自在コラム

⇒ 日常で観察したことや環境問題、金沢大学での見聞、マスメディアとインターネットについての考察を紹介する宇野文夫のコラム

★続「災害は進化する」

2012年02月25日 | ⇒ランダム書評

 『日本災害史』(2006、北原糸子編・吉川弘文館)を読んで、ふと思った。なぜ日本人は災害が来ることを忘れるのか。地震情報はこれまで新聞メディアなどに取り上げられ、注意喚起されても、その時代の雰囲気の中でかき消されていつの間にか遠ざかっていく。そして、震災や津波がある日、突然起きて「天災は忘れたころにやってくる」(寺田寅彦の言葉とされる)という状態が繰り返される。

 著書の中で興味深い下りがある。「地震情報が、いわゆる『予言』に近い情報から、純粋科学情報に移行しつつあった時代だったのだが、行政も企業も『予言時代』そのままの対応をしたのであった」「市民は、家具の固定といった、きわめて狭い範囲の防衛策であったとはいえ、生活レベルでの対応を始める兆しがみえるが、行政、企業は、そうした具体的防御策への想像力を全く欠いていた」。これは阪神・大震災(1995年1月17日)が起きる10日前に神戸新聞の一面で報じていた、当時兵庫県猪名川町で続発していた群発地震に触れ「いつM7級の大地震が起きても不思議ではない」との専門家の見方を警告として発していたものだ。しかし、パブル経済の崩壊で行政も企業も内需拡大策、開発に神経を集中していた。むしろ、この記事に反応していたのは市民だったという。

 それにしても人々は忘れっぽい。災害が起きると世界中の人達が同情し、一時的に自らのこととしてとらえるが、「こうした人道的感情がひとたび麗しくも語られてしまうと、あたかもこんな出来事がぜんぜん突発しなかったかのごとく、以前と同様の気楽さで、人々は自分自身の仕事なり娯楽なりを続け、休息し、気晴らしをやる。彼自身に関して起こる最もささいな災禍のほうがはるかに彼の心を乱すものとなるのである」(経済学者アダム・スミス『道徳感情論』)。この忘れっぽさは、日本人だけではなく、しかもいつの世でも同じなのだ。

 では、忘れっぽい我々は次に、ひょっとして明日にもやって来る災害にどのような心構えを持たねばならないのか。それは、著書に述べられているように「減災の思想」だろう。「一人でも多くの命を助け、一戸でも多くの家・建物を守り、一ヵ所でも多くの都市装置の破壊を防ぎ、一円でも多くの経済損失を軽減する」、そのためにどうすればよいのか常日頃、四六時中考えるということだ。このような言葉を述べると、「では昔の非文明社会に戻れということか」との反論もあろう。そうではない、たとえば一極集中型の都市構造を改造する、高速道路を都市のど真ん中に通さないなど、人間生活が機能不全に陥ることを避ける方策を常に考えるということだ。都市を巨大なコンクリート防波堤で囲って、これで津波は大丈夫だ安全という発想ではない。

※写真は、能登半島地震の被災現場(2007年3月25日、輪島市門前町)

⇒25日(土)夜・金沢の天気  くもり 

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☆「災害は進化する」

2012年02月17日 | ⇒ランダム書評
 けさ(17日)は金沢の自宅周辺でも30㌢の積雪となった。2月2日以来、2週間ぶりの銀世界だ。ただ寒気が少々緩く、雪が融け始めている。屋根から雨だれがパラパラと落ちる。早朝から「雪すかし」(除雪のこと)だ。この季節、スコップで道路を除雪すると響く、ザッ、ザッッという音を耳にすると北陸の人は居ても立ってもいられなくなる。「お隣さんが雪すかしを始めた。我が家もしなければ」と、寝ていても目覚めるのだ。そして誰かが始めて30分もすると、近所中で雪すかしをしている光景が見られるようになる。簡単に近所同士で挨拶はするが、皆黙々と除雪を進める。雪すかしには、決まりや町の会則というものがあるわけではない。あたかも、DNAが目覚めるがごとくその行動は始まるのだ。

 この本の出だしがまずショッキングだ。「災害は進化する」とある。続けて「という」とあるから科学に裏打ちされた法則のようなものではなく、言葉のたとえとして紹介している。確かに、江戸時代では「地震と火災」はセットだったが、それにも増して現代は「地震と原発」など、被害を受ける社会の構造そのものが変化し、放射能汚染など被害が高度に拡大(進化)している。地震をコントロールできない上に、文明の逆襲にでも遭ったかのごとく、この「災害は進化する」という言葉はパラドックス(逆説)として脳に響く。

 原発だけでなく、高層ビルもまた進化する災害(=文明のパラドックス的逆襲)になりうる。2月13日放送のNHK「クローズアップ現代」でも紹介されたように、東日本大震災では、震源から遠い場所(大阪など)にある高層ビルが大きく揺れたり、同じ敷地にありながら特定の建物だけに被害が出たりするなどの不可解な現象が起きたのだ。原因は、建物と地盤の「固有周期」が一致することで起きた「共振現象」と見られている。事例として紹介されていた、震源から770㌔離れた大阪府の咲州庁舎(地上55階地下3階、高さ256㍍)の揺れ幅は3㍍にも。そのとき大阪府は震度3だった。1995年の阪神淡路大震災では、街中を走る阪神高速道路の高架橋が橋脚ごと横倒しとなった。

 『日本災害史』(北原糸子編・吉川弘文館)の執筆陣は歴史学だけでなく、理学や工学の研究者やジャーナリストらで構成されている。テーマは地震だけでなく噴火、洪水などにわたる。この本を読んで、むなしくなる。日本では災害はいつでもどこでも起きる。たとえば近畿を揺るがした地震だけでも1498年・明応地震、1586年・天正大地震、1596年・慶長伏見地震、1605年・慶長大地震、1662年・近江山城地震など、震災は繰り返しやってくる。さらに、津波も。こうした災害と復興を繰り返すことで、日本人の人生観や倫理観、生命観、宗教観などがカタチづくられてきたのではないかと思ったりもする。この本で述べられているように、被災者の救済を第一とする為政者の意識は形成されていて、「お救い小屋」や「お救い米」など避難所や食糧支援の救済マニュアルは江戸幕府にもあった。

 民のレベルでも、相互扶助という意識があり、「施行(せぎょう)」と呼ばれる義援金を力のある商人たちが拠出した。冒頭で述べた「雪すかしのDNA」というのはひょっとすると、過去から現在まで連綿と伝わる、雪国独特の雪害に対処する無意識の連帯行動なのかもしれない。

⇒17日(金)朝・金沢の天気  くもり
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★「見える」の意味

2012年02月15日 | ⇒ランダム書評
 能登半島はにその地形からいろいろな伝説がある。『妖怪・神様に出会える異界(ところ)』(水木しげる著・PHP研究所)にも掲載されている「猿鬼伝説」はその一例だ。能登羽咋(はくい)の気多大社の祭神、気多大明神を将軍として、能登の神々が協力し猿鬼(さるおに)の一軍を退治する物語だ。この猿鬼には矢が当たらない。その理由として、猿鬼が自分の体毛に漆を塗りつけていて、矢を跳ね返す。そこで、矢に毒を塗り、漆を塗っていない猿鬼の目を狙う。毒矢を携え、神々は猿鬼の住む奥能登の岩井戸へ出陣するという話だ。伝説からは、大陸と向き合う能登半島に入ってきた「毛むくじゃら」の異民族との戦いをほうふつさせる。

 さらに、能登にはUFO伝説がある。羽咋市に伝わる昔話の中にある「そうちぼん伝説」がそれ。そうちぼんとは、仏教で使われる仏具のことで、楽器のシンバルのような形をしている。伝説は、そうちぼんが同市の北部にある眉丈山(びじょうざん)の中腹を夜に怪火を発して飛んでいたというのだ。この眉丈山の辺りには、「ナベが空から降ってきて人をさらう」神隠し伝説も残っているという。同市の正覚院という寺の『気多古縁起』という巻物にも、神力自在に飛ぶ物体が登場する(宇宙科学博物館「コスモアイル羽咋」のホームページより)。

 作家の田口ランディさんはこのUFO伝説に満ちた羽咋に滞在して、小説『マアジナル』(角川書店)=写真=を書き上げた。マアジナルは、「marginal 【形容詞】 辺境の、周辺部の、縁にある、末端の、ぎりぎりの。二つの社会・文化に属するが、どちらにも十分には同化していない、境界的な」という意味を持つ(『リーダーズ英和辞典』)。物語は、「こっくりさん」が流行した1980年代、UFOを目たという少年が中心になって少年少女6人がある日、手を取り合って輪を作り、夏の夜空にUFOが現るのを祈った。その直後、そのうちの1人の女子生徒が消息不明となる。この夜をきっかけに、彼らの運命の歯車は少しずつ狂い始める。UFOや宇宙人を内容とする雑誌「マアジナル」編集部にたまたま入った羽咋出身の編集者がこの運命の糸をたぐり始める。すると、残りの5人の人生が再び交錯し始める…。小説の400ページは出張中の新幹線、飛行機の中で読んだのである意味「臨場感」を持って読めた。

 この物語で意外な実在の人物が登場する。アメリカの天文学者パーシバル・ローエルだ。ローエルは冥王星の存在を予測したことで天文学史上で名前を残したが、ほかにも火星に運河が張り巡らされていると主張し、火星人説も打ち立て論争を起こした。アメリカ人を宇宙開発に傾斜させるきっかけをつくった一人でもある。明治時代、そのローエルが東京滞在中に地図を眺めていて、日本海沿岸に突き出た能登半島の形に関心を抱き、そしてNOTOの語感に揺さぶられて、1889年5月に能登を訪れた。後にローエルは随筆本『NOTO: An Unexplored Corner of Japan』(NOTO―能登・人に知られぬ日本の辺境)を91年に出発する。能登を英文で世界に紹介した初めての人物だ。そして、そのころに能登を辺境=マアジナルと感じた最初の人なのだ。

 小説の中で、6人の少年少女の中で精神科医になった男性が交通事故に遭い、幽体離脱してローエルと対面し問答する下りがある。ローエルは「人間とは、ここがあれば、ここ以外の何かが存在すると考える存在なのです」と述べる。デカルトの「我思うゆえに我あり」を引き合いに出して語るシーンである。そして男性は望遠鏡を覗き込みながら、「あの雲がUFOの出入り口なのですか」と尋ねる。でも、ローエルは「さて、どうでしょうかね。私はそれを見たことがないのでわかりません」と肩をすくめて淋しそうに笑う。この小説は、UFOが見えるか見えないか、我思うゆえに我あり、哲学書にも似た大いなる問答集なのである。

⇒15日(水)朝・金沢の天気   くもり
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