自在コラム

⇒ 日常で観察したことや環境問題、金沢大学での見聞、マスメディアとインターネットについての考察を紹介する宇野文夫のコラム

☆チャンネルレビュー2006「視聴率」

2006年12月31日 | ⇒ドキュメント回廊

 ことしのテレビの年間視聴率(1月1日-12月24日)のランキングが30日付の北陸中日新聞で掲載されていた。サッカー・ワールドカップやトリノオリンピックなど大型のスポーツイベントがあり、総合ベスト10のうち、スポーツが9つも占めるという結果になった。そこから何が見えるのか。視聴率の調査会社「ビデオリサーチ社」が公開している視聴率データ(関東地区)をもとに振り返る。

  ことしの総合トップは52.7%で「サッカー・2006FIFAワールドカップ 日本VSクロアチア」(6月18日・テレビ朝日)だった。試合はドローだったが、175分の緊張感はこのゼロの試合展開で保たれ、高視聴率に結びついた。以下8位まで「ワールド・ベースボール・クラシック」「ボクシング・亀田兄弟ダブルメイン」「トリノオリンピック」と続く。9位にようやくドラマ「HERO」31.8%(7月3日・フジテレビ)がランキングされてくる。そして、10位で「ボクシング・世界ライトフライ級 亀田興毅VSファン・ランダエタ」となる。つまり、年間の高視聴率10番組のうち、9つもスポーツものがランキングされた。

  数字だけを眺めれば、日本のテレビ局はスポーツコンテンツに頼らざるを得ないのか、という気分になってくる。が、つぶさに数字を追っていくとスポーツ番組の中で異変が生じているのが分かる。

  3月21日の「ワールド・ベースボール・クラシック」43.4%は、キューバとの決勝に勝ち日本が世界一となったため。しかし、これを除けば、日本のプロ野球コンテンツは上位にランキングされていないのである。序盤に巨人が首位を快走しながら数字が伸び悩み、巨人の負けがこみ出すとさらに低下した。そして、7月の巨人戦ナイターの月間平均視聴率が7.2%に落ち込むと、フジテレビが8月以降の地上波での中継をやめるという事態になった。

  さらに、読売グループの日本テレビは来季の巨人戦の主催試合(72試合)について、地上波は40試合しか放送しないと発表した(12月14日)。系列のCS放送では全試合を放送する。つまり、もう地上波の放送コンテンツとして営業的に限界線を超えているとの判断だろう。

 ちょうど10年前の1996年の視聴率ランキングでは、日本シリーズ第2戦・巨人VSオリックスと総選挙開票スペシャル番組を同一画面で見せた日本テレビが43.3%を稼ぎ、年間ランキングで2位。ほかにもベスト10のうち、巨人戦がらみの3つの中継番組が入った。こうした数字とことしを比較すると、日本テレビの危機感は相当のものだろう。民放キー局の9月中間決算でも、日本テレビの売上高は対前年同期比でマイナス5.5%となり他キー局に比べ際立った。

  スポーツ以外の番組視聴率はどうか。世界で起きていることを事実に基づき検証するといった報道番組となると、「教育・教養」のジャンルで10位にランキングされてる「筑紫哲也・安住紳一郎NYテロ5年目の真実」17.4%(9月11日・TBS)ぐらいである。それではエンターテイメントの娯楽番組はいうと、これは1位が「SMAP×SMAP」26.6%(3月13日・フジテレビ)。視聴率とすると悪くはない。「面白くなければテレビではない」のフジテレビは健在だ。

  そこで注目が集まるのは、きょう31日夜のNHK紅白歌合戦の視聴率だ。かつて大晦日の風物詩、あるいは国民的行事とまでいわれた番組も2000年以降、一度も視聴率50%を超えていない。面白いのは、フジテレビはきょうの紅白歌合戦に最近人気のフィギュアスケートをぶつけてくる。全日本選手権を制した浅田真央ら大会上位選手が顔をそろえる華やかなアイスショーの収録もの。さらにNHKはこれを意識して、紅白歌合戦の特別ゲストにトリノオリンピックのフィギュアスケート金メダリスト、荒川静香を起用している。

  不祥事が続き、受信料不払い、命令放送などなど、この1年も揺れに揺れたNHKはこの番組だけは死守したい。あやかれる人気にすべてあやかりたい、そんな思いが滲む。おそらくNHKの目標は1部40%(前回35.4%)、2部45%(同42.9%)だろう。しかし、他のマスメディアの関心事は2部が40%を切るかどうか、その一点に違いない。NHKを見る目線はいまだに厳しい。

 ⇒31日(日)午後・金沢の天気  はれ 

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★ニュースアングル2006「敗北か」

2006年12月28日 | ⇒ドキュメント回廊
 ことしのニュースで印象深かったもの、それは12月10日の剣道世界選手権だった。男子団体が準決勝にアメリカに敗れた。37年目にして喫した敗北だった。各紙が歴史的な敗北として、「剣道敗れる。日本の国技危うし」「剣道最大の危機」などど見出しを立てた。折りしも、ハリウッド映画「ラストサムライ」がヒットしただけに、日本のプライドが傷ついたのかも知れない。しかし、当の外国人は勝負のレベルでこの試合結果を考えているのだろうか、と思う。

 このニュースを読んで、去年7月、金沢大学で講演いただいたイギリスの大英博物館名誉日本部長、ヴィクター・ハリス氏=写真=の言葉を思い出した。ハリス氏は日本の刀剣に造詣が深く、宮本武蔵の「五輪書」を初めて英訳した人物だ。ハリス氏はヨーロッパ剣道連盟の副会長の要職にあった。そのハリス氏が講演の最後の方に以下のような苦言を呈した。

 日本の剣道は精神文化の一つの行き着く先でもある。それを、国際的なスポーツにしようと意識する余り、勝ち負けという小さな世界に押し込めるのはいかがなものか、と。「ヨーロッパで剣道を始める人のほとんどは、勝ち負けを超えた、その精神性にあこがれて入門している」と。剣道をオリンピックの競技種目にとの声が日本人から発せられていることを牽制したかたちだ。「誇り高い精神修養を勝ち負けだけの判断基準であるスポーツに貶(おとし)めるな」とハリス氏は強調したのを覚えている。

 この点からいくと、アメリカチームが日本チームを凌いだことは意味がある。ハリス氏流に解釈すれば、剣道の宗家である日本に勝つことは宮本武蔵に一歩近づくことと同じなのだ。サムライの中のサムライ、宮本武蔵に近づいたという実感がアメリカチームに湧き上がったに違いない。

 勝ち負けではなく、ストイックに技を極めるプロテスタントの精神と剣道は合理性が合っているのかもしれない。ふとそんなことを考えさせるニュースだった。

⇒28日(木)夜・加賀市山代温泉の天気  あめ

 

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☆哀悼2006「岩城宏之さん」

2006年12月27日 | ⇒ドキュメント回廊

 このブログを、ベートーベンの交響曲第7番を聴きながら書いている。この明るく軽快な曲想にどれほど癒されたことか。聴いているCDは今年6月に逝去した指揮者の岩城宏之さんとオーケストラ・アサンブル金沢(OEK)によるものである。私にとって、岩城さんのCDということで思い入れが深い。

  05年の大晦日から06年の元旦の年越しコンサート(東京芸術劇場)は岩城さんがベートーベンの交響曲9番までを全曲指揮する世界で唯一のクラシックコンテンツだった。経済産業省から事業委託を受けた石川県映像事業協同組合は、北陸朝日放送(HAB)にインターネット配信のコンテンツ制作を委託。HABはスカイ・A(大阪)と共同制作するという枠組みで05年のベートーベンチクルス(連続演奏)を番組化した。私はそのネット配信の総合プロデュース役で、演奏を聴きながら東京で越年した。

  大晦日で通信回線が混み合うことを想定して、ストリーミングサーバを日本テレコムの社屋内に置いた。9時間40分のネット配信でのIPアクセス(訪問者数)は2234となった。クラシック音楽のファンは国民の数%と言われおり、スポーツ映像やドラマと比べれば格段に少ないIPアクセスかも知れないが、クラシックコンテンツとすると随分とアクセスを集めた。

  2234のログを解析をした結果、訪問者のうちウイーンから17アクセスがあった。テレコム・オーストリアのサーバードメインだった。クラシックの本場から、このコンサートイベントはモニターされていたのである。私自身の怠慢で、このことを岩城さんに報告するチャンスを逸してしまった。その岩城さんは手術のために入院、そしてことし6月に逝去された。

  もしこのウイーンからのアクセスを報告していれば、岩城さんはニヤリと笑って、「ニホンのイワキはとんでもないことをやってくれたと世界の連中は言っているだろう。それで本望だ」と言葉を返してくれたに違いない。

  04年に岩城さんが初めて大晦日のベートーベン演奏をやると宣言したとき、「派手好きな山本直純(故人)がやるなら理解できるが、岩城さんがやるべきコンサートではないのではないか」と評する声もあった。しかし、その目標設定が手術を重ねた岩城さんを元気にしたのは間違いない。

  岩城さんは2度目の演奏を終えた打ち上げパーティーの席上で、3度目の挑戦を宣言していた。それが叶わなくなった今、その後も「岩城さんの後を引き継いで大晦日のベートーベンをオレがやる」という指揮者は現れていない。

⇒27日(水)朝・金沢の天気  くもり

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★正論暴論2006「石油論」

2006年12月26日 | ⇒ドキュメント回廊

 これを暴論と解釈するか、先見と理解するか、おそらく意見は分かれるだろう。今年、識者のピニンオンでじっくり考えさせてもらったものを2つ紹介する。先日届いた07年1月1日-8日号の「アエラ」(朝日新聞社発行)で、脳学者の養老孟司氏が述べている「早く石油を使い切れ!!」は相当にインパクトがある。

  限りある天然資源、石油の可採年数はあと40.5年とされる。そこで「省エネ」と言って、長くも持たせよう、効率よく使おうと、地球温暖化現象ともあいまって世界中が大合唱している。しかし、養老氏は「ちょっと乱暴な言い方ですが」と前置きして、「省エネすれば石油資源の寿命が延びてしまう」「限りある資源だから一刻も早く使い切れ」「その先に幸せな地球が待っている」と断じる。

 石油をめぐり世界は戦争をしてきた。そもそも太平洋戦争はアメリカのルーズベルト大統領が日本への石油を止めて日本の譲歩を引き出そうとしたことが発端だった。これに過敏に反応した東条英機がパニックとなった。そこで、日本はシンガポールを攻略し、フィリピンを占領し、インドネシアの油田を確保した。この時点で日本の目的は達成された。しかし、深みにはまっていく。

  また、養老氏は石油がなくなれば社会問題(地方分権、医療問題、子どもの教育問題など)が解決すると主張する。要は、石油のために、人間が楽をすることを覚え、体を動かさなくなった。「人間は石油を使って機会をより便利にするために躍起になってきたけれど、機械を丈夫にすると人間が壊れる」

  最後に、中国が日本や欧米のように石油を使って都市機能を動かし始めると、温暖化どころか地球は滅びる、との内容で締めくくっている。

  もう一つ紹介する。先月、金沢大学で講演した月尾嘉男氏。東大名誉教授で「ITの伝道者」でもある。その月尾氏の持論は「日本が滅びるならテレビから滅びる」である。

  「では、なぜテレビから滅びるのか」。月尾氏の持論はこうだ。世界最大にして消滅した国家は古代ローマ帝国である。末期になり腐敗した帝国は「パンとサーカス」の政策で国民支持を集め国家を維持しようとした。ローマ市民には食料と娯楽を無料で提供したのである。巨大なコロセウムで開催される残虐な闘技、いつでも利用できる巨大な浴場を無償で提供する愚民政策により、政治への不信、社会への不満を解消しようとした。そして市民が娯楽に耽った結果、ローマ市民が蛮族と蔑視していたゲルマン民族により、帝国は短期で崩壊した。衰退の原因はサーカスであった、と月尾氏は強調する。

  月尾氏にすれば、現在のサーカスがテレビ放送なのである。月尾氏はTBSの番組審議委員でもあり、いくつもの番組を視聴して批評している。そして、レベルの低さに驚嘆する。背景となる知識のない芸人が社会を評論する番組、占師の独断と偏見に満ちたご託宣に若者が感嘆する番組、学者が世間に迎合するためだけの意見を開陳する番組など。

  さらにテレビの問題は、何事も画像で表現しようとすることだ。人間の重要な能力は物事を抽象し、言葉で表現し文字で記録することである。しかし、テレビは最初に画像ありきで、一字一句までをも画像で表現しようとする。このため日本人は現実を抽象する能力と、言葉から現実を想像する能力を急速に喪失しつつある。最近の若者の短絡した行動は、この能力の喪失と無縁ではない、と。

  50年ほど前、ジャーナリストで批評家だった大宅壮一が喝破した「一億総白痴化」は着実に進行している、と言うのだ。

 ⇒26日(火)朝・金沢の天気  くもり

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☆ブック2006「リアルな虚栄」

2006年12月25日 | ⇒ドキュメント回廊

 今年読んだ本の中で、印象深い本と言えば、アメリカ史上最大の合併といわれ、ウォールストリート最大の失敗に終わったAOLとタイムワーナー社との合併劇の結末を描いたルポルタージュ「虚妄の帝国の終焉」(アレック・クライン著、ディスカヴァー・トゥエンティワン社刊)と、1990年代のボスニア紛争でうごめいた情報操作の一部始終を描いた「ドキュメント戦争広告代理店」(高木徹著、講談社文庫)だ。とくに「虚妄の帝国の終焉」は2度読んだ。

  一度目は茶の蛍光ペンで気になるセンテンスをマークした。二度目はピンクの蛍光ペンで印をつけた。どこに反復して読む価値があるのか。この合併劇の失敗は「放送と通信の融合の失敗の事例」と日本でも喧伝されていた。果たしてそうなのかと検証したかったからである。単にルポルタージュを楽しみながら読むというより、今後日本でも十分起こりうる放送と通信・インターネット企業の合併という展開を分析したかったからだ。

  精緻な資料分析とインタビューを構成した「虚妄の帝国の終焉」は、CNNなどを擁しメディア帝国と呼ばれたタイムワーナーが企業風土も違う新興のAOLとの合併を決意したものの、最終的にはAOL側の粉飾決算などで、そのシナジー(相乗効果)が十分に発揮されないまま、AOLがタイムワーナーの一部門に降格していく様を描いている。アメリカンドリームの面白さと企業ドキュメントのリアルさが蛍光ペンを2度走らせることになったのである。

  もう一冊の「戦争広告代理店」もアメリカのネタである。NHKの取材ディレクターが丹念に取材したドキュメンタリー番組をその後に加筆してまとめ上げたもの。ボスニア紛争で「モスレム人=被害者」、「セルビア人=加害者」という分かりやすい善玉・悪玉論を情報操作したアメリカのPR会社「ルーダー・フィン」社のジム・ハーフという男の動きに焦点をあてている。どのような手法で世論を形成し、アメリカ大統領をどのように動かし、紛争に介入させたか…。そのキーワードとなった「民族浄化(エスニック・クレンジング)」という言葉がどう使われたのか、克明に描かれている。

  ジム・ハーフが駆使したPR手法の数々は高度なテクニックではあるものの、なかには企業の広報マンも使えそうな細やかな対人折衝の心得のようなものもある。「インタビューする主役に最大限に注目が集まるように、黒子(PR担当マン)は息を殺してその存在感を消す」といったプロの所作である。この本が単行本として世に出た2002年に講談社ノンフィクション賞などを受賞している。

  2冊ともダイナミックな政治と経済がテーマである。アメリカンドームと紛争。受け止めようによってはアメリカのリアルな虚栄とも表現できる。

⇒25日(月)夜・金沢の天気   はれ

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★マイ・アングル2006「救いを」

2006年12月23日 | ⇒ドキュメント回廊

 今年も残すところあと1週間。振り返ってみると、思い出深い1年ではあった。去年のいまごろは、指揮者・岩城宏之さんのベートーベン全交響曲コンサート(東京芸術劇場)をインターネット中継(05年12月31日~06年1月1日)するための準備で右往左往していた。

  ネット配信を無事終え、その2週間後にイタリアのフィレンツェに調査のため渡航した。しかも、渡航前日の成田でパスポートを金沢の自宅に置き忘れたことに気がつき、フライト当日の朝、家人に送ってもらったパスポートを羽田空港に取りに行くというハプニングも。そんなあわただしい1年のスタートだった。

  その後の仕事と生活のキーワードは「雪だるままつり」「フォーリンプレスツアー」「テレビ番組『われら里山大家族』」「長崎」「社会人大学院フォーラム」「南極教室」「三井物産環境基金」「ニュージーランド」「大学コンソーシアム石川シティカレッジ」「能登半島 里山里海自然学校」「マツタケ」「E-コマース」「エル・ネット番組」…と続く。

  その傍らにはノートPCとデジカメと携帯電話が常にあった。写真を整理すると、そのフォルダが70余り。それらの写真をもとに今年書いたブログは2つのブログサイトを合計して200余りとなった。

  今年の写真の中で印象に残った一枚はというとイタリアでのこと。国立フィレンツェ修復研究所を訪れた。世界でトップクラスの修復のプロたちが集う研究所である。許可を得て撮影をさせてもらった。修復士たちが傷んだ聖像を囲んで打ち合わせしている。ベッドに横たわり、「病んでいる私を救ってほしい」と訴える患者、その声に耳を傾ける医師、まるで病院のようなその光景に思わずシャッターを切った。日付は06年1月18日である。

⇒23日(土)朝・金沢の天気  くもり

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☆メディアのツボ-33-

2006年12月21日 | ⇒メディア時評

 前回の「自在コラム」はある意味で痛烈な政治批判でもあった。何しろ、ある国会議員の個人名を挙げて、「タウンミーティングの『やらせ』は実は事務方がピントがずれている大臣のことを思い悩んでしたことではないのか」との主旨のことを書いたのだ。

     批判対象者との遭遇、沈黙の10数秒

  そのおさらい。政府のタウンミーティング調査委員会の最終報告書(12月13日)を読んでいくと、15回の「やらせ」のうち6回が法務省がらみ。04年12月18日(東京)、05年1月15日(香川)、05年4月17日(宇都宮)、05年6月25日(金沢)、05年10月23日(那覇)、06年3月25日(宮崎)の6回のうち、宮崎を除く5回で一致点があった。そのすべてに当時の法務大臣、南野(のおの)知恵子氏(参議員)が出席していた。南野氏と言えば、04年8月の第2次小泉改造内閣で法務大臣に就任して以来、「なにぶん専門家ではないもので」と述べて失言が取りざたされていた。もともと看護婦さんだったので、支援団体は日本看護協会。法務とは畑違いなので、前述のような発言になったのだろう。

  ここからは推測の域を出ないのだが、法務省の事務方は、南野氏が大臣に就任して以来、自信のなさからくる失言に神経をつかってきた。国会の場ならあらかじめ質問が分かるので用意できるが、タウンミーティングとなるとどんな質問が飛び出すか分からない。そこで、「やらせ発言」を苦肉の策として考えた、と推測である。森山真弓氏が引き続き大臣だったらこんな「やらせ」はなかったろうとまで書いた。前回、ここで話は終わっている。

  きょうはその後日談である。この批判コラムを書いたのは12月16日である。その3日後、私(筆者)はその南野知恵子氏とエレベーターで遭遇することになった。

  場所はイチョウの枯葉が舞い散る国会議事堂近くの参議員会館。19日、ある用事で訪れた。打ち合わせが終わり、地下の食堂で食事をして再度、訪問先の4階の部屋に向かおうとエレベーターに乗り込んだ。すると「待って」という声と同時に2人の女性がドカドカという感じで入ってきた。その2人のうちの1人がまぎれもない南野氏だった。身長は150㌢ぐらいだろうか、それまでテレビでしか見ていなかったので実物は随分と小柄だ。そして、すっかりトレードマークとなったピンクの上下は実に目立つ。

  時間は午後1時30分ごろ。南野氏は3階で降りた。遭遇はそれこそ沈黙の10数秒だったろう。その必要もないのだが、言葉が思い浮かばない。他の人にはいつもの空気だったろうが、私にとってはなんとも落ち着かない異様な雰囲気であった。何しろ、ブログでつい先日書いた人物が、目の前にその存在感を持っていきなり現れた。たじろぐのはこちらの方だ。

 周囲の人と共有するものが何もなく、ブログとはかくも個人的の世界なのだと実感した瞬間でもあった。つまり、私の意識の中で起きたちょっとしたハプニングだった。結論めいたものはなく、話はこれで終わる。

 ⇒21日(木)朝・金沢の天気   はれ

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★メディアのツボ-32-

2006年12月16日 | ⇒メディア時評

 12月14日付の新聞各紙に、「金沢の司法改革タウンミーティングでも『やらせ』」の見出しが躍った。一連の政府主催のタウンミーティングは01年6月からことし9月まで174回開かれ、うち金沢など15会場で国から特定の発言内容の依頼を受けた52人が発言したというもの。これが「やらせ発言」あるいは「世論誘導」に当たると物議をかもしたのである。

     広聴からイベントへの変質

  政府が発表した「タウンミーティング調査委員会最終報告」(今月13日)をもとに金沢でのタウンミーティングの「やらせ」を検証すると、法務省から金沢地検と金沢地方法務局に質問者探しの指示があった。実際、去年6月25日のタウンミーティングでは地検や法務局の職員の友人・親戚3人が発言した。

  それぞれが「(裁判員制度になった場合)アメリカのマイケル・ジャクソン訴訟のように、テレビ報道が加熱すると裁判員が公平に判断できるかどうか心配」、「司法を身近にするため、社会的に関心が高い裁判を国会のようにテレビ中継すべきではないか」「司法過疎とはどういう意味か、石川県にも司法過疎地域があるのか」と質問した。

  質問の内容的にバリエーションがあって面白い。しかし、広辞苑によれば、「やらせ」は事前に打ち合わせて自然な振舞いらしく行わせることなのだから、まさに「やらせ」である。

  そして、最終報告書を丹念に読んでいくと、なぜ15回の「やらせ」のうち6回が法務省がらみなのか理解できる思いがした。04年12月18日(東京)、05年1月15日(香川)、05年4月17日(宇都宮)、05年6月25日(金沢)、05年10月23日(那覇)、06年3月25日(宮崎)の6回のうち、宮崎を除く5回で一致点があった。そのすべてに当時の法務大臣、南野(のおの)知恵子氏(参議員)が出席しているのである。

  南野氏と言えば、04年8月の第2次小泉改造内閣で法務大臣に就任して以来、「なにぶん専門家ではないもので」と述べて失言が取りざたされていた。出身母体は日本看護協会、もともと看護師である。畑違いだった。

  ここからは推測の域を出ない。金沢のタウンミーティングでも、南野大臣が「仕込み」の質問に答えた。その際、回答案が用意されていたという。つまり、法務省の事務方は、南野氏が大臣に就任して以来、「専門家ではない」自信のなさからくる失言に神経をつかってきた。国会の場ならあらかじめ質問が分かるので用意できるが、タウンミーティングとなるとどんな質問が飛び出すか分からない。そこで、「やらせ発言」を苦肉の策として考えた、と想像する。

  法務省の事務方は「森山真弓さんが大臣だったころはこんな苦労はせずに済んだのに」とボヤいているに違いない。確かに森山法務大臣(01年ー03年)在任期間中のタウンミーティングでは「やらせ発言」はなかったのである。

  事務方の苦労は理解できないわけでもないが、タウンミーティングは小泉前総理が所信表明演説(01年5月)で「国民が政策形成に参加する機運を盛り上げいきたい」と述べて、国民の声を聴く集いがスタートした。つまり趣旨は「広聴」なのだ。それが、174回も重ねられ、いつのまにか変質し、質問にうまく答えたかというトークショーのようになってしまった。つまりイベント化したのである。

  その変質の一端を担ったのは、タウンミーティングを政府から高額で請け負った電通と朝日広告社であることはいうまでもない。もともとイベントになりかねない素地があったと言える。

 ※写真はバチカン宮殿「アテネの学堂」(ラファエロ作)

 ⇒16日(土)夜・金沢の天気  くもり

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☆東大の赤門をくぐる

2006年12月09日 | ⇒トレンド探査

 きのう(8日)出張で東京・本郷の東京大学を訪れた。安田講堂へ通じるイチョウ並木は透き通った黄色とでも表現しようか、きれいに色づいていた。

  東大のイチョウは校章にもなっているだけあって、キャンパス全体を黄色く染めるくらい本数は多い。そのイチョウと赤門がコントラスを描いて、これも見ごたえのある風景だ。青森から訪れたという女子高生が記念撮影に夢中だった=写真=。

  お昼時に学食の「中央食堂」に立ち寄った。目に止まったのが、「赤門ラーメン」(360円)。麺より多そうなモヤシに、とろみのあるス-プ。豆板醤で辛く仕上げてある。中身は白菜、キクラゲ、そぼろ肉。ちょっと目には天津飯かと思ってしまう。

 東大の赤門をくぐったのは2度目だ。18年前、新聞記者をしていたころ、取材で訪れた。本郷キャンパスは元々、加賀藩の上屋敷だった。当時、発掘調査が行われており、出土品など取材した記憶がある。赤門は徳川家から姫が輿入れした際、造られたもの。

  3時間半ほどの滞在だったが、ひとつ面白いことに気がついた。学生に注意を呼びかける貼紙の内容がやたら多くて内容が細かい。食堂のトレイの返却口に「トレイにガムをつけないでください」。食後にガムを噛んで、そのままトレイにくっつけて出す輩(やから)がいるらしい。法文棟の1階トイレの貼紙は「注意!残飯・ゴミ等を流さないこと」。トイレに弁当の残飯を流してトイレを詰まらせた者がいただのだろう、と想像してしまった。

  しかし、これらはレアケースだろうから、いちいち貼紙で注意を呼びかけるべきものだろうか。あるいは、それほど頻繁にトレイにガムをくつけたり、トイレに残飯を流す学生がいるのだろうか。

  確かにマナーを守りましょうと貼紙しても、具体性な記述がなければ気にもとめられないだろう。だから、細かく事実を列記した方がわかりやすいのかもしれない。普通の人は、そんな貼紙を見て、なんて行儀が悪い学生が多いことかと思われるのが嫌でそこまでは書かない。世間体より事実をきちんと書いたほうがよい、それが東大流なのかもしれない。

⇒9日(土)夜・金沢の天気  あめ

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★「奉食」と「訪食」

2006年12月08日 | ⇒トピック往来

 季節の移ろいははやい。つい先日まで友人らとキノコの話題をいろいろとしていた。たとえば、キノコは合理的な施設栽培が主流となって、店頭では四季を問わず様々なキノコが並んでいる。しかし、それらのキノコからは味や香り、品質そして季節感が感じられない。味より合理性を重視した供給体制が多すぎる。

  だからキノコは天然もの、山で採れた地のものを食べようといったたぐいの話である。たかがキノコ、されどされどキノコなどと言いながら、コノミタケと能登では呼ぶ雑ゴケと能登牛のすき焼きをつついたりした。

  12月・師走に入り、いつの間にか話題はカニになっていた。オスのズワイガニより、メスのコウバコガニの方が味が詰まった感じがしてよいとか、「23日に能登でカニを食べる会に誘われている」などといったたぐいの話である。

  そういえば、人生の先輩のTさんが面白いことを話していた。Tさんは、奥能登で蕎麦屋をやっていて、能登半島から「訪食」の時代の到来を発信したいと意気込んでいる。戦後、腹いっぱい食べたいという「豊食」を求めていた時代から、経済の急成長に伴って「飽食」の時代が訪れた。そして、モノがあふれ、何が本物か見分けのつかない、飲み放題や食べ放題の「放食」の時代、やがては食の安全性が問われた「崩食」の時代が来た。そして今、本当に安心しておいしく食べることができるのであれば、その地を訪ね歩く「訪食」の時代でもあるというのである。

  私なりに解釈して、「奉食」もある。自然食のマクロビオテック料理である。「マクロ=長い・大きい」「ビオ=生命」「テック=術」の造語だ。食と健康、生命というものをとことん追求した料理。食に神が宿るとでも言いたげなネーミングではある。 食の最先端とでも言おうか…。

 結論めいたものはない。とりとめのない話になってしまった。

⇒8日(金)朝・金沢の天気  くもり  

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