似の点はないと確信している』」(同)と応えている。犯行の強い動機となった著作権侵害があったのか、なかったのか、さらに突っ込んだ取材が必要だろう。
この事件めぐる犠牲者の実名報道についても「違和感」がある。京都府警は8月2日に10人の実名を公表し、同月27日に25人の実名を公表した。警察側の判断では、葬儀の終了が公表の目安だった。メディア各社は公表された実名を報道した。府警は同時に「犠牲になった35人の遺族のうち21人は実名公表拒否、14人は承諾の意向だった」(9月10日付・朝日新聞Web版)と説明している。その拒否の主な理由は「メディアの取材で暮らしが脅かされる」だった。遺族側が警戒しているのはメディアという現実が浮かび上がっている。
被害者や遺族に対するメディアスクラム(集団的過熱取材)は以前からさまざまに批判を浴びている。「報道被害」という言葉も社会的にはある。冒頭で述べた現場記者が取材の基本動作を守れば、当然遺族への取材は必然になる。この矛盾をどう正せばよいのか。メディアスクラム化を避ける代表取材であったとしても、記者が玄関のドアホンを鳴らしただけで、生活を脅かされたと敏感に感じる遺族もいるだろう。
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