自在コラム

⇒ 日常で観察したことや環境問題、金沢大学での見聞、マスメディアとインターネットについての考察を紹介する宇野文夫のコラム

★デープな能登=9=

2007年11月28日 | ⇒トピック往来

 能登の輪島で一度だけ食べたことがある。サバの刺し身を。サバは「生き腐れ」といわれるように傷み速い。しかし、輪島では釣り上げてから3時間以内なら大丈夫という経験則のようなものがあって、食することを勧められた。軟らかく、あまい赤身。ダイコンおろしにしょう油、一味唐辛子を混ぜた「弁慶しょう油」をちょっと付ける。その味が忘れられず、以来、鯖(さば)好きになった。20年も前の話である。

         輪島で教わったサバの食し方3題

  さらに同じ輪島でサバのダイナミックな食べ方を教わった。塩サバである。8月下旬、輪島の大祭が恒例だ。祭りが終わり、神輿や奉灯キリコをしまう。その後、直会(なおらい)があり、神饌(しんせん)やお神酒(みき)のお下がり物を参加者が分かち飲食する。このときに、塩漬けされたサバが大皿に乗って出てくる。お神酒を飲みながら、塩で身が硬くなったサバを手でむしって食べる。これがなんとも言えず美味なのだ。残暑の中、塩サバに日本酒を食するので当然、喉が渇く。そこで水の代わりにお下がりのスイカを食べる。冷やしてはないが清涼感があり甘い。するとまた塩サバが食べたくなる。手はサバの脂でベタベタになるが気にせず、むしり取る。そして飲む。またスイカを食べるという繰り返し。

  日差しがまだ高い、日中での昼酒である。外に出ると一瞬、白昼夢でも見ているような錯覚に陥ったことを覚えている。

  その後、珍しいサバ料理を食べさせてもらった。サバのスキヤキである。輪島塗作家の角偉三郎さんのお宅に招かれたときに出された料理だった。肉ではなく、サバの赤身を入れる。豆腐にも、糸コンニャクにも、ネギにも合う。肉の代用ではなく、れっきとしたサバ料理なのである。

  そのサバスキをつつきながら、角氏は夢を語って聞かせてくれた。その後、角氏は話通りに、日展を脱会して、「日常の生活に生かされる器(うつわ)」をめざし、合鹿(ごうろく)椀などの能登に古来からある漆器を発掘して、独自の道を歩む。無骨ながら使いこなされてこそ器である、と。気取らず、朴訥とした風貌だったが、眼光は鋭かった。05年10月に他界。享年65歳だった。

※写真は、セリが始まる前の輪島市漁協の様子

⇒28日(水)夜・金沢の天気   はれ 

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☆デープな能登=8=

2007年11月26日 | ⇒トピック往来

 能登半島から見える絶景と言えば、海に浮かぶ立山連峰(標高3015㍍)であろう。その眺望も毎日見えるのではなく、「たまに」というところに価値がある。とくに初夏のころ、雪の山々はコバルト色の海の上で青空に映えて浮かび、神々しさを感じる。

        立山の観天望気

 ふもとの富山県の人たちにとって立山連峰は古来より信仰の山であり、心の風景であるのかもしれない。立山が望める奥能登の穴水町でかつて別荘地が造成された。真っ先にその別荘地を買ったのは富山の人たちだったと聞いたことがある。「立山を見て余生を暮らせたら」。そんな思いが募ったのかもしれない。

  ところで、能登の人たちは立山に対しては別の見方もしている。「立山がくっきり見えたら、あすは雨」と。長年の経験から得た「観天望気(かんてんぼうき)」である。観天望気はもともと雲や風や空の色などを目で観察して、経験的に天気を予想することなのだが、この観天望気は実に分かりやすい。見える見えないで判断でき、しかも端的に当たるのである。だから子供でも「きょう立山が見えた、あすは傘がいる」などと言っている。

  写真は、金沢大学が「里山マイスター能登学舎」として使用している旧・小学校(珠洲市三崎町小泊)の玄関に飾ってある絵画だ。ご覧のように海の向こうに立山が描いてある。手前には、子供たちの遊びやお手伝いなど戸外活動の四季が描かれている。草相撲、モチつき、稲刈り…ほほ笑ましい光景ではある。あすは雨、いまのうちに遊びもお手伝いもやるべきことはやってしまおうというメッセージの絵画なのかもしれない。

  立山はいつも見えるわけではないと冒頭で書いた。しかも雨の日の前日に必ず見えるというわけでもない。ただ、くっきりと見えたら確実に「あすは雨」になる。微妙な見え方、たとえば薄く見えるときがある。この場合は「あすは曇り」となる。このあたりの「立山の見立て」となると地元の漁師がもっと詳しいだろう。

  ところで、観天望気は金沢にもある。金沢大学角間キャンパスがある田上(たがみ)、角間(かくま)地区では「医王山(いおうぜん、標高939㍍)の初雪から3度目の雪で角間も初雪」。古老から聞いた話である。もっとも街中にもある。「12月に入って、片町・香林坊が雨なら、小立野はみぞれ、そして湯涌は雪」と言った程度のものなのだが、これが結構、的を得ている。酔いどれ達の長年の観天望気術である。

 ⇒26日(月)夜・金沢の天気   くもり

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★続・金沢-フィレンツェ壁画物語

2007年11月25日 | ⇒キャンパス見聞

 金沢大学で復元されたのはイタリア・フィレンツェのサンタ・クローチェ教会大礼拝堂の壁画「聖十字架物語」の一部だ。もとのサンタ・クローチェ教会の壁画修復作業は金沢大学と国立フィレンツェ修復研究所、そして同教会の日伊共同プロジェクトとして進行している。金沢大学が国際貢献の一つとして位置づけるこのプロジェクトだ。昨年1月、プロジェクトの進みを報告するため、大学側の責任者として指揮を執る宮下孝晴・教育学部教授(イタリア美術史)をフィレンツェに訪ねた。

                  ◇

  壁画「聖十字架物語」の修復現場=写真・上=は足場に覆われていた。鉄パイプで組まれた足場は高さ26㍍、ざっと9階建てのビル並みの高さである。天井から吊られた十字架像、窓にはめられたステンドグラスなどの貴重な美術品や文化財はそのままにして足場の建設が進んだのだから、慎重さを極めた作業だったことは想像に難くない。平面状に組んだ足場ではなく、立方体に組んであり、打ち合わせ用のオフィス空間や照明設備や電気配線、上下水道もある。下水施設は洗浄のため薬品を含んだ水を貯水場に保存するためだ。それに人と機材を運搬するエレベーターもある。

  「さあ、歩いて階段を上りましょう」。現場に同行してくれた修復研究所壁画部長のクリスティーナ・ダンティさんがそう言って階段を上り始めた。エレベーターによる振動は壁画の亀裂や剥(はく)落の原因にもなりかねないので、測定機材などを運ぶ以外は極力使わないようにしているのだという。

  足場の最上階に上がると大礼拝堂の天井に手が届くほどの距離に達する。「壁画に触れないように気をつけて」とダンティさんは念を押す。宮下教授は「足場が出来る前までは下から双眼鏡で眺めていたのですが、足場に上がって直に見ると予想以上に傷みが激しく愕(がく)然としましたよ」と話す。ステンドグラス窓の一部が壊れ、そこから侵入した雨水とハトの糞で傷んだところや、亀裂やひび割れが目立つ=写真・下=。また、専門家の目では、70年ほど前の修復で廉価な顔料が施され変色が進んだところや、水分や湿気が地下の塩分を吸い上げ壁画面に吹き出した部分もある。

  修復研究所では、プロパンガスのファンヒーターを足場の床面に約2分間均等に照射し、間接的に壁画面の温度を上昇させた後に壁面から放射される遠赤外線量の違いを赤外線カメラで画像化するというサーマルビジョン(サーモグラフィ)調査を行っている。これだとまるでレントゲン撮影のように、壁画の奥深いところまでの状態を観察することができる。一方で、4人の修復士たちが「目による画面の状況確認」も行いながら、剥落や剥離がひどいところには応急処置として、傷口にバンドエイドを貼るように、小さく切った紙を慎重に貼って進行を防いでいる。専門家の目と検査器械による診断は人間ドックならぬ、「壁画ドック」とでもたとえようか。

  サンタ・クローチェ教会財産管理部の部長、カルラ・ボナンニさんは「この壁画はスケールが大きすぎて、修復のチャンスがなかなか回ってこなかったのですが、ようやく緒につき感謝しています」と金沢大学の協力を高く評価している。足場の工事看板にはアカンサスの葉を図案化した金沢大学の校章が真ん中に記されている。

 (※文は金沢大学地域貢献情報誌「地域とともに」(2006vol.4)に寄稿したものを再構成した)

 ⇒25日(日)午前・金沢の天気  はれ

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☆金沢-フィレンツェ壁画物語

2007年11月24日 | ⇒キャンパス見聞

 イタリアのフィレンツェはユネスコの世界遺産に指定されている歴史の都である。「美術のパトロン」といわれたメデイチ家が庇護した街でもある。このフィレンツェの精神的な拠りどころがサンタ・クローチェ教会。何しろ、科学者のガレリオ・ガリレイや彫刻家のミケランジェロ、政治理論家のマキアヴェッリなど世界史に燦(さん)然と名を残す偉人たちの墓がある。そのサンタ・クローチェ教会の大礼拝堂の壁画の一部が金沢大学教育学部棟で復元された=写真=。

  壁画は「聖十字架物語」という14世紀のフレスコ画。フレスコ画は、壁に漆喰(しっくい)を塗り、乾かないうちに顔料で絵を描く技法だ。復元された壁画の大きさは幅7㍍、高さ5㍍にもなる。学生、教員のほか、卒業生も加わって、32分割した壁画を1日一部分ずつ描き、今月23日までにほぼ描き終えた。顔料など多くの材料はイタリアで調達した。

  壁画復元に至る背景には金沢大学のサンタ・クローチェ教会壁画修復・調査研究プロジェクトがある。教育学部の宮下孝晴教授(イタリア美術史専攻)がNHK教育テレビ「人間講座」でルネサンス黎明期のフレスコ壁画を紹介したことがきっかけで、東京の篤志家から壁画修復のための寄付金(2億円)の申し入れがあった。金沢大学は国際貢献活動との位置づけで、大学として寄付金を管理、修復作業にあたっては国立フィレンツェ修復研究所、そしてサンタ・クローチェ教会の3者による日伊共同プロジェクトとしてスタートした。2005年から5年計画。修復の過程で、宮下教授らが復元を試みることで実践的な教育として生かせないかと昨年からプランを練ってきた。

  今回復元された壁画は、1380年代にアーニョロ・ガッティが描いた大作。実際の壁画は幅8㍍、高さ21㍍もある。7階建てのビルの壁面に絵が施されていると表現した方が分かりやすいかもしれない。そこには旧約聖書のエデンの園から始まり、7世紀の東ローマ皇帝ヘラクリウスの時代に及ぶキリスト教の黄金伝説が描かれている。今回金沢大学で復元された壁画は、キリスト教を国教として公認したコンスタンティヌス帝の母ヘレナの話。熱心なキリスト教徒であったヘレナはエルサレムを巡礼し、苦労の末にキリストがはり付けにされた十字架をゴルゴダの丘で発見する。しかし、十字架は3本あり、どれがキリストの十字架であるか分からない。そこで、通りかかった葬列に3本の十字架をかざすと、最後の一本で死者が蘇った。そこで、「真の十字架」が判明したという伝説が描かれている。

  ある意味で宗教色が強いので、論議の末、イスラム圏からの留学生が多い理系の建物を復元場所として避けるなどの細やかな配慮もなされ、実現にこぎつけた。

 ⇒24日(土)夜・金沢の天気  くもり 

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★雪モードの朝

2007年11月19日 | ⇒トピック往来
 けさ(19日)の屋外の光景を見て、金沢の人、あるいは北陸人の季節感は一気に「冬モード」にスイッチが切り替わったのではないだろうか。薄っすらと雪化粧、初雪である。11月半ば、こんなに早く冬の訪れを感じたのは何年ぶりだろう。

 雪国の人に冬モードのスイッチが入るとどんな思考をするか。まず、車のタイヤをスノータイヤ(スタッドレス)に交換しようと考える。しかし、今回の初雪は早すぎる。おそらく一度雪が降ると、次に来るのは12月下旬だろう。すると早計にタイヤを交換すると、スノータイヤの磨耗がそれだけ大きい。でも、週間の天気予報をチェックすると、23日(金)にも雪マークが付いている。「さて、どうしよう」などと考えながら、今度は除雪用のスコップを収納小屋から出し、雪道用のブーツを用意した。で、山手にある金沢大学では雪も多いに違いないと、きょうはブーツを履いて出勤した。

 雪の予感は昨夜からあった。東京からの客人を迎えに夜の街に出た。みぞれまじり、氷雨だった。犀川大橋に立つと、身を刺すような冷たい風が一瞬に頬に当たった。

 きょうは午前9時すぎごろから、日差しが出て、屋根や街路の雪はまたたく間に消えていく。ブーツは早まった判断だったかと思いながら、大学の長い坂道を急いだ。

※写真は、金沢大学創立五十周年記念館「角間の里」の周辺。屋根に雪が載り、ダイコンの葉も雪で重そうだ。

⇒19日(月)朝・金沢の天気   はれ
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☆ペーパーナイフ付の月尾本

2007年11月15日 | ⇒ランダム書評
 東大名誉教授で「ITの伝道者」、そして文明批評家でもある月尾嘉男氏が一風変わった本を出版した。限定1000冊、私が人を介していただいた本は520番のナンバリングがされている。著書名は「鄙には稀なる」(117頁)。読み仮名はふられていないが、「鄙(ひな)には稀(まれ)なる」と読むのだろう。地方には優れた人、モノが…と言った意味合いだろうか。
 
 国内外の広告業界の動きや広告活動を紹介する週刊の専門紙「電通報」に平成18年4月から1年間連載された文をまとめたもの。主に月尾氏が全国18ヵ所で主宰する月尾塾での講演旅行などで出会った地域の愉快な人々が稀人(まれびと)として紹介されている。ちなみに、「加賀の稀人」は白波の立つ日本海をクルーザーで出航する豪快な上場企業の会長の話。この会長は創業者だけあって、物怖じしないのだが、暗雲の方向へ向かっていくので、さすがに地元の案内役が止め入った。「途中で日本海で行方不明」となっていたかもしれないと。そんな豪快さの持ち主は今日では稀人なのだろう。

 地方の疲弊が新聞メディアなどで取り沙汰されている。しかし、「鄙には稀なる」という一見、都を中心にした発想は文面からは感じられない。全国を歩く月尾氏にとって、都市とは全く違う斬新な発想が生まれる場が鄙だといわんばかりに、地域の人々に秘める力強さや情熱、心意気が行間からにじみ出ている。

 月尾氏とは遠巻きながら2度、宴席でご相伴させていただいたことがある。酔うほどに笑顔で、講演でのシャープな語りとは違って寡黙になる。おそらく翌朝、趣味のスポーツであるカヤックをこぐためのエネルギーを蓄えておられるのだと察した。

 そして、この著書の最大の特徴はカヤックのパドル型のペーパーナイフがついることだ=写真=。ページの上部をナイフで切ってページを開く。木製のペーパーナイフなので切り開くときに少々力が要る。ところで、パドルとオールはどう違うのか。調べてみると、パドルはシートに座って前向きに進む船を漕ぐ場合にパドルを使用します。後ろ向きに進む船を漕ぐときにはオールを使うのだという。大学の職場で、私はこのペーパーナイフを「逸品だろう」と見せびらかしたところ、女性スタッフが横目で「バターナイフにいいかも」とさりげなく…。

 挿画は日本画家の平松礼二氏画伯。平松氏とは高校時代の同級生にして、カヤックの弟子だとか。ナンバー付きの限定本、超有名な画伯による挿絵画、パドル型ペーパーナイフ…。おそらく2度手にすることはない稀本である。

⇒15日(木)午後・金沢の天気  くもり 
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★カニ食い名人の話

2007年11月13日 | ⇒ドキュメント回廊
 日本海のズワイガニ漁が11月6日に解禁となった。ズワイガニにはご当地の呼び方があって、山陰地方では松葉ガニ、福井県では越前ガニと呼ぶ。石川県では昨年から漁協などが「加能(かのう)ガニ」と呼ぶことにしたらしい。加能とは、加賀と能登という意味である。ことしの初物は9日に食した。皿に盛られたゆでカニには青いタグが付いていて、「輪島港」と刻まれていた。つまり、輪島港で水揚げされたズワイガニという証明になっている。

 昔からカニを食べると寡黙になる、というのが常識だが、この日は様子が違った。同席したのは宮崎、福岡、大阪、奈良、東京、仙台と出身はバラバラ。すると、食べ方が慣れないせいか、「カニは好きだが食べにくい」「身をほじり出すのがチマチマしている」などという話になる。出されたカニには包丁が入っていて、すでに食べやすくしてある。これを「食べにくい」といってはバチが当たるというものだ。つまり、カニの初心者なのだ。

 そこで、席上でこんな話をつい偉そうにしてしまった。「私の友人で丸ごと一匹を5分間で食べる名人がいるんです」と。すると周囲の話がピタリと止んだ。「とにかく、包丁が入っていないので、脚を関節近くで折り、身を吸って出す。その音はパキパキ、ズーズー、その食べる姿はまるでカニとの格闘ですよ」「何とかチャンピオンでカニ食い選手権があったら間違いなく、その人が優勝です」「私はまだその域には達していないが、これまでのタイムでだいたい7分。メスのコウバコガニだったら5分で食べます」と。周囲は「さすが北陸の人はカニに対する思い入れが違うな」と、話だけで満足した様子。「カニと格闘する宇野さんの姿をぜひ見たい」という話にもなったが、さらに丸ごと一匹注文するとなるとさすがに値段が張るので話はたち切れになった。内心、ホッとした。

 その名人は実在する。福井県武生の人。私と同年代で、マスコミ業界にいたころからの友人だ。20代後半にその人とカニを平らげる時間を競争したことがある。その時のタイムが5分だった。福井の人はカニを食べ、さんざん飲んだ後、ソバを食べて仕上げる。カニとそばのことは福井の人にはかなわない、と思ったものだ。

 ついでにその名人の話。先日電話があり、福井から金沢大学の私の職場にやってきた。会社を辞めて、農業をやるという。武生は福井市と近いので出荷がしやすい。ハウス栽培で小松菜やホウレン草などを中心に作るのだという。人生が吹っ切れた感じで、ハツラツとしたいい顔だった。「50過ぎたら自分の人生。会社や家族のためではない。これからの時間、自分の人生を刻もう」と別れた。彼とカニ食い競争をしてから、かれこれ25年ほど経っている。

⇒13日(火)夜・金沢の天気  はれ

 
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☆デジタル寅さん

2007年11月02日 | ⇒キャンパス見聞
 「宇野さん、寅さんみたいですね」と大学の同僚から言われた。通勤や出張の際、すべての道具をパソコンのキャリーバッグ一つに詰めて歩いている私の姿がなんとなく寅さんのイメージなのだそうだ。

 確かにキャリーバッグはよく入る。改めてどんなモノが入っているのかチェックしてみた。1泊の出張の場合である。一日分の着替え、パソコンのACアダプター、シェーバー、くし、財布、手帳、単四電池3本、プリベイト式の乗り物カード(北陸鉄道アイカ、スイカ、地下鉄用プリベイトカード)と大学職員証)、名刺入れ、ボ-ルペン2本、マーカー(ピンク)、メモリースティック、通信用のFOMAカード、書類、ICレコーダー、デジタルカメラ、携帯電話それにモバイルPCである。重さにしてざっと10数㌔だろうか。これに、会議資料が何十セットが加わると、さらに重くなる。でも、全部一つのバッグに収納できるから不思議だ。

 東京出張の場合は、スカイや地下鉄用プリベイトカード、それに大学職員証は欠かせない。文部科学省に用事がある場合は、入り口で必ず提出を求められるからだ。また、モバイル通信の環境は常に必要なので、FOMAカードは欠かせない。ただ、ACアダプターは意外と重い。いずれにせよ、出張とオフィス環境の確保という2つのコンセプトがこのバッグに詰まっている。

 モバイルPCは商品化される10数年前はラップトップPCを持ち歩いていた。これは重さが20キロ近くあった。このころキャリーバックはなく、旅行用バッグにPCを入れていた。その後、PCがノート化してキャリーバッグが開発され、それが旅行バッグ化した。格段の進歩である。

 自慢ではないが、PCのキャリー歴はもう10数年になる。そこで同僚に言い返した。「せっかくだったら、デジタル寅さんといってほしい」と。

⇒2日(金)午後・金沢の天気  はれ
 
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