自在コラム

⇒ 日常で観察したことや環境問題、金沢大学での見聞、マスメディアとインターネットについての考察を紹介する宇野文夫のコラム

☆多選と民意

2010年11月29日 | ⇒ニュース走査
 地域の政治的な風土にはタイプがある。首長が一期か二期ごとに交代する「共和国タイプ」と、一度決まると長期政権化する「君主国タイプ」である。君主国タイプは、既に定められた政策を維持して不測の事態に対処するだけで統治は事足りて、この場合、首長は平均的な能力さえ持てば有権者にも好感を持たれる。ただ、行政機構の中では、首長が多選化する過程で絶対権力化し、行政職員は有権者や市民の民意より、首長の意図を読むようになり、「(首長の)ご意向はこうだろう」などと忖度(そんたく)し合っている。金沢という土地柄は加賀藩の膝元にあったせいか、君主国タイプである。有権者もまた、首長の政策的な個性より、「間違いがない人」という安定的な首長を選んできた。その金沢の政治的な風土が破られた。

 任期満了にともなう金沢市長選挙は28日投票が行われ、無所属の新人で元金沢市議会議員の山野之義氏(48)が初当選を果たした。5万8204票と5万6840票。現職で6選をめざす山出保氏(79)と1364票の僅差だった。投票率は前回に比べ8.5ポイント高い35.9%だった。

 今回の市長選には面白い構図があった。山野氏は自民党の市議だったが今回は無所属で出馬した。山出氏は社会民主党、国民新党、民主党石川県連の推薦を受けた。地元財界人も山出支援に動いた。自民党県連は自主投票だった。選挙前から山出氏有利が伝えられていた。そんな中で、山野氏を応援をしたのは、自民党を含む若手の市議会議員(とくに一期目)のグループだった。

 山出氏は市の助役から選挙を経て市長の座に就いた。そのころから、市長は職員人事を掌握し、労組との関係も手堅かった。ところが、冒頭に述べた君主国タイプの「異臭」を放つようになってきた。それは、同じ庁舎にある議会で活動する市議だったら、とくに、一期目の新人だったらその異臭を敏感に感じ取ったはずだ。若手グループの一人は「いつまでも殿様政治やっていたら、金沢市は潰れてしまう。全国の笑いものや」と私に語っていた。若手の市議会議員のグループはそれほど現市政の有り様に危機感を持っていた。つまり、山出VS山野の対決構図は、市長VS議会若手グループでもあったのだ。
 
 山野氏は金沢市出身。IT企業「ソフトバンク」の社員を経て、平成7年から金沢市議会議員を4期連続で務めた。慶応大学時代には弁論部に所属し、街頭に立って市民に直接訴えると言うノウハウを身に着けた。出馬表明が遅れたことによる知名度不足をカバーするため、選挙戦では市内各地で街頭演説をする戦法に徹して、多い日には40回も街頭に立ち有権者に政策を訴えた。金沢における「高齢・多選」の弊害と、「世代交代」を訴えて街頭に立つ手法は、いわゆる無党派層からの支持を受けた。それは、午後から投票率から伸びるという現象でも見て取れた。

 山野氏は自らのマフェストでこう述べている。「月1回の定例記者会見を実施します」「市長多選自粛条例を制定します」「市民ブレイン制度を導入します」「市内公衆無線LAN化を実現します」など。そして、市の動きを分かりやすく市民に伝えるため、広報システムを見直し、「広報プロデューサー制度」を導入するという。情報発信力を高める必要がある。同時に、市内公衆無線LAN化は、ネット環境を整えるためにぜひと願う。ハコモノ行政ではなく、時代のニーズに合うインフラこそ急ぐべきだ。時代を先取りした、市民に分かりやすい政治を期待したい。

※写真は、山野氏のマニフェストより

⇒29日(月)朝・金沢の天気 はれ
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★里山イニシアティブ

2010年11月28日 | ⇒トピック往来
 この「自在コラム」の2010年10月26日付「COP10の風~下~」で「里山SATOYAMAイニシアティブ」について紹介した。里山イニシアティブは生態系を守りながら漁業や農業の営みを続ける「持続可能な自然資源利用」という概念で、今後、生態系保全を考える上で世界共通の基本認識となりつつある。

 その背景には、国際条約への流れがある。2008年5月に神戸で開催されたG8環境大臣会合で里山イニシアティブの国際的な推進が合意され、ドイツ・ボンでの生物多様性条約COP9では日本がその促進を国際社会に表明し、2009年4月にイタリア・シチリアで開催されたG8環境大臣会合でもシラクサ宣言に盛り込まれた。そしてことし10月、名古屋で開催されたCOP10では、世界各地域の自然共生の事例をもとに、二次的な自然資源管理の考え方や具体的な方法を整理し、自然資源管理の国際モデルとして里山イニシアティブを促進する決議案が採択された。

 決議案の採択と並行して、COP10会場で国際組織「里山イニシアティブ国際パートナーシップ(IPSI)」が発足した。国際パートナーシップは、里山イニシアティブを提唱する日本政府が呼び掛けで、アジア・アフリカなど9ヵ国の政府や企業、非政府組織(NGO)や研究機関など51団体が参加した。その中には金沢大学も名を連ねる。その国際パートナーシップの第一弾とも言える「JICA研修プログラム」がさっそく実施され、JICA(国際協力機構)の招きでアジアやアフリカ、中南米13ヵ国の14人が今月17日から3週間の日程で石川県を訪れている。もちろん、金沢大学も協力している。

 JICAの研修員はそれぞれの国の政府の自然保全や環境担当の専門官やマネージャー、生物資源研究所の研究員だ。石川プログラムのテーマは「持続可能な自然資源管理による生物多様性保全と地域振興~『SATOYAMA イニシアティブ』の推進~」。能登半島や白山ろくで、日本の里山や里海の伝統的知識や生物多様性に配慮した農林漁業の取り組みを学んでいる。25日は能登の炭焼きの窯場や塩田を訪ね、26日は実際に漁船に乗って、富山湾の定置網漁の現場に出た。雨降る早朝3時。網を引くとことろから、魚の選別、出荷までを見学し、定置網のどこが環境に優しく持続可能なのか、魚の品質管理とその経済性について、400年続く日本の漁業の知恵を学んだ。

 そして、きのう27日は輪島市にある「石川県健康の森」交流センターでJICA主催のシンポジウムが開かれた。アカマツ林に囲まれたホール。シンポジウムのテーマは「世界は里山里海に何を学ぶのか」。国連大学高等研究所上席局員研究員の名執芳博氏、金沢大学教授・学長補佐の中村浩二氏が講演した。パネルディスカッションは壮観だった。先述の両氏のほか環境省自然環境局、石川県環境部、国際協力機構地球環境部の職員ほか、研修を受けれた製炭工場の経営者、製塩会社のスタッフ、これに研修生14人が加わり、総勢22人のパネリストが「SATOYAMA イニシアティブの実践に向けて~地域のそれぞれの立場から~」をテーマに報告や意見交換をした=写真=。

 自身これまでシンポジウムを含め5つのプログラムに参加し、うち2つのプログラムでは講師やパネル討論のコーディネターとしてかかわった。彼らの質問が経済合理性や科学的論拠など多岐にわたる。「SATOYAMAイニシアティブの到達目標はどこにあるのか、そのイメージを示してほしい」と質問をされたとき、私自身がドキリとした。確かに、その解はまだ誰からも提示されていないのだ。「伝統的に磨かれた里山の知恵や技術を、21世紀型の持続可能な英知としてさらに磨きをかけていきましょう」と答えるのがせいぜいだった。以下は質疑応答のやり取りの一例だ。

イスタント氏 (インドネシア林業省国立公園長):SATOYAMAイニシアティブ(SI)というのはEcosystemの一つだと思う。里山における生物多様性を守るためのガイドラインのようなものはあるのか。
宇野:ガイドラインはないと思う。地域の人々の自然と共生しようという気があるかないかによって、生物多様性を守ることができる。
ジャイシャンカ氏(インド国立生物多様性局技術支援員):日本のSIは現在どの段階か。
宇野:能登は日本の産業化の影に隠れていた。石油の問題や地球温暖化などにより、今は持続可能な利用や人と自然が共生している能登のスタイルが見直されている。日本ではSIはまだイントロダクションの段階だと思う。
ジャイシャンカ氏:イニシアティブを始めるときに共通の課題はあるか。
宇野:現地の人の生活や考えを尊重する必要がある、SIという概念を押し付けてはいけない。
ジャイシャンカ氏:では、SIを市民にどう教えますか、具体的な行動は・・・。

 上記のように里山イニシアティブへの具体論な質問がどんどんと投げかけられる。世界には里山と同じような地域(ランドスケープ)があり、フランスでは「テロワール」、スペインでは「デヘサ」、フィリピンでは「ムヨン」、韓国では「マウル」と呼ばれている。こうした地域には共通して、市場合理性の波や、若者が都市に流出するなどの現象が表れている。

 シンポジウムでふと考えた。里山イニシアティブをこんな言葉で表現してみるとどうだろう。「里山イニシアティブは世界の地域興しだ」と。地域興しなら日本は長年やっている。地域興しの3つの条件がある。「若者」「よそ者」「バカ者」の3つの人的ファクターだ。若者は地域の担い手、よそ者は客観的な価値判断、バカ者は専門性が特徴だ。ならば、よそ者を外国人、バカ者を大学・研究機関の研究者に置き換えて、世界の人々と協力して里山イニシアティブ=世界の地域興しをやっていきましょう、と。

⇒28日(日)金沢の天気  くもり
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☆能登から金沢への視線

2010年11月27日 | ⇒トピック往来
 金沢に住んで、能登を仕事で行き来しながら最近思うようになった。「金沢のこの停滞感は何だろう」と。能登、とくに奥能登の自治体(輪島市、珠洲市、穴水町、能登町)の首長たちの迫力が違う。「珠洲市が乗るか反るか、この10年が勝負です」と泉谷満寿裕市長は4年前に名刺交換をしたときに語った。それから、金沢大学のプログラム誘致に動いた。奥能登には高等教育機関がなく、「大学を」との地域のニーズとマッチしたことが背景にある。さらに、大学が研究交流施設として使いやすいようにと、改修工事のため4600万円の予算付けに市長自ら動いた。決して楽ではない財政の中でのやり繰りに、自治体の期待と熱意が伝わってきた。

 昭和29年(1954年)の合併時に3万8千人だった人口が半世紀余りで1万7千人と2万1千人も減った。そして高齢化も急テンポです進む。ことし7月に全国に先駆けて地上デジタル放送への完全移行を成功させたのも、高齢世帯の対策をどうするかということが市長自らを走らせた。6月に再選を果たした泉谷氏は「あと6年」と自ら到達年を設定して、手探りながら環境問題や財政建て直しなど次世代に引き継ぐ政策を打つ。市長だけではない。市職員からも切実感が伝わってくる。大学のプログラムに参加する都会からの移住者への対応も実に丁寧だ。

 そんな珠洲市のいまの姿を見ていると、金沢市のことが気になる。行政や商店街からは「金沢が停滞しているのは、金沢大学が郊外に移転したからだ」「2014年に新幹線が開通すれば景気浮揚のチャンスだ」との声が聞かれる。この言葉を聞いただけで、「金沢はいつから他人依存症になったのだろう」と愕然してしまう。

 歴史や文化的な背景を探ると、金沢は2度没落している。明治維新後と戦後だ。武家社会に成り立った政治経済の構造は根底から崩れた。映画化され話題になっている著書『武士の家計簿』を読めば、その悲惨さがにじみ出ている。武士の惨憺たる姿である。そして戦後、陸軍第九師団司令部があり「軍都」と名乗った時代が去り、一時低迷した。こうして振り返ってみると、金沢の人々がオリジナルに創り上げた地域再生のための独自の工夫というのは一体どこにあるのだろうかと考えてしまう。殿様任せ、国政任せ、奇妙な風土が定着した観があると感じるのは私だけだろうか。

 新幹線が来るのならば、どう魅力的な街づくりをしたらよいのか、市民サイドから湧き上がるアイデアが必要だ。官製ではなく、民が動く仕組みを。あす28日は金沢市長選だ。そんなことを考えて、一票を投じたい。

※写真は加賀藩大名の隠居所・成巽閣(せいそんかく)の石垣

⇒27日(土)・七尾市の天気  くもり
  
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★対岸の戦火

2010年11月24日 | ⇒メディア時評
 昨夜、中国に出張している知人からメールがあった。「北朝鮮の件の影響で、上海空港で飛行機の中に2時間以上缶詰になってました。おかげで仕事ははかどりましたが。地球環境うんぬん以前の問題が、まだ地球上には山積みのようですね」と。課題の優先順位から言えば、地球環境問題というのは、平和が達成されないと難しいとの感想だ。

 それにしても、「戦争」を伝えるメディアは内容もすさまじい。以下は、各紙の引用だ。

 「これは訓練ではない。実戦だ」と呼び掛ける放送が響き、何の前触れもなく砲弾が降ってきた。北朝鮮の朝鮮人民軍による砲撃を受けた韓国・延坪島。集落では次々と火柱が上がり、韓国メディアは、なすすべもなく逃げ惑う住民の様子を伝えた。(24日付・フヤーでの「共同通信」記事)

 韓国大統領府によると、李明博(イミョンバク)大統領は、北朝鮮の砲撃直後、韓国軍合同参謀本部とのテレビ会議で、「何倍でもやり返せ」と指示し、強硬姿勢を示した。3月の北朝鮮による韓国海軍哨戒艦「天安(チョンアン)」沈没事件では46人が死亡しており、再び被害を出す事態は看過できないからだ。(24日付・読売新聞インターネット版)

 24日の東京株式市場で、日経平均株価は朝鮮半島情勢の緊迫化を嫌気して3営業日ぶりに1万円を割って取引が始まった。(24日付・朝日新聞インターネット版)

 「戦闘状態」に入り、すべてのニュースが対岸(朝鮮半島)の火に目を向けている。メディアは、閣僚の放言など問題にしている暇はないとばかりに、報道姿勢が「戦時モード」になる。おそらくこれで、菅内閣はホッと胸をなでおろしているに違いない。そして、有事では現政権というのは結束して「磐石」になるものだ。

 結論を急ぐが、私は「メディアの限界は戦争にある」と思う。メディアの絶対価値というのがあって、何が何でも一面トップの記事はすでに決まっている。「大地震」「政権交代」「天皇崩御」、そ市て「戦争」だ。ニュースというのは、優先順位がつけられていること、内容が裏づけされていること、速報することで価値が高まる。しかし、ひとつのニュースが日常化されたかのように報じられると、取材する側も視聴・読者側もそのほかのニュース感覚がマヒしてくる。

 近年では湾岸戦争、同時多発テロ、イラク戦争などにわれわれは毎日、まるでエンターテイメントのように関心を示したものだ。こうした「戦争報道」の裏で、本来ニュースとして価値のあるも出来事がどれほど葬り去れたことか。

⇒24日(水)朝・金沢の天気 くもり
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☆小さな夢の可能性

2010年11月22日 | ⇒トピック往来
 金沢大学が能登半島の先端で開講している社会人プログラム「能登里山マイスター」養成プログラムには県内外からの受講生が現在45人が毎週土曜日を中心に学んでいる。受講の可否は、一人一人の面接で最終決めている。45人の中にはIターン、Jターン、Uターンが13人もいる。都会での生活に終止符を打って、能登での新たな人生設計の夢を抱いてやってきた人たちだ。面接で語られるその期待度は高い。ただ、つぶさに話を聞くと、実現不可能な夢ではなく、本人の努力と周囲のちょっとした支援があれば実現しそうな夢もある。

 36歳のKさんは、神奈川県でIT企業に勤めていた。「歩くツーリズム」を自分で企画することが夢で能登のやってきた。昨年、パートナーといっしょにスペインのカミーノ・デ・サンティアゴという道を850㌔歩く旅をし、「豊かな自然、人、文化を歩いて旅をし、味わう道をつくりたい」と面接で熱く語った。4月に夫妻で能登に移住した。そのKさんは、ノルディックウォーキング「SUZUあるき」という企画を仲間たちとつくっている。珠洲市の自然資源を自分の足で感じつつ、地域の人々と参加者同士で交流し、汗を流したあとは季節の味覚を味わうという毎月開催のイベントだ。

 私にも案内メールが来た。今回のコース(11月28日)は、珠洲市野々江町。秋の紅葉の中、田園と池を爽やかに歩きます。八丁田で白鳥観察、亀ケ谷池での野鳥観察と、渡り鳥ウォッチングの予定。ノルディック・ウォーキングの後は、古民家レストランで昼食という内容だ。私は、2008年5月にドイツのシュバルツバルトの森を訪ねた折、泊まったホテルの企画で体験した。スキーのストックを手に山を登り、中腹の山小屋で食事をしながら語らい、そして戻るという往復7㌔ほどのコースだった。

 Kさんの夢はほんの入り口だろう。受講生たちは、自己実現を図ろうとしている。一見、ささやかな夢、小さな事業であったとしても、そこには計り知れない社会的価値が存在するのではないか。近い将来、こうした60人の里山マイスターたちが能登の風景を明るく変えていくのではないかと楽しみにしている。

※写真はチラシの一部、【問い合わせ】090-9762-3298 加藤 【メールアドレス】
suzu.nordic.walking@gmail.com

⇒22日(月)夜・珠洲市の天気   くもり

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★こだわり農家の未来

2010年11月21日 | ⇒トピック往来
 能登半島の北の方は「奥能登」と呼ばれる。自治体で言えば、輪島市、珠洲市、穴水町、能登町となる。この2市2町の人口は現在7万9100人だが、10年後の2020年には21%減の6万2500人、高齢化率(65歳以上の年齢割合)は46%を占めると予測されている(「石川県長寿社会プラン2009」より)。過疎化が進む理由には、若者の働き場所が少ないなどの条件不利地という面がある。ただ、日本地図を広げて、日本海に突き出た能登半島は実にわかりやすい。「能登産」という食材はスーパーマーケットなどでは通りがよい。

 奥能登で生産された米の販売会が、20日と21日に金沢市にあるスーパー「どんたく金沢西南部店」であった。店頭に並んだ奥能登の米は、海洋深層水を利用したもの、鶏ふんなどの有機肥料を用いたり、棚田ではざ干し、女性たちが耕す棚田米などそれぞれ特徴を打ち出した「こだわり米」なのだ。NPOや農業法人、生産組合など10つの団体が出品した=写真=。

 どのくらいのこだわりかいくつか紹介する。農業法人すえひろ(珠洲市)が耕す田んぼは見ればわかる。一面に稲のじゅうたんの水田で飛びぬけて草(ヒエなど)が生えている田んぼがそれ。「農家では普通3回、除草剤をまくが、うちは1回しかまかないから」(北風八紘さん)。さらに売りは「完熟堆肥」だ。。牛ふんにもみ殻や糠(ぬか)、小豆の殻を入れて混ぜ、それを一冬寝かせて堆肥をつくる。完熟した堆肥は臭みがほとんどない。この堆肥を、苗を植える前の春先に田んぼに混ぜて土づくりを行う。いまでは350戸から耕作委託を受け、水田を65㌶に広げている。

 川原農産(輪島市)のこだわりは、米も人間と同様に「伸び伸びと元気良く育てる」をモットーとしてる。稲株の間隔を広げ、葉っぱを伸ばさせる植え方をしている。一坪(3.3平方㍍)で45株が目安だ。普通は60から70株と言われるので、随分ゆとりある環境だ。自家製の堆肥は米糠ともみ殻を使い、田んぼに還元するやりかた。売れ筋は「能登ひかり」だ。一昔前まで能登の気候に合う品種ということで生産されていたが、モチモチ感のあるコシヒカリに押されて生産する農家は少なくなった。ところが、京都や大阪といった関西の寿司屋から見直されている。「ベタベタとした粘りがない分、握りやすく、食べたときにも口中でパラッとバラけるので、寿司によいのだという」(講談社新書『日本一おいしい米の秘密』)。さらに、このバラける食感がスープ料理にも合うということで、川原農産の能登ひかりは金沢市のレストラン「ポトフぅ」(同市里見町)で使用されている。

 さらなるこだわりが、川原伸章さんにはある。「能登の米がおいしいのは、新潟・魚沼地方と同じ緯度にあるからって、よく農家自身が説明するでしょう。でも、こんな表現をしたらいつまでたっても能登の米は魚沼を超えられない。一番になれない」と心意気にもこだわる。川原農産も耕作委託を受け、水田を20㌶に広げている。平地に比べ、条件不利地であるがゆえに奥能登の生産農家はこだわらなければ生きていけない。その精神がものづくりのマインドを高める。

 TPP(環太平洋経済協定)の論議が白熱している。加盟国間で取引される全品目の関税が2015年を目標に撤廃される。もし日本がTPPに加盟すれば、農家が生き抜く道は2つだろう。経営の大規模化か、黒毛和牛のような高品質の「こだわり農産品」だろう。面白いことに、先に紹介した「すえひろ」「川原農産」のように、こだわった米づくりに挑戦し続ける農家には耕作委託が舞い込み、期せずして経営規模も広がる傾向にある。これは奥能登だけでなく全国の傾向だろう。TPP時代のパイオニアとして光り輝き、生き抜くのはこうした「こだわり農家」ではないだろうか。そんなことをスーパーの店頭で思った。

⇒21日(日)夜・金沢の天気  はれ
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☆生きるセンス

2010年11月20日 | ⇒トピック往来
 今夜、「生きるセンス」をテーマにした講演会が能登半島の珠洲市の農家民宿であった。金沢大学医薬保健学域・教授の天野良平氏が主宰する催しで、声がかかり立ち寄った。講演はリレートーク方式で、3人が15分ほどずつスピーチをする。聞き書き作家の小田豊二氏、珠洲市長の泉谷満寿裕氏、保健師の榊原千秋氏と話がバトンタッチされていく。

 小田さんは、登山家の長谷川恒夫が「生きぬことが冒険」と語ったその生涯を紹介しながら話した。彼の登山人生は15歳のときにはじめて丹沢に登り、17歳で岩登りを知ることから始まる。26歳のとき、エベレスト登山隊に参加した。48人という大所帯での登山で、サミッター(登頂者)の生還を助けたが、自身の登頂はならならずに「組織登山」から、単独登山を志す。31歳で、アルプス三大北壁冬期単独登頂を果たし有名となる。その後も、アコンカグア南壁フランスルート冬期単独初登頂。その後、ダウラギリ、エベレストなどを目指したが敗退の連続で、ヒマラヤではサミッターにはなれなかった。1991年に未踏峰ウルタルIIに挑戦し、雪崩に巻き込まれ亡くなる。43歳だった。「挑戦し続ける人生こそ」と小田さんは言う。最後に、「好きこそものの上手なれ」という有名な言葉の説明をした。これには前文があり、「器用さ、稽古と好きのうち、好きこそものの上手なれ」だ。つまり、最初は下手でも、「好き」という人が最終的に名人になる。「好きなことに挑戦し続けよう、これが生きるセンス」と結んだ。

 泉谷さんが、36歳にして初めての市長選に臨んだ2000年6月。現職に挑戦し、敗退した。「そのとき、人格のすべてが否定されたように思った」と。泉谷さんは話の中では触れなかったが、当時、最大の争点だった原発建設計画の「一時凍結」を訴え、反原発グループと政策協定を結んで戦った。が、推進派の現職9300票、泉谷6690票で敗れた。その後、2003年12月に電力側が「原発の凍結」を市に申し入れ、原発計画に終止符が打たれた。初めての選挙で敗退者となり、落ち込んでいた泉谷さんに励ましの声をかけてくれる人々もいて、人の気持ちのありがたさを知った。泉谷さんは、明治の政治家・陸奥宗光の言葉を座右の銘にしているという。「政治はアートなり。サイエンスにあらず」。費用対効果など統計や数字を持ち出して語る政治ではなく、人々の心の動きが読める政治をしたいと語った。

 榊原さんは、ふっくらとした面持ちで、演歌の天童よしみ似が第一印象だった。33歳のときに凍結路面で交通事故に遭い、九死に一生を得る。「右手の中指からチカラがスッと抜けました。死はここから始まると思いました」。難病の人たちの願いを地域の人たちとかなえる「命に優しい街づくり」「ホスピタリティな街」を小松市で実践している。ガン患者とスープをつくり、飲む集いなども主催している。話の最後に締めくくった言葉。「喜べば、喜び事が喜んで、喜び連れて、喜びに来る」。自ら死線をさまよった経験を持ち、生き抜きたいと願う人々に手を差し伸べる。人生の本当の喜びとは一体何かを考えさせてくれる言葉だった。

⇒20日(土)夜・金沢の天気  はれ

 
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★「魂の酒」が語ったこと

2010年11月18日 | ⇒キャンパス見聞
 金沢大学の共通教育授業として「いしかわ新情報書府学」という科目を担当している。「映像と語りで学ぶ地域学」をテーマに、石川県が情報書府事業で作成したビデオ(自然、文化、工芸、産業、歴史など)を学生に視聴してもらい、その後、関係者から話を聞くことで理解を深めるという授業だ。履修する学生は290人。ただでさえ、暑さを感じる講義室に、きのう17日は熱気が漂った。著書『魂の酒』で知られる、能登杜氏の農口尚彦氏を迎えた日だった。授業が始まる直前に、農口氏が持参した日本酒2本を学生たちの前に並べた。すると、学生たちがザワザワとし始めた。

 授業の冒頭に説明した。日本酒は欧米でちょっとしたブームだ。ワインやブランデー、ウイスキーなどの醸造方法より格段に人手をかけて醸す日本酒を世界が評価しているのだ、と。その後、農口氏を紹介するビデオを流し、「神技」とも評される酒造りの工程を学生に見せた。

 日本酒の原料は米だ。農口氏は、米のうまみを極限まで引き出す技を持っている。それは、米を洗う時間を秒単位で細かく調整することから始まる。米に含まれる水分の違いが、酒造りを左右するからだ。米の品種や産地、状態を調べ、さらには、洗米を行うその日の気温、水温などを総合的に判断し、洗う時間を決める。勘や経験で判断しない。これまで、綿密につけてきたデータをもとにした作業だ。

 酒蔵に住み込む農口氏は、夜中でも米と向き合い、米を噛み締める。持てる五感を集中させて、手触り、香り、味など米の変化を感じ取る。そのため、40代にして歯を失った。次に行うべき適切な仕事とは何かを判断するためだ。農口氏は言う。「自分の都合を米や麹(こうじ)に押し付けてはならない。己を無にして、米と麹が醸しやすいベストな状態をつくらなければ、決して良い酒は出来ない」


 農口氏は謙虚だ。というもの、自身は下戸(酒が飲めない)なので、酒の出来栄えや批評は、飲める人の声に耳を傾ける。それでも、「一生かかっても恐らく、酒造りは分からない。それをつかもうと夢中になってやっているだけです」と能登方言を交えて語った。「魂の酒」のゆえんはここにある。そして、学生の心を打ったのだろう、学生たちの眼差しは農口氏に集中した。

 授業の最後に、農口氏の酒を何人かの学生にテイスティングしてもらった。「芳醇な香り」「ほんのり感が漂う」「よく分からないけど、のどを通るときにふくよかな甘さを感じる」・・・。最近の学生は意外と言葉が豊富だと思った。授業に酒を持ち込むなんて、と言わないでほしい。これも、「生きた授業」なのである。

⇒18日(木)夜・金沢の天気 はれ
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☆晩秋の黄砂

2010年11月12日 | ⇒トピック往来
 きょう(12日)16時ごろ、能登半島の穴水湾沿いを車で走っていて、太陽が薄くオブラートに包まれて、満月のようになっているのに気がついた。写真は、穴水町の観光名所「ボラ待ち櫓(やぐら)」のポケットパークから撮影したものだ。海は穏やかでカキの養殖棚が浮かぶ。太陽も山々も霞(かすみ)がかかったようにぼんやりと。撮影時間は16時20分。

 西日本や東日本の各地で12日、黄砂が観測されたと夕方のNHKニュースで知った。気象庁によると、東京都心で秋(9~11月)に黄砂が観測されたのは記録が電子化された1967年以降で初めてという。12月も含めると28年ぶり2回目という。そんな記録的なことだとは知らなかったが、穴水湾で見た霞がかった光景も「そういえば黄砂か」と、このニュースを見て改めて気づいたのだった。

 黄砂は12日午前に西日本一帯に飛来し、夕方に東京に達した日本から3千kmも離れた中国北部のゴビ砂漠やタクラマカン砂漠を低気圧が通過し、黄砂を発生させ、偏西風に乗って日本に運ばれた。普通は、植物が地表を覆わない2月から5月にかけて黄砂が発生する。中国北部で乾燥化が一段と進んでいるのか、と推測してしまう。「季節外れ」と言ってしまえばそれまでだが、何か気候変動のようなものも予感させる。

 洗濯物が汚れる、車のウインドーが白くなるなど、黄砂は何かと悪者扱いされる。ただ、金沢大学の大気観測の研究者に聞いた話では、一概に害を及ぼすとも限らない。日本海に魚の量と種類が豊富なのは、黄砂にはミネラル成分が含まれ、それが海に落ちて植物性プランクトンの発生を促し、それを動物性プランクトンが食べ、さらに魚が食べと食物連鎖があるからだとの研究もある。

⇒12日(金)夜・七尾市の天気 はれ

 
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★ロシアという隣人

2010年11月01日 | ⇒トピック往来
 もう25年ほど前の話だ。新聞記者の時代に輪島の海女さんたちを取材した。当時、73歳の海女から「樺太へ行ったとも。しょっぱい川を2つ越えてな」と、戦前、夏場の樺太(サハリン)に出稼ぎに行った話を聞いた。「しょっぱい川」とは、津軽海峡と宗谷海峡のこと。稚内の港から樺太に渡って、ウニ漁をした。樺太に着いて、さらに漁場である本斗(ネベリスク)の岩場を眺めて、驚いたことが2つあったと身振り手振りで思い出を語った姿が今でも忘れられない。突堤のような岩場に岩ノリがびっしりとついていたこと、そして、アザラシが何百頭といたことだった。いかに気丈な海女さんでもアザラシの海に潜るのには、少々腰が引けたのだろう。でも、コンブの林をかき分けると、そこにはウニがぞろぞろいて、まさに豊穣の海だった。

 その豊穣の海は、その後に争いの海となる。1945年(昭和20年)8月11日にソビエト連邦軍が侵攻し、樺太の戦いが勃発し全島が制圧された。8月14日午後11時に日本がポツダム宣言の受諾を連合国に通達した。降伏の意図を明確に表明したあとにソ連軍が北方四島に侵攻し、8月28日から9月5日にかけて、択捉、国後、色丹島、歯舞群島を占領した。日本人の島民を強制的に追い出し、さらには北方四島を一方的にソ連領に編入した。

 ロシアのメドベージェフ大統領はきょう(1日)、北方領土の国後島を訪問するため、極東サハリン州を経由して、現地に到着した。旧ソ連時代を含め、ロシア国家元首による訪問は初めてだ。日本のメディアは、学校や幼稚園、病院、アパートなどを視察すると見られると伝えているが、その狙いは明らかだ。民主党が政権を奪取する以前の去年5月12日に当時の小沢一郎代表は、ロシアのプーチン首相と東京都内で会談し、両国が友好関係を深めながら北方領土問題を解決するアプローチを取るべきだという認識で一致し、日露協力について意見交換している。

 ところが、メドベージェフ大統領はことし9月末に中国を訪問し、胡錦濤国家主席との会談で領有権に関する対日強硬姿勢を互いに確認したとメディアは伝えている。メドベージェフ大統領にすれば、プーチン首相とは外交のスタンスが違うとばかりに日本を刺激してくる。おそらく、今月中旬、アジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会議出席のため訪日する予定だが、その前後にも北方領土を訪問するとの観測が出ているとメディアは報じている。

 「火事場ドロボウ」のように北方四島を奪取した信頼感がない国が、今度は何をしでかすか分からないと、その歴史を知らない若者たちも感じ始めている。かつて、日本人は中国人とロシア人を口汚くののしった。いまでもそう言っている人たちがいるが、それはそれなりに理由があるのだ。歴史は繰り返す、時代は経れども国民性は変わらない。変わったのは日本人だけかもしれない。隣人ロシアとの付き合い方が難しくなってきている。

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