自在コラム

⇒ 日常での観察や大学キャンパスでの見聞、環境や時事問題、メディアとネットの考察などを紹介する宇野文夫のコラム

★続々々々々・ニュージーランド記

2006年08月30日 | ⇒トレンド探査

 1週間のニュージーランド旅行の締めくくりは最大の都市オークランドだ。人口110万人。ニュージーランドの人口は410万人、日本で言えば静岡県(380万人)をひと回り大きくした規模だ。オークランドは人口の4分の1が集まる一極集中の都市と言える。何しろ2番手はクライストチャーチの35万人なのでダントツだ。

       オークランドの旅愁

  ニュージーランドの経済の中心地オークランドの街を歩くと、不思議なことにマネーの活況ほどに街は騒がしくないのである。投資家の間では有名なニュージーランドドル建て債券は5%~6%を維持している。それだけ高金利で世界中からマネーを集めているので、さぞ都市開発も盛んだろうと思い、ホテルの部屋(18階)から街を見回してみた。クレーンが立っているのを確認できたのは2カ所だけ。ホテルの周囲は新しい高層ビルが建ち並んでいるので開発ブームは過ぎ去ったという感じだ。

  それではどこに投資の金が回っているのかと思う。確かに、ハントリーでは新しい石炭火力発電所が建設されるなどインフラ投資が行われている。また、クイーンズタウンのリゾート開発にもマネーが回っているのだろう。しかし、現実をよく見ると「祭りは終わった」という印象だ。そのせいか、ニュージーランドドルは下落している。去年11月末には1NZ㌦=87円だったレートは、12月末に80円程度まで下落し、ことしに入って72円程度まで下がり、今月76円で持ち直してはいる。もともと市場規模が小さく急降下しやすいのだ。

  旅行する前、郵政関係者と話をしていたら、ニュージーランドの郵政改革が話題になった。その時の印象では、「郵政改革では世界のお手本になった国」というイメージだったので、試しに郊外の郵便局に入ってみた。なるほど、郵便局コンビニという感じで、雑誌、飲料、日常生活品など並べている。その雑誌の中に「PIG HUNTER」というのがあり、ページをめくるとイノシシ狩りのノウハウものだった。

 これが日本の郵便局の近未来の姿かと思った。が、在ニュージーランド歴17年という現地の日本人ガイド氏によると、労働党のヘレン・クラーク氏が99年に政権を就いてからは、郵政改革は行き過ぎたとして「(規制緩和を)半分戻した」という。

  オークランドの街を歩くと、物価は高いと感じる。ガソリンスタンドでは1㍑が1㌦76㌣(134円)である。消費税が12.5%の国なのでとくに物価高との印象になるのかもしれない。

  1990年代、ニュージーランドには規制改革と経済活性化の熱い嵐が吹き荒れた。当時の日本は「失われた10年」のただ中にあり、その勢いは羨望の的でもあった。時は流れ、その勢いは調整過程に入った。季節で言えば、ニュージーランドはゆっくりと秋に入っているのだ。(※シリーズは終了)

 ⇒30日(水)朝・金沢の天気   はれ

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☆続々々々・ニュージーランド記

2006年08月29日 | ⇒トレンド探査

 旅行中、kiwi(キーウィ)という言葉がいたるところに目につく。この国の国鳥でシンボルでもある。そして、ニュージーランドの人たちは自分たちのことをkiwiと読んだり、書いたりする。日本でキーウィといえばフルーツのことだが、語源はこの鳥である。

      愛される鳥・キーウィ

  現地の新聞で「BBQ is kiwiana」という文が目に止まった。BBQはバーベキューのことなので、バーベキューならキーウィの肉、かといぶかった。このKiwianaを英和辞書で検索しても出てこないので、現地の日本人ガイド氏に聞くと、笑いながら「そうですね、日本語で近いのは『ニュージーランド名物』とでもいいましょうか…」、「あえて訳せば『バーベキューはニュージーランド名物』ですね」と。

  「キーウィ」と口笛のような声で鳴くため、ニュージーランドの先住民であるマオリ族からキーウィと名付けられたそうだ。ニワトリくらいの大きさで、飛べない。たくましい脚を持ち、速く走る。しかし、ヨーロッパからの移民とともにやって来たネコやネズミなどの移入動物の影響でキーウィは一時絶滅の危機に瀕したこともある。体の3分の1ほどの大きさの卵を抱くのはオスの仕事である。そこで、kiwihusband(キーウィハズバンド)と言えば、面倒見のよい夫のたとえだとか。

  実は飛べない鳥はニュージーランドには5種類もいる。その中で、国のシンボルとなり、この国の人々の代名詞にもなりと、さまざまなかたちで言葉となるのは、背を丸めた、その愛くるしほどの姿ゆえか。オーストラリアのコアラ、中国のパンダほど世界的に有名ではないにしろ、ニュージーランド国民410万人に愛されている鳥なのである。

⇒29日(火)夜・金沢の天気  はれ 

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★続々々・ニュージーランド記

2006年08月25日 | ⇒トレンド探査

  ニュージーランドでスポーツと言えば、ラグビーである。国技とも言え、8月19日には代表チーム「オールブラックス」とオーストラリアの「ワラビー」の試合があった。午後7時からテレビ中継があり、人々が集まるバーでは騒然とした雰囲気で若者たちが見入っていた。

                マオリ族の唐草文様

   何人かの若者たちは黒地にシダの模様のロゴがついたTシャツを着ていた。上の写真のように、チームのロゴは葉の裏側が銀色のシルバーファーと現地で呼ばれるシダなのである。この夜、オールブクラックスは34対27で勝利し、薄暗いバーではほの白く光るシダが歓喜で揺れていた。

   続いてニュージーランド航空の機体の尾翼をご覧いただきたい。2本のゼンマイをかたどった模様がニュージーラーンド航空のマークである。シダの新芽の巻きの部分は「コル」と言って、先住民のマオリ族は縁起がよい、あるいは発展性があるという意味を込めている。マオリ族の工芸品店ではグリーンストーン(緑石)を加工してペンダントやネックレスとして販売されている。

   極めつけは下の写真である。マオリ族のダンスが楽しめるディナーショーに参加したときのこと。コーヒーのコーナーに飾りつけられていたクロスである。どこかで見た懐かしい図柄である。そう日本の風呂敷のデザインである唐草文様だ。これはマオリの伝統的な文様なのだという。唐草文様はもともとギリシャやペルシャから伝わった文様で、ブドウの木のつるなどをかたどったデザインとされる。ところがよく見ると、マオリ族のそれは巻きが2重、3重になっていて明らかにゼンマイ、つまりシダ植物である。

  南島のフィヨルドランド国立公園(世界遺産)ではシダ植物の原生林が広がる。恐竜でも出てきそうな雰囲気で、日本のシダ類とは違って大きいのである。その存在感がポリネシアンであるマオリ族をして、畏敬の念を持たせたとしても不思議ではない。それが言い伝えとなり、意味付けされた。さらにその意味付けがデザインのモチーフとなった。日本の「鶴はめでたい鳥」と、「コルは縁起がよい」の意味づけにそう大差はない。

⇒25日(金)夜・金沢の天気   はれ

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☆続々・ニュージーランド記

2006年08月24日 | ⇒トレンド探査

 ニュージーランドの南島の牧場では羊が飼われ、北島では牛が草を食む、それこそ牧歌的な光景をよく目にした。農業国といわれる理由なのだが、豚の放牧は1度しか見なかった。寝るための小屋が必要で設備投資に金がかかる、というわけだ。牛や羊とは違って病気にかかりにくく栄養価でも優れている家畜なのだが、酪農大国ニュージーランドは豚の輸入国に甘んじている。

      羊の毛刈り職人の深き悩み

 クイーンズタウンの空港からクライストチャーチ空港へ、さらに、飛行機を乗り継いで北島のロトルアに着いた(8月18日)。ロトルアには、温泉が数十㍍も吹き上げる有名な間欠泉がある。日本の別府市と姉妹都市だそうだ。

 ロトルアではもう一つ有名な毛刈りショーを堪能した。羊はおとなしい動物なのだが、中には暴れるのもいる。特にシェリオットという種は気性が荒いので毛刈り職人にとっては厄介者だったが、いまは品種改良されて随分とおとなしくなった、などと司会者が軽妙な語りでショーを進めていく。これを日本人スタッフが通訳しながら実況中継する。それをヘッドホンで聞く。台湾、韓国からの見学者もいるので、それぞれの言語のスタッフが中継する。ショーを終えた後で国際会議もできそうだ。

  ところで、ウール王国のニュージーランドで羊の毛刈り職人はさぞかし優遇されているのだろうと観光ガイド氏に訪ねた。すると「かつてはそうだったのですが…」と前置きし、内実を話してくれた。毛刈り職人の労賃は1匹につき1㌦40㌣(ニュージーランドの1㌦=76円換算で106円)である。電動バリカンだと一人前の職人は平均して37秒に1匹をさばく。1日に300匹ほどの毛を刈ることになる。つまり労賃は420㌦、3万2千円ほどだ。

  「でも、数年前までは2㌦から2㌦50㌣だったのです」とガイド氏。羊毛の重要が落ちているのだ。その証拠に、かつて数億匹といわれたニュージーランドの羊は今は4000万匹だ。

  その羊の毛刈り職人を窮地に立たせているのがポリエステルの繊維素材、フリースの登場だといわれる。フリースは高級ウールを目指してつくられた。保温性が高く、軽量、簡単に洗濯できるので、登山家らアウトドアの人たちの必需品だった。それが、アメリカのクリントン元大統領のヒラリー夫人も愛用しているなどと評判になり、一躍、タウン着として世界中から注目されるようになった。ペットボトルを再生して製造される道筋がついているので原材料には事欠かない。天然素材が化学素材に圧迫されている。羊の毛刈り職人の悩みは深いのである。

  ちなみに「羊の毛を刈る」という英語表現は「shear a sheep」あるいは「fleece a sheep」と書く。fleeceは名詞で「羊の毛」のことである。

 ⇒24日(木)夜・金沢の天気 はれ

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★続・ニュージーランド記

2006年08月22日 | ⇒トレンド探査

 クイーンズタウンという町の名は聞いただけで移民の国らしい語感がする。大英帝国の女王陛下に捧げる、あるいは立派な町にしていつか女王陛下に来ていただこう、移民たちのそんな思慕の念が読み取れそうだ。で、何人かの日本人の現地ガイドと話をすると、そんな歴史のことより、「クイーンズタウンはすごいですよ、オークンランドより高いそうですよ」と口をそろえたようにして言う。「高い」とは地価のことである。

     投資の熱狂・クイーンズタウン

 クライストチャーチを後にして8月16日はクイーンズタウンを訪れた。湖畔沿いに街がつくられ、雪のサザン・アルプスが背景に連なる。雑誌などでよく見る北欧かスイスの街のようなイメージだ。南緯45度、地球儀をひっくり返してみれば、北緯45度は日本の北海道・稚内、何となく北国であることが想像できる。が、ヨーロッパと比較するとイタリアのミラノやフランスのルグノーブルに相当し、北欧とは遠い。

  雪山が望めるのも、暖流の東オーストラリア海流の上をなめるようにして吹きつける湿った風が2000㍍級のサザン・アルプスにぶつかり、一気に上昇気流となって山頂に雪を戴かせる。つまり、クイーンズタウンの町はそれほど寒くはないのにモンブランの景色が楽しめるというわけだ。景色だけでなく、スキーヤーの姿もよく見かけた。

  クイーンズタウン郊外にはオーストラリアのメルボルンやシドニーと結ぶ空港もあり、いまや年間150万人の観光客が訪れるニュージーランドきってのリゾート地になっている。日本人ガイド氏が「高い」という理由も街を眺望して理解できるような気がした。あちこちにリゾートホテルが建ち並ぶ。リゾートホテルと言っても、高層ではなく5階から7階ぐらいの中層である。実際に泊まったホテルもモダンアートと照明に凝った、品のよいホテルだった。

  しかし、そのクイーンズタウンをめがけて資本の論理がうごめく。郊外はリゾート地にあやかってホテルや住宅の建設ラッシュなのである。中でも100戸近くはあるかと思われる開発地が目を引いた。ガイド氏の説明では、つい最近まで牧場だったところをエステート(不動産会社)がそっくり買収し、別荘用に売り出している、という。「売り地800平方㍍、18万㌦」の看板を見かけた。日本で言えば、「240坪、1370万円」(1NZ㌦=76円で換算)となる。また、リゾート用の分譲マンション、「3DKタイプで家具、プラズマテレビ付き25万ドル(1900万円)」というのもあった。

  日本人の感覚からは「安い」かもしれないが、現地のことをよく知っているガイド氏などは「オークランド近郊の話ですが、牧場を800万円で買って、6億円で売り抜けた日本人の話はニュージーランドでは有名ですよ」と。いまこの手の話はあちこちにあるらしい。現地の銀行のリーフレットを手にすると、1年ものの定期預金は利息7.35%である。いまの日本と比べれば、この金利でよく経済が回るものだ感心するくらい高い。いや、日本のバブル絶頂期を思わせる。

  リアス式海岸の景勝地であるミルフォード・サウンドでのクルージングを楽しんでホテルに戻ったのは夜だった。ホテルのバーカウンターで地ビール「スパイツ」のジョッキを片手に盛り上がっている4、5人の男たちがいた。スーツに派手なネクタイ姿はエステートの連中か、と詮索してしまった。母国の女王陛下への思慕の念を抱きつつ先祖が心血を注いだ開拓の地を投資の対象にして、人々の心が騒いでいる。かつて、どこかの国で見た光景だった。(写真は、クイーンズタウンのリゾートホテル)

⇒22日(火)朝・金沢の天気   くもり 

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☆ニュージーランド記

2006年08月21日 | ⇒トレンド探査

 夏休みを利用して家族でニュージーランドを旅行した。日本は真夏だが、ニュージーランドは冬だ。暑い日本からの寒い南半球への旅行は後に体が疲れるとか、ニュージーランドは紫外線が強いのでご用心などと諸氏からいろいろと忠告を聞かされ、5泊7日の旅に出た。

            追憶の街・クライストチャーチ

  関空からのフライト。セーターや厚手のズボンやコート、靴を持参したので大きいほうのトランクは34㌔にもなった。10時間半でニュージーランド南島のクライストチャーチ国際空港に着いた。現地の時間は午後0時30分、到着を告げるアナウンスでは日中気温は7度。金沢だと2月下旬ぐらいの気温だ。機内でさっそく上着を羽織った。

  さっそく予約してあったツアーバスに乗り込んだ。クライストチャーチ、語感に古きイギリスのにおいがする。1850年、イギリスから4隻の船で800人が移民したのが始まり。それが現在では35万人の南島最大の都市へと成長した。しかし、150年余りでそれだけ人口は増えるものなのか。日本人ガイドのアリタ・ヤスエさんの説明だと、ニュージーランドへの移民が始まって間もなく、サザン・アルプスの各地で金鉱脈が発見され、1860年代からゴールドラッシュが沸き起こる。これで、ヨーロッパやアジアからもどっと人が押し寄せた。さらに、1870年代からはヨーロッパでウール、つまり羊毛の人気が高まり、ニュージーランドはその原料の主力供給基地へと力をつけていった。

  中には成功物語も数多くあったのだろう。街は活気あふれ、1886年から40年もかけて、街の中心部にイギリスのゴシック様式による大聖堂が建設された。奥行き60㍍、1000人は収容できる。そして望郷の思いもあったのか、オックスフォード通り、ケンブリッジ通りなど大聖堂の周辺には母国イギリスをしのぶ地名もつけられた。そして人々は「イギリス以外で最もイギリスらしい町」と呼ばれるほどに本国のイミテーション都市をつくり上げた。

  その真骨頂は気品のある住宅街である。エイボン川沿いの瀟洒な住宅群、あるいは前庭は草花、後庭は芝生のイングリッシュガーデンの住宅が建ち並ぶ。そしてクライストチャーチは「ガーデンシティ(庭園の街)」と称されるまでになった。  確かに、クライストチャーチは豊かだ。サザン・アルプスを背景にカンタベリー平野に展開する牧羊などの酪農、そしてカイコウラ漁港を中心とした水産業も盛んだ。ただ、実際に街を歩くと、歴史が止まっているかのように感じるのは自分だけだろうか。若者の姿が少ないのである。ことし1月訪れたイタリアのミラノは古い街並みを若者がかっ歩するという歴史の連続性を感じた。が、クライストチャーチには人々のみずみずしさが感じられないのである。

  聞けば、ニュージーランドに7つある大学の一つ、カンタベリー大学がクライストチャーチの中心街から郊外に移転したのだという。学生数は1万3千人もいるというから、その学生が抜けた分だけ、街にぽっかりと穴が開いた状態なのかもしれない。  果たしてそれだけか。

 宿泊したホテル「クラウン・プラザ」の1階のレストランはクライストチャーチの市民も多く利用していた。しかし、そこでも若者が少ないように思えた。そこで別の日本人ガイドに、この印象について尋ねると、「若者は仕事を求めてオークランドに流れている」との返事だった。オ-クランドは北島にある人口110万人を数えるニュージランド最大の経済都市である。いうならば一極集中の構造になっているこの国では、2番目の規模を誇る都市・クライストチャーチであっても「ストロー現象」で若者が吸い上げられているのでは。そして、クライストチャーチがイギリスの追憶の街に終わるのでないか。自ら住む金沢の街と比較しつつそう思った。 (写真は、大聖堂の広場で大型のチェスを楽しむ市民ら)

⇒21日(月)夜・金沢の天気  はれ

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★メディアのツボ-09-

2006年08月12日 | ⇒メディア時評

 「メディアのツボ-03-」でも取り上げた、TBSの報道番組「イブニング5」の中で旧日本軍731部隊映像に内容とは関係のない安倍晋三官房長官の写真パネルが一瞬写った問題で、TBSに対し行政指導が行われた(11日)。しかし、その一瞬のナゾは解けていない。

       総務省と放送局

  行政指導を行ったのは放送局の監督官庁である総務省だ。竹中大臣がTBSの社長を呼んで注意文書を手渡し、再発防止を要請した。大臣名の最も重い厳重注意だ。

  この問題を振り返る。「イブニング5」の問題シーンは7月21日日午後6時13分ごろ。池田裕行キャスターが「旧日本軍の731部隊の石井隊長の日記の中に、終戦直後、上陸するアメリカ軍を細菌兵器で攻撃しようと計画していた記述があったことが分かった」と前ふりをしてVTRがスタートする。カメラマンがドーリー撮影をしながら、小道具置き場から数㍍離れて電話取材をする記者がいるブースまでの数秒間を移動する途中で、床にある安倍晋三官房長官の写真パネルが映っている。1秒間ほどだが、安倍氏とはっきり認識できる。

 この映像で何点か疑問がわく。第一、なぜ雑然とした道具置き場でドーリーショットで撮影しなければならなかったのか、という点だ。電話をする記者を強調したいのならばムーズインでもよかったのではないか。それにいくら使用済みの写真パネルとはいえ、あれほど雑然と、うっかりすると踏みつけてしまいそうな場所に置くものなのだろうか。次期首相を狙う政治家の写真である。普通に考えれば、再度あるいは緊急にスタジオで利用すことも想定して、パネルに傷がつかないように保管しておくのが常識だろう。キー局だったら大道具小道具を整理し保管する担当者がいるはずだ。

  TBSの広報は今回の厳重注意を受けて、「決して意図的なものではなかったが、視聴者に誤解を与えかねない映像だったことを反省し、再発防止に努める」とコメントを出している。ということは、TBS、総務省ともにこの件は重大な過失という認識で一致したということだ。徹底して調査してほしかったのは意図があったかどうか、だ。

  というのも、同省は04年6月、テレビ朝日の番組「TVタックル」で、藤井孝男下運輸大臣が拉致問題に関する国会での野党の質問にヤジを飛ばしたかのような映像を流した。これは、「報道は事実を曲げない」とする「放送法」第三条に抵触するとして情報通信政策局長名で厳重注意した。今回は大臣名なのでそれより重いのである。明らかに事実を曲げたとする厳重注意よりさらに重い厳重注意となると、「限りなく意図的にだが、処分にいたるほどの確たる要素はなかった」とも解釈できる。言葉遊びはしたくない。最も重い厳重注意を行った総務省は事実関係を明らかにすべきだろう。

  何しろ、11日付の総務省の報道資料では「放送番組の適正な編集を図る上で遺漏があったと認められた」としか内容が記されていないのである。

 ⇒12日(土)午後・金沢の天気  くもり

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☆メディアのツボ-08-

2006年08月09日 | ⇒メディア時評

 東京出張でJR浜松町駅に立ち寄った。ある広告を見るためである。もったいぶるつもりはない。東芝本社が浜松町駅に近くにあり、この駅だけにある東芝の広告を見るため。というのも、この広告には毎回、ニューヨーク・ヤンキースの松井秀喜選手が登場しているからだ。

      されど松井秀喜

 今回は東芝のノートパソコン「Qosmio」のPRに松井選手が登場している。地上デジタル放送と地上アナログ放送が視聴できるパソコンというのが触れ込み。テレビの録画機能も備え、専用画像処理チップを搭載する。大口径のステレオスピーカーも搭載して、画像と音質の機能をアップした。ご覧の写真のように、「ノートで地デジ、ノートでW録」のチャッチコピーがついている。つまり、テレビ化したノート型パソコンの広告である。しかし、どこか平板な広告だ。

  ご覧頂きたい。去年の大晦日に見た松井選手の東芝の広告は本物のゴジラと顔を並べていた=写真・下=。ユーモラスで、人目を引く工夫がある。それに比べると、やはり今回の広告は随分と控え目に思える。ケガでゲームに出場していない松井選手は使いにくいというのが広告デザイナーの本音なのだろうか…。

  松井選手は海外進出企業にもてはやされる。野球のメッカであるアメリカに乗り込んで、老舗のニューヨーク・ヤンキースで堂々の4番のポジションも得た。このキャラクターを広告として使わない手はない。広告出演料は想像を超える契約金だろう。しかし、その松井選手がバッターボックスに立てなければ意味はない。広告はある意味で「ばくち」でもある。

 とはいえ、その松井選手は左手首骨折のためリハビリを行っていたが、ようやくチームに合流できそうだと、各紙が報じている(9日付)。休場中でもメディアに取り上げられ、耳目を集める。されど松井である。

⇒9日(水)夜・東京の天気  くもり  

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★メディアのツボ-07-

2006年08月07日 | ⇒メディア時評

  「自在コラム」にはコメントの書き込みやメールを通じてご意見をいただいている。先日、金沢市在住の知人からのメールでこんな意見が寄せられた。

     政治家のインターネット

  「『メディアのツボ』で、メディアのおかしいところいろいろお話しになっているますが、私も、インターネットが出現してからの既存メディアのあり方について疑問を持っています。例えば、馳(浩=衆院石川1区選出)議員の肩を持つわけではありませんが、馳サイトのトップに『金沢への3つの主張』として金沢への主張が掲載され、1週間ほど経っています。新聞やTVがどう取り上げるかと思っていたら、どこも取り上げません。自分たちが選びその活動をよく知りたい国会議員の言動を、たとえインターネットであってもを紙面に掲載し、論評を加えることがジャーナリズムの義務であると思うのですが…。せっかくニュースがあるのに、インターネットだから取り上げない。不思議な気がして、知り合いのメディアの方にいろいろ感想を聞いているのですが…。どう思われるのでしょうか」

  馳氏は先月26日にファン1900人を集め、石川県産業展示館(金沢市)でプロレスからの引退試合を行った。相手の両足を脇に挟んで振り回す大技「ジャイアントスイング」を30回転も見せて、会場を大いに沸かせた。45歳である。メールにあった馳氏のサイトでの3つの提言は「危機感」「夢・将来構想(ビジョン)」「勇気・挑戦」。要約すれば、財政難であり危機感を持って、政令指定都市という器をつくり、学園構想などのビジョンを打ち立てよう、というもの。

  石川1区(金沢市)選出の国会議員なので、提言はあって当然だろう。知人の問題提起は、既存メディアはなぜそうしたインターネット上で発した提言を取り上げないのだろうかと疑問に感じている。確かに、テレビのワイドショーでは、タレントがブログで書いた交際宣言などをよく取り上げている。また、新聞などでも事件を起こした容疑者や被害者の心中が吐露されたブログの内容を伝えるケースが最近増えた。とは言え、政治家のブログやホームページでの政策提言が新聞やテレビで取り上げられているかというと、希(まれ)だろう。

  馳氏は文部科学副大臣である。その政治家が「学園都市」構想を進めようと提言していて、具体的な政策を盛り込んでいるとなれば、確かに、構想の実現の可能性やさらに構想の詳細について問えば、ニュースとして成立するはずである。読者あるいは視聴者の立場としても、馳氏の構想に耳目を傾けてみたいものだ。既存メディアが政治家のネット(ブログやホームページなど)に関心を示さないのは、ネットを個人メディアとしての位置づけではなく、パンフレットなどのPR媒体と同一視しているからかも知れない。

  それでは、政治家のネットがマニフェスト(政策綱領)並みに注目されることはあるのだろうか。それはある。来年07年の参院選に向けて、インターネットの選挙利用を解禁する法案づくりが進んでいる。つまり、ネットが選挙に組み込まれる時代になるのだ。解禁の理由は、衆院選小選挙区での在外国有権者の投票を可能するためだ。政治家のネットに既存メディアが一目を置くようになるのはこのタイミングだろう。ネット表現の出来や不出来が有権者の投票行動を左右することになるからだ。

  ところで、その馳氏が先週の8月3日、私のオフィスがある金沢大学創立五十周年記念館「角間の里」に。「暑い日が続くね」とウチワ4本を差し入れしてくれた。今年2月にこの記念館で学長と馳氏の対談(学内誌で掲載)があり、場所を覚えていただいたようだ。馳氏は軽四自動車の「タント」で市内を走り回っている。写真ではポーズまで取ってくれた。

 ⇒7日(月)夜・金沢の天気   はれ    

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☆メディアのツボ-06-

2006年08月04日 | ⇒メディア時評

 先日、年齢がひと回りも上のテレビ業界の先輩と話す機会があった。年齢にして64歳、テレビの成長期、一番よい時代を経験したといわれる世代である。その先輩が言う。「われわれの現役のときはテレビ局は時代の寵児(ちょうじ)といわれた。しかし、いまは『テレビ局という会社もある』といった普通の存在になったね」

    米紙ダウンサイジングの衝撃

  確かに、アナウンサー職を除けば、テレビ局に応募者が殺到するという現象は見られなくなったという話を最近、ある局の人事担当者から聞いた。これは何もテレビ局に限った話ではない。春の選考で予定していた人数を採りきれず、秋にも引き続き採用活動を行う新聞社などマスコミ企業が増えている。マスメディアのダウンサイジング現象である。

  読んで字の如く「縮小する」動きも現れてきた。アメリカの大手紙ニューヨーク・タイムズが紙面の幅を2008年4月から3.8㌢縮小すると発表したニュースだ(7月18日)。紙面の縮小により、記事スペースは11%減るが、増ページも行って減少を5%に抑えるという。紙面サイズの縮小とともに、印刷工場も統合する。アメリカを代表する大手紙の紙面のリストラだけに、そのインパクトは内外の新聞業界に他人事ではない衝撃を与えたはずである。

  この紙面縮小の背景には、新聞部数の減少がある。アメリカでは新聞発行部数が去年、全米で5300万部だった。これはピークだった1984年に比べ15%も落ちている。その原因はといえば、インターネットの普及による購読者数や広告収入の減少に尽きる。もう少し詳しく説明すると、新聞のビジネスモデルがインターネット企業によって侵食されているからである。情報を掲載して読む人の数の多さに比例して広告単価を上げるというネット広告の手法は、新聞の発行部数で広告単価を決めてきた従来の手法と重なる。こうして経営基盤が揺らぎ、傘下に32紙を持つ全米第2位の新聞グループ「ナイトリッダー」が身売りするという事態も起きた。

 日本の新聞業界は宅配制度によって部数(5252万部・05年10月の日本新聞協会調べ)を維持しているものの、それでもピークだった1999年(5375万部)に比べ減少傾向にある。また、日本の新聞社は株式を公開していないので、アメリカのように株主がその経営実態に不安を抱いて経営改善を要求するといった実態が表に現れない。表面化した時は、倒産か身売りというせっぱ詰まった状態になってからだろう。

 テレビのビジネスモデルもネット企業によって侵食されつつある。USENのブロードバンド放送「Gyao」(ギャオ)はユーザーが好きな時にネットを通じて番組が無料で視聴できるビデオオンデマンド方式を採用している。収益はサイトの広告収入がメインである。そのギャオの視聴登録者がすでに1000万人に達した。映画やアニメなど常時1500番組をそろえ、サービスを開始したのは去年4月である。すさまじい勢いで登録者を増やしたことになる。まだ黒字化はしていないものの、登録する際に入力する属性情報で、性別や年齢に応じた効果的な広告配信を試みている。また、7月からは地域・県別の広告配信も行っている。こうした小回りの効いた広告対応は既存の民放テレビ局ではできない。

 ネット企業が情報メディアを目指して台頭すれば、それだけ既存のマスメディアの存在感が薄れる。そんな構造なのである。それはかつて圧倒的な存在感を誇っていた新聞メディアが高度成長期に乗って台頭してきた放送メディアによって影が薄くなったプロセスと重なる。

⇒4日(金)朝・金沢の天気   はれ

   

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