自在コラム

⇒ 日常での観察や大学キャンパスでの見聞、環境や時事問題、メディアとネットの考察などを紹介する宇野文夫のコラム

☆寝まり牛起きて猛進す

2008年12月31日 | ⇒トピック往来
 これから世界を変えていくのは、おそらく「100年に一度」の経済不況だ。この状況は従来の価値観を崩し、イノベーションを起こす転機になるだろう。この変革は発想の転換をわれわれに迫る。都市集中から地域分散へ、化石燃料からバイオマスや太陽光などの新エネルギーへ、外需頼みから内需喚起へ、そしてグローバルな市場主義から地域経済主義へと発想の切り替えだ。面白いことに、さまざまな企業が農業参入を試み、そして農と商と工の連携を模索している。地域や里山や里海というフィールドに人々が再び復帰する。近い将来そんな日がくるかもしれない。

 「金沢大学の地域連携」の一年を振り返る。大きく三つある。一つは、能登半島に大きく展開したということ。二つには、生物多様性条約第9回締約国会議(CBD-COP9、ボン)に参加し、石川県と国連大学高等研究所いしかわ・かなざわオペレーティング・ユニットなどと連携して、COP10関連会議の誘致に向けて足がかりをつくったこと。三つ目として、里海とトキの研究事業に新たに着手できたということだ。

 一つ目の能登半島に展開するプログラムでは、「能登半島 里山里海自然学校」と「能登里山マイスター」養成プログラムに加え、大気観測・能登スーパーサイト(黄砂研究)のチームが能登学舎に仲間入りし、能登における環境研究は3本柱となった。このほかにも能登で展開する研究チームと協力体制をつくり、「能登オペレーティング・ユニット」といった学内機構化を目指すバックグラウンドができた。こうした研究プログラムを地域に紹介し理解と協力を得るため、11月から12月にかけて輪島市、珠洲市、穴水町、能登町の4ヵ所で地区懇談会も開催した。あわせて190人の参加があり、援軍を得た喜びがあった。

 石川県と国連大学高等研究所オペレーティング・ユニットとの関係構築も大きな一歩だ。2010年のCOP10では関連会議を誘致するが、それに先立って生物多様性条約事務局(カナダ・モントリオール)のアハメド・ジョグラク事務局長を能登視察(9月16日、17日)に招待できた。1泊2日で能登を回ったジョグラフ氏は輪島市金蔵(かなくら)地区で棚田で稲刈りをする人々の姿を見て、「日本の里山の精神をここに見た」と高く評価したのだった。金蔵はいわゆる限界集落の村。それでもよき日本の里山の景観を維持し、自然と調和しバランスを保っている。

 これまで里山の生物多様性や保全活動などを通して地域とかかわってきたが、里海にも目を向けた。手始めは「七尾湾創生プロジェクト」(環境省の事業助成)。これも大学単体ではなく石川県、国連大学高等研究所オペレーティング・ユニットなどと協働して進める。来年2月22日には環境省などとシンポジウムを開催する段取り。また、トキの分散飼育地に石川県、島根県出雲市、新潟県長岡市の3ヵ所が選ばれた(12月19日)。石川県能美市の「いしかわ動物園」に来年度、2つがい4羽のトキがやってくる。中村浩二教授が研究代表となり、トキが能登で生息するための生態学的な調査、地域合意形成のための調査を県からの委託で始めている。能登は本州最後の1羽のトキがいた場所だ。「まだ、生態学的な環境は十分残されている」と中村教授は強調する。環境に配慮した農林業が広まることでトキが生息する環境は再生できる。「トキが再び能登の空を舞う」をキーコンセプトに地域との連携を図っていく。

 来年は「能登半島における里山里海復権と持続可能型の地域再生」をさらに追求していきたい。この復権という意味合いはそこで人の生業(なりわい)が成立する、端的にいえばビジネスができるということである。われわれはよく「自然との共生」を口にする。が、目指すべきはむしろ「自然との調和と活用」だろう。活用しなくなったから里山や里海が荒れた。つまり自然が持つ価値が失われた。もう一度、そこに価値を見出すことが必要になってきた。それが復権への行程の一歩だ。

 「寝まり牛」は起きて猛進する…。新年をそんなダイナミックな変革の年にしたい。文章は少々粗いが、備忘録として書いた。

※写真は、伝統工芸のテーマパーク「ゆのくにの森」(小松市)で展示されている牛をモチーフにした竹細工

⇒31日(水)朝・金沢の天気   あめ
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★株価に見るテレビ業界

2008年12月30日 | ⇒メディア時評

 株価が市場のバロメーターなら間違いなく「恐慌」ではないか。きょう(30日)の東京株式市場で日経平均株価の終値は8859円となり、前年の終値と比べて42%安となった。年間の下げ幅としては、バブル経済が崩壊した1990年のマイナス38%だった。ことし9月のアメリカのリーマン・ブラザーズの破綻以降、株価は日本でも大きく売られる展開となり、10月27日には1982年10月7日以来、26年ぶりの安値となる7162円まで下落した。しかし、メディアは「国民の不安心理を煽る」として「恐慌」の文字を使わないようにしている。が、数字は強烈に物語っているではないか。

  それではメディアの株価を見てみよう。テレビ朝日を例に見てみる。1年前は18万円台。きょうの取引値は12万500円。ここ3ヵ月で見れば10万円台もある。TBSも2500円台が1364円。視聴率が5年連続して3冠王(ゴールデン、プライム、全日)のフジにしても、1年前18万円台だった株価がきょうは12万8100円だ。軒並み落ち込んでいる。

  では、来年の展望はどうか。正直言って、明るい材料はない。先月、民放キー局は中間連結決算を発表したが、テレビCM(スポット、タイム)が落ち込んでおり、日本テレビは37年ぶりに純損失(12億円)を計上した。とくにスポットCM収入は化粧品、飲料、自動車の分野が落ち込み、日本テレビの場合は前年同期比49億円の減の470億円。ざっと10%のマイナスである。下半期期はもっと厳しい数字だろう。

  テレビ業界全体ではテレビCM収入は減ってはいるが、番組外収入を伸ばしているところもある。先に述べたテレビ朝日の場合、スポット収入は10%減の440億円だが、映画「相棒~劇場版~」のヒットや「ケツメイシ」などの音楽出版事業で落ち込み分をカバーしたかっこうだ。異色なのはTBSだ。売上高を2ケタ増の12%余り伸ばし1784億円だった。実はスポット収入は16%も減っている。では何でカバーしているのか。不動産収入が寄与している。輸入生活雑貨店「プラザ」などを傘下に持つスタイリングライフ・ホールディングスの株式を取得、連結子会社化したことがプラスとなったほか、「赤坂サカス」関連の不動産事業が寄与し、増収を確保した。不動産収入で足場を固めるTBSは通期の売上高を前年比17%増の3700億円と見込んでいる。

  話はTBSに偏るが、売上高を通期で17%増やすのなら株価はこのご時勢だから上がってもよいはず。そこで株価チャートを読んでみると、中間決算の発表は11月5日。TBSの「売上増」の発表を見込んで、その10日ほど前から株価は値上がりし、中間決算発表の翌日6日には1800円台をつけた。ところが、7日からは再び続落し、一時1200円にまで落ちた。なぜか、業績はそれほどよくはならないという市場の読みだろう。

 11月12日、テレビ業界にさざ波が立った。トヨタ自動車の奥田碩相談役が政府の有識者会議「厚生労働行政の在り方に関する懇談会」で、年金記録問題などで厚労省に対する批判的な報道が相次いでいることについて、「朝から晩まで厚労省を批判している。あれだけ厚労省がたたかれるのはちょっと異常。何か報復でもしてやろうか。例えばスポンサーにならないとかね」とメディアへの不満をあらわにしたのだ。会合の最後になっても「個人的な意見だが、本当に腹が立っている」と厚労省に関する報道への不満を切り出し、こうした番組などからのスポンサー離れが「現実に起こっている」と述べた(産経新聞インターネット版)。

  企業首脳のテレビ批判はよくある話だ。ところが、テレビ業界ではこれが現実になるかも知れないと危機感を募らせる向きもある。12月22日、トヨタが通期の営業損益予想を6000億円の黒字から1500億円の赤字に大幅修正する発表をしたからだ。今後、トヨタは「黒字」に転換する方法を必死に模索するだろう。そこで取り沙汰されているのが、広告宣伝費の大胆な削減。現在トヨタ単体の広告宣伝費は1000億円余り。どのテレビ局を見ても最大の広告主=スポンサーはトヨタだ。これだけメジャーな企業になると、「1年間の広告宣伝費をゼロ」にしても、トヨタの名声に傷がつくことはない。ユーザーのトヨタに対する認知が下がることもない。「かつてない緊急事態」。渡辺捷昭社長がコメントしたように、相当思い切った手を打ってくるに違いない。ホンダも1900億円の赤字見通し。奥田氏の言葉が現実になるかもしれないのだ。テレビ業界の広告費は年間2兆円ほど。これが急速にしぼみ始める。

  不動産収入など放送外事業でテコ入れしても、広告収入の減少を補うのは難しいのではないか。ちなみに、不況感が強まっている関西地区の朝日放送、毎日放送、関西テレビ、読売テレビの4社の中間決算は営業損益、純損益ともに赤字に転落した。「発掘!あるある大辞典」で捏造問題を引き起こした関西テレビは落ち込んだ広告収入が回復せず、売上高は前年比15%のマイナス。通期も営業赤字の見込みという。

  こうなるとテレビ局も守りの態勢に入る。つまり大幅に番組制作費を減らすのである。中間決算で純利益を45%も減らしたフジは上半期で番組制作費を前期比で60億円削減。今後3年間で設備投資額を100億円減らすという。先日、TBSは来年春の番組改編で、ゴールデンタイムでの大型ニュース番組(平日午後5時50分-7時50分)を制作すると発表した。ゴールデンタイムにニュース番組を持ってくる試みは他系列でもプランはあったが実現していない。それを大胆に編成替えする理由はコストダウンだ。番組制作費の上でVTRの使い回しがきくなどニュース番組はバラエティ番組をつくるよりはるかにコストカットできる。その他のキー局もおそらく追随して、ニュースの時間を増やしてくるだろう。すると、先述の奥田氏が言ったように「朝から晩まで厚労省を批判する」現象がさらに増長されるかもしれない…。

  テレビメディアが順風満帆であった時代はすでに過ぎ去った。景気の失速に加え、テレビ業界には次なる難題が待ち受ける。地上デジタル放送への完全移行(2011年7月24日)だ。果たしてスムーズに地デジへ移行できるのか。あと936日。

 ⇒30日(火)夕方・金沢の天気   風雨

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☆旅館的ホスピタリティ

2008年12月27日 | ⇒トピック往来

   年の瀬のちょっとした休日を利用して加賀市の山代温泉へ家族旅行に出かけた。冬の料理は彩りが鮮やかだ。「香箱蟹 琥珀ゼリー」(ズワイガニのメスの剥き身と二杯酢のぜリー固め)=写真=から始まって、「寒鰤山椒焼 焼大根」「鯛の白山蒸し」「ずわい蟹宝楽焼」など海幸が豊かだ。ズワイガニの甲羅に熱燗を入れて「甲羅酒」としゃれ込んだ。

  食を豊かにするのは味付けや食材の多さだけではない。「もてなし」という情感のこもった気づかいや応対が伴ってこそ、膳に並ぶ食も輝きを増す。もてなしは英語でホスピタリティといい、最近では学問として研究されてもいる。ところで、このもてなしの原点ともいえる農耕儀礼が能登半島に伝承されており、先ごろ、文化庁はユネスコ(国連教育科学文化機関)が無形文化遺産保護条約に基づき作成するリスト(09年9月)の登録候補の一つとして申請した。「あえのこと」である。「あえ」は饗応(ご馳走をしてもてなすこと)を意味する。

  あえのことで、もてなす相手は「田の神」である。神社で執り行うのではなく、それぞれの農家が毎年12月5日と2月9日に行う。この日、羽織袴の主(あるじ)は襟をただして田の神をお迎えし、そしてお見送りする。ここで読者のみなさんは「田舎の農耕儀礼をなんでわざわざユネスコの無形文化遺産に」と思うかもしれない。でも、ここからが見所なのである。実は田の神は稲穂で目を傷め不自由であるとの設定になっている。まず、田に出迎えに行き、その家に田の神を招き入れる。敷居が少々高ければ、「お気をつけください、敷居が高くなっておりますので・・・」と、田の神が転ばぬように配慮しながら案内して進む。

  家の中ではまず座敷に上がって一服していただく。お風呂に入ってもらい、ご馳走を召し上がっていただくという手順になる。食前に甘酒、煮しめ、ブリの刺身、酢の物など能登の山海の幸が並ぶ。料理は二の膳、三の膳の献立をすべて口頭で判りやすく、そしてどの料理がどの位置にあるかきちんと説明する。主は自ら目が不自由だと仮定して、イマジネーションを働かせながら田の神をもてなすのである。ここが形式化した儀礼とは決定的に違うところなのだ。相手の身になって、自らの感性でもてなす。傍から見ればジェスチャーだ。言葉や所作に手を抜けば単なる田舎芝居に見える。が、磨きがかかったもてなしを演じ切れば名優のごとく、どこに出しても恥ずかしくない。見ていてすがすがしい。

  稲作や農業に感謝の気持ちが薄れつつある昨今、あえのことの後継者も減り、伝承農家は十指に足りぬほどになった。しかし、千年も続いているといわれるあえのことの精神・文化は風土としてこの地に染み渡っている。「能登はやさしや土までも」。能登を訪れ人々と語らうと、食も心も和むのだ。

⇒27日(土)午前・加賀市の天気  あめ 

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★竹で復元、内灘砂丘

2008年12月25日 | ⇒トピック往来

 整備された竹林にはすがすがしさを感じる。日本人のメンタリティに合う。しかし、薮(やぶ)と化した竹林は手の施しようがない。はやり切るしかない。今回は竹を利用した取り組みを紹介する。

  金沢大学地域連携推進センターが主催する「金沢大学タウン・ミーティング in 内灘」が12月20日、内灘町役場で開催された。金沢大学はタウン・ミーティングを平成14年度からこれまで石川県内7地区(輪島市、加賀市、鶴来町、珠洲市、能登町、羽咋市、穴水町)で開催しており、今回で8回目.。地域からの話題提供の中で、内灘町のボランティア団体「クリーンビーチ内灘作戦」代表の野村輝久さんが「内灘砂丘を蘇らせる」と題して、角間の里山から切り出したモウソウチクを利用した砂丘の復元運動を紹介した。

  内灘海岸は砂が盛り上がった砂丘で有名だが、最近は平らな砂浜になりつつある。そこで砂丘を復元しようと野村さんたちが取り組んでいるのが里山でやっかい者となった竹の利用だ。ことし2月、内灘のボランティアの人たちが100本ほど竹を切り出した。150センチほどに切りそろえ、さらに竹を割って、砂丘地に垣根をつくった。砂丘地につくる竹垣のことを地元では静砂垣(せいさがき)と呼ぶ。

  当初の予定では、砂はゆっくりと3年ほどかけてたまっていくだろうと予想していたが、今年設置した静砂垣はかなり埋まり、一部ではすでに砂丘ができ、美しい風紋が描かれていた=写真=。3年間で1キロメートルの静砂垣を作るこの計画。角間の里山自然学校だけでなく石川工業高等専門学校やいしかわフォレストサポーター会、河北森林(もり)づくりの会などとも協力体制がスタートしており、活動の輪がどんどん拡がっている。さらにクリーンビーチ内灘作戦の皆さんは伐採しても竹垣に使えない部分をチップ化し、河北潟の水質浄化や肥料としての利用も考えているようだ。

  写真家でもある野村さんは「風紋のある砂丘の景観こそ内灘のシンポル。復元活動を続けて生きたい」と話をしめくくった。

 ⇒25日(木)朝・金沢の天気   あめ  

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☆「それでも地球は動く」

2008年12月23日 | ⇒トピック往来
 イタリアのフィレンツェはユネスコの世界遺産に登録されている歴史の都である。「美術のパトロン」といわれたメデイチ家が庇護した街でもある。このフィレンツェの精神的な拠りどころがサンタ・クローチェ教会。何しろ、この教会の聖堂には「近代科学者の父」と呼ばれるガレリオ・ガリレイや彫刻家のミケランジェロ、政治理論家のマキアヴェッリなど世界史に燦(さん)然と名を残す偉人たちの墓がある。写真は2006年1月にサンタ・クローチェ教会を訪れたときに撮影したガレリオ・ガリレイの墓である。この偉人の棺の上には望遠鏡を持ち、空を仰ぐ大理石の胸像が配置されている。カトリック教会から異端者として審問にかけられ、自説を取り消さなかったため、軟禁され8年後にこの世を去った(1642年)。裁判の後、ガリレオはつぶやいたという。「それでも地球は動く」

 けさ(23日)の新聞でローマ法王ベネディクト16世がガレリオの地動説を公式に認めたとの記事が掲載されていた。記事を一瞥しただけでは、これまでローマ法王庁は地動説を認めてこなかったのかと勘違いするが、そうではない。1992年に前の法王ヨハネ・パウロ2世が、1633年に有罪とした宗教裁判の非を認め謝罪している。では、なぜベネディクト16世が地動説を認めたことがニュースになったのか。ことし1月17日、ベネディクト16世はイタリア国立ローマ・ラ・サピエンツァ大学で記念講演を予定していたが、90年の枢機卿時代にオーストリア人哲学者の言葉を引用して、ガリレオを有罪にした裁判を「公正だった」と発言していたことを問題視する学生が大学を占拠するという騒ぎがあり、講演は中止になった。それ以降、べネディクト16世がいつ地動説を認めるのかということにメディアが注目していたというわけだ。

 記事によると、ベネディクト16世は21日、ローマ法王庁で信者らを前に、ガレリオについて「彼の研究は(キリスト教の)信仰に反していなかった」「ガレリオは神の業と自然の法則をわれわれに教えてくれた」と述べた。ベネディクト16世が地動説を公式に認めたのはこれが初めてという。

 話はガレリオ裁判に戻る。1633年の裁判は2度目だった。容疑は1616年の裁判で有罪の判決を受け、二度と地動説を唱えないと誓約したにもかかわらず、それを破って「天文対話」を発刊したというものだった。判決は終身刑、その後、軟禁に減刑されたが、死後も名誉は回復されずにカトリック教徒として葬ることも許されなかった。ガリレオの庇護者であったトスカーナ大公が、ガリレオを異端者として葬るのは忍びないと考え、ローマ教皇の許可が下りるまでガリレオの葬儀を延期した。しかし許可はこの時代には出ず、トスカーナ大公の願いがかなったのはガレリオの死後95年たった1737年のこと。埋葬は冒頭で紹介したサンタ・クローチェ教会の聖堂で行われた。

 以前の自在コラムで「科学には『常識』がない」との尾関章氏(朝日新聞論説副主幹)の言葉を引用させてもらった。時代の支配者が常識をつくる。科学はその常識を打ち破る。「それでも地球は動く」と自説を曲げない不屈の精神が時代を変えていく。一つの記事からそんなことを考えた。

⇒23日(祝)午前・金沢の天気  くもり
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★テレビは進化するのか

2008年12月21日 | ⇒ランダム書評

 先日、TBS系列のテレビ局の知人と会食した。話題になったのが、来年春の番組改編で始まるゴールデンタイムでの大型ニュース番組(平日午後5時50分-7時50分)について。ゴールデンタイムにニュース番組を持ってくる試みは他系列でもプランはあったが実現していない。ある種の賭けだ。が、知人は「いや、時代の流れだ」と改編のポイントを3つ紹介してくれた。一つには、ゴールデンタイムにお笑いタレントを動員して視聴率を稼ごうとするするテレビ局の意図に少なからぬ反発が視聴者にある。二つめのとして、ニュース番組は50代以上の世代に視聴されており、高齢者化社会に対応した番組づくりとなる。三つ目の要素は、番組制作費の上でVTRの使い回しがきくなどニュース番組はバラエティ番組をつくるよりコストダウンになるということだ。経済リセッションが、「番組の構造改革」ともいえる大胆な編成に背中を押した、ともいえる。

  金沢大学でメディア論を講義していて、私自身よく使う言葉は「テレビにあすはあるか」である。国の免許事業で成り立つビジネスモデルは「最後の護送船団」であり、同じメディアでも新聞などと比べると経営の足腰が「ひ弱」に思える。経済不況の荒波を乗り越え、次世代に進む秘策はあるのか。このヒントとなるのが、「テレビ進化論~映像ビジネス覇権のゆくえ~」(境真良著・講談社現代新書・2008)である。著者は経済産業省メディアコンテンツ課などを経て、早稲田大学で教鞭を執る。コンテンツ流通のプロである。

  著者は挑発的だ。「メディア・コンテンツ産業の本質は娯楽産業」だと言い切り、しかし、「『娯楽の価値』を認められない官僚の心理傾向が、問題の奥底に潜んでいる」と。単純に読み込めば、護送船団の枠の中でいる限り(監督官庁の顔色を伺っていると)、コンテンツの本流である娯楽に徹した産業にはなり得ない、と。挑発がもう一つ。「コンテンツ産業にとってパソコンと付き合うことは、常にビジネスが海賊版によって壊滅的な打撃を受ける可能性に晒されることと同義なのである」と。マイクロソフトなどはパソコン(PC)を「テレビを呑み込む商品」と見定めて戦略を練り、PC上で動画が自由に動く仕組みを構築してきた。そのおかげで、ユーチューブやGyaoとったサービスが始まった。ところが、テレビはPCとの連携を標榜しながらも、心の奥底に「放送と通信の融合」を避けている。実は前述のようにテレビがPCが呑み込まれることを恐れている。もう一つ、家電メーカーもPCがテレビに置き換わることを恐れている。PCは利益率が低いからだ。それでも著者は「情報と通信の融合」を恐れるな、恐れていては「次のテレビ」はないとぞと、ギョーカイ(テレビ業界)を叱咤しているように感じる。

  では、「次のテレビ」とは何か。著者は2004年にネット上で話題になった「グーグルゾン(Googlezon)」をイメージして説明している。要約する。マイクロソフトと戦ってきたグーグルとアマゾンが合併し、その情報サービスの開発競争の中で、ネット上にある新聞ニュースを始めとする様々なデータから新聞記事のような意味ある情報に再編集する技術を開発してしまう。つまり、ネット上で公開された情報がすべてグーグルゾンに利用されてしまうことになった。憤慨したニューヨーク・タイムズ社がグーグルゾンを相手に著作権訴訟を起こすが、敗訴する。ニューヨーク・タイムズ社はネット上から退場し、単なる紙媒体の企業となる。一方のグーグルゾンは世界中のネット上の情報とPC利用者の個人情報を管理する巨大企業へと成長するというストーリーだ。

  「次のテレビ」の要は、視聴者が欲しがる番組をネット上で取り出せる仕組みをつくることだ。グーグルゾンは極端な話ではあるが、使ってよい番組コンテンツを限定し、ユーザーが「マイ・チャンネル」をつくれるような巨大なハードディスクレコーダをネット上で構築することである。著者は、「つまり、『次のテレビ』とは、ニューヨーク・タイムズとケンカをしないような、穏健型の映像版『グーグルゾン』なのである」と説明している。

  著者が紹介する「次なるテレビ」のくだりから、「10年後、新聞とテレビはこうなる」(藤原治著・朝日新聞社・2007)で紹介されている「eプラットフォーム」を連想した。冒頭に述べたように、いまテレビ業界では編成上での「番組の構造改革」が起きようとしている。おそらく次の改革は経営改革(系列の持ち株会社)、そして2011年の完全デジタル化にともなうメディアとネットの融合・再編へと進むシナリオだろう。そのときに「次のテレビ」あるいは「eプラットフォーム」が熱く論じられることに期待したい。

 ⇒21日(日)朝・金沢の天気   くもり

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☆人形は悲しからずや

2008年12月19日 | ⇒キャンパス見聞

 私のオフィスがある金沢大学創立五十周年記念館「角間の里」にけさ(19日)出勤すると、室内に異様な光景が広がっていた。おびただしい数の人形やぬいぐるみが並んでいたのである。「これ一体なに」。思わず叫んでしまった。

  女性スタッフの話では、記念館の入り口左側にある薪(まき)棚に置いてあった。45リットルのゴミ袋4つ分もである。今月13日にぬぐるみの入った袋の存在は確認されていたが、誰かまた取り戻しにくるかも知れないとしばらくそのままにしておいたというのだ。それから1週間近く経つので開封して並べてみたというわけだ。薪棚には木々が積まれているので、ちょっと見るとゴミの貯蔵場所に見える。そんな状況から捨てられたものと判断した。

  数えて見ると、抱き人形5、大きなもの14、小さいもの70、合計89個。プーさん人形やディズニーのキャラクターのぬいぐるみも。中にはタグシールがついたものもある。女児を持つスタッフの話では買うと数千円するものもあるとか。でも、なぜぬいぐるみは捨てられなければならなかったのか。金沢には有名な人形供養のお寺がある。愛着があるものでも不要になれば、そのお寺に持っていく人が多いのだが。

  年の瀬。経済不況を伝える殺伐としたニュースが日々流れる。おそらく、やむを得ずにこっそりと捨てられたものと想像する。というもの、女の子の名前が記されたぬいぐるみもいくつかあった。名前を消す余裕もなかったのだろう。ともあれ、このまま廃棄物として出すには忍びないと、女性スタッフたちは記念館の縁側に並べ=写真=、しばらく飾っておくことにした。

⇒19日(金)昼・金沢の天気   はれ

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★「へんざいもん」の味

2008年12月19日 | ⇒キャンパス見聞

 金沢大学が能登半島で展開している「里山里海自然学校」は廃校となった小学校の施設を再活用して開講している。ここでは生物多様性調査や里山保全活動、子供たちへの環境教育、キノコ山の再生などに取り組んでいる。もう一つの活動の目玉が「食文化プロジェクト」だ。

   学校の施設だったので、給食をつくるための調理設備が残っていた。それに改修して、コミュニティ・レストランをつくろうと地域のNPOのメンバーたちが動き営業にこぎつけた。その食堂名が「へんざいもん」。愛嬌のある響きだが、人名ではない。この土地の方言で、漢字で当てると「辺採物」。自家菜園でつくった野菜などを指す。「これ、へんざいもんですけど食べてくだいね」と私自身、自然学校の近所の人たちから差し入れにあずかることがある。このへんざいもんこそ、生産者の顔が見える安心安全な食材である。

   地元では「そーめんかぼちゃ」と呼ぶ金糸瓜(きんしうり)、大納言小豆など、それこそ地域ブランド野菜と呼ぶにふさわしい。そんな食材の数々を持ち寄って、毎週土曜日のお昼にコミュニティ・レストラン「へんざいもん」は営業する。コミュニティ・レストランを直訳すれば地域交流食堂だが、それこそ郷土料理の専門店なのである。ある日のメニューを紹介しよう。

ご飯:「すえひろ舞」(減農薬の米)
ごじる:大豆,ネギ
天ぷら:ナス,ピーマン
イカ飯:アカイカ,もち米
ユウガオのあんかけ:ユウガオ,エビ,花麩
ソウメンカボチャの酢の物:金糸瓜、キュウリ
カジメの煮物:カジメ,油揚げ
フキの煮物:フキ
インゲンのゴマ和え:インゲン

  上記のメニューがワンセットで700円。すべて地域の食材でつくられたもの。郷土料理なので少々解説が必要だ。「ごじる」は汁物のこと。能登では、田の畦(あぜ)に枝豆を植えている農家が多い。大豆を収穫すると、粒のそろった良い大豆はそのまま保存されたり、味噌に加工されたりして、形の悪いもの、小さいものをすり潰して「ごじる」にして食する。カジメとは海藻のツルアラメのこと。海がシケの翌日は海岸に打ち上げられる。これを細く刻んで乾燥させる。能登では油揚げと炊き合わせて精進料理になる。

  里山里海自然学校の研究員や、環境問題などの講義を受けにやって来る受講生や地域の人たちで40席ほどの食堂はすぐ満員になる。最近では小学校の児童やお年寄りのグループも訪れるようになった。週1回のコミュニティ・レストランだが、まさに地域交流の場となっている。金沢大学の直営ではなく、地域のNPOに場所貸しをしているだけなのだが、おそらく郷土料理を専門にした「学食」は全国でもここだけと自負している。

 ※写真・上は「へんざいもん」で料理を楽しむ。写真・下は文中のメニュー。赤ご膳が祭り料理風で和む

 ⇒19日(金)朝・金沢の天気   くもり

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☆科学に「常識」はない

2008年12月18日 | ⇒メディア時評

 科学記事がメディアに登場しておおむね50年が経つという。では、科学記事がメディアの中でどんな役割を果たしてきたのだろうか。金沢大学で私が担当している朝日新聞特別講義「ジャーナリズム論」(後期・毎週火曜3限)の第11回目(12月16日)は、尾関章氏(論説副主幹)に登壇していただき、冒頭の内容で講義していただいた。題して「理系シフト時代への社説」。以下、講義のまとめを試みる。

  教育界では子供たちの理科離れが進んでいるとよくいわれるが、メディアの世界では科学記事の割合が広がり、たとえば朝日新聞社では30年前に20人ほどだった科学担当記者は現在では50人ほどに増えている。戦後は60年安保、70年安保と大学キャンパスでも政治闘争の嵐が吹き荒れた。が、高度成長に伴ってハイテク、ロボット、宇宙、IT、新型感染症、医療・生命倫理、食の安全と危機管理、そして環境へと、メディアの記事テーマは政治・社会から科学への「理系シフト」が起きている。それが極まったのが、ことし8月の洞爺湖サミットだ。地球温暖化についての科学的な研究の収集、整理のための政府間機構であるIPCCの科学者たちが動いて、地球環境問題をサミットの主議題に押し上げたといわれる。少なくとも、政治家が地球環境問題を無視できないような状態になった。科学者のメッセージで世界が動く時代に入ったともいえる。

  メディアにおける科学記事の役割というのは尾関氏の表現だと、70年前途までは「啓蒙の時代」、公害問題が噴出した70年前後以降は「批判の時代」、そしていまは「批評の時代」に入っているという。この批評の時代というのは、たとえば04年のアメリカ大統領選挙で、中絶反対の立場に基づいて「ES細胞(受精卵から作る万能細胞)を使った再生医療の研究」に反対を表明したブッシュと、賛成だったケリーが激しく争った。生命倫理のハイテク化なのだが、これ一つをとっても早急に決を出せるテーマではない。むしろ評論や批評というスタンスで臨まないと、世論をミスリードする可能性があり、「メディアが厳に戒めなけらばならなことである」(尾関氏)。

  科学記者に必要な素養、それは10年先、20年先を読むイマジネーションなのだろう。そして、決して結論を急がない。たとえば、低炭素社会や医療の未来図をいま性急につくり上げることはできない。先に述べたアメリカ大統領選におけるES細胞をめぐる議論は発端にすぎない。議論はこれからなのである。この議論を科学記者はどうタイムリーに提供していくか、ということなのだ。

  「科学には『常識』がない」。尾関氏が講義の最後に強調した言葉である。遺伝子、代理母、クローン、原子力、捕鯨などの問題は社会通念で推し量れない。推し量れないから議論を尽くさなければならない。一方で科学のマーケットはどんどんと広がっている。それを支える公的な研究費は膨らむばかりだ。だから納税者の理解や提案、研究者との意見調整が必要だ。「科学はみんなで考える」。そんなスタンスが双方に必要になってこよう。その間に立ち、的確な記事を発信していく。科学記者が心得なければならない科学ジャーナリズムの原点ではある。

 ⇒18日(木)朝・金沢の天気    あめ

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★ナメクジと危機管理

2008年12月17日 | ⇒トピック往来
 どれほどインフラ整備を施してもフイを突かれ、パニックを起こすことがある。我が家で起きた話だが、どの家で起こりうることなのでブログに記す。昨夜(16日)、午後8時半ごろ帰宅すると我が家だけが真っ暗な状態だった。この時点でいろいろなことを想像してしまう。家人が一人もいないということは、事前の連絡がない限りあり得ない。「何か変だ」と緊張が走る。玄関ドアの鍵を開けて、そっと入る。

 想像したのは強盗が入るなどの最悪の事態。すると奥の方で懐中電灯の明かりが揺れている。「やっぱり」と思い。大声で「誰かいるのか」と凄んだ。すると奥から家内の声、「停電なの」。力が抜ける。

 数分前から停電になったという。配線用遮断器を調べると、漏電ブレーカーが落ちていた(「OFF」状態)。ブレーカーをオンにしても、カチッとならずにすぐ下に戻ってしまう。そこで、我が家の電気工事を担当した会社に電話した。勤務外時間だったが運よく電話がつながった。事情を話すと、「それでは配線用遮断器にある各室用の子ブレーカーをすべてオフにしてください。それしてから漏電ブレーカーを再度オンにして、子ブレーカーを一つ一つオンにしてみてください」という。その通りに子ブレ-カーをすべてオフにして、漏電ブレーカーを上げて、子ブレーカーをオンにしていく。すると、浴室用の子ブレーカーをオンすると漏電ブレーカーが落ちることが分かった。再度、会社に電話し状況を説明すると、「それは浴室周りの漏電ですね」といい、即来てくれた。

 浴室周りの外壁の外灯、ガス給湯機といろいろと調べ、会社の人が「あやしい」とにらんだのが、外付けのガス給湯機と直結している屋外防水コンセントだった。コンセントから電線を抜いて、配線用遮断器を絶縁抵抗器で検査をすると正常値が出て、やはりここだと分かった。同じ型の屋外防水コンセントを会社の持参してくれていたので付け替えてもらった。

 で、その原因は何か。コンセントを開いてよく見ると、長さ3ミリくらいの黒いナメクジがコンセントの中に入っていた。「ナメクジがコンセントに入ってきて電極に挟まってショートを起こすことはたまにありますよ。ナメクジは水と同じですから」と会社の人は苦笑した。外壁を伝ってコンセントの差し込み口のわずかな隙間から侵入したらしい。ナメクジは感電して死んでいた。ナメクジを指先で触ると確かに水っぽい。

 住宅を新築する際、それなりに危機管理を意識して住宅メーカーには「震度8に耐える耐震設計」「積雪3メートルの雪の重み耐える屋根設計」「耐火外壁」をお願いした。ところが、ナメクジ一匹で停電パニックが起きるとは・・・。
 ※写真は屋外防水コンセントの漏電の原因となったナメクジ(真ん中の黒)

⇒17日(水)朝・金沢の天気    はれ
 
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