自在コラム

⇒ 日常で観察したことや環境問題、金沢大学での見聞、マスメディアとインターネットについての考察を紹介する宇野文夫のコラム

★「ミクロ」の輝き1

2011年09月29日 | ⇒ドキュメント回廊
 市井でオーラを放ち、その生き方に共感する人々に影響を与え続ける人こそ本来の輝きと私は思っている。人の輝きを見つめないと、いつまでたってもトレンドやマーケットに踊らされるばかりだ。人の活動の本質が見えてこない。私が知る、狭い範囲でも輝いている人は何人もいる。肩書きがつく偉い人ではない、マーケットを左右するような人でもはない。おそらく歴史の中で埋もれゆく人たちである。ただ、いま輝く人とはこのような人たちだ。ローカルの話である。題して「ミクロ」の輝き。

          CO2排出の収支計算をして変わった炭焼き人生

 自分の職業が環境にどのような影響を与えているだろうか。たとえば二酸化炭素。これを空中や社会にまき散らし、「儲かった、儲かった」と喜んでいる人たちは多い。環境に謙虚な気持ちを持つ人々ならこれを疑問に考えるだろう。それに真剣に取り組んでいる人の話だ。

 能登半島の先端・珠洲市に在住するAさん(34)。日本でも数少ない炭焼きの専業者だ。「自分の仕事は、巷間で言われているように本当にカーボンオフセットなのか。違うのではないか」。木炭は、二酸化炭素を吸収した樹木を焼くので本来ならば二酸化炭素の排出はゼロである。ところが、炭焼きという仕事となると、木の切り出しにガソリン使用のをチェーンソーを使い、運搬や出荷にトラックを使用するのでトータルでは二酸化炭素を排出していることになる。Aさんは悩んだ。そして大学の門をたたいた。

 大学の教員とともに、ライフサイクルアセスメント(LCA=環境影響評価)の手法を用い、自らの2004-2009年にかけての製造、輸送、販売、使用、廃棄、再利用までの各段階における環境負荷をコツコツと帳簿をひっくり返しながら計算することになる。さらに、自らの炭焼きよるCO2の排出量と、植林や木炭の不燃焼利用によるCO2固定量を比較することで、炭焼きによるCO2削減効果の検証を行った。また環境ラベリング制度であるカーボンフットプリントを用いたCO2排出・固定量の可視化による、木炭の環境的な付加価値化の可能性をとことん探った。仕事の合間で2年かけ、2010年2月に二酸化炭素の排出量の収支計算をはじき出すことができた。

 その結論。彼の炭焼き工場の場合、不燃焼利用の製品割合が約2割を超えていれば、木炭の生産時に排出されるCO2量を相殺できるということを計算上で明らかにした。不燃焼利用とは、木炭を土壌改良剤や建築材として製品出荷すること。つまり、燃やさず固定するのである。彼はさらにカーボンマイナスへの可能性を探る。つまり、植林によって新たなCO2吸収源を拡大し、CO2 固定量を増やすのだ。このあたりから、Aさんの目は輝き始めた。自らの業(なりわい)に確信が生まれたのだ。

 彼は今、6000本を目標にクヌギの木の植林運動を進めている=写真=。クヌギの木は茶道用に使う「お茶炭」の材料となる。次なる目標は環境と経済の両立だ。付加価値の高い木炭を生産することで目標突破を目指す。彼の考えに賛同し、支援する人も増えてきた。来る11月6日(日)のクヌギの木の植林活動には手弁当で150人もの人たちが珠洲の山中に集まる。金沢や東京からも。

⇒29日(木)夜・金沢の天気  あめ
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☆この「マクロ」の暗さよ

2011年09月22日 | ⇒トピック往来

 なぜイギリスはEUに加盟していながら、通貨はユーロ圏に入らないのか、不思議だったが、いまにして思えば、ぼんやりとながら輪郭が描ける。経済はドミノ倒しのリスクがあるからだ。私自身、マクロ経済に関心があるわけでも、造詣が深いわけでもないが、こうも連日のようにギリシャの財政危機などが新聞などで報道されるとつい見入ってしまう。

 ギリシャ国債のデフォルト(債務不履行)が不可避の状況となってきたようだ。1年物国債の利回りは一時117%と急上昇した。つまり、1年で元本が倍になる金利を付けても購入されないということなのだ。同じユーロ圏の支援国のドイツとフランスは、ギリシャ救済に自国の税金が使われることに対する世論の反発が強いことを恐れ、思い切った打開策を打てないでいる。もちろん、ギリシアがデフォルトに陥れば、ギリシャの国債を有するヨーロッパの金融機関は巨額の損失が発生し、金融危機へと連鎖するだろう。そうなれば、同じく膨大な債務を抱えるイタリアやスペインの国債破綻へとドミノ倒しとなる。ちょうど3年前の9月に起きたアメリカ発のリーマン・ショックの欧州版となる。

 だからといって、イギリスのポンドがユーロ圏のドミノ倒しから逃れ、安定していのかと言えばそうでもなさそうだ。金利を上げ下げしながら、イギリス製品の輸出を刺激するためにポンド安をなんとか誘導している。要は、綱渡りの上手な国なのだ。もちろん、イギリス連邦(54ヵ国加盟)の宗主国としての通貨のプライドもあろう。
 
 では、アメリカはどうか。「政府が中心になって景気回復を」というオバマプランで膨大な出費をして経済対策を打ってきたが、手詰まりの状態に。そして、つい先日(19日)、今後10年間で3兆ドル(日本円にして230兆円)の財政赤字を削減する方針を示した。驚きだったのは、半分に当たる1兆5千億ドルを富裕層や石油会社などに対する増税による歳入の増加で賄い、さらにイラクやアフガニスタンからのアメリカ軍撤退によって軍事費を1兆1千億ドル削減するというのだ。結局のところ、これまでの、「ばらまき」で経済を刺激しても景気が回復する兆しは見えない。そこで、増税と軍事費の削減で財政の立て直しをやると宣言したようだ。ただ、大規模な増税を実施すれば、経済成長は望めず、財政赤字の削減にはつながらないというのは本来の見方なのだが。

 私見だが、アメリカにしてもヨーロッパにしても、政治家に悲壮感が漂っていて、気が気ではない。オバマにいたっては、最近言葉に張りすらなくなっているようにも思える。かつてのクリントンのように明るくなれないのだろうか。アメリカの魅力を世界に伝えれば、世界中からお金を集めることは可能だろう。たとえば、当時のアル・ゴア副大統領が情報スーパー・ハイウェイ構想をブチ上げた。だから新しい時代のアメリカに期待して金が集まった。ところが、「国が大変だ」と叫んで、ゼロ金利にしてお金をばらまくから逆にお金が逃げいていった。そんな感じだ。

 もちろん、日本も同じだ。失われた20年で経済はデフレに陥っている。金利を上げれば、お金は国債から離れるので、国はじっとしている。座して死を待つようなものだ。そして、「増税」の新聞見出しが日増しに大きくなっている。出口が見えないから国民は憂うつだ。マクロの視点から見た世界と未来はかくも暗い。それに比べ、「それはそれでええじゃないか」と個人の頑張りで輝いているミクロの動きが面白い。次回からそんな特集をつづってみたい。

⇒22日(木)午後・金沢の天気   あめ

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★佐渡とグアムの島旅5

2011年09月20日 | ⇒ドキュメント回廊

 水質調査をした訳ではないが、ジャングルの豊富な栄養分をタロフォフォ川が湾に注ぎ、川だけではなく、外洋の植物プロンクトンの増殖に影響を与えているのではないか。ガイド役のジョンは、川の流れが注ぐタロフォフォ湾には多くの魚が生息していて、「ちょっと深いところにはイルカもいる」と話した。湾は海の水と川の水が混じる汽水域(きすいいき)と呼ばれる。畠山重篤氏は著書『鉄は魔法つかい』の中で「川の水が注ぐ海、汽水域は、フルボ酸鉄が注ぎこむので海藻と魚介類が育ち、人間と生き物たちが交錯するところです」((P.190)と述べている。察するに、タロフォフォ湾やその周辺、さらにグラム島は古代より格好の漁場なのかもしれない。

            ~ 海の民・古代チャモロ人の姿をほうふつと ~

 グアム政府観光局のホームページは、グラムの豊かな海について紹介している。「海中を彩っているのは、魚達だけではありません。様々な形で海中に素晴らしい造型美を見せてくれるサンゴはもちろん、赤や黄色、白など、豊かな色彩で海中の花園を造っている、イソバナやウミンダ、妖しい美しさのイソギンチャクも。現在、グアムの海には約300種類のサンゴと、50種類におよぶソフトコーラル類が生息しています」と。

 では、「川は海の母」と語るチャモロ人は海とどうかかわってきたのだろうか。『Island Time(アイランド タイム)vol.17』というグアム情報誌に、「スピアフィッシング 先祖の暮らしを支えた海に今、再び潜る」という特集があり、そこにはチャモロ人の漁労の歴史が詳しく述べられている。かいつまんで紹介する。古代チャモロ人の生活は海からの恵みによって支えられていた。人々は海に潜ってモリ=チャモロ語でフィスガ=で魚を捕まえ、暮らしの糧としていた。モリの刃には動物の骨が使われていたが、1600年代にスペイン人がグアムに金属を持ち込み、金属製の刃が使われるようになって、モリで魚を仕留める技術は格段に進歩した。漁場では、ココナッツの葉などを燃やし、その灯りで魚をおびき寄せるスロという呼ばれる漁法も用いていた。チャモロ人は、必要以上には捕獲せず、その日の食べる分だけ捕獲し、食べ物を分け合うという精神を育んだ。先のグアム政府観光局のホームページでも、「グアムの漁師は、今でも古代チャモロ人が編み出した方法(投げ縄)で漁を行っています」と。伝統は脈々と受け継がれている。

 グアム国際空港で、古代チャモロ人の漁労のいでたちを描いたポスター=写真・右=が貼ってある。右手にフィスガを持ち、まるで戦士のような勇壮な姿である。ちなみCHAIFIとは「友達になる」というチャロモ語らしい。そして、タモン湾地区のマクドナルドの店では、古代チャモロ人のイルカ漁を描いた絵画=写真・左=が掛けてあった。丸木舟でイルカを追いかけ、若者が潜ってイルカを捕まえる。想像画ではあるが、海洋の民・チャモロ人の姿をほうふつさせる。
 
 グアムの旅の最終日(19日)、ホテル近くの水族館を見学した。海底を再現した巨大な水槽の下を歩く。その名も「トンネル水族館 アンダーウォーターワールド」。100㍍の「海底トンネル」からは、パンフによると「100種類4000匹」の魚が観察でき、中にはハタ、ウミガメ、サメ、エイなど大型の海洋生物なども見ることができる。立ち止まってよく見ると、海に沈んだ旧日本軍の戦闘機や沈没船とおぼしき残骸=写真=もあり、鑑賞する人によっては痛々しく感じるだろう。が、それらは魚たちの魚礁にもなっていて、複雑な思いだ。

 15日の佐渡の天然杉の見学から始まって、19日のトンネル水族館まで、5日間の島旅は山と海の生態系、そして人の関わりを考えるよいテーマに恵まれた。

⇒20日(火)朝・金沢の天気 あめ

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☆佐渡とグアムの島旅4

2011年09月19日 | ⇒ドキュメント回廊

 グアム島の地図を眺めていると、ぽってりとした芋虫の這う姿に似ている。その西側はフィリピン海、東側は太平洋である。ホテルがあるタモン湾はフィリピン海に面している。18日午後から島の南、太平洋側に注ぐタロフォフォ川をさかのぼるリバー・クルーズのツアーに参加した。ここで思いがけず「グアムの森は海の恋人」を目の当たりにすることになった。

         ~ 「母なる川」と呼ばれるタロフォフォ川 ~

  クルーズのガイドはジョンとマンティギという先住民チャモロ人の血を引く男性2人だ。クルーズはジャングルの中を縫うように流れるタロフォフォ川をさかのぼり、途中、川沿いの古代チャモロ村落跡を訪ね、ラッテ・ストーン(建造物の土台)などの遺跡を見学するほか、ハイビスカスの乾木を使った伝統的な火おこしやヤシの葉編みのアトラクションを見学するという4時間ほどのツアーだ。

  川の流れはタロフォフォ湾に注ぐ、グアムでも比較的な大きな川だ。上流へとさかのぼるにつれ、うっそうとしたジャングルの樹木の枝が川面に垂れ、遊覧船はそれを押しのけるようにして進む。ジョンが「この川にはワニはいないけど、大きなマナズがいるんだ。あそこにうようよいる」と流ちょうな日本語で指をさした。そしてあらかじめ用意してあったパンをちぎって川面に投げると70~80㌢はあるナマズやサヨリに似た小魚の群れがワッと集まり=写真=、辺りが黒くなるほどだ。ブラックバスやウナギなどもこの川には豊富にいる、という。

  ジョンが「ヨコイはこの川の上流で28年間も自給自足の生活をしていたんだ。彼が発見されて、この川のナマズの焼いたのがうまかったと言っていたらしい」と解説した。クルーズに参加した10人のほとんどは若いカップルや家族で、おそらく若い世代にはヨコイは何者か理解できなかったはずだ。横井庄一(1915‐1997年)、元日本兵。終戦後も配属先のグアムに潜み、1972年にタラフォフォ川でエビを採っていたところを現地の猟師に見つかった。彼はグアムでは英雄だ。28年間も完全自給自足、究極のサバイバルに挑んだ男として。横井が暮らした穴居は「Yokoi Caves」として観光マップにも掲載されている。

  興味を持ったのは、ヨコイも漁をしたタロフォフォ川だ。この川の水はうす茶色だ。ジョンとマンティギに「上流で工事をしているか」と尋ねたところ、「昔からこんな色の川だ」との返事だった。そこで思い出したのが畠山重篤氏の『鉄は魔法つかい』の中で北海道・襟裳岬の「はげ山復旧事業」を紹介した下りだ。「うす茶の色は、まちがいなくフルボ酸鉄の色です。復活した森の中で生まれたフルボ酸鉄が、ゆっくり地下に浸透し、水路から海に流れ出しているのです。森の土は、粒子が細かく赤茶けていて、鉄分が多そうでした」(P.177)。川の水が茶色に濁っているのは、フルボ酸鉄(腐葉土にある鉄イオンがフルボ酸と結合した物質)を多く含むからだ。そしてフルボ酸鉄は、植物プランクトンや海藻の生育に欠かせない。この川にナマズやウナギ、エビなどの魚介類が多く見られるのは本来の豊かな川なのだと気がついた。そして切り立った川べりの土を見ると鉄分を多く含む赤土だった。

  そこでジョンとマンティギに聞いた。「この川は海にも恵みをもたらしているのではないか」と。するとジョンは「そうだ。チャモロ人は昔から母なる川と呼んでいるよ」と。グアムでは、「森は海の恋人」ではなく「川は海の母」なのだ。

⇒19日(月)朝・グアムの天気   はれ

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★佐渡とグアムの島旅3

2011年09月18日 | ⇒ドキュメント回廊
  関西空港の出発ロビーはゴールデンウイーク並みにごった返していた。これも「超円高」のある意味で恩恵なのだろう。現地時間15時ごろ、グアム国際空港に着いた。そこからタクシーで10数分、島のほぼ中央の西側、タモン湾を臨むホテルに入った。観光名所となっている恋人岬(TWO LOVERS POINT)に近い。さらに北にはアンダーソン・アメリカ空軍基地(グアムはアメリカの準州)がある。

           ~ 和モダンとミクロネシアの海辺 ~

 グアム旅行は昨年10月に続き2度目なのだが、最初家人が行こうと提案したとき、余り乗り気ではなかった。正直言って、使い古された南国のリゾ-ト地という、さびたイメージがあったから。もっと悪く言えば、ショッピング(免税)とゴルフの島なのだ、と。個人的には双方とも縁がない。それでも家人は気に入ったらしく、2度目も「家族孝行」と思いやってきた。

 ところが、ホテルに到着して、ちょっとイメージが変わった。このホテルは初めてなのだが、3年前に改装したという。フロントがあるロビーが何かモダンな感じがした。さびた感じのミクロネシアのリゾ-ト地らしくないのである。和模様のイス、屏風を思わせる壁面。和風モダンなのである。漆を塗った竹編みのかごもさりげなくインテリアとして並べてある。ロビーを抜けて海岸に向かって歩くと亜熱帯の植物が配され、池にはニシキゴイが泳ぐ。そしてビーチに出ると、そこは間違いなく、ミクロネシアの海が広がる。

 これは発見だった。この和モダンとミクロネシアの海辺の絶妙な空間デザインは誰の手によるものだろうか、建築デザイナーの名前が知りたくなった。

⇒18日(土)朝・グアムの天気  はれ
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☆佐渡とグアムの島旅2

2011年09月17日 | ⇒ランダム書評

 佐渡市から新潟市に戻り、16日にJR特急「北越」で夕方、いったん金沢に帰った。今度はグアムに行くための支度をして、その日の深夜(17日)、金沢駅3時10分発の急行「きたぐに」に家人と共に乗り込んだ。新大阪駅で特急「はるか」に乗り換え、8時前に関西空港に着いた。列車に乗っている時間がたっぷり8時間余りあったので、2冊の本を読むことができた。

        ~森と海の壮大なサイエンスの物語と絶望を見守る大いなる愛~

 一冊目は畠山重篤氏の『鉄は魔法使い』(小学館)。この本は畠山さんのサイン入りだ。ちょっとした経緯があった。先のコラム(9月3日付)で書いた「地域再生人材大学サミットin能登」(9月1日~3日・輪島市)で畠山さんから依頼を受けた。公開シンポジウム(2日)が始まる30分前の9時半ごろだった。「宇野さん、20冊ほど持ってきたのですが、販売していただけませんか」(畠山)、「急な話でどれだけ売れるか分かりませんが、畠山さんの基調講演が終わった後の昼休みにロビーで販売しましょう。せっかくですからサイン会ということにして、畠山さんもその場に来ていただけませんか」(宇野)、「わかりました。急なお願いですみません」(畠山)。ということで急きょ、畠山氏のサイン会をしつらえた。聴衆はホール満員の入りだったので売り切る自信はあった。私が購入第1号となり、サイン本を掲げ、運営スタッフの女性が「ただいま、畠山さんの本のサイン会を行っています」と呼び込み、畠山氏がサインと握手を。列ができ、7分間で残り19冊は完売となった。「もう本はないのか」と苦情も出た。

 その本はイラストで解説し、自伝風に書かれとても読みやすい。漢字にはルビが打たれ、子供たちにも読んでほしいという意図が込められている。畠山氏は先の講演でも「森は海の恋人運動は、子供たちの心に木を植えたい」と語っていた。そして、読んでいるうちに、森と海のサイエンスの壮大なドラマが描かれていることに気が付いた。

 畠山氏らカキの養殖業者が気仙沼湾に注ぐ大川の上流で大漁旗を掲げて植林する「森は海の恋人運動」はスタート当時、科学的な裏付けはなかった。畠山氏に協力して、北海道大学の松永勝彦教授(当時)が魚介類と上流の山のかかわりを物質循環から調査し、同湾における栄養塩(窒素、リン、ケイ素などの塩)の約90%は大川が供給していることや、植物プランクトンや海藻の生育に欠かせないフルボ酸鉄(腐葉土にある鉄イオンがフルボ酸と結合した物質)が大川を通じて湾内に注ぎ込まれていることが明らかとなった。この調査結果はダムの建設計画を止めるほどに威力があった。畠山氏は多くの科学者と交わりながら、魚介類と鉄の科学的な関わりにのめり込んでいく。地球と鉄の起源を知るために、オーストラリア・シャーク湾近くのハマースレー鉱山を見に行く。ジュゴンが1万頭も生息する海藻の森は、はやり鉄との関わりからからだと確信する。そして、最終章で、オホーツク海に注ぐアムール川が運ぶ鉄が三陸沖まで運ばれ豊かな漁場を形成しているとの総合地球環境学研究所のプロジェクト調査を紹介している。20数年前、気仙沼で問いかけた魔法の謎解きが、地球サイズの話へと小気味よく展開するのである。

 本人は3月11日に被災した。津波でカキの養殖施設は流され、母親も亡くした。が、1ヵ月ほどして、海が少しずつ澄んできた。ハゼのような小魚など日を追うごとに魚の種類も海藻も増えてきた。つまり大津波によって海が壊れたわけではない。生き物を育む海はそのままで、カキの養殖も再開できる、「漁師は海で生きる」と自らを奮い立たせている。

 もう一冊の本が、あのノーベル作家のパール・バックの『つなみ ◆THE BIG WAVE◆』(径書房)。日本で滞在した折に取材し、アメリカで1947年に出版された。漁師の息子ジヤと友達の農家の息子キノの2人の少年。ある日突然に村を襲った大津波で、家も家族も失ったジヤをキノの両親が息子同様に育てる。ジアは周囲の愛情に包まれて成長し、やがて生まれ育った漁村に戻り、漁師と生きる決意をする。日本人の自然観や生活観、生死観を巧み取り込み、パール・バックはまるで自らの子のように少年たちを厳しくも優しく眼差しで描く。

 パール・バックには、重度の知的障害を持つ娘がいた。母親としての苦悩の日々ながら、娘の存在を創作の原点として文章を描いたという。ノーベル賞の賞金や著書の印税など収入のほとんどを養護施設に投じ、娘のほかに7人の戦争孤児を養育した。優しい眼差しの原点と、その生涯がだぶる。

⇒17日(土)夜・グアムの天気   あめ

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★佐渡とグアムの島旅1

2011年09月15日 | ⇒ドキュメント回廊

 きょう(15日)、新潟県佐渡市に渡った。波も穏やかで、新潟港からのジェットホイル(高速旅客船)は滑るように走った。この船は、船外から大量の水をポンプで吸い込み、高圧で水をジェット噴射して進む。時速計を見るとおよそ80㌔で走行している。滑るような感覚は、海面より浮上して航行するので、波で揺れないということらしい。船酔しやすい体質の自分にとっては快適だった。船旅は60分余り。12時30分すぎに、佐渡・両津港に着岸した。快晴、気温は30度。島に来たという、ある種の爽快感があった。引き続き17日から家人とともにグアムを旅する。グアムも島。この2つの島めぐりを「佐渡とグアムの島旅」と題して、紀行で見たこと聞いたことを記したい。

          ~ 佐渡で見た天然杉の凄み ~

 佐渡行きは、新潟大学「朱鷺の島環境再生リーダー養成ユニット」の特任助教、O氏から講義を依頼され引き受けた。同大学は佐渡に拠点を構え、社会人を対象とした人材養成にチカラを入れている。同大学にはトキの野生復帰で培った自然再生の研究と技術の蓄積があり、これを社会人教育向けにカリキュラム化し、地域で生物多様性関連の業務に従事する人材を育てることで、地元に役立ちたいと願っている。金沢大学が能登半島の先端・珠洲市を拠点に実施している「能登里山マイスター」養成プログラムと同じ文部科学省の予算(科学技術戦略推進費)なので、「兄弟プロジェクト」のようなもの。お願いされたら断れない…。

 そんな内輪の話はさておき、講義が始まる15時30分までは時間がある。O氏が気を利かせてくれて、大佐渡山脈の「石名の天然杉」に案内してくれた。大佐渡には金北山(1172㍍)や妙見山など1000㍍級の山があり、「天然杉の宝庫」とも言われる。O氏の解説で1時間ほど山歩きを楽しんだ。江戸時代に金山で栄え、幕府直轄の天領だった佐渡は、金山で精錬に使う薪炭を確保するため、山林も幕府が管理していた。明治に入って県が買い取って多くの山林が県有林となった。今回めぐった石名の天然杉の遊歩道はその中の一部。気温は低く風が強いという環境のため、建築材に適さなかった杉が切り出されることなくそのまま残っている

 標高は900㍍付近なのでもうすっかり秋の様相になっている。海辺で聞こえていたセミの鳴き声も聞こえず、辺りは静寂だった。今年5月に開通したという遊歩道を歩くと、「四天王杉」と呼ばれる巨木=写真・上=がひと際目立ち、風格を漂わせている。枝は下に向いて生え出し、幹も1本なのか4本なのかよくわからないほどに束なっている姿には、日本海の風雪に耐えて威勢を張る、ある種の凄みがある。幹周り12.6㍍、樹高は21㍍。7階建てのビルくらいの高さだ。推定樹齢は300年~500年。ほかにもマンモスの象牙のような枝をはわせる「象牙杉」=写真・下=、樹木の上の樹相が丸形の「大黒杉」があって、天然杉のミュージアムといった雰囲気だ。

 下山して、「トキ交流会館」に到着した。15時30分から、「朱鷺の島環境再生リーダー養成ユニット」の講義を始めた。市職員を4人を対象にした講義。テーマは「大学が地域と連携するということ」。そのレジュメ。1)世界農業遺産(GIAHS)認証を佐渡と能登が得た意義、2) 大学が地域と連携するということ、3) 能登の先端「サザエのしっぽの先」から何が見えるのか~ 地の利を考えると、東アジアを見渡す視点が広がる、4)まとめ:「里山と里海」の未来可能性を探る~大学と地域が連携し、半島と島から発信する持続可能な社会を、と話を進めた。

 佐渡市は、トキの野生復帰を契機として「エコアイランド佐渡」を標榜し、地域の自然再生や循環型農業、グリーンツーリズム型観光などを推進することによって先進的な循環型社会づくりを目指している。一方で、36%を超える高齢化率(人口に65歳以上が占める比率)や疎化が急速に進行している地域のひとつでもある。能登半島とよく似ている。ただ、考えようによっては天然杉のごとく、土地に根を張って生き抜いてきたしぶとさが人々にはある。流行を追わず、島や半島といった条件不利地に生きる逞しさこそ、現代人が求めているものではないか。O氏は言う。「山で採った山菜をおすそ分けしようとすると、そんなに貧乏ではありませんと断る気風が島にはあります」と。確かに、島の人々の語り口調には、淡々とした自尊の気風が漂う。

⇒15日(木)夜・新潟の天気  はれ

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☆畠山重篤さんのこと

2011年09月03日 | ⇒トピック往来

 東日本大震災の後、NPO法人「森は海の恋人」の畠山重篤さん(宮城県気仙沼市在住)にお会いするのは2度目だ。最初は5月12日。有志から募った義援金を持参し、東京・八重洲で会った。このときの畠山さんは頭髪、ひげがかなり伸びていて、まるで仙人のような風貌だった。黄色いヤッケを着ていた本人は「ホームレスに間違われるかもな…」と笑っていた。この折に、9月2日に能登半島の輪島市で「復興と再生」をテーマにシンポジウムで講演をお願いし、了承を得た。そして今回、9月2日。畠山さんを輪島に招いての講演が実現した。さすがにこのときは講演を意識されたのか、頭髪もひげも整髪されていて、こざっぱりとした感じになっていた。

 「地域再生人材大学サミットin能登j。畠山氏をお招きしたステージだ。地域再生のための人材養成に関わる全国の大学関係者らが集った全国会議のシンポジウム。シンポジウムは一般公開としたので、市民も聴講に訪れ、定員1200人のホール(輪島市文化会館)はいっぱいとなった。講演は40分、気仙沼の漁師としての思い、森は海の恋人の提唱者としてのこれからを語ってもらった。

 【畠山重篤氏の講演要旨】 昨日、輪島に来て案内されたホテルの窓から眼下に海原が広がるので津波が来たら危ないと思った。部屋が8階と聞いて少し安心した。津波では、20㍍の高台にある自宅のギリギリまで波がきた。津波の怖いところは、生死がはっきりと分かれるところだ。津波で陸はすっかり様変わりしたしたが、1ヵ月ほどして、海が少しずつ澄んできた。ハゼのような小魚など日を追うごとに魚の種類も海藻も増えてきた。京都大学が海底の調査をしたところ、土壌もそれほど変化していないことが分かった。つまり大津波によって海が壊れたわけではない。生き物を育む海はそのままで、カキの養殖も再開できると思ったとき、勇気がわいてきた。
 海は森の恋人運動は、気仙沼の湾に注ぐ大川の上流で植林活動を20年余り続け、約5万本の広葉樹を植えた。赤潮でカキの身が赤くなったのかきっかけで運動を始めた。スタート当時、科学的な裏付けは何一つなく、魚付林(うおつきりん)があるとよい漁場になるという漁師の経験と勘にもとづく運動だった。お願いした北海道大学水産学部の松永勝彦教授(当時)によって、植物プランクトンや海藻の生育に欠かせないフルボ酸鉄(腐葉土にある鉄イオンがフルボ酸と結合した物質)が大川を通じて湾内に注ぎ込まれていることを解明された。漁師の運動に科学的な論拠を与えてもらった。このおかげで、大川上流のダム建設計画も中止となった。植樹活動には子供たちを参加させている。かつて植樹に参加した子供たちの中には、いま生態学者を志す者もいる。森と川と海をつなげる森は海の恋人運動は、漁師の利害ではなく、未来の地球の環境を守るための「人々の心に木を植える」教育活動だと考えている。

⇒3日(土)朝・輪島の天気   くもり

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