自在コラム

⇒ 日常での観察や大学キャンパスでの見聞、環境や時事問題、メディアとネットの考察などを紹介する宇野文夫のコラム

★福島から-中-

2013年02月26日 | ⇒トピック往来
  三井物産環境基金の交流会シンポジウムで、緊急地震速報のアラームが携帯電話に一斉に鳴り響いたのは午後4時24分08秒だった。キューキューという鈍いアラーム音だ。会場が騒然となった。「栃木で地震が発生」とある。まもなく、シンポジウム会場の「ラコッセふくしま」4階ホールでも軽い揺れを感じた。日光市では震度5強の地震だった。

     安心と安全のパーセプションギャップ

  この地震速報の前後でパネルディカッションが熱気を帯びていた。そのキーワードは「徐前の費用対効果」だった。飯館村村長の菅野典雄氏は、放射能で汚染された土壌の改良、つまり除染に関しては、国家プロジェクトでやってほしいと述べた。つまり、避難している村民が戻ってきて、仕事や生活ができるような環境は、除染が大前提である、と。費用3200億円(20年間)をかけて除染を急いでいる。「放射能とは長い戦いになる。しかし、除染をすれば数値は下がる。これ(除染)をやらなければ避難している村民に戻ろうと言えない」、「それを『費用対効果』で語る政治家がいるのは残念だ」と述べた。

  さらに、村長は「このままでは勤労意欲の問題にもかかわる。村に戻って農産物などモノづくりを始めなければ」と。モノは売れないかもしれないが、「つくれる」ことが人の気持ちを前向きにさせる、と。「除染・帰村」が村長の方針だ。

  これに対し、放射線病理や放射能疫学が専門の鈴木元・国際医療福祉大学教授は、「除染に関してはグランドデザインやプランが必要」と述べた。除染の暫定基準値は「仮」の数字で科学的ではない。「不安をあおっただけではないか。何も全域除染する必要はないのではないか」と。「元に戻る」ことは、元の生産活動形態を戻すことでなくてもよいのではないか、と。その一例として、チェルノブイリでジャガイモやナタネが生産されている。これは食料を生産するのではなく、セシウムを除いてエタノール、つまりバイオエタノールを生産するすために栽培されている事例を上げた。村に必要なのはこうした、再生のための産業デザインであって、「除染ありきではないのではないか」と提案したのだ。冒頭のアラームはこのときに鳴り響いたのである。

  また、鈴木教授は、「安心と安全のパーセプションギャップ(perception gap)が起きている」と強調した。リスクの受け止め方は人によって異なる。原発事故で、科学的に安全であっても、安心ではないという認識のずれが起きているいう。その安心を優先させるために膨大なコストをかける必要があるのか、との問いである。

  村長の言葉も印象的だった。「(原発事故で)故郷を追われて出た者の気持ちとして、すくなくとも全部除染してほしい。住民同士が寄り添う気持ちはこうした環境から生まれる」

⇒26日(火)朝・福島市の天気  はれ
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☆福島から-上-

2013年02月25日 | ⇒トピック往来
  福島市に来ている。積雪はJR福島駅周辺で25㌢ほどだろうか=写真=。新聞やテレビのニュースを見ていると、地吹雪や視界不良で磐越自動車道が一時交通止めになったり、山形新幹線が一時立ち往生、南会津町でスキー大会が中止、きょう25日の国公立大学2次試験で会津大学の試験時間を2時間繰り下げたと報じている。

       飯館村村長の「までいライフ」

  福島を訪れたのは、三井物産環境基金で助成を受けた団体の交流会に参加するためだ。金沢大学は2006年から3年間「能登半島 里山里海自然学校」事業、2009年から3年間「能登半島における持続可能な地域発展を目指す里山里海アクティビティの創出」事業で支援を受けた。この支援で画期的だったのは、能登半島の最先端で廃校となっていた小学校校舎(3階建て)を借り受け、その後も大学の能登における地域人材の養成やフィールド研究(大気観測など)、地域交流の拠点となっていることだ。つまり、三井物産環境基金の助成金が「シードマネー」となり、能登での研究や地域貢献活動が広がったのである。

  交流会のテーマは「民間の力を活かした福島復興を考える」。同基金は2005年から「地球気候変動問題」や「生物多様性および生態系の保全」、「水資源の保全」、「表土の保全・森林の保護」、「水産資源の保護・食糧確保」、「エネルギー問題」、「持続可能な社会の構築」の6分野で研究や活動、復興(2011年度から)の支援を行っていて、きょうの交流会には助成を受けたNPOやNGO、大学などの機関などから100人余りが参加した。

  交流会の基調講演では、飯館村村長の菅野典雄氏が「日本人の忘れもの」と題して、合併しない「自主自立の村づくり」を基本に、小規模自治体の機動力を活かした子育て支援や環境保全活動、定住支援など施策を述べた。そのキーワードは「までいライフ」。「までい」とは「丁寧に、心を込めて、大切に」という意味の方言の「真手(まで)」と「スローライフ」の組み合わせた造語だ。この「までいライフ」を村のモットーとして掲げている。ところが、4期目在任中の2011年3月15日の原子力事故が発生した。福島第一原子力発電所から20km圏外にある福島県内5市町村(飯舘村など3千世帯、1万人)が計画的避難区域に指定され、飯館村民の9割に当たる4000人が村外へ避難し、村役場も福島市へに移転した。村長は講演の締めくくりに、「支援してほしいことは人でも金でもない。『忘れないでください』とだけ言いたい。我々は前に向き進んでいく。それを見守ってほしい」と。

⇒25日(月)夜・福島市の天気   はれ
  
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★天上のワイン

2013年02月17日 | ⇒メディア時評
 かつて、大学の薬学の教授から教わったことだ。酒はビールだけ、あるいは日本酒だけというのは体によくない。なるべくウイスキー、白酒(パイチュウ)、ワイン、ウオッカなど多種類を飲んだ方がよい。つまり、麦だけでなく、米も、モロコシも、ブドウもというわけだ。それを「アルコール多様性」というそうだ。その教授は「常時100種類ほどの酒を自宅にスットクしていて、少しずつ飲んでいる。健康だよ」と笑っていた。それまでどちらかいうと「ビールのち日本酒」だったが、その話を聞いてから、ワインも白酒もウオッカも飲むようになった。今は一巡して、どちらかというと、ワインの量が多くなった。

 先日、誘われて金沢のワインバ-が主催する「メドック格付1級 5大シャトーの違いを知る」というワインの講座に出かけた。ワインはまったくの初心者でどちらかというと、イタリヤやチリ、南アフリカといった国別で選んで買っていた。シャトー(ワイナリー)は知っていたが、「5大シャトー」は正直知らなかった。フランスに何度か勉強に行っているソムリエの辻健一さんが解説する。

 「5大シャトー」は、1855年のパリ万国博覧会で、皇帝ナポレオン3世は世界中から集まる訪問客に向けて、フランスのボルドーワイン(赤)の展示に格付けが必要だと考えた。 そこで、ボルドー・メドック地区で、ワイン仲買人が評判や市場価格に従って、ワインをランク付けした。その格付けで4つのシャトーに「第一級」の称号を与えられた。それ以来、ボルドーワインの公式格付けとなった。その4つとは「Ch.Lafite-Rothschild(シャトー・ラフィット・ロートシルト)」、「Ch.Margaux(シャトー・マルゴー)」、「Ch.Latour(シャトー・ラトゥール)」、「Ch.Haut Brion(シャトー・オー・ブリオン)」のこと。これに、1973年の格付けで昇格した、「Ch.Mouton Rothschild(シャトー・ムートン・ロスシルド)」を加え、これら5つが世界トップクラス・シャトーといわれるようになった。インターネットで調べてみても、それぞれ1本5万円は下らない。ちなみの、今回の講座の会費は2万3千円。グラスに1杯ずつ5大シャトーが飲めるのだから。一生に一度のチャンスと思えば、案外お得かも知れない。

 問題は味わいの表現力だ。これは、素人ではなかなか出てこない。辻さんはソムリエらしく、ラフィット・ロートシルを「長く残る深みのある味わい。森の中に白いお城のようですね」と。「熟成したときに醸し出す杉の香り」(ムートン・ロスシルド)、「重厚でありながら優雅さを崩さず、複雑極まりない風味の豊かさ」(ラトゥール)、「甘くそして芳ばしい香水のような」(シャトー・マルゴー)、「若い間から楽しめる芳醇でソフトな果実味。スミレとトリュフの香り」(オー・ブリオン)と次々と鼻と舌の感覚を言葉にしてにおい立たせる。ここまでくると、まさに「天上のワイン」のように思える。

 各シャトーのデータによると、ブドウの品種はカベルネ・ソービニオンが圧倒的に多い。ブドウの品質管理を徹底するために、どこのシャトーもブドウ畑の面積を100㌶以内にしている。そして、「プルミエ・ド・プルミエ(1級の中の1級)」を維持するために、ブドウのクローン選別や土壌改良、コンピューター制御の発酵管理などのたゆまぬ品質向上に向けた取り組みも紹介された。利より格付けを重んじる風土がワインに沁みこんでいる。

※写真は、コルク栓のついたものが5大シャトーのワイン。ソムリエの辻健一氏。

⇒17日(日)夜・金沢の天気    くもり
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☆七種粥の誤解

2013年02月09日 | ⇒トピック往来

  2月6日付「唐土の鳥」の続き。金沢市の料亭「大友楼」の主人・大友佐俊さんが加賀藩ゆかりの行事「七種(ななくさ)粥」を実演した。古い料亭の土間での行事なので、周囲の薄暗さが、時代が江戸か明治にタイムスリップしたような感じになった。

  大友さんによると、室町期に書かれ、元旦から大晦日までの宮中行事100余を記した『公事根源』に、「延喜11年(911)」の年に「後院より七種を供す」と記述があり、当時すでに宮中で唐土(中国大陸)からの厄病を運ぶ鳥の退散を期する七草の行事が行われていたようだ。この季節の風習は行事は、徳川期に入っても「若菜節句」と称して幕府の年中行事に取り入れられ、諸大名が将軍家へ登城してお祝いを述べ、将軍以下全員が「七種の粥」を食したようだ。次第に諸大名から武家へ、商家へ、庶民へと広まった。ただ、現在では「七種の粥」が一般の家庭で行われている話は見たことも聞いたこともない。食糧自給や予防医学の発展で、人々の健康体が保てるようになったからかもしれない。あるいは、「唐土の鳥」という迷信の正体が黄砂ではないのかと知れ渡るようになったからではないか、とも推察している。

  ところで、大友楼での「七種の粥」の実演を見せてもらい、後刻、その粥を食した。この粥がなんとも言えない「絶品」なのである。粥の味付け、米のふっくら感、七草の刻みと歯触りが何とも言えず上品で旨い。そして、粥というものに対する偏見、あるいは誤解が吹き飛んだ。今回初めて「粥は料理だ」と気がついた。

  その粥を、大友楼では輪島塗のさじ(スプーン)で食する。輪島塗が唇と舌に触れるときの滑らかか触りはこれ自体が味になっているから不思議だ。参加者が絶賛する。「お粥さんと輪島塗がこんなに合うとは…」と。かつて、こんな話を聞いたことがある。赤ちゃんが食事をミルクから離乳食へ切り替える際のエピソードで、金属製のスプーンではどうしても受け付けなかったが、輪島塗の小さなスプーンを使用したら赤ちゃんが受け入れてくれたというのである。その赤ちゃんの気持ちが分かるくらいに、粥とマッチしているのである。料理と食器のまさにアリアージュ(適合)ということか。

  これまで何度も粥を食した。小さいころ、腹痛を起こした時で、母親に食べさせてもらった記憶がある。長じて、宴席の締めで粥を食したこともある。粥は胃袋にやさしい、補助食というイメージが強かった。この偏見、ないし誤解が粥というものを「あれば料理ではない」と脳裏にすりこんでしまったのだろう。自身の人生で初めて、お粥というものの本来の料理としての「食い初め」となった。少々大袈裟か…。

※写真は、大友楼の七種粥と輪島塗のさじ

⇒9日(土)朝・金沢の天気   ゆき

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★鯛の唐蒸しの誤解

2013年02月08日 | ⇒メディア時評
  金沢では、郷土の伝統料理のことを「じわもん」と呼ぶ。治部煮(じぶに)は結構有名でお手軽料理かもしれない。そぎ切りにした鴨肉を小麦粉をまぶし、だし汁に醤油、砂糖、みりん、酒をあわせたもので鴨肉、麩(金沢の「すだれ麩」)、しいたけ、青菜(せりなど)を煮て煮物碗に盛る。肉にまぶした粉がうまみを閉じ込め濃厚な味にある。これまでじわもんを結構味わったつもりだったが、誤解もあった。


 前々回に紹介した金沢の料亭「大友楼」でいただいた「鯛の唐蒸し(たいのからむし)」=写真=が誤解の一つだった。二匹の鯛の腹に卯の花(おから)を詰めて大皿に並べたもの。婚礼に際して供される料理。、「にらみ鯛」や「鶴亀鯛」と呼ばれることもある。嫁入り道具とともに花嫁が持参する鯛を、婿側が調理して招待客にふるまうのがならわしである。子宝に恵まれるように、銀杏・百合根・麻の実・きくらげ・人参・蓮根などを入れた卯の花を鯛の腹一杯に詰め、雌雄二匹の鯛を腹合せにして並べる。これまで、知人や同僚の婚礼の披露宴に出席して、何度か口にした。が、正直見栄えだけ豪華でおいしくない料理との印象が残っていた。それが誤解だった。

 大友楼で、食事を運ぶ仲居さんからこう説明された。「おからを召し上がってくださいね。タイよりおからがおいしいのですよ」と。その通りにした。なんと、あのおからが芳醇な香りと旨味のする、まるで鱈子の煮つけのように味わい深い。そして、麻の実がほどよい歯触りのアクセントになっているのだ。そして、鯛の身はというとこれまで味わってきた味気のない、脂の抜けた身なのである。つまり、蒸す過程で鯛の肉の旨味がおからに吸収されているような感じだ。

 婚礼料理と聞いていたので、「めでたい」鯛が主役だと思って、これまでおからには手を付けなかった。つまり、パサパサの鯛の身ばかり食べていた。おからは鯛を膨らませ、大きく見せる「演出」だと思っていたのである。知らなかった。見栄えは鯛、味はおからなのである。くだんの仲居さんは「そのような方は土地(金沢)の方でも多いですよ」と。主役は鯛だと勘違いして、鯛の身ばかりをつまんでしまう。どちらかというと男性の客に多いそうだ。

 ところで、「唐蒸し」の由来だが、「おから蒸し」がいつの間にか「から蒸し」となった説、また、長崎を訪れた加賀藩の留学生が中国料理風の鯛のけんちん蒸しの調理法を持ち帰ったことが「唐蒸し」となったとする説などいくつかある。

⇒8日(金)昼・珠洲市の天気     ゆき
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☆匿名と実名の間

2013年02月07日 | ⇒メディア時評
  日本のマスメディア(新聞やテレビ)の報道には「夜討ち」「朝駆け」という言葉がある。事件の取材や政治のネタを扱う場合、ネタを取るのにもスピード感が必要で、相手方(ライバル紙)に先んじればスクープとなり、同着ならばデスクにしかられることはない。先を越されれば、「抜かれた」と叱責をくらう。警察取材(サツ回り)の新人には、「夜討ち」「朝駆け」は記者教育の基本として教えられる。

  これはニュースにおけるスクープやスピードだけのことなのだろうか。先日、現役の新聞記者と話す機会があり、話題になった。記者によると、「夜討ち・朝駆けという取材手法があるのは世界で日本と韓国だけらしい」と。続けて、「複数の記者たちを前に事件が経緯や概要を発表するのはある意味で建て前だ。ただ、捜査の経緯の中で隠されたことや、謎の部分で公表したくてもできない場合がある、つまりその本音を聞きたい」と。

  面白いのはそれが日本と韓国だけらしい、という点だ。確かに、両国とも本音と建て前の精神性がある。かしこまっての公の場ではなかなか本音が出ない。ならば、裏の非公式な場でその本音の話を聞こうとなる。ただ、本音の話を聞き出せても、実名はなかなか書けない。そこで、「警察幹部によると」などの書き出しで始まることになる。匿名である。

  これが政治の世界の取材となると、「オンレコ」と「オフレコ」になる。オン・レコードはメモ取り、オフレコはオフ・レコードはメモ取りなし。オンレコは記者会見といった実名で発言内容がニュースになることが多い。オフレコは一応記事にしないことを前提とした取材を指す。情報のニュースが高く記事にする場合は、オフレコの発言者を「与党幹部」や「政府筋」といった匿名の表現にとどめる。発言内容も一切報道しない完全オフレコという場合もある。

  では、読者の方が「なぜ匿名だ、実名にしないのか」と訴えたことがあるか。未聞である。むしろ、個人情報保護に関する過剰反応によって、社会の匿名化が進んでいる。学校の名簿から先生の住所、電話番号が削除されたり、町内会が災害に備えて1人暮らしの高齢者の名簿をつくろうとしても個人情報保護の壁に阻まれてできなかったりした例などいくらでもある。

  新聞社やテレビ局などでつくる日本新聞協会は、こうした行政などの「匿名発表」は容易に拡大し、やがて意図的,組織的な隠ぺい、ねつ造に発展するおそれがあると警告している。「実名発表」は「事実の核心」であり、実名があれば「発表する側はいい加減な発表や意図的な情報操作はできなくなる」として、読者や視聴者の「知る権利」に応えるために「実名発表」が必要だと主張している。が、肝心の新聞やテレビが上記で述べたように、取材元を匿名化しているので、なかなか説得力を持たない。

  ましてや、先月起きたアルジェリアで起きた人質事件で、日本政府は当初、事件に巻き込まれた大手プラントメーカー「日揮」の意向に配慮し、被害者の氏名を明らかにしなかった。日揮の意向とは、被害者遺族へのメディアスクラム(集団的過熱取材)を案じてのことだ。

  匿名を一律に否定している訳ではない。メディアの取材源の秘匿は言うまでもない。ただ、安易に匿名化することに日本の新聞やテレビは慣れきっている気がしてならない。テレビでも、映像にホカシや音声を変えているケースが多々ある。「実名が取材のスタート」であろう。新聞やテレビがこの「実名改革」を推し進めない限り、信頼が増々失われるのではいないか。最近そんなことを思っている。

⇒7日(木)夜・金沢の天気     風雨
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★「唐土の鳥」

2013年02月06日 | ⇒トピック往来
 あす7日は旧暦に1月7日、七草粥の行事が各地で行われる。先日、「シニア短期留学in金沢」というスタディ・ツアーに同行し、金沢市の大友楼という老舗料亭で行われた加賀藩ゆかりの行事「七種(ななくさ)粥」を見学した。

 七草は、大友楼ではセリ(野ぜり)、ナズナ(バチグサ、ペンペン草)、五行=御行(ハハコグサ)、ハコベラ(あきしらげ)、仏の座(オオバコ)、すず菜(蕪)、スズシロ(大根)のこと。これを台所の七つ道具でたたき=写真=、音を立てて病魔をはらう行事で、3代藩主利常の時代から明治期まで行われたという。面白いのは、たたくときの掛け声だ。「ナンナン、、七草、なずな、唐土の鳥が日本の土地に渡らぬ先にかち合せてボートボトノー」と。つまり、旧暦正月6日の晩から7日の朝にかけて唐の国(中国)から海を渡って日本へ悪い病気の種を抱えた鳥が飛んで来て、空から悪疫のもとを降らすというので、この鳥が我家の上に来ない様にとの願いが込められている。「平安時代からの行事とされる」と、藩主の御膳所を代々勤めた大友家の7代目の大友佐俊さんは言う。

 おそらく、病魔をもたらす「唐土の鳥」とは、黄砂のことではなかったか。現代で解釈すれば、まさに今問題となっている中国の大気汚染だ。石炭火力発電所に先進国では当たり前の脱硫装置をつけるが、中国では発電施設の増強が優先され設置が遅れている。だが、それより発電施設の増強が優先される、その結果、大都市やその周辺では、空も河川も汚染にむしばまれている。特に大気汚染が深刻なのは、北京市や河北省、山東省、天津市などで、肺がんやぜんそくなどを引き起こす微小粒子状物質「PM2・5」の大気中濃度が高まっているようだ。

 その大気汚染が偏西風に乗って日本にやってきた。金沢でも車を外に置いてくとフロントガラスがうっすらとチリが積もったようになる。「ナンナン、、七草、なずな、唐土の鳥が日本の土地に渡らぬ先にかち合せてボートボト」と言いたい。ちなみに、「かち合せてボートボト」と言うのは、金沢の方言で「鳥同士を鉢合わせでドンドンと落とせ」という意味だ。

⇒6日(水)朝・金沢の天気    くもり
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