自在コラム

⇒ 日常での観察や大学キャンパスでの見聞、環境や時事問題、メディアとネットの考察などを紹介する宇野文夫のコラム

★手間暇かかる能登の墓石の復旧 斜面地や細道多く機械が入れない墓地も

2024年07月23日 | ⇒ドキュメント回廊

  きょうも北陸には「熱中症警戒アラート」が出されている。予想最高気温は能登半島の尖端・珠洲市で35度、金沢も35度、隣県の富山市では37度、福井市は36度とまさに北陸は猛暑日だ。予報は晴れ時々曇りだが、昼過ぎから夜にかけて雷雨になるところもあるようだ。猛暑と雷雨、穏やかでない一日となりそうだ。

  前々回のコラム(7月20日付)で能登の墓石の倒壊のことを述べた。けさのNHKニュースでも取り上げていたので、以下引用する。能登半島地震で多くの墓地で墓石が倒れるなどの被害が出たが、半年以上たった今も手つかずのままとなっているところが多い。こうした状況を改善しようと、日本石材産業協会や全国優良石材店の会などに所属する全国からの職人10人が22日、七尾市内3ヵ所の寺院墓地で支援活動に入った。

  職人たちは墓地の通路に倒れている墓石を移動させたり、いまにも土台から落ちそうになっている墓石をもとの位置に戻したりして安心して墓地の中を歩けるように作業した。参加した大阪の職人は「手が足りていないと聞き参加しました。ひどい状況なので、しっかりと取り組んでいきたい」と話した。

  ボランティア活動の運営に携わる石川県石材組合連合会の番作一之会長は「全国から職人に来ていただき助かっている。墓を直す機械を墓地に入れるためにもまずは通路の安全確保を進めたい」と話した。地元石川の職人を含めて延べ70人があす24日まで七尾市のほか輪島市や穴水町の寺院も訪れ、墓石の仮復旧を進める。

  以上は記事の引用だが、実際に能登の墓地に入ると山地など斜面地だったり、道が細くて機械が入れないところもある。道路に面したフラットな地形の墓地の場合は、小型クレーン車などを使って墓石を吊り上げて元の位置に戻す。が、細道や斜面地の場合は小型クレーン車などが入れないので、現場で柱を三又に組んでチェーンブロックを取り付け、墓石を一つ一つ上げ下げして修復することになる。とても手間暇がかかる。(※写真は、手動のチェーンブロックで吊り上げて倒れた石灯籠を修復する様子=金沢市内、2月17日撮影)

       それにしても、能登の被災地には公費解体や支援ボランティアなどで多くの人たちが入っている。照りつける連日の日差しの中で熱中症にかからなければよいがと願うばかりだ。

⇒23日(火)午後・金沢の天気    はれ時々くもり

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☆能登の寺社は地域コミュニティーの中心 再建への道筋はつくのか

2024年07月22日 | ⇒ドキュメント回廊
  きょう22日は二十四節気の一つ「大暑」にあたる。この時節は、金沢でも花火大会やスイカ割りなどの行事、風に揺れる軒下の風鈴が風物詩でもある。その大暑が近年は「猛暑」となり、「熱中症警戒アラート」がTVメディアなどで鳴り響くようになった。きょうの金沢の予想最高気温は34度、名古屋は38度だ。熱中症警戒アラートが東海北陸全域に出されている(環境省熱中症予防情報サイト)。
 
  もう22年も前の話だが、NHK大河ドラマ『利家とまつ』がヒットして話題を呼んだ。加賀百万石の礎を築いた前田利家と正室まつ、その夫婦愛を軸に家族の視点から、戦国の乱世を描いたドラマだった。まつの遺灰がまつられている輪島市門前町の菩提寺「芳春院」に先日行くと、本堂などが崩れて全壊状態だった=写真は7月6日撮影=。芳春院を訪れるのは元日の発災以降で3回目だったが、半年経ってもまったく手が付けられていない。すぐ近くの曹洞宗の大本山・総持寺祖院は山門(国文化財)などは無事だったものの、33㍍の廊下「禅悦廊」(同)が崩れるなどブルーシートがあちこちに被せてあった。
   
  芳春院や総持寺だけではない。能登では寺院が相当に傷んでいる。能登で一番多い寺院は浄土真宗で、真宗大谷派東本願寺のまとめ(6月19日時点)によると、能登地域にある寺院353ヵ寺のうち、被害があったのは331ヵ寺で、そのうち本堂の倒壊など大規模被害は72ヵ寺、庫裏は69ヵ寺に上る。これに他宗派の寺院や神社も加えると相当な数に及ぶだろう。
 
  能登では、寺院は地域コミュニティーの中心の一つでもある。寺で毎月28日に「お講」が開かれる。浄土真宗の宗祖とされる親鸞上人の月命日にあたり、地域の年寄り衆や子どもたちが集い、お経の後に山菜や海藻の精進料理が供される。人々は会話を交わし、情報交換の場ともなっている。その寺でのコミュニティーが元日の能登半島地震で絶たれた状態になっている。
 
  本来ならば、寺院の本堂や庫裏などに損壊があれば檀家の人たちが中心になって修繕へと動き出す。ところが、地震で檀家の人たちも多くが被災した。輪島市と珠洲市だけでも住家6000棟が全壊、一部損壊を含めれば2万1500棟にもなる。住家の全半壊は公費解体の対象となるが、では寺院や神社はどうか。これは憲法上での政教分離の原則があるため、寺院や神社などの被害に対する国の公的支援は難しい。
 
  今月16日に石川県が開いた「復興基金(総額540億円)」の活用策を巡る意見交換会に七尾市以北の6市町の首長が参加した。復興基金は被災者支援のうち、国の事業でカバーできない部分を補う。意見交換会の中で馳知事に対して要望があったのは、地域コミュニティー施設の再建に向けた取り組みだった。中でも、6人の首長がこぞって要望したのは、能登の祭り文化や地域の絆(きずな)を絶やさないためも寺院や神社などの修繕費に手厚い補助をしてほしいということだった(16日付・地元メディア各社報道)。
 
  県では8月中に基金の活用方針をまとめ、9月以降で基金事業を進めることにしている。はたして、芳春院再建の道筋へとつながるのか、どうか。
 
⇒22日(月)午後・金沢の天気     はれ時々くもり
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★能登地震さらなる余波 墓石とジンベエザメのブルーな話

2024年07月20日 | ⇒ドキュメント回廊

  前回ブログでは能登半島地震による損壊家屋の修理についての新たな動きについて述べた。能登を巡っていて、家屋のほかに墓地の損壊も目に付く。写真は今月6日に能登町のある集落を訪ねた折に撮影したものだ。墓石の塔の部分に当たる竿石(さおいし)や墓前の灯篭などが転がって倒れている。骨壺を納める場所(納骨室)がむき出しになっていたのだろうか、ブルーシートが被せてある。20基ほどある墓のほとんどが損壊していた。

  近所の人と話をすると、「石屋に修理を依頼しているが手が回らんようで、墓参りに間に合うかどうかは分からん」とのことだった。能登の墓参りは8月の旧盆が多い。以下は個人的な想いだ。被災した人たちの生活再建が優先で、墓石はその後でも致し方ない。修理の順番待ちで2年かかろうが3年かかろうが、墓参りを絶やさないことが何よりの先祖供養ではないだろうか。

  話は変わる。きょう七尾市能登島にある「のとじま水族館」が半年ぶりにオープンしたと地元メディア各社が伝えている。今回展示されたのは210種7500匹の海の生き物たち。震災前は400種2万2000匹いたが、地震による施設や設備の損壊で90種3400匹が犠牲になった。今回展示されたのは生き残った生き物たちの一部で、これから徐々に展示を増やしていくという。

  犠牲になったなかでスーパースターだったのがジンベエザメの「ハチベエ」と「ハク」だった。4.5㍍を超える大きさだったが、体の大きさの割には威圧感がなかった。動きがゆったりしていて、眺めているだけで癒しを与えてくれた。 ハチベエとハクが死んだ原因は報道によると、水槽が水漏れで水位が半分以下となり、循環ポンプの水没や濾(ろ)過設備が停止。応急措置として水槽に海水を投入して水位を保ったものの、水温が低くなりすぎるなど生育環境が悪化して死に至った。(※写真は、2018年9月に撮影した「のとじま水族館」のジンベエザメ)

  ハチベエとハクは体長が6㍍になると再び海に放される予定だった。以下、素人の勝手な意見だが、そうならば、水槽に水漏れ事故が起こった段階で2匹を海に放出してもよかったのではないだろうか。ハチベエとハクは近くの七尾湾の定置網で捕獲されたジンベエザメなのだ。「地元」に返してやれば生き抜くチャンスはあったのかも知れない。

  季節は夏本番へと移ろう。周りに見える景色も徐々に復旧・復興へと変化してほしい。

⇒20日(土)夜・金沢の天気   くもり

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☆能登の損壊家屋の修理を「オール石川」で担う仕組みづくり

2024年07月19日 | ⇒ドキュメント回廊

       前回ブログで、能登半島地震によって8万8000棟の住宅が損壊したものの、建物や電気、水道などの修理工事が業者の人手不足で間に合っていないと述べた。きょう19日付の新聞メディア各社によると、石川県の馳知事は18日の記者会見で、住宅再建や修理の相談受付の窓口を今月26日に開設し、さらに、応急修理を担う工事業者の宿泊費補助なども始めると発表した。

  被害の大きかった能登の6市町(輪島市、珠洲市、七尾市、能登町、穴水町、志賀町)では、地元以外の工事業者に修理を依頼すると交通費や宿泊料などの追加費用が発生することなどから、被災者は地元の業者に依頼して順番待ちの状態となっている。ところが、地元では業者が限られているため日程が見通せないことが問題となっている。そこで、県木造住宅協会と県建設業協会が26日に「住宅再建相談受付窓口」(電話など)を開設し、工事業者を紹介していほしいといった被災者からの希望に応じて工事業者を手配する仕組みを設けた。

  これは、県が6市町以外から来る工事業者の燃料費や宿泊費、人件費などを助成する動きと連動したもので、金沢市の電気工事業者が100㌔近く離れた輪島市の損壊家屋で配線工事を行うといったことも可能になる。地元以外の工事業者の経費補助については、すでに水道工事に対して県が補助する制度を設けていて、今回はその枠を広げることになる。

  県と木造住宅協会と建設業協会が連動したこうした動きは家屋の復旧・復興へのステップでもある。一方で現場では、悪質業者が横行しているということも背景にある。業者を名乗る数人が来て屋根の無料点検と称して屋根に上がり、「このまま放置すると雨漏りする」と言い、高額な契約をさせられたといった事例。さらに、見知らぬ業者が来て「この家は保険で修理できる」と言い、保険請求の手続代行と住宅修理を勧誘されたというケースも相次いでいる。こうした家屋の修理をめぐるトラブルなどを避けるため、窓口を一本化するという狙いもあるようだ。

  能登の損壊家屋の修理を「オール石川」で担う仕組みづくりに期待したい。(※写真は、ブルーシートが貼られた屋根が軒を連ねる能登町の家々=7月5日撮影)

⇒19日(金)夜・金沢の天気   くもり時々はれ

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★ことし初「熱中症警戒アラート」 能登の被災地の人はこの暑さどうしのぐ

2024年07月18日 | ⇒ドキュメント回廊

  朝から蒸し蒸しとして、石川県内の各地では午前中から30度を上回る厳しい暑さ。気象庁と環境省は石川県にことし初めての「熱中症警戒アラート」を出した。日中の最高気温は金沢、輪島ともに34度で、エアコンを適切に利用したり、こまめに水分や塩分を補給したりするなど熱中症予防に努めてくださいと呼びかけている。能登半島地震の被災地では、公費解体などの作業に追われている被災者や作業員の人たちも多く、熱中症になるのではないかと気になる。(※写真は、金沢の自宅前から撮影。18日午後0時24分ごろ)

  気象庁によると、太平洋高気圧とチベット高気圧が強く張り出して重なる「ダブル高気圧」となっている。このため7月から9月にかけての気温は全国的に平年より高くなる見込みで、観測史上最も暑かった去年の夏に匹敵する猛暑になる可能性もあるようだ。

  ことしの夏もあの暑さに見舞われるのか。去年8月10日に加賀地方の小松市では観測史上最高の40.0度を記録し、この日は全国1位の最高気温だった。そして、去年8月に県内で出された熱中症警戒アラートは24回。5月1日から8月27日の間に石川県で熱中症による救急搬送は934人に上り、前年同時期より281人多かった(消防庁全国まとめ)。

  元日の地震で、今も被災地の一次避難所に762人、県が用意した金沢市などでの二次避難所に892人、ほか67人で合わせて1721人が避難所生活を送っている(7月18日時点・石川県危機対策課まとめ)。半年を経て、相当のストレスと疲労が蓄積されているのではないだろうか。被害を受けた住宅は8万8千棟余りに上り、このうち8000棟が全壊だった。県では申請があったうち仮設住宅6642戸を着工し、6月末で5000戸を完成させている。

  そして、半壊は1万6000戸、一部損壊は6万戸に上る。エアコンなどの家電修理は進んでいるのだろうか。これは珠洲市の事例だが、上下水道が使えない住宅がまだ757世帯に上り、通水割合は84%だ(7月2日時点)。家々と下水道管の本管をつなぐ業者の人手不足が指摘されている。この夏の暑さをどうしのぐのか。

⇒18日(木)午後・金沢の天気    はれ   

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☆能登の幹線道路の復旧 積雪の時季までに間に合うのか

2024年07月17日 | ⇒ドキュメント回廊

  能登と金沢を結ぶ自動車専用道路「のと里山海道」と直結する「能越自動車道」は、能登半島地震で21ヵ所で路面が崩れるなどの被害が出た。そのうち被害が大きかった徳田大津ICから、のと里山空港ICまでの33㌔は奥能登方面への一方通行となっていたが、きょう(17日)正午から、ほぼすべての区間で対面通行が可能となった。さっそく、のと里山海道と能越自動車道を往復してきた。

  「ほぼすべての区間」と述べたのは、ごく一部区間だが、奥能登にある「能登大橋」付近では橋を支える盛り土部分の復旧工事のため片側交互通行となっている。対面通行が可能になるには「9月末」までかかるようだ(国土交通省ニュースリリース)。

  以下、実際に自家用車で往復して思った考えた率直な感想だ。対面通行はほぼ可能になったものの、道路のアップダウン勾配や、左右の急をカーブが続く道のカタチが悪い。ベテランのドライバーでも夜間にこの道路を走行するとなるとためらうのではないか。そして、制限速度は時速40㌔に引き下げられたままだ。これだったら時間は少々かかるが、金沢方面への道路は現在ルートとなっている富山湾側沿いの国道249号を利用した方が安心ではないだろうか。

  走行して思ったことは、この道路を使用するのは12月末が限度だろうと。というのも、能登の冬の訪れは例年だと、12月後半だ。積雪も多い。去年2023年12月21日から22日かけて能登では60㌢もの積雪があった。同じ積雪があった場合、アップダウン勾配や左右急カーブの道路では、除雪車の走行すら難しいのではないだろうか。(※写真は、対面通行が可能になった「のと里山海道」。道路の崩落現場=右=では転落した車が生々しい姿で残っていた)

  もちろん道路の修復は終わったわけではなく、これからさらに改良が重ねられていくのだろう。積雪の時季まであと5ヵ月余り、これからが時間との戦いではないだろうか。

⇒17日(水)夜・金沢の天気   くもり

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★能登の道路を災害に強く再生するチャンス

2024年07月16日 | ⇒ドキュメント回廊

  能登半島地震の影響で、金沢と能登をつなぐ主要地方道「のと里山海道」は現在、徳田大津ICから穴水IC区間(27㌔)が金沢から能登への片側一方通行となっている。実際に走行すると、半島の奥に行けば行くほど道路側面のがけ崩れがひどく、いわゆる「盛り土」の崩落個所が多くある。大きな崩れは21ヵ所で見つかっている。

  能登半島は平地より山並みが多い。このため能登の道路は、山を削った土で谷を埋めて造成する、盛り土の道路でもある。ここに地震の揺れや大雨で地崩れが起きる。かつて大きな事故もあった。1985年7月11日午後2時21分、穴水町の山中で、金沢発の急行「能登路5号」(4両編成)が脱線し、前方3両が7.5㍍下の水田に転落。乗客の7人が死亡、29人が重軽傷を負った。事故の12日前から大雨が続いていた影響で、線路の盛り土が崩れ、線路が宙づり状態になっていたところに能登路5号が走ってきたのだった。能登線は2005年に廃止となり、現場から線路は消えたが、慰霊碑が立っている。

  能登の人たちが大規模な盛り土の崩落現場を目にするのは3回目となる。前述の、ことし元日の能登半島地震での「のと里山海道」、1985年7月11日の能登線事故、そして、2007年3月25日の能登半島地震で起きた各地の道路崩落だ。

  NHK・Eテレの科学番組『サイエンスZERO』(7月7日・再放送は同月13日)で「能登半島地震から半年 暮らしの大動脈・道路を守れ」をテーマに能登半島地震で被災した橋梁やトンネル、道路盛り土に関する土木研究所の取り組みが紹介されていた。

  番組では、能登で造成されている新たな道路「輪島道路」では2007年の盛り土の崩落の教訓などを活かして、崩落の原因となる道路地下の水を抜く「排水工」=写真・上=や、崩れを防ぐため金網に石を詰め込んだ「ふとんかご」を道路の下部に設置して耐久性を高めるなど強靭な道路が造られている。このため、新たな道路では元日の地震で盛り土などでの崩れはなかった。また、のと里山海道の橋梁では橋脚の部分を鉄板で耐震補強が施されていたため大きな損壊などはなかった=写真・下=。

  冒頭で述べた盛り土の崩落現場がまだ21ヵ所ある。地震や大雨などで泣かされたきた能登の基幹道路が最新の土木工学や震災工学で再生するチャンスかもしれない。

⇒16日(火)午後・金沢の天気     くもり時々はれ

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☆情報化社会にあって 能登半島地震の復旧・復興どう発信するのか

2024年07月15日 | ⇒ドキュメント回廊

  それにしても衝撃的なニュースだ。日本時間できのう14日、アメリカ・ペンシルベニア州で演説中に銃撃されて負傷したトランプ前大統領が右耳あたりから血を流しながらも、こぶしを振り上げて無事だと聴衆にアピールする映像が繰り返し放送されている。ニュースを知ったのはきのう朝7時過ぎ。一瞬いろいろと思いが交錯した。「トランプ氏に同情票が集まり、大統領選に優位か」「トランブ、ケネディ、安倍晋三・・・、民主政治の国になぜ銃撃事件が起きるのか」、そして「この事件が能登半島地震の風化を加速させるのではないか」などと。

  元日の能登半島地震では299人もの貴い命が失われた(7月9日時点、関連死を含む)。メディアは大きく取り上げ、海外にもこのニュースは流れた。しかし、記事の扱いは時間の経過とともに徐々に小さく少なくなっている。世の中はニュースにあふれていて、古い順番でニュースは忘れ去られていくのか。 

  これは何も情報化社会に生きる現代人の特性ではない。265年前、イギリスの経済学者アダム・スミスは著書『道徳感情論』で、災害に対する人々の思いは一時的な道徳的感情であり、人々の心の風化は確実にやってくる、と述べている。日本人に限らず、災害に対する人々の心の風化や記憶の風化は人としての自然な心の営みと説いているのだ。しかし、変らないのは被災地の人々の心情だ。「忘れてほしくない」という言葉に尽きるだろう。被災地の復旧や復興は一般に思われているほど簡単に進まない。

  この被災地の人々と一般の人々の意識のギャップを埋めるのが、新聞やテレビ、ネットなどメディアの役割ではないだろうか。災害発生から定期的に被災地の現状と課題、そして被災した人々の心情を伝えることだ。ただ、メディアにも難題がある。「既視感」という視聴者や読者が有するハードルだ。「以前どこかで読んだ記事」「以前に視聴した番組と同じ」などと、視聴者や読者から指摘されることをメディアは嫌がる。なので常に斬新で新たな視点からの切り口で問題に挑もうと、ディレクターや記者は懸命になる。

  話はずいぶんと逸れた。今月26日に開幕する「パリ2024オリンピック」、11月のアメリカ大統領選などこれから話題は尽きない。情報化社会にあって、能登半島地震の復旧・復興を国内外に前向きにどう発信、アピールしていくのか。重要なテーマではないだろうか。

⇒15日(月・海の日)夜・金沢の天気   くもり

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★幸せを運ぶコウノトリ、「来年も能登に来いよ」

2024年07月14日 | ⇒ドキュメント回廊

  先日(7月6日)国の特別天然記念物のコウノトリの日本の最北端の営巣地といわれる能登半島の志賀町富来に行ってきた。元日の地震では能登にいなかったものの、このコウノトリのペアは台湾など南方との「二地域居住」で、3年連続で富来で営巣している。このコウノトリの様子を見に行ったのはことしで3回目だった。

  ことし最初に訪れた1月31日のときは、営巣地である電柱の上にはコウノトリの姿は見えなかった。電柱は傾いておらず、巣も崩れてはいないように見えた。ただ、巣がかなり小さくなっていて、見た目で2分に1ほどになっていた。巣の下を見ると、営巣で使われていたであろう木の枝がかなり落ちていた。住宅に例えれば、「半壊」状態だったのはないだろうか。

  地元紙によると、ことし1月下旬から町内の田んぼにいるのを複数の住民が目撃していた。個体識別の足環が確認されており、町内に巣を持つ親鳥だった(2月3日付・北陸中日新聞)。コウノトリは1月下旬には飛んできていて、このころ巣づくりを開始していたのだろう。

  現地を訪れた2回目は6月6日だった。巣は1月31日に見たときより大きくなっていた。ということは、枝を加えて巣を補修したのだろう。しかし、3日前の6月3日に能登でマグニチュ-ド6.0、震度5強の揺れを観測した。何しろ電柱の上に営巣しているので揺れも大きかったのではないのかと想像する。でもこの揺れを何とか耐え忍んだのだろう、親鳥のほかにひな鳥が1羽がいて、合わせて3羽が見えた=写真・上、6月6日午後4時59分撮影=。ひな鳥はかなり成長していた。去年5月23日に訪れたときは、3羽のヒナがいた。ということはことしすでに巣立ったひな鳥がいたのかもしれない。

  3回目が7月6日だった。このときは巣に親鳥もひな鳥もいなかった=写真・下=。ただ、一瞬見えたのが遠方へ飛んでいく二羽のコウノトリの姿だった。また台湾に帰っていく姿だったのか。思わず、「来年も来てくれよ」と心で叫んだ。

  1月に来たときはこれまでエサ場としていた谷川などは土砂崩れなどで一変していたのではないか。そんな中、元日の地震で壊れた巣を直し、6月3日の震度5強など余震が続く中、ひな鳥を育て上げた。幸せを運ぶといわれるコウノトリ。来年も能登に希望を運んできてほしいものだ。

⇒14日(日)夜・金沢の天気   あめ

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☆輪島の海女漁が再開 130人が朝の海に潜りモズクを2㌧収穫

2024年07月12日 | ⇒ドキュメント回廊

   能登の海岸では海藻がよく採れる。冬場の岩ノリは有名だが、ほかにもこの地で「カジメ」と称されるツルアラメやモズク、ワカメ、ウスバアオノリ(あおさ)、ハバノリ、アカモク(ぎばさ)、ウミゾウメン、マクサ(てんぐさ)、ホンダワラなど。そして海藻ごとにそれぞれ料理があり、海藻は能登の食文化でもある。こうした海藻を近場の海で採ることもできるが、海に潜って生業(なりわい)として採取しているのが輪島の海女たちだ。

  地元メディア各社の報道によると、きょう130人の海女たちが午前6時半ごろから漁船15隻で輪島港を出て、8㌔沖合で素潜りでモズク漁に励んだようだ。例年だと7月1日が「解禁」のなのだが、しけ続きできょうになった。例年ならば海女一人で200㌔採ることもあるが、きょうは1人15㌔に制限されていて、今回の全体の水揚げは2㌧だった。荷捌き場がある輪島漁港は地震で2㍍も隆起していて、船からモズクを運ぶのにも大変だったようだ。(※写真は、文化庁「国指定文化財等データベース」サイトより)

  報道によると、海女たちの3分の1は輪島市外で避難生活を送っていて、この日のために各地から輪島に入った。7月はアワビやサザエの解禁でもあるのだが、海底の地形の変化などで素潜り漁の見通しは立っていないという。

  冒頭で述べたように、海女たちは魚介類や海藻を専門とするプロの漁業者だ。アワビやサザエのほか25種類も採取している。アワビは貝殻つきで浜値で1㌔1万円ほどする。よく働き、よく稼ぐ。新聞記者時代に取材に訪れたとき、海女さんたちから「亭主の一人や二人養えんようでは一人前の海女ではない」という言葉を何度か聞いた。自活する気概のある女性たちの自信にあふれた言葉だった。「輪島の海女漁の技術」は国の重要無形民俗文化財に指定されている(2018年)。

  地震で海底の地形が一変しているとすれば、今後は魚介類や海藻が繁殖する場所探しが肝心だ。きょうは試験操業の意味合いがある。海底隆起が海の生態にどのような影響を与えているのか。海の経験知が高い輪島の海女漁はそのような意味からも注目されるのではないだろうか。

⇒12日(金)夜・金沢の天気   くもり

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